刀剣乱舞の夢小説
忘れえぬ約束①
「清光、政府から連絡があったよ。明日新しい審神者が来るって」
大和守安定は、右手に持った端末を俺に見せながら言った。
「……そう」
出した声は、思ったよりも暗かった。それはいつまでも消えない痛みの所為かもしれないし、もう審神者になど期待していないからかもしれない。
「今度は女の人だよ」
「男も女も、それだけじゃいいとは限らないよ」
「でも、女の人ならそろそろ主が帰ってくるのかもしれないじゃないか」
もうあの人は死んだよ安定──そう思ったけれど口には出さなかった。安定が今でも慕い続けるこの本丸の最初の主は、もう何十年も前に亡くなっている。だというのに、安定は時折「主が帰ってくるかもしれない」と言う。それは亡くなった直後からそうだ。安定は主の死を理解することを拒否している。最初のうちこそ安定の言葉に「あの人は死んだんだ」と言い返すこともあったが、しばらくしてやめた。
仕方ないのだ。俺たちは彼女の死に目に会うことも出来なければ、死体や骨を見ることも出来なかった。俺たちが見たのは、ネットやテレビのニュースで流れた、政府施設のあった場所のクレーターだけ。カタカナの並ぶ最新兵器による攻撃は、俺たちの主もその護衛についた守り刀も、他の多くの審神者も刀剣男士も政府職員も、肉片一つ、刃の欠片一つ残さず消し去ってしまった。それは「死」と呼ぶにはあまりに実感がなく、俺たちが感じられたのはただ「主がいなくなった」という事実だけだった。
俺自身とて、主はあの施設におらず、無事に帰ってくるのではないかと心の隅で思うこともあった。だがそんな期待は政府からの通知で完全に消え去った。悲しむより先にこの本丸の行く末が気にかかり、薄情だという思いと初期刀としてこの本丸を見届けることこそ自分の役目だという妙な使命感があった。
結局のところ俺と安定は似た者同士なのだ。安定は主が帰ってくるという妄想で、俺は本丸を守るという使命感で主との繋がりを求め続けているのかもしれない。
「お前や僕の怪我もやっと治してもらえるさ」
「せいぜいまともなやつならいいけど。期待はしない」
「まあこれ以上は悪くならないんじゃないの」
「そーね」
瀕死の重傷より悪いことなんて、あとは折れるだけだ。そうなったらこの痛みからは解放されるのだろう。
「じゃあ僕、宗三と小夜にも報せてくるよ」
「あいつら喜ばないと思うけどね」
「そうだね」
安定は眉を下げて笑ってから、部屋を出ていった。
この手入部屋に寝かされてから、どれほどの時間が経ったのかよくわからない。痛みから逃れるために眠ることも多い。今眠ったら、目覚めた時には次の審神者が来ているかもしれない。これで何人目だったろうか。
一人目は、俺たちを目一杯可愛がってくれた、今も愛しい主。
二人目は確か、機械みたいな女で淡淡と業務をこなしていた。前の主のように可愛がってはくれないけれど、ひどいこともしない。当時は不満に思ったけれど、今にして思えば、随分いい主だった。戦績はよかったが、むしろ良すぎてしまったのか政府からの命令で異動してしまった。
三人目は男で、これは酷かった。仕事は全部俺たち任せで、自分は何もしない。あとからアマクダリというやつなのだと聞いた。監査が入って新しい戦場への出陣や任務を政府から命じられると、下手な指揮をされ何口も仲間を失った。結果が出ないことで怒り暴力を振るうようになり、強制解任された。
四人目もまた男だった。警戒していたけれど、最初の主のようにやさしい人間だった。特別有能ではないけれど、無茶な進軍は決してさせず、安定した本丸運営をしてくれた。彼ならばずっといてもいいのにと思ったけれど、病にかかり引退を余儀なくされてしまった。
五人目は女で、これもまたよくなかった。戦は下手だし贔屓が酷く気に入らない刀剣ならばまるでそこに居ないかのように扱う。俺はまともに口を利いたこともなかった。詳しい原因は知らないが宗三と口論の最中、暴力を振るったため強制解任となった。
六人目は男で──そうだ、これが前回の審神者だった。こいつが歴代で一番酷かった。無茶な進軍や鍛刀をして、意見をしたら重傷を負わせて手入もしない。俺もそうされた一人だ。誰の意見も聞かない男だった。己の望む刀剣を鍛刀するために呪術に手を出し、鍛錬所から化け物を生み出した。化け物は、審神者を食い殺し刀剣男士に襲い掛かり本丸を破壊し──化け物を仕留めた時には、安定と宗三と小夜と、手入部屋で騒動も知らずに眠っていた俺しか残らなかった。生き残った三人も無傷とはいかず、安定はひどく傷を負い、宗三は顔に深い傷をつけられた。小夜は一番怪我が少ないものの手足に巻く布が増えていた。化け物の残した傷跡はそれだけではなく、本丸の空間全体が汚染され人間が易易とは出入り出来なくなってしまったそうだ。おかげで長いこと七人目は来なかった。
七人目。七は縁起のいい数字だと主は言っていた。今度こそ。
今度こそ、刀解を願い出てみようか。
ぼろぼろになった爪を見る。どんなに整えたって、可愛いねと言ってくれる人はもういない。言って欲しい人は、もう。
懐かしい夢を見た。初陣の夢だった。審神者に選ばれて、初めての戦い。俺も主も勝手のわからぬまま出陣した戦は、重傷になって帰還するという情けないものだった。
捨てられる、と真っ先に思った。ぼろぼろになって、敵を斬れもしない刀なんて、誰が手元に置きたがるだろう。本丸に戻っても主の顔を見ることは出来ず、言われた言葉もろくに耳に入ってこなかった。立ち尽くす俺の手首を掴んで主が歩き出した時、何処かに捨てに行くのだと思った。
こんな、ぼろぼろじゃ──思わずこぼれた言葉に、主は振り返った。
「捨てたりしない」
連れていかれた手入部屋で、俺はすぐに修理された。刀身にやさしく触れられる感触に、かつての主を思い出した。毀れた刃がすぐに直っていくところは、かつてとは違いすぎたけれど。瞬く間に傷は消え、ぼろぼろになった服も爪も綺麗になった。これなら捨てられないだろうかと安堵した俺を、主は呼んだ。
「加州清光」
名前を呼んで、まっすぐに俺を見た。特段目立つところもない特徴のない顔だった。けれどその目には──心には、激情が宿っていた。
指揮の失敗を謝罪され、これからも戦って欲しいと頼まれた。
「力を貸して欲しい。人が築き上げてきた過去を、それに続く未来を守るために。どうか、わたしと戦い、わたしと」
死んで。
出会ったばかりでするには過激な願いだった。でも、一度死の淵に立った直後に聞くには、それ以外ない願いだったように思う。
「わかった」
確かにそう返事をした。共に戦い、共に死ぬと──そう、約束したのに。
意識が浮上した時、このところずっと苛まれていた痛みは消えていた。手を上げれば、久方ぶりに整った爪を見る。爪の先はきちんと丸いし、紅は鮮やかで欠けもなくつやがある。
新しい審神者が来たか。手入をされたというのに、気づかずずっと眠っていたらしい。いくら長く戦に出ていないとはいえ、感覚が鈍くなりすぎている。身体を起こすと、ぱさりと掛布が落ちる。それは血の染みなどない清潔なもので、重傷で戻った俺をここへ担ぎ込んだ安定が掛けてくれたものとは別のものだった。
──少しは、まともな審神者なんだろう。
掛布一つでそう思った。寒いだろうかと慮る心を持つなら。──そんな人間になら、また力を貸すのも悪くない。
昨日刀解を望んだ心は、もう揺らいでいた。我ながら甘いと思う。でも、たぶん『人』が好きなのだ。いい人間ばかりでないことは知っているけれど、悪い人間ばかりでないことも知っている。あの人のように可愛がって使ってくれる人を、まだ求めているのかもしれない。
なんにせよ、判断は審神者に会ってからでなくては下せない。随分と久しぶりに立ち上がり、手入部屋の戸を開けた。
──戸を開けた瞬間に、異世界にでも迷いこんだかと思った。目の前にあったのは、倒壊した母屋だった。空気は淀み、何もないというのにずしりと肩に何かがのしかかったような気分がする。
振り向いた手入部屋には傷一つなく、そういえば手入部屋は主が──一番最初の主が、外敵から守れるようにと結界を張っていたのだったか。外の音も聞こえてこないという難点はあるものの、審神者かその本丸の刀剣男士でなければ入れない。よもやここまで強力な結界だったとは、この何十年も気づかなかった。前の審神者が生み出した化け物に殺されずに済んだのもこの結界のおかげだろうか。死んだあとでさえ、ずっと、俺たちを守り続けてくれたのか。
転ばないように瓦礫を乗り越えて、審神者か仲間がいないかと探す。審神者の執務室は──完全に潰れている。かつては刀剣男士たちの部屋だった場所も、あらかた壊れてしまったようだ。自分の部屋も瓦礫の下だ。最初の主にもらった鏡とか、四番目の主が買ってくれたマニキュアの瓶とか、なくしたくないものはたくさんあったのに。
