刀剣乱舞の夢小説

忘れえぬ約束④
新しい約束



「主。主、起きてくれ」
 ……あ、やば、居眠ってた。起こしてくれたのは、地蔵行平だった。今日は近侍ではなかったと思うが、わたしが遅いから来たのだろう。……今日は近侍誰にしたんだっけ。
「さあ、もう時間だ」
「うん」
 そうそう、もう少し寝たいけど行かなくちゃね。
 部屋から出れば、日はまだ高く庭は明るい。池には綺麗な蓮が咲いている。
 ──いつ景趣を変えたんだったかな。
 寝起きの頭はよく回らない。大人しく地蔵行平のあとをついていく。腰に提げられた二振りの刀。初対面の時、なんで二振りなんだろうなあと気になったけれど、いわゆる『センシティブな話題』というやつだろうかと聞きあぐねたままでいる。自分で刀の来歴を調べればいいのだが、日日の業務もあるし休みがあれば居眠ったり遊んだりしているので手をつけていない。不真面目な審神者だなあ。
 ──もっと真面目にやっていたら、あんなことは起きなかったのかな。
 ……あんなこと? あんなことってなんだろう……。
 歩いているのに頭ははっきりしない。寝ぼけ眼のまま地蔵行平の背中だけ見ていたら、いつの間にか縁側から渡り廊下に辿り着いていた。廊下、というより橋に近い。両側は池で蓮がこれでもかと咲いている。
 左右とも、どこまで見渡しても蓮だ。 遠くは白くけぶり地平も水平も見えない。こんな景趣持っていたかな。
「主は蓮が好きだろう」
「うん。綺麗だ」
 蓮は大好きな花。
 わたしは、こうして世界に美しく蓮が咲き続けていて欲しい。
 だから戦うのだ。
 泥の上で、蓮は綺麗に咲く。喜びも悲しみも混ざり合い積み上げられた歴史という泥の上に、美しい花が咲きますようにと願って。
 審神者になった日、それまで自分が何も考えず享受していた世界は、刀剣男士たちが戦い守ってきたものなのだと知った。血と泥にまみれて、彼らが美しい花を咲かせてくれていたのだと。だから、わたしもその泥の一部になると決めたのだ。あの子が、初陣から血まみれで帰ってきたのを見た時に。
「加州は?」
「後から来る」
 後から、という言葉が随分寂しく思えた。一緒には行かれないのだ。約束をしたのに。
 ──なんの?
 主、俺は。

 俺は今でもあんたと死にたい。

 ──そうだ。約束をした。あかい爪と血にまみれた手を握りしめて。この刀と共に、この血と泥の一部になると決めたのだ。
 蓮は美しく咲いている。緑鮮やかな葉で覆われた池の下の泥は見えない。でも見えなくても、そこにあるから蓮は咲いている。
「地蔵行平」
 名前を呼ぶ。ゆっくりと彼は振り向いた。彼の後ろ、この橋の向こう側も、白くけぶって何も見えない。
「わたしはまだ行けない」
「しかし」
「戻らないと。約束があるから」
 わたしは踵を返そうとする──が、先程歩いてきた本丸は、今は燃え盛っている。橋を境に炎はぱったり途絶えて、少なくとも橋にいるわたしには燃える音も熱も届いていない。そもそもが、この短時間で本丸が火の海になることがおかしい。
「そちらは修羅の道。主にはわかっていよう」
 地蔵行平が背後から言った。炎の中で、戦う者たちが見える。誰の姿かまでは認識出来ないが、刀を振るっていることは確かだ。
「だからこそ戻らないと。わたしは審神者だから」
「自ら修羅の道を進むと?」
「蓮が咲くのは、それを守るために戦う者がいるからだよ。一歩間違えたら、この蓮は──少なくとも日本には咲かなくなってしまう」
 わたしは肩越しに地蔵行平を見た。
「地蔵行平、あなたならその意味わかるでしょう? 一度はその花を枯らそうとしたあなたなら」
 わざと言われたくないだろうことを言う。でも、彼の表情は変わらなかった。
