しのぶれど
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「前から思っていたんだが、雪は衛善さんと本当に仲が良いんだな」
士遠の何気ない一言に、茶請けをつまむ雪の手が止まった。
門下生の稽古も終わり、夕餉の支度にも時間がある。縁側で茶でもどうだと士遠に誘われて、弾む気持ちをどうにか抑えつけながら、こっそり隠しておいたとっておきの干菓子まで用意して出された言葉だったものだから、固まってしまうのも仕方のないことだった。
雪は今の自分の表情が士遠に分からない事に少しだけ安堵して、けれどもなるべく平静を装う。
見えないはずなのに、それ以外の何か尋常ならざる力によってこの人は相手をよく見ているような、そんな予感を雪は昔から感じ取っていた。
「ええまあ、それなりに。付き合いが長いものですから」
気を紛らわせたくて、雪は空になっていた士遠の湯呑みに茶を注ぐ。「ありがとう」と柔らかく笑う士遠の表情は至って穏やかで、何かを探るのでもなく世間話の延長であるらしい。
佐切の側仕えとして山田家に仕えている雪は士遠より幾ばくか年下の娘で、確かにそういう、とうに嫁入りの話が出てもおかしくはない年頃だ。
山田家に預けられた当初より、雪は何かと衛善と頼りにし、衛善もまた幼い時分よりよく知る雪に目をかけていることは山田家ではよく知られた話であった。
「士遠殿が期待されているようなことは、何もありませんからね」
雪は先制して釘を刺す。
山田浅ェ門士遠という男は、自分の事になると酷く鈍いというのに、他の面々の所謂惚れた腫れたの話に世話を焼きたがる困ったところがあった。
(一層の事、嫉妬してくれたのであったのならどれだけよかっただろう)
雪としては悲しい事に、この男に限ってそれはないのだとそれなりに長い年月の中でよく知っている。
「気を悪くしたのならすまない」
「いいえ、それだけ貴方が私に目をかけてくださっている証ですから」
「これは一本取られた」
士遠は苦笑しながら雪が淹れた茶を少し口にし、そして言葉を続けた。
「ただ私も衛善さんと同じように君のことを小さな頃から知っているから、どうしても気になってしまうのだろうな」
つまりそれは、士遠は自分がどこか他の誰かと幸せになることを望んでいるという事でもある。
だからこそ、雪は胸に何かがつかえたような心地がした。
「それも、よく知っていますよ」
平然を装って、唇を歪める。
この人に案じてもらうのは、嬉しい。けれども同時に苦しくもなるのだと気付かなければ、もっと嬉しかったのに。
「で、本当に何もないのか」
「今日の士遠殿はしつこいですね。本当に何もありませんよ……衛善殿とは共通の話題が多いだけです」
「そうか……」
何故そこで残念がるのか雪は敢えて聞かない事にして、言おうとしたこともまとめてぬるくなった茶を飲み込んだ。
できることならば、そこは安心して欲しいところなのに。
目の前にいるこの鈍い男こそが衛善との共通の話題であり、雪が相談している悩み事だということは、もう少しだけ黙っておくことにした。
甘いはずの干菓子が、今日は少しだけほろ苦く思えた。