刀剣乱舞の夢小説
スマホから出てきた加州清光が助けてくれる話
「はあ……」
何度目かわからないため息をついた。地図アプリとにらめっこをしながら、もう何分歩いただろうか。ビル街の景色は、どんなに道を歩いても曲がっても似たり寄ったりに見える。
時計を見る。開場時間まで、まだ十分に時間はあった。自分が迷子になることを想定して早めに行動したのは正解だったようだ。
……いや、そもそも迷子にならないのが正解なんだけど。
わたしはまたため息をついた。
せっかくミュージカルのチケットが取れて天にも昇る気持ちだったのに、今の気分は地の底だ。しかしどんなに地図アプリとにらめっこしても、このままでは劇場にたどり着ける気がしない。
仕方ない、お金はもったいないけどタクシーに乗ろう。友達との待ち合わせには遅れたくないし、迷子になったらプロに道を任せるのが一番だ。
地図アプリに落としていた視線を道路に向ける。──タクシーどころか、車の一台も走っていない。いつの間にか、大きな通りから少し奥まった道に入っていたようだ。
……てか、人もいないじゃん……。
少し前までは、歩いている人もいたはずだが。ビルに囲まれた道は薄暗く、誰もいないと気味が悪い。とりあえず来た道を戻ろうと、振り向く。
「あれ……?」
大通りを曲がってきたから、向こうにはそれが見えると思ったのに。振り向く前と似たような景色だ。少しずつ道が曲がっていて、大通りが見えなくなったのだろうか。
ともかく、歩いていけば戻れるだろう。来た道を引き返す。
大通りでタクシーをつかまえて、劇場の名前を言えばすぐ連れていってくれるだろう。そう思っていた。
……でも、歩いても歩いても、大通りは見えてこなかった。それどころか、景色がろくに変わっていないような……。
ぞっとして、いやいや勘違いだと首を振る。ビルなんてどれも同じに見えるから、そのせいだろう。疲れて気弱になっているだけだ。
もう大通りに行くのは諦めて、電話でタクシーを呼んでしまおう。
「えっ……」
圏外。こんな街中で?
……ビルが邪魔して、電波がうまく入らないだけだ。そうに決まっている。なんか、そういう話聞いたことあるし、うん。
だから、さっきから車の一台も見かけないのも、人っ子一人見ないのも、全部偶然だ。たまたま車が来なくて、たまたま人がいないだけ……。
そう思おうとしても、お腹の底から恐怖がわき上がってくる。なんでこんな街中で、車が一台もいないの。なんで、誰も歩いてないの。少し前まではたくさん人がいたはずなのに。
怖くなって、目の前のビルに入ろうとする。ただのビジネスビルで無関係なわたしが入っていい場所ではないが、今はいかつい顔の警備員でもいいから人間を見たい。でも、自動ドアはぴたりと閉まっていて動く気配はない。
──このビルは、今日は休業日で閉めてあるんだ、きっと。
そう自分に言い聞かせて、次のビルの入り口に向かう。開かない。次のビルも、次のビルも──どこも同じだ。今日は平日のはずなのに。
この日のために、わざわざ休みをとって来たのだ。駅にはたくさんサラリーマンがいた。なのに、どうして。
──見られてる。
突然そう感じた。振り向いて辺りを見回すけれど誰もいない。
ピコン、と通知音が鳴った。スマホからだ。
『刀剣乱舞:準備完了。アプリを起動してください』
準備完了? こんな通知は初めて見た。また、通知音が鳴る。
『刀剣乱舞:アプリを起動してください』
なんだろう、この通知……。
『刀剣乱舞:左へ一歩』
「は?」
『刀剣乱舞:左へ一歩』
左へ? なんなんだこの通知は。スマホとにらめっこしていると、再び左へ一歩、と通知が来る。
……まあ、減るもんでもなし。
アプリの通知に従い、左へ一歩移動した。その瞬間、右肩に提げたトートバッグ越しに衝撃があった。
「え──」
トートバッグが、スッパリ切れている。中にあった雑誌までスッパリだ。
慌てて周りを見たけどやはり誰もいない。また通知音がした。
『刀剣乱舞:至急アプリを起動してください』
今度は至急ときた。でも、さっき左へ一歩移動しなかったら、もしかしてわたしがスッパリ切られてた……?
刀剣乱舞のアイコンをタッチする。すぐにいつものロゴマークが──出なかった。
緊急──その文字が見えたと思ったら、数字や文字がものすごい勢いで流れていく。壊れた? そう思ったけれど。
『接続成功。受信開始』
ゲームや動画でよく見かける、ダウンロード状況を示すバーが出る。
──30%、75%、90%……100%。
加州清光。
その文字にどきりとした。でも次の瞬間に画面が光って思わず目を閉じる。
「じゃ、おっぱじめるぜえ!」
ゲームのボイスが、やけにリアルな音で再生された。目を開ける。まだ目がチカチカしてよく見えない。風を切るような音だけが耳に届く。
何度もまばたきして、ようやく見えるようになる。
──さっきまで、誰もいないビル街だった場所に、赤く目を光らせる化け物たちがうごめいていた。
「こーげきい!」
が、その化け物を恐れもせず、黒いコートの青年が刀を振り回していた。それは、見覚えはあるけれど、現実で見るわけがないはずの、姿。
「かしゅう、きよみつ──」
「なあに?」
わたしを見て笑った。赤い瞳。口元のほくろ。見とれそうになるがその後ろで、大きな化け物が大きな刀を振り上げる。
「──っと、ちょっと待ってて」
彼は振り向きざまに一閃し、化け物は煙のように消えた。しかし、今度は宙に浮いている骨のお化けが飛んでくる。
「ひえっ」
わたしは身をすくめたが、そのお化けも彼が刀を振れば呆気なく砕けて消えてしまう。
立ち尽くすわたしの目の前で、黒いコートと髪をなびかせて次次と化け物を斬っていく。無数にうごめいていた気味の悪い化け物は、あっという間に全ていなくなった。
最後に、存在しない露を払うように刀を振って、鞘に納めた。
「あーるじ! 終わったよ!」
人懐っこい笑顔でわたしの傍に寄ってくる。あんな摩訶不思議な光景を目にしたのに、彼には違和感を覚えない。こうして笑ってくれるのが当たり前のような気さえした。こんな風に会うのは、初めてなのに。
「実際に会うのは初めましてだね、主。加州清光だよ」
彼もそう思ったらしく、姿勢をただして改めて挨拶をする。
「……うん。初めまして、加州清光。会えて嬉しい」
「俺も! あ、こんな緊急事態はもちろんない方がいいんだけど……」
加州はぱっと顔を明るくしてから、それを詫びるように苦笑いした。
「緊急──」
そういえば、スマホにもそう出たんだっけ。今スマホを見ると、白い画面に読み込み中みたいな円がくるくる回っている。