ため息を一つついてから、母屋を離れた。
以前安定が道場は無事だと話していたことを思い出しそこへ向かった。久方ぶりに見た道場は、無事だと言うわりには屋根瓦が一部壊れて扉にも穴が開いていたが。
近づけば、やはり安定たちはそこにいたらしく、話し声が聞こえてくる。安定の声だ。
「……宗三と小夜がいなかったら、僕もやられてたよ。本当にすごかったんだから」
どうやら、新しい審神者に化け物の話をしているらしい。道場の中を覗き込めば、四人で円になるように座っていた。審神者が結界でも張ったのか、道場の中の空気は悪くない。
「こう、どーん、って! てぃーぜっと……てぃーぜっとなんとか!」
安定は完全に治った身体で身振り手振りを交えながら審神者に話している。もう打ち解けたようだ。
「あれで化け物がばらばらになってさ──まあ、それで腹の中にいた前の審神者も巻き込まれたけど……」
審神者は相槌を打っているが、安定の説明でどれほど通じているものか。話が途切れるのを待ち、声をかける。
「あー、ちょっとごめん。新しい審神者さん。俺、加州──」
清光、と続けたかったのに、振り向いたそのひとを見てそれ以上の言葉は出なかった。
「加州。目が覚めたみたいでよかった。痛むところはない?」
俺に笑いかけるその顔に、気遣う声に、覚えなんてないはずなのに。
「あ、るじ」
姿や声が変わっても、わかる。俺を選んだ、そのひとなのだと。
「なんで、あんたが──」
「……三人にも言ったけど、わたしはあなたたちの最初の主とは違う人間だよ。ただ不思議なことに、あなたたちとここで過ごしたというありもしないはずの記憶を脳に持ち、わたしは『わたし』だと──認識の主体を同じだと考えているということだね」
「……そのよくわかんない説明をしてくれるとこ、主としか思えないんだけど……」
「まあこの場合同一人物といえるのか、なんてのはわからないね。答えの出ない問いを追いかけ続けるのは時間の無駄だよ。一介の人間がそんなこと考えてると気が狂いそうになるし。あまり気にしないで」
細めた左の目元には、小さなほくろがあった。
「僕は絶対帰ってきてくれるってわかってたよ。あなたがいなくなるはずないもの」
安定は無邪気に笑うけれど、その信念こそが、彼女をここに「引っ張って」しまったのではないか? 本来あるべき命の廻りを歪ませて──。
「それで加州、あなた身体はもう大丈夫なの?」
「あ……うん、なんとも、ない」
そう答えれば、よかった、と主は笑う。
「それじゃあ今から最近の戦況について報告するね。あなたたちの最後の出陣記録以降に発見された新種がいて──」
主は淡淡と新種の遡行軍について説明を始めた。安定も、宗三も小夜も黙ってそれを聞いている。主の報告は、かつてより戦場が増え敵の強さが増している、審神者の人数はあの凄惨な事件より前の数には戻っていない──そんな、あまり良いとはいえないものだった。
「すぐ出陣することになるのですか?」
一通りの話が終わったあとに宗三が訊ねる。
「刀装も作る資源もないしまずは遠征から行く。本格的な出陣は来月の戦力拡充計画から行くつもり。鍛錬所がないからね、そこの刀剣でまずは戦力を整える。戦力拡充計画では新人の育成を優先するからあなたたちにはつまらないかもしれないけど、しばらくは我慢して」
「また出陣出来るだけで重畳ですよ。飾り物のなまくら刀になる気はありませんからね」
「久しぶりの戦、わくわくするなあ」
宗三と安定は楽しそうに笑った。
「主。あなたの仇を討たせてくれる?」
小夜は己の刀をぐっと握る。
「ええ、小夜左文字。あなたの力を貸してちょうだい」
主は切れ長の目を細める。
「歴史修正主義者の好きにはさせない。それが何よりの仇討ち。わたしにとっても、他の犠牲者たちにとっても」
「……そうだね」
「はは! それならすぐにでも手合わせしようか。勘を取り戻さないと」
安定はぎらりと目を光らせて床に置いていた刀を掴む。
「安定、力が余ってるなら外を片付けてよ。とりあえず井戸を使えるか確認したい。水道止められてるの。まあ水が来てても配管がやられてるだろうけど……修理申請はするけど、これだけ壊れてたらいつ直るのかなあ……」
最後はほとんど独り言になりながら主は言った。安定は出端を挫かれ不満げにあぐらをかいた。
「井戸? 井戸なんてあったの?」
「あったの。加州は初日に一緒に見たでしょ」
「ああ……そーねえ」
随分と遠くなった記憶を手繰り寄せる。主と二人でこの地に足を踏み入れ、本丸の設備を一通り見て回った──こんのすけの案内を受けながら。
「主、こんのすけは?」
「今日は配備できないと言われたよ。いつ配備されるか聞いたけど返答はまだ。……あのさ──」
主は一度言葉を止めた。
「……いや、どうにも政府の人間はこの本丸のことを疎かにしていてね。被害状況もわからなければ生き残っている刀剣男士の数もわからないって体たらくだった。報告書から安定は生きてるってわかったけど、その報告書には大和守安定は化け物の瘴気にあてられて祟り神と化したようだと書かれてた」
「ええ?」
心外だと言わんばかりの安定の反応を見て、主は肩を揺らして笑った。
「でも会ってみたら以前の安定のままじゃない。どうやらここに来た役人は随分と臆病者で血まみれのあなたを見ただけでもう恐ろしくなってしまったみたいだね」
「確かに肝の小さそうな人間だったかも……でも今のあなたと違って大人だったと思うけどな」
「わたしも成人はしてるよ。まあ特令成人ってやつで全く成人と同じわけじゃないけど」
「いくつなの?」
「十三」
「十三!?」
俺と安定の声が重なった。
「まだ子供じゃない!」
「子供だね。まあ十三から成人とされるのは審神者になる人間だけだけど。要するに貧困層の子供や虐待で親と暮らせないとか親が亡くなったとか、そういう立場の弱い子供をさっさと審神者にしてしまおうという法が二十年ほど前に出来てしまった。あの事件からとにかく審神者が足りてないとはいえこれを通した連中の良識を疑うね」
「条約逃れの脱法法が出来たんですか? 腐ってますね」
宗三が眉をひそめた。
「まあわたしもそれを利用しているけどね」
「利用されてるんだよ。仮にあんたの中身が百歳過ぎてようが今は子供でしょ。立場の弱い子供を入れるべきは戦場じゃない」
かつてのあんたならそう言ったはずだ。まだあどけなさのある瞳が揺れた。
「……そーね。わたしもそう思う。だけど、わたしは一刻でも早くここに戻りたかった」
でも、その揺らぎは消え、やはりその目はあの日のような激情を宿していた。
「今、既に歴史が変わり始めている」
主の言葉に、全員が黙りこむ。
「……今から二百年くらい前に、歴史への最初の攻撃があった。その日付がわたしの記憶と違っているんだよ。近代史が変わり始めてる。歴史防衛省がそれに気づいているかどうかはわからないけど……」
「近代史……も、変えれるんだ……」
安定が呟く。
「近代史も変えれるというか、防ぎきれなかった過去改変の影響が近代史にあらわれてるんじゃないかな。あの事件をなかったことにしようなんて考えないでね。あなたを折るのはわたし嫌だから」
わかってるよ、と答えて安定は目を伏せた。頭によぎった考えではあったのだろう。
「歴防省が公表しないのはそれを考える者が出ると思っているからか、あるいは……その意図はともかく、わたしはこれ以上の改変を防ぎたい。大人になるまで待って『現在』を失うのは嫌だ。どうか」
──ああ、やはりあの日みたいだ。
「また、力を貸してほしい。人間の積み上げた過去と、それに続く現在と未来を守るために」
わたしと戦い、わたしと死んで──そう続くかと思ったが、主はそこまで言わなかった。
「もちろん。ずっとあなたを待っていたんだもの」
「うん。これでやっと本分を果たせるよ」
「退屈よりマシですからね」
安定、小夜、宗三が迷わず答えた。
「加州清光」
名前を呼ばれる。まるであの日みたいに。でも。
「約束を守れなかったのはお互い様だから責任を感じる必要はない。そして今のわたしは『あの約束をしたわたし』ではないから義理を感じることもない。好きに決めて」
「……なんで、俺にだけそんなこと言うの」
「気にしてるかと思って」
「気には──するよ」
約束したのだ。死の道も共にあると。
「約束って?」
安定が首を傾げる。主は微笑む。
「昔の話」
「……そーね」
「清光だけ? 僕は?」
「もう果たせない約束はしない。反省してるの」
きっぱりと主は言った。もう彼女には昔の話だ。でも。
俺は今でもあんたと死にたい。
「……いーよ。あんたに力を貸す」
約束でなくても、俺がそう決めればいい。俺の死に場所はここだけだから。
「ありがとう加州。わたしが死ぬまでよろしくね」
「うん。よろしく」
ああ、安定のことを馬鹿に出来ない執着心だ。目の下のほくろばかり気にしていたけれど、紅く縁取らせたその瞳は随分見慣れた形じゃないか。
