2008〜2012.09.25
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『君という名の』
三輪一言がかつて依子と出会う前に垣間見た彼女の未来は、彼が見た未来の中でも上位に入る幸福なものであった。
悲劇的な未来を少しでも良いものに変えたいと願い行動してきた一言にとって、自身が防げなかった悲劇の被害者である彼女が幸せになるという未来は、言わばひとつの希望であり、彼には犯しがたいものだったのだ。
(だから気付こうとしなかった、彼女が何を以って己の幸福を定義するのかを)
……………
『不器用な世界』
「依子、君は、せめて君だけは幸せになってほしいんだ」
あの悲劇を見た後に、ようやく見ることの叶った幸せな未来の只中にいた君だけは。
許しを乞うように、祈るように口にする。
酷な事を言っていると解っている。だがこれは、王ではなくただ一人の男として三輪一言の包み隠さぬ願いだ。
「ダメなんです一言様」
だがそれを女は容易く踏みにじる。
「私は貴方と一緒に幸せになりたいんです」
……………
『死ぬまでの君を全てください』
「私は君を置いていくんだよ」
君を私の気持ちで縛りたくなかったのだと一言は続ける。
「それなら」
首に腕を絡め依子は蠱惑的に告げる。
「私を、一言様の最後の女にしてください」
「君にそんな事を言わせてしまうくらい、私は君を追い詰めていたんだね」
もう戻れないのだと悟ってしまった二人は唇を重ねた。
……………
『運命なんて、くそくらえ』
眠る女の襦袢から、赤い花弁の散らされた白い肌が覗く。
彼女は本来三輪一言の色のみならず、何色にだって染まれた。
事実彼女に纏わる縁の糸は複雑に絡み合っており一つでも運命の歯車が違えば、一言と出会うこともなかった筈だ。
一言はそれら全てを断ち切り、新たに自分の糸で依子を縛り付けた。それは彼女自身の願いでもあった。
(何色にも染まれないように、透明な糸で縛りつけたのだ)
……………
『君の傍』
御柱タワーのエレベーターから夜景を望むのは随分と久方振りだ。
最近は一言の供を狗朗もするようになったから、尚更そう思うのだろう。
ふと横を向くと子供のように窓の外を眺めている私が面白いのか、声もなく笑う一言様と目が合う。
普段見慣れた景色が、何故こんなにも美しく見えるのか私は漸く理解した。
(貴方の傍にいるとこんなにも世界が輝いて見える)
……………
『1/f』
「依子、おいで」
其処に居ると冷えてしまうよ。
眼前に差し出された手と、聞き慣れた柔らかな低音の声が依子を招く。
洋燈の灯が揺らめく寝所は冬の夜気と灯の温もりが混ざり、一言の傍らだけが確かに暖かい。
私はただひとこと「はい」と応え、一回り小さな手を重ねる。
幽かな燈から伝わる温もりと互いの眼に宿る情欲の火、それだけがこの世界で熱を持っていると依子は思えてならなかった。
……………
『誰も、知らない』
触れてみて、初めてわかる事もある。
例えば、一言の背中は思っていたよりもずっと大きいのだと背中にそっと腕を回して実感した事、とか。
幼い頃の狗朗がピアニストのように優美な手だと我が事のように誇らしく語っていた手は、女の依子から見てみれば、細身であるが大きく皮膚の所々が硬くなっている紛うことなく男の人の手をしている事、とか。
澄きとおった透明度の高い黒瞳が、夜の帳の中で依子一人を見つめるその瞬間だけ、ぎらぎらと怖いくらいに暗い光を灯す事、とか。
この人の知らなかった事実を、少しずつ知っていく。
私だけが知る貴方が、少しずつ増えていく。
……………
『決戦はこの夜に』
一言の体の事は長く側に仕える依子でも充分分かっている。
想いが伝われば体が繋がらずとも構わないとさえ思っていた。
確かに一言は病の身だ、だがそれとは別に決して女が抱けない体という訳でも更に言えば、体力もない訳でもなく。
「なんでいつも私が先に参っているのでしょうか」
この有様である。
決して彼に抱かれるのが嫌ではない、寧ろその逆だ。
好きな人を愛し、そして愛されるというのは幸せなことに違いない、それなのにこの妙な敗北感はなんなのだろうか。
一戦──と言いながら実のところ数回はしているが──終えて暫く経つのに腰から下の感覚がまだ完全に戻っていないし、恨み節を呟いた声は散々嬌声を上げたせいで掠れきっている。
先程からそっぽを向く依子の髪を指に絡めて遊んでいた一言は、くすくすと笑いながらいつも通りのほんわかとした口調で答えた。
「年季の違いかな?」
「理不尽です」
依子は夜でも一言に勝てた事がない、今のところは。
……………
『○○○チャレンジ』
「ねえ、依子」
無邪気さすら感じる師の笑みは、有無を言わせぬ強制力を依子に抱かせた。
「だめです」
「まだ私は何も言っていないのだけど」
「でもだめです」
手元にあるそれを、依子はひしと両手で掴む。
「最近はクロも私にさせなくなってね」
依子の掴んだそれを、さも当然のように受け取る気で一言は手を伸ばしたが依子は笑みだけを眼前の師に返した。
「私がご飯盛りますから」
おひつチャレンジの話
(この後一言がめちゃくちゃご飯よそった)
(一言様の笑みには勝てなかったよ)
……………
『本日は晴天なり』
「今年は桜が早咲きでしたね」
ござを拡げ、風呂敷で包まれた重箱を並べる。
普段ならこの時期は満開だというのに、今年の桜は随分と早く花弁の散る中での花見となってしまった。
依子は口を尖らせて、紙皿と割り箸を並べる。
「散る桜もまた風情があると思うけど」
一言は眉を下げ、二人分の紙コップに緑茶を注ぎ、一つを依子に差し出した。もう一人は後少ししたら来るだろうから今は二人分で十分なのだ。魔法瓶に入れて持ってきたからか、当然の如く緑茶は温かかった。
「花が散る瞬間ってあまり好きじゃなくて」
命が終わる瞬間を視覚化しているようだから。
「花が綺麗に咲いているその時を君は好ましいと思うから惜しくなってしまうのだろうね」
「未練がましいですね、私は」
「今を強く大事に思っているって事でしょう?」
それはきっと悪いことではないよ。
宙を舞う花弁が一枚、白い紙皿の上にほとりと落ちた。
……………
『満開の下』
都会の桜は既に散ったが三輪家の近くの丘では山桜が咲いている、八重咲きの桜と青天の対比が色鮮やかだ。
空と桜を見上げ眩しそうに目を細める一言の笑顔の方が依子には眩しく見える。
ふと一言の肩に落ちた花弁が目に付いてそっと摘めば、
「普通は逆じゃないかな?」と一言は照れ臭そうに笑った。
……………
『甘えることを教えたのは、貴方だから』
「酔っているのかい」
「酔ってません」
久し振りに縁側で二人月見酒と洒落込む。
