光を抱く者

020 - 太陽、されど


 東都湾近郊の倉庫街。
 外灯の明かりは遠く、ひっそりとした路地に湿った夜風が吹き抜けていく。潮の香りが宙を舞い、無遠慮に頬を撫で付けた。

 アブサンは物陰に身を沈め、鳴りを潜めていた。
 五十代に見える皺の刻まれた頬に、人当たりの良さそうな柔和な表情。白髪混じりの短髪に、地味なワイシャツと紺のジャケット。どこにでもいる中肉中背の顔――ベルモットの変装は完璧で、アブサンと紐付ける面影など一欠片も存在しなかった。

 しかし、その瞳の奥には鋭さが潜んでいた。変装の下から覗く灰緑の眼差しは、静かに倉庫の入り口を見据えている。

 任務予定時刻の一時間前。
 気配を殺しながら息を整え、長い指が時計の文字盤を軽く叩く。

 やがて、遠くから足音が響いた。
 低く、重く、規則的。現れたのは黒いコートに身を包んだ長身の男――ライだった。深く被ったニット帽の下から覗く瞳は鋭く、揺るぎのない光を宿している。その背後には、黒いスーツに身を固めた人間が十数名。揃った足取りと無駄のない動きが、彼らがただの末端ではないことを雄弁に物語っていた。

 アブサンは短く息を吐き、低く呟く。

「……やはりか……」

 独り言は闇に溶け、誰にも届かなかった。

 数分の静止ののち、アブサンは倉庫へ歩みを進めた。重厚な扉の前で立ち止まり、手をかける。わざと一瞬だけ逡巡の仕草を見せてから、ゆっくりと押し開いた。錆びた蝶番が悲鳴をあげ、軋む音が夜気に響く。退路を確保するように、扉を全開に押し広げた。

 埃の匂いの籠った倉庫の内部。闇の奥に、人影が立っている。
 それはライだった。彼は一瞥を投げただけで何も言わず、目を閉じる。その沈黙は、無関心とも挑発とも取れる。

 アブサンは怯えた様子を作り、震え声で言葉を投げる。

「……あの……ここは私の倉庫なのですが……先ほど、人が入っていくのが見えたので……」

 低く、くぐもった声。
 だがその声は、変装に合わせて整えられていた。

 誰からも反応はない。
 だが、そのとき――横合いから声が飛んできた。

「ここは危険ですから……すぐに立ち去ってください!」

 それは若い男の声だった。反射的に振り向けば、そこには額に汗を浮かべた青年が立っていた。硬直した指先、強張る表情。経験の浅さが容易に窺える。アブサンは訝しげに眉を寄せた。

「危険? だとしても、不法侵入ですよ。警察を呼びますからね」

 静かな声に、青年は狼狽し視線を泳がせる。
 やがて決死の覚悟を宿した瞳で告げた。

「……我々はFBIです。今内部調査中です。本当に危険ですから、今すぐここから離れてください」

 その言葉に、内心で笑みを浮かべる。
 表情は驚きに塗り替え、目を瞬かせた。だがすぐに神妙な顔つきで頷き、ゆっくりと背を向ける。倉庫から一歩踏み出し、外に出ようとした、その刹那――後頭部に銃口がめり込んだ。

 冷ややかな感触。
 アブサンは薄く笑みを浮かべるが、すぐに消し去り狼狽を装う。両手をゆっくりと上げ、降参のポーズを取った。

「あ、あの……私、何かしましたか……」

 震える声に、背後の男はフッと鼻を鳴らすと、手の力を緩め銃口を下ろす。それを合図に振り返ると、そこにはライが佇んでいた。片手をポケットに入れたまま、鋭い眼光が血走っていた。

「その特徴的な煙草の残り香……アブサン、お前だろう」

 確信めいた声音に、アブサンは表情を削ぎ落とした。
 数秒の沈黙。ライの背後に複数の足音が響き、張り詰めた場の緊張が一段跳ね上がったのを感じ取る。アブサンはつまらないとでも言うように肩を竦ませると、ゆっくりと首元へ手を伸ばした。