「……そこまでは思わなかった? わたしあの世界はかなり怖かったけどな。わたしはずっとこの花に咲いていて欲しいよ」
「ならば……何故、こちらに来ない?」
「行くのは『今』じゃないってこと。もし、その時にもう一度来られるならだけどね……」
 ──また来られる気はしないな。だって、わたしは泥になると決めたから。
「誓いは果たされている。だから主を迎えに来た」
 地蔵行平が言った。──そうか。だから、あなたが来たのか。
 わたしは一度地蔵行平の方に向き直り、膝をついて手を合わせた。
「……お迎えは感謝いたします。でも、戻らなければ。あの炎の向こうにこの花を咲かすために戦う者たちがいる。わたしもこの蓮を守る一部になりたいと願います」
 地蔵行平は何も答えなかった。イエスもノーもない。ただ、彼の後ろその後ろに、先程は見えなかった輝きが見える。
「わたしの願いは大悲にほど遠い! でも、手の届くものを守りたいと願い、この花を咲かす泥の一部になりたい! あの炎の中でわたしが道を誤った時には、遠慮なく地獄へ落としてください! ──ではいつか、ご縁があらば!」
 わたしは『向こう』に聞こえるように大きな声で叫んだ。今度こそ踵を返して走り出す。橋の上では何も感じなかった炎は、橋を越えた瞬間に激しい熱さを感じた。しかし、わたしの服は燃えることなく、皮膚は熱いが焼け爛れていくこともないようだ。
 ──地蔵の加護でもあるか。
 振り向いた先にもう橋はなく、地蔵行平の姿はなかった。燃える本丸の中を走りながら、そういえば『今』の本丸にはまだ地蔵行平はいなかったなと思い出す。
 よく見れば本丸自体は一切燃えておらず、たとえるなら映画で「本丸という映像」の上に「炎という映像効果」を重ねて燃えるように見せているかのようだ。わたしは熱を感じるのだが息苦しさや煙くささもない。やはり何かが「燃えている」のではなく「炎の映像」があるだけか──。しかし、熱いのは事実だし長居することでどんな影響があるかわかったものではない。早く現実に戻らなければ。
 何かきっかけがあるとすれば、やはり最初にいた執務室か? 確信はないながらもそちらに走る。そこがだめなら転送ゲートか。「行先:現実」なんて選択肢があればいいんだが。
 執務室に向かう角を曲がると、庭で加州清光が戦っている。遡行軍、脇差──緑だから丙か。端末がないから具体的な強さはわからないが、加州ならば問題ない──と、思ううちに三体の脇差は見事加州が倒しきる。
「加州清光!」
「主!」
 加州がわたしを見た。
「ここから出る! 方法を探すぞ!」
「出口はこっち!」
 そうか。わたしが「加州との約束」のためにここに戻ったのだから、戻る鍵も加州なのか。わたしは加州に駆け寄る。
「どこにある?」
「そこ」
 加州が指差したのは池だった。蓮の咲く、本丸にはあるはずのない景趣。
 加州と共に池の側に行く。この池には、蓮が一輪咲いているだけだ。あの橋のように大量ではない。水面は鏡のようになっており、底は見えない。
「……飛び込まないとだめなやつ?」
 泳ぎはちょっとなあ……。
「だいじょーぶ。俺がいるでしょ」
「泳げるんだっけ?」
「ん~……まあ百年付喪神やってるし?」
 それ安心できる返事じゃないけど……。
 だが、この池の周りは炎がない。やはりここが「出口」なのだろう。
「じゃあ、行こうか」
 加州に手を差し出す。加州は笑って、わたしの手を強く握った。
「ちょっと怖いけど、三で行こう! 一、二」
 三! と同時にジャンプする。目を閉じて息を止めた。先程までの炎との落差もあるのか、池の水は刺すように冷たい。早く出口になってくれ……!