酒を呑んだ時のふわふわとした心地よさのまま、私は彼の肩にもたれた。
「やっぱり酔っているじゃないか」
「貴方だから甘えられるんです」
「まるで子供に戻ったようだね」
彼は子供ではなく恋人のように、私の髪を愛おしげに撫でた。
……………
『これだから酔っ払いは!』
久々に帰って来た姉弟子は師と共に飲むのだと行って持参した酒で見事に出来上がっていた。
「いちげんさま〜」
「はいはい」
甘えきった声でもたれ掛かる姉弟子をあやす師の手つきは慣れたもので、彼女が一言と二人の時もこのような痴態を見せているのだと窺い知れた。
「まったく姉上ときたら他の誰かにもこんな様子なのでしょうか」
「多分私たちの前でないとこうはならないと思うよ?」
それに、と続けながら一言は片目を瞑り茶目っ気にクロに言った。
「多分明日の朝には面白いものが見れるんじゃないかな?」
師の予想通り、翌朝彼女の部屋からは暫く奇妙な叫び声が聞こえた。
(酔った時の痴態を全部覚えてるタイプの酔い方をする)
……………
『飼い犬に手を噛まれる』
唇をなぞる一言のしなやかな指をかぷりと噛んだ。
痛みはない、甘噛みにしても恐る恐るといった体で一言の指は柔らかく湿った女の口に迎えられる。
「可愛らしい悪戯だね」
普段ならしないような行為を依子がしてくることに、一言は屈託無く笑う。
「いつものお返しです」
咥えたまま依子は顔を赤らめた。
……………
『上手く、しつけてやらなくちゃ』
彼女は存外自分の魅力を知らぬ節があると一言が気付いたのは最近の事だ。
上目遣いで一言を求めるその姿はとても他の男には見せられない。
例え息子の狗朗であってもだ。
「こうなるのは一言様の前だけですよ」
理性と本能の間でぐらつく、そんな姿が時に人を魅了してしまうのだとその身に教えてやらねば。
……………
『キスの日』
背伸びをして一言様にキスをする。
ただそれだけのことが、どうしてこんなに難しく思うのだろう。
僅かに触れたのは一言様の下唇、掠めるような口付けに彼はきょとんと目を瞬かせる。
不意をついた甲斐があった。
「やってくれたね?」
悪戯っこのような目をして彼は僅かに背を屈ませる。してやられたのは私の方だったと後悔するまで、そう時間はかからなかった。
……………
『日曜の朝』
朝の光と嗅ぎ慣れた味噌汁の匂いで、依子は目を覚ました。
此処は依子の東京の部屋で、今朝は珍しくあの人がいる。
「お早う、依子」
台所から出てきた一言は、いつもと同じ穏やかな笑みを依子に向けた。
「お早うございます、一言様」
「台所の物を少し使わせてもらったよ」
「本当は私がするべきでしたのに……申し訳ありません」
しゅんと項垂れる依子に一言もつられて眉を下げ、頰をかく。
「仕方ないよ……それに、昨日君に無理をさせてしまったのは私なのだし」
依子は一言の言う昨晩の『無理』の数々を思い出したのか、瞬時に顔を赤らめた。
その様子をくすくすと笑いながら眺めていた一言が「立てそうかい?」と問いかける。
カーテン越しに日差しが射す部屋で、差し出された男の節くれだった手を女はいつものように受け取った。
…………
『鳴かぬ蛍が身を焦がす』
「私、馬鹿みたいですね」
隣でくつろぐ一言の方に寝返りを打ちながら、依子は恨めしげに掠れた声でそう言った。
一言は困ったように彼女の薄い色素の髪を優しく撫でる。
「どうしてそう思うのかな?」
「だって、鳴かぬ蛍よりもうるさく鳴いてる蝉の方がお好きなんでしょう?」
その言葉に思い出すのは先日詠んでいた己の俳句だ。
「今は、君もよく鳴いてくれるからね」
「……ばか」
敵わないと言うように、依子は一言の胸元に身を寄せか細く呟いた。
……………
『Intimate space』
少し乾燥した一言の唇に、依子は自分の唇を合わせる。
ひび割れて切れやしないだろうか。
少し気になってちろりと舌を出し厚い唇をなぞれば、寄り添う一言の体がピクリと震え依子の薄い肩を骨張った手で抱き寄せた。
「擽ったいよ」
僅かに離された口から、笑みを含んだ柔らかな声が振動と共に伝わる。
それがどうにも面映くて、依子は目を細め再び愛しい人に唇を寄せた。
……………
『いつか消えていくもの』
曖昧なこの人の笑みが嫌いだ。
先程まで手酷く私を暴いていたその指が、今度は頰にに優しく触れる。
輪郭をなぞるように形を覚えるように男にしては白い、それでいて女である依子に比べれば長く節くれだった指がちょんと唇に辿り着く。
その指もその眼差しも、歳月を重ねながら優しいものであることは変わらない。
変わってしまったのは互いを結ぶ関係だけ。
……………
『愛せるなら愛してみろ』
彼は多くを愛おしむ。
良き句を思い浮かんだ時、人々が穏やかに暮らすこの村、息子でもある可愛い弟弟子、その思想故に決別した兄弟子。
「私はその中に入らないのですか?」
「君は」
彼の手が私の頬に触れる。
「君は私の大切な弟子で、幸せになるのを見届けたかった。でも今は違う」
私たちは互いを愛してしまった。
……………
『彼の誘うときは』
虫の音も聞こえぬ静かな夜、依子の耳に聞き慣れた足音が聞こえた。
「今上がったよ、次は君が入るといい」
風呂上がりの一言は、普段よりも少し高い位置で髪を括っていた。
陽に当たらぬ白い首筋が曝け出され、妖艶さを醸し出す。
「上がったら部屋においで」
耳元でいつもより低い声で囁かれる。
夜はまだ始まったばかりだ。
……………
『残り香』
一言の白い右肩から、斜めに走る傷跡の一番上に依子は唇を落とす。
男は擽ったそうに身をよじるが、女を止めようとはしない。
「依子」
頭を撫で、困った笑みを浮かべる。
いつもそれだけ。
羨ましいのだ。
この傷跡を見る度に、兄弟子の影が自分を抱く男の中からいつまでたっても消えない事実を見せつけられているような気がして。
そして一言が依子に、同じような消えぬ傷を残してしまわない人だから。
頭に触れるその手も、柔らかく愛を呟くその口も、決して依子を傷つけようとはしない。
一言の白い胸の上、心臓のある箇所に、依子は白い歯を立てた。
……………
『もどかしい壁の話』
たった一枚の薄い膜に隔てられた繋がりは、自分が彼に大切にされているのだという充足とそれ以上を得ることが出来ないもどかしさを依子にいつも与える。
備えは大切だと依子とて分かっているが、一言の真意を測ることはできない。
「いちげんさま」
腕を男の首に回し、依子は今日も懇願する。
「生でシたいです」
「駄目だよ」
一言はいつも通り笑顔で拒んだ。
……………
『再確認』
眠る男の胸に耳を当て、鼓動を確かめ女は安堵する。
この人は生きているのだと。
男の寝息にそっと耳を澄まし、腕の中で温もりを確かめる。
