小樽編


尾形side.

一人で見回りをしている昼頃に俺は『変な入れ墨を入れた奴を知らないか』と聞き込みをしているものがいるという情報を入手した。手が空いていて自由に動けるのが俺しか居らず、他の奴らを待っている間に逃してしまうと判断した。

俺は気づかれないように自分の射程距離を維持したまま、その聞き込みを行っていた男と子供の後をつけた。

奴らが動きを止めたのを確認し、行くでも撃てるように銃を構える。

聞き込みをしていた奴らに加え、手首を棒に縛られている男がいた。その男はあの網走監獄の脱獄囚だった。妙に入れ墨が体に入っているのが証拠だ。

脱獄囚を打ち抜く…そこまでは良かった。

相手が悪すぎた…相手はあの旅順攻略で功績を上げた、杉元佐一だった。『不死身の杉元』という異名まで付けられていた。そんな男にひと太刀浴びせるなど不可能に近い。案の定反撃をくらい右腕は折られ崖から落ちた時に強く顔面を打ちつけた。

不幸中の幸いか、落ちたところは川だった。右腕と顔面に加える怪我はなかった。だがこの時期の川はとてつもなく冷たかった。

なんとか岸に上がった時には傷の痛みと寒さで意識が飛びそうだった。視界もブレてほとんど何も見えてなかった。俺は冷たい河原に倒れ込み死を待つのみだった。

「おい、大丈夫か」

そんな声がした気がするが俺の意識はもう落ちていた。


...


俺が次に目を覚ましたのは、火の近くで体を温めていたときだと思う。体の痛みは初めの時程は痛まなくなっていたが、顔の腫れが酷く目すら開けることはもちろん口は呼吸をするだけで精一杯だった。

木がパチパチと燃える音が聞こえる。俺の近くで焚き火をしているみたいだ。誰かそこにいるのか?それとも火を付けただけで立ち去ってしまったのか?

「これからが大変そうだ」

俺を助けただろう奴が言った。これからが大変そうだ?一体何のことを言っている?それよりも、

「(俺を助けた奴は、女なのか?)」

男にしては高い声。だが女だと低い声だ。分かりづらい声だが、きっと女だろう。根拠はない、勘だ。しかし女が男をしかも軍人を運ぶのは難しいはずだ。

少しの疑問を胸に俺は時間に身を任せるしかなかった。しばらくすると服の擦れる音と雪のふまれる音が少しずつこちらに近づいてきた。女が俺のところに来たのか?何をするつもりだ?

少しでも身を捩って抵抗したいが、身体が動かない。何かされるだろうと思ったが女は俺の頭を撫でた。一瞬何が起きたか分からなかった。ただ、

「(…あたたかい……)」

と、そう思った。誰かに頭を撫でられるのは初めてだ。…悪い気分はしない。もっとしてほしいとまで思ってしまった。

「(は?…”もっとしてほしい”?…俺は何を考えてやがる)」

一瞬、自分の思考を疑った。今までそんな事考えたこと一度もなかった。

「怪我が早く治ることを祈ってる…」

そう言ってやつは立ち去った。俺は急な眠気に襲われまた意識を失った。

次の日に一度意識は戻ったが、「ふじみ」という言葉を書くので精一杯だった。それから俺が意識を取り戻したのは数日後だった。



...




Noside.

「鶴見中尉殿、尾形上等兵が見つかりました」

「月島軍曹、案内してくれ」

「はい」

鶴見中尉と呼ばれたものとその部下であろう者は、尾形上等兵と呼ばれた者の所に向かった。

その男は誰かが焚いたのだろう焚き火の近くに寝かされていた。

鶴見中尉は月島軍曹に訪ねた。

「この焚火と処置は発見した者たちが?」

「いえ、尾形上等兵を発見した者たちによると、焚き火の煙を頼りにここまで来たようです。発見された時には既に処置がされていました。上に掛けられている毛皮が助けた者の私物だと思われます」