 と、いうかもしかして自分で泳いで出口を目指すやつか? 完全な思い込みで飛び込むだけでいいと思っていた。とりあえず目を開ける。
 ──絶対これ池の中じゃないだろ、と思うくらいに「真っ青」だった。この水も先程の炎のように「水の映像効果を重ねている」のかもしれないが、恐ろしくて呼吸をする気にはなれない。
 くい、と加州と繋いだ手が引かれる。加州の指差す先に白い光があった。あれが出口だろう。手足で水を掻けばスムーズにそちらに近づけた。現実なら服の重みがあるだろうに、そんなものは感じない。
 わたしの想像力の限界かもな、と思う。ろくに泳いだことがない。だから経験からもたらされる重量や泳ぎのスピード感が適当なのだ。
 まあ、今回はそれで助かったのか。これで服の重量がついていたら泳げなかったかもしれない。
 光に近づく。今度こそ出口であってくれ──そう願いながら光の中に飛び込んだ。
 壁かよ、クソ。目に飛び込んだ光景に思わず悪態をついた。
「主!」
 加州の声。声の方へ首をひねる。──横になってるな、と今気づく。つまりさっきのは壁じゃなくて天井か。加州の後ろには薄青のカーテンが引かれている。
「よかった……痛いとこない?」
 加州の目は潤んでいる。動かそうと思った右手はしっかり加州に握られていた。夢の中と同じように。
「……ここ、病院?」
 カーテンで仕切られたベッド。見えないが、他にも患者がいるのだろう。左腕には何か計測器のようなモノが巻かれている。最新の医療機器はよくわからない。動かしたらいけないのだろうか……。
「そう。……何があったか覚えてる?」
 あの夢の前の出来事。ええと──。
「……学生街の襲撃か」
「うん」
 そう。昼から学生街に行ったのだ。わたしは学校に行っていないが、あそこの図書館は充実していて好きなのだ。加州と、この前顕現したばかりの数珠丸恒次。数珠丸は喜んで何冊か本を借りていた。小腹が空いたからドーナツを食べに行って。
 突然の警報と出動要請があった。学生街への襲撃は過去にも起きている。審神者を減らしたければ子供を狙うのが一番効率がいい、と向こうも考えているのだろう。
 戦力の低い数珠丸を本丸に戻らせ、小夜左文字、宗三左文字、大和守安定、今剣、物吉貞宗を呼んだ。襲撃現場に向かい交戦を始めた──。
「……あの男の子無事?」
 逃げ遅れていた少年がいた。まだ特もついていなさそうな山姥切国広と共に。
「男の子は小夜が避難シェルターに連れてったよ。まだ審神者になったばかりなのかな。山姥切国広もちょっと頼りなかったし……」
「いや……ありゃ下手したらまだ審神者になってないかもしれない」
「十二歳の子か……」
 加州は少し眉をひそめた。
 そう──学生街には、まだ十二歳の子供もいるのだ。十三歳から審神者になる子供の中で、まだ中学校を卒業していない者は基本的に学生街にある中学校へ通うことになる(外の学校に通うことも可能なのだが、身寄りがない、親に虐待されているといった子供が外の学校へ通うのは難しい)。中学一年生には、当然十二歳の子供も含まれている──つまり正式に審神者にはなれないまま、襲撃の危険が高い学校に通わざるを得ない。刀剣男士に慣れるためという名目のもと始まりの五振りより刀一振りを持つことを許可されるが、本丸を持つこともなければ出陣することも出来ない。ろくに戦闘をしたことのない男士が、突然の襲撃に対応することは難しいだろう。十二歳の子供は本丸のない代わりに学生寮で食住は確保され、その他生活費も政府から支給されるのだが──非常に半端な存在なのだ。それを、三月生まれならほぼ一年やらなければならない。
 俗に「十二歳の破れ網」と呼ばれる、特令成人制度の穴。個人的には賛同しかねるが十三歳で審神者になれる特令成人は「子供の虐待や貧困のセーフティネット」と呼ばれている。その網からこぼれ落ちるのが「審神者になる予定の十二歳の子供」だ。どうにかならないものか……。