「……スマホから出てきたの?」
「うん? いや、じょーほーなんとかってやつで……俺もよくわかんない。ただ、これで主と俺たちが繋がってるんだって」
加州は赤い爪でスマホの画面を指した。
「……繋がってるから、稀にあいつらに居場所がばれちゃうらしいけど……」
加州は申し訳なさそうな顔をした。
「さっきのって、やっぱり時間遡行軍?」
「うん。主は実際に見たことないんだっけ」
「うん……こんな時代でも、出るんだ?」
「そーみたい。俺はよくわかんないんだけど……って、さっきからこんな返事でゴメン! 俺もついさっき、主が危ないから行けって言われたばっかなんだ」
「そうなんだ……」
加州に困った顔をさせてしまった。加州も事情はよく知らないのか。主のわたしが知らないんだから、それも当たり前なのかな。ずっとただのゲームと思って遊んでただけだし……。
会話が途切れる。でも、加州はわたしに微笑む。
「主。そろそろここから離れよう」
「うん」
加州が手を差し出した。わたしはその手にスマホを載せた。けど。
「そうじゃなくて……手を、繋ぎたいんだけど」
だめ? と加州は小首を傾げた。
だめなわけがない。ちょっと緊張しながら加州の手に自分の手を重ねた。
ちゃんと温かい、ひとの手だ。──刀剣男士の体温なんて、考えたこともなかったけど。
「へへ。これが、主の手なんだね」
加州は嬉しそうに笑ってわたしの手を握った。赤い爪が鮮やかだ。
「──あれ? 加州、そういえば姿違うんだ……修行に行ったのに」
今初めて気がついた。この加州の姿は修行に出る前のものだ。うちの加州はもう極めたはずなのに。
「そーなんだよ!」
加州は、よくぞ聞いてくれた! とばかりに強く頷いた。
「過去に行くには、極の姿は情報密度がなんとかでこの姿になっちゃって……未来の俺はもっともっと可愛いの! 主のために修行してきたから」
「……うん。どっちの姿も、加州は可愛いよ。手紙もありがとう」
「読んでくれたんだ……!」
加州は目を輝かせる。……そっか、加州にしてみれば、いるかどうかわからない相手に向かって手紙を出してたんだ。なんだか申し訳なくなってしまう。
「全部読んだよ。加州だけじゃなくて、修行に出た子みんな。今もときどき読み返してる。……いつも一方通行でごめんね……」
「いーの、主がちゃんと読んでくれただけで嬉しい。みんなにも伝えるね! 来れたの俺だけだけど、主のこと、全部伝える!」
加州は笑ってそう言った。すごく前向きだ。わたしが後ろ向きになったらいけないよね。
「ありがとう、加州。みんなにもよろしくね」
「うん! みんなも喜ぶと思うよ。まずは、無事にここから出ないとね」
わたしは頷いて、加州と一緒に歩き出した。さっきのような心細さはないけれど、相変わらず人の気配のしない不気味なビル街だ。
「……ところで、ここはなんなのかな……わたし、道に迷っただけだと思ったんだけど……フツウの場所じゃあないよね?」
そーね、と頷いて加州は中空を見た。
「その説明は聞いてきたよ。一言で言うなら『レイヤーが違う』んだってさ」
「レイヤー……層って意味だっけ」
「そう。ってギャグじゃねえよ?」
「そう」
「そう」
一旦笑い合ってから、加州は改めて説明する。
「主のすまほの、地図あぷり? に細工して、主が本来いる場所からこっちのレイヤーに迷いこませたんだって」
「アプリに……」
ずっと使っている地図アプリだ。いつのまにそんなことが……。
「あ、そのあぷりは、もうあっぷでーと、されてると思うよ。俺と一緒に更新データを送るって言ってたから。せきゅりてぃーも、アップしてるって」
「そっか」
未来の技術をこのスマホにインストールしていいんだろうか……? 刀剣乱舞のアプリで既に繋がってるから今更かな……?
「でね、そのレイヤーを今から移動するよ。あの向こうに行けばもとのレイヤーに戻れると思う」
加州が指差したのはビルとビルの隙間だ。別になんの変哲もない路地に見える。狭いけれど、人ひとりが通るには十分だ。手を繋いだまま、路地へ入っていく。
「手、絶対離さないでね」
「うん」
移動のために手を繋いだのか。……ちょっとだけがっかりしてしまって、自分が手を繋ぐことに別の意味を見出していたことに気づく。手を握る力を少し強くした。
「大丈夫。ちゃんと戻れるから」
加州はそれをわたしが怖がっていると解釈したらしく、そう言った。
──そうじゃないのに。
……ううん。わたし、なに考えてるんだろ。
戻りたくない、なんて、ここまで助けに来てくれた加州のことを無下にしている。
「もうすぐだよ」
加州の言う通り、路地の向こうが見えてきた──が、真っ白なだけで景色は見えない。
「何もなくない?」
「レイヤー違うから、主には見えてないだけ」
「そうなの?」
ちょっと、いやだいぶ怖い……!
真っ白な壁──わたしには壁に見える──に向かって加州は歩き続け、ぶつかると思ったが壁にその姿が吸い込まれる。わたしは加州の手をぎゅっと握り、目もぎゅっとつむって歩き続けた。
ざあ、と風の音がした。と、思ったら身体がどんとぶつかる。やっぱり壁に──いや、壁にしてはやわらかい。
「大丈夫?」
目を開けると加州の赤い目が間近で心配そうにわたしを見ていた。加州が立ち止まりわたしがぶつかったようだ。
「ご、ごめん」
「怖かった?」
「壁にしか見えなくて……」
「今はもう見えてる?」
「うん……」
街路樹が風に揺れる音。遠くに車の走る音。通りには通行人。
「……ここがもとのレイヤー、だよね?」
「うん。主、さっきの地図アプリ動く?」
「えっと……うん、大丈夫」
スマホはもう元に戻っていて、地図アプリもきちんと動いている。位置情報からすると、あんなに歩いたのにここは目的地からあまり離れていない。
「俺の任務もここまでかぁ……」
少し寂しそうな声。スマホから目を上げると、加州はわたしを見て微笑む。
「主。困ったときはまた俺のこと呼んでね。飛んでくるから」
「うん」
「じゃ、名残惜しいけど……」
一度握りしめられてから、加州の手が離れる。すぐさま加州の姿が薄くなっていく。
「またね」
加州はきれいに笑って手を振る。わたしは手を伸ばしたけれどそこにはもう何もなくて指はただ宙をかく。
「加州……」
さっきまで握られていた手の温もりはまだあるような気がするのに、その姿はもう何処にもない。
──最初から幻だったみたいに。
ブーン、とスマホが震えた。今日待ち合わせしていた友達から電話だ。しまった、もう待ち合わせ時間を過ぎてる?
