小樽編
桂寿郎side.
俺は姉上を待つためにアシㇼパのフチの家にお邪魔させてもらった。
「この家に他のご家族は?」
「フチだけだ。別のチセに叔父夫婦がいる。祖父が六年前に病気で死んだ。母は私を産んですぐに病気で死んだから知らない。たまにアカリやケイジュロウがここに来て一緒に食べてくれるくらいだ」
『アシリパは山に入ってばかりで女の仕事ができない。縫い物や織物も、女の仕事ができない女はアイヌの夫を持つこともできない。もうすぐ入れ墨をすべき年であるというのに嫌だと言う』
「入れ墨は嫌だと言っている女の子は他にもたくさんいる!フチは古い!!」
意外と俺はアイヌの女性の入れ墨は気に入っているだがな。そうかアイヌの子たちは入れ墨を入れるのが嫌なのか。入れ墨は母上も入れていたからいいと思うが、そうか。
『杉元の旦那。この女の子を嫁にもらってくれ。孫が心配で私はこの世を去ることができない』
「…?……お婆ちゃん、俺に何だって?」
「…ウンコ食べちゃダメだって」
「ウンコじゃないですよ〜?おばあちゃん!味噌なんですよ〜?」
アシリパはフチの言葉をそのまま伝えなかった。顔をほんのりと赤くして佐一に嘘をついた。普通の女の子らしい表情だ。
「(アシリパからほんのりと甘い匂いがする…フチにあんなことを言われて照れているな?)」
佐一がフチに一生懸命“味噌はウンコではない”ことを言っているうちにオソマが佐一に近づいていった。
『変な耳だね』
「なんだい?」
「私たちと違う変な耳と言っている。アイヌの耳たぶは丸くて厚い」
そう言えば、初めて来た時は言われたな。姉上と一緒に耳だけじゃなくて髪の色のことも言われたな。
「おい、変な耳」
「俺は杉元ってんだ。お嬢ちゃんは?」
「あたしオソマ」
「ウンコだろそれ。バカにしやがって」
佐一、俺も始めはそう思っていたぞ。俺は自分のリプレイを見ているかのように思えて笑いが堪えられなくなってきていた。
「なんだ?桂寿郎、何笑ってんだ?」
「ほんとうだ。その子は“オソマ”と呼ばれてる」
「え!?」
心底驚いたのか、口をあんぐりとさせていた。ついに俺は笑いにたえきれなくなってアハハハ!と大きな声で笑ってしまった。笑うなよと佐一に言われたがこればかりはどうにもいかない。俺はツボに入ってしまったらしく、横っ腹を抑えながら話を聞く。
「私たちは赤ん坊に病魔が近寄らせないよう汚い名前で呼ぶんだ。シ・タクタクは“糞の塊”。オプケクルは“屁をする人”。テンネップは“ベトベトしたもの”」
改めて聞くとアイヌの文化は面白い。日本にも似たような文化はあって、元服前の男の子の名に“丸”をつけるといものだ。あれは“お丸”という意味でウンコのことらしい。理由はアイヌと一緒で病魔を近寄らせないためだ。
「(意外なところで似ているんだな)」
ほんとうに意外過ぎるがな。
「六歳くらいになったら、その子の性格や身の回りの出来事にちなんだちゃんとした名前をつける」
日本とは名前の付け方が違うんだな。また一つ勉強になった。
「アシリパさんはなんて呼ばれていたんだい?」
「エカシオトンプイ、“祖父の尻の穴”だ」
「そりゃ病魔も逃げ出すわ」
確かにそれは近寄りたくない名前だ。あと見るからに臭そうだ。
「…何やら楽しそうだな?」
外から、姉上の声が聞こえた。入り口を見れば、姉上が少し顔を出していた。
「アカリーー!!!」
アシリパが姉上に向かって一目散に掛けていく。そんなアシリパに驚いたのか、またもや佐一は口をあんぐりとしていた。いつものアシリパからは想像できないから、無理もないだろう。
「おかえり、アシリパ。元気にしていたか?」
「ただいま、アカリ!私は元気にしていたぞ!今回は沢山話したいことがあるんだ!!」
にこにこと笑うアシリパ。それを見て俺たちは微笑む。年相応の反応と言うべきなのだろう。姉上の前でアシㇼパは姉と言うよりは母親に向ける視線に近いかもしれない。
「アシㇼパさん、凄く嬉しいそうだな」
佐一が俺に話しかけてきた。俺は確かにそうだなと答えた。
「アシㇼパにとって姉上は母親のようなのかもしれない…俺たちはアシㇼパが物心つく頃から一緒にいたからな」
「そうだったのか…お前はやっぱりここのアイヌじゃなんだな」
「あぁ、俺たちは確かにここのアイヌじゃないが、俺たちはアイヌとしてこの十数年生きていた。それにアイヌの生き方は毛羽立っていた俺たち姉弟の心を優しく包み温めてくれた。そんな文化のためにも知識としてだけでなく実践し経験していきたいんだ」
未来でアイヌは数を多く減らしてしまうのだから。
「…お前っていいヤツなんだな」
「そうでもないさ…俺たちはいつもどこかで嘘をついている。相手には知られたくないから、自分を守りたいから」
「……」
少し俺と佐一の空気が冷たくなる。俺たちはしばらく黙って二人のことを眺めた。
...