「他人の心配より、自分は大丈夫なの?」
「痛みはないよ……うちの連中はみんな無事だな?」
「うん。怪我した連中もみんな手入れ済み。……自分が気絶する前のことは?」
「あ~……」
 何があったっけ。熱かった気もするし、冷たかった気もする。それはさっきの夢か。
「……加州と小夜とちょっと離れたところから指示してたな」
「うん」
「子供を見つけて小夜に保護させて」
「うん」
「短刀と大太刀が追おうとしたから加州に止めろと言った」
「うん」
 で──大太刀は足が遅いからいいが、短刀の数が多くて。
「来やがれこの骨野郎! って短刀に石を投げつけたのは覚えてる?」
 加州、顔が笑ってるけど怒ってるなこれ。
「覚えてるし……一応こっちにきたら爆散術使ったじゃん?」
「自分も巻き込みながらね」
「守護符で怪我はしなかったし。あんなに動き早いと思わなかったんだよね……」
「その後は?」
「短刀がいなくなったら脇差が増援に来たから『脇差から殺れ!』って言った」
 あ、夢の中の脇差はこれの影響もあるのか。
「で……距離もあるしちょっとはサポートになるかなと思って大太刀に爆散術を使った」
「そんで大太刀のフルスイングの衝撃波だけで吹っ飛んだ、と」
「防護壁は張った」
「知ってる。でなきゃあんた今頃真っ二つだよ」
 あの距離の衝撃波だけで? と思ったが、防護壁の上からでも吹っ飛ばされて気絶したのだからそれも当然か。
「……吹っ飛ばされた先が池じゃなかったら、どっか打ち付けて死んでたかもしれないからね」
 池! なるほど、夢の内容は全部直前の出来事の影響だったのか。
「てか、池に見事に落ちてくれたけど、ちょっとずれてたら石とかに頭打ってたかもしれないし。本当あんた無茶するんだから」
 はあ~と加州は大きくため息をついた。
「ごめんね」
 あんたが、と加州は続ける。
「……子供を見たら、それを優先するのはわかる。優先順位は、まずは民間人、特に子供、怪我人、老人や病人や障害者など動きに不自由のある人……。あんたはそう命じる」
「うん」
 加州はため息をついて俯いた。
「……だから、池に落ちたあんたを助けるより大太刀を切ること優先した」
「よくやった加州清光。それでいい」
 握られたままの右手を強く握り返す。
「……あんたが死んでたら、俺もそのまま死のうかと思った」
「そこは敵を殲滅してから後追いしてくれ」
「……後追いは否定しないんだ」
「約束だから。でも、加州がここにいるならわたしは戻ってくるよ。今も夢の中から戻ってきたからね」
 加州は顔を上げてわたしを見た。目は潤んでいるけれど、口元は笑っている。
「……その夢の中が『壁かよクソ』だったの?」
「それ声に出てたんだ?」
「出てた。なぁに『壁かよクソ』って」
 加州は肩を揺らす。やっと本心から笑ってくれたようだった。
「いや、面白い夢を見てたんだよ」
 わたしは、気絶する前の出来事と自分の死生観の混じりあった夢の話をした。
「──で、最後は一緒に池に飛び込んだの。こうやって手を繋いでね。それで、出口っぽい光の方に泳いだのに見えたのがあの天井だったからさ」
「壁かよクソって? ほんとあんたって口悪い」
「TPOは守りますよ」
「そーね」
 加州は結構元気になってきたかな。
「でも、蓮がいっぱいの橋ね。いかにもって感じ」
「渡ったら『向こう』に行けたと思う?」
「さあね。……行かなくてよかったの?」
「加州がいないからね」
「後から来る、って言われたんでしょ。信じなかったの?」
「後からじゃあ……寂しいから」
 加州は嬉しそうに目を細めた。
「そーね。俺が一緒だったら?」
「……それでも本丸が心配で戻るかも」
「往生際が悪い」
 二人でくすくすと笑い合う。文字通り往生際が悪い。次に行くのは地獄かもしれないというのに。でも、果たして死後の世界などあるものかな。あの夢がわたしの個人的な死生観が見せた都合のいい幻想ということくらいはわかっている。歴史を守るために地獄へ落ちても構わないと意気込んだところで、地獄だって存在するかどうか。
