しのぶれど
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「何もしなくても猫に好かれる人と、可愛がっているのに猫に嫌われる人っているよね」
「何の話だ」
「物の例えだよ」
十禾は手酌で酒を注いだ。二人だけで居酒屋でとりとめもない話をするのは、家中の男たちと仕事の後に開く夜通し続く酒宴よりも随分と気が楽なものだ。
「結構前から見知っている猫に全然懐かれなくてね。美猫(びじん)さんだし人が嫌いではないみたいだから、一度くらいは撫でられないか試してみたくなるじゃない?」
「……それもそうだな」
「だからまあ、色々計画を練って欲しいんだよ、士遠に」
「どうして私に」
「士遠はよく猫とか犬に懐かれてるでしょ?」
確かに十禾の言うことは否定できない、動物でなくとも懐かれることはあるのだし。
士遠は小さくため息をついてから顎をさすって思案した。
「餌でおびき寄せるとか」
「それやったんだけどね、一匹だけの時は食べなかったんだ。他の猫と一緒にあげたら食べてくれたんだけど」
「本当に聡い猫だな……おもちゃで誘うとか」
「何度か試したんだけどさ? それも失敗したんだよ、珍しく彼女が気に入ったものは一瞬で盗られちゃったし」
「そこまでお前を翻弄させるとは、相当な猫だな」
「たちが悪いのもここまで来ると、一周回って可愛く見えてくるもんだよ……」
珍しくめげた様子の十禾に、士遠は先程の十禾の言葉を思い出す。
「その猫に懐いている、『優しい人』に頼んでみるのはどうだろうか」
「あーうん、それなんだけどね? 多分そんな頼み事をしたらどうなるかわからないんだよ、俺が」
十禾は珍しく気まずそうに士遠に応える。
「そうなのか」
「お説教で済めばいいんだけど、半殺しになるかも」
「それもそうだろうな」
「へ?」
「彼女に無理矢理手を出したら、私もそれくらいにもしてしまうかもしれないな」
士遠がさらりと言ってのけた言葉に、十禾は緊張の糸が切れたように卓の上に崩れ落ちた。
「気付いているなら最初に言いなよ〜!」
「お前も言ったじゃないか、例え話だと」
一杯食わされたのが自分だと気付いて叫ぶ十禾に、士遠は小さく笑って自分の盃を傾けた。
十禾は卓上で突っ伏したまま、ちらりと士遠に視線を向ける。
「あの子ももう大人だよ? 君が思う程幼くはない。一夜の恋くらいあってもおかしくないよ?」
「だが無理矢理というのはいただけないだろう」
「まあ確かに、俺たちが首を斬る相手にもそういうのはいるしねえ」
ああいうのはお互いわかっててやるのが楽しいのに、と続ける十禾を他所に、士遠は塩辛いものが恋しくなって肴をつまむ。ここの店は多少雑多としているが、肴が旨いことで評判がいい。そういうことを十禾はよく知っている。士遠はただひたすらに剣の道を邁進するしか生きる術がなかったから、十禾よりも世間の色事に疎いのかもしれない。
そんなことを考えながら肴をつついていたら不意に十禾から声をかけられた。
「士遠はさ、どうするの?」
「何をだ」
「雪ちゃんをだよ」
「雪を?」
「あの子、自分のことは佐切の婿入りを見てからと言っていたじゃない?」
「彼女は情が強いからな」
「それが可愛いところだけど、それでも彼女はいつか誰かのものになる」
「何が言いたい」
「士遠はそれを寿げるかい?」
「当たり前だろう」そう口にするはずだったのに、どういうわけか士遠の喉から声が出てこない。一瞬逡巡し、再び酒で口を潤す。
士遠の様子を見て十禾は、いつもの飄然とした声色とは違う、冷めたような口調で士遠に問いかける。
「士遠にとっての雪ちゃんって何?」
答えが咄嗟には浮かばない事が答えであるような気がした。
答えようとして十禾の様子を伺えば、既に泥酔していたのか卓に突っ伏したまま眠っていた。
「やれやれ……」
苦笑しながら、先程の例え話を思い出す。士遠にとっての雪は、どういうわけか懐いてくる他所の猫と人には思われているのだろうか。
けれども自分にとって彼女は、一体どんな存在なのだろう。
己を兄のように慕うはにかみ屋の彼女の手が、いつの間にか一人の女のそれになり、自分に触れる時のその温もりや触れる時の手つきの違いに気付いてしまった。士遠はその意味を問えないままでいる。
(私は彼女にとっての『優しい人』ではなくなってしまったのだろうか)
