pixiv未掲載小説
【GX】未完/万十/記憶喪失の十代の話
2025/08/10 01:12GX未完本棚未掲載
『遊城十代が死んだ』の世界線で記憶喪失の話を考えていたのですが途中まで書いてやる気がなくなってしまったもの。覇王の日だから公開します。オリキャラも出ます。
「インダストリアル・イリュージョン社、浦川でございます。こちら、万丈目様のお電話でお間違いないでしょうか?」
精霊研究室からの電話を取ると女性の声でそう言われた。万丈目が電話をするといつも電話を取る女性だ。向こうからかかってくるなど初めてだった。
「はい、そうです」
「ジェイデン・ケントが倒れました。今すぐこちら来れますか、インダストリアル・イリュージョン社の日本支社」
浦川は切迫した声になった。
「怪我はありません、今は意識はあります。でも、ちょっとご相談したくて」
そう言われて日本支社のビルへ駆けつけた。万丈目を出迎えた浦川の周りには三体も動物型の精霊がいた。挨拶もそこそこ、万丈目はすぐに精霊研究室へと案内された。
精霊研究室は地下にあり、地下では携帯電話が使えないと言われた。計器のために電波を遮断しているらしい。出社した十代とたびたび連絡が途切れるのはこのためなのだなと思った。
精霊研究室へ入ると、室長の時雨に挨拶と謝罪をされた。十代が倒れたのは自分の不注意である、と。
「いや──何があったんです?」
「ジェイデンくんに頼まれて、記憶操作についての資料を用意したんです。論文とか社内の研究資料とか。その中に記憶を操作するオカルト的な儀式の話がありました」
それを見た途端に倒れ、目覚めたら記憶に障害が出たのだと室長は言った。
「すみません、わたしが集めた資料で……」
浦川が謝った。
「いえ、ジェイデンが頼んだことでしょう」
パンドラの箱を開けたのだ──と万丈目は思う。ユベルから記憶を探るなと言われていたのに。
「ジェイデンくんは今、自分の名前もどのように生きてきたかもよく覚えていないようです。ただユベルのことはわかりますし、ユベルの言うことも今は聞いています。でもユベルが言うには、精霊を操る力が暴走して、人間に悪影響があると……」
浦川が説明する。
「悪影響?」
「さっきは、彼がお腹がすいたと言ったら、全員が自分の食べ物を彼に差し出して、その間の記憶がなくなりました。気がついたら、お弁当とかお菓子とかがジェイデンくんの周りに置かれてて……」
「おそらくですが、精霊を操るという力が人間にも及んで、何気ない言葉でも操られてしまうようです。それと精霊を実体化させる力の暴走もあり、近くにいた精霊が実体化しました。今は念のため休憩室にひとりでいます」
時雨が続きを話した。
「今回の件、なるべく秘密裏に処理をしたいと考えています。我我は精霊を操る力というのが、精霊が彼に付き従う──マスターとして好かれやすい体質といった程度の意味だと思っていました。精霊や人間に強制的な命令ができる能力だとしたら悪用したがる人間はごまんといるでしょう。この話はくれぐれも内密に」
「はい」
十代がいるという休憩室に入ると、十代はお菓子を食べていた。無表情なその目は金色をして、ユベルとハネクリボーが実体化していた。
「十代。彼が万丈目だ。覚えているかい?」
ユベルに言われて十代は万丈目を見たが、黙って首を横に振った。
「ユベルのことは覚えているそうだが、どのくらい忘れているんだ?」
「……自分の宿命のことは覚えていたよ。たぶん……人間としての記憶がなくなった」
人間として──。
「覇王としての記憶ならある、ということか?」
「そこもぼんやりとしか覚えてないみたいだ。暗黒界の連中をまとめてたこと、十二次元世界をかけてボクとデュエルしたこと、ダークネスと戦ったことあたりはなんとなく覚えてて、でもその経緯がなんだったのか、みたいな部分は忘れてる」
「アタシたちのことも忘れちゃったかしら?」
おジャマ・イエローが顔を出す。十代はイエローをじっと見つめた。
「覚えてるか?」
首を横に振る。
「……ちょっとこっちに」
ユベルがイエローに手招きした。
「え? なあに?」
イエローはやや腰の引けた様子ながらもユベルに近づいた。
「実体化しないな。十代、ボクとハネクリボーの実体化も解いてみてくれ」
十代は首を傾げた。
「今キミのエネルギーがボクたちに流れてる状態だ。それを引き上げるのをイメージしてみて」
