NAMELESS

×××14


 モニタの光が、室内を淡く照らしている。
 拠点の照明は落とされていた。必要がないからだ。画面の白が、輪郭を拾うには十分機能している。無機質な光の中で、映像が流れていた。角度の違う、複数のカメラ。固定された視点。切り替わることはない。画面に同時に並べられたまま、それぞれが別の断片を映している。

 ――Black Widows。
 カウンター。ボックス席。入り口付近。奥の通路。
 死角は少ない。だが、完全ではない。映らない場所は、確実に残る。

 その一つに、視線が止まる。
 何も映っていない。だが、何もないわけではない。カメラの角度、その僅かなズレ。壁際に落ちる影の濃さ。人が立てば、僅かに歪む位置。

 ジンは画面から目を離さない。
 体勢は動かない。椅子に深く腰掛けたまま、視線だけが固定されている。

 隣から、細い腕が伸びる。
 ネイルのした指先が、キーボードを叩いた。

「……やっぱり。いるじゃないの」

 ベルモットの声。
 低く、抑えられている。確信を含んだ響き。問いではない。確認でもない。ただ、既に出ている結論をなぞるだけの音。

 画面の一つ。カウンター席。
 中央付近。そこに、三つの影がある。バーボン、ライ、スコッチの三人だ。作戦会議は終えたのか、既に飲み会に発展している。だが、互いに僅かだが、距離がある。干渉しすぎない位置。だが、無関係でもない。緩く繋がっている配置。中心は、バーボンが捉えていた。

 視線が、僅かに動く。
 別の画面へ。角度の違う同じ席。輪郭が、よりはっきりと拾われる。金髪。褐色肌。その隣。カウンターに肘を預けたまま、動かない影。

 腕に額を乗せ、俯いている。顔は見えない。サングラスに遮られている。輪郭だけが、光に浮かぶ。グラスは手元にある。中身は残っている。氷が溶け、水位だけが増えている。バーボンの隣で、グレーンは微動だにしない。数秒。変化はない。呼吸の上下すら、映像では拾うことが出来ない。

 バーテンダーが、肩を竦めた。
 何かをバーボンに言っているが、音声はない。口の動きだけで分かる。諦めたような仕草。慣れている動き。

「グレーン、寝てるわね」
「……あぁ。まぁ、いつものことだが……」

 ジンの視線が、横に滑った。
 隣の画面。角度が変わる。より近い距離。カウンター越しの視点。

 バーボンが、動く。手が伸びる。自然な動作。
 肩に触れる。軽く揺する。反応はない。影は、揺れたまま戻る。姿勢は崩れない。もう一度。同じ強さ。同じ位置。揺する。やはり、起きない。

 ――その一瞬。
 指の角度が、僅かに変わる。
 触れている時間が、僅かに長い。戻るまでの間に、空白が挟まる。小さすぎる差。見逃しても、不自然ではない。だが、残る。

 ジンの眉が、僅かに動いた。
 視線はそのまま、固定されている。画面の中。バーボンの手元。触れて、離れる、その軌道。同じ動きは、二度とない。次に触れた時には、既に終わっている。何もなかったかのように。最初から、その形だったように。

 ジンは、ゆっくりと背もたれに体を預けた。
 視線は外さない。画面の中。眠ったままの影は、動かない。その隣で、バーボンが手を引く。何事もなかったように。最初から、ただ起こそうとしただけの仕草だったように、静かに元の位置に戻る。

 変化は、それだけだ。
 だが――違和感を覚えるには、十分だった。

「放っておけば、持っていかれるわよ」
「……だろうな」

 短い沈黙が落ちる。
 機械の駆動音だけが、僅かに残る。一定の間隔で刻まれる、低い振動。耳に入るが、意識には上がらない。

 画面の中。バーボンが、視線を横に流した。グレーンへ。反応はない。変わらない。最初から、そこに固定されているかのように、動かない。ライが、グラスを傾ける。氷が触れ合う。音は拾えない。だが、動きで分かる。遅れて、スコッチが何かを言う。口元だけが動く。バーボンが、短く返す。

 三人の間に、緩い流れがある。
 会話は続いている。途切れていない。だがその中心にあったはずのものが、今は機能していない。それでも、崩れない。

 ジンの視線が、僅かに細まる。
 固定されたまま、画面の中の配置をなぞる。

 グレーンは、動かない。
 だが、切り離されてもいない。三人の会話の中に、確かに残っている。空白として。穴として。埋められていない形で、そのまま置かれている。

 バーボンが、グラスを持ち上げる。
 一口、含む。喉を鳴らす動き。視線は外さない。グレーンから。そのまま、自然に腕が下りる。カウンターの縁。指先が触れる。僅かな接触。置くでもなく離すでもない、曖昧な位置。そこに、何かが残る。

 ジンの指が、肘掛けの上で止まった。
 動きは小さい。だが、途切れる。先ほどまで一定だったリズムが、そこで一度、切れる。次の瞬間には、戻る。何事もなかったように。同じ位置。同じ角度。だが、完全には一致しない。僅かなズレだけが、残る。

 ベルモットが、画面を拡大する。カウンター席。バーボンの手元。フレームが粗くなる。粒子が荒れる。それでも、動きは追える。

「……仕込んだわね」
 独り言のように落ちる。
 確認ではない。既に見えているものを、言葉にしただけの音。

 ジンは答えない。
 視線は画面に向いたまま、動かない。
 数秒。変化はない。

 バーボンが、再びグレーンに触れる。
 今度は軽い。形だけの動作。起こす意思は感じられない。ただ、そこにいることを確かめる程度の接触。反応は、やはりない。グレーンは、眠ったまま動かない。呼吸も、鼓動も、映像には映らない。ただ、そこに置かれているだけの物体のように、形を保っている。

 それでも、バーボンは視線を外さない。
 一度も。最初から、ずっと。

 ジンは、ゆっくりと立ち上がった。
 椅子が、僅かに軋む。小さい音。だが、室内では十分に響く。
 ベルモットが、視線だけを寄越す。口元が、僅かに歪む。弧を描く。笑みと呼ぶには浅い。だが、退屈してはいない表情。

「彼、回収するの?」
「あぁ。確認したいことも、あるんでな……」

 短い返答。それ以上は、続かない。
 画面の中。配置は変わらない。三人と、一つの影。空白を含んだまま、均衡が保たれている。だが、その均衡は、長くは続かない。

 ジンは視線を切る。
 モニタの光が、僅かに揺れる。背を向ける動きに合わせて、影が伸びる。

 足音が、一つ。遅れて、もう一つ。
 規則的なリズム。迷いはない。最短距離をなぞる歩幅。ベルモットは、何も言わない。ただ、画面を見ている。指先が軽く机を叩く。一定ではない間隔。思考の癖が、そのまま音に出ている。

 画面の中。バーボンが、僅かに笑う。
 誰に向けたものでもない。だが、意味がないわけでもない。そのまま、グラスを傾ける。氷が動く。光が揺れる。形が、僅かに歪む。

 均衡は、まだ崩れない。
 だが――時間の問題だった。

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