刀剣乱舞の夢小説

【②-A】加州清光が忘れっぽい審神者の過去を守る話

「ただいま」
 その声に、廊下を走って玄関へ向かう。主、危ないですよと近侍の声が聞こえたけれど構っていられない。
 政府より直直に命じられた、ごく近代への出陣任務。時代はわたしが高校生の頃合い、場所も学校の近くだった。現在も生きている人間が関わる可能性があるため、審神者には護衛対象は秘密とされ、刀剣は一振りしか送ることが出来ない。機密事項です、という言葉を繰り返すこんのすけに不安を抱いたものの、政府直直の命を無下に断るわけにもいかない──そんな任務から、可愛い初期刀がやっと帰ってきたのだ。
「加州! おかえり──」
 その姿を見た途端、わたしの脳裏に突如記憶が蘇る。あかい爪と瞳の男の子と過ごした、ほんのわずかな時間を。
「ただいま、主」
 やさしい目で、笑う。胸が苦しくなって、涙が流れた。
「なーに泣いてんの」
「……あなた、だったんだ……」
 忘れてしまった大切な『何か』。何回小指を見ても思い出せなかったのに。
「思い出してくれた?」
「……一度忘れちゃった、けど」
「あんたほんと忘れっぽいよねえ。忘れないでって言ったのに。ま、思い出してくれたならいーけど」
 明るい声で加州は笑う。その声を遮るみたいに、こんのすけの声がした。
「かかかか、加州さまー! あれほど! 主様に余計な干渉してはいけないと! 言ったじゃないですかー!」
 こんのすけは息を切らしながら玄関に飛び込んできた。
「マニキュアなんて形の残るもの、絶対に問題視されますよぉ! 政府は過去の審神者への物理的接触に厳しいんですから!」
「俺としては正しい歴史に近づけたつもりなんだけどなあ。主が俺を選ばなかったらこの本丸消えてたかもしれないじゃん」
 こんのすけと加州の会話の意味がわたしにはわからない。どういうことか訊ねる。
「主、自分の爪を見てみなよ」
 加州に言われて爪を見ると、マニキュアを塗っていたはずのそこには、ただ何も塗らない爪があるだけだ。
「え? わたし、色落としてない、はず……」
 高校生の頃にマニキュアにハマって以来、何も塗らない方が珍しいくらいだ。加州のことだって、その鮮やかな爪の色に惹かれて選んだくらい。
「主がマニキュアにハマったの高校生の頃でしょ。本当なら、俺に会ったあの日にマニキュア好きの友達と一緒にドラッグストアに行くはずだったんだよ。朝から新色マニキュアの話で盛り上がってね」
 そうしてすっかり数学のプリントを忘れたわたしは、先生から叱られて落ち込んだ。それを慰めようとした友の一人は、爪の色を明るくすれば元気が出ると言い、放課後共にドラッグストアへ行く。以来、マニキュアをしない日はないほどマニキュアを好きになる──加州いわく、それが『任務に行く前』にわたしから聞いたマニキュアにハマったきっかけなのだという。
「でもその前の日に近所の通行人が襲われて、過去の主がドラッグストアに行くきっかけがなくなっちゃった。未来の……今の主から爪の色が突然消えたって、乱から連絡があってさ」
 朝から数学のプリントにかじりつくわたしを見て、これがその日だと加州は直感したらしい。そこで自分用に買っていたその時代のマニキュアをわたしの爪に塗りマニキュアに興味を持たせた。
「だったら主様にマニキュアの話をするだけでも……」
「今より忘れっぽい過去の主が話だけで覚えてると思う?」
「それはまあ、確かに……」
 こんのすけはしぶしぶ、といった様子で引き下がる。わたしの記憶力に対する信頼のなさがひどい。確かに、二人には本丸の発足当時にいろいろと迷惑をかけたけど……。
「はあ……では、正しい歴史の為に必要だったと報告します……」
 こんのすけはため息をつき、報告の為に姿を消した。加州はわたしの左手を取る。
「本当にマニキュア、消えちゃったね」
 なんとなく、小指を見つめられた気がした。記憶が消えていたみたいに、消えてしまった色──。
「まーた泣きそうになってる」
 今度は涙が流れないように我慢したけれど、加州はすぐに見抜いてしまう。
「やっと思い出せたから……ああでも、加州が任務に行く前は違う記憶だったんだっけ……?」
 まるで映画みたい。過去の自分のことを守るために未来の自分が護衛を送り込むアレだ。未来の助けがなければ過去の自分は死んでしまう。でも未来の自分がいて過去に護衛を送って……あれ?
「ま、小難しいことはともかく、あんた自体が消えなくてよかったよ。爪の色なんて塗り直せばいいんだし」
 加州にきっぱりそう言われて、わたしも気分を切り換える。タイムパラドックスだかなんだか、難しいことはよくわからないけど。
「わたしも、加州が帰ってきてくれて嬉しいよ。世界だけじゃなくて、わたしの歴史も守ってくれてありがとう」
「当然でしょ。俺はあんたの刀だもん」
「うん。……ねえ、爪を塗ってもらってもいい? あの頃の話、したいな。加州にはついさっきのことだろうけど……」
「うん。思い出話、しよっか」
 手を繋いだまま部屋に向かった。あの日みたいにまた爪を塗ってもらえるのが、嬉しくてたまらなかった。