そう言われて、十代は机に乗っているハネクリボーをじっと見つめた。ハネクリボーの姿が半透明になる。
「うまいね。ボクもやってみて」
ユベルの姿はすぐに半透明になった。精霊の実体化はコントロールできるようになったようだ。
「あとは命令してしまう力か……万丈目、ちょっと協力してくれ。十代、彼にその鞄を渡せ、と」
ユベルは万丈目の返事も聞かずにそう言った。金色の目が万丈目を見る
「その鞄を渡せ」
十代はそう言ったが、別に鞄を渡したくはならなかった。
「大丈夫そうだな」
「もう少し強めに言って」
「おい、人体実験するな」
まったくユベルはひとをなんだと思っているのか。
「ん?」
万丈目は気がついたら十代の近くにいた。十代は万丈目の鞄を持っている。
「──オレが渡したのか?」
十代は頷く。万丈目に鞄を返した。
「もう一回やってみて」
ユベルが言い、万丈目は気がついたら十代に鞄を渡した後だった。万丈目は十代に何を言われたのか、何をしたのかも覚えていない。
「お──おい、そんな力があるのか」
「そうみたいだなあ」
「みたいって」
「精霊なら多少言うことを聞かせられたが、人間に効いてしかも記憶までなくなるなんてのは初耳だ」
「なんで自分の力なのに知らないんだ」
「単純に気づかなかったんだろ。他人に命令する必要なんてないし」
日常生活にあたり、確かにそんな機会はないか。
「命令するには単に言葉にするんじゃなくエネルギーを載せないと作用しないようだから、知らなかったら使うこともできなかったんだろう」
「さっきお腹がすいたと言ったら研究室のメンバーが従ってしまったのは?」
「あれは精霊を実体化させたりとエネルギーが放出されているときに言葉にしたから命令になってしまったんじゃないかと思う」
「なら日常生活に問題はないのか」
「制御できるならね。十代はよほど緊急時でもなきゃ無理矢理精霊に命令なんてしないよ。人間に使えたって同じだ。でも記憶がない今、コントロールがしっかりできるかは心配だ。さっきは『お腹がすいた』という言葉だったからなんの害もなかったが、喧嘩の拍子に『いなくなれ』なんて言ったら相手はどうなる? その場から立ち去る程度なら害もないが」
それ以上のことをさせてしまうかもしれない──。
「記憶が戻るまではあまり刺激のない場所でじっとしているか、逆に力を使っても問題ない精霊界に行くか、どちらかがいいとボクは思う。十代はどうしたい?」
ユベルに訊ねられて、十代は首を傾げた。
「十代、別にもうしゃべっていいよ。さっきみたいにエネルギーを載せないように気をつけて」
「……どちらでもいい。やるべきときにやるべきことができるなら」
十代は静かにそう答えた。声に感情の起伏が少ない。万丈目は「覇王十代」を見ていないが、あの頃の彼はこんな調子だったのだろうか?
「精霊界ならボクが面倒見てやれるが……」
部屋のドアがノックされた。若い女性がドアを開ける。
「失礼します! わ、本当に万丈目サンダー……初めまして! 雪村です!」
雪村の手には弁当屋のロゴが入った袋があった。後ろからは四十代ほどの男性が入ってくる。
「八敷と申します。よければ万丈目さんもお弁当食べませんか? 余分に買ってありますから」
十代が腹をすかせているから二人で弁当を買いに出ていたそうだ。幕の内弁当と十代用にと大盛りのミックスフライ弁当を渡された。
「万丈目さん、こんなときにすみませんが、息子がファンなのでサインを頂いてもいいですか?」
八敷に頼まれ万丈目は息子の名前入りのサインをする。息子は現在デュエルアカデミアの一年生なのだそうだ。
自前の弁当のある浦川と時雨も含め、休憩室で少し遅い昼食をとる。十代は食欲は通常どおりあるようだった。
「ケントさん、万丈目さんを見て何か思い出したりしました?」
雪村が訊ねる。十代は黙って首を横に振った。
「そう簡単には戻らないですかねえ」
雪村は残念そうにしながら大盛りの唐揚げを一つかじった。小柄な女性だがよく食べるようだ。
「万丈目さん、ジェイデンくんとは話せました?」
時雨が訊ねる。時雨は手製のサンドイッチだ。
「ええ──はい」
少ししか話していない。ユベルの実験に付き合っただけだ。
「大丈夫そうなら、家でいつも通り過ごした方が記憶が戻るかもしれないと思うのですが」
「うちに帰るのでいいか?」
十代は感情の読めない瞳で万丈目を見て、やはり首を傾げた。記憶を失って、自分で判断することができないのだろうか?