「もしもし? ごめん、遅れて──え?」
まだ、待ち合わせ時間ではないと言われた。腕時計を見れば、迷う前からほとんど時間が経っていない。
「──ほ、本当だ、まだ時間じゃないね……」
彼女は予定より早めに着いたが合流出来ないかと思い連絡したと言う。
「そっか、わたしももう結構近く。まだちょっとかかるけど、着いたら連絡するね」
電話を切り、スマホの時計を見る。腕時計と差異はない。
……さっきまで、わたしは結構な時間を迷っていたはずだ。加州と会ってから「こちらのレイヤー」に戻るまでも結構歩いたし、一時間くらい経っていそうなのに……。
──夢だった、とか?
スマホの通知欄を見るけれど、何回も来たはずの刀剣乱舞アプリからの通知はない。アプリを起動しても、ちゃんといつものロゴマークが出る。緊急なんて文字は何処にもない。
「僕を一番愛してくれるのは誰だろう……刀剣乱舞、始めました」
聞き慣れたボイスに、あの時のようなリアルさはない。『ゲームスタート』を押す。
「おかえりなさーい」
いつものログインボイスのあと、ごく普通に、これまでと同じように、本丸画面に遷移した。極の加州清光の立ついつもの画面で、お馴染みのボイスが流れる。
「加州……」
呼んでも、もちろん返事はない。
当たり前だ。これはただのゲームアプリで。刀剣男士が出てくるなんてあるわけないじゃないか。
──でも、繋いでいた手の温もりや、その背にぶつかった感触はまだはっきりと記憶に残っている。
「……助けてくれて、ありがとう」
お礼を言う間もなく別れてしまったから、今言った。返事なんてもちろんないけれど。
地図アプリに切り替えた。友達の待つ場所へと向かう。今度こそ迷うことなく劇場にたどり着いた。
「お待たせ。久しぶり!」
「久しぶり! ごめんね急かしちゃったみたいで」
真っ先に待ち合わせが早まったことを謝罪される。久しぶりに会ったけれど彼女は変わらず元気そうだった。お互いの近況を軽く話す。
こうして友達と話していると、さっきのことなんて夢か幻だったみたい。
「──あれ?」
彼女が私の右の方に目をやる。
「トートバッグ、破れてない?」
トートバッグを確かめれば、彼女が指摘した通り破れている。スッパリと、刃物で切られたように。
それは夢でも幻でもなく、真実ここにあるものだった。
「はあ……」
加州清光はため息をついた。
主のいる時代へ緊急出陣して、しばらく経つ。
戻って直ぐに、我らが主がいかに自分たちを思ってくれているか、見たもの聞いたもの全てを伝えんとばかりに仲間たちに話して聞かせた。皆、加州をうらやみ、主の言葉に喜び、ここが主なき本丸ではないことに安堵した。加州も皆に主のことを伝えられたことに満足した。
しかし時が経つと、加州は今のようによくため息をつくようになった。
「また会いたいなあ……」
あれから、あのほんの短い時間を何度思い出しただろうか。何年も焦がれてようやく目にした姿。やっと交わせた言葉。触れることの出来た、あたたかい手。
帰りたくないな、と助けに行ったくせに思った。
もう一度会いたい。でも。
「会わない方が、主のためだよね……」
加州が再び主に会う、ということは、主の身が危険にさらされることだ。
加州は何度目かわからないため息をつく。
「清光ー。お前、また落ち込んでんの?」
大和守安定が執務室へと来た。
「べーつーにー。落ち込んでません」
「はいはい。なんかこんのすけが荷物持ってきたから置いとくよ」
「荷物?」
安定は抱えていた箱を置いた。宛名には『加州清光様』と書いてある。
箱を開けると、中にはさらに布で包まれたものが入っていた。
「なにこれ……」
加州はその布の包みを外そうとして、袋状になっていることに気づく。そして。
「ああーーー!!!」
加州はその包みが何であるかようやく気がついた。
「なんだよ、叫ぶなよ」
安定は顔をしかめる。
「これ! 主の持ってた布の鞄!」
「え!?」
その言葉に安定は加州の傍に寄った。
「間違いないよ!」
切られた痕跡のある布の鞄から、加州はその中身を取り出す。やはり切られた痕のある分厚い本だったが、間に何か挟まっている。
「……手紙だ……」
加州清光様──と、挟まれていた封筒に書かれていた。まだ他にも封筒は挟まれていた。今度は『今剣様』と書かれた封筒……。
「骨喰、薬研、乱、五虎退、小夜……あった、大和守安定! お前のもある!」
「ほ、本当に!? 主からの手紙!?」
「ああ! こんなにたくさん……下の方は……鬼丸国綱、地蔵行平、古今伝授……これ、全員分あるよ! 本丸に来た順に、みんなの分……」
「早く見せて!」
「ばか、先に涙拭けって。手紙がしわくちゃになっちゃう」
「お前こそ!」
「俺は泣いてねぇよ! まだ……」
加州は一旦手紙を置いて目に溜まった涙を拭う。
「……みんなに報せないとね」
「うんっ!」
安定は大きく頷いて、走って皆に報せに行った。
加州は、封筒を全て本から取り出し、箱に丁寧に入れ直した。そして安定の後を追った。
加州清光様
先日は助けてくれてありがとう。お礼もろくに言えないまま別れてしまいごめんなさい。
あれから、遡行軍に遭ったりすることもなく、わたしは元気に過ごしています。あなたも、変わりないですか?
きっと返事を聞くことは出来ないでしょう。この手紙が本当に届くのかも、実は自信がありません。でもあなたに届いてほしい。もしあなたがこれを読んでくれているなら、とても嬉しいです。
あの日のことを、わたしは何度も思い返しています。翻るコートがきれいだったこと、握った手が温かかったこと、繋いだまま離したくないと思ったこと──
──って、なに書いてるの?
恥ずかしくなってノートに慌てて消しゴムをかける。さっきから、この手紙の下書きを何度もやり直している。他の刀剣たちへの手紙はスムーズに書けたのに、加州に宛てた手紙だけは恥ずかしくなって何度も書き直している。
……あと少ししか時間がない。
あの日から数日後、わたしのもとにはこんのすけがやってきた。
「審神者様。お初にお目にかかります、こんのすけでございます」
突然家の中にいたことに相当な不信感を持ったけれど、地図アプリなり刀剣乱舞アプリなりを介してやってきたのだろう、と自分を納得させた。
「……初めまして」
「突然訪問し申し訳ありません。しかし、お願いがあって参りました」
こんのすけは、先日の遡行軍の『痕跡』を回収しに来たと言った。つまり、切られたトートバッグの回収だ。
「でも……あれは大事なものだから」
手放したくなかった。だってあれは、わたしにとってあの日が夢や幻でないと証明してくれる唯一のものだ。
「もちろん、補償はいたします。同等の物品か現金を」
「モノやお金の問題じゃない。『この』トートバッグが、大事なの」
「しかし、時間遡行法で決まっておりまして……タイムパトロール法などもありますし。渡していただけないなら押収ということになりますね」
そんな法聞いたことないけど。
「……もし、引き渡したら、このトートバッグはどうなるの?」
「未来にて適切に処分します」
「処分……」
せっかく、加州と会えた証なのに。──ん?