 仮初の顔をゆっくりと剥がし取る。
 粘着が剥がれるベルクロのような音と共に、下ろされた長い黒髪が胸元に揺れ落ちた。変装の下から現れた灰緑の瞳が、闇を切り裂くように光を放つ。アブサンはジャケットを開き、垂れ下がったボタンを押すと、擬似的な脂肪が萎んでいった。

 見守る者たちの喉が鳴り、息を呑む音が広がる。
 アブサンは前髪を乱雑に掻き上げ、薄く笑んだ。

「煙草ごときで見破られるとはな……以後、気を付けるとしよう」

 ライの眼差しが鋭さを増す。背後に控えていた十数名の影が一斉に動き、拳銃の黒い銃口が闇に浮かび上がった。倉庫の奥に張り詰める冷気は、重く、息苦しい。誰もが一発の銃声を引き金に、暴発しかねない危うさを孕んでいた。

 アブサンはその光景を、静かに眺める。
 数で勝てぬことは承知の上だった。だが、それに怯む気配は一切見せない。怯む気配を見せれば、大抵落とされる。眼差しは鋭さを称えたまま、状況を観察する冷静な狩人ように滑らせた。

「残念だったな、ライ……作戦は潰えた」
「いや――そうでもない。ジンと同格のお前を……捕らえることができるのだからな」

 その一言を合図に、背後の影がさらに一歩踏み出す。銃口が一斉に光を反射し、倉庫の冷たい空気をより一層鋭く引き裂いた。

 アブサンは短く鼻を鳴らし、肩を竦める。

「こう殺気を向けられていては、会話もままならんな。今日は殺しに来たわけではないのだが……仕方ない」

 肩を竦めた拍子にアブサンは指先から小さな缶を放り投げた。暗がりにその缶は溶け、音もなく転がり角に当たって止まる。沈黙の直後、白い光が弾け耳を引き裂くような衝撃音が倉庫を満たした。

「――ッ!」

 光と音が一瞬にして全てを剥ぎ取り、数秒間、世界は白と熱と鈍い轟音だけになる。閃光の残滓が目を焼き付け、耳鳴りが脳を満たす僅かな間隙。アブサンは身体を低く沈め、前方へ滑り込んだ。

 視界が戻りきらぬ相手に真正面から取り付くのではない。
 射線と射線の間を縫うように、相手の盲点へ入っていく。

 最初に触れたのは入口に近い前列の一人。
 目を押さえ、銃を構え直すのが遅れたところへ、アブサンは腕を巻きつけるようにして接近し、相手の顎先に掌を叩きつける。衝撃で頭がよろめき、反射的に銃を下に落とした。

 落ちた銃を蹴り飛ばし、そのまま後頭部を軽く殴って意識を牽制する。狭い通路での大振りは無意味に等しい。肘、手刀、短いコンタクトで相手の動きを瞬間的に奪うのが肝心だった。

 後ろから別の男が突進してくる。
 アブサンは相手の右腕を掴むと、体勢を利用して捻りを入れる。関節が悲鳴をあげる寸前で抑え、銃を持つ手を逸らした。姿勢が崩れたところで、すかさず膝蹴りを入れ床に沈める。

 複数の銃声が断続的に鳴るが、射撃の正確性は言うまでもなく、壊れかけた連携のように鈍る。互いの射線を気にする気遣いに似た眼差しが生まれ、射線の管理が乱れていく。

 アブサンは深く低く身を入れ、壁際を滑るように移動する。
 通路は狭いが、それがアブサンの利になっていた。

 射手が横振りで捉えようとすると、その側面に素早く入り込み、手首を掴んで捻じり上げた。銃を持った手首を固定したまま相手を後ろへ引き倒し、銃口を押さえ込む。

 相手の身体が折れる感触が掌に伝わると同時に、隣の男が慌てて踏み込んでくる。だが踏み込みが早ければ早いほど、次に来る隙が生まれる——アブサンはそう計算して動いていた。

