しのぶれど
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雪は人ほど神仏を信じてはいないが、ツキの良い日と悪い日というものはそれなりに信じている。例えば今日は、とりわけツキの悪い日だ。
まずは起きた時、いつも文机に置いていたはずの硝子瓶がなかった。とりわけ良いものというわけでもない古びた硝子瓶だが、思い入れのあるもので、朝なのでろくに探すことも出来ず気分が沈んだままいつものように身支度を整えた。
朝、隣町にある師匠の診療所にいつものように向かおうと屋敷を出た瞬間に急な雨に降られた。急いで傘を取りに戻り、再び門を出た途端雨が止んだ。
昼、師匠の助手として診療の手伝いをしていたら妙な患者を引き当て、一刻程その患者の話に付き合う羽目になった。(これに関してはたまにある事例なので、大した問題ではないと思いたい)
終いには帰りの道中、朝に出来た水溜りを踏んだ荷車に水を跳ねられた。
それで終いであってほしかった、それなのに。
屋敷に戻り、少し探し物をして棚の高い段を検分していたら、踏み台から足を踏み外した。
しかも尻餅をついたのではなく踏み外した足を捻ってそのまま踏み台から落ちた。頭を打っていなかったし、ちょうど手に物を持っていなかったため何かを壊してはいなかったのは、不幸中の幸いと言えよう。
慣れた手つきで捻った左の足首を手で触れ様子を確認しながら、今日は厄日だと確信して小さく溜息を漏らす。落ちた時の姿勢から動けないでいる雪の後ろで足音がした。
「何か物が落ちる音がしたと思ったら、君か」
「士遠殿」
稽古着姿の士遠が柱に手をかけ、こちらの様子を窺っていた。夕日の逆光で表情は見えないが今はそれが有り難い、こんな失態の有様を見た士遠が何を思うかを知るのがほんの少し恐ろしく思えた。
「足を踏み外してしまいまして」
「それは災難だったな……」
「弱り目に祟り目と言いますか」
「いつもなら一本取られて悔しいが、そうも言っていられないな。怪我は?」
軽く屈み雪と目線を合わせて問う士遠に、雪は少しでも普段の平静さを取り戻したくて患者や門下生に対するときと同じ口調で説明する。
「左の足首を捻りました、骨が折れてはいないとは思いますが……部屋に薬箱がありますし、それで処置をすれば事足りるかと」
「そうか」
士遠は顎に手を添え、雪の足元にーー見えていないはずなのに、どうしてわかるのだろうと雪はいつも不思議に思うーー顔を向けて雪の説明を聴いて頷く。
「無理に動かさない方がいい」
そう雪に声をかけるや否や、士遠は雪の膝の下と背中に腕を回し、雪を軽々と抱き上げた。
「えっ、あの、しおんどの!?」
「部屋まで送ろう」
「ですが」
「肩を貸すよりもこの方が早いだろう? ああ、あまり動かないでくれ、けして落とさないつもりでいるが万が一ということもある」
取り戻そうとした雪自身の平静さは、一瞬にして消えることとなった。
士遠はそんな心中も露知らず雪を抱えていることなど苦にもせず、この状況になんとも思っていない様子で廊下をすたすたと進んでいく。
(最後の最後に、なんてことに運を使ってしまったんだろう)
せめて振り落とされぬよう、そしてやたらと大きく響く心音に気付かれないように、雪は士遠の肩に熱くなった頭を委ねた。
お気に入りの硝子瓶は、翌朝部屋の押し入れからひょっこりと出てきたのはまた別の話。
まずは起きた時、いつも文机に置いていたはずの硝子瓶がなかった。とりわけ良いものというわけでもない古びた硝子瓶だが、思い入れのあるもので、朝なのでろくに探すことも出来ず気分が沈んだままいつものように身支度を整えた。
朝、隣町にある師匠の診療所にいつものように向かおうと屋敷を出た瞬間に急な雨に降られた。急いで傘を取りに戻り、再び門を出た途端雨が止んだ。
昼、師匠の助手として診療の手伝いをしていたら妙な患者を引き当て、一刻程その患者の話に付き合う羽目になった。(これに関してはたまにある事例なので、大した問題ではないと思いたい)
終いには帰りの道中、朝に出来た水溜りを踏んだ荷車に水を跳ねられた。
それで終いであってほしかった、それなのに。
屋敷に戻り、少し探し物をして棚の高い段を検分していたら、踏み台から足を踏み外した。
しかも尻餅をついたのではなく踏み外した足を捻ってそのまま踏み台から落ちた。頭を打っていなかったし、ちょうど手に物を持っていなかったため何かを壊してはいなかったのは、不幸中の幸いと言えよう。
慣れた手つきで捻った左の足首を手で触れ様子を確認しながら、今日は厄日だと確信して小さく溜息を漏らす。落ちた時の姿勢から動けないでいる雪の後ろで足音がした。
「何か物が落ちる音がしたと思ったら、君か」
「士遠殿」
稽古着姿の士遠が柱に手をかけ、こちらの様子を窺っていた。夕日の逆光で表情は見えないが今はそれが有り難い、こんな失態の有様を見た士遠が何を思うかを知るのがほんの少し恐ろしく思えた。
「足を踏み外してしまいまして」
「それは災難だったな……」
「弱り目に祟り目と言いますか」
「いつもなら一本取られて悔しいが、そうも言っていられないな。怪我は?」
軽く屈み雪と目線を合わせて問う士遠に、雪は少しでも普段の平静さを取り戻したくて患者や門下生に対するときと同じ口調で説明する。
「左の足首を捻りました、骨が折れてはいないとは思いますが……部屋に薬箱がありますし、それで処置をすれば事足りるかと」
「そうか」
士遠は顎に手を添え、雪の足元にーー見えていないはずなのに、どうしてわかるのだろうと雪はいつも不思議に思うーー顔を向けて雪の説明を聴いて頷く。
「無理に動かさない方がいい」
そう雪に声をかけるや否や、士遠は雪の膝の下と背中に腕を回し、雪を軽々と抱き上げた。
「えっ、あの、しおんどの!?」
「部屋まで送ろう」
「ですが」
「肩を貸すよりもこの方が早いだろう? ああ、あまり動かないでくれ、けして落とさないつもりでいるが万が一ということもある」
取り戻そうとした雪自身の平静さは、一瞬にして消えることとなった。
士遠はそんな心中も露知らず雪を抱えていることなど苦にもせず、この状況になんとも思っていない様子で廊下をすたすたと進んでいく。
(最後の最後に、なんてことに運を使ってしまったんだろう)
せめて振り落とされぬよう、そしてやたらと大きく響く心音に気付かれないように、雪は士遠の肩に熱くなった頭を委ねた。
お気に入りの硝子瓶は、翌朝部屋の押し入れからひょっこりと出てきたのはまた別の話。