「……この時代にこのトートバッグがなかったら、問題ないんだよね
「はい、そうですね」
「このトートバッグをわたしの本丸の加州に渡すとか……出来る?」
「それなら渡して頂けますか!?」
こんのすけがぐっと顔を近づけてくる。可愛いけどちょっと怖い。
「うん。でも、絶対わたしの加州に渡してね。トートバッグだけじゃなくて、中身も一緒に渡してね」
「中身……といっても、関係ないものは回収出来ませんよ」
こんのすけは首をかしげた。
「この雑誌。一緒に切られたけど回収対象だよね?」
「はい。そんなのもあったんですね」
「渡す前に、コピーしたいの。時間をちょうだい」
「はあ。まあ、期限は一週間ありますから、それまでなら」
そうして時間を得て、わたしは手紙を準備した。あの時切られた雑誌の間に封筒を挟み込む。これで検閲(?)を逃れられるかは、わからないけど。
全員分手紙を用意する、最後の一振りが加州清光だ。
何度も書き直すうちに、タイムリミットは刻刻と迫っていた。
一番、伝えたいことがある相手なのに。
──加州清光様。あれから、お変わりないですか? おかげさまで、わたしは元気に過ごしています。あの時は、助けてくれて本当にありがとう。直接お礼を言えなかったこと、ごめんなさい。あの時は、まだ手を離したくないとかそんなことばかり考えて──
って、だから何を書いてるのわたしは!
このままだと、加州だけ手紙なしになってしまう。一番、伝えなければならないのに。
……何を?
他の子への手紙は、すらすらと書けた。
たとえば、初期から本丸を支えてくれてありがとう、とか。修行の手紙が嬉しかった、とか。思ったことを、そのまま書けた。
──加州にだって、そうしたらいい。思ったことを。言いたいことを。それを伝えるのが手紙なんだから。
「……よし」
気を取り直して、ペンを持つ。
「では、この箱に入れてください」
こんのすけが持ってきたのは、小振りな段ボール箱だった。
「二百年後にも、段ボールは現役なんだね」
「段ボールではありませんよ。これはコンコンコン……あ、過去の人間には説明出来ないんでした」
「今の鳴き声、テレビのピー音みたいなやつなの……?」
はからずもこんのすけの不思議機能を目撃してしまった。
「ともかく、中に入れてください」
「絶対、加州に届けてね」
「はい」
段ボールそっくりな箱に入れて、封をする。こんのすけが用意した紙に宛名を書いた。
──加州清光様。
あなたの手に届くのか、自信はないけれど。届いたとしたら、あなたがなんと思うのか、不安になるけれど。
それでもあなたに伝えたいと思う。きっとこれがたった一度のチャンスだから。
箱をこんのすけに渡すと、ご協力ありがとうございましたと言ってこんのすけは消えてしまう。これでわたしの元には、もうあの時のことを証明する『物』はなにも残ってないない。
でも、加州と手を繋いだあの短い時も、みんなに手紙を書いたことも、加州への手紙に悩んだ時間も、全て紛れもなくわたしのものだ。かたちに残るものは何もなくても。
この想いだけは、ずっと。
──そう、思っていたのだけど。
ピコン、とスマホから通知音がした。
『刀剣乱舞:アプリを起動してください』
この通知は、あの時の……また何かが近くにいるの? 自分の部屋には何もおかしなものは見当たらなかったけれど、アプリを起動した。
いつものロゴマークは出ず、その変わりに『受信中』という文字が出た。今回は『緊急』ではないらしい。ダウンロード状況を示すゲージが満杯になると、狐のようなマークが出た。
「主様ー! お初にお目にかかります! こんのすけでございます」
何もないところからこんのすけが現れた。続いて、中空に桜が舞う。
「主!」
加州清光が桜の中から現れた。
「加州!」
「へへっ、また会えたね! 手紙ありがとう。みんなも喜んでたよ」
加州はぎゅっとわたしの手を握った。今度は、手袋をしている。──極の姿だ。
「しすてむあっぷでーとされて、本当の姿で来れたよ」
「うん、可愛いね」
「でしょー」
加州はにこにこと笑う。本当に可愛いなあ。
「主様! こんのすけもおりますので! 初めまして」
加州の肩にぴょんとこんのすけが乗った。
「あ、うん。この前も会ったと思うけど……」
「あれは政府所属のこんのすけです。私は本丸所属のこんのすけです」
わたしには全く見分けがつかないが、違うこんのすけらしい。
「そうなんだ……初めまして」
「それでですね~、主様。先日の地図アプリを詳しく調べたら遡行軍があのアプリをこの時代の出入口に使っていることが判明しまして……」
こんのすけは歯切れの悪い物言いだ。
「……つまり?」
「この近辺に遡行軍がいるので倒してください」
「……加州が今から行くの?」
「それがこの時代はコンコンコンコン……詳しい説明は出来ませんが、主様の近くでしか刀剣男士は活動できません。なので主様もご協力お願いします!」
ピー音機能はどのこんのすけにも搭載されているらしい。
「主、危ないと思ったら断ってもいいよ」
加州は心配そうな顔でわたしを見た。ちょっと眉を下げた顔も可愛い。
「こ、困りますよ加州さん!」
「だって主が危ない目に遭うのはやだし」
「でも、遡行軍を放っておけばいずれ審神者の主様を襲うかもしれません」
「……まあ、わたしも近隣の住民が被害に遭うのは嫌だけれど……」
「ご協力頂けますか!」
「……一個確認するけど、民間人のわたしに頼む前にそっちで努力はしているよね?」
「そ、それは~……ご協力頂ける審神者が、あまり多くなくてですねえ……」
こんのすけの耳がペタッと下を向く。
「民間人を軽率に巻き込むようなことするなって時の政府に伝えてね。前回の恩があるし協力はするけど」
「かしこまりました! ご協力感謝します!」
未来の政府にいいように使われている気がする……けど、こうしてまた加州と会えることは純粋に嬉しい。
「じゃあ加州、よろしくね」
「主がそう決めたんなら」
加州は微笑んだ。
「助かります! 例のアプリは概算八千件この時代にダウンロードされてまして」
「八千!?」
わたしが驚いて数字を繰り返すと、こんのすけはまたペタッと耳を伏せた。さっきから、その怯えた動物みたいな動きはわたしの胸に刺さるからやめて欲しい。
「あ、あの~、まあ、全部が全部主様が対応するわけでは……」
「全部じゃなくてもある程度はやるんだよね……」
「謝礼はございますので!」
謝礼の問題ではない。……でも、乗りかかってしまった船だ。
「敵が多いのはよくないことだけど……その分一緒にいれるね」
加州が笑う。わたしも、そのことについては少し喜んでしまっている。
「じゃ、行こっか」
加州は笑って、改めてわたしの手を握った。
2020/05/15 pixiv公開
2024/11/02 当サイト掲載
「はあ……」
何度目かわからないため息をついた。地図アプリとにらめっこをしながら、もう何分歩いただろうか。ビル街の景色は、どんなに道を歩いても曲がっても似たり寄ったりに見える。
時計を見る。開場時間まで、まだ十分に時間はあった。自分が迷子になることを想定して早めに行動したのは正解だったようだ。
……いや、そもそも迷子にならないのが正解なんだけど。
わたしはまたため息をついた。
せっかくミュージカルのチケットが取れて天にも昇る気持ちだったのに、今の気分は地の底だ。しかしどんなに地図アプリとにらめっこしても、このままでは劇場にたどり着ける気がしない。
仕方ない、お金はもったいないけどタクシーに乗ろう。友達との待ち合わせには遅れたくないし、迷子になったらプロに道を任せるのが一番だ。
地図アプリに落としていた視線を道路に向ける。──タクシーどころか、車の一台も走っていない。いつの間にか、大きな通りから少し奥まった道に入っていたようだ。
……てか、人もいないじゃん……。
少し前までは、歩いている人もいたはずだが。ビルに囲まれた道は薄暗く、誰もいないと気味が悪い。とりあえず来た道を戻ろうと、振り向く。
「あれ……?」
大通りを曲がってきたから、向こうにはそれが見えると思ったのに。振り向く前と似たような景色だ。少しずつ道が曲がっていて、大通りが見えなくなったのだろうか。
ともかく、歩いていけば戻れるだろう。来た道を引き返す。
大通りでタクシーをつかまえて、劇場の名前を言えばすぐ連れていってくれるだろう。そう思っていた。
……でも、歩いても歩いても、大通りは見えてこなかった。それどころか、景色がろくに変わっていないような……。
ぞっとして、いやいや勘違いだと首を振る。ビルなんてどれも同じに見えるから、そのせいだろう。疲れて気弱になっているだけだ。
もう大通りに行くのは諦めて、電話でタクシーを呼んでしまおう。
「えっ……」
圏外。こんな街中で?
