刀剣乱舞の夢小説
旅立ちの日には鳩を飛ばす
遠征の報告を終えると、主はいつものように労いの言葉をくれたがその様子はいつもと違っていた。
「うん、じゃあゆっくり休んでね。光忠が今日のおやつは紫陽花風ゼリーって言ってたよ。じゃあ、わたしはちょっと出てくるからね」
と少少早口に言った。
「どうしたの?」
「ちょっとお買い物。今剣、鈴カステラ食べるよね」
「はい!」
近侍の今剣と共に慌ただしく部屋を出ていった。何事だろうかと思うが、何か悪いことが起きているという雰囲気でもない。もとより少し抜けたところのある人だから、何か買い忘れでもして慌てているのかもしれない。
それに、本当に困ったり何か悪いことが起きたりすれば、真っ先に相談されるだろう。 そう思って部屋に戻る。
「おかえり。お疲れさま」
同室の安定に声をかけられる。
「そろそろ帰ってくると思って、おやつ持ってきといた。紫陽花ゼリーだって。紫陽花は入ってないけど」
机には、氷水の入ったトレーの中に、ゼリーを入れたガラスの器が二つ入っていた。トレーの下には洒落たランチョンマットも敷かれている。光忠の配慮だろう。安定は氷水までは思いついても机に滴る水滴にまで気が回るとは思えない。
光忠特製のゼリーは、白いミルクプリンの上に紫陽花に見立てた青とピンクのゼリーが載った、見目も楽しめるものだった。
「可愛いじゃん。さっすが光忠」
「この前和菓子のお店で紫陽花のお菓子を見て、洋菓子でやってみたくなったんだって」
「へえ」
戦装束を解いて、座る。一口紫陽花のゼリーを食べると、存外に酸味があった。レモンだろうか。
「下のプリンと一緒に食べるといいって」
「なるほど」
安定に言われてそのように食べれば、ミルクプリンの甘さと紫陽花ゼリーの酸味が調和する。
「光忠の料理はどんどんすごくなるな」
「そうだね」
燭台切光忠はこの本丸の最初の太刀だ。太刀の中では一番出陣頻度が高かったが、カンストしてしばらく経つ。この本丸では、カンストすると通常の出陣が減るため遠征か本丸の中の仕事をするかを選ぶ。光忠はもっと料理がしたいと中の仕事を選んだ。俺は遠征に行ったり中の仕事をしたりと気ままに過ごしている。
──明日は何しようかな。
空になった器を机に戻す。後で光忠に礼を言わなければ、などと考えていると、安定がじっと俺を見ていた。
「何?」
もしや口元に何かついていたか。そう思ってつい口元に手をやるが汚れている感じもしない。
「いや。今のお前もあと少ししか見れないなって思って」
「は? なんの話?」
聞き返すと、安定の方が不思議そうな顔をする。
「主から聞いてないの? 僕が言っちゃいけなかったかなあ……」
「悪い話じゃないよね」
「悪くはないよ。まあどうせすぐわかることか。──ほら」
安定は端末の画面を俺に見せた。
──新たな極の実装について。
それは、政府からの発表だった。添えられた画像には、おそらくは『俺』と思われる刀剣男士のシルエット。
「お祝いだって光忠は張り切ってたし、主は喜んでたけどなんか慌ててた。おかげで僕は膝に乗る暇がない」
「ああそう。……そうか」
それであの慌てようか。たぶん──鳩を買いに行ったのだ。修行に出た刀剣男士を一瞬にして呼び戻す、時空を越える鳩。その鳩を飛ばせば、修行中の刀剣男士にとっては時間が過ぎているのに、本丸にとっては一瞬にして刀剣男士が戻ってくる。帰還する刀剣男士の到着時間を調整するのだろう。原理は政府のみぞ知る、「時を買う」道具だ。値段はもちろん、それなりにする。
あの時と変わらないな、と俺は安定が修行に出た日を思い出す。
「本当に買うの主、結構値段張るけど……」
「安定がいないと寂しくて……でも内緒にしてね、あの子気を遣っちゃうと思うし」
「いーけど。今剣の時は大丈夫だったのに」
「あの時も寂しかったよ。でも今剣の時は、わたしが我慢できなかったら主として駄目だと思って。今剣には最初に行くっていうプレッシャーもあったかもしれないし……」