夢で見たこの人の最後の時がそう遠くない未来だとしても、共にあるこの現実だけは確かなものだ。
女は男の腕の中で再び目を閉じ、温もりを確かめるように縋り付いた。
(男は目を開け再び眠りについた女の頰を、起こさぬようにたおやかな指で愛おしげに撫でた)
……………
『君の気配』
情事の名残の残る布団の横で、一言は一人酒を飲む。
硝子窓からは月が煌々と冴えていた。
依子は布団に横たわり、月に照らされる一言を眺める。
愛しい女を抱き、酒を楽しむ。誰も知らない逢瀬。
王である彼がこのひと時だけは、ただの人に戻れているのだろうか。
本当にそうであるのならば、天にも昇る心地になったのだろう。
依子は傍の男の気配を感じながら、再び目を閉じた。
……………
『朝日の色したユーフォリア』
朝焼けの光に空が白く染まり出した頃、漸く依子は解放された。
病気がちなこの人が、若い自分よりも体力があるとはどういう事なのか、王権者の力ってすごい。
依子は自分を己が腕の中に閉じ込めたまま、満足げに眠る男の頰に睫毛を当て瞬きをする、所謂バタフライキスというやつだ。
こそばゆいのか一言は無意識に身をわずかによじらせる。
(まるで映画のワンシーンみたいね、)
依子は一言の鍛えられた腕の中で悪戯っ子のように笑った。
……………
『貴方の心臓が欲しい』
「貴方が死んだ時、私に心臓をください」
「それはまた、どうして」
「貴方はかつて紫ちゃんには『過』を、狗朗にはいずれその『理』を託すのでしょう?貴方の魂を彼らに託すのなら、私は貴方のこころが欲しい」
酒の席の戯言にしては依子の声音は真摯だった。
「冗談です」
そう言って彼女はからりと笑い杯を飲み干した。
……………
『おいていかないで』
逢瀬の後、依子は強く彼と同調した結果三輪一言という男の死の光景を目にしてしまった。
今すぐ飛び起き、何処か遠くへ跳んで感情のまま叫びだしたくなる衝動を背を丸めて必死で堪える。
彼はどれほど残酷な物を背負って笑っていたのか。
背を向け眠る彼にそっと縋り付き、今だけは彼が何処へも行かないように祈った。
(祈っても、貴方はいつかいってしまう。そんなことわかっていたのに)
……………
『ハッピーエンドの来ない悲恋こそ美しい』
「依子」
「はい」
「君はこれで良かったと思っている?」
病床の一言はふと傍に寄り添う依子に問いかけた。
一言には分かっているのだ。
彼女が自分が死んだ後、愛故に長いこと苦しむ未来が。
「ええ」
それでも、迷いなく依子は頷く。
「ずっと好きだった人と想いを分かち合えたのですもの」
それでもう、よいのだと彼女は笑った。
(ハッピーエンドでないと人は言うのだろう、でも私達は)
……………
『十七文字で切り取られる平穏について』
縁側で一言が俳句を捻る光景は、依子にとって最早見慣れたものであった。
四季折々の花を咲かせるこの庭は、彼の格好の題材なのだ。
眉間に皺を寄せ難しい顔をしていた彼の隣に座り、同じように景色を眺める。
陽だまりの下の優しく平穏な風景。
それは彼が何より愛するもので、隣にいる事を咎められないのはーー彼は決してそんな些細な事を咎めないと依子は知っているけれどーー、自分もまたこの景色のように三輪一言に愛されているような気がした。
「依子、良い句が浮かんだよ」
そう彼が告げるまでの沈黙を彼女は何より愛していた。
…………
(ここから追記)
『微睡む猫は』
「おや」
一言が壁時計を見上げると、依子が蔵を掃除に行って数時間が経過していた。蔵を覗けば案の定、古書を片手に依子は胎児のように丸まり熟睡していた。
横顔には幼き日の面影が残る。伸ばされた手足は華奢で頼りなさすら感じるが大人の女性の成熟したそれだ。一言はつうと貝殻のような肩を撫ぜる
「ここにいるものに攫われてしまうよ」と悪戯げに耳元で囁やけば、依子は可愛らしい悲鳴をあげて飛び起きた。
「そんなに嫌だったかな?」
「ちがっ、違います!声が…」
「私の声がどうかしたのかい?」
「その………てる…時…みたい、で」
「?」
「~~~っ、一言様のえっち!」
「えっ」
(「解せない」「解してくださいよ!」)
………
『その一秒が愛おしい』
狗朗が学校から帰ってきた時、師と姉弟子が満開の桜の下で談笑しているのが見えた。
二人の所へ向かおうとした矢先、突然一陣の風が吹き桜の花弁が舞う。花吹雪が収まりふと見れば、姉弟子が突然の風についよろけてしまい師に抱きとめられていた。
おっちょこちょいな姉上だと微笑ましく思いながら足を止めて二人を眺めていると、一向にその姿勢のまま二人は離れる気配がないのが見て取れた。
剣を振るえば狗朗よりも強い、しかし華奢な白い手が、自身を抱きとめている力強い師の腕を掴む力を僅かに強めている。
師もまた彼女を拒むことはなく、姉弟子を柔らかく抱き締めるような体勢を変えようとはしなかった。狗朗に二人の表情は見えなかったが、まるで二人がこの偶然の出来事を噛み締めているように思えた。
…………
『オフレコ』
「私の句集を作っているんだってね?」
その一言に私の動きは固まる。
「誰に、聞いたのですか?」
「クロに聞いたんだ、それに君に日記をつけろといったのは私だからね」
まさか句集になるとは思わなかったけど。一言様は和やかに微笑むが私の背は汗で濡れる。
「今いい句が思いついたのだけど、これは内緒にしていてくれるかい?」
記録するなど釘を刺され耳元で囁かれたその十七文字は、私しか知らぬ恋の歌だった。
…………
『それ以上は許さない』
道端で咲く白い彼岸花に手を近づければ「駄目だよ」と一言様の声に手を止める。
「火事になりますものね」
「それに健気に咲く花を摘み取るのは少し心苦しいだろう?」
「花が摘み取られたいと望んでいても?」
「だとしても、人の勝手で無闇に手折るのはよくない事だ」
己に言い聞かせるように彼は言った。
……………
『三輪一言夢が書きたい柘植さんには「午後は眠気との戦いだ」で始まり、「明日はきっと元通り」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば2ツイート(280字程度)でお願いします。
#書き出しと終わり
shindanmaker.com/801664』
午後は眠気との戦いだ。
何せ昨日は一言と夜を共にしたものだから、空が白み始めるまでろくに眠れやしなかったのだ。
文庫本の頁を捲りながら欠伸を一つ噛み殺せば、向かいに座る一言が音を立てず苦笑する。
「ごめんごめん」
「どちらにですか」
「両方かな」
「もう」
口を尖らせ文庫本へ視線を戻す。
「君が可愛くてつい、ね」
「それは、どちらの事ですか」
「それも、両方だよ」
