賢者の石編

/* 010 - 三度目の拒絶


 三通目の手紙が戻ってきたのは、朝食を終えて間もなくのことだった。
 校長室の窓を、硬い嘴が三度叩く。規則正しい音ではなかった。一度目は控えめに。二度目は少し強く。三度目には明らかな苛立ちが滲んでいた。

 ダンブルドアが顔を上げると、窓の向こうで一羽の灰色梟が羽を大きく膨らませている。雨に濡れたわけでもないのに、全身の羽毛は乱れ、黄色い瞳には疲労と不満がありありと浮かんでいた。

「これはこれは。随分とご機嫌斜めのようじゃな」

 窓を開ける。梟は返事の代わりに短く鳴き、乱暴な羽音を立てて室内へ飛び込んだ。卓上へ着地すると、その勢いでインク壺の隣へ積まれていた書類が数枚床へ舞い落ちる。歴代校長の肖像画の一人が薄く片目を開いたが、すぐに興味を失くしたように再び瞼を閉じた。

 梟の嘴には、一通の封書が咥えられていた。
 黄ばんだ羊皮紙。濃い赤色の封蝋。表面へ記された宛名は、紛れもなくダンブルドア自身の筆致だった。イザーク・クレイヴン殿。十日前に送り出した手紙だった。封蝋は割られていない。折れも、汚れもない。受取人の手へ渡った形跡すらなく、送り出した時とほとんど同じ状態で戻ってきている。

 ダンブルドアは梟の嘴から手紙を取った。
 自由になった梟は抗議するように翼を一度羽ばたかせると、卓上へ置かれていた菓子皿へ嘴を突っ込んだ。砂糖をまぶした菓子を一つ啄み、続けて、もう一つ。受け取られなかったのが、よほど腹に立っているらしい。

「ご苦労じゃった。三度も同じ場所へ向かわせたのは悪かったのう」

 灰色梟は嘴を動かしながら、じろりとダンブルドアを見上げた。
 許したようには見えなかった。

 机の右端には、既に二通の封書が置かれている。
 イザーク・クレイヴンは手紙を受け取らない。
 あるいは、受け取ることすら拒んでいる。

 ダンブルドアは三通目を机へ置いた。
 封筒の角が、先に戻っていた二通へ僅かに重なる。三通とも同じ宛名。同じ封蝋。同じ筆跡。そして、一度も開かれていない。

 十年前、魔法界から去った男へ宛てた手紙だった。
 最初の手紙には、ホグワーツへ招きたい旨を記した。長くは書かなかった。過去について問い質すつもりはないこと。魔法省へ身柄を引き渡す意図もないこと。そして、可能であれば一度会って話がしたいこと。それだけだった。

 二通目には、マグル学教授の席が空いていることを書き添えた。十年間マグル界で暮らした経験は、今のホグワーツに必要なものとなり得る。教科書の上だけでマグルを知る者ではなく、彼らと同じ地面へ立ち、同じように働いた者だからこそ伝えられるものがある。そう記した。

 三通目には、セブルス・スネイプの名を出した。
 それが最も悪手であったのかもしれない。とは言え、内容を読まれてさえいないのだから、悪手であったのかも不明と言える。

 ダンブルドアは椅子へ深く腰掛けた。
 長い指先で三通目の封筒を軽く叩く。
 乾いた音が、静かな校長室へ一定の間隔で響いた。

 イザークが何を考えているのかは分からない。
 手紙を読む前に送り返したのなら、内容を知ることすら拒んでいる。差出人の名だけで十分だったのだろう。アルバス・ダンブルドア――ホグワーツ魔法魔術学校校長。不死鳥の騎士団の指導者。かつて、自らが仕えた主君と敵対していた男。信用される理由は、今のところ一つもない。

「当然と言えば、当然じゃな」

 独り言が零れる。
 壁際の肖像画から、新聞紙を畳む音がした。アーマンド・ディペットが老眼鏡の奥から、机上へ並ぶ三通の手紙を眺めている。

「だから言ったのだ。三度も送り付ければ、招待ではなく催促になるとな」
「催促のつもりはなかったのじゃが」
「受け取る側にとっては同じことだろう」

 ディペットは呆れたように鼻を鳴らす。
 隣の額縁では、フィニアス・ナイジェラス・ブラックが椅子へふんぞり返りながら、薄く口元を歪めていた。

「元死喰い人に良識的な返事を期待する方が間違っている。マグルに紛れて暮らしたからといって、中身までマグル並みに従順になったわけではあるまい」
「従順さを求めておるわけではないよ、フィニアス」
「ならば尚更、放っておけばよい。戻りたくない者を呼び戻して、何になる」

 ダンブルドアは答えなかった。
 机上の三通へ視線を落とす。
 戻りたくない。それは、おそらく間違いではない。

 イザークは魔法界から逃げたのではない。追手に怯え、身を隠し続けたわけでもない。名前さえ変えず、マグルの町で働いている。魔法省が本気で探せば見つけることは難しくなかっただろう。それでも十年もの間、杖を振るわず、魔法界へ関わらず、自分自身の生活を築いてきた。

 彼にとって、その十年は逃亡ではない。選択だった。
 だからこそ、ダンブルドアも慎重に言葉を選んだつもりだった。命令ではなく招待を。償いではなく仕事を。帰還ではなく、新たな選択肢を。だが、差出人が自分である時点で、その区別には意味がなかったのかもしれない。

 ダンブルドアはゆっくりと立ち上がった。机の前を離れ、窓辺へ歩み寄る。湖面には朝の光が細かく反射し、遠くでは箒に乗った何人かの教員が競技場の周囲を飛んでいる。新学期まで、残された時間はそう多くない。

 マグル学の教授が必要なのは事実だった。
 ヴォルデモートの影が再び動き始めている以上、戦える者をホグワーツへ置きたいという考えがないわけでもない。だが、それだけではなかった。

 十年間、魔法を使わず家の土台を築き続けた男が、今何を考えているのか。  
 死喰い人だった自分を、どのように見ているのか。
 あの夜に抱いた疑念へ、どのような答えを出したのか。

 ダンブルドアは知りたかった。
 本人の口から。イザーク・クレイヴンの口から聞きたかったのだ。

 窓の外へ視線を向けたまま、静かに息を吐く。
 四通目を書くことはできる。梟を変えることも。送り先を変えることも。勤務先へ直接届けさせることも可能だった。だが、何通送ろうとも同じだろう。イザークが拒んでいるのは手紙ではない。魔法界そのものだからだ。

「……仕方あるまい」

 青い瞳が、僅かに細められる。机上では、三度も働かされた灰色梟が最後の菓子を飲み込み、ようやく満足したように羽繕いを始めていた。

「手紙で駄目ならば、直接話すほかないようじゃな」

 アーマンド・ディペットが、あからさまに眉を顰める。

「押しかけるつもりか」
「訪ねるだけじゃよ」
「世間ではそれを押しかけると言うのだ」

 ダンブルドアは穏やかに微笑んだ。否定はしなかった。
 窓の外では、八月の風が湖面を渡っていく。十年前、魔法界へ背を向けた男のもとへ、再び魔法が訪れようとしていた。

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