「何、じっと見たりして」
「そのアイカラーいいじゃん。今度貸して」
「うん」
「随分早くお化粧してるんですねえ」
宗三が主の顔をまじまじと見る。
「ちょっとでも見た目年齢上げたいからね」
「女の人は若く見せたがると聞きましたが」
「若くてもあんまりいいことないから。まあただ生きてるだけで腰とかが痛くならないのは若さの利点かな?」
「主は運動不足だったんじゃないの……?」
小夜が小さな声で指摘した。執務室の端末に向かいながら腰をさする姿が思い出される。以前の主に運動不足を解消しているような暇がなかったのも事実だが。
「子供の言葉じゃないですねえ」
宗三はくすくすと笑う。
「今ならあの見た目でじじいを自称してた三日月が何もおかしくないって理解できるよ……」
「三日月、か……前の前の審神者の時だっけ?」
「そーね……」
「馬鹿なんですよ。自分が折れたら心を入れ換えると思うなんて」
宗三が悔しそうに言った。ああ──そうか。三日月はわざと折れたのか。『主』への諫言として。だから宗三は。
「……これまでの引き継ぎ記録は読んだのだけど、ほとんどがほんの数行の概要と残存刀剣数と資源残数しか書かれてなかった。でも五人審神者が来て二人が強制解任、一人が自分の作った化け物で死亡って読むだけでも大変だったのはわかる。苦労をかけたね」
「あんたの所為ではないでしょ」
「雑な引き継ぎ制度が出来てしまったのは人間の責任だよ。あの事件で激減した審神者の分の戦力を維持するために作られたのに、天下り先やマネーロンダリングに利用されたり……これも歴史修正主義者の陰謀だったりするのか……きちんと運営されてれば今頃……」
主はため息をついた。
「まあ悔いるより先に進むしかないね。お菓子持ってきたよ。万屋の団子と、大福と、お煎餅。これ買うのに万屋行きたいって言ったら最初は駄目って言われたんだけど、他の職員がわざわざ買ってきてくれた」
主は大きな鞄から菓子と飲み物を出した。茶やジュースなどさまざまだ。
「重いと思ったら、そんなの入ってたんだ」
鞄は安定が運んだらしい。主はまず菓子の包みを真ん中に広げた。
「人数わからなかったからとりあえず十人分くらい買ってもらったけど、まさか四人とはね。ま、好きに食べて。飲み物何がいい?」
「玄米茶ちょーだーい」
「ほい。小夜は?」
「烏龍茶」
「僕カフェオレがいいです」
「はいはーい。かしゅーちゃんはー?」
「……ほうじ茶」
主から渡されたほうじ茶のパッケージは、見慣れないデザインになっている。そういえば、最後にこんなものを飲んだのはいつだったろうか……。
「じゃ、いただきます」
主に従って口口にいただきますと呟く。主は煎餅を手に取った。
「……食べるなんて、久しぶり」
小夜が小さく呟く。大福を手に取った。安定も団子に手を伸ばす。
「キッチン大破しちゃったもんね。せっかく三番目の主が食器洗浄機買ってくれたのに……」
「四番目だよ。てか惜しいのは食器洗浄機かよ」
「だって僕すぐお皿割っちゃうから。宗三もあれ惜しいよね?」
「そうですねえ」
「お金貯まったら買うよ。……いや修繕費ってことで経費で落ちるのかなあ。うーん建物は全部向こうが持つと思うけどオプションがなあ……」
ばりぼりと煎餅をかじる音を混ぜながら主は喋る。歌仙がいたら行儀が悪いと小言が飛んできそうだ。
「にしてもあなたこんな場所で生活どうする気です? 食事は買いにいってもいいでしょうけど、ここ水回りは死んでますよ」
「現状報告して頼めば仮設トイレとシャワーくらいつけてくれないかな? あ、だから井戸のチェックしなきゃ。昔農具置いてた倉庫は?」
「死んでる」
安定が答える。何本目かわからない団子の串を置いた。
「水質検査キットしまってあったのになあ」
「それ、残ってても百年くらい前ので使えないと思うけど……」
小夜に言われて主はあっと目を見開く。
「そうか! どうもその時間感覚が……数字は見たのに実感がないんだよね」
「……百年も経ってたの?」
安定は真顔で聞き返した。俺もそんなに経っていたとは思わなかった。
「おおよそ」
「つまり百年も……主の膝に乗れなかったってこと?」
「おいで」
主は胡座をかいていた足を崩した正座にして自分の膝を叩いた。安定はその膝に頭を乗せる、が。
「絵面が悪いですね」
宗三が遠慮なく言った。
「はは。小さいから乗り心地も悪いでしょ」
主は笑いながら安定の頭を撫でる。
「まああと何年かしたら大人と変わらない背格好になるよ。きっとすぐに」
「すぐじゃなくていいよ。人の時間は、本当に短いから」
安定は寂しそうな声で言った。
「一年でも、人の身には充分長いのだけどね──」
「おや。年末が来るたびに早い早いと言っていた気がしますが」
宗三はきっと、年末の書類に追われていた主を思い出している。
「年末の時間の早さは異常だね。でも、一年は本当に長いよ。大変だもの、毎日が」
「……そんな大変な場所に、わざわざ戻ってきちゃってよかったの?」
少し迷ったが、思ったままに聞いた。
「大変だけど、もうここじゃない生活は合わなくてさ。それに、きっと──わたしの死に場所はここだから」
まだあどけない顔には似合わない、かつてのような激情と覚悟の宿る瞳で主は俺を見た。
約束にとらわれているのは俺だけなのかと思ったのに。この人だって結局、あの日から動けていないのか。
「僕は死んでも傍にいるからね」
顔を上げて宣言した安定に、「心強いよ」と主は笑う。
「でもなるべく長く、たくさん敵を倒してくれると嬉しいな」
「もちろん!」
「流石わたしの愛刀」
主にくしゃくしゃと頭を撫でられて、安定は無邪気に笑う。紡がれるのが「たくさん殺しまくるからね!」という言葉でなければもう少し微笑ましいのだろうか。
「さて、じゃあ水回りだけでもなんとかしないとね。とりあえず──」
主は端末を取り出したが、あれっと声をあげた。
「動かないや。不良品かな」
「僕の動いてるよ。電話だよね。電話、電話……」
安定も起き上がって自分の端末を取り出したが、久しぶりであろう電話の操作に手間取る。
「あ。なんかかかっちゃった。……えっと、もしもし? ……うん、そう」
安定は間違ってかけてしまった相手と話し始める。
「……え? ああうん、おいしかった。……ちょっと待って。主、お菓子くれた人に繋がったよ」
安定は声をひそめて主に端末を渡した。
「もしもし──」
主に変わった途端に、電話の向こうから悲鳴があがった。主は耳から端末を離す。
「もしもし? どうかされました? ……大丈夫ですか? あの……」
主は幾度か相手に話しかけたが、結局会話にならず電話を切った。
「……安定、今の誰?」
「お菓子くれた人じゃないの?」
「違うと思うけど……なんでお菓子くれた人と思ったの」
「送ったものはどうでしたかって言われたから、お菓子のことかと思って」
「誰か他の人と間違えたんじゃない?」
「でも最初に大和守安定様ですかって言われたよ」
「じゃあ他の安定と間違えたのかなあ……?」
主は不思議そうにしながら安定に端末を返した。俺は安定の端末を覗きこむ。
「安定の端末に履歴があったからかかったんだろ? 誰なのかわかんないのかよ」
「番号しか出てなくて……」
「んなの着信があったのがいつかを見りゃ──」
あ。
「日付? ……ああ」
安定も気づいた。
「わかったの?」
「ここが壊れた日にここに来た職員だ。電話でここの状況とか連絡して、審神者の遺体を引き取ってもらった」
「そう……だったんだ」
「主はこの人にお菓子もらったの?」
「若い職員だったけど……いや、その人が命じたってことかな?」
「……お菓子の話じゃないんじゃないの」
小夜がぼそりと言う。
「……僕、あの日職員には会ってないけど……来たのは遺体を引き取りに来た一人だけだよね。なら、大和守安定が祟り神だなんて書いたのはその人だ」
「主をここに送り込んだのもその人、ですか」
「なるほど」
「何がなるほどなの?」
小夜も俺も宗三もわかったが、主と安定は不思議そうにしている。
「つまりその職員は主が『祟り神のいる危険な本丸』に行ったと思ってて、その安定から電話がかかってきて」
──送った『者』はどうでしたか。
──ああうん、おいしかった。
「じゃ、安定に食べられて死んだはずのわたしの声がしてビビったってわけ。本当に臆病者だね。てか……子供が審神者になれるようにしたのは、そうやって『祟り神』に食わせる目的なのか? 実際にあなたたちが人間食べると思わないけど……」
「生の人間が送られてきてもねえ」
「うん……食べろって言われても困る……」
左文字兄弟が頷き合う。安定も神妙な顔で主を見た。
「うーん……じっくり煮込めば……?」
「調理法考えないでよ」
「でも主を食べるより、ずっと一緒にいたい」
「ずっとは無理だよ、わたしは死ぬ。今日明日じゃなくても、そのうちに」
