2008〜2012.09.25
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薄暗闇の中、パチリパチリと火花の弾ける音で依子は目を覚ました。
情事の名残が残る気怠い体で布団から出れば、しんと冷えた空気を肌に感じ依子は身を震わせた。
共に寝ていたはずの一言は、部屋の隅で背を向け座っている。彼が火鉢の炭を熾していた音で目が覚めてしまったらしい。
仄暗い部屋の中、熾火の火に当てられぼうっと浮き上がる一言の顔は、ぞっとするほど美しかった。否、「美しい」と言うには語弊がある。
本来ならばこの世にいてはならないものだけが持つような、薄ら寒い恐ろしさをほんの少しだけ感じるのだ。
(私は何を考えているのだろう、つい先程まで彼の肌に触れていたと言うのに)
依子は今この時、誰よりも彼の熱を知っている人間だというのに、時折三輪一言という男が自分とは違う、手の届かない遠い所でたった一人でいるようなそんな錯覚を覚えてしまうのだ。
気配か、或いは衣摺れの音に気付いたのか火の明かりに照らされた幽玄の美貌は、此方に顔を向け穏やかに笑いかける。
「やあ、もう起きたんだね」
「随分と寒くなってしまいましたね」
「そとは雪も積もり始めたようだ、依子も此方においで。そのままじゃ寒いでしょう」
おいでおいでと手招きをする彼の顔は、先程一人で火を起こしていたときの隔世感ある表情を消し去っていた。
その顔は依子や狗朗に向けるどこまでも優しい、慈しみにあふれた依子のいつも知るそれだ。
腕に袖を通しただけの寝間着をそそくさと着直して、一言の隣にぺたりと座り込む。
一言は寝間着の上に肩に無造作に掛けていた羽織を依子にも被せれば、二人で一枚の羽織を着ているような少し滑稽な様態になった。
依子の肩に回された一言の腕と羽織が、体に熱を取り戻していく。
「もう少し見ていたかったな」
「何をだい」
「あなたの普段見ない顔を」
「私はいつもこういう顔をしているよ」
「うそ」
少しだけ拗ねながら、後ろの一言に寄りかかる。
パチリと火花が大きく爆ぜた。
積もり始めた雪が外の音を吸い取り、部屋には二人の衣摺れと火の音だけがキンと冷えた夜気に満ちた部屋に響き渡る。
「一言様は人によって沢山の顔を見せるから」
「そう見えるかい?」
「村の人たちと御前とは違うでしょう?」
「そうかもしれないね、彼らと大覚さんとはまた少し違うから」
「あなたとあの方が王で私達が人だから、ですか」
「それも、あるのかもしれないね」
「色々なあなたの顔を見たいというのは欲張りでしょうか」
肩に置かれた腕が力を増す。
一言は病からくる線の細さや嫋やかな容姿をしているが女の依子からすれば、存外がっしりとした体格をしている。一言の腕の中にいると、自分を取り巻く全てから切り離されたように依子は錯覚してしまう。
「そうだね、私も時々思ってしまうよ。私の知らないところで君はどんな顔を人に見せているのだろうかってね」
「一言様も、そう思われるのですね」
依子は心底驚いて思わず後ろを振り返る。彼は嫉妬と無縁な人であるのだと思い込んでいた。
間近で見る一言の目は、深く暗い色の瞳の中に見たことのない光が揺蕩っていた。寒さだけではない震えが依子の背筋に走る。
(私はこの人の一側面しか見ていなかったのだ)
そうだ、自分たちは師と弟子から男と女にもなってしまったのだ。これからだってそんな違う面が見れるかもしれない、そう思うと少しだけ嬉しくなる。
「私だって嫉妬するさ……でもこうして君に関わる人々に嫉妬するようになるとは思わなかった」
目を伏せて笑みを浮かべながら一言は応えた。
「ひどい人、ずっと、ずっとそんな気持ちでいたのに」
「依子……私は君に随分とひどいことをしていたんだね」
依子は一言の腕の中で体の向きを変え向かい合うように縋り付き、彼の衣に頭を押し付け首を横に振る。
この人はどこまでも優しくて、ひどい人だ。
愛情を等しく注ぐのに、向けられる事に気付こうともしない。
ただの女であればきっと気付かれる事もなく、ただの他人で終われたのに。想いを遂げてしまえたのは、私が彼に近い人間だったからにすぎないのだ。
一言は依子の言わんとすることが分かったのか、もう片方の手を依子の腰に回して優しく抱きしめる。
ひやりとした華奢な体に、熱を奪われても構わないように。
「そんなことはないんです」
そう呻くように否定する依子の冷たくなってしまった唇を、一言は自らのそれで塞ぐ。
「随分と凍えてしまったね、もう一度君の熱が欲しい」