 主の爪を塗るのは、至福のひとときだ。この本丸の誰もが求めるその手を独り占めできるのだから。
「主。何色にする?」
「赤がいいな。一番好きな色だもん」
 一番。主にそう言われて、俺はにやけそうになるのを我慢する。
「そっか。どんな赤にする?」
「うーん……今回はおまかせで」
「じゃ、せっかくだから過去で買ってきたこれにしよっか」
「あ、それお気に入りだったの! 人気はなかったみたいですぐ廃盤になっちゃったけど……」
「そうなんだ。じゃあこの色にしてよかったなあ」
 何気ないことのように会話する。本当は嬉しくてたまらない。
 主はずっと、マニキュアは好きでも、赤が一番好きというわけではなかった。赤も塗るけど、青も、緑も、黄色も、紫も、白も、黒も……どんな色も隔てなく好きな人だった。
 その指先を彩るのは赤だけでいいのに。ずっとずっとそう思っていた。
 今、ようやく主の指先を赤に染めることが出来る。
「やっぱり加州は上手だね。ふふ、懐かしいなあ……」
 彩られていく爪を見て、主は幸せそうに笑う。きっと俺が関わらなければ、主の中で『赤』が特別になることはなかっただろう。だから政府は形の残るような接触を警戒する。
 誤解はしないでほしい。こんのすけが疑うように、主の過去に過干渉なんてしていない。主が赤を一番好きになったのはただの偶然。だってこのマニキュアは自分のために買ったのだし、主から聞いたマニキュアを好きになったきっかけの話だって本当だ。未来の主から突然マニキュアが消えてしまったことだって紛れもない事実。あの時たまたま持っていた紅いマニキュアを俺が主に塗ってマニキュアに興味を持たせるのは、歴史を守るために必要なことだ。
 ──マニキュアを塗る必要性が『本当に』あったかは、誰にもわからない。マニキュアに興味を持たなかったら審神者にならなかったかもしれないし、さしたる影響もなく審神者になって今のように優秀な成績を出していたかもしれない。そんなものは誰にも証明出来ないのだから、政府がこれ以上の追及をすることはないだろう。
 それに、主の中に残ったのは、きっとマニキュアの色なんかじゃない。政府は、形の残るような接触を一番影響のあるものとみなして多少の接触や会話の内容などは気にしない。未来の存在との接触は、時空間管理システムがその記憶を曖昧にしてしまうからだ。
 でも、曖昧になるだけで記憶は完全に消えるわけじゃない。こうして来るべき『時』になれば思い出す。
「このマニキュアを初めて塗った時のことが思い出せないのがずっと気になってたけど……加州と過ごした時間ってそれだけじゃなかったよね。帰り道に一緒に図書館行ったり、一緒にクレープ食べたり」
「そーね。俺、駅前のメロンパン好きだな」
「あれおいしかった! でもあの店次の年に移動しちゃったんだよ。もっと大きいお店になってね。通り道じゃなくなったら行かなくなっちゃった」
「そうなの」
 俺は護衛のために主の傍を離れなかっただけ。あの日以外は物理的接触をしたり形の残るものを渡したりもしていない。でも、主の中にはこうして楽しい思い出として残っている。俺にとっても、まだあどけなさのある主と一緒に過ごす時間はとても楽しいものだった。本丸の誰も知らない主の姿を一人占め出来ることも。
「歴史のためには仕方ないことだけど、忘れちゃうのは悲しかったな。図書館に行ったりパン屋さんに行ったりしても、いつもなんだか、誰かが足りない気がしたの。一人でいても、友達といても、いつも……」
 主は視線を下げて、少し寂しそうな顔をした。それは、まだあどけない頃の主を思い出させる。昔の主は、少し寂しい目をした女の子だった。その理由は知らない。俺が見たのは、主のほんの一部分だけだ。
 でも、その一部分の中に残ることが出来た。ただ寂しさの中に加わるだけだとしても。
「覚えててくれたの?」
「いたはずなのになって感覚だけ」
「それだけでも十分」
 こうして『赤』を一番好きになってくれたなら、いつか。いつか──。
「はい、出来た」
 左の小指に最後のトップコートを塗って、主の手を離した。あの時を思い出して、ほんの少し名残惜しい。主は紅に染まった爪を満足げに眺めた。
「あ」
 主は、何かを思い出したように声をもらした。
「何? また何か忘れてた?」
「じゃなくて、思い至った」
「至った?」
「赤が一番好きなの、加州の色だからだ」
 俺に向かって掲げた指の向こうで、主が笑った。

2018/10/29 pixiv公開
2024/11/02 当サイト掲載
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