一段階低い声で静かに告げられた言葉に、戻した筈の視線を顔ごと一言へと向ける。
合わせた視線を少し落とせば一言の襟元から赤い痕が散らつく。
嗚呼、酷く顔が熱い。今日もまた眠れそうにない。赤い痕もこの熱も明日はきっと元通り。
…………
三輪一言へのお題は『告白しても良いかい?』です。
shindanmaker.com/392860
「依子」
昼食の後の穏やかなひとときに、一言は真剣な表情で依子の名を呼んだ。
「どうかなさいましたか一言さま」
「ずっと、君に言いたかったことがあるんだ」
予期せぬ言葉に鼓動が不規則に跳ねる。高鳴った心臓の音を聞かれてはいないだろうか、なるべく平静を保って依子は固い顔をした一言にいつもと同じような笑みを向ける。
「何を、でしょうか?」
「うん、本当は言うべきではないと思っていたけれど、やはり私から言わなければならないから」
その目は冗談を言っていない、心から依子の為を思っている酷く真摯な眼差しだ。その上一言は依子の様子をじっと観察しながら慎重に言葉を選んでいる。
日頃多くを語らず、されど大事な言葉は必ず告げようとするあの三輪一言が、だ。
彼の真摯な言葉を向けられる事ほど幸せな事はない、と思ってしまうのは些か弟弟子の影響かもしれない。
深く暗く、しかし澄み切った漆黒の目は依子を真っ直ぐに見据える。何を言われるのかは知らない、依子には三輪一言と違って未来を見る事は叶わないから。けれど今から言われる事はきっと大切なことに違いないと、どこかから何かが神託のように依子に告げている。
一言は顎に手を添え少し逡巡した後、決心したように漸く口を開いた。
「今日君の着ているシャツがね、表裏逆になっているよ」
……………
『ありがたくないおきみやげの話』
「姉上、その手首の痕はどうしたのですか?」
二人で並んで洗い物をしている最中、姉弟子の袖からちらりと見える白い手首にはっきりと浮かぶ赤黒い鬱血痕が目をひいて、思わず狗朗は問いかけた。依子は目を見開いて手にした湯飲みとスポンジから視線を移し、ばつの悪い表情を浮かべた。狗朗としては純粋に自分を心配しているが故に問うたのだと分かっている依子はああ、だの、うう、だの口を開けては言葉にならない呻きを漏らし、この純朴な弟弟子への返答に逡巡した。
青年の域に至りつつある少年としてはひどく純粋すぎるまなざしで、狗朗は依子を見つめる。
「寝ている間にどこかに、ぶつけてしまったのよ」
「そう、なのですか」
「多分そうだと思うわ、だって痕をつけたような怪我をした覚えが無いし」
「はあ」
苦悩の末に姉弟子の口から出た答えに渋々と自分を納得させて、狗朗は再び皿を洗い始める。
「そういえば」
狗朗の言葉に依子はお玉を洗う手を止める。
「鍛錬の時に言っていたのですが一言様も、猫に腕を引っ掻かれたそうで。珍しいこともあるのですね、二人がそろって変な怪我をするなんて」
沈黙が広がる台所にガチャン、とシンクに泡の付いたお玉が落ちる音が響いた。
………
三輪一言夢へのお題は『一口頂戴、なんて簡単に言わないで』です。
shindanmaker.com/392860
煮詰まった林檎のジャムを匙で掬い一口味見すれば、予想通りの味が口の中に広がった。
「今年も上手くいったね」
「一言さま!?」
いつの間にか隣にいた一言が鍋を覗き込み目を細め呟く。
「たまには出来立てが食べてみたくてね」
無邪気に微笑まれたらぐうの音も出ない。依子はもう一度鍋のジャムを掬った。
………
三輪一言夢小説が書きたい柘植まつろさんは、「深夜(または夜)の階段」で登場人物が「好きにされる」、「鍵」という単語を使ったお話を考えて下さい。
#rendai
shindanmaker.com/28927
「依子、今日は鍵を開けてあるから」
寝る支度の為に階段を上ろうとする手前で一言に告げられる。
隠語、と呼べる程のものではないがこの言葉は要するに一言からの夜を共にしたいという意味合いを持つ訳で。
「……わかりました」
少し躊躇ってから返答する。私は私の意志で、今夜この男に好きにされるのだ。
…………
【三輪一言夢】
「君にハニートラップはまだまだ早い」
#この台詞から妄想するなら
shindanmaker.com/681121
「そういうことが必要になる可能性のある仕事が、無いわけではない」
歯切れの悪い口調で一言は言った。
「ただ今は大覚さんからそういうものが来た場合は、何か違う方法が無いかをまず話し合っているし、何よりそんな……どこかに君を潜らせるというのはなるべく無いようにしている」
依子は少し悔しげに歯噛みする。
「私が、弱いからですか」
「いいや」
一言は眉根を寄せ首を横にふる。
「君は強いよ、強くなった。けれどこれはそういうものではないんだ」
ならば、どうして。口を開きかけた依子を遮るように一言は少し目をそらしたまま言葉を続ける。
「惚れた女に身を売らせる可能性のある役目を、私が引き受けたくないんだ。それだけだよ。可能ならば……別の道を取りたいと思ってしまう」
弱くなったのは、私の方かもしれないね。
一言の回答か、或いはそれに続く自嘲めいた言葉のどちらに驚けばいいのか分からぬまま、依子は問いかけた。
「御前は、なんと」
「呵々大笑と言った感じに大笑いされてね、『お前も男だったのだな』って」
だからこれは私の我儘に過ぎないのさ。
…………
貴方は三輪一言と真ん中弟子で『10センチが憎い』をお題にして140文字SSを書いてください。
shindanmaker.com/587150
(背が高いって、いいな)
5cmのヒールを履いてやっと10cm差になるような身長差だと、大好きな人と同じ目線で立つことが如何に困難なことであるかを痛感する。
ただでさえ、三輪一言という人の見る世界と自分の見る世界は違うのだと事あるごとに知らされているというのに。それをこの人は決して悲しいと思うことはないのだろうけど、一欠片でも同じ世界を見ることができたらと願うことは欲張りだろうか。
「依子?」
どうしたの?と少し見下ろして自分を見つめる一言の柔らかな眼差しは、自分の為だけに与えられるものだがそれでも近い目線に立てる二人が羨ましいと思ってしまう。
背伸びをしてキスをする、何気ない行為にすら一つ勇気が余計に必要になるのだから。
………
『キスした後に真っ赤になって俯いてしまう』『一言と依子』を描きor書きましょう。
#kawaiiCP
shindanmaker.com/62729
近くで眺めると結構睫毛が長いのね。
乾いた一言の唇が自らの唇に触れる瞬間、満ち足りた気分で目を細めて訳もないことを思考する。
触れるだけの細やかな口づけは一言の好きなように始まり、一言の意志によって終わる。
「あっ」
