日記
GXアニメ132〜136話をまだ考えている
2026/08/22 22:58GXアニメ感想
まだ132〜136話あたりのことを考えていて、続きを見れていません。
初見の時は132〜136話は「十代と友達とのギスギスがつらい」と見るのつらかったけど(いや見直してもつらいけど)、これは「十代の苦しみに寄り添えず、期待を抱いたままの友達」と「友達に自らの苦しみを話せず、期待を受け止めきれない十代」の「崩壊の物語」で物語においては起承転結の「転」なんだよなって部分に納得ができました。初見時は「どうしていきなりこんなことに……」って思ったけど、GXは一期はまだしも二期は「友達に自分の苦しみを話せない十代」と「(十代が話さないので)十代の苦しみに寄り添わない(寄り添えない)友達」を描いていたし、万丈目サンダーやヘルカイザー亮で「挫折によって強さを希求し違う自分へと生まれ変わる」みたいな変化が描かれてきてる。GXの物語全体から見ると「唐突な展開」でもなんでもなく「これまでもずっとそうだった」なんだよなと。二期まではコミカルな話が多かったりしてスルーされてきた「十代は友達を頼れない」「友達は敵に囚われたり操られたりしやすいし、十代に頼りがち」がここに来て最悪の結果をもたらしたんだなって……。なんというか、「少年漫画アニメの王道的な展開」として「これまで頼られていた主人公がピンチになったとき、これまで主人公を頼っていた仲間たちが主人公を助ける側になる」というのがあると思うけど、GXはそれをやらずに容赦なく「これまでずっとそうだった」を突きつけてるだけなのかなって……(だから十代を助ける役割は留学生たちに振られている。彼らはそれまでの積み重ねがないので)。いや二期までの「落ち込んでも精霊たちに助けられたりして頑張る十代」「そんな十代を頼りにしている友達」として明るく描かれてきたものが「そんなわけでみんな操られやすいし闇のデュエルとかに慣れてないから十代を助けられないし、十代は一人でなんとかしようとした結果失敗して友達から見限られます。これまでのコミュニケーション不足が災いしましたね」になるとは普通思わないでしょ……てなるけどそこに関してはこれまでの物語と矛盾がない展開なんだよな……と(暗黒界のモンスターを知ってたり知らなかったりといった細かい矛盾はあるけど……)。二期までコミカルな描写が多いから三期のシリアスさが唐突に見えるだけで、二期から下積み自体はしっかりされてきているんだなあ……。
初見はヨハンとかそんなに気の合う設定なら初期から居たほうがよくない? と思ったけど見返すと「友達からは期待を寄せられて内心孤独だった十代の隙間に入り込んだ」キャラクターなのかなとか……めちゃくちゃ必死にヨハンを探すのは「オレが頼ってしまったのが悪かった」という後悔からで、「やっぱりオレは一人で戦わなきゃいけなかった」と思い詰めた結果が覇王十代……と「突然登場したキャラクター」であることにちゃんと意味があるのかなと今は思う。これが一年生から相棒として存在してたキャラクターだと十代は「誰かを頼る」ことに慣れてヨハン以外に助けを求めたり「ヨハンがいてさえ勝てないならオレ一人でどうなる?」と冷静に立ち止まったりして、現在の物語にはならないのではないだろうか。思えば十代は「重要な局面でタッグデュエルだった」ことがVS美寿知の一回しかなく、それも十代がエドに助けや協力を求めたのではなく「美寿知が十代とエドを指名した」からタッグを組んだので、ストーリー上「十代が自ら誰かを頼ってタッグを組んだ」ことがない……ヨハンも飛び入り参加。十代は誰かと協力した成功体験が少ないのかもしれない……。
初見はなんで万丈目ってライバルなのに十代を止めるような役割じゃないんだろうな〜と思ったんだけど、そもそも万丈目は自分しか見えてなくて十代のことはあまり見てないからだろうなと思ったりする。61話が顕著だけど落ち込む十代にかける言葉が「オレは這い上がったぞ」なのは、十代の気持ちを考えずに「自分がどうだったか」の話しかしてないんだよな。本人として「発破をかける『つもり』」でも届かない言葉なら意味がない。同じ精霊の見える者同士「見えないと寂しいよな」とか共感を示したりしたらまた違ったのだろうか……まあそれができるなら133話で十代はなんなんだとか言わずに「ヨハンが心配だな」って共感を示して少しは十代の気を落ち着かせることができたかもしれない……。
