小樽編


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「……!……あ…え…姉上!」

私は弟の怒鳴り声で起床した。まだ重たい身体をよいこらしょとと言いながら起き上がる。目覚めたばかりでまともに光らない目で弟の顔を見れば今にも爆発しそうに顔を真っ赤にして立っていた。

「ん…なんだ、桂寿郎…朝から大声を出すな」

「また酒を飲みましたね!?最低でも一週間で七合、一日一合だと言っているのにもう七合終わらせたんですか!?買ってきたのついこの間ですよ!!」

「そうカッカするな…お前も酒が飲みたかったのか?」

「それはありません!俺は一合で十分です!」

「そんなでもつのか…確か備蓄がここに……あれ?」

先日、備蓄用に買い置きして置いておいた酒がなくなっていた。入り口に持ち運び用の徳利を置いておいたのがそれがなくなっている。おかしいな。

「徳利なら俺が没収しました」

「なぜ?」

「姉上が自重できないからです!姉上の徳利は数日俺が預からさせてもらいます!」

そう言って弟は怒りながり私のチセを出ていった。まるで嵐のようだった。朝から強烈だな…しかし弟よ、私を甘く見るな。私の酒に対する執念は凄まじいぞ。返してもらえないというのであれば、また買いに行けばいい。だが、結構な量の酒を買ってしまって金が少ないため最悪買えないかもしれないがそこは交渉してまけてもらおう。

そうと決まれば、今日一日の行動は決まりだ。町に行って酒を買う。私は軽めに朝食を済ませれば早速町に向かって歩き出した。



...




いつも通り町に下りてみんなに挨拶をしながら常連の居酒屋に向かった。まだ、朝早いということもあり店はまだ準備中をいう札が掛けられていた。だが、そんなのお構いなしに私は店へと入る。

「大将」

「おいおい、まだ開店前だぜ…って明黎ちゃんじゃねか、昨日ぶりだな!どうした?」

「酒を頼む」

「さっきも言ったがまだ開店前だ。表の札が見えなかったか?」

表の札には確かに“準備中”だと書かれていた。私はわざとらしく、ああ、準備中だと書いてあったなと恍けて言う。そう言えば、大将は呆れたようにため息を付いた。

「なら、無視して入ってくんな……はぁ…この間あんなに買って帰っていたが手持ちは?」

と言われ金を出す。見せれば大将はまたため息をつく。

「この分じゃ、酒は出せねえ。今日は諦めな」

そう言って裏に行こうとする大将を引き止めて、この店の開店前の手伝いをするから少し酒を飲ませてくれと交渉する。

「加えて片付けの手伝いもしろ」

と私が言った条件に加えて新しい条件も出してきた。私が少しめんどくさそうな顔をすれば働かざる者食うべからずと言われてしまい、やるしかなくなり渋々片付けもやる条件に頷いた。

手伝うと自分の口から言ったものの本当は面倒くさかった。手を抜こうと思っていたが結局、手を抜く暇なんぞこれっぽっちもなく、普通にやってしまった。そうしてやっと終った手伝いに私は一息ついた。
椅子に座ればふと我に返った。よくよく考えてみれば、私がしたことは店の掃除、いわば雑用だった。大将では届かなそうな高い場所とか床の掃き掃除に拭き掃除、さらには入り口戸付近の掃除とやった内容は全て掃除だった。唯一やった手伝いと言えば、高い場所にある荷物を取ったぐらいだ。

「(この爺さん、私に自分の面倒なことだけを押し付けたな)」

いやー高いところの掃除は大変だなとカマをかければ、面倒ごとがなくなって良かったよとニヤリと私に笑った。その笑顔に苛つきが増し不機嫌になる私だったが、私は結構ちょろいらしく、大将が酒を持ってくるのがわかれば私の気分はすぐに治った。

「おまけだ、大切に飲めよ」

そう言って、大将は私に一合分の酒をくれた。私は大将と一緒に店で酒を飲んだ。何やら大将は話したいこと山のようにあるようでここ最近の出来事や店の売れ行きなど私にたくさん話した。私は適当に相槌を受けながら話を聞いていた。すると大将がとある客から聞いた面白い話があると私に言ってきた。

「面白い話?」

「ああ…俺と同じぐらいのジジイが酒に酔った勢いであることを話し始めた。それが何とも奇妙な話でな、この北海道に金塊があるって言い始めたんだ!その後はゴニョゴニョ言っていて何言っているのか聞き取れなかったんだがな、何とも現実味がない話だからホラだと思っていたんがな…ほら第七師団の奴らが最近うろついているだろ?だから俺は案外洞でもないと思い始めたんだ…」

「爺さん、軍が関わるようなことに首を突っ込むのはやめろ。確かに面白い話だがな、痛い目にあうぞ…それとその話、私にしても良かったのか?」

「あんただから話したんだよ」

「フッ…あまり私のことは信用しないほうがいい。私は素性は知れない者なんだからな…夜また来る」

「あいよ!」

私は居酒屋を後にしコタンへと帰路についた。

大将が言っていた金塊の話はきっと五年前に起きたアイヌの殺人事件に関係してるものと同じだろうが、なぜそれが今になってまた噂されるようになって軍が動き出したのだろうか。

私はどうしてこの時ばかり気になってしまったのだろう。気にしなくもいいと放って置けば良かったものを。気にしなければこれから起こる争奪戦にも巻き込まれなかったのかもしれない。いや、そんなことはこの世界に来たときから無理だったかもしれない。



...