離れた拍子に声を漏らしたのが恥ずかしくて俯くと、一言はくしゃりと笑みを浮かべた。
三輪一言がかつて依子と出会う前に垣間見た彼女の未来は、彼が見た未来の中でも上位に入る幸福なものであった。
悲劇的な未来を少しでも良いものに変えたいと願い行動してきた一言にとって、自身が防げなかった悲劇の被害者である彼女が幸せになるという未来は、言わばひとつの希望であり、彼には犯しがたいものだったのだ。
(だから気付こうとしなかった、彼女が何を以って己の幸福を定義するのかを)
……………
『不器用な世界』
「依子、君は、せめて君だけは幸せになってほしいんだ」
あの悲劇を見た後に、ようやく見ることの叶った幸せな未来の只中にいた君だけは。
許しを乞うように、祈るように口にする。
酷な事を言っていると解っている。だがこれは、王ではなくただ一人の男として三輪一言の包み隠さぬ願いだ。
「ダメなんです一言様」
だがそれを女は容易く踏みにじる。
「私は貴方と一緒に幸せになりたいんです」
……………
『死ぬまでの君を全てください』
「私は君を置いていくんだよ」
君を私の気持ちで縛りたくなかったのだと一言は続ける。
「それなら」
首に腕を絡め依子は蠱惑的に告げる。
「私を、一言様の最後の女にしてください」
「君にそんな事を言わせてしまうくらい、私は君を追い詰めていたんだね」
もう戻れないのだと悟ってしまった二人は唇を重ねた。
……………
『運命なんて、くそくらえ』
眠る女の襦袢から、赤い花弁の散らされた白い肌が覗く。
彼女は本来三輪一言の色のみならず、何色にだって染まれた。
事実彼女に纏わる縁の糸は複雑に絡み合っており一つでも運命の歯車が違えば、一言と出会うこともなかった筈だ。
一言はそれら全てを断ち切り、新たに自分の糸で依子を縛り付けた。それは彼女自身の願いでもあった。
(何色にも染まれないように、透明な糸で縛りつけたのだ)
……………
『君の傍』
御柱タワーのエレベーターから夜景を望むのは随分と久方振りだ。
最近は一言の供を狗朗もするようになったから、尚更そう思うのだろう。
ふと横を向くと子供のように窓の外を眺めている私が面白いのか、声もなく笑う一言様と目が合う。
普段見慣れた景色が、何故こんなにも美しく見えるのか私は漸く理解した。
(貴方の傍にいるとこんなにも世界が輝いて見える)
……………
『1/f』
「依子、おいで」
其処に居ると冷えてしまうよ。
眼前に差し出された手と、聞き慣れた柔らかな低音の声が依子を招く。
洋燈の灯が揺らめく寝所は冬の夜気と灯の温もりが混ざり、一言の傍らだけが確かに暖かい。
私はただひとこと「はい」と応え、一回り小さな手を重ねる。
幽かな燈から伝わる温もりと互いの眼に宿る情欲の火、それだけがこの世界で熱を持っていると依子は思えてならなかった。
……………
『誰も、知らない』
触れてみて、初めてわかる事もある。
例えば、一言の背中は思っていたよりもずっと大きいのだと背中にそっと腕を回して実感した事、とか。
幼い頃の狗朗がピアニストのように優美な手だと我が事のように誇らしく語っていた手は、女の依子から見てみれば、細身であるが大きく皮膚の所々が硬くなっている紛うことなく男の人の手をしている事、とか。
澄きとおった透明度の高い黒瞳が、夜の帳の中で依子一人を見つめるその瞬間だけ、ぎらぎらと怖いくらいに暗い光を灯す事、とか。
この人の知らなかった事実を、少しずつ知っていく。
私だけが知る貴方が、少しずつ増えていく。
……………
『決戦はこの夜に』
一言の体の事は長く側に仕える依子でも充分分かっている。
想いが伝われば体が繋がらずとも構わないとさえ思っていた。
確かに一言は病の身だ、だがそれとは別に決して女が抱けない体という訳でも更に言えば、体力もない訳でもなく。
「なんでいつも私が先に参っているのでしょうか」
この有様である。
決して彼に抱かれるのが嫌ではない、寧ろその逆だ。
好きな人を愛し、そして愛されるというのは幸せなことに違いない、それなのにこの妙な敗北感はなんなのだろうか。
一戦──と言いながら実のところ数回はしているが──終えて暫く経つのに腰から下の感覚がまだ完全に戻っていないし、恨み節を呟いた声は散々嬌声を上げたせいで掠れきっている。
先程からそっぽを向く依子の髪を指に絡めて遊んでいた一言は、くすくすと笑いながらいつも通りのほんわかとした口調で答えた。
「年季の違いかな?」
「理不尽です」
依子は夜でも一言に勝てた事がない、今のところは。
……………
『○○○チャレンジ』
「ねえ、依子」
無邪気さすら感じる師の笑みは、有無を言わせぬ強制力を依子に抱かせた。
「だめです」
「まだ私は何も言っていないのだけど」
「でもだめです」
手元にあるそれを、依子はひしと両手で掴む。
「最近はクロも私にさせなくなってね」
依子の掴んだそれを、さも当然のように受け取る気で一言は手を伸ばしたが依子は笑みだけを眼前の師に返した。
「私がご飯盛りますから」
おひつチャレンジの話
(この後一言がめちゃくちゃご飯よそった)
(一言様の笑みには勝てなかったよ)
……………
『本日は晴天なり』
「今年は桜が早咲きでしたね」
ござを拡げ、風呂敷で包まれた重箱を並べる。
普段ならこの時期は満開だというのに、今年の桜は随分と早く花弁の散る中での花見となってしまった。
依子は口を尖らせて、紙皿と割り箸を並べる。
「散る桜もまた風情があると思うけど」
一言は眉を下げ、二人分の紙コップに緑茶を注ぎ、一つを依子に差し出した。もう一人は後少ししたら来るだろうから今は二人分で十分なのだ。魔法瓶に入れて持ってきたからか、当然の如く緑茶は温かかった。
「花が散る瞬間ってあまり好きじゃなくて」
命が終わる瞬間を視覚化しているようだから。
「花が綺麗に咲いているその時を君は好ましいと思うから惜しくなってしまうのだろうね」
「未練がましいですね、私は」
「今を強く大事に思っているって事でしょう?」
それはきっと悪いことではないよ。
宙を舞う花弁が一枚、白い紙皿の上にほとりと落ちた。
……………
『満開の下』
都会の桜は既に散ったが三輪家の近くの丘では山桜が咲いている、八重咲きの桜と青天の対比が色鮮やかだ。
空と桜を見上げ眩しそうに目を細める一言の笑顔の方が依子には眩しく見える。
ふと一言の肩に落ちた花弁が目に付いてそっと摘めば、
「普通は逆じゃないかな?」と一言は照れ臭そうに笑った。
……………
『甘えることを教えたのは、貴方だから』
「酔っているのかい」
「酔ってません」
久し振りに縁側で二人月見酒と洒落込む。
酒を呑んだ時のふわふわとした心地よさのまま、私は彼の肩にもたれた。