「先程は……ユベルが精霊界に行くかと言っていましたが、本人も決めかねているようです」
人が多いからかユベルを含め他の精霊たちは現在全員引っ込んでいた。
「精霊界ですか……ユベルが面倒を見るならそれも安全ですかね?」
浦川が言った。
「うちに帰った方がいいですよ! 新婚さんなんだから一緒に過ごさないと!」
雪村が言った。八敷も頷いた。
「そうだね。ボクも万丈目さんと一緒にいる方がいいと思うな。もちろん万丈目さんが大丈夫ならですけど」
「……一緒に帰るか?」
改めてそう言うと、十代は表情を変えずに頷いた。
◇◆◇
「十代、大丈夫?」
ユベルが気遣わしげにこちらを見ていた。頭が痛む。目の前にはヒビが入ったような線が見える。顔に何かついていたから、まずはそれを外した。倒れていた身体を起こす。
「無理しないで」
「どこか痛む?」
「大丈夫ですか?」
「眼鏡割れちゃったね」
気がついたら、ユベル以外にも人間の老若男女と精霊たちが周りを取り囲んでいた。
「ジェイデンくん、痛むところは?」
初老の女が訊ねる。ジェイデンという名に聞き覚えはないが状況からして自分に向けているのだろう。
「頭が少し」
「結構な勢いで倒れましたもん。どうしよう、お医者様……」
若い女が初老の女を見た。指示をあおいでいるようだった。初老の女が首を横に振る。
「いえ、少し様子を見ましょう」
初老の女の横には白い狼のような精霊がいた。じっとこちらを見ている。
「今日は帰って休んでください。万丈目さんに連絡しましょうか?」
「マンジョウメ?」
「え──」
初老の女が目を見開いた。
「あ、頭打ったからですか? 万丈目さんとはこの前結婚したばかりじゃないですかあ! ケントさんあたしのことはわかります?」
若い女が自分を指差した。そばには炎の目玉のような精霊が飛び回っていた。よくわからないので首を横に振る。
「記憶喪失っすか!」
「ジェイデン、ボクは?」
男が自分を指差した。髭をたくわえた顔は年齢の判別がつかない。覚えはやはりなかった。
「ボクはわかるかい?」
ユベルも自分を指差す。
「ユベルだ」
「自分のことは?」
自分──命を育むやさしい闇、正しき闇の力を使い、宇宙を滅びから守る者。つまりは。
「覇王だ」
「名前は?」
「さっきユベルが呼んでいたなら十代だろう」
ジェイデンだのケントだのとも呼ばれているが。
「……今自分が何歳かわかる?」
「いや……」
よくわからなかった。
「逆になんならわかるんすか? 浦川さんや室長もわかんないですか? あ、精霊たちは?」
若い女はまくし立てたがどれもわからなかった。室長は初老の女のことらしかった。浦川は初老の女と若い女の中間くらいの年頃の女のことのようだ。浦川にはモモンガとムササビ、ビーバーの精霊が憑いている。
「浦川、十代はその資料の写真を見た途端に倒れたみたいだ」
「これですか?」
ユベルに言われて浦川は床に落ちていた紙の束を拾った。
「なんですか、それ」
「ジェイデンくんに頼まれて記憶に関するものを集めてたんです」
若い女に訊かれて浦川が答えた。
見せて、と男が浦川から紙の束を受け取る。
「写真……これかな? 悪霊封じの儀式……悪霊を封じるとその悪霊の記憶もなくなる……この魔方陣とかに影響された……か?」
ふわりと茶色の毛玉に白い羽根の生えた精霊が飛んでくる。黒い目が不安そうにこちらを見ていた。
「十代、彼がわかる?」
「……いや、わからない」
「なぜボクはわかるの?」
なぜ? 魂の片割れ。我が半身。忘れるべくもない。
「半身を忘れたりはしない」
「つまりは、ボクと覇王の宿命には覚えがあるということ?」
「そう──だと思う」
「なるほど」
「何かわかりました?」
室長が訊ねる。
「人間としての記憶が消えたかもしれない。原因がその儀式の資料なのか、過去に記憶操作を受けたからかはわからないけど」
「八敷さん、その儀式についてもっと詳しく調べてください」
室長が言った。男がはいと返事をする。彼女はこの場のリーダーのようだった。
「雪村さん、あなたは医療のことを調べてください。二十年ほど前に記憶操作技術が使われていた時期があります。その措置の予後の記録と現在の研究状況について」
「わかりました!」
若い女は雪村というようだった。
「雪村さん、その記憶操作技術ってたぶんこの中に……ああ、これです」
「ありがとうございます」
浦川は先程の資料の中から紙を数枚抜き出して雪村に渡した。
「浦川さんは万丈目さんにここに来るように連絡してください。とりあえず倒れたことだけ伝えて、詳細はここに着いてから。あとは二人のサポートを」
「はい、わかりました」
三人は各各の机に戻る。室長にジェイデンくんも座ってと言われて近くにあった椅子に座った。人数からして、この椅子と目の前の机が自分に配されたものなのだろうと推測できる。
「わたしはここの室長の時雨といいます。ここはインダストリアル・イリュージョン社の精霊研究室。あなたはここでジェイデン・ケントという名前で働いています。仕事はいろいろありますが、あなたは主に精霊と人間の間を取り持つことをやってくれています」