主のきっぱりとした物言いに、安定は瞳を潤ませた。
「人間は生まれては死ぬし、あなたたちはいずれ概念へと還る」
「そう、だけど……」
「大丈夫。それは何もかもが無くなることじゃないよ。わたしたちは『歴史』になるの。名前も記録も残らなくても、表に見える歴史の下に、たくさんの命があることをあなたは知っているでしょう?」
「……うん」
安定の頬に涙が伝う。主は安定を抱き締めて、やさしく背中を叩いた。
「過去も今も、あなたたちが守って、作ってくれた歴史なんだよ。だからわたしは守りたい。これからも」
「うん……守るよ、きっと……」
ぐすぐすと泣きながら安定も主を抱き締めた。
すん、と小夜が鼻をすすった。宗三は顔を伏せ、俺も流れそうな涙を必死に堪えている。また『その日』を迎えるのなんて御免なのに、あんたはもうそれを受け入れてるなんて。ああでも今度こそ──。
静かになった空間に、不粋な電子音が鳴った。安定の端末だ。まだ泣いている安定に代わり、床に置かれていたそれを取る。
「……もしもし」
「──加州清光?」
若い男の声だった。
「……あんたは?」
男は所属と名を告げた。同じ部署の職員が電話中に急に様子がおかしくなったので、こちらにかけ直したのだという。
「審神者は?」
「主は今──手が離せないから俺でいいなら聞くけど?」
「生きてるんですか?」
意外そうな声音だった。
「あんたら死ぬと思って子供をここへ?」
「あ、いえ──その」
口ごもる相手にむかむかと怒りが沸いてくる。もし主が送られた先がここではなく本当に化け物しかいない本丸だったら、今頃死んでいたかもしれないのに──。
「加州」
電話口に怒鳴りそうになった俺を、主が静かに呼んだ。安定も泣いて赤くなった目でこちらを見ている。
「どうしたの? 誰から?」
「……さっきの電話と同じ部署の職員、だって」
「代わろうか?」
主が手を伸ばす。俺は主に端末を渡した。主は丁重に名乗って用件を聞いた。
「……全員正常な刀剣男士ですよ、あの報告書のような事実はありません。……引き継ぎ先の資料を読むのは当然でしょう? ……ロビーの共用端末で。ああそうだ、わたしの端末故障したようなので交換したいんですが。……安定の端末ですよ。誤操作で電話がかかってしまいました。……そうです。……聞いてみます。安定、職員が話を聞きたいって。いい?」
主は安定に端末を渡した。
「……もしもし? ……うん。……別に、送ったものはどうだったか聞かれたから、おいしかったって言っただけ。そしたら何よりですって」
安定の声は静かだったが、顔には怒りが表れていた。
「……主がお菓子とかたくさん持ってきて、職員が買ってくれたって言ってたから、その人だと思って。向こうは違うつもりだったみたいだけど」
だんだんと声にも怒りが滲む。
「僕たちが新しく来た審神者を殺したり食べたりするような存在だと思ってたの? 他の本丸は知らないけど、僕ら何人審神者が来ても彼らを害したりしなかったじゃないか。それどころか、害してきたのはそっちの方だ。僕たちがいったいどれだけ仲間を失ったと思ってるの」
一気に言って、安定はため息をついた。主が声をかけ、安定から端末を受け取る。
「……とりあえず、安定は少し電話をしただけでそちらの職員さんの体調不良とは無関係です。あなた方がどんな意図でわたしをここに送ったかを問う気もありません。それよりも、わたしはこの本丸の状況を整えたい。一日でも早く歴史修正主義者と戦いたい。本丸の修繕やそれまでの生活環境について話したいので担当部署を……無事なのは手入部屋と道場だけですよ。まあ屋根と壁があるだけ無事って意味ですけど……」
本丸の現状を聞かれたらしく、主は壊れている建物などを報告していく。しばらく話した後に電話を切った。
「……これからの対応を今から決めるから連絡あるまで待てってさ」
主は膝を抱えている安定の側に端末を置いた。
「……思ったより状況が悪いなあ」
「嫌味でも言われた?」
「いや、仕事上必要な会話をしただけだよ。でも──調査人員の削減とかでここを調べてないだけだと思ってたのに、まさか本気で刀剣男士が祟り神だかなんだかになってると思ってるとは……実際そんな事例があるの……?」
「確か、審神者は二十年前で約三十万人でしょう? 刀剣男士が各本丸に百振りなら三千万振りになりますから、それだけいれば祟り神になるのも出るんじゃないですか? 知りませんけど」
宗三が言った。
「今も約三十万人だよ。──審神者の年齢を引き下げたのに人数が増えてないってことは、その引き下げ分の人数はそのまま死んでるってこと? ……いや、二十年前はアレがあったからその分かな……」
「アレ?」
安定は首をかしげた。
「ああ──こんな風になった本丸は他にもあったんだよ。鍛錬所で『望んだ刀剣男士を作る方法』として化け物の作り方がネットで拡散されて、次次と多くの本丸が壊滅した。鍛練所不正呪術スパム事件、なんて呼ばれてる。被害本丸はおよそ三万」
「三万!?」
その数に、俺たち全員が驚いた。
「そのうち、化け物を退治して審神者も無事だった本丸は約一万二千。審神者の死亡が確認されたのが約三千。あとは審神者も刀剣も生死不明のまま本丸が封鎖された」
「半分もどうなったのかわからなかったの?」
「これは発生直後の数字だから、追い追い状況不明の本丸の調査はされたと思うけど──」
「ここみたいに二十年ほったらかしかもね」
「……そうかもね」
俺の言葉に頷いて、主はため息をつく。
「……主が、そんなところに行かされなくてよかった」
小夜が言った。
「……行かされた子供もいるのだろうけどね」
「主なら仮に行かされても平気なんじゃないですか?」
宗三が軽口を叩く。
「TZEWじゃないと退治できない化け物相手にどうしろっての。そもそもなんでそんなもの所持してたのさ」
「暇だったんですよ」
「意外と難しくなかった」
そういえば化け物を退治した爆弾は宗三と小夜のお手製だと前に安定が言っていたか。
「それ絶対政府の人間には言わないでね……ここが爆発した理由は適当に誤魔化して」
「かっこよかったのに、爆破……」
先程嬉嬉として爆弾の威力を説明していた安定はしゅんとした。
「化け物退治してくれたことは最高に誉をあげたいけど爆弾作るのは犯罪なんだよ。その知識のある宗三と小夜は刀解命令を受けるかもしれないし、わたしも審神者を続けられなくなるかもしれない」
「わかった、秘密にする」
こくこくと安定は頷く。
「あと、わたしの記憶のことも秘密にしてね。怪しい研究室で解剖されたくないし」
「解剖でわかるんですか?」
「さあ? 脳に変なもの写ったりしたら解剖コースになりそうで怖いね。まあ近年多少の報告はあるみたいだけど、まだメカニズムは不明だよ。生まれ変わりなんて言葉が安易に使われてるけど、わたしは特定個体同士のHHWの適合率の高さに原因があるって説の方が信憑性があると思うな。わたしがここに選ばれたのも俗に顕現遺伝子と呼ばれてる数値の適合率が高かったからだし」
「顕現遺伝子?」
先程から主の話にはわからない言葉ばかりが出てくるが、『顕現』という言葉は自分に関わりがありそうで聞き返す。
「どの審神者に顕現されたかがわかるDNAみたいなものだよ。正確には遺伝子じゃないしなんか長い名前がついてる。ここ何十年かで審神者の検査項目に入った。それの適合率が高ければ引き継ぎしやすいらしいよ」
「その適合率が高かったら主みたいに記憶があるってこと?」
安定が訊ねる。
「記憶についてはまた別だろうけど──少なくとも顕現遺伝子が近ければ、あなたたちはその相手を『主』と認識するんじゃないかな? 安定だってわたしの顔を見た途端、前とは似ても似つかないのに『主だ』と認識したでしょう?」
それは俺にもあった感覚だ。最初の主と全く違う容姿であっても、疑い無く『主』だと思った。
「たとえそれが誤認であっても『主』と感じた相手を無下には出来ないってことじゃないかな」
「僕のは誤認じゃないよ?」
「あなたがそう思うならそれでいいよ。人間の細胞が何ヵ月かで全部入れ替わっても同一人物なんだし……だったらわたしも派手に細胞が入れ替わっただけってこと?」
「細胞はよくわからないけど、主は主だと思うなあ」
「そうなのかもね。どうにもわたしは物理的肉体の方にこだわってしまってたけど、細胞レベルに考えたら肉体もひどく曖昧なものだねえ……」
主は自分の手のひらを見つめた。その小さな爪には鮮やかな紅。星のように細かな輝きも散っている。
「そのマニキュア超いいじゃん」
「あ、そうなのラメ入り。持ってきたからさ、加州も今度塗りなよ」
「主、僕も塗って!」
「うん。安定みたいな色のブルーもあるよ。宗三もさ、ピンクあるけど塗らない? 小夜みたいな青もあるよ」
「もっと飾れと? 僕は今でも充分美しいですけど」