明黎が去った後、居酒屋には軍服を着た二人の者が訪ねてきていた。

「彼女にはちゃんと伝えてくれたかね?」

「…伝えたさ。お前さんとはそういう約束だからな」

「助かります、大佐殿」

「やめろ、鶴見。俺はもう軍とは関係のない者だ…今回ことはお前に借りがあったから聞いただけだ。中央に逆らって何をしようとしているのかは知らないが、ただでは済まないぞ」

先程まで明黎と話していた爺さんはどこにもいなかった。これがきっと彼の軍人としての顔なのだろう。もう軍には関係のない者と言っているがまだまだ現役でも行けそうだ。

「ご忠告、誠にありがとうございます、“元”大佐殿……月島」

「はい」

バン!!

まるで最初からそうでもするかのように月島は大佐を撃ち抜いた。せっかく明黎がきれいにした店に血が飛び散る。

「痕跡を残すな」

「はい」

鶴見中尉は月島軍曹に始末を頼んだ。だが咄嗟に急所を避けた大佐はまだ生きていた。そして最後の力を振り絞って言った。

「お前は…彼女のことを何も分かっていない…ハァ…彼女には、貴様にはない才を持っている……人脈も…計り知れないだろう…」

話す度にとヒューヒューと変な呼吸も入り始める。声は段々と小さくなり聞き入らなければ聞こえない程になった。

「彼、女を、甘く見ない、ほうがいい…いつか……彼女、は…

彼は言い終わる前に力尽きた。鶴見中尉はそれを見届けて居酒屋から出ていき、入れ替わりのように軍人が中へと入っていった。

死んだ彼は最後に何を言おうとしていたのか。それは月島軍曹にも情報将校といわれた鶴見中尉にもわかることはなかった。彼はきっとこう言うに違いない。

―いつか、彼女はこの日本の夜明けとなる―

と。



...



日が落ちて10時を回る頃、彼女はまた爺さんの居酒屋に訪れていた。

「(はあ、面倒くさいことを引き受けてしまった…まぁ、約束は約束だ。守らねばな)」

爺さんの居酒屋の通りに来たが何か様子がおかしい。店の片付けを手伝いをしに来いと言ったのは向こうなのに、店の明かりが一切ついていない。先に店を閉じたかと思い店の戸に手をかければ鍵はかけられておらず開いていた。私は嫌な予感がした。一気に戸を開ければ、そこには何もなかった。店にあった机や椅子、酒が置いてあった棚も全てなくなっていた。

一瞬何が起こっているのか分からなかった。確かに朝来た時にはいつも通りの爺さんの居酒屋だった。

「(店の片付けに態々私を呼んだのに、なぜこんなことに?)」

理解ができなかった。あの爺さんがこんなことをするはずはない。キツイ言い方はするがなんだかんだ言っては優しい人だった。

中に入れば、うっすらと爺さんの血の匂いがした。まるで飛び散ったかのようにあちこちからしていた。……爺さんは殺されたんだ。そして誰が犯人なのかもわかった。

「(第七師団か…)」

この手際の良さ、軍関係者でなければ無理だろう。店が一つなくなったというのに町の人が誰も噂していない。噂になる前に処理を済ませたのだろう。

「(私も言える立場ではないが、少なくともこんな真似はしない)」

殺して済ますだなんて、間違ってる。第七師団に対しての怒りがおさまらない。ふつふつと湧き上がってくる。その怒りから手のひらから血が滲むほど握りしめ、その拳で柱を殴る。すると、上から何か紙が落ちてきた。

その紙には『明黎殿へ』と書いてあった。私はすぐさま手紙を開いた。その中身には私に対する謝罪と自分の素性が書かれていた。

「(爺さん、本当は軍人だったのか…)」

私は爺さんのことを何も知らないことに気づいた。今になってもっと話しておけばよかったと思った。今更遅いのに。後悔するのはいつも失ったときだ。私はまた同じ過ちを繰り返してしまった。

爺さんはこの手紙で金塊には関わるなと忠告してくれているが、知ってしまったからにはもう引き下がることはできない。それに…

「(ウイルクと約束したんだ)」

私はウイルク、アシリパの父と約束をしていた。『私がいなくなったらお前たち姉弟がアシリパを守ってくれ』と。もちろん、私たちはその約束を破る気はない。

それにきっとアシリパは既に金塊のことに関わっているような気がする。ここ最近森を通る度にアシリパともう一人の人間の匂いが一緒にある。それはつまり意味があって一緒にいるということ。アシリパは意味もなくそんなことはする必要がない。だからこれはきっと結果を見るまでもない。

私はあの軍人を救った時に感じた嫌な予感を思い出した。あの予感は私にこう伝えていたんだ。

―これからたくさんの人間が死ぬぞ―と。

そうはさせるものか。人が死ななくて済むのなら私はその方を選ぶ。
殺さないということは殺すことよりも遥かに難しいことだ。だが、私はそれを成してみる。私は腹を決めた。これから起こることはきっと困難ばかりだろうが私はそれを有難く受けようではないか。

私は懐に爺さんの手紙をしまい、コタンへと帰った。









彼らは決して怒らせてはいけない者の逆鱗に触れてしまったのだ。






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