光を抱く者
012 - 完全なる偽装
組織の拠点は、無機質な冷気と静けさに支配されていた。
蛍光灯が照らす廊下はどこまでも白く、音を吸い込むように硬質で、歩みを進めるたびに靴底の音だけが響く。
バーボンは、その音を重く感じていた。
呼吸は落ち着いているはずなのに、胸の奥に沈んだ何かが歩調を鈍らせる。あの夜、ビルの屋上で目にしたスコッチの骸――血に濡れた壁と冷たさを帯びた体温。その映像と感触が、脳裏から剥がれ落ちない。掠めるたび、憎悪が湧き上がってくるようだった。
扉の先にある作戦室では、既にライが待っていた。
無言でテーブルに資料を広げ、冷徹な眼差しでページをめくっている。その仕草には一切の感情がなかったが、バーボンはその硬直した指先に僅かな緊張を見て取った。
「現場、掃除したんだろう。ライ」
声に滲んだのは苛立ちか、それとも確かめたいという焦りか。バーボンの灰色の瞳は鋭く、相手を刺すように向けられていた。拳は無意識に強く握られ、関節が白く浮き上がっている。
対するライは、冷ややかな眼差しを僅かに持ち上げただけだった。表情に揺らぎはない。だが、指先で押さえられた資料の紙が微かに反応し、その硬直が彼の内側に潜む感情を物語っていた。
「……血痕も弾痕も、確かにスコッチの“死”を示していたよ。銃弾は心臓を貫き、致命傷となったのは疑いようもない」
淡々とした声だった。だが、その下に押し隠された感情を探そうとしても、表情からは一切読み取れない。
机の上には、血痕の写真、弾痕の解析結果が並んでいる。無機質な紙の束と電子の光が、まるで死という事実を冷酷に裏付ける証人のように沈黙を守っていた。
バーボンは視線を落とし、懐から小さな袋を取り出した。
中にはアブサンから手渡された、弾痕の空いた携帯。銃弾が真ん中を貫き、割れた画面には乾いた血が付着している。
「携帯に付着した血痕は、スコッチの血液型と一致していた」
低く落とされた声には、押し殺した苛立ちと悲嘆が滲んでいた。証拠として突きつけながらも、言葉の端々に“信じたくない”という本音が微かに漂っていた。
ライは短く瞬きをし、視線を携帯にだけ落とした。だが表情は揺れず、唇から吐き出されたのは感情を削ぎ落とした一言だった。
「……なら、疑いようはない。スコッチは死んだ」
その声音の無機質さが、逆に机上の資料よりも重くのしかかるようだった。バーボンの拳が音もなく握り締められる。爪が掌に食い込み、血の気が引くほどの痛みを覚えても、それでも否定の言葉を飲み込むことはできなかった。
「監視カメラも、確認する前に消されていた。称賛したくなるほど完璧だ。疑う余地すら与えないほど……整理されている」
吐き出す声は低く押し殺され、憎悪と疑念が入り混じっていた。
自分を納得させたいのか、それとも真実を抉り出したいのか――その声音には二つの感情がせめぎ合っていた。
ライの指先が、資料の紙を僅かに掻いた。顔は動かさずとも、その言葉に反応したのは明らかだった。無機質な仮面の奥に、僅かなざらつきが走ったのをバーボンは見逃さなかった。
ライは小さく吐息を洩らすと、視線を資料に落とした。
「アブサンは前に言っていたな。“次は痕跡を残してやる。お前らが無駄な憶測に翻弄されないように”――と」
その言葉が脳裏に蘇り、バーボンは奥歯を噛んだ。
確かに、今回は痕跡が残されている。だが、それが逆に不自然に思えてしまう。完璧すぎる痕跡ではなく、あえて“死”を示す証拠を置いていく――それは死を演出したい意思の表れにも見えた。
理屈は理解している。