時雨はそう説明した。
「あちらで電話してるのが浦川さん。男の人が八敷さん。あちらの女性が雪村さん。八敷さん以外は精霊が見えます。三年ほど前に配属になった雪村さん以外はあなたと十年ほど一緒に仕事をしています」
十年という時間は人間にとって短くはない。ここの人間は信用してもいいのだろうと思う。
「室長、万丈目さんに連絡取れました。すぐこちらに来るそうです」
「わかりました。もうしばらくしたら、ご家族の万丈目さんが迎えにきますから。万丈目さんのことは万丈目さんに聞いてください。あとは何か気になることはありますか?」
「いや……あ、お腹がすいた」
「そりゃキミ、いつまでも精霊を実体化させてるからだ。早くやめな」
ユベルは呆れたように言った。
「……どうやったらいいかわからない」
「そうなの? じゃあ力を引き上げるような……え?」
ユベルが驚く。人間たちがまた周りを囲み、巾着や何か入った袋を机に置いた。皆一様に黙り込み無表情だ。先程と雰囲気が違う。
どうしたのか黙って見ていると、突然全員がはっとした顔をした。
「……えっ? 何? あたし自分の机に戻ったのに……」
雪村がキョロキョロ周りを見る。
「……お弁当なんでこんな場所に……?」
浦川が呟く。先程置いた巾着をまた手に取った。八敷が首を傾げる。
「ボクもおやつを持ってきてる……」
「あれ? あたしのお菓子も……」
どうやら持ってきたものの中身は食べ物だったらしい。
「ジェイデンくん、さっきの質問なんと答えました?」
室長が訊ねる。答えようとするとユベルに止められた。
「十代、キミはしばらく黙っててくれ」
そう言われたから頷いた。
「さっき十代は『お腹がすいた』と言った。精霊を操る力が暴走して人間にも悪影響があるみたいだ」
「それでボクたちは食べ物を持ってきちゃったのか……。まあ、とりあえずこれはあげるよ」
「あたしのもどうぞ」
八敷と雪村は菓子の袋を渡してきた。
「ありがとう」
ユベルが礼を言った。
「また何かあるといけないし、ボクたち別の部屋にいるよ」
「では休憩室に。ジェイデンくん、何か用意しますから待っていてください。雪村さん、ちょっとお弁当を買ってきてもらえる? お金はこれを。お昼時だしジェイデンくんだけじゃなく万丈目さんの分も。あなたもついでに好きなもの買ってちょうだい。もし万丈目さんがいらなかったらその分は夕飯にでももらってくれる?」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「室長、ボクも一緒に行っていいですか?」
「どうぞ。あなたの分は出しませんよ」
「承知してます。雪村さん、ついでにちょっとスーパー寄ってくれません?」
「スーパー?」
「色紙がほしいんだ。万丈目さんのサインほしくて。車代にお菓子買ってあげるから」
「喜んで! ケントさん、休憩室の場所わかります? 一緒に行きましょうか」
雪村に言われて、八敷と共に部屋を出ようとする。
「あ、雪村さん、アイちゃんを置いていかないと……」
浦川が声をかける。
「あ、そっか。……あれ? 浦川さんのモモンガ、もう透けてますよ」
「え? 本当だ。室長も……」
「アイちゃんはまだ……ってことは」
雪村は廊下に出て奥へと走った。離れていく途中で目玉の精霊が半透明になる。
「お、見えなくなった。ジェイデンと離れるといいのかな」
八敷が言う。
「ジェイデン、休憩室はそっちのドアだよ」
八敷に斜め前のドアを示されて、そちらに入った。
「……十代。ボクのことをどのくらい覚えてる?」
ふたりきりになるとユベルはそう訊ねた。
「魂の片割れ。半身。共に光の波動と戦う者。……でもキミとどう出会ったのかはよく覚えていない」
ユベルの手を取る。覚えていないことは多い。でも。
「キミを愛していることは覚えてる」
見上げた二色の目が細められた。
「ボクと融合したことは?」
「覚えてる。光の波動に歪められた魂を戻すために。キミと……十二次元宇宙の存続をかけて戦ったはずだ」
「どういう経緯で?」
経緯──そうだ、どうしてそんなことになったのだろう? 覇王の力を用いてユベルと戦った、そのことは覚えているのに。
「……そこはわからない、か。じゃ、その前に暗黒界のあたりにいたことは?」
「そのあたりに城があった……か? 精霊たちを集めて……何か、していたような……」
「そこもぼんやりか。デュエルアカデミアにいた頃のことは?」
「デュエルアカデミア?」
「破滅の光と戦ったことは?」
「……キミが取り憑かれたのとは別の、ということ?」
二色の目がこちらを覗き込む。
「……なんなら覚えてるんだ? ダークネスは?」
「ダークネスは──覚えている。人間すべてを飲み込もうとしていたのを止めた」
「ダークネスはデュエルアカデミアに現れたが……それも覚えてないか」
「そのデュエルアカデミアというのは?」
