ヒプマイ短編
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薪をくべるようにシュレッダーにかける。
紙片の雪
「苗字ちゃん、これもやっといてね」
「あっ、私のも。苗字ちゃん、お願い」
武力による戦争が根絶され、女性が覇権を握るようになったH歴でも、女性間の”そういうの”は無くならなかった――それだけの話だ。
無理に綴じられた書類からガチャ玉を外しながら、ため息をつく。
(これだけならいいんだけど―)
不要書類の細断自体は単純な作業であり苦にならない。内緒だが、ばりばりと紙を機械に食べさせている感じは好きだ。
問題は、大量の書類を処理することによって押される時間だ。本来の担当業務が他にあるのだ。もちろんそちらの方が大事なので、優先して終わらせるのだが、もともとの仕事量が多いため、どう頑張っても他人の分に取り掛かれるのは定時後になってしまう。次の日まで紙の山を残しておくと飛んでくる小言も、聞こえてくるひそひそ声も、両方苦手だった。シュレッダー作業で残業時間を増やすとは何事だと思うかもしれないが、元来残業代は出ない。たださすがに、連日の居残りに辟易としていた。
(――ああ、噛んだ)
切れ味が落ちた刃は容易に紙を詰まらせる。紙が詰まる度に逆回転させる。無理やり消化させる。収まり損ねた紙片が散らばる。
気付くと建物内に人気がなくなっていた。紙を食べる機械の音の中、二人。
私は、共に残ったもう一人をちらりと見る。癖っ毛。隈のある目。
「観音坂さんも残業ですか」
そう声をかけると、一瞬視線が合い、すぐに逸らされる。
「……他人のミスの後始末を押し付けられてね。はあ、というか、俺がいけない気がしてきた。今日も朝礼で、陰気な顔をどうにかしたまえ、って言われたな。名指しで。俺の顔が陰気だから、周りがうんざりして集中力を欠くのかも。いや、きっとそうに違いない。全部、全部俺が悪いんだ。職場でミスが起こったのも、コンビニで箸を入れ忘れられたのも、みんなみんな、俺のせい俺のせい俺のせい」
「それは、観音坂さんのせいじゃないですよ……」
営業の観音坂独歩。たまにこういう、独特の世界に入ってしまうが、少し悲観的なところがあるだけで、悪い人ではない。仕事ができない訳ではないのだが、上司に目を付けられ、軽んじられる流れで、他の人間からも侮られる結果になってしまっている。疲労が極まって千鳥足になっているところや、呂律が回らないまま電話に出ているところを見た時は、なんだか辛くなった。
(悪い人じゃ、ないんだけど)
会話が途切れる。業務用裁断機の音が静寂を殺す。よく分からない気まずさが辺りを覆う。仕事中なのだから、喋ってばかりはいられないのだが――いつだってこうなのだ。
(嫌われているのかもしれない)
そう思うと、苦しくなった。周囲が彼を笑っても、私は彼の仕事を尊敬していた。どんなに忙しくても、立場の弱い者に当たり散らしたりしない。意外と誰にでもできることではない。目立たないが、面倒見が良い。今だってこうやって、他人の尻拭いをしている。お人好しなのだと思う。そんな様子を、私はいつも見ていた。
しかし、観音坂さんは私を視界から追い出す。他の女性社員とは目を合わせるし、ある程度会話は続く。じくじくと胸が痛む。気づかないうちに、何か気を悪くさせてしまったのかもしれない。謝ろうにも見当がつかず、それとなく窺う勇気もなかった。
いつものようにお互いだんまりを決め込み、最後に挨拶だけ交わして終わるはずだった。
「て、手伝おうか」
予想外の言葉に驚くのは勿論、冬にも関わらず汗をかいている姿に驚いた。暖房が強かっただろうか。席によっては温風が直撃するのだ。
「ありがとうございます。でも、観音坂さんもお忙しいでしょう。それに、シュレッダーはここには一つしかありませんし。お気持ちだけで充分です」
嬉しいのだが、困惑してしまった。目の前の人は、雷に打たれたかのような顔をした。小さい声で、これだから俺は駄目なんだ、これだから……とぶつぶつ言っているのが聞こえる。私は意図をはかりかねる。
しばらく待っていると、彼は意を決したように呟いた。
「知ってるよ」
俯き、絞り出すように言う。
「苗字さんが毎日頑張っているのを、俺は知ってるよ」
その顔は、ネックストラップと同じ色だ。
「……君を見ると、うまく話せない」
紙吹雪。
――クラッカーや、くす玉の。
細切りの紙くずが色彩を持った。
雪が舞う中心には観音坂さんが倒れていた。
満杯になった分のシュレッダーゴミの袋に躓いたのだ。
「観音坂さん、大丈夫ですか。すみません、それは私が置いた袋です」
「……いや、なに、足元に注意を払わなかった俺のせい、だよ」
ばつが悪そうに綻ぶ、隈のある目元がなんだか可愛らしくて、私も一緒になって笑った。
優しさが過ぎて内に向かうあなたの俺のせいを何度だって否定したい。
ただ一つの例外をいつか言えたらいい。
この鮮やかな鼓動は、紛れもなくあなたのせいであると。
2018/12/04
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