……ビルが邪魔して、電波がうまく入らないだけだ。そうに決まっている。なんか、そういう話聞いたことあるし、うん。
だから、さっきから車の一台も見かけないのも、人っ子一人見ないのも、全部偶然だ。たまたま車が来なくて、たまたま人がいないだけ……。
そう思おうとしても、お腹の底から恐怖がわき上がってくる。なんでこんな街中で、車が一台もいないの。なんで、誰も歩いてないの。少し前まではたくさん人がいたはずなのに。
怖くなって、目の前のビルに入ろうとする。ただのビジネスビルで無関係なわたしが入っていい場所ではないが、今はいかつい顔の警備員でもいいから人間を見たい。でも、自動ドアはぴたりと閉まっていて動く気配はない。
──このビルは、今日は休業日で閉めてあるんだ、きっと。
そう自分に言い聞かせて、次のビルの入り口に向かう。開かない。次のビルも、次のビルも──どこも同じだ。今日は平日のはずなのに。
この日のために、わざわざ休みをとって来たのだ。駅にはたくさんサラリーマンがいた。なのに、どうして。
──見られてる。
突然そう感じた。振り向いて辺りを見回すけれど誰もいない。
ピコン、と通知音が鳴った。スマホからだ。
『刀剣乱舞:準備完了。アプリを起動してください』
準備完了? こんな通知は初めて見た。また、通知音が鳴る。
『刀剣乱舞:アプリを起動してください』
なんだろう、この通知……。
『刀剣乱舞:左へ一歩』
「は?」
『刀剣乱舞:左へ一歩』
左へ? なんなんだこの通知は。スマホとにらめっこしていると、再び左へ一歩、と通知が来る。
……まあ、減るもんでもなし。
アプリの通知に従い、左へ一歩移動した。その瞬間、右肩に提げたトートバッグ越しに衝撃があった。
「え──」
トートバッグが、スッパリ切れている。中にあった雑誌までスッパリだ。
慌てて周りを見たけどやはり誰もいない。また通知音がした。
『刀剣乱舞:至急アプリを起動してください』
今度は至急ときた。でも、さっき左へ一歩移動しなかったら、もしかしてわたしがスッパリ切られてた……?
刀剣乱舞のアイコンをタッチする。すぐにいつものロゴマークが──出なかった。
緊急──その文字が見えたと思ったら、数字や文字がものすごい勢いで流れていく。壊れた? そう思ったけれど。
『接続成功。受信開始』
ゲームや動画でよく見かける、ダウンロード状況を示すバーが出る。
──30%、75%、90%……100%。
加州清光。
その文字にどきりとした。でも次の瞬間に画面が光って思わず目を閉じる。
「じゃ、おっぱじめるぜえ!」
ゲームのボイスが、やけにリアルな音で再生された。目を開ける。まだ目がチカチカしてよく見えない。風を切るような音だけが耳に届く。
何度もまばたきして、ようやく見えるようになる。
──さっきまで、誰もいないビル街だった場所に、赤く目を光らせる化け物たちがうごめいていた。
「こーげきい!」
が、その化け物を恐れもせず、黒いコートの青年が刀を振り回していた。それは、見覚えはあるけれど、現実で見るわけがないはずの、姿。
「かしゅう、きよみつ──」
「なあに?」
わたしを見て笑った。赤い瞳。口元のほくろ。見とれそうになるがその後ろで、大きな化け物が大きな刀を振り上げる。
「──っと、ちょっと待ってて」
彼は振り向きざまに一閃し、化け物は煙のように消えた。しかし、今度は宙に浮いている骨のお化けが飛んでくる。
「ひえっ」
わたしは身をすくめたが、そのお化けも彼が刀を振れば呆気なく砕けて消えてしまう。
立ち尽くすわたしの目の前で、黒いコートと髪をなびかせて次次と化け物を斬っていく。無数にうごめいていた気味の悪い化け物は、あっという間に全ていなくなった。
最後に、存在しない露を払うように刀を振って、鞘に納めた。
「あーるじ! 終わったよ!」
人懐っこい笑顔でわたしの傍に寄ってくる。あんな摩訶不思議な光景を目にしたのに、彼には違和感を覚えない。こうして笑ってくれるのが当たり前のような気さえした。こんな風に会うのは、初めてなのに。
「実際に会うのは初めましてだね、主。加州清光だよ」
彼もそう思ったらしく、姿勢をただして改めて挨拶をする。
「……うん。初めまして、加州清光。会えて嬉しい」
「俺も! あ、こんな緊急事態はもちろんない方がいいんだけど……」
加州はぱっと顔を明るくしてから、それを詫びるように苦笑いした。
「緊急──」
そういえば、スマホにもそう出たんだっけ。今スマホを見ると、白い画面に読み込み中みたいな円がくるくる回っている。
「……スマホから出てきたの?」
「うん? いや、じょーほーなんとかってやつで……俺もよくわかんない。ただ、これで主と俺たちが繋がってるんだって」
加州は赤い爪でスマホの画面を指した。
「……繋がってるから、稀にあいつらに居場所がばれちゃうらしいけど……」
加州は申し訳なさそうな顔をした。
「さっきのって、やっぱり時間遡行軍?」
「うん。主は実際に見たことないんだっけ」
「うん……こんな時代でも、出るんだ?」
「そーみたい。俺はよくわかんないんだけど……って、さっきからこんな返事でゴメン! 俺もついさっき、主が危ないから行けって言われたばっかなんだ」
「そうなんだ……」
加州に困った顔をさせてしまった。加州も事情はよく知らないのか。主のわたしが知らないんだから、それも当たり前なのかな。ずっとただのゲームと思って遊んでただけだし……。
会話が途切れる。でも、加州はわたしに微笑む。
「主。そろそろここから離れよう」
