しのぶれど
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「でさあ、雪ちゃんは士遠のどこに惚れちゃったわけ?」
あっちもいいのかい?と続いた問いは無視して、雪は盃に手酌で酒を注いだ。
「雪ちゃんはやめて下さいと言ったじゃないですか」
「昔の癖が抜けなくてね、付知くんのはいいの?」
「付知殿はいいんです」
独特のあだ名を付ける付知は、山田家の面々と同様に雪にもあだ名をつけて呼んでいた。
雪は酒を一度に飲み干して更に続ける、今日の彼女は機嫌が悪いのかどうにも調子(ペース)が早い。
「趣味が違えど好きなことは似てますから」
「音楽性の違い、みたいなやつかい」
「そうそれです」
「ふーん」
ほんのりと目元を赤く染めた雪ににまにまと笑いながら十禾は雪の酌を制し、「無礼講ってことで」と自分で注いだ酒をくいと飲んだ。
「それで、士遠のどの辺がいいの?」
雪は問いにぐいと酒を飲み干し、盃を少し強い音と共に置いてから一言。
「顔です」
「顔」
「人は顔ではありませんが、ただでさえ中身が良いのにその上顔までよければ文句の出ようがないでしょう」
「あー、まあ、そうなるのかな」
「美人は三日で飽きると言いますが、何をしても美しければ飽きませんよね」
「うんうん、それで?」
頬杖を突き肴を摘む十禾に、雪は再び盃を勢いよく空にしてうっとりとため息をついた。
「傷があるのもまた男らしくていいじゃあありませんか」
「欠けたものが美しいって言うもんねえ」
いつも以上に饒舌な雪の盃に、十禾は頷きながら酒を注ぐ。
「ああいうのを粋男(いけめん)と言うのでしたっけ? 自分で見えないからご存知ないのでしょうけどほんと顔がいいんですよあの人、顔の良さを自覚してほしい」
「あー…まあ、そうだねぇ」
町娘たちを騒がせているのだと言う話は藪蛇だろうから、十禾は言わないことにして自分の盃をちびちびと開ける。
「もう少しばかりあの人はご自分が思っている以上に人に好かれている事を誇ればいいのです」
酒精で潤んだ目を憂うように伏せる。
「誇りこそすれ驕るのは些か良くはございませんが、それにしたってあの人は鈍いなんてもんじゃありません」
「まあ、彼はそういうところあるよね」
十禾は色々と思い出して頷いた。酒が回ってきたのか、うつらうつらと船を漕ぎながら舌足らずに雪は続けた。多分十禾に話を聞かせていることなど忘れているのではないか。
「あの人は、あの人が思っている以上に報われるべきなんです……でなきゃ、わたしは」
ことりと空の盃が雪の手から落ちた。先程の熱弁から打って変わって穏やかに寝息を立てている。十禾は雪を横目に障子の向こうに視線を投げかけた。
「だってさ」
「困ったものだな」
ため息をつきながら衛善が音を立てぬよう、障子を開けて入り込んできた。
「それは士遠に?」
「両方にだ」
「今言ったことの十分の一くらい、本人に言ったら良いのにねえ」
「そこはこいつの意地なのだろう」
「真面目だねえ」
衛善は苦笑しながら雪を担ぐ。
「佐切が婿を選ぶまでこれは続くだろうな」
「もう僕らで外堀埋めない? 気付いてないの本人たちだけだよ? 雪ちゃんだって身分自体は山田家(うち)と同じなんだし」
「それは使いたくないんだろうな」
今は使えないと言うべきか。やや雑に抱えられた雪はそんな話をされているなど露知らず眠りこけている。
「困ったもんだねえ」
「本当にな」
山田家門下の年長者二人は、頑固な娘と鈍い男の不器用な恋路の行き先に揃って苦笑した。