これは万丈目だけじゃなく他のキャラクターも誰もそういう共感を示さない。誰も十代を見ていない。作中明確に十代に惹かれていると描写される明日香さえ自分の気持ちを一方的に言うだけで十代の気持ちを考えない(これは四期のペアデュエル回前半も同じ)。でもこれ十七〜八歳の少年少女としてはそういう言動になるだろうなという納得感もあり……相手の気持ちを慮るより前に「自分の感情」の方が来てしまうのは思春期の子供の感情として自然だと思う。特に132話〜は自分だって安全な状態じゃないのに他人を慮るのは難しい。だったらついてこなきゃいいのになと思ってしまうけど「力になれるはず」という根拠のない自信を持っているのも少年少女だなあと……ってそう言い出すと134話あたりの主体性のなさとかも「十代への憧れとかから目の曇った思春期少年少女だから」でいいのか……いや実際目が曇ってると思うみんな……状況を見て考えずにただ「十代についていけばいい」になるのは……。
思えばGXは「遊城十代と彼に影響される少年少女たちの物語」であって、その影響はプラスもマイナスもあると描いた上で、四期は学園からの卒業と同時に他のキャラクターにとっては「遊城十代からの卒業」を描いていたのかもしれないなあ……。翔はアニキと慕った十代に頼っていた一年生から、三年生では本当の兄である亮を支える側になる。明日香も「いいライバルでいましょう」という恋愛への幕引きは本当に「遊城十代からの卒業」という感じ。明日香と十代は作中「心の交流」があまりなく前作の杏子が「恋愛ヒロイン」だったのに対して明日香は「ライバルヒロイン」だなあと思ったり……。万丈目はプロになることで「十代に勝ちたい」という固執から抜け出したのかもしれない。十代だけにこだわる必要がなくなったというか。おジャ万丈目戦は実質勝ってるし。
四期、万丈目たちが「自分たちも手伝う」と言いながらも何もできてないなと思ったんだけど、あれ三期においては「闇雲についていっただけ」な状態から「十代の背負うものを見た上で友達が協力を申し出た」ことに意味があり、結果に関してはどうでもいいのかもしれない。「闇雲についていく」から「主体性ある協力」に変化したという成長そのものに意味がある的な。
こうやって見直して改めて気づいたり納得したりできることって本当にたくさんあるなあと思います。そもそもGXはちょっとわかりにくい箇所が多めな気がする……重要な設定なのに少ししか言及しないとかブラフがあるとか……特に覇王関連……。この先の話だって覇王十代に「心の闇なんかいらない」というズレた説得をするのではなく、覇王について精霊から「覇王は正しい闇の力で光の波動から宇宙を守る存在なのにどうしたんだろう?」みたいな話をジムたちが聞いて「闇の力を正しく使うんだ十代!」みたいにしてデュエルする方が物語がわかりやすくなるわけで……。155話で一気に情報開示するという展開をやりたかったんだろうとは思うけど、「数分の回想で終わらせる」には覇王の本来の設定が重要すぎると個人的には思う。特に二十年前の動画配信もない時代、リアタイでほんの少し聞き逃したりしたらビデオ録画してなきゃもうわからなくなるんだから、重要な設定は繰り返し出した方がよくない? 二年生の頃から「正しい闇の力を正しく使う」みたいな話をしばしば入れたらよかったのでは? ただそれやると「デュエルを楽しむ少年」というキャラクター性よりも「デュエルで世界を守る少年」が強くなりすぎてしまうから避けた気もする……。十代の軽やかさみたいなのが今のようには描けないというか……。制作側の意図として十代を「ヒーロー」より「デュエルを楽しむ少年」として描こうとしてる気がします。「デュエルを楽しむ少年(実はヒーローでもある)」くらいの塩梅?