血も、弾痕も、携帯も――どれもが“スコッチは死んだ”という事実を突き付けている。それでも、心のどこかで演出かもしれないという考えが消えなかった。
「アブサンは、何かを隠している。あの上司としてのアブサンが、すべて幻だったとは……到底思えない」
言葉にした途端、胸の奥がざわついた。
憎悪を叩きつけるべき相手を、まだ信じたいと願っている自分――その矛盾に吐き気が込み上げる。
拳を強く握れば握るほど、こみ上げるのは怒りではなく、裏切られたと決めつけ切れない弱さだった。
「それは同意見だが、何も確証がない。それに、これ以上スコッチの死を探るのは危険だ」
ライの声はいつも通り淡々としていた。だが僅かに押し殺した息遣いが混ざり、言葉の端に硬さが滲んでいた。
視線は机上の資料から逸れることなく、まるでそこに縫い付けられたかのようだった。その無表情な横顔にこそ、真実を探らせまいとする固い意志が張り付いていた。
「ああ。だから最後に……奴と話をするつもりだ」
押し出された声は低く抑えられていたが、鋭さを帯びていた。決意を隠し切れぬ瞳が細められ、机上の資料を貫くように睨む。
震える拳を膝に押し付けながら、バーボンはそれを力で封じ込めるように息を吐いた。憎悪と未練、そのどちらを抱えているのか――自分自身ですら判別できないまま。
「変に探りを入れると、スコッチの仲間だと認識される――お前を処理する口実が出来るだけだ。隙を見せたら、命はない」
ライは小さく息を吐いた。呆れを滲ませながらも、それ以上は言っても無駄だと悟ったような声音だった。冷えた横顔は相変わらず資料に向けられ、瞳の奥にだけ、拭いきれぬ陰が揺れていた。
「分かってる……分かっているさ……」
絞り出すような声は、冷たい作戦室の空気に溶けていった。
硬質な沈黙が二人の間に降り、蛍光灯の白光だけが、誰も触れられない真実を照らし続けていた。
組織の拠点は、無機質な冷気と静けさに支配されていた。
蛍光灯が照らす廊下はどこまでも白く、音を吸い込むように硬質で、歩みを進めるたびに靴底の音だけが響く。
バーボンは、その音を重く感じていた。
呼吸は落ち着いているはずなのに、胸の奥に沈んだ何かが歩調を鈍らせる。あの夜、ビルの屋上で目にしたスコッチの骸――血に濡れた壁と冷たさを帯びた体温。その映像と感触が、脳裏から剥がれ落ちない。掠めるたび、憎悪が湧き上がってくるようだった。
扉の先にある作戦室では、既にライが待っていた。
無言でテーブルに資料を広げ、冷徹な眼差しでページをめくっている。その仕草には一切の感情がなかったが、バーボンはその硬直した指先に僅かな緊張を見て取った。
「現場、掃除したんだろう。ライ」
声に滲んだのは苛立ちか、それとも確かめたいという焦りか。バーボンの灰色の瞳は鋭く、相手を刺すように向けられていた。拳は無意識に強く握られ、関節が白く浮き上がっている。
対するライは、冷ややかな眼差しを僅かに持ち上げただけだった。表情に揺らぎはない。だが、指先で押さえられた資料の紙が微かに反応し、その硬直が彼の内側に潜む感情を物語っていた。
「……血痕も弾痕も、確かにスコッチの“死”を示していたよ。銃弾は心臓を貫き、致命傷となったのは疑いようもない」
淡々とした声だった。だが、その下に押し隠された感情を探そうとしても、表情からは一切読み取れない。
机の上には、血痕の写真、弾痕の解析結果が並んでいる。無機質な紙の束と電子の光が、まるで死という事実を冷酷に裏付ける証人のように沈黙を守っていた。
バーボンは視線を落とし、懐から小さな袋を取り出した。
中にはアブサンから手渡された、弾痕の空いた携帯。銃弾が真ん中を貫き、割れた画面には乾いた血が付着している。