「そーね」
でも骨喰や薬研の時だってそんなに寂しがってなかったと思うけどなあ、という言葉を飲みこんだ。
安定ばっかり──ほんの少しそう思った俺の心を知ってか知らずか、主は言った。
「あなたの時もたぶん同じことすると思う……だって、あなたのいない本丸って想像つかないんだもの」
「……そーね」
たとえ長時間の遠征に行っても、二十四時間を越えて本丸を離れることはない。主と共に本丸へ足を踏み入れた時から、ずっと。
「俺も何日も離れるのはちょっと心配かも」
「あ! わたしのことはいいの! だって、たぶん十秒くらいしか離れないんだし」
それはそれで情緒もへったくれもない。離れたくないと言ってもらえるのは嬉しいのだけど。
「……だから、加州清光──」
「慌てないで、あなたの思うままに、過ごしてきて。わたしや本丸のことは、これがあるから心配しなくていいでしょう?」
主はそう言って鳩の入った鳥籠を見せる。主にとってはほんの十秒程度の別れなのに、赤くなった目を細める。
「心配症なのは主の方でしょ。ほんの何秒か待つだけで、なーに泣いてんの」
「泣いてないよ」
「あるじさまがなくのはこうれいぎょうじですね」
今剣が主を見上げる。泣いてないったら、と湿っぽい声で主は言った。
「ま、頑張ってね。お前も強くなってくれなきゃ、また一緒に出陣出来ないから」
「俺は戻ったらすぐにお前より強くなるけど」
「どうだか」
安定と軽口を交わして、見送りに来てくれた面面を見渡す。付き合いの長い連中から、最近本丸に来た者まで。
「……なんか圧巻ね。こんな大袈裟に見送らなくていいのに」
「わたしは時間を伝えただけなんだけど……」
主は嬉しそうに笑う。
「みんな、清光さんがだいすきなんですよ! みじかくても、おわかれはさびしいですから……」
「主殿の言う通り、ゆっくりしてこい。こちらは問題ない」
「気イつけてな」
「もっと可愛くなった加州さんに会えるの楽しみにしてるね!」
「あの、あの、お気を、つけて……」
今剣、骨喰、薬研、乱、五虎退が俺に声をかける。彼らとはこの本丸の初期に第一部隊として戦ってきた。俺以外はそれぞれ修行へ行き、もう共に組むことは少なくなったけれど、それでもまだどこかチームであるような気がする。
「ありがとう。行ってくるね」
五虎退が鼻をすすった。主がその頭を撫でるが、主も泣きそうになっている。
「だから、秒単位で帰ってくるって」
「……ゆっくりしてきて」
「うん。その為の鳩だしね」
やれやれ、早く旅立たないと主や五虎退が泣き出してしまいそうだ。先日主の就任一周年を祝った時にはしっかりしてきたと思ったのに。置いていって大丈夫なのかな。結局鳩なんかあっても、俺はここが心配になってしまう。
「じゃ、行ってくるねー」
ほんの少し出かけるだけみたいに、わざと軽く言った。いってらっしゃいと重なる七十人近い声は、随分重いのだけど(低音の連中も多いし)。
皆に背を向けると、途端に足が重くなった気がした。この踏み出す一歩が、初めてあの人と別れて過ごす時間なのか。ここに顕現されてから、一日だって会わない日はなかったのに。
──あんたと歩かない日が、初めてやって来る。
共に歩み、同じ季節を眺めていた。でも、これからたった一人で季節と向き合う。
俺にとってどのくらいの旅路になるのかはまだわからない。長くなるかもしれないし、存外に短いかもしれない。どちらにせよ、本丸に帰ればまたあの重く重なる声に出迎えられるのだろう。秒単位の別れにきっと涙して赤くなったあの人の目も、簡単に想像がついた。
──まだ梅雨の気配も残ってるんだし、もっと爽やかに迎えてほしいね。
まあ、仕方ない。それがあの本丸なのだから。
「……いってきます」
慌てないで、思うままに。帰る時は、きっと一分も経っていないのだから。
2018/06/26 pixiv公開