「うん」
加州が手を差し出した。わたしはその手にスマホを載せた。けど。
「そうじゃなくて……手を、繋ぎたいんだけど」
だめ? と加州は小首を傾げた。
だめなわけがない。ちょっと緊張しながら加州の手に自分の手を重ねた。
ちゃんと温かい、ひとの手だ。──刀剣男士の体温なんて、考えたこともなかったけど。
「へへ。これが、主の手なんだね」
加州は嬉しそうに笑ってわたしの手を握った。赤い爪が鮮やかだ。
「──あれ? 加州、そういえば姿違うんだ……修行に行ったのに」
今初めて気がついた。この加州の姿は修行に出る前のものだ。うちの加州はもう極めたはずなのに。
「そーなんだよ!」
加州は、よくぞ聞いてくれた! とばかりに強く頷いた。
「過去に行くには、極の姿は情報密度がなんとかでこの姿になっちゃって……未来の俺はもっともっと可愛いの! 主のために修行してきたから」
「……うん。どっちの姿も、加州は可愛いよ。手紙もありがとう」
「読んでくれたんだ……!」
加州は目を輝かせる。……そっか、加州にしてみれば、いるかどうかわからない相手に向かって手紙を出してたんだ。なんだか申し訳なくなってしまう。
「全部読んだよ。加州だけじゃなくて、修行に出た子みんな。今もときどき読み返してる。……いつも一方通行でごめんね……」
「いーの、主がちゃんと読んでくれただけで嬉しい。みんなにも伝えるね! 来れたの俺だけだけど、主のこと、全部伝える!」
加州は笑ってそう言った。すごく前向きだ。わたしが後ろ向きになったらいけないよね。
「ありがとう、加州。みんなにもよろしくね」
「うん! みんなも喜ぶと思うよ。まずは、無事にここから出ないとね」
わたしは頷いて、加州と一緒に歩き出した。さっきのような心細さはないけれど、相変わらず人の気配のしない不気味なビル街だ。
「……ところで、ここはなんなのかな……わたし、道に迷っただけだと思ったんだけど……フツウの場所じゃあないよね?」
そーね、と頷いて加州は中空を見た。
「その説明は聞いてきたよ。一言で言うなら『レイヤーが違う』んだってさ」
「レイヤー……層って意味だっけ」
「そう。ってギャグじゃねえよ?」
「そう」
「そう」
一旦笑い合ってから、加州は改めて説明する。
「主のすまほの、地図あぷり? に細工して、主が本来いる場所からこっちのレイヤーに迷いこませたんだって」
「アプリに……」
ずっと使っている地図アプリだ。いつのまにそんなことが……。
「あ、そのあぷりは、もうあっぷでーと、されてると思うよ。俺と一緒に更新データを送るって言ってたから。せきゅりてぃーも、アップしてるって」
「そっか」
未来の技術をこのスマホにインストールしていいんだろうか……? 刀剣乱舞のアプリで既に繋がってるから今更かな……?
「でね、そのレイヤーを今から移動するよ。あの向こうに行けばもとのレイヤーに戻れると思う」
加州が指差したのはビルとビルの隙間だ。別になんの変哲もない路地に見える。狭いけれど、人ひとりが通るには十分だ。手を繋いだまま、路地へ入っていく。
「手、絶対離さないでね」
「うん」
移動のために手を繋いだのか。……ちょっとだけがっかりしてしまって、自分が手を繋ぐことに別の意味を見出していたことに気づく。手を握る力を少し強くした。
「大丈夫。ちゃんと戻れるから」
加州はそれをわたしが怖がっていると解釈したらしく、そう言った。
──そうじゃないのに。
……ううん。わたし、なに考えてるんだろ。
戻りたくない、なんて、ここまで助けに来てくれた加州のことを無下にしている。
「もうすぐだよ」
加州の言う通り、路地の向こうが見えてきた──が、真っ白なだけで景色は見えない。
「何もなくない?」
「レイヤー違うから、主には見えてないだけ」
「そうなの?」
ちょっと、いやだいぶ怖い……!
真っ白な壁──わたしには壁に見える──に向かって加州は歩き続け、ぶつかると思ったが壁にその姿が吸い込まれる。わたしは加州の手をぎゅっと握り、目もぎゅっとつむって歩き続けた。
ざあ、と風の音がした。と、思ったら身体がどんとぶつかる。やっぱり壁に──いや、壁にしてはやわらかい。
「大丈夫?」
目を開けると加州の赤い目が間近で心配そうにわたしを見ていた。加州が立ち止まりわたしがぶつかったようだ。
「ご、ごめん」
「怖かった?」
「壁にしか見えなくて……」
「今はもう見えてる?」
「うん……」
街路樹が風に揺れる音。遠くに車の走る音。通りには通行人。
「……ここがもとのレイヤー、だよね?」
「うん。主、さっきの地図アプリ動く?」
「えっと……うん、大丈夫」
スマホはもう元に戻っていて、地図アプリもきちんと動いている。位置情報からすると、あんなに歩いたのにここは目的地からあまり離れていない。
「俺の任務もここまでかぁ……」
少し寂しそうな声。スマホから目を上げると、加州はわたしを見て微笑む。
「主。困ったときはまた俺のこと呼んでね。飛んでくるから」
「うん」
「じゃ、名残惜しいけど……」
一度握りしめられてから、加州の手が離れる。すぐさま加州の姿が薄くなっていく。
「またね」
加州はきれいに笑って手を振る。わたしは手を伸ばしたけれどそこにはもう何もなくて指はただ宙をかく。
「加州……」
さっきまで握られていた手の温もりはまだあるような気がするのに、その姿はもう何処にもない。
──最初から幻だったみたいに。
ブーン、とスマホが震えた。今日待ち合わせしていた友達から電話だ。しまった、もう待ち合わせ時間を過ぎてる?