「やっぱり酔っているじゃないか」
「貴方だから甘えられるんです」
「まるで子供に戻ったようだね」
彼は子供ではなく恋人のように、私の髪を愛おしげに撫でた。
……………
『これだから酔っ払いは!』
久々に帰って来た姉弟子は師と共に飲むのだと行って持参した酒で見事に出来上がっていた。
「いちげんさま〜」
「はいはい」
甘えきった声でもたれ掛かる姉弟子をあやす師の手つきは慣れたもので、彼女が一言と二人の時もこのような痴態を見せているのだと窺い知れた。
「まったく姉上ときたら他の誰かにもこんな様子なのでしょうか」
「多分私たちの前でないとこうはならないと思うよ?」
それに、と続けながら一言は片目を瞑り茶目っ気にクロに言った。
「多分明日の朝には面白いものが見れるんじゃないかな?」
師の予想通り、翌朝彼女の部屋からは暫く奇妙な叫び声が聞こえた。
(酔った時の痴態を全部覚えてるタイプの酔い方をする)
……………
『飼い犬に手を噛まれる』
唇をなぞる一言のしなやかな指をかぷりと噛んだ。
痛みはない、甘噛みにしても恐る恐るといった体で一言の指は柔らかく湿った女の口に迎えられる。
「可愛らしい悪戯だね」
普段ならしないような行為を依子がしてくることに、一言は屈託無く笑う。
「いつものお返しです」
咥えたまま依子は顔を赤らめた。
……………
『上手く、しつけてやらなくちゃ』
彼女は存外自分の魅力を知らぬ節があると一言が気付いたのは最近の事だ。
上目遣いで一言を求めるその姿はとても他の男には見せられない。
例え息子の狗朗であってもだ。
「こうなるのは一言様の前だけですよ」
理性と本能の間でぐらつく、そんな姿が時に人を魅了してしまうのだとその身に教えてやらねば。
……………
『キスの日』
背伸びをして一言様にキスをする。
ただそれだけのことが、どうしてこんなに難しく思うのだろう。
僅かに触れたのは一言様の下唇、掠めるような口付けに彼はきょとんと目を瞬かせる。
不意をついた甲斐があった。
「やってくれたね?」
悪戯っこのような目をして彼は僅かに背を屈ませる。してやられたのは私の方だったと後悔するまで、そう時間はかからなかった。
……………
『日曜の朝』
朝の光と嗅ぎ慣れた味噌汁の匂いで、依子は目を覚ました。
此処は依子の東京の部屋で、今朝は珍しくあの人がいる。
「お早う、依子」
台所から出てきた一言は、いつもと同じ穏やかな笑みを依子に向けた。
「お早うございます、一言様」
「台所の物を少し使わせてもらったよ」
「本当は私がするべきでしたのに……申し訳ありません」
しゅんと項垂れる依子に一言もつられて眉を下げ、頰をかく。
「仕方ないよ……それに、昨日君に無理をさせてしまったのは私なのだし」
依子は一言の言う昨晩の『無理』の数々を思い出したのか、瞬時に顔を赤らめた。
その様子をくすくすと笑いながら眺めていた一言が「立てそうかい?」と問いかける。
カーテン越しに日差しが射す部屋で、差し出された男の節くれだった手を女はいつものように受け取った。
…………
『鳴かぬ蛍が身を焦がす』
「私、馬鹿みたいですね」
隣でくつろぐ一言の方に寝返りを打ちながら、依子は恨めしげに掠れた声でそう言った。
一言は困ったように彼女の薄い色素の髪を優しく撫でる。
「どうしてそう思うのかな?」
「だって、鳴かぬ蛍よりもうるさく鳴いてる蝉の方がお好きなんでしょう?」
その言葉に思い出すのは先日詠んでいた己の俳句だ。
「今は、君もよく鳴いてくれるからね」
「……ばか」
敵わないと言うように、依子は一言の胸元に身を寄せか細く呟いた。
……………
『Intimate space』
少し乾燥した一言の唇に、依子は自分の唇を合わせる。
ひび割れて切れやしないだろうか。
少し気になってちろりと舌を出し厚い唇をなぞれば、寄り添う一言の体がピクリと震え依子の薄い肩を骨張った手で抱き寄せた。
「擽ったいよ」
僅かに離された口から、笑みを含んだ柔らかな声が振動と共に伝わる。
それがどうにも面映くて、依子は目を細め再び愛しい人に唇を寄せた。
……………
『いつか消えていくもの』
曖昧なこの人の笑みが嫌いだ。
先程まで手酷く私を暴いていたその指が、今度は頰にに優しく触れる。
輪郭をなぞるように形を覚えるように男にしては白い、それでいて女である依子に比べれば長く節くれだった指がちょんと唇に辿り着く。
その指もその眼差しも、歳月を重ねながら優しいものであることは変わらない。
変わってしまったのは互いを結ぶ関係だけ。
……………
『愛せるなら愛してみろ』
彼は多くを愛おしむ。
良き句を思い浮かんだ時、人々が穏やかに暮らすこの村、息子でもある可愛い弟弟子、その思想故に決別した兄弟子。
「私はその中に入らないのですか?」
「君は」
彼の手が私の頬に触れる。
「君は私の大切な弟子で、幸せになるのを見届けたかった。でも今は違う」
私たちは互いを愛してしまった。
……………
『彼の誘うときは』
虫の音も聞こえぬ静かな夜、依子の耳に聞き慣れた足音が聞こえた。
「今上がったよ、次は君が入るといい」
風呂上がりの一言は、普段よりも少し高い位置で髪を括っていた。
陽に当たらぬ白い首筋が曝け出され、妖艶さを醸し出す。
「上がったら部屋においで」
耳元でいつもより低い声で囁かれる。
夜はまだ始まったばかりだ。
……………
『残り香』
一言の白い右肩から、斜めに走る傷跡の一番上に依子は唇を落とす。
男は擽ったそうに身をよじるが、女を止めようとはしない。
「依子」
頭を撫で、困った笑みを浮かべる。
いつもそれだけ。
羨ましいのだ。
この傷跡を見る度に、兄弟子の影が自分を抱く男の中からいつまでたっても消えない事実を見せつけられているような気がして。
そして一言が依子に、同じような消えぬ傷を残してしまわない人だから。
頭に触れるその手も、柔らかく愛を呟くその口も、決して依子を傷つけようとはしない。
一言の白い胸の上、心臓のある箇所に、依子は白い歯を立てた。
……………
『もどかしい壁の話』
たった一枚の薄い膜に隔てられた繋がりは、自分が彼に大切にされているのだという充足とそれ以上を得ることが出来ないもどかしさを依子にいつも与える。
備えは大切だと依子とて分かっているが、一言の真意を測ることはできない。
「いちげんさま」
腕を男の首に回し、依子は今日も懇願する。
「生でシたいです」
「駄目だよ」
一言はいつも通り笑顔で拒んだ。
……………
『再確認』
眠る男の胸に耳を当て、鼓動を確かめ女は安堵する。
この人は生きているのだと。
男の寝息にそっと耳を澄まし、腕の中で温もりを確かめる。
夢で見たこの人の最後の時がそう遠くない未来だとしても、共にあるこの現実だけは確かなものだ。