「キミの通ってた学校。もう卒業から十年経つけど」
「ガッコウ?」
「子供が学ぶ場所だよ。デュエルアカデミアはデュエルを学ぶ場所だ。キミは十五歳から十八歳の三年間そこに通った。今のキミは確か二十八歳で……書類上は二十三歳だ。ちょっと面倒なことが起きて、遊城十代という日本人としては死に、今はアメリカ人のジェイデン・ケントだ」
「ああ──さっき室長がジェイデン・ケント『という名前で』と言ったのはそれか」
「三年前からそうだ。とりあえず、今はジェイデン・ケントと名乗ると覚えておいて。面倒なことの詳細は長くなるから今は話さないけど、それに関連してボクを含めキミの精霊はここ以外では外に出ないようにしてるんだ。魂の中では話せるから、外に出たらそのつもりで」
「わかった」
「人間の生活についての細かいことは万丈目に聞いてくれ。万丈目っていうのは今のキミの配偶者で」
「ハイグウシャ?」
「結婚相手のことだ」
「ケッコンアイテ?」
ユベルは面倒そうに顔をしかめた。
「……万丈目に聞いてくれ」
どうやら人間としての知識もまばらに失われているようだった。
「まあ、お菓子でも食べて待っていなよ。幸い今は光の波動もおとなしいし、記憶が戻らなくても焦ることはない」
「そうか」
人間の記憶など本当はどちらでもいい。ただ、これまでの経験が失われたことは光の波動との戦いにあたり大いに不利だろう。そのためには早く取り戻さねばなるまい。
2025/08/10
「インダストリアル・イリュージョン社、浦川でございます。こちら、万丈目様のお電話でお間違いないでしょうか?」
精霊研究室からの電話を取ると女性の声でそう言われた。万丈目が電話をするといつも電話を取る女性だ。向こうからかかってくるなど初めてだった。
「はい、そうです」
「ジェイデン・ケントが倒れました。今すぐこちら来れますか、インダストリアル・イリュージョン社の日本支社」
浦川は切迫した声になった。
「怪我はありません、今は意識はあります。でも、ちょっとご相談したくて」
そう言われて日本支社のビルへ駆けつけた。万丈目を出迎えた浦川の周りには三体も動物型の精霊がいた。挨拶もそこそこ、万丈目はすぐに精霊研究室へと案内された。
精霊研究室は地下にあり、地下では携帯電話が使えないと言われた。計器のために電波を遮断しているらしい。出社した十代とたびたび連絡が途切れるのはこのためなのだなと思った。
精霊研究室へ入ると、室長の時雨に挨拶と謝罪をされた。十代が倒れたのは自分の不注意である、と。
「いや──何があったんです?」
「ジェイデンくんに頼まれて、記憶操作についての資料を用意したんです。論文とか社内の研究資料とか。その中に記憶を操作するオカルト的な儀式の話がありました」
それを見た途端に倒れ、目覚めたら記憶に障害が出たのだと室長は言った。
「すみません、わたしが集めた資料で……」
浦川が謝った。
「いえ、ジェイデンが頼んだことでしょう」
パンドラの箱を開けたのだ──と万丈目は思う。ユベルから記憶を探るなと言われていたのに。
「ジェイデンくんは今、自分の名前もどのように生きてきたかもよく覚えていないようです。ただユベルのことはわかりますし、ユベルの言うことも今は聞いています。でもユベルが言うには、精霊を操る力が暴走して、人間に悪影響があると……」
浦川が説明する。
「悪影響?」
「さっきは、彼がお腹がすいたと言ったら、全員が自分の食べ物を彼に差し出して、その間の記憶がなくなりました。気がついたら、お弁当とかお菓子とかがジェイデンくんの周りに置かれてて……」
「おそらくですが、精霊を操るという力が人間にも及んで、何気ない言葉でも操られてしまうようです。それと精霊を実体化させる力の暴走もあり、近くにいた精霊が実体化しました。今は念のため休憩室にひとりでいます」
時雨が続きを話した。
「今回の件、なるべく秘密裏に処理をしたいと考えています。我我は精霊を操る力というのが、精霊が彼に付き従う──マスターとして好かれやすい体質といった程度の意味だと思っていました。精霊や人間に強制的な命令ができる能力だとしたら悪用したがる人間はごまんといるでしょう。この話はくれぐれも内密に」
「はい」
十代がいるという休憩室に入ると、十代はお菓子を食べていた。無表情なその目は金色をして、ユベルとハネクリボーが実体化していた。
「十代。彼が万丈目だ。覚えているかい?」
ユベルに言われて十代は万丈目を見たが、黙って首を横に振った。
「ユベルのことは覚えているそうだが、どのくらい忘れているんだ?」
「……自分の宿命のことは覚えていたよ。たぶん……人間としての記憶がなくなった」
人間として──。
「覇王としての記憶ならある、ということか?」
「そこもぼんやりとしか覚えてないみたいだ。暗黒界の連中をまとめてたこと、十二次元世界をかけてボクとデュエルしたこと、ダークネスと戦ったことあたりはなんとなく覚えてて、でもその経緯がなんだったのか、みたいな部分は忘れてる」