「僕は別に……」
宗三は満更でもなさそうだが、小夜は本当に興味がなさそうだった。
「結構たくさん持ってきたんだね」
「うん。他にも折り紙とかトランプとかレシピ集とか本とかいろいろ……」
「遊び道具ばかり持ってきたんですねえ……」
宗三は少し呆れた声で言った。
「別に仕事のこと考えてなかったわけじゃないって。……引き継ぎって刀剣男士と仲良くなるのも仕事のうちかなと思って、話のタネにしたかったんだよ」
「ふーん……」
確かに、マニキュアは俺や乱の気を引けるだろうし、折り紙やトランプは短刀や脇差たちが興味を持つだろう。レシピ集はどんな刀剣に対しても「この中に食べたいものがある?」と話すきっかけになりそうだ。
──そういえば主は『最初』の頃も、そうして仕事以外に話すきっかけを作ってくれていたか。あの時は、確か……。
「そういえば、昔は仕事の後によくお手入れしてくれたよね」
安定が懐かしそうに笑う。
修理とは違う、単に刀身や鞘を拭いたりする『お手入れ』を主は時時してくれた。最初のうちは扱いがたどたどしくて心配になったことを思い出す。
「やって!」
「ついさっき手入したところじゃない」
安定の差し出した刀を、主はそう言いながらも受け取った。
「……あ、手入部屋にしか道具がないや。それも後で買わないとなあ……」
「遊び道具ばっかり持ってくるからですよ」
宗三はくすくす笑う。
「やるつもりなかったもの。修理以外の手入れって、引き継いだばかりの審神者にはやらせたくないと思って。あなたたちも、誰かにやってもらった?」
「ないね」
「ですねえ」
安定と宗三が即答する。小夜も首を横に振った。
「そーね……まあ、向こうからも言われなかったしね」
言われたところで、この刀を預けられただろうか。何人も『主』となるひとが来たけれど。
「……苦労をかけたね」
俺たちの沈黙に、主は労うように言った。宗三が苦笑する。
「選んだのは自分ですよ、全員ね。刀解を望むことはいつでも出来たんですから。それにあなたも、わざわざ引き継ぎなんて苦労をしに来てるじゃありませんか」
「わたしは引き継ぎって言ってもあなたたちだから、苦労しないよ。四人しかいないのは寂しいけど……実を言えば、知らない刀がいないのは少し安心した。ていうかさあ……」
主は、少し顔を歪めた。それは笑ったようにも、困っているようにも見えた。
「自分の刀があるっていいね。安定持ってるだけでなんか安心する、これ」
「ほんと? 嬉しいなあ」
「主、俺も持って俺も」
「僕なら重くないよ」
「侍らせるなら僕に決まってますよね?」
刀を三振り目の前に出されて、主は「持ちきれないね」と苦笑しながらも一つずつ受け取る。その幼い腕には重いだろうに、愛おしそうに抱きしめる。
「本当に……心強いよ。……折れずに、生き残ってくれてありがとう」
笑いながら、主の頬には涙が伝った。
俺たちはまったく新しい本丸に移動することになった。主の「一日でも早く歴史修正主義者と戦いたい」という望みは、これですぐに叶えられる。
政府は主のことを生贄以外にも「使える」と判断したのだろう。あるいは、ありもしない「祟り神の報復」でも恐れたのだろうか。
──まあ、この惨状を見たら、恨むだろうと思うのは無理もないか。
月明かりに照らされる、破壊しつくされた本丸「だったもの」を見ながら俺はそう思った。
「清光」
安定が近づいてくる。
「どうだい」
明日の朝、この本丸を離れる。政府からは何も持ち出すなと言われたが、主は惜しいものがあれば今のうちに回収しておけと言ってくれた。だから瓦礫の間を探してみたのだが。
「まあ、無理かな」
「そうか。いいの?」
「うん」
「何を探してたの?」
「……主が望むもの」
「主が? 何か言ってたの?」
──主は? 何か、探しておくものある?
──ううん。わたしには、惜しいものはあなたたちだけ。……ただ、弔ってやれないことは、惜しい。
主は、小さな声で言った。だから、散った刀剣たちの欠片でいいから、見つけたいと思った。けれど、金属の破片すら見つからなかった。
「……なんでもない」
「相変わらず主はお前にだけ話すなあ」
「そーゆーのじゃないってば。……本当に」
昔は、たぶんそうだった。困ったことや、迷っていることなどを俺に話してくれた。でも、これからもそうとは限らない。
「宗三のこと気にしてるの?」
「別に。主が必要だからそうしたんだし」
主は、『外』の宿泊施設に行った。護衛を一振りだけ許可されて、主は宗三を連れていった。政府から大和守安定と小夜左文字以外の外出を許可すると言われ、主は俺でなく宗三を選んだのだ。
「え? 僕なんですか?」
「化け物と爆弾のことをもっと詳しく知りたい。──爆弾のことをそのまま話すことは出来ないけど、化け物を倒す手段があるのならその情報は報告したい。まだ化け物がいて封鎖中の本丸に生き残ってる刀剣男士がいるなら、その子たちが助かる可能性がある」
「二十年もあの化け物から逃れられますかね?」
「わかんないけど……何もしないのは嫌だから」
選ばれなかったことは寂しいが、主には主のやるべきことがある。俺がやるべきなのは、主の願いを果たすこと。
「……もー戻って寝るわ。明日から、忙しいだろうし」
「そうだね」
(②に続く)
2020/05/11 pixiv公開
2022/11/18 一部表現の修正、削除
2024/11/02 当サイト掲載
「清光、政府から連絡があったよ。明日新しい審神者が来るって」
大和守安定は、右手に持った端末を俺に見せながら言った。
「……そう」
出した声は、思ったよりも暗かった。それはいつまでも消えない痛みの所為かもしれないし、もう審神者になど期待していないからかもしれない。
「今度は女の人だよ」
「男も女も、それだけじゃいいとは限らないよ」
「でも、女の人ならそろそろ主が帰ってくるのかもしれないじゃないか」
もうあの人は死んだよ安定──そう思ったけれど口には出さなかった。安定が今でも慕い続けるこの本丸の最初の主は、もう何十年も前に亡くなっている。だというのに、安定は時折「主が帰ってくるかもしれない」と言う。それは亡くなった直後からそうだ。安定は主の死を理解することを拒否している。最初のうちこそ安定の言葉に「あの人は死んだんだ」と言い返すこともあったが、しばらくしてやめた。
仕方ないのだ。俺たちは彼女の死に目に会うことも出来なければ、死体や骨を見ることも出来なかった。俺たちが見たのは、ネットやテレビのニュースで流れた、政府施設のあった場所のクレーターだけ。カタカナの並ぶ最新兵器による攻撃は、俺たちの主もその護衛についた守り刀も、他の多くの審神者も刀剣男士も政府職員も、肉片一つ、刃の欠片一つ残さず消し去ってしまった。それは「死」と呼ぶにはあまりに実感がなく、俺たちが感じられたのはただ「主がいなくなった」という事実だけだった。
俺自身とて、主はあの施設におらず、無事に帰ってくるのではないかと心の隅で思うこともあった。だがそんな期待は政府からの通知で完全に消え去った。悲しむより先にこの本丸の行く末が気にかかり、薄情だという思いと初期刀としてこの本丸を見届けることこそ自分の役目だという妙な使命感があった。
結局のところ俺と安定は似た者同士なのだ。安定は主が帰ってくるという妄想で、俺は本丸を守るという使命感で主との繋がりを求め続けているのかもしれない。
「お前や僕の怪我もやっと治してもらえるさ」
「せいぜいまともなやつならいいけど。期待はしない」
「まあこれ以上は悪くならないんじゃないの」
「そーね」
瀕死の重傷より悪いことなんて、あとは折れるだけだ。そうなったらこの痛みからは解放されるのだろう。
「じゃあ僕、宗三と小夜にも報せてくるよ」
「あいつら喜ばないと思うけどね」
「そうだね」
安定は眉を下げて笑ってから、部屋を出ていった。
この手入部屋に寝かされてから、どれほどの時間が経ったのかよくわからない。痛みから逃れるために眠ることも多い。今眠ったら、目覚めた時には次の審神者が来ているかもしれない。これで何人目だったろうか。
一人目は、俺たちを目一杯可愛がってくれた、今も愛しい主。
二人目は確か、機械みたいな女で淡淡と業務をこなしていた。前の主のように可愛がってはくれないけれど、ひどいこともしない。当時は不満に思ったけれど、今にして思えば、随分いい主だった。戦績はよかったが、むしろ良すぎてしまったのか政府からの命令で異動してしまった。
三人目は男で、これは酷かった。仕事は全部俺たち任せで、自分は何もしない。あとからアマクダリというやつなのだと聞いた。監査が入って新しい戦場への出陣や任務を政府から命じられると、下手な指揮をされ何口も仲間を失った。結果が出ないことで怒り暴力を振るうようになり、強制解任された。