「もしもし? ごめん、遅れて──え?」
まだ、待ち合わせ時間ではないと言われた。腕時計を見れば、迷う前からほとんど時間が経っていない。
「──ほ、本当だ、まだ時間じゃないね……」
彼女は予定より早めに着いたが合流出来ないかと思い連絡したと言う。
「そっか、わたしももう結構近く。まだちょっとかかるけど、着いたら連絡するね」
電話を切り、スマホの時計を見る。腕時計と差異はない。
……さっきまで、わたしは結構な時間を迷っていたはずだ。加州と会ってから「こちらのレイヤー」に戻るまでも結構歩いたし、一時間くらい経っていそうなのに……。
──夢だった、とか?
スマホの通知欄を見るけれど、何回も来たはずの刀剣乱舞アプリからの通知はない。アプリを起動しても、ちゃんといつものロゴマークが出る。緊急なんて文字は何処にもない。
「僕を一番愛してくれるのは誰だろう……刀剣乱舞、始めました」
聞き慣れたボイスに、あの時のようなリアルさはない。『ゲームスタート』を押す。
「おかえりなさーい」
いつものログインボイスのあと、ごく普通に、これまでと同じように、本丸画面に遷移した。極の加州清光の立ついつもの画面で、お馴染みのボイスが流れる。
「加州……」
呼んでも、もちろん返事はない。
当たり前だ。これはただのゲームアプリで。刀剣男士が出てくるなんてあるわけないじゃないか。
──でも、繋いでいた手の温もりや、その背にぶつかった感触はまだはっきりと記憶に残っている。
「……助けてくれて、ありがとう」
お礼を言う間もなく別れてしまったから、今言った。返事なんてもちろんないけれど。
地図アプリに切り替えた。友達の待つ場所へと向かう。今度こそ迷うことなく劇場にたどり着いた。
「お待たせ。久しぶり!」
「久しぶり! ごめんね急かしちゃったみたいで」
真っ先に待ち合わせが早まったことを謝罪される。久しぶりに会ったけれど彼女は変わらず元気そうだった。お互いの近況を軽く話す。
こうして友達と話していると、さっきのことなんて夢か幻だったみたい。
「──あれ?」
彼女が私の右の方に目をやる。
「トートバッグ、破れてない?」
トートバッグを確かめれば、彼女が指摘した通り破れている。スッパリと、刃物で切られたように。
それは夢でも幻でもなく、真実ここにあるものだった。
「はあ……」
加州清光はため息をついた。
主のいる時代へ緊急出陣して、しばらく経つ。
戻って直ぐに、我らが主がいかに自分たちを思ってくれているか、見たもの聞いたもの全てを伝えんとばかりに仲間たちに話して聞かせた。皆、加州をうらやみ、主の言葉に喜び、ここが主なき本丸ではないことに安堵した。加州も皆に主のことを伝えられたことに満足した。
しかし時が経つと、加州は今のようによくため息をつくようになった。
「また会いたいなあ……」
あれから、あのほんの短い時間を何度思い出しただろうか。何年も焦がれてようやく目にした姿。やっと交わせた言葉。触れることの出来た、あたたかい手。
帰りたくないな、と助けに行ったくせに思った。
もう一度会いたい。でも。
「会わない方が、主のためだよね……」
加州が再び主に会う、ということは、主の身が危険にさらされることだ。
加州は何度目かわからないため息をつく。
「清光ー。お前、また落ち込んでんの?」
大和守安定が執務室へと来た。
「べーつーにー。落ち込んでません」
「はいはい。なんかこんのすけが荷物持ってきたから置いとくよ」
「荷物?」
安定は抱えていた箱を置いた。宛名には『加州清光様』と書いてある。
箱を開けると、中にはさらに布で包まれたものが入っていた。
「なにこれ……」
加州はその布の包みを外そうとして、袋状になっていることに気づく。そして。
「ああーーー!!!」
加州はその包みが何であるかようやく気がついた。
「なんだよ、叫ぶなよ」
安定は顔をしかめる。
「これ! 主の持ってた布の鞄!」
「え!?」
その言葉に安定は加州の傍に寄った。
「間違いないよ!」
切られた痕跡のある布の鞄から、加州はその中身を取り出す。やはり切られた痕のある分厚い本だったが、間に何か挟まっている。
「……手紙だ……」
加州清光様──と、挟まれていた封筒に書かれていた。まだ他にも封筒は挟まれていた。今度は『今剣様』と書かれた封筒……。
「骨喰、薬研、乱、五虎退、小夜……あった、大和守安定! お前のもある!」
「ほ、本当に!? 主からの手紙!?」
「ああ! こんなにたくさん……下の方は……鬼丸国綱、地蔵行平、古今伝授……これ、全員分あるよ! 本丸に来た順に、みんなの分……」
「早く見せて!」
「ばか、先に涙拭けって。手紙がしわくちゃになっちゃう」
「お前こそ!」
「俺は泣いてねぇよ! まだ……」
加州は一旦手紙を置いて目に溜まった涙を拭う。
「……みんなに報せないとね」
「うんっ!」
安定は大きく頷いて、走って皆に報せに行った。
加州は、封筒を全て本から取り出し、箱に丁寧に入れ直した。そして安定の後を追った。
加州清光様
先日は助けてくれてありがとう。お礼もろくに言えないまま別れてしまいごめんなさい。
あれから、遡行軍に遭ったりすることもなく、わたしは元気に過ごしています。あなたも、変わりないですか?
きっと返事を聞くことは出来ないでしょう。この手紙が本当に届くのかも、実は自信がありません。でもあなたに届いてほしい。もしあなたがこれを読んでくれているなら、とても嬉しいです。
あの日のことを、わたしは何度も思い返しています。翻るコートがきれいだったこと、握った手が温かかったこと、繋いだまま離したくないと思ったこと──
──って、なに書いてるの?
恥ずかしくなってノートに慌てて消しゴムをかける。さっきから、この手紙の下書きを何度もやり直している。他の刀剣たちへの手紙はスムーズに書けたのに、加州に宛てた手紙だけは恥ずかしくなって何度も書き直している。
……あと少ししか時間がない。
あの日から数日後、わたしのもとにはこんのすけがやってきた。
「審神者様。お初にお目にかかります、こんのすけでございます」
突然家の中にいたことに相当な不信感を持ったけれど、地図アプリなり刀剣乱舞アプリなりを介してやってきたのだろう、と自分を納得させた。
「……初めまして」
「突然訪問し申し訳ありません。しかし、お願いがあって参りました」
こんのすけは、先日の遡行軍の『痕跡』を回収しに来たと言った。つまり、切られたトートバッグの回収だ。
「でも……あれは大事なものだから」
手放したくなかった。だってあれは、わたしにとってあの日が夢や幻でないと証明してくれる唯一のものだ。
「もちろん、補償はいたします。同等の物品か現金を」
「モノやお金の問題じゃない。『この』トートバッグが、大事なの」
「しかし、時間遡行法で決まっておりまして……タイムパトロール法などもありますし。渡していただけないなら押収ということになりますね」
そんな法聞いたことないけど。
「……もし、引き渡したら、このトートバッグはどうなるの?」
「未来にて適切に処分します」
「処分……」
せっかく、加州と会えた証なのに。──ん?