「……はい」
雪が降っていた。何もかもを覆うように、彼らの秘め事を隠すように。雪はただ降っていた。
情事の名残が残る気怠い体で布団から出れば、しんと冷えた空気を肌に感じ依子は身を震わせた。
共に寝ていたはずの一言は、部屋の隅で背を向け座っている。彼が火鉢の炭を熾していた音で目が覚めてしまったらしい。
仄暗い部屋の中、熾火の火に当てられぼうっと浮き上がる一言の顔は、ぞっとするほど美しかった。否、「美しい」と言うには語弊がある。
本来ならばこの世にいてはならないものだけが持つような、薄ら寒い恐ろしさをほんの少しだけ感じるのだ。
(私は何を考えているのだろう、つい先程まで彼の肌に触れていたと言うのに)
依子は今この時、誰よりも彼の熱を知っている人間だというのに、時折三輪一言という男が自分とは違う、手の届かない遠い所でたった一人でいるようなそんな錯覚を覚えてしまうのだ。
気配か、或いは衣摺れの音に気付いたのか火の明かりに照らされた幽玄の美貌は、此方に顔を向け穏やかに笑いかける。
「やあ、もう起きたんだね」
「随分と寒くなってしまいましたね」
「そとは雪も積もり始めたようだ、依子も此方においで。そのままじゃ寒いでしょう」
おいでおいでと手招きをする彼の顔は、先程一人で火を起こしていたときの隔世感ある表情を消し去っていた。
その顔は依子や狗朗に向けるどこまでも優しい、慈しみにあふれた依子のいつも知るそれだ。
腕に袖を通しただけの寝間着をそそくさと着直して、一言の隣にぺたりと座り込む。
一言は寝間着の上に肩に無造作に掛けていた羽織を依子にも被せれば、二人で一枚の羽織を着ているような少し滑稽な様態になった。
依子の肩に回された一言の腕と羽織が、体に熱を取り戻していく。
「もう少し見ていたかったな」
「何をだい」
「あなたの普段見ない顔を」
「私はいつもこういう顔をしているよ」
「うそ」
少しだけ拗ねながら、後ろの一言に寄りかかる。
パチリと火花が大きく爆ぜた。
積もり始めた雪が外の音を吸い取り、部屋には二人の衣摺れと火の音だけがキンと冷えた夜気に満ちた部屋に響き渡る。
「一言様は人によって沢山の顔を見せるから」
「そう見えるかい?」
「村の人たちと御前とは違うでしょう?」
「そうかもしれないね、彼らと大覚さんとはまた少し違うから」
「あなたとあの方が王で私達が人だから、ですか」
「それも、あるのかもしれないね」
「色々なあなたの顔を見たいというのは欲張りでしょうか」
肩に置かれた腕が力を増す。
一言は病からくる線の細さや嫋やかな容姿をしているが女の依子からすれば、存外がっしりとした体格をしている。一言の腕の中にいると、自分を取り巻く全てから切り離されたように依子は錯覚してしまう。
「そうだね、私も時々思ってしまうよ。私の知らないところで君はどんな顔を人に見せているのだろうかってね」
「一言様も、そう思われるのですね」
依子は心底驚いて思わず後ろを振り返る。彼は嫉妬と無縁な人であるのだと思い込んでいた。
間近で見る一言の目は、深く暗い色の瞳の中に見たことのない光が揺蕩っていた。寒さだけではない震えが依子の背筋に走る。
(私はこの人の一側面しか見ていなかったのだ)
そうだ、自分たちは師と弟子から男と女にもなってしまったのだ。これからだってそんな違う面が見れるかもしれない、そう思うと少しだけ嬉しくなる。
「私だって嫉妬するさ……でもこうして君に関わる人々に嫉妬するようになるとは思わなかった」
目を伏せて笑みを浮かべながら一言は応えた。
「ひどい人、ずっと、ずっとそんな気持ちでいたのに」
「依子……私は君に随分とひどいことをしていたんだね」
依子は一言の腕の中で体の向きを変え向かい合うように縋り付き、彼の衣に頭を押し付け首を横に振る。
この人はどこまでも優しくて、ひどい人だ。
愛情を等しく注ぐのに、向けられる事に気付こうともしない。
ただの女であればきっと気付かれる事もなく、ただの他人で終われたのに。想いを遂げてしまえたのは、私が彼に近い人間だったからにすぎないのだ。
一言は依子の言わんとすることが分かったのか、もう片方の手を依子の腰に回して優しく抱きしめる。
ひやりとした華奢な体に、熱を奪われても構わないように。
「そんなことはないんです」
そう呻くように否定する依子の冷たくなってしまった唇を、一言は自らのそれで塞ぐ。
「随分と凍えてしまったね、もう一度君の熱が欲しい」
「……はい」
雪が降っていた。何もかもを覆うように、彼らの秘め事を隠すように。雪はただ降っていた。