四人目もまた男だった。警戒していたけれど、最初の主のようにやさしい人間だった。特別有能ではないけれど、無茶な進軍は決してさせず、安定した本丸運営をしてくれた。彼ならばずっといてもいいのにと思ったけれど、病にかかり引退を余儀なくされてしまった。
五人目は女で、これもまたよくなかった。戦は下手だし贔屓が酷く気に入らない刀剣ならばまるでそこに居ないかのように扱う。俺はまともに口を利いたこともなかった。詳しい原因は知らないが宗三と口論の最中、暴力を振るったため強制解任となった。
六人目は男で──そうだ、これが前回の審神者だった。こいつが歴代で一番酷かった。無茶な進軍や鍛刀をして、意見をしたら重傷を負わせて手入もしない。俺もそうされた一人だ。誰の意見も聞かない男だった。己の望む刀剣を鍛刀するために呪術に手を出し、鍛錬所から化け物を生み出した。化け物は、審神者を食い殺し刀剣男士に襲い掛かり本丸を破壊し──化け物を仕留めた時には、安定と宗三と小夜と、手入部屋で騒動も知らずに眠っていた俺しか残らなかった。生き残った三人も無傷とはいかず、安定はひどく傷を負い、宗三は顔に深い傷をつけられた。小夜は一番怪我が少ないものの手足に巻く布が増えていた。化け物の残した傷跡はそれだけではなく、本丸の空間全体が汚染され人間が易易とは出入り出来なくなってしまったそうだ。おかげで長いこと七人目は来なかった。
七人目。七は縁起のいい数字だと主は言っていた。今度こそ。
今度こそ、刀解を願い出てみようか。
ぼろぼろになった爪を見る。どんなに整えたって、可愛いねと言ってくれる人はもういない。言って欲しい人は、もう。
懐かしい夢を見た。初陣の夢だった。審神者に選ばれて、初めての戦い。俺も主も勝手のわからぬまま出陣した戦は、重傷になって帰還するという情けないものだった。
捨てられる、と真っ先に思った。ぼろぼろになって、敵を斬れもしない刀なんて、誰が手元に置きたがるだろう。本丸に戻っても主の顔を見ることは出来ず、言われた言葉もろくに耳に入ってこなかった。立ち尽くす俺の手首を掴んで主が歩き出した時、何処かに捨てに行くのだと思った。
こんな、ぼろぼろじゃ──思わずこぼれた言葉に、主は振り返った。
「捨てたりしない」
連れていかれた手入部屋で、俺はすぐに修理された。刀身にやさしく触れられる感触に、かつての主を思い出した。毀れた刃がすぐに直っていくところは、かつてとは違いすぎたけれど。瞬く間に傷は消え、ぼろぼろになった服も爪も綺麗になった。これなら捨てられないだろうかと安堵した俺を、主は呼んだ。
「加州清光」
名前を呼んで、まっすぐに俺を見た。特段目立つところもない特徴のない顔だった。けれどその目には──心には、激情が宿っていた。
指揮の失敗を謝罪され、これからも戦って欲しいと頼まれた。
「力を貸して欲しい。人が築き上げてきた過去を、それに続く未来を守るために。どうか、わたしと戦い、わたしと」
死んで。
出会ったばかりでするには過激な願いだった。でも、一度死の淵に立った直後に聞くには、それ以外ない願いだったように思う。
「わかった」
確かにそう返事をした。共に戦い、共に死ぬと──そう、約束したのに。
意識が浮上した時、このところずっと苛まれていた痛みは消えていた。手を上げれば、久方ぶりに整った爪を見る。爪の先はきちんと丸いし、紅は鮮やかで欠けもなくつやがある。
新しい審神者が来たか。手入をされたというのに、気づかずずっと眠っていたらしい。いくら長く戦に出ていないとはいえ、感覚が鈍くなりすぎている。身体を起こすと、ぱさりと掛布が落ちる。それは血の染みなどない清潔なもので、重傷で戻った俺をここへ担ぎ込んだ安定が掛けてくれたものとは別のものだった。
──少しは、まともな審神者なんだろう。
掛布一つでそう思った。寒いだろうかと慮る心を持つなら。──そんな人間になら、また力を貸すのも悪くない。
昨日刀解を望んだ心は、もう揺らいでいた。我ながら甘いと思う。でも、たぶん『人』が好きなのだ。いい人間ばかりでないことは知っているけれど、悪い人間ばかりでないことも知っている。あの人のように可愛がって使ってくれる人を、まだ求めているのかもしれない。
なんにせよ、判断は審神者に会ってからでなくては下せない。随分と久しぶりに立ち上がり、手入部屋の戸を開けた。
──戸を開けた瞬間に、異世界にでも迷いこんだかと思った。目の前にあったのは、倒壊した母屋だった。空気は淀み、何もないというのにずしりと肩に何かがのしかかったような気分がする。
振り向いた手入部屋には傷一つなく、そういえば手入部屋は主が──一番最初の主が、外敵から守れるようにと結界を張っていたのだったか。外の音も聞こえてこないという難点はあるものの、審神者かその本丸の刀剣男士でなければ入れない。よもやここまで強力な結界だったとは、この何十年も気づかなかった。前の審神者が生み出した化け物に殺されずに済んだのもこの結界のおかげだろうか。死んだあとでさえ、ずっと、俺たちを守り続けてくれたのか。
転ばないように瓦礫を乗り越えて、審神者か仲間がいないかと探す。審神者の執務室は──完全に潰れている。かつては刀剣男士たちの部屋だった場所も、あらかた壊れてしまったようだ。自分の部屋も瓦礫の下だ。最初の主にもらった鏡とか、四番目の主が買ってくれたマニキュアの瓶とか、なくしたくないものはたくさんあったのに。
ため息を一つついてから、母屋を離れた。
以前安定が道場は無事だと話していたことを思い出しそこへ向かった。久方ぶりに見た道場は、無事だと言うわりには屋根瓦が一部壊れて扉にも穴が開いていたが。
近づけば、やはり安定たちはそこにいたらしく、話し声が聞こえてくる。安定の声だ。
「……宗三と小夜がいなかったら、僕もやられてたよ。本当にすごかったんだから」
どうやら、新しい審神者に化け物の話をしているらしい。道場の中を覗き込めば、四人で円になるように座っていた。審神者が結界でも張ったのか、道場の中の空気は悪くない。
「こう、どーん、って! てぃーぜっと……てぃーぜっとなんとか!」
安定は完全に治った身体で身振り手振りを交えながら審神者に話している。もう打ち解けたようだ。
「あれで化け物がばらばらになってさ──まあ、それで腹の中にいた前の審神者も巻き込まれたけど……」
審神者は相槌を打っているが、安定の説明でどれほど通じているものか。話が途切れるのを待ち、声をかける。
「あー、ちょっとごめん。新しい審神者さん。俺、加州──」
清光、と続けたかったのに、振り向いたそのひとを見てそれ以上の言葉は出なかった。
「加州。目が覚めたみたいでよかった。痛むところはない?」
俺に笑いかけるその顔に、気遣う声に、覚えなんてないはずなのに。
「あ、るじ」
姿や声が変わっても、わかる。俺を選んだ、そのひとなのだと。
「なんで、あんたが──」
「……三人にも言ったけど、わたしはあなたたちの最初の主とは違う人間だよ。ただ不思議なことに、あなたたちとここで過ごしたというありもしないはずの記憶を脳に持ち、わたしは『わたし』だと──認識の主体を同じだと考えているということだね」
「……そのよくわかんない説明をしてくれるとこ、主としか思えないんだけど……」
「まあこの場合同一人物といえるのか、なんてのはわからないね。答えの出ない問いを追いかけ続けるのは時間の無駄だよ。一介の人間がそんなこと考えてると気が狂いそうになるし。あまり気にしないで」
細めた左の目元には、小さなほくろがあった。
「僕は絶対帰ってきてくれるってわかってたよ。あなたがいなくなるはずないもの」
安定は無邪気に笑うけれど、その信念こそが、彼女をここに「引っ張って」しまったのではないか? 本来あるべき命の廻りを歪ませて──。
「それで加州、あなた身体はもう大丈夫なの?」
「あ……うん、なんとも、ない」
そう答えれば、よかった、と主は笑う。
「それじゃあ今から最近の戦況について報告するね。あなたたちの最後の出陣記録以降に発見された新種がいて──」
主は淡淡と新種の遡行軍について説明を始めた。安定も、宗三も小夜も黙ってそれを聞いている。主の報告は、かつてより戦場が増え敵の強さが増している、審神者の人数はあの凄惨な事件より前の数には戻っていない──そんな、あまり良いとはいえないものだった。
「すぐ出陣することになるのですか?」
一通りの話が終わったあとに宗三が訊ねる。
「刀装も作る資源もないしまずは遠征から行く。本格的な出陣は来月の戦力拡充計画から行くつもり。鍛錬所がないからね、そこの刀剣でまずは戦力を整える。戦力拡充計画では新人の育成を優先するからあなたたちにはつまらないかもしれないけど、しばらくは我慢して」
「また出陣出来るだけで重畳ですよ。飾り物のなまくら刀になる気はありませんからね」
「久しぶりの戦、わくわくするなあ」
宗三と安定は楽しそうに笑った。