彼女という猫から、他の何者かがつけた首輪の鈴の音が鳴ることを想像して、少しだけ嫌な気持ちになった。
「何の話だ」
「物の例えだよ」
十禾は手酌で酒を注いだ。二人だけで居酒屋でとりとめもない話をするのは、家中の男たちと仕事の後に開く夜通し続く酒宴よりも随分と気が楽なものだ。
「結構前から見知っている猫に全然懐かれなくてね。美猫(びじん)さんだし人が嫌いではないみたいだから、一度くらいは撫でられないか試してみたくなるじゃない?」
「……それもそうだな」
「だからまあ、色々計画を練って欲しいんだよ、士遠に」
「どうして私に」
「士遠はよく猫とか犬に懐かれてるでしょ?」
確かに十禾の言うことは否定できない、動物でなくとも懐かれることはあるのだし。
士遠は小さくため息をついてから顎をさすって思案した。
「餌でおびき寄せるとか」
「それやったんだけどね、一匹だけの時は食べなかったんだ。他の猫と一緒にあげたら食べてくれたんだけど」
「本当に聡い猫だな……おもちゃで誘うとか」
「何度か試したんだけどさ? それも失敗したんだよ、珍しく彼女が気に入ったものは一瞬で盗られちゃったし」
「そこまでお前を翻弄させるとは、相当な猫だな」
「たちが悪いのもここまで来ると、一周回って可愛く見えてくるもんだよ……」
珍しくめげた様子の十禾に、士遠は先程の十禾の言葉を思い出す。
「その猫に懐いている、『優しい人』に頼んでみるのはどうだろうか」
「あーうん、それなんだけどね? 多分そんな頼み事をしたらどうなるかわからないんだよ、俺が」
十禾は珍しく気まずそうに士遠に応える。
「そうなのか」
「お説教で済めばいいんだけど、半殺しになるかも」
「それもそうだろうな」
「へ?」
「彼女に無理矢理手を出したら、私もそれくらいにもしてしまうかもしれないな」
士遠がさらりと言ってのけた言葉に、十禾は緊張の糸が切れたように卓の上に崩れ落ちた。
「気付いているなら最初に言いなよ〜!」
「お前も言ったじゃないか、例え話だと」
一杯食わされたのが自分だと気付いて叫ぶ十禾に、士遠は小さく笑って自分の盃を傾けた。
十禾は卓上で突っ伏したまま、ちらりと士遠に視線を向ける。
「あの子ももう大人だよ? 君が思う程幼くはない。一夜の恋くらいあってもおかしくないよ?」
「だが無理矢理というのはいただけないだろう」
「まあ確かに、俺たちが首を斬る相手にもそういうのはいるしねえ」
ああいうのはお互いわかっててやるのが楽しいのに、と続ける十禾を他所に、士遠は塩辛いものが恋しくなって肴をつまむ。ここの店は多少雑多としているが、肴が旨いことで評判がいい。そういうことを十禾はよく知っている。士遠はただひたすらに剣の道を邁進するしか生きる術がなかったから、十禾よりも世間の色事に疎いのかもしれない。
そんなことを考えながら肴をつついていたら不意に十禾から声をかけられた。
「士遠はさ、どうするの?」
「何をだ」
「雪ちゃんをだよ」
「雪を?」
「あの子、自分のことは佐切の婿入りを見てからと言っていたじゃない?」
「彼女は情が強いからな」
「それが可愛いところだけど、それでも彼女はいつか誰かのものになる」
「何が言いたい」
「士遠はそれを寿げるかい?」
「当たり前だろう」そう口にするはずだったのに、どういうわけか士遠の喉から声が出てこない。一瞬逡巡し、再び酒で口を潤す。
士遠の様子を見て十禾は、いつもの飄然とした声色とは違う、冷めたような口調で士遠に問いかける。
「士遠にとっての雪ちゃんって何?」
答えが咄嗟には浮かばない事が答えであるような気がした。
答えようとして十禾の様子を伺えば、既に泥酔していたのか卓に突っ伏したまま眠っていた。
「やれやれ……」
苦笑しながら、先程の例え話を思い出す。士遠にとっての雪は、どういうわけか懐いてくる他所の猫と人には思われているのだろうか。
けれども自分にとって彼女は、一体どんな存在なのだろう。
己を兄のように慕うはにかみ屋の彼女の手が、いつの間にか一人の女のそれになり、自分に触れる時のその温もりや触れる時の手つきの違いに気付いてしまった。士遠はその意味を問えないままでいる。
(私は彼女にとっての『優しい人』ではなくなってしまったのだろうか)
彼女という猫から、他の何者かがつけた首輪の鈴の音が鳴ることを想像して、少しだけ嫌な気持ちになった。