 ──前生は何も見えなかったが。
 信心が足りないのか、本当に存在しないのか。単にわたしが忘れただけか。
 なんにせよ──確認など出来ないのだろう。
「そうそう、しばらく審神者業は休みかもよ」
 加州は思い出したように言った。
「え。入院長い?」
「それは医者が診察してから決まる。──これ」
 加州は手を離して、わたしに端末を渡した。画面には政府からの通知文書らしき細かい字が並んでいる。
「特令成人の労働管理システムに不備があるらしくって、特令成人に一斉待機命令が出た。とりあえず三日になってるけど」
「違法労働でもあったか」
 特令成人の労働時間は厳しく定められている。子供への搾取的な労働を禁止するためだ。──子供を審神者にする時点で十分搾取的なのだが、その言い訳のように一日最大何時間だの残業は絶対に禁止だの、いろいろ決められているのだ。
「さあ。それもあるかもしれないけど、今回の出動要請が本来は特令成人に行かないはずなのに出たことが大問題だったみたい」
 ──は?
「なんかね、普通に学校に行ってる特令成人には全員避難命令が出たんだけど、主みたいな大卒組とか、飛び級や自宅学習使ってるとか、そういう例外的な特令成人には出動要請が出たんだって。要請であって命令じゃないから、行かなかったのがほとんどみたいなんだけど」
「はあ~?」
「基本的な運用としても緊急出動要請は特令成人には出ないんだってさ。今回みたいに近場でなんかあっても、出るのは避難命令で出動要請は出ないらしくって」
「なにそれ……」
 でも、冷静に考えたらそれが妥当な運用だろう。通知文書にも加州の説明と同様のことが書かれている。今回出動した者には報償を云云──わたしは読むのをやめて端末を手放す。
「なんの疑いも持たず出動要請に応じてしまった……」
「俺も何も思わなかった。主が子供ってこと忘れがちなんだよね」
「五十年以上付き合ってるのに今更十三の子供と思える?」
「全然。でも、他の連中はちゃんと主のこと子供と思ってるし、俺もそう思った方がいいのかなって」
「子供と思うって具体的には?」
「……今回だったら子供は避難しなさいとか?」
「気にしてるならそれ加州の責任じゃないからね。ミスとはいえ出動要請出したのは政府だし行くと決めたのはわたしだ」
「わかってるけど」
「これはシステムの不備。加州が責任感じる必要ないんだよ。それにたとえ避難命令出てても、避難途中にあの子を見つけてたらわたしはその保護のために戦った。もちろん逃走が前提の戦いだから立ち回りは今回と違う。その場合はわたしは子供と逃げることを優先する。しんがりは当然、加州だ。勝ち目がなさそうでもわたしたちが逃げ切るまで戦え、そう命じるよ。嫌か?」
「まさか。絶対に主たちを逃がすよ。折れたくはないけど──それで主たちが助かる確率が上がるなら折れるまで戦う」
 加州は真剣な顔で答える。
「うん。わたしも全力で逃げるし、もちろん応援だって呼ぶから加州を折らせたりしない。どう転ぶかはその時にならないとわからないけどさ──覚悟は同じなんだ。逃げるのも、戦うのも。その時の全力を尽くす。その結果をわたしは負う」
「──うん」
 加州は、わたしが言わんとすることを理解したようだった。ため息をついて呆れたように笑う。
「あんたは昔から頑固者だったね」
「そうじゃなきゃここに戻らなかったよ、きっと」
 ──この子が血まみれで戻ってきた、その日から。
 加州たちだけ戦わせて、自分は何もしないでいるなんて出来ない。
「約束もあるし? でも俺気づいちゃった……」
 加州はベッドに頬杖をついた。わたしの顔を覗き込む。
「俺が先に折れても、あんたは後追いなんてしてくれないね」