「主。あなたの仇を討たせてくれる?」
小夜は己の刀をぐっと握る。
「ええ、小夜左文字。あなたの力を貸してちょうだい」
主は切れ長の目を細める。
「歴史修正主義者の好きにはさせない。それが何よりの仇討ち。わたしにとっても、他の犠牲者たちにとっても」
「……そうだね」
「はは! それならすぐにでも手合わせしようか。勘を取り戻さないと」
安定はぎらりと目を光らせて床に置いていた刀を掴む。
「安定、力が余ってるなら外を片付けてよ。とりあえず井戸を使えるか確認したい。水道止められてるの。まあ水が来てても配管がやられてるだろうけど……修理申請はするけど、これだけ壊れてたらいつ直るのかなあ……」
最後はほとんど独り言になりながら主は言った。安定は出端を挫かれ不満げにあぐらをかいた。
「井戸? 井戸なんてあったの?」
「あったの。加州は初日に一緒に見たでしょ」
「ああ……そーねえ」
随分と遠くなった記憶を手繰り寄せる。主と二人でこの地に足を踏み入れ、本丸の設備を一通り見て回った──こんのすけの案内を受けながら。
「主、こんのすけは?」
「今日は配備できないと言われたよ。いつ配備されるか聞いたけど返答はまだ。……あのさ──」
主は一度言葉を止めた。
「……いや、どうにも政府の人間はこの本丸のことを疎かにしていてね。被害状況もわからなければ生き残っている刀剣男士の数もわからないって体たらくだった。報告書から安定は生きてるってわかったけど、その報告書には大和守安定は化け物の瘴気にあてられて祟り神と化したようだと書かれてた」
「ええ?」
心外だと言わんばかりの安定の反応を見て、主は肩を揺らして笑った。
「でも会ってみたら以前の安定のままじゃない。どうやらここに来た役人は随分と臆病者で血まみれのあなたを見ただけでもう恐ろしくなってしまったみたいだね」
「確かに肝の小さそうな人間だったかも……でも今のあなたと違って大人だったと思うけどな」
「わたしも成人はしてるよ。まあ特令成人ってやつで全く成人と同じわけじゃないけど」
「いくつなの?」
「十三」
「十三!?」
俺と安定の声が重なった。
「まだ子供じゃない!」
「子供だね。まあ十三から成人とされるのは審神者になる人間だけだけど。要するに貧困層の子供や虐待で親と暮らせないとか親が亡くなったとか、そういう立場の弱い子供をさっさと審神者にしてしまおうという法が二十年ほど前に出来てしまった。あの事件からとにかく審神者が足りてないとはいえこれを通した連中の良識を疑うね」
「条約逃れの脱法法が出来たんですか? 腐ってますね」
宗三が眉をひそめた。
「まあわたしもそれを利用しているけどね」
「利用されてるんだよ。仮にあんたの中身が百歳過ぎてようが今は子供でしょ。立場の弱い子供を入れるべきは戦場じゃない」
かつてのあんたならそう言ったはずだ。まだあどけなさのある瞳が揺れた。
「……そーね。わたしもそう思う。だけど、わたしは一刻でも早くここに戻りたかった」
でも、その揺らぎは消え、やはりその目はあの日のような激情を宿していた。
「今、既に歴史が変わり始めている」
主の言葉に、全員が黙りこむ。
「……今から二百年くらい前に、歴史への最初の攻撃があった。その日付がわたしの記憶と違っているんだよ。近代史が変わり始めてる。歴史防衛省がそれに気づいているかどうかはわからないけど……」
「近代史……も、変えれるんだ……」
安定が呟く。
「近代史も変えれるというか、防ぎきれなかった過去改変の影響が近代史にあらわれてるんじゃないかな。あの事件をなかったことにしようなんて考えないでね。あなたを折るのはわたし嫌だから」
わかってるよ、と答えて安定は目を伏せた。頭によぎった考えではあったのだろう。
「歴防省が公表しないのはそれを考える者が出ると思っているからか、あるいは……その意図はともかく、わたしはこれ以上の改変を防ぎたい。大人になるまで待って『現在』を失うのは嫌だ。どうか」
──ああ、やはりあの日みたいだ。
「また、力を貸してほしい。人間の積み上げた過去と、それに続く現在と未来を守るために」
わたしと戦い、わたしと死んで──そう続くかと思ったが、主はそこまで言わなかった。
「もちろん。ずっとあなたを待っていたんだもの」
「うん。これでやっと本分を果たせるよ」
「退屈よりマシですからね」
安定、小夜、宗三が迷わず答えた。
「加州清光」
名前を呼ばれる。まるであの日みたいに。でも。
「約束を守れなかったのはお互い様だから責任を感じる必要はない。そして今のわたしは『あの約束をしたわたし』ではないから義理を感じることもない。好きに決めて」
「……なんで、俺にだけそんなこと言うの」
「気にしてるかと思って」
「気には──するよ」
約束したのだ。死の道も共にあると。
「約束って?」
安定が首を傾げる。主は微笑む。
「昔の話」
「……そーね」
「清光だけ? 僕は?」
「もう果たせない約束はしない。反省してるの」
きっぱりと主は言った。もう彼女には昔の話だ。でも。
俺は今でもあんたと死にたい。
「……いーよ。あんたに力を貸す」
約束でなくても、俺がそう決めればいい。俺の死に場所はここだけだから。
「ありがとう加州。わたしが死ぬまでよろしくね」
「うん。よろしく」
ああ、安定のことを馬鹿に出来ない執着心だ。目の下のほくろばかり気にしていたけれど、紅く縁取らせたその瞳は随分見慣れた形じゃないか。
「何、じっと見たりして」
「そのアイカラーいいじゃん。今度貸して」
「うん」
「随分早くお化粧してるんですねえ」
宗三が主の顔をまじまじと見る。
「ちょっとでも見た目年齢上げたいからね」
「女の人は若く見せたがると聞きましたが」
「若くてもあんまりいいことないから。まあただ生きてるだけで腰とかが痛くならないのは若さの利点かな?」
「主は運動不足だったんじゃないの……?」
小夜が小さな声で指摘した。執務室の端末に向かいながら腰をさする姿が思い出される。以前の主に運動不足を解消しているような暇がなかったのも事実だが。
「子供の言葉じゃないですねえ」
宗三はくすくすと笑う。
「今ならあの見た目でじじいを自称してた三日月が何もおかしくないって理解できるよ……」
「三日月、か……前の前の審神者の時だっけ?」
「そーね……」
「馬鹿なんですよ。自分が折れたら心を入れ換えると思うなんて」
宗三が悔しそうに言った。ああ──そうか。三日月はわざと折れたのか。『主』への諫言として。だから宗三は。
「……これまでの引き継ぎ記録は読んだのだけど、ほとんどがほんの数行の概要と残存刀剣数と資源残数しか書かれてなかった。でも五人審神者が来て二人が強制解任、一人が自分の作った化け物で死亡って読むだけでも大変だったのはわかる。苦労をかけたね」
「あんたの所為ではないでしょ」
「雑な引き継ぎ制度が出来てしまったのは人間の責任だよ。あの事件で激減した審神者の分の戦力を維持するために作られたのに、天下り先やマネーロンダリングに利用されたり……これも歴史修正主義者の陰謀だったりするのか……きちんと運営されてれば今頃……」
主はため息をついた。
「まあ悔いるより先に進むしかないね。お菓子持ってきたよ。万屋の団子と、大福と、お煎餅。これ買うのに万屋行きたいって言ったら最初は駄目って言われたんだけど、他の職員がわざわざ買ってきてくれた」
主は大きな鞄から菓子と飲み物を出した。茶やジュースなどさまざまだ。
「重いと思ったら、そんなの入ってたんだ」
鞄は安定が運んだらしい。主はまず菓子の包みを真ん中に広げた。
「人数わからなかったからとりあえず十人分くらい買ってもらったけど、まさか四人とはね。ま、好きに食べて。飲み物何がいい?」
「玄米茶ちょーだーい」
「ほい。小夜は?」
「烏龍茶」
「僕カフェオレがいいです」
「はいはーい。かしゅーちゃんはー?」
「……ほうじ茶」
主から渡されたほうじ茶のパッケージは、見慣れないデザインになっている。そういえば、最後にこんなものを飲んだのはいつだったろうか……。
「じゃ、いただきます」
主に従って口口にいただきますと呟く。主は煎餅を手に取った。
「……食べるなんて、久しぶり」
小夜が小さく呟く。大福を手に取った。安定も団子に手を伸ばす。
「キッチン大破しちゃったもんね。せっかく三番目の主が食器洗浄機買ってくれたのに……」
「四番目だよ。てか惜しいのは食器洗浄機かよ」
「だって僕すぐお皿割っちゃうから。宗三もあれ惜しいよね?」
「そうですねえ」
「お金貯まったら買うよ。……いや修繕費ってことで経費で落ちるのかなあ。うーん建物は全部向こうが持つと思うけどオプションがなあ……」
ばりぼりと煎餅をかじる音を混ぜながら主は喋る。歌仙がいたら行儀が悪いと小言が飛んできそうだ。
「にしてもあなたこんな場所で生活どうする気です? 食事は買いにいってもいいでしょうけど、ここ水回りは死んでますよ」