「アタシたちのことも忘れちゃったかしら?」
おジャマ・イエローが顔を出す。十代はイエローをじっと見つめた。
「覚えてるか?」
首を横に振る。
「……ちょっとこっちに」
ユベルがイエローに手招きした。
「え? なあに?」
イエローはやや腰の引けた様子ながらもユベルに近づいた。
「実体化しないな。十代、ボクとハネクリボーの実体化も解いてみてくれ」
十代は首を傾げた。
「今キミのエネルギーがボクたちに流れてる状態だ。それを引き上げるのをイメージしてみて」
そう言われて、十代は机に乗っているハネクリボーをじっと見つめた。ハネクリボーの姿が半透明になる。
「うまいね。ボクもやってみて」
ユベルの姿はすぐに半透明になった。精霊の実体化はコントロールできるようになったようだ。
「あとは命令してしまう力か……万丈目、ちょっと協力してくれ。十代、彼にその鞄を渡せ、と」
ユベルは万丈目の返事も聞かずにそう言った。金色の目が万丈目を見る
「その鞄を渡せ」
十代はそう言ったが、別に鞄を渡したくはならなかった。
「大丈夫そうだな」
「もう少し強めに言って」
「おい、人体実験するな」
まったくユベルはひとをなんだと思っているのか。
「ん?」
万丈目は気がついたら十代の近くにいた。十代は万丈目の鞄を持っている。
「──オレが渡したのか?」
十代は頷く。万丈目に鞄を返した。
「もう一回やってみて」
ユベルが言い、万丈目は気がついたら十代に鞄を渡した後だった。万丈目は十代に何を言われたのか、何をしたのかも覚えていない。
「お──おい、そんな力があるのか」
「そうみたいだなあ」
「みたいって」
「精霊なら多少言うことを聞かせられたが、人間に効いてしかも記憶までなくなるなんてのは初耳だ」
「なんで自分の力なのに知らないんだ」
「単純に気づかなかったんだろ。他人に命令する必要なんてないし」
日常生活にあたり、確かにそんな機会はないか。
「命令するには単に言葉にするんじゃなくエネルギーを載せないと作用しないようだから、知らなかったら使うこともできなかったんだろう」
「さっきお腹がすいたと言ったら研究室のメンバーが従ってしまったのは?」
「あれは精霊を実体化させたりとエネルギーが放出されているときに言葉にしたから命令になってしまったんじゃないかと思う」
「なら日常生活に問題はないのか」
「制御できるならね。十代はよほど緊急時でもなきゃ無理矢理精霊に命令なんてしないよ。人間に使えたって同じだ。でも記憶がない今、コントロールがしっかりできるかは心配だ。さっきは『お腹がすいた』という言葉だったからなんの害もなかったが、喧嘩の拍子に『いなくなれ』なんて言ったら相手はどうなる? その場から立ち去る程度なら害もないが」
それ以上のことをさせてしまうかもしれない──。
「記憶が戻るまではあまり刺激のない場所でじっとしているか、逆に力を使っても問題ない精霊界に行くか、どちらかがいいとボクは思う。十代はどうしたい?」
ユベルに訊ねられて、十代は首を傾げた。
「十代、別にもうしゃべっていいよ。さっきみたいにエネルギーを載せないように気をつけて」
「……どちらでもいい。やるべきときにやるべきことができるなら」
十代は静かにそう答えた。声に感情の起伏が少ない。万丈目は「覇王十代」を見ていないが、あの頃の彼はこんな調子だったのだろうか?
「精霊界ならボクが面倒見てやれるが……」
部屋のドアがノックされた。若い女性がドアを開ける。
「失礼します! わ、本当に万丈目サンダー……初めまして! 雪村です!」
雪村の手には弁当屋のロゴが入った袋があった。後ろからは四十代ほどの男性が入ってくる。
「八敷と申します。よければ万丈目さんもお弁当食べませんか? 余分に買ってありますから」
十代が腹をすかせているから二人で弁当を買いに出ていたそうだ。幕の内弁当と十代用にと大盛りのミックスフライ弁当を渡された。
「万丈目さん、こんなときにすみませんが、息子がファンなのでサインを頂いてもいいですか?」
八敷に頼まれ万丈目は息子の名前入りのサインをする。息子は現在デュエルアカデミアの一年生なのだそうだ。
自前の弁当のある浦川と時雨も含め、休憩室で少し遅い昼食をとる。十代は食欲は通常どおりあるようだった。
「ケントさん、万丈目さんを見て何か思い出したりしました?」
雪村が訊ねる。十代は黙って首を横に振った。
「そう簡単には戻らないですかねえ」
雪村は残念そうにしながら大盛りの唐揚げを一つかじった。小柄な女性だがよく食べるようだ。
「万丈目さん、ジェイデンくんとは話せました?」
時雨が訊ねる。時雨は手製のサンドイッチだ。
「ええ──はい」
少ししか話していない。ユベルの実験に付き合っただけだ。
「大丈夫そうなら、家でいつも通り過ごした方が記憶が戻るかもしれないと思うのですが」
「うちに帰るのでいいか?」
十代は感情の読めない瞳で万丈目を見て、やはり首を傾げた。記憶を失って、自分で判断することができないのだろうか?