女は男の腕の中で再び目を閉じ、温もりを確かめるように縋り付いた。
(男は目を開け再び眠りについた女の頰を、起こさぬようにたおやかな指で愛おしげに撫でた)
……………
『君の気配』
情事の名残の残る布団の横で、一言は一人酒を飲む。
硝子窓からは月が煌々と冴えていた。
依子は布団に横たわり、月に照らされる一言を眺める。
愛しい女を抱き、酒を楽しむ。誰も知らない逢瀬。
王である彼がこのひと時だけは、ただの人に戻れているのだろうか。
本当にそうであるのならば、天にも昇る心地になったのだろう。
依子は傍の男の気配を感じながら、再び目を閉じた。
……………
『朝日の色したユーフォリア』
朝焼けの光に空が白く染まり出した頃、漸く依子は解放された。
病気がちなこの人が、若い自分よりも体力があるとはどういう事なのか、王権者の力ってすごい。
依子は自分を己が腕の中に閉じ込めたまま、満足げに眠る男の頰に睫毛を当て瞬きをする、所謂バタフライキスというやつだ。
こそばゆいのか一言は無意識に身をわずかによじらせる。
(まるで映画のワンシーンみたいね、)
依子は一言の鍛えられた腕の中で悪戯っ子のように笑った。
……………
『貴方の心臓が欲しい』
「貴方が死んだ時、私に心臓をください」
「それはまた、どうして」
「貴方はかつて紫ちゃんには『過』を、狗朗にはいずれその『理』を託すのでしょう?貴方の魂を彼らに託すのなら、私は貴方のこころが欲しい」
酒の席の戯言にしては依子の声音は真摯だった。
「冗談です」
そう言って彼女はからりと笑い杯を飲み干した。
……………
『おいていかないで』
逢瀬の後、依子は強く彼と同調した結果三輪一言という男の死の光景を目にしてしまった。
今すぐ飛び起き、何処か遠くへ跳んで感情のまま叫びだしたくなる衝動を背を丸めて必死で堪える。
彼はどれほど残酷な物を背負って笑っていたのか。
背を向け眠る彼にそっと縋り付き、今だけは彼が何処へも行かないように祈った。
(祈っても、貴方はいつかいってしまう。そんなことわかっていたのに)
……………
『ハッピーエンドの来ない悲恋こそ美しい』
「依子」
「はい」
「君はこれで良かったと思っている?」
病床の一言はふと傍に寄り添う依子に問いかけた。
一言には分かっているのだ。
彼女が自分が死んだ後、愛故に長いこと苦しむ未来が。
「ええ」
それでも、迷いなく依子は頷く。
「ずっと好きだった人と想いを分かち合えたのですもの」
それでもう、よいのだと彼女は笑った。
(ハッピーエンドでないと人は言うのだろう、でも私達は)
……………
『十七文字で切り取られる平穏について』
縁側で一言が俳句を捻る光景は、依子にとって最早見慣れたものであった。
四季折々の花を咲かせるこの庭は、彼の格好の題材なのだ。
眉間に皺を寄せ難しい顔をしていた彼の隣に座り、同じように景色を眺める。
陽だまりの下の優しく平穏な風景。
それは彼が何より愛するもので、隣にいる事を咎められないのはーー彼は決してそんな些細な事を咎めないと依子は知っているけれどーー、自分もまたこの景色のように三輪一言に愛されているような気がした。
「依子、良い句が浮かんだよ」
そう彼が告げるまでの沈黙を彼女は何より愛していた。
…………
(ここから追記)
『微睡む猫は』
「おや」
一言が壁時計を見上げると、依子が蔵を掃除に行って数時間が経過していた。蔵を覗けば案の定、古書を片手に依子は胎児のように丸まり熟睡していた。
横顔には幼き日の面影が残る。伸ばされた手足は華奢で頼りなさすら感じるが大人の女性の成熟したそれだ。一言はつうと貝殻のような肩を撫ぜる
「ここにいるものに攫われてしまうよ」と悪戯げに耳元で囁やけば、依子は可愛らしい悲鳴をあげて飛び起きた。
「そんなに嫌だったかな?」
「ちがっ、違います!声が…」
「私の声がどうかしたのかい?」
「その………てる…時…みたい、で」
「?」
「~~~っ、一言様のえっち!」
「えっ」
(「解せない」「解してくださいよ!」)
………
『その一秒が愛おしい』
狗朗が学校から帰ってきた時、師と姉弟子が満開の桜の下で談笑しているのが見えた。
二人の所へ向かおうとした矢先、突然一陣の風が吹き桜の花弁が舞う。花吹雪が収まりふと見れば、姉弟子が突然の風についよろけてしまい師に抱きとめられていた。
おっちょこちょいな姉上だと微笑ましく思いながら足を止めて二人を眺めていると、一向にその姿勢のまま二人は離れる気配がないのが見て取れた。
剣を振るえば狗朗よりも強い、しかし華奢な白い手が、自身を抱きとめている力強い師の腕を掴む力を僅かに強めている。
師もまた彼女を拒むことはなく、姉弟子を柔らかく抱き締めるような体勢を変えようとはしなかった。狗朗に二人の表情は見えなかったが、まるで二人がこの偶然の出来事を噛み締めているように思えた。
…………
『オフレコ』
「私の句集を作っているんだってね?」
その一言に私の動きは固まる。
「誰に、聞いたのですか?」
「クロに聞いたんだ、それに君に日記をつけろといったのは私だからね」
まさか句集になるとは思わなかったけど。一言様は和やかに微笑むが私の背は汗で濡れる。
「今いい句が思いついたのだけど、これは内緒にしていてくれるかい?」
記録するなど釘を刺され耳元で囁かれたその十七文字は、私しか知らぬ恋の歌だった。
…………
『それ以上は許さない』
道端で咲く白い彼岸花に手を近づければ「駄目だよ」と一言様の声に手を止める。
「火事になりますものね」
「それに健気に咲く花を摘み取るのは少し心苦しいだろう?」
「花が摘み取られたいと望んでいても?」
「だとしても、人の勝手で無闇に手折るのはよくない事だ」
己に言い聞かせるように彼は言った。
……………
『三輪一言夢が書きたい柘植さんには「午後は眠気との戦いだ」で始まり、「明日はきっと元通り」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば2ツイート(280字程度)でお願いします。
#書き出しと終わり
shindanmaker.com/801664』
午後は眠気との戦いだ。
何せ昨日は一言と夜を共にしたものだから、空が白み始めるまでろくに眠れやしなかったのだ。
文庫本の頁を捲りながら欠伸を一つ噛み殺せば、向かいに座る一言が音を立てず苦笑する。
「ごめんごめん」
「どちらにですか」
「両方かな」
「もう」
口を尖らせ文庫本へ視線を戻す。
「君が可愛くてつい、ね」
「それは、どちらの事ですか」
「それも、両方だよ」
一段階低い声で静かに告げられた言葉に、戻した筈の視線を顔ごと一言へと向ける。