「……この時代にこのトートバッグがなかったら、問題ないんだよね
「はい、そうですね」
「このトートバッグをわたしの本丸の加州に渡すとか……出来る?」
「それなら渡して頂けますか!?」
こんのすけがぐっと顔を近づけてくる。可愛いけどちょっと怖い。
「うん。でも、絶対わたしの加州に渡してね。トートバッグだけじゃなくて、中身も一緒に渡してね」
「中身……といっても、関係ないものは回収出来ませんよ」
こんのすけは首をかしげた。
「この雑誌。一緒に切られたけど回収対象だよね?」
「はい。そんなのもあったんですね」
「渡す前に、コピーしたいの。時間をちょうだい」
「はあ。まあ、期限は一週間ありますから、それまでなら」
そうして時間を得て、わたしは手紙を準備した。あの時切られた雑誌の間に封筒を挟み込む。これで検閲(?)を逃れられるかは、わからないけど。
全員分手紙を用意する、最後の一振りが加州清光だ。
何度も書き直すうちに、タイムリミットは刻刻と迫っていた。
一番、伝えたいことがある相手なのに。
──加州清光様。あれから、お変わりないですか? おかげさまで、わたしは元気に過ごしています。あの時は、助けてくれて本当にありがとう。直接お礼を言えなかったこと、ごめんなさい。あの時は、まだ手を離したくないとかそんなことばかり考えて──
って、だから何を書いてるのわたしは!
このままだと、加州だけ手紙なしになってしまう。一番、伝えなければならないのに。
……何を?
他の子への手紙は、すらすらと書けた。
たとえば、初期から本丸を支えてくれてありがとう、とか。修行の手紙が嬉しかった、とか。思ったことを、そのまま書けた。
──加州にだって、そうしたらいい。思ったことを。言いたいことを。それを伝えるのが手紙なんだから。
「……よし」
気を取り直して、ペンを持つ。
「では、この箱に入れてください」
こんのすけが持ってきたのは、小振りな段ボール箱だった。
「二百年後にも、段ボールは現役なんだね」
「段ボールではありませんよ。これはコンコンコン……あ、過去の人間には説明出来ないんでした」
「今の鳴き声、テレビのピー音みたいなやつなの……?」
はからずもこんのすけの不思議機能を目撃してしまった。
「ともかく、中に入れてください」
「絶対、加州に届けてね」
「はい」
段ボールそっくりな箱に入れて、封をする。こんのすけが用意した紙に宛名を書いた。
──加州清光様。
あなたの手に届くのか、自信はないけれど。届いたとしたら、あなたがなんと思うのか、不安になるけれど。
それでもあなたに伝えたいと思う。きっとこれがたった一度のチャンスだから。
箱をこんのすけに渡すと、ご協力ありがとうございましたと言ってこんのすけは消えてしまう。これでわたしの元には、もうあの時のことを証明する『物』はなにも残ってないない。
でも、加州と手を繋いだあの短い時も、みんなに手紙を書いたことも、加州への手紙に悩んだ時間も、全て紛れもなくわたしのものだ。かたちに残るものは何もなくても。
この想いだけは、ずっと。
──そう、思っていたのだけど。
ピコン、とスマホから通知音がした。
『刀剣乱舞:アプリを起動してください』
この通知は、あの時の……また何かが近くにいるの? 自分の部屋には何もおかしなものは見当たらなかったけれど、アプリを起動した。
いつものロゴマークは出ず、その変わりに『受信中』という文字が出た。今回は『緊急』ではないらしい。ダウンロード状況を示すゲージが満杯になると、狐のようなマークが出た。
「主様ー! お初にお目にかかります! こんのすけでございます」
何もないところからこんのすけが現れた。続いて、中空に桜が舞う。
「主!」
加州清光が桜の中から現れた。
「加州!」
「へへっ、また会えたね! 手紙ありがとう。みんなも喜んでたよ」
加州はぎゅっとわたしの手を握った。今度は、手袋をしている。──極の姿だ。
「しすてむあっぷでーとされて、本当の姿で来れたよ」
「うん、可愛いね」
「でしょー」
加州はにこにこと笑う。本当に可愛いなあ。
「主様! こんのすけもおりますので! 初めまして」
加州の肩にぴょんとこんのすけが乗った。
「あ、うん。この前も会ったと思うけど……」
「あれは政府所属のこんのすけです。私は本丸所属のこんのすけです」
わたしには全く見分けがつかないが、違うこんのすけらしい。
「そうなんだ……初めまして」
「それでですね~、主様。先日の地図アプリを詳しく調べたら遡行軍があのアプリをこの時代の出入口に使っていることが判明しまして……」
こんのすけは歯切れの悪い物言いだ。
「……つまり?」
「この近辺に遡行軍がいるので倒してください」
「……加州が今から行くの?」
「それがこの時代はコンコンコンコン……詳しい説明は出来ませんが、主様の近くでしか刀剣男士は活動できません。なので主様もご協力お願いします!」
ピー音機能はどのこんのすけにも搭載されているらしい。
「主、危ないと思ったら断ってもいいよ」
加州は心配そうな顔でわたしを見た。ちょっと眉を下げた顔も可愛い。
「こ、困りますよ加州さん!」
「だって主が危ない目に遭うのはやだし」
「でも、遡行軍を放っておけばいずれ審神者の主様を襲うかもしれません」
「……まあ、わたしも近隣の住民が被害に遭うのは嫌だけれど……」
「ご協力頂けますか!」
「……一個確認するけど、民間人のわたしに頼む前にそっちで努力はしているよね?」
「そ、それは~……ご協力頂ける審神者が、あまり多くなくてですねえ……」
こんのすけの耳がペタッと下を向く。
「民間人を軽率に巻き込むようなことするなって時の政府に伝えてね。前回の恩があるし協力はするけど」
「かしこまりました! ご協力感謝します!」
未来の政府にいいように使われている気がする……けど、こうしてまた加州と会えることは純粋に嬉しい。
「じゃあ加州、よろしくね」
「主がそう決めたんなら」
加州は微笑んだ。
「助かります! 例のアプリは概算八千件この時代にダウンロードされてまして」
「八千!?」
わたしが驚いて数字を繰り返すと、こんのすけはまたペタッと耳を伏せた。さっきから、その怯えた動物みたいな動きはわたしの胸に刺さるからやめて欲しい。
「あ、あの~、まあ、全部が全部主様が対応するわけでは……」
「全部じゃなくてもある程度はやるんだよね……」
「謝礼はございますので!」
謝礼の問題ではない。……でも、乗りかかってしまった船だ。
「敵が多いのはよくないことだけど……その分一緒にいれるね」
加州が笑う。わたしも、そのことについては少し喜んでしまっている。
「じゃ、行こっか」
加州は笑って、改めてわたしの手を握った。
2020/05/15 pixiv公開
2024/11/02 当サイト掲載