2024/11/02 当サイト掲載
遠征の報告を終えると、主はいつものように労いの言葉をくれたがその様子はいつもと違っていた。
「うん、じゃあゆっくり休んでね。光忠が今日のおやつは紫陽花風ゼリーって言ってたよ。じゃあ、わたしはちょっと出てくるからね」
と少少早口に言った。
「どうしたの?」
「ちょっとお買い物。今剣、鈴カステラ食べるよね」
「はい!」
近侍の今剣と共に慌ただしく部屋を出ていった。何事だろうかと思うが、何か悪いことが起きているという雰囲気でもない。もとより少し抜けたところのある人だから、何か買い忘れでもして慌てているのかもしれない。
それに、本当に困ったり何か悪いことが起きたりすれば、真っ先に相談されるだろう。 そう思って部屋に戻る。
「おかえり。お疲れさま」
同室の安定に声をかけられる。
「そろそろ帰ってくると思って、おやつ持ってきといた。紫陽花ゼリーだって。紫陽花は入ってないけど」
机には、氷水の入ったトレーの中に、ゼリーを入れたガラスの器が二つ入っていた。トレーの下には洒落たランチョンマットも敷かれている。光忠の配慮だろう。安定は氷水までは思いついても机に滴る水滴にまで気が回るとは思えない。
光忠特製のゼリーは、白いミルクプリンの上に紫陽花に見立てた青とピンクのゼリーが載った、見目も楽しめるものだった。
「可愛いじゃん。さっすが光忠」
「この前和菓子のお店で紫陽花のお菓子を見て、洋菓子でやってみたくなったんだって」
「へえ」
戦装束を解いて、座る。一口紫陽花のゼリーを食べると、存外に酸味があった。レモンだろうか。
「下のプリンと一緒に食べるといいって」
「なるほど」
安定に言われてそのように食べれば、ミルクプリンの甘さと紫陽花ゼリーの酸味が調和する。
「光忠の料理はどんどんすごくなるな」
「そうだね」
燭台切光忠はこの本丸の最初の太刀だ。太刀の中では一番出陣頻度が高かったが、カンストしてしばらく経つ。この本丸では、カンストすると通常の出陣が減るため遠征か本丸の中の仕事をするかを選ぶ。光忠はもっと料理がしたいと中の仕事を選んだ。俺は遠征に行ったり中の仕事をしたりと気ままに過ごしている。
──明日は何しようかな。
空になった器を机に戻す。後で光忠に礼を言わなければ、などと考えていると、安定がじっと俺を見ていた。
「何?」
もしや口元に何かついていたか。そう思ってつい口元に手をやるが汚れている感じもしない。
「いや。今のお前もあと少ししか見れないなって思って」
「は? なんの話?」
聞き返すと、安定の方が不思議そうな顔をする。
「主から聞いてないの? 僕が言っちゃいけなかったかなあ……」
「悪い話じゃないよね」
「悪くはないよ。まあどうせすぐわかることか。──ほら」
安定は端末の画面を俺に見せた。
──新たな極の実装について。
それは、政府からの発表だった。添えられた画像には、おそらくは『俺』と思われる刀剣男士のシルエット。
「お祝いだって光忠は張り切ってたし、主は喜んでたけどなんか慌ててた。おかげで僕は膝に乗る暇がない」
「ああそう。……そうか」
それであの慌てようか。たぶん──鳩を買いに行ったのだ。修行に出た刀剣男士を一瞬にして呼び戻す、時空を越える鳩。その鳩を飛ばせば、修行中の刀剣男士にとっては時間が過ぎているのに、本丸にとっては一瞬にして刀剣男士が戻ってくる。帰還する刀剣男士の到着時間を調整するのだろう。原理は政府のみぞ知る、「時を買う」道具だ。値段はもちろん、それなりにする。
あの時と変わらないな、と俺は安定が修行に出た日を思い出す。
「本当に買うの主、結構値段張るけど……」
「安定がいないと寂しくて……でも内緒にしてね、あの子気を遣っちゃうと思うし」
「いーけど。今剣の時は大丈夫だったのに」
「あの時も寂しかったよ。でも今剣の時は、わたしが我慢できなかったら主として駄目だと思って。今剣には最初に行くっていうプレッシャーもあったかもしれないし……」