 一人、また一人、短い連続技で潰していく。
 致命傷を狙うわけではない。相手を無力化し、銃を使えない状態にする。素早い関節技、肘打ち、膝蹴り、相手の銃を足で押さえつける低い技の連続。それは荒っぽいが合理的な制圧の手法で、狭い通路でこそ最も効果を発揮する動作だった。

 銃声はやがて鳴り止み、代わりに倒れる音、うめき声、金属が床へ叩きつけられる音だけが倉庫に残る。

 仲間の大半は既に動けない。混乱が連鎖し、残る者の顔には焦燥が張り付いていた。アブサンはその混乱の中でも周囲の音を拾い、ライの位置を確かめる。扉のすぐ内側、中央に立つライだけが、未だ銃を携えたまま冷静を保っていた。

 アブサンはゆっくりと距離を詰める。倒れた者たちの影を踏まぬよう、音を切って進む。ライは一歩も動かず、態勢を崩さない。狭い空間の中で、二人の距離は着実に詰まっていく。

 灰緑の眼差しと、鋭く細められた双眸が交錯する。
 倉庫の中は静寂に包まれていた。床に倒れ込む者たちのうめき声と、金属の擦れる音だけが微かに響く。

「安心しろ、誰も殺してはいない」

 アブサンの低い声が、冷たい空気を震わせた。
 ライは銃を構えたまま動かない。僅かに顎を引き、アブサンを観察するように視線を定める。

「……のようだな。慈悲を見せて同情でも乞うつもりか」

 問いには皮肉が混じっていた。だが、その声音の裏にほんの一滴、迷いが滲んでいるのをアブサンは聞き逃さなかった。

「いや。俺はお前に……訊きたいことがあってな」

 薄闇に滲む灰緑の眼差しが、ライを鋭く射抜く。

「……宮野明美の件だ。お前は組織に潜入するために、宮野明美を利用したそうだが……」

 その名を出した瞬間、ライの眉が僅かに動いた。
 背後で倒れていた仲間の一人が、呻きながらも顔を上げる。その様子が視界の端に入りながらも、ライは目を逸らさず、銃口を一分たりとも下ろさなかった。

「組織はそう遠くない未来に、鼠を引き入れた危険分子として宮野明美を処理対象とする。これは……お前の望んだ結末か」

 アブサンの声は冷ややかだったが、胸奥には微かな痛みが走っていた。

「……お前、何が言いたい……」

 ライの声は揺れてはいない。
 だが硬い声色は、感情を押し殺すときのものだった。

「個よりも大勢を優先するのは諜報機関の常套だが――お前が彼女を蔑ろにする理由にはならんと思ってな……」

 倉庫の隅で、誰かが血を吐く音がした。
 鉄の匂いが一層濃く広がる。ライの拳銃が小さく揺れ、引き金へかけられた指先に力が宿る。

「……選択は常に犠牲を伴う。全員を救えないのなら、より多く救える方を掴むまで。それが……俺の立場だ」

 その返答に、アブサンの瞳が微かに陰る。
 諜報機関に属する者の言葉としては正しい。理屈もある。だが、道理がない。それはアブサンの欲していた言葉ではなかった。

「そうか……FBIと言えど、所詮、影で人を切り捨てる連中にすぎんか。期待はしていなかったがな……」

 アブサンの吐息が、僅かに熱を帯びる。徐ろに、左手をポケットに差し入れる。その刹那、後方で引き金を引いた音が響いた。

 耳を劈く轟音。
 鋭い衝撃が腹部を抉り、アブサンの身体が半歩よろめいた。鈍痛が全身を駆け抜け、口端から血が零れ落ちる。無表情のまま腹部を一瞥する。白シャツに鮮やかな鮮血が滲み出していた。

