2004〜2009
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「君やクロもいつかこの家を出るのだろうね、という話を前にね、あの子としたんだ」
誰かと新しい家族を作るのだろうねって、そう言って一言様は笑う。
あの子がムキになるのも当然ではないかと淹れたてのお茶をすすりながら思った。
だってそれは、自分や狗朗と一言の繋がりはいつか断ち切れてしまうことを前提とした話なのだから。
それも、自分から。
「でもいつかこの家を出ていったとしても、繋がりは決して消える訳ではないでしょう?それに……」
きっと、それは紫ちゃんだって同じかもしれない。
その言葉は飲み込んだ。
私もバカではない。それは私の浅はかな夢であって、紫ちゃん自身の願いではないのだから。
「それに、結婚して家を出ても、たまに男やもめで暮らす父親を心配して実家に行ったって何もおかしなことではないのですから」
一言様は少し驚いた表情で、こちらを見た。
予測していないーーこの人に予測できぬものなどあるはずがないと疑問に思ってしまうのは、少々弟弟子に毒されている結果だろうーー答えが返ってきたことに、だろうか。
それとも、私が家を出て行くと口にしたことだろうか。
この人はいつもわからないことだらけだ。
何もかも分かったような顔をしておいて、私達弟子に何一つ訳のわからないままでいいと優しく笑う。それは守られる側からしたら安心することだろう。
だが盲目の崇拝は、時に悪しきことまで招いてしまう。
この人は神様ではないのだ。王様だけれど。
「あまり父親にかまけていると、相手が嫉妬してしまうかもしれないよ?」
「『親』への愛情と『好きな人』への愛情は違うものですし、狗朗もきっとそれをわかってくれる人でないと一緒になろうとはしないと思いますよ?」
「ふふ、そうかもしれないね……あの子も私を大好きな人になってくれる人でないと一緒にならないと言っていたよ」
「狗朗らしい言葉ですね」
二人して笑う。愚直で自分に厳しく純粋な息子がこの人は愛おしくてたまらないのだ。
少し和やかな空気が漂ったその後、おだやかな父親のそれから、透徹な師の顔へ、一言様は表情を変える。
その目だ、私にその水晶のように、鋭い刀のように何もかも見すかし貫かんとする目を私に向ける。痛みではなく互いの真実を与えるために。
「君は、どうなんだい?」
それは、一番聞かれたくなかった問いだ。
どうしてこの人の言葉は深いところを突き刺してくるのだろう。
「何が、ですか?」
思わず小首を傾げ問い返す。
これでは阿呆のようではないか、知っているくせにはぐらかすなんて。ちゃんと笑っていられるのか不安になる。
「誰かと結婚して、新しい家族を得る事を考えたことはないかい?ああ、いや、強制ではないんだ。人の幸せはそれぞれであるし、なんと言えばいいのかな、よくあるだろう?君は『花嫁姿の自分』を考えたことはないのかなーって。君は、あまりそういうことを言ったことがないから」
一言様の珍しく手繰り寄せるような言葉に少しだけ胸がくすぐったくなる。
異性の子を養育するのはきっと狗朗や紫ちゃんと共にあるのとはまた違う苦労があるのだろう。彼の弟子の中で、私だけ、女の私だけがこの人をそういうところで手古摺らせることができるという事実は、私にささやかな優越感を与えた。
愚直で狂信者めいた信仰や崇拝でなく、また芽生え始めた甘い毒のような恋心でもない。
父親に無邪気に甘える娘のような、その甘えを笑って許してくれる父親へのくすぐったさ、この人に愛されているのだという絶対的な信頼と安心。
金平糖のように小さくて目を離したら無くしてしまいそうな、優しい甘さのそれを私は拾うたびにそっと箱に閉じ込める。
誰にも見せたりはしない、ひけらかしたくもない。子供の頃にしか許されないその宝物は、もうすぐ受け取れなくなるのだから。
だってこの人はお父さんじゃないもの。