「先程は……ユベルが精霊界に行くかと言っていましたが、本人も決めかねているようです」
人が多いからかユベルを含め他の精霊たちは現在全員引っ込んでいた。
「精霊界ですか……ユベルが面倒を見るならそれも安全ですかね?」
浦川が言った。
「うちに帰った方がいいですよ! 新婚さんなんだから一緒に過ごさないと!」
雪村が言った。八敷も頷いた。
「そうだね。ボクも万丈目さんと一緒にいる方がいいと思うな。もちろん万丈目さんが大丈夫ならですけど」
「……一緒に帰るか?」
改めてそう言うと、十代は表情を変えずに頷いた。
◇◆◇
「十代、大丈夫?」
ユベルが気遣わしげにこちらを見ていた。頭が痛む。目の前にはヒビが入ったような線が見える。顔に何かついていたから、まずはそれを外した。倒れていた身体を起こす。
「無理しないで」
「どこか痛む?」
「大丈夫ですか?」
「眼鏡割れちゃったね」
気がついたら、ユベル以外にも人間の老若男女と精霊たちが周りを取り囲んでいた。
「ジェイデンくん、痛むところは?」
初老の女が訊ねる。ジェイデンという名に聞き覚えはないが状況からして自分に向けているのだろう。
「頭が少し」
「結構な勢いで倒れましたもん。どうしよう、お医者様……」
若い女が初老の女を見た。指示をあおいでいるようだった。初老の女が首を横に振る。
「いえ、少し様子を見ましょう」
初老の女の横には白い狼のような精霊がいた。じっとこちらを見ている。
「今日は帰って休んでください。万丈目さんに連絡しましょうか?」
「マンジョウメ?」
「え──」
初老の女が目を見開いた。
「あ、頭打ったからですか? 万丈目さんとはこの前結婚したばかりじゃないですかあ! ケントさんあたしのことはわかります?」
若い女が自分を指差した。そばには炎の目玉のような精霊が飛び回っていた。よくわからないので首を横に振る。
「記憶喪失っすか!」
「ジェイデン、ボクは?」
男が自分を指差した。髭をたくわえた顔は年齢の判別がつかない。覚えはやはりなかった。
「ボクはわかるかい?」
ユベルも自分を指差す。
「ユベルだ」
「自分のことは?」
自分──命を育むやさしい闇、正しき闇の力を使い、宇宙を滅びから守る者。つまりは。
「覇王だ」
「名前は?」
「さっきユベルが呼んでいたなら十代だろう」
ジェイデンだのケントだのとも呼ばれているが。
「……今自分が何歳かわかる?」
「いや……」
よくわからなかった。
「逆になんならわかるんすか? 浦川さんや室長もわかんないですか? あ、精霊たちは?」
若い女はまくし立てたがどれもわからなかった。室長は初老の女のことらしかった。浦川は初老の女と若い女の中間くらいの年頃の女のことのようだ。浦川にはモモンガとムササビ、ビーバーの精霊が憑いている。
「浦川、十代はその資料の写真を見た途端に倒れたみたいだ」
「これですか?」
ユベルに言われて浦川は床に落ちていた紙の束を拾った。
「なんですか、それ」
「ジェイデンくんに頼まれて記憶に関するものを集めてたんです」
若い女に訊かれて浦川が答えた。
見せて、と男が浦川から紙の束を受け取る。
「写真……これかな? 悪霊封じの儀式……悪霊を封じるとその悪霊の記憶もなくなる……この魔方陣とかに影響された……か?」
ふわりと茶色の毛玉に白い羽根の生えた精霊が飛んでくる。黒い目が不安そうにこちらを見ていた。
「十代、彼がわかる?」
「……いや、わからない」
「なぜボクはわかるの?」
なぜ? 魂の片割れ。我が半身。忘れるべくもない。
「半身を忘れたりはしない」
「つまりは、ボクと覇王の宿命には覚えがあるということ?」
「そう──だと思う」
「なるほど」
「何かわかりました?」
室長が訊ねる。
「人間としての記憶が消えたかもしれない。原因がその儀式の資料なのか、過去に記憶操作を受けたからかはわからないけど」
「八敷さん、その儀式についてもっと詳しく調べてください」
室長が言った。男がはいと返事をする。彼女はこの場のリーダーのようだった。
「雪村さん、あなたは医療のことを調べてください。二十年ほど前に記憶操作技術が使われていた時期があります。その措置の予後の記録と現在の研究状況について」
「わかりました!」
若い女は雪村というようだった。
「雪村さん、その記憶操作技術ってたぶんこの中に……ああ、これです」
「ありがとうございます」
浦川は先程の資料の中から紙を数枚抜き出して雪村に渡した。
「浦川さんは万丈目さんにここに来るように連絡してください。とりあえず倒れたことだけ伝えて、詳細はここに着いてから。あとは二人のサポートを」
「はい、わかりました」
三人は各各の机に戻る。室長にジェイデンくんも座ってと言われて近くにあった椅子に座った。人数からして、この椅子と目の前の机が自分に配されたものなのだろうと推測できる。
「わたしはここの室長の時雨といいます。ここはインダストリアル・イリュージョン社の精霊研究室。あなたはここでジェイデン・ケントという名前で働いています。仕事はいろいろありますが、あなたは主に精霊と人間の間を取り持つことをやってくれています」
時雨はそう説明した。
「あちらで電話してるのが浦川さん。男の人が八敷さん。あちらの女性が雪村さん。八敷さん以外は精霊が見えます。三年ほど前に配属になった雪村さん以外はあなたと十年ほど一緒に仕事をしています」
十年という時間は人間にとって短くはない。ここの人間は信用してもいいのだろうと思う。
「室長、万丈目さんに連絡取れました。すぐこちらに来るそうです」
「わかりました。もうしばらくしたら、ご家族の万丈目さんが迎えにきますから。万丈目さんのことは万丈目さんに聞いてください。あとは何か気になることはありますか?」