「携帯に付着した血痕は、スコッチの血液型と一致していた」
低く落とされた声には、押し殺した苛立ちと悲嘆が滲んでいた。証拠として突きつけながらも、言葉の端々に“信じたくない”という本音が微かに漂っていた。
ライは短く瞬きをし、視線を携帯にだけ落とした。だが表情は揺れず、唇から吐き出されたのは感情を削ぎ落とした一言だった。
「……なら、疑いようはない。スコッチは死んだ」
その声音の無機質さが、逆に机上の資料よりも重くのしかかるようだった。バーボンの拳が音もなく握り締められる。爪が掌に食い込み、血の気が引くほどの痛みを覚えても、それでも否定の言葉を飲み込むことはできなかった。
「監視カメラも、確認する前に消されていた。称賛したくなるほど完璧だ。疑う余地すら与えないほど……整理されている」
吐き出す声は低く押し殺され、憎悪と疑念が入り混じっていた。
自分を納得させたいのか、それとも真実を抉り出したいのか――その声音には二つの感情がせめぎ合っていた。
ライの指先が、資料の紙を僅かに掻いた。顔は動かさずとも、その言葉に反応したのは明らかだった。無機質な仮面の奥に、僅かなざらつきが走ったのをバーボンは見逃さなかった。
ライは小さく吐息を洩らすと、視線を資料に落とした。
「アブサンは前に言っていたな。“次は痕跡を残してやる。お前らが無駄な憶測に翻弄されないように”――と」
その言葉が脳裏に蘇り、バーボンは奥歯を噛んだ。
確かに、今回は痕跡が残されている。だが、それが逆に不自然に思えてしまう。完璧すぎる痕跡ではなく、あえて“死”を示す証拠を置いていく――それは死を演出したい意思の表れにも見えた。
理屈は理解している。
血も、弾痕も、携帯も――どれもが“スコッチは死んだ”という事実を突き付けている。それでも、心のどこかで演出かもしれないという考えが消えなかった。
「アブサンは、何かを隠している。あの上司としてのアブサンが、すべて幻だったとは……到底思えない」
言葉にした途端、胸の奥がざわついた。
憎悪を叩きつけるべき相手を、まだ信じたいと願っている自分――その矛盾に吐き気が込み上げる。
拳を強く握れば握るほど、こみ上げるのは怒りではなく、裏切られたと決めつけ切れない弱さだった。
「それは同意見だが、何も確証がない。それに、これ以上スコッチの死を探るのは危険だ」
ライの声はいつも通り淡々としていた。だが僅かに押し殺した息遣いが混ざり、言葉の端に硬さが滲んでいた。
視線は机上の資料から逸れることなく、まるでそこに縫い付けられたかのようだった。その無表情な横顔にこそ、真実を探らせまいとする固い意志が張り付いていた。
「ああ。だから最後に……奴と話をするつもりだ」
押し出された声は低く抑えられていたが、鋭さを帯びていた。決意を隠し切れぬ瞳が細められ、机上の資料を貫くように睨む。
震える拳を膝に押し付けながら、バーボンはそれを力で封じ込めるように息を吐いた。憎悪と未練、そのどちらを抱えているのか――自分自身ですら判別できないまま。
「変に探りを入れると、スコッチの仲間だと認識される――お前を処理する口実が出来るだけだ。隙を見せたら、命はない」
ライは小さく息を吐いた。呆れを滲ませながらも、それ以上は言っても無駄だと悟ったような声音だった。冷えた横顔は相変わらず資料に向けられ、瞳の奥にだけ、拭いきれぬ陰が揺れていた。
「分かってる……分かっているさ……」
絞り出すような声は、冷たい作戦室の空気に溶けていった。
硬質な沈黙が二人の間に降り、蛍光灯の白光だけが、誰も触れられない真実を照らし続けていた。