 加州の目にわたしの顔が映っている。小さくてよく見えないけど、たぶん情けない顔をしているだろう。
「……そうだな」
「ま、俺もされたかないけどさー」
 加州は少し寂しそうに笑う。
「その時はちょっとだけ待っててよ」
「六道の道の巷に待てよ君、って?」
「実際に今めぐり会ったから六道の道の巷でも待てるんじゃないの。ただ紫の雲の上にはわたしじゃ連れていってやれないかもしれないけど」
「今日も行きかけてたし大丈夫じゃないの?」
「あんなの、わたしの願望が反映されたただの夢だよ」
「そう?」
 だって。いくらでもあなたたちに残酷な命令をするのに、いいところになんていけるもんか。
「でも、一緒に行くでしょ」
「地獄だったら?」
 この戦争の中で、いったい何が正しい行いなのだろう。もし歴史修正主義者の目的が、幾度と起こった世界的大戦を止めることなら? その時わたしは何千万人、いや、何億人を見殺しにするのか。今だって歴史を守るという名目のもと見殺しにし続けている。『歴史』と『現在』を守るという思想のもとで。
「その時は仏でも神でも捕まえて直談判するよ。『このひとは蓮を絶やさない為に戦い続けてきたんだぞ』って」
 瞬間、視界は涙で歪む。
「俺は霊験あらたかな刀じゃないけどさ。あんたのやってきたこと一番知ってる。こんな風に子供を守ろうとして死にかけたりする、そーいうひとだって。俺が一番近くで見てたんだ。これ以上の証拠はないでしょ?」
 加州がハンカチを差し出した。受け取って涙を拭く。
「……ありがとう」
「でも、逆に言えばそれって主の行い次第ってことだからね。俺はあんたの行くとこどこでもついていくけどさ、できたらキレーなとこでゆっくりさせてよ」
 しっかりと釘をさされてしまった。
「……努力する」
 そう──歴史を守らなければ蓮は枯れてしまう。その為に戦うのだと誓いここに戻ったんじゃないか。
 『本当に』それが正しい行いなのかはわからないけれど。
「……加州清光」
 わたしは右手の小指を立てた。
「約束。どちらが先に死んでも六道の道の巷に待つことにしよう」
 加州は少し目を見開いた。それから笑って、わたしの小指に指を絡める。
「うん」
「その先の行き先は保証出来ないけど」
「……キレーなとこにしてよ」
「そればっかりは人間のわたしにはわからないんでね。でも、どんな場所でも一緒に行こう」
「そーね。一緒に」
 絡めた小指を離す。廊下から足音が聞こえた。
「すみませーん。審神者さん、診察ですよ」
 白衣姿のこんのすけがひょいと顔を出した。
「護衛の方とついてきてください」
「こんのすけ、これはつけたまま?」
 医療こんのすけに左腕のことを訊ねる。
「はい、そのまま来てください」
「はーい」
 ベッドから降りてスリッパを履く。
「歩ける?」
「大丈夫」
「足元お気をつけくださいね。こちらです」
 こんのすけについて病室を出た。一瞬、夢で歩いたあの縁側がよみがえる。病室の扉が並ぶ廊下とあの縁側は似ても似つかないのに。薄いグリーンの床も手すりのついた壁も、何もかもが別物だ。なのに、何故。
「主?」
 隣の加州が心配そうにわたしを呼ぶ。
「いや。ちょっと目がくらんだちゅうか……。ずっと横になってたから……」
「お加減悪いなら、車椅子をお持ちしますが……」
 こんのすけが振り向く。
「大丈夫大丈夫」
「……確かに数値は問題なさそうですね」
 こんのすけがわたしを見つめて言った。たぶんこの左腕の機械の情報を読み取ったのだろう。
「加州、手貸して」
 そう言えば、加州は笑って手を握った。あの夢と同じように。でもここはもう現実だ。あの夢では加州の手になんの温度もなかったなと、手袋越しのぬくもりでやっと気がついた。

2022/01/26 pixiv公開
2024/11/02 当サイト掲載
15/15ページ
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