固定された右腕、低体温症を防ぐための防寒。誰かが尾形上等兵を助けたと考えていいだろう。

「助けた者は?」

「ここに駆けつけた時には既に」

「他に何かあったか?」

「森の中に向かっている足跡がありましたが、途切れていて追跡は困難でした」

鶴見中尉は川岸に方を見て少し考え、そして気味悪く笑った。それまるで新しいおもちゃを見つけた子供のように。

「月島軍曹、尾形上等兵がいる所は川から大分離れているな…どこかおかしいとは思わないかね?」

と鶴見中尉に言われ、月島軍曹は川岸を見た。が特に変わった様子がなかった。普通の川岸だ。

「特に変わったところは見られませんが…」

「そう…“特に変わったところが見られない”んだ」

鶴見中尉は少し興奮気味に言う。

「尾形上等兵は私の隊の中でも細身な方ではあるがそれでも彼は軍人だ。鍛えている者を一般人が運ぶには一苦労だろう…なら方法は一つに絞られる。倒れている者を引きずるようにしてあの場所まで運ぶのではないか?それなら、たとえ石の多い川岸でも跡が付くはずだ」

ここで鶴見中尉が何を言おうとしているのか月島軍曹にも分かった。引きずったのならその跡がつくはずなのについていない。ということは引きずらず、抱きかかえるなどして運んだということ。一般人にそんな事はできるはずがない。尾形上等兵を軽々と持ち上げるほどの力を持った者がここにはいた。
鶴見中尉は言わんとしていることはその者の力がほしいということ。自分の新たな駒として使いたいのだ。

「私達は先の戦争で多くの仲間を失った。数百名いた第七師団もあの戦争で半分以下となってしまった。とても人手が足りない…使えるものは少しでもあったほうがいい…」

「……捕らえに行きますか?」

「いや、向こうから来るのを待とう…気長にな」

この時点で鶴見中尉はある程度の目星は付けていた。

「(煉獄姉弟…)」

“煉獄姉弟”。彼らはこの小樽では有名な姉弟だ。弟は根っからの善人。賑わいの中には必ずと言っていいほど彼がいた。更に変わった容姿も相まって町では目立っていた。それに反して姉は目立ってはいないが困っている者がいれば誰彼構わず手を差し伸べる。所詮鶴見中尉からすればどちらもお手本のような善人だということだ。

鶴見中尉は弟が町人から『桂ちゃん』や『炎坊』と呼ばれていたのを思い出す。元々の性格が人から好かれるものなのだろう。鶴見中尉は弟を“太陽”のようだと思っていた。あの者近くにいるとやたら温かい。冷めきった何かが溶けるだようだと、彼の部下の何人かは言っていた。

弟が太陽と言うなら姉は月だろう。ただ静かにそこにあるだけで手は届かないと錯覚してしまうだろうが実際は違う。月ほど優しく人々の心を溶かしてくれる温かいものはない。暗い闇を、夜を照らしてくれるたった一つの明かりになってくれるのだ。

「(今回の件は、私は初めこそ弟の行動にも思ったが尾形上等兵に手を差し伸べたのは意外にも姉のほうかもしれない)」

彼女ら姉弟は中々いい体格をしている。弟はきっと軽々しく持ち上げるだろう。姉はわからないがもしかしたらそれだけの力があるかもしれない。更に身長だけを言えば隊の中でも大柄な谷垣一等卒と並ぶかそれ以上の身長があった。聞けば弟は五尺九寸(およそ179センチ)、姉は五尺五寸七分(およそ169センチ)とかなり大きい。

それにあの姉弟は確実に武術の心得があるように鶴見中尉には見えていた。弟なんかは特に着物を着た上からでもわかるその筋肉質な身体。姉はやはり女だからだろうかわかりにくいがそれでも鶴見中尉の勘は告げていた。女のほうが厄介だと。

「(能ある鷹は爪を隠す…まさに言葉通りだ)」

であるとするならば、彼女の神経を逆なでする行為は得策ではないだろう。報復を受けるのは間違えなくこちら側になる。下手に刺激でもしたら彼女は警戒し町に現れない。だからここはあえて何もしないほうが彼女も警戒せずに町に来てくれるだろう。

「気長にな…」

空に浮かぶ月を見ながら待ち切れない気持ちを抑えるように呟く。













だが、鶴見中尉はあまりにも煉獄明黎という者を知らなかった。彼が知っているのはあくまで彼女のほんの一部であったからだ。妖という者たちは己の行路を真っ直ぐに進む奴らばかりだ。半妖とはいえそれに彼女が当てはまらないわけがない。

今後、鶴見中尉は煉獄明黎に振り回されるなんて知る由もない。




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