しのぶれど
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「本当に大丈夫なのか?」
珍しく心底不安げな彼の声に、雪は口元を緩めた。
「折角の典坐殿と××××さんの慶事なんですよ、行かなくてどうするというのです」
「それはそうだが、彼女の里は険しい山の奥にあるんだぞ?」
「数回通いましたから知っていますよ。それにあなたほどではないですが体力はあるんですよ、ご存じでしょう?」
「一応こちらでのお披露目も行うから、そちらだけでも構わないと思うが」
ああ言えばこう言う、普段はどちらかと言えば自分があれこれ言って彼がやんわりといなすのだが今回はどうにも立場が逆転している。
それが少しおかしくて、くすくすと笑いが止まらないから彼は傷跡が深く残りながらも形の良い眉を歪めた。
今回の花嫁側の祝宴に彼だけではなく自分も行くのだと二人にも予め連絡を入れており、二人分の旅支度もとうに済ませて雪自身も行くつもりで医師からも了承を取り付けた。
それでも彼は、どうにか自分だけ二人を祝いに向かうことは出来ないかと、これから二人で赴くというこの時でさえ玄関口で引き留めようとする。
雪はそれが、何より自分を思いやっての行動であるとよく知っている。普段であるならば目にかけた本人としては愉快な、雪としては微妙に笑えない冗談(じょうく)をさらりと言うのだろうけど今回だけは特別だ。
何せ彼にも自分にも初めてのことなのだからこればかりは仕方が無い。それだけこの剣に一途な男が自分にまで『目』をかけているのだ。
「春には典坐が、夏にはあなたが、今年は目出度いことが続く良い年だと皆さん喜んでいらしたでしょう?」
「そう、だな」
典坐や衛善さんは泣いていたな。
二人揃って報告をした時のことを思い出したのか、彼の薄い口元はふっと笑みを浮かべるのを見て漱もつられてあの日のことを思い出す。
あれは年の瀬も迫る頃、珍しく浅ェ門がほとんど揃っていたささやかな酒宴で丁度よい機会だと彼は思ったらしく、山田家の厨で宴の支度を手伝っていた雪を呼んで典坐に続く自身と雪の慶事を皆に伝えたのだ。
あの時の皆の反応は未だに思い出すとおかしくて笑いが止まらない。
自分たちの関係を初めて知って盃を落とし固まる者、彼が木石ではなかったのだと冗談交じりで笑いながら祝福する者。
何故黙っていたのかと言い出す者──最もこちらは知っていれば二人を応援したのにとか言っていた。
とうに自分たちの関係を知っていて「ようやく其処までたどり着いたか」と安心する者。
はたまた長らく内縁関係にあったままこの様なことに至ったのに対し、物申したい気持ちと同門と幼馴染の慶事を祝いたい気持ちに板挟みになる者。
典坐はとうに自分たちのことを知っていたので、我が事の様に喜んで彼と二人して泣き笑いしていた。山田家の世話になっていた頃に世話役として仕えていた自分を姉のように慕っていた佐切は、雪の身を案じながら心からの祝辞を自分と彼に告げていた。
「あなたの番になったら祝わせてください」と返したら少し照れていたのがまた可愛らしかった。
十禾は雪をものに出来なかったことを至極残念そうにしていたが、それは彼なりの祝い方なのだろう。いつものように適当に返した。
処刑執行人という罪ある人の命を奪う役目を担う人々であるからか、彼らは皆自分たちのことを銘々に彼ららしく祝ってくれた。
死が必ず訪れるように、生もまた訪れるものなのだが自分たちは前者に寄ってしまうから、尚更今回のことは本当に嬉しいのだと誰かが言っていた。
だから、
「私も言祝ぎたいんです、二人の門出と幸せを」
彼もよく知る、偽りようのない雪の本心だ。
雪の言葉に彼の頑なな表情が揺らぐ。
彼の向こうから差し込む光は柔らかで暖かい。典坐と彼女はこんな日のような温もりに満ちた家族になれるのだろう。不思議と雪にはそんな確信があった。
盲いた目に雪の視線がどこを向いているのか分かったのか、彼はふと後ろを振り向いてその理由を察した。
「良い日和だな」
「ええ」
「桜も咲いている」
「山の桜も綺麗でしょうね」
「昔稽古場の近くに一本だけ、咲くのが遅れている桜があった」
「はい」
「今はその花が見事に咲いている」
「きっと、これからも咲き続けます」
桜が儚く思うのは、その散る様が雪のように頼りないものだからだろう。けれども満開の桜ほど命の強さを感じさせるものはないと雪はつくづく思っている。
花は散っても、また咲き誇る日が来るのだ。
彼は観念したかのように肩を少し落として溜息をついて、雪の方を振り返った。
「体に異常を感じたらすぐに言いなさい」
「……はい!」
雪の嬉しげな声に彼は苦笑する。
「君は押しが強いのかそうでないのか、たまにわからなくなるな」
「必要なときに力を使うのは利に適っているでしょう?」
「それは……違いないな」
それからふっと口元を緩めて彼は手を差し伸べた。
「私もいつも以上に『目』をかけるとしよう」
今度は雪が苦笑する。
「本当に、昔からそういう言い回しが好きですよね」
「あれこれ上手いことを言うのが楽しくなってな」
「あなたらしい」
雪は彼の硬い手を取った。
彼の手は罪ある命を奪う役目を背負った手だ。けれども、これからはそれだけではない。
「お前も、それに腹の子も私には他に換えようのない大切な存在だよ」
彼の、士遠の言葉に雪は目を細め、もう片方の空いた手で自身の膨らみはじめた腹をそっと撫でた。