合わせた視線を少し落とせば一言の襟元から赤い痕が散らつく。
嗚呼、酷く顔が熱い。今日もまた眠れそうにない。赤い痕もこの熱も明日はきっと元通り。
…………
三輪一言へのお題は『告白しても良いかい?』です。
shindanmaker.com/392860
「依子」
昼食の後の穏やかなひとときに、一言は真剣な表情で依子の名を呼んだ。
「どうかなさいましたか一言さま」
「ずっと、君に言いたかったことがあるんだ」
予期せぬ言葉に鼓動が不規則に跳ねる。高鳴った心臓の音を聞かれてはいないだろうか、なるべく平静を保って依子は固い顔をした一言にいつもと同じような笑みを向ける。
「何を、でしょうか?」
「うん、本当は言うべきではないと思っていたけれど、やはり私から言わなければならないから」
その目は冗談を言っていない、心から依子の為を思っている酷く真摯な眼差しだ。その上一言は依子の様子をじっと観察しながら慎重に言葉を選んでいる。
日頃多くを語らず、されど大事な言葉は必ず告げようとするあの三輪一言が、だ。
彼の真摯な言葉を向けられる事ほど幸せな事はない、と思ってしまうのは些か弟弟子の影響かもしれない。
深く暗く、しかし澄み切った漆黒の目は依子を真っ直ぐに見据える。何を言われるのかは知らない、依子には三輪一言と違って未来を見る事は叶わないから。けれど今から言われる事はきっと大切なことに違いないと、どこかから何かが神託のように依子に告げている。
一言は顎に手を添え少し逡巡した後、決心したように漸く口を開いた。
「今日君の着ているシャツがね、表裏逆になっているよ」
……………
『ありがたくないおきみやげの話』
「姉上、その手首の痕はどうしたのですか?」
二人で並んで洗い物をしている最中、姉弟子の袖からちらりと見える白い手首にはっきりと浮かぶ赤黒い鬱血痕が目をひいて、思わず狗朗は問いかけた。依子は目を見開いて手にした湯飲みとスポンジから視線を移し、ばつの悪い表情を浮かべた。狗朗としては純粋に自分を心配しているが故に問うたのだと分かっている依子はああ、だの、うう、だの口を開けては言葉にならない呻きを漏らし、この純朴な弟弟子への返答に逡巡した。
青年の域に至りつつある少年としてはひどく純粋すぎるまなざしで、狗朗は依子を見つめる。
「寝ている間にどこかに、ぶつけてしまったのよ」
「そう、なのですか」
「多分そうだと思うわ、だって痕をつけたような怪我をした覚えが無いし」
「はあ」
苦悩の末に姉弟子の口から出た答えに渋々と自分を納得させて、狗朗は再び皿を洗い始める。
「そういえば」
狗朗の言葉に依子はお玉を洗う手を止める。
「鍛錬の時に言っていたのですが一言様も、猫に腕を引っ掻かれたそうで。珍しいこともあるのですね、二人がそろって変な怪我をするなんて」
沈黙が広がる台所にガチャン、とシンクに泡の付いたお玉が落ちる音が響いた。
………
三輪一言夢へのお題は『一口頂戴、なんて簡単に言わないで』です。
shindanmaker.com/392860
煮詰まった林檎のジャムを匙で掬い一口味見すれば、予想通りの味が口の中に広がった。
「今年も上手くいったね」
「一言さま!?」
いつの間にか隣にいた一言が鍋を覗き込み目を細め呟く。
「たまには出来立てが食べてみたくてね」
無邪気に微笑まれたらぐうの音も出ない。依子はもう一度鍋のジャムを掬った。
………
三輪一言夢小説が書きたい柘植まつろさんは、「深夜(または夜)の階段」で登場人物が「好きにされる」、「鍵」という単語を使ったお話を考えて下さい。
#rendai
shindanmaker.com/28927
「依子、今日は鍵を開けてあるから」
寝る支度の為に階段を上ろうとする手前で一言に告げられる。
隠語、と呼べる程のものではないがこの言葉は要するに一言からの夜を共にしたいという意味合いを持つ訳で。
「……わかりました」
少し躊躇ってから返答する。私は私の意志で、今夜この男に好きにされるのだ。
…………
【三輪一言夢】
「君にハニートラップはまだまだ早い」
#この台詞から妄想するなら
shindanmaker.com/681121
「そういうことが必要になる可能性のある仕事が、無いわけではない」
歯切れの悪い口調で一言は言った。
「ただ今は大覚さんからそういうものが来た場合は、何か違う方法が無いかをまず話し合っているし、何よりそんな……どこかに君を潜らせるというのはなるべく無いようにしている」
依子は少し悔しげに歯噛みする。
「私が、弱いからですか」
「いいや」
一言は眉根を寄せ首を横にふる。
「君は強いよ、強くなった。けれどこれはそういうものではないんだ」
ならば、どうして。口を開きかけた依子を遮るように一言は少し目をそらしたまま言葉を続ける。
「惚れた女に身を売らせる可能性のある役目を、私が引き受けたくないんだ。それだけだよ。可能ならば……別の道を取りたいと思ってしまう」
弱くなったのは、私の方かもしれないね。
一言の回答か、或いはそれに続く自嘲めいた言葉のどちらに驚けばいいのか分からぬまま、依子は問いかけた。
「御前は、なんと」
「呵々大笑と言った感じに大笑いされてね、『お前も男だったのだな』って」
だからこれは私の我儘に過ぎないのさ。
…………
貴方は三輪一言と真ん中弟子で『10センチが憎い』をお題にして140文字SSを書いてください。
shindanmaker.com/587150
(背が高いって、いいな)
5cmのヒールを履いてやっと10cm差になるような身長差だと、大好きな人と同じ目線で立つことが如何に困難なことであるかを痛感する。
ただでさえ、三輪一言という人の見る世界と自分の見る世界は違うのだと事あるごとに知らされているというのに。それをこの人は決して悲しいと思うことはないのだろうけど、一欠片でも同じ世界を見ることができたらと願うことは欲張りだろうか。
「依子?」
どうしたの?と少し見下ろして自分を見つめる一言の柔らかな眼差しは、自分の為だけに与えられるものだがそれでも近い目線に立てる二人が羨ましいと思ってしまう。
背伸びをしてキスをする、何気ない行為にすら一つ勇気が余計に必要になるのだから。
………
『キスした後に真っ赤になって俯いてしまう』『一言と依子』を描きor書きましょう。
#kawaiiCP
shindanmaker.com/62729
近くで眺めると結構睫毛が長いのね。
乾いた一言の唇が自らの唇に触れる瞬間、満ち足りた気分で目を細めて訳もないことを思考する。
触れるだけの細やかな口づけは一言の好きなように始まり、一言の意志によって終わる。
「あっ」
離れた拍子に声を漏らしたのが恥ずかしくて俯くと、一言はくしゃりと笑みを浮かべた。