 それを気にすることなく、アブサンは視線を前方に戻した。
 鬱陶しげに目を細め、ライの視線が逸れた隙を付いて腰のホルスターから拳銃を引き抜く。振り向かずに撃った一発が、男の銃を握る肩を貫いた。

 アブサンは吐息を洩らし、薄く笑みを浮かべた。

「やはり、宮野明美は……俺が殺す他ないようだ」

 低く、落とされたその言葉は、決して宣告ではなかった。
 それは自分に言い聞かせるような響きを持っていた。

 アブサンは宮野明美を殺すつもりなど毛頭ない。だが、生かすという選択肢も、組織に籍を置く以上持ち得ない。ジンに組織へ引き戻されたあの日から、取れる選択肢はひとつしかなかった。

 殺して、ただ生かす――彼女を切り捨てる気配を見せるFBIに任せるよりも、己の手で掴んで引き寄せる方がマシだと、アブサンは思っていた。それがどれほど醜く、自己満足に塗れた行為であろうとも、そうすることでしか己の存在意義を保てなかった。

 ライの顔に、一瞬だけ苦い色が差した。刃物で噛み砕いたような表情――唇の端がきつく引かれ、瞳の奥で揺れる何かがゆっくりと顔を覗かせる。その揺らぎは、周囲にいる者たちには見えにくい。規律と緊張で固められた群れは、指一本の迷いを許さない。しかしアブサンには、その一瞬が鮮烈に届いた。

 背筋に冷たい空気が流れる。
 ライの揺れは、怯えでも怒りでもない。矛盾した感情が累積した結果の、薄い亀裂のように見えた。アブサンの視線はその亀裂に吸い寄せられる。瞬間、取るべき行動が決まった。

 左手が、いつものように、勝手に動く。
 ポケットの中で指先が小さな円筒を確かめる。煙幕弾――ベルモットが厳選してくれた、視界と通信を一瞬混濁させる代物。腹の奥が疼く。血がまだ滲んでいる感触が掌に伝わる。だが、足は止められない。止まれば、あの揺らぎが次の動きになり得る。そうなれば、ここにいる全員の運命が確定する。

 アブサンは細く吐息を漏らすと、軽く缶を弾いた。軋む金属音が暗闇を裂き、缶は床に転がって角にぶつかる。直後、白い霧の弾けが倉庫内を満たしはじめる。煙はじわりと広がり、油煙の匂いと混ざって濃度を増す。閃光の残像が瞼に残る中、薄紅の世界が一瞬にして灰色へと塗り替えられた。

「――回答には礼を言う。おかげで決心がついた」

 アブサンが低く呟く。声は煙に飲まれ、反響だけが残る。
 銃口の光が不規則にちらつき、影たちの輪郭が溶ける。混乱の波が後列から前列へ逆流する。誰も確かな道標を見つけられず、銃弾の命中精度は一気に落ち込んだ。

 アブサンはそのタイミングを逃さなかった。
 身体を低くし、倒れた者の陰を縫うようにして扉へと向かう。

 血で湿ったシャツが肌にまとわりつくが、その冷たさが今はむしろ鋭い感覚を呼び起こしていた。足取りは確かだった。痛みを無視して速度を上げると、外気が顔を撫で、潮の匂いが喉を刺した。

 後ろからは怒号と混乱の叫び声が響いていた。
 ライの声も聞こえたが、煙と鉄の匂いの中で言葉の輪郭は判別できない。銃声が再び鳴るが、方向を定める者は少ない。アブサンは開いたままの扉をすり抜け、夜の路地へ滑り出した。

 路地は狭く、街灯の光は断片的にしか落ちていない。湿ったアスファルトに膝をつき、アブサンは一瞬だけ体を沈める。血が掌の隙間から滴り落ちる。だが振り向かなかった。背後に迫る足音は聞こえる。鉄の靴底が路面を叩く。追跡は確実に始まっている。