「いや……あ、お腹がすいた」
「そりゃキミ、いつまでも精霊を実体化させてるからだ。早くやめな」
ユベルは呆れたように言った。
「……どうやったらいいかわからない」
「そうなの? じゃあ力を引き上げるような……え?」
ユベルが驚く。人間たちがまた周りを囲み、巾着や何か入った袋を机に置いた。皆一様に黙り込み無表情だ。先程と雰囲気が違う。
どうしたのか黙って見ていると、突然全員がはっとした顔をした。
「……えっ? 何? あたし自分の机に戻ったのに……」
雪村がキョロキョロ周りを見る。
「……お弁当なんでこんな場所に……?」
浦川が呟く。先程置いた巾着をまた手に取った。八敷が首を傾げる。
「ボクもおやつを持ってきてる……」
「あれ? あたしのお菓子も……」
どうやら持ってきたものの中身は食べ物だったらしい。
「ジェイデンくん、さっきの質問なんと答えました?」
室長が訊ねる。答えようとするとユベルに止められた。
「十代、キミはしばらく黙っててくれ」
そう言われたから頷いた。
「さっき十代は『お腹がすいた』と言った。精霊を操る力が暴走して人間にも悪影響があるみたいだ」
「それでボクたちは食べ物を持ってきちゃったのか……。まあ、とりあえずこれはあげるよ」
「あたしのもどうぞ」
八敷と雪村は菓子の袋を渡してきた。
「ありがとう」
ユベルが礼を言った。
「また何かあるといけないし、ボクたち別の部屋にいるよ」
「では休憩室に。ジェイデンくん、何か用意しますから待っていてください。雪村さん、ちょっとお弁当を買ってきてもらえる? お金はこれを。お昼時だしジェイデンくんだけじゃなく万丈目さんの分も。あなたもついでに好きなもの買ってちょうだい。もし万丈目さんがいらなかったらその分は夕飯にでももらってくれる?」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「室長、ボクも一緒に行っていいですか?」
「どうぞ。あなたの分は出しませんよ」
「承知してます。雪村さん、ついでにちょっとスーパー寄ってくれません?」
「スーパー?」
「色紙がほしいんだ。万丈目さんのサインほしくて。車代にお菓子買ってあげるから」
「喜んで! ケントさん、休憩室の場所わかります? 一緒に行きましょうか」
雪村に言われて、八敷と共に部屋を出ようとする。
「あ、雪村さん、アイちゃんを置いていかないと……」
浦川が声をかける。
「あ、そっか。……あれ? 浦川さんのモモンガ、もう透けてますよ」
「え? 本当だ。室長も……」
「アイちゃんはまだ……ってことは」
雪村は廊下に出て奥へと走った。離れていく途中で目玉の精霊が半透明になる。
「お、見えなくなった。ジェイデンと離れるといいのかな」
八敷が言う。
「ジェイデン、休憩室はそっちのドアだよ」
八敷に斜め前のドアを示されて、そちらに入った。
「……十代。ボクのことをどのくらい覚えてる?」
ふたりきりになるとユベルはそう訊ねた。
「魂の片割れ。半身。共に光の波動と戦う者。……でもキミとどう出会ったのかはよく覚えていない」
ユベルの手を取る。覚えていないことは多い。でも。
「キミを愛していることは覚えてる」
見上げた二色の目が細められた。
「ボクと融合したことは?」
「覚えてる。光の波動に歪められた魂を戻すために。キミと……十二次元宇宙の存続をかけて戦ったはずだ」
「どういう経緯で?」
経緯──そうだ、どうしてそんなことになったのだろう? 覇王の力を用いてユベルと戦った、そのことは覚えているのに。
「……そこはわからない、か。じゃ、その前に暗黒界のあたりにいたことは?」
「そのあたりに城があった……か? 精霊たちを集めて……何か、していたような……」
「そこもぼんやりか。デュエルアカデミアにいた頃のことは?」
「デュエルアカデミア?」
「破滅の光と戦ったことは?」
「……キミが取り憑かれたのとは別の、ということ?」
二色の目がこちらを覗き込む。
「……なんなら覚えてるんだ? ダークネスは?」
「ダークネスは──覚えている。人間すべてを飲み込もうとしていたのを止めた」
「ダークネスはデュエルアカデミアに現れたが……それも覚えてないか」
「そのデュエルアカデミアというのは?」
「キミの通ってた学校。もう卒業から十年経つけど」
「ガッコウ?」
「子供が学ぶ場所だよ。デュエルアカデミアはデュエルを学ぶ場所だ。キミは十五歳から十八歳の三年間そこに通った。今のキミは確か二十八歳で……書類上は二十三歳だ。ちょっと面倒なことが起きて、遊城十代という日本人としては死に、今はアメリカ人のジェイデン・ケントだ」
「ああ──さっき室長がジェイデン・ケント『という名前で』と言ったのはそれか」
「三年前からそうだ。とりあえず、今はジェイデン・ケントと名乗ると覚えておいて。面倒なことの詳細は長くなるから今は話さないけど、それに関連してボクを含めキミの精霊はここ以外では外に出ないようにしてるんだ。魂の中では話せるから、外に出たらそのつもりで」
「わかった」
「人間の生活についての細かいことは万丈目に聞いてくれ。万丈目っていうのは今のキミの配偶者で」
「ハイグウシャ?」
「結婚相手のことだ」
「ケッコンアイテ?」
ユベルは面倒そうに顔をしかめた。
「……万丈目に聞いてくれ」
どうやら人間としての知識もまばらに失われているようだった。
「まあ、お菓子でも食べて待っていなよ。幸い今は光の波動もおとなしいし、記憶が戻らなくても焦ることはない」
「そうか」
人間の記憶など本当はどちらでもいい。ただ、これまでの経験が失われたことは光の波動との戦いにあたり大いに不利だろう。そのためには早く取り戻さねばなるまい。
2025/08/10