杉元side.
「どうしたんだ?二人とも元気がないぞ?」
「なんでもないよ、アシㇼパさん」
俺たちの雰囲気を感じ取ったのか不思議そうにしているアシㇼパさんに笑って誤魔化す。
「そうか……そうだ!もう一人紹介したい人がいる!」
そう言って、アカリという人の手を引っ張って連れてきた。
「(この人も大きいなぁ)」
多分、俺と並んだら同じか少し高いかもしれない。この姉弟本当に何者?
「煉獄明黎だ、よろしく。そちらは?」
「あ、俺は杉元佐一って言います。よろしくお願いします」
「杉本殿か…よろしく頼む」
また、殿……。
「あ、殿は外していいですよ」
「そうか、お言葉に甘えて…では、杉元も敬語を外してくれ」
「わかった。よろしくね、明黎さん」
「あぁ」
そう言って、桂寿郎と同じように握手をした。
「(この人もすげぇ手だ)」
桂寿郎と同じように鍛えているゴツゴツとした手だった。女性の手とは程遠いものだった。
「…汚い手ですまないな」
「え?」
明黎さんは申し訳なさそうな顔をして謝った。
「よく、言われる…女なのにこんな手、もらいていないよと…私は気にしてはいないのだが、見る人たち皆が悲しそうな顔をするのが少しな」
自分の事じゃなくて他人の事を思う人なんだ。
「明黎さんは優しい人なんだな」
「フッ…ありがとう」
優しく笑う明黎さん。今思えば絵に書いたような美人だ。こんな顔で微笑まれたら男なんか惚れられちまうな。そんな俺も男な訳で顔が熱くなる。
「どうした〜?佐一、顔が赤いぞ〜?」
「な!?そ、そんな訳、ないだろ!?」
ニヤニヤとした顔で桂寿郎に覗かれる。お前、そんな顔もできたんだな!?なんかこう、もっと大人しい奴かと思ってたんだけど俺は。
「ゆっくりと休んでいってくれ、杉元」
「ありがとう」
「それで杉本がな!」
「あぁ、杉本がどうした?」
また、話で盛り上がる二人。その時にアシㇼパさんがオソマという言葉が聞こえきた。俺にわからないようにアイヌ語で言っていたから何を言っているかわからなかったけど確実にオソマと言っていた。その瞬間、わかりずらかったが明黎さんが少し引いたような顔をした。桂寿郎は完璧に引いていた。
「杉元、お前はオソマを食べるのか?」
「は!?食べないけど!!もしかしてアシㇼパさん、明黎さんに俺がオソマを食べるって言ったでしょ!?」
「言ってない」
「嘘つくんじゃありません!何度も言ったと思うけど俺はウンコなんて食べてません!“味噌”を食べたの!」
必死に弁明をする俺。話の内容としては“味噌はウンコじゃない”というなんとも言えないものなんだけど。
「味噌?あー、味噌か」
「なんだ、味噌か」
明黎さんと桂寿郎は理解したかのようになるほど〜と言っていた。
「アカリとケイジュロウはオソマを知っているのか?」
「オソマじゃなくて味噌なんだぞ、アシㇼパ」
「いいや、あれはオソマだ」
已然、意見を替えようとしないアシㇼパさん。
「今度味噌汁を作ってやろか?アシㇼパ」
「アカリ、オソマを食べるだなんて私は嫌だぞ。絶対に嫌だ」
「ヒンナだぜ〜、アシㇼパさん」
やめろと本気で言うアシㇼパさんを見て煉獄姉弟が大爆笑。一気に家の中が賑やかになる。この光景を見て、そして感じられて俺は北海道に来て良かったと思った。
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