GXの全180話好きだけども、もしこうだったら系は言ったら尽きない(二期の敵対がもっと魅力的ならなあとか……)。でも、そのもしもを考えると「いや、そうなるとこっちで筋が通らないな」という「本編の整合性」とか「制作側の描きたいであろうもの」なんかを考えて、やっぱりそのままが一番なんだよな〜と思ったりします。
初見の時は132〜136話は「十代と友達とのギスギスがつらい」と見るのつらかったけど(いや見直してもつらいけど)、これは「十代の苦しみに寄り添えず、期待を抱いたままの友達」と「友達に自らの苦しみを話せず、期待を受け止めきれない十代」の「崩壊の物語」で物語においては起承転結の「転」なんだよなって部分に納得ができました。初見時は「どうしていきなりこんなことに……」って思ったけど、GXは一期はまだしも二期は「友達に自分の苦しみを話せない十代」と「(十代が話さないので)十代の苦しみに寄り添わない(寄り添えない)友達」を描いていたし、万丈目サンダーやヘルカイザー亮で「挫折によって強さを希求し違う自分へと生まれ変わる」みたいな変化が描かれてきてる。GXの物語全体から見ると「唐突な展開」でもなんでもなく「これまでもずっとそうだった」なんだよなと。二期まではコミカルな話が多かったりしてスルーされてきた「十代は友達を頼れない」「友達は敵に囚われたり操られたりしやすいし、十代に頼りがち」がここに来て最悪の結果をもたらしたんだなって……。なんというか、「少年漫画アニメの王道的な展開」として「これまで頼られていた主人公がピンチになったとき、これまで主人公を頼っていた仲間たちが主人公を助ける側になる」というのがあると思うけど、GXはそれをやらずに容赦なく「これまでずっとそうだった」を突きつけてるだけなのかなって……(だから十代を助ける役割は留学生たちに振られている。彼らはそれまでの積み重ねがないので)。いや二期までの「落ち込んでも精霊たちに助けられたりして頑張る十代」「そんな十代を頼りにしている友達」として明るく描かれてきたものが「そんなわけでみんな操られやすいし闇のデュエルとかに慣れてないから十代を助けられないし、十代は一人でなんとかしようとした結果失敗して友達から見限られます。これまでのコミュニケーション不足が災いしましたね」になるとは普通思わないでしょ……てなるけどそこに関してはこれまでの物語と矛盾がない展開なんだよな……と(暗黒界のモンスターを知ってたり知らなかったりといった細かい矛盾はあるけど……)。二期までコミカルな描写が多いから三期のシリアスさが唐突に見えるだけで、二期から下積み自体はしっかりされてきているんだなあ……。
初見はヨハンとかそんなに気の合う設定なら初期から居たほうがよくない? と思ったけど見返すと「友達からは期待を寄せられて内心孤独だった十代の隙間に入り込んだ」キャラクターなのかなとか……めちゃくちゃ必死にヨハンを探すのは「オレが頼ってしまったのが悪かった」という後悔からで、「やっぱりオレは一人で戦わなきゃいけなかった」と思い詰めた結果が覇王十代……と「突然登場したキャラクター」であることにちゃんと意味があるのかなと今は思う。これが一年生から相棒として存在してたキャラクターだと十代は「誰かを頼る」ことに慣れてヨハン以外に助けを求めたり「ヨハンがいてさえ勝てないならオレ一人でどうなる?」と冷静に立ち止まったりして、現在の物語にはならないのではないだろうか。思えば十代は「重要な局面でタッグデュエルだった」ことがVS美寿知の一回しかなく、それも十代がエドに助けや協力を求めたのではなく「美寿知が十代とエドを指名した」からタッグを組んだので、ストーリー上「十代が自ら誰かを頼ってタッグを組んだ」ことがない……ヨハンも飛び入り参加。十代は誰かと協力した成功体験が少ないのかもしれない……。
初見はなんで万丈目ってライバルなのに十代を止めるような役割じゃないんだろうな〜と思ったんだけど、そもそも万丈目は自分しか見えてなくて十代のことはあまり見てないからだろうなと思ったりする。61話が顕著だけど落ち込む十代にかける言葉が「オレは這い上がったぞ」なのは、十代の気持ちを考えずに「自分がどうだったか」の話しかしてないんだよな。本人として「発破をかける『つもり』」でも届かない言葉なら意味がない。同じ精霊の見える者同士「見えないと寂しいよな」とか共感を示したりしたらまた違ったのだろうか……まあそれができるなら133話で十代はなんなんだとか言わずに「ヨハンが心配だな」って共感を示して少しは十代の気を落ち着かせることができたかもしれない……。