 それでも、アブサンの口元には、僅かな笑みが残っていた。
 笑みは痛みを引き伸ばし、意志を固めるのに都合が良かった。

 アブサンはゆっくりと立ち上がり、暗がりへと身を潜める。
 バイクを焚き付けるエンジンの駆動音も、背後から迫る銃声も、この瞬間には酷く遠かった。

 煙が倉庫の口から吐き出され、輪郭を曖昧にしながら夜の街へと溶けていく。アクセルを捻り倉庫の灯から遠ざかると、アブサンはポケットに手を戻し、通信機に触れた。それを器用に装着し、鳴り響くコール音に震える指先で応答する。

《……ようやく出たか……銃声が響いていたが、状況は》

 ジンの低い声音が、耳の奥に重く沈む。通信機越しでも、その鋭さは冷たい刃のように胸を抉ってきた。

 アブサンは荒く乱れた呼吸を整え、咳を堪えながら口を開く。腹の奥から熱が広がり、喉を突き上げる鉄の味を必死に呑み込んだ。

「ライはFBIで確定だ。奴の仲間から言質を取った」

 その言葉の合間に、短く咳が漏れる。
 唇の端を指で拭えば、黒ずんだ血が僅かに滲んでいた。アブサンは舌打ちを噛み殺し、呼吸を整えたふりをする。

「多少手荒な歓迎を受けたが……まあ、問題はない」

 言葉とは裏腹に、視界は霞み、体は鉛のように重い。バイクの振動が傷口を揺らすたび、鮮血がシャツを伝い落ちた。

《……テメェ、撃たれたのか》

 ジンの声が僅かに低く揺れる。驚愕や焦燥を滲ませぬよう抑えているが、その一瞬の揺らぎはアブサンの耳に届いていた。

 血の絡んだ湿り気のある笑いが、掠れた声に紛れる。

「十数人に囲まれれば、撃たれもする。だが、仕事に支障はない。安心しろ」

 虚勢を張った声は、夜風に削られて薄っぺらく響いた。
 だが、それでも言い切ることに意味があった。己の虚勢が、ジンに余計な選択肢を与えない唯一の盾になる。

 通信の向こうで、舌打ちが鋭く響いた。短い沈黙。煙草を吸う気配すらなく、ただ低く苛立ちを孕んだ声が落ちる。

《……手負いで移動するな、止まれ。今すぐ回収に向かう》

 その声音に、アブサンは眉を寄せる。
 苛立ちと共に滲む焦燥――その裏に、過去のアブサンに向けた僅かな情があることを、何となく理解していた。

「……了解。もう少し離れたら止まる」

 短く答え、通信を切る。
 アクセルを捻り、速度を上げて倉庫から距離を取る。通信を切断してから五分ほど経過したところで、アブサンはバイクを路肩の影に乗り捨て、奥まったビルの壁へと身を預ける。

 ずるずると崩れ落ちるように座り込み、ジャケットと血で湿ったシャツを脱ぎ取ると、その布を傷口に強く押し当てた。震える指先が言うことを利かなかったが、気にせず圧を掛けていく。

「……何がしたいんだかな……俺は……」

 喉から熱が込み上げ、反射的に口元を覆う。
 吐き出した血は赤黒く、妙な重みを持っていた。アブサンはただ眉を下げ、夜空を仰いだ。雲間から覗いた月明かりが、冷たく――しかし寄り添うように、その輪郭を照らし出した。

 アブサンは重くのしかかった瞼を静かに伏せる。

 遠くから、金属音を含んだ焦燥の靴音が近づいてくる。
 アスファルトを叩く硬質な響きは、夜気を切り裂き、規則性を失ったリズムで胸の奥に迫ってきた。

 ビルの影を縫って吹き込む潮風が、赤黒く滲んだワイシャツを冷たく撫でる。だが、月光は尚も揺るがず、崩れ落ちる身体を包み込むように、淡い光を落としていた。

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