「そーね」
でも骨喰や薬研の時だってそんなに寂しがってなかったと思うけどなあ、という言葉を飲みこんだ。
安定ばっかり──ほんの少しそう思った俺の心を知ってか知らずか、主は言った。
「あなたの時もたぶん同じことすると思う……だって、あなたのいない本丸って想像つかないんだもの」
「……そーね」
たとえ長時間の遠征に行っても、二十四時間を越えて本丸を離れることはない。主と共に本丸へ足を踏み入れた時から、ずっと。
「俺も何日も離れるのはちょっと心配かも」
「あ! わたしのことはいいの! だって、たぶん十秒くらいしか離れないんだし」
それはそれで情緒もへったくれもない。離れたくないと言ってもらえるのは嬉しいのだけど。
「……だから、加州清光──」
「慌てないで、あなたの思うままに、過ごしてきて。わたしや本丸のことは、これがあるから心配しなくていいでしょう?」
主はそう言って鳩の入った鳥籠を見せる。主にとってはほんの十秒程度の別れなのに、赤くなった目を細める。
「心配症なのは主の方でしょ。ほんの何秒か待つだけで、なーに泣いてんの」
「泣いてないよ」
「あるじさまがなくのはこうれいぎょうじですね」
今剣が主を見上げる。泣いてないったら、と湿っぽい声で主は言った。
「ま、頑張ってね。お前も強くなってくれなきゃ、また一緒に出陣出来ないから」
「俺は戻ったらすぐにお前より強くなるけど」
「どうだか」
安定と軽口を交わして、見送りに来てくれた面面を見渡す。付き合いの長い連中から、最近本丸に来た者まで。
「……なんか圧巻ね。こんな大袈裟に見送らなくていいのに」
「わたしは時間を伝えただけなんだけど……」
主は嬉しそうに笑う。
「みんな、清光さんがだいすきなんですよ! みじかくても、おわかれはさびしいですから……」
「主殿の言う通り、ゆっくりしてこい。こちらは問題ない」
「気イつけてな」
「もっと可愛くなった加州さんに会えるの楽しみにしてるね!」
「あの、あの、お気を、つけて……」
今剣、骨喰、薬研、乱、五虎退が俺に声をかける。彼らとはこの本丸の初期に第一部隊として戦ってきた。俺以外はそれぞれ修行へ行き、もう共に組むことは少なくなったけれど、それでもまだどこかチームであるような気がする。
「ありがとう。行ってくるね」
五虎退が鼻をすすった。主がその頭を撫でるが、主も泣きそうになっている。
「だから、秒単位で帰ってくるって」
「……ゆっくりしてきて」
「うん。その為の鳩だしね」
やれやれ、早く旅立たないと主や五虎退が泣き出してしまいそうだ。先日主の就任一周年を祝った時にはしっかりしてきたと思ったのに。置いていって大丈夫なのかな。結局鳩なんかあっても、俺はここが心配になってしまう。
「じゃ、行ってくるねー」
ほんの少し出かけるだけみたいに、わざと軽く言った。いってらっしゃいと重なる七十人近い声は、随分重いのだけど(低音の連中も多いし)。
皆に背を向けると、途端に足が重くなった気がした。この踏み出す一歩が、初めてあの人と別れて過ごす時間なのか。ここに顕現されてから、一日だって会わない日はなかったのに。
──あんたと歩かない日が、初めてやって来る。
共に歩み、同じ季節を眺めていた。でも、これからたった一人で季節と向き合う。
俺にとってどのくらいの旅路になるのかはまだわからない。長くなるかもしれないし、存外に短いかもしれない。どちらにせよ、本丸に帰ればまたあの重く重なる声に出迎えられるのだろう。秒単位の別れにきっと涙して赤くなったあの人の目も、簡単に想像がついた。
──まだ梅雨の気配も残ってるんだし、もっと爽やかに迎えてほしいね。
まあ、仕方ない。それがあの本丸なのだから。
「……いってきます」
慌てないで、思うままに。帰る時は、きっと一分も経っていないのだから。
2018/06/26 pixiv公開
2024/11/02 当サイト掲載