これは万丈目だけじゃなく他のキャラクターも誰もそういう共感を示さない。誰も十代を見ていない。作中明確に十代に惹かれていると描写される明日香さえ自分の気持ちを一方的に言うだけで十代の気持ちを考えない(これは四期のペアデュエル回前半も同じ)。でもこれ十七〜八歳の少年少女としてはそういう言動になるだろうなという納得感もあり……相手の気持ちを慮るより前に「自分の感情」の方が来てしまうのは思春期の子供の感情として自然だと思う。特に132話〜は自分だって安全な状態じゃないのに他人を慮るのは難しい。だったらついてこなきゃいいのになと思ってしまうけど「力になれるはず」という根拠のない自信を持っているのも少年少女だなあと……ってそう言い出すと134話あたりの主体性のなさとかも「十代への憧れとかから目の曇った思春期少年少女だから」でいいのか……いや実際目が曇ってると思うみんな……状況を見て考えずにただ「十代についていけばいい」になるのは……。
思えばGXは「遊城十代と彼に影響される少年少女たちの物語」であって、その影響はプラスもマイナスもあると描いた上で、四期は学園からの卒業と同時に他のキャラクターにとっては「遊城十代からの卒業」を描いていたのかもしれないなあ……。翔はアニキと慕った十代に頼っていた一年生から、三年生では本当の兄である亮を支える側になる。明日香も「いいライバルでいましょう」という恋愛への幕引きは本当に「遊城十代からの卒業」という感じ。明日香と十代は作中「心の交流」があまりなく前作の杏子が「恋愛ヒロイン」だったのに対して明日香は「ライバルヒロイン」だなあと思ったり……。万丈目はプロになることで「十代に勝ちたい」という固執から抜け出したのかもしれない。十代だけにこだわる必要がなくなったというか。おジャ万丈目戦は実質勝ってるし。
四期、万丈目たちが「自分たちも手伝う」と言いながらも何もできてないなと思ったんだけど、あれ三期においては「闇雲についていっただけ」な状態から「十代の背負うものを見た上で友達が協力を申し出た」ことに意味があり、結果に関してはどうでもいいのかもしれない。「闇雲についていく」から「主体性ある協力」に変化したという成長そのものに意味がある的な。
こうやって見直して改めて気づいたり納得したりできることって本当にたくさんあるなあと思います。そもそもGXはちょっとわかりにくい箇所が多めな気がする……重要な設定なのに少ししか言及しないとかブラフがあるとか……特に覇王関連……。この先の話だって覇王十代に「心の闇なんかいらない」というズレた説得をするのではなく、覇王について精霊から「覇王は正しい闇の力で光の波動から宇宙を守る存在なのにどうしたんだろう?」みたいな話をジムたちが聞いて「闇の力を正しく使うんだ十代!」みたいにしてデュエルする方が物語がわかりやすくなるわけで……。155話で一気に情報開示するという展開をやりたかったんだろうとは思うけど、「数分の回想で終わらせる」には覇王の本来の設定が重要すぎると個人的には思う。特に二十年前の動画配信もない時代、リアタイでほんの少し聞き逃したりしたらビデオ録画してなきゃもうわからなくなるんだから、重要な設定は繰り返し出した方がよくない? 二年生の頃から「正しい闇の力を正しく使う」みたいな話をしばしば入れたらよかったのでは? ただそれやると「デュエルを楽しむ少年」というキャラクター性よりも「デュエルで世界を守る少年」が強くなりすぎてしまうから避けた気もする……。十代の軽やかさみたいなのが今のようには描けないというか……。制作側の意図として十代を「ヒーロー」より「デュエルを楽しむ少年」として描こうとしてる気がします。「デュエルを楽しむ少年(実はヒーローでもある)」くらいの塩梅?
GXの全180話好きだけども、もしこうだったら系は言ったら尽きない(二期の敵対がもっと魅力的ならなあとか……)。でも、そのもしもを考えると「いや、そうなるとこっちで筋が通らないな」という「本編の整合性」とか「制作側の描きたいであろうもの」なんかを考えて、やっぱりそのままが一番なんだよな〜と思ったりします。