「現状報告して頼めば仮設トイレとシャワーくらいつけてくれないかな? あ、だから井戸のチェックしなきゃ。昔農具置いてた倉庫は?」
「死んでる」
安定が答える。何本目かわからない団子の串を置いた。
「水質検査キットしまってあったのになあ」
「それ、残ってても百年くらい前ので使えないと思うけど……」
小夜に言われて主はあっと目を見開く。
「そうか! どうもその時間感覚が……数字は見たのに実感がないんだよね」
「……百年も経ってたの?」
安定は真顔で聞き返した。俺もそんなに経っていたとは思わなかった。
「おおよそ」
「つまり百年も……主の膝に乗れなかったってこと?」
「おいで」
主は胡座をかいていた足を崩した正座にして自分の膝を叩いた。安定はその膝に頭を乗せる、が。
「絵面が悪いですね」
宗三が遠慮なく言った。
「はは。小さいから乗り心地も悪いでしょ」
主は笑いながら安定の頭を撫でる。
「まああと何年かしたら大人と変わらない背格好になるよ。きっとすぐに」
「すぐじゃなくていいよ。人の時間は、本当に短いから」
安定は寂しそうな声で言った。
「一年でも、人の身には充分長いのだけどね──」
「おや。年末が来るたびに早い早いと言っていた気がしますが」
宗三はきっと、年末の書類に追われていた主を思い出している。
「年末の時間の早さは異常だね。でも、一年は本当に長いよ。大変だもの、毎日が」
「……そんな大変な場所に、わざわざ戻ってきちゃってよかったの?」
少し迷ったが、思ったままに聞いた。
「大変だけど、もうここじゃない生活は合わなくてさ。それに、きっと──わたしの死に場所はここだから」
まだあどけない顔には似合わない、かつてのような激情と覚悟の宿る瞳で主は俺を見た。
約束にとらわれているのは俺だけなのかと思ったのに。この人だって結局、あの日から動けていないのか。
「僕は死んでも傍にいるからね」
顔を上げて宣言した安定に、「心強いよ」と主は笑う。
「でもなるべく長く、たくさん敵を倒してくれると嬉しいな」
「もちろん!」
「流石わたしの愛刀」
主にくしゃくしゃと頭を撫でられて、安定は無邪気に笑う。紡がれるのが「たくさん殺しまくるからね!」という言葉でなければもう少し微笑ましいのだろうか。
「さて、じゃあ水回りだけでもなんとかしないとね。とりあえず──」
主は端末を取り出したが、あれっと声をあげた。
「動かないや。不良品かな」
「僕の動いてるよ。電話だよね。電話、電話……」
安定も起き上がって自分の端末を取り出したが、久しぶりであろう電話の操作に手間取る。
「あ。なんかかかっちゃった。……えっと、もしもし? ……うん、そう」
安定は間違ってかけてしまった相手と話し始める。
「……え? ああうん、おいしかった。……ちょっと待って。主、お菓子くれた人に繋がったよ」
安定は声をひそめて主に端末を渡した。
「もしもし──」
主に変わった途端に、電話の向こうから悲鳴があがった。主は耳から端末を離す。
「もしもし? どうかされました? ……大丈夫ですか? あの……」
主は幾度か相手に話しかけたが、結局会話にならず電話を切った。
「……安定、今の誰?」
「お菓子くれた人じゃないの?」
「違うと思うけど……なんでお菓子くれた人と思ったの」
「送ったものはどうでしたかって言われたから、お菓子のことかと思って」
「誰か他の人と間違えたんじゃない?」
「でも最初に大和守安定様ですかって言われたよ」
「じゃあ他の安定と間違えたのかなあ……?」
主は不思議そうにしながら安定に端末を返した。俺は安定の端末を覗きこむ。
「安定の端末に履歴があったからかかったんだろ? 誰なのかわかんないのかよ」
「番号しか出てなくて……」
「んなの着信があったのがいつかを見りゃ──」
あ。
「日付? ……ああ」
安定も気づいた。
「わかったの?」
「ここが壊れた日にここに来た職員だ。電話でここの状況とか連絡して、審神者の遺体を引き取ってもらった」
「そう……だったんだ」
「主はこの人にお菓子もらったの?」
「若い職員だったけど……いや、その人が命じたってことかな?」
「……お菓子の話じゃないんじゃないの」
小夜がぼそりと言う。
「……僕、あの日職員には会ってないけど……来たのは遺体を引き取りに来た一人だけだよね。なら、大和守安定が祟り神だなんて書いたのはその人だ」
「主をここに送り込んだのもその人、ですか」
「なるほど」
「何がなるほどなの?」
小夜も俺も宗三もわかったが、主と安定は不思議そうにしている。
「つまりその職員は主が『祟り神のいる危険な本丸』に行ったと思ってて、その安定から電話がかかってきて」
──送った『者』はどうでしたか。
──ああうん、おいしかった。
「じゃ、安定に食べられて死んだはずのわたしの声がしてビビったってわけ。本当に臆病者だね。てか……子供が審神者になれるようにしたのは、そうやって『祟り神』に食わせる目的なのか? 実際にあなたたちが人間食べると思わないけど……」
「生の人間が送られてきてもねえ」
「うん……食べろって言われても困る……」
左文字兄弟が頷き合う。安定も神妙な顔で主を見た。
「うーん……じっくり煮込めば……?」
「調理法考えないでよ」
「でも主を食べるより、ずっと一緒にいたい」
「ずっとは無理だよ、わたしは死ぬ。今日明日じゃなくても、そのうちに」
主のきっぱりとした物言いに、安定は瞳を潤ませた。
「人間は生まれては死ぬし、あなたたちはいずれ概念へと還る」
「そう、だけど……」
「大丈夫。それは何もかもが無くなることじゃないよ。わたしたちは『歴史』になるの。名前も記録も残らなくても、表に見える歴史の下に、たくさんの命があることをあなたは知っているでしょう?」
「……うん」
安定の頬に涙が伝う。主は安定を抱き締めて、やさしく背中を叩いた。
「過去も今も、あなたたちが守って、作ってくれた歴史なんだよ。だからわたしは守りたい。これからも」
「うん……守るよ、きっと……」
ぐすぐすと泣きながら安定も主を抱き締めた。
すん、と小夜が鼻をすすった。宗三は顔を伏せ、俺も流れそうな涙を必死に堪えている。また『その日』を迎えるのなんて御免なのに、あんたはもうそれを受け入れてるなんて。ああでも今度こそ──。
静かになった空間に、不粋な電子音が鳴った。安定の端末だ。まだ泣いている安定に代わり、床に置かれていたそれを取る。
「……もしもし」
「──加州清光?」
若い男の声だった。
「……あんたは?」
男は所属と名を告げた。同じ部署の職員が電話中に急に様子がおかしくなったので、こちらにかけ直したのだという。
「審神者は?」
「主は今──手が離せないから俺でいいなら聞くけど?」
「生きてるんですか?」
意外そうな声音だった。
「あんたら死ぬと思って子供をここへ?」
「あ、いえ──その」
口ごもる相手にむかむかと怒りが沸いてくる。もし主が送られた先がここではなく本当に化け物しかいない本丸だったら、今頃死んでいたかもしれないのに──。
「加州」
電話口に怒鳴りそうになった俺を、主が静かに呼んだ。安定も泣いて赤くなった目でこちらを見ている。
「どうしたの? 誰から?」
「……さっきの電話と同じ部署の職員、だって」
「代わろうか?」
主が手を伸ばす。俺は主に端末を渡した。主は丁重に名乗って用件を聞いた。
「……全員正常な刀剣男士ですよ、あの報告書のような事実はありません。……引き継ぎ先の資料を読むのは当然でしょう? ……ロビーの共用端末で。ああそうだ、わたしの端末故障したようなので交換したいんですが。……安定の端末ですよ。誤操作で電話がかかってしまいました。……そうです。……聞いてみます。安定、職員が話を聞きたいって。いい?」
主は安定に端末を渡した。
「……もしもし? ……うん。……別に、送ったものはどうだったか聞かれたから、おいしかったって言っただけ。そしたら何よりですって」
安定の声は静かだったが、顔には怒りが表れていた。
「……主がお菓子とかたくさん持ってきて、職員が買ってくれたって言ってたから、その人だと思って。向こうは違うつもりだったみたいだけど」
だんだんと声にも怒りが滲む。
「僕たちが新しく来た審神者を殺したり食べたりするような存在だと思ってたの? 他の本丸は知らないけど、僕ら何人審神者が来ても彼らを害したりしなかったじゃないか。それどころか、害してきたのはそっちの方だ。僕たちがいったいどれだけ仲間を失ったと思ってるの」
一気に言って、安定はため息をついた。主が声をかけ、安定から端末を受け取る。
「……とりあえず、安定は少し電話をしただけでそちらの職員さんの体調不良とは無関係です。あなた方がどんな意図でわたしをここに送ったかを問う気もありません。それよりも、わたしはこの本丸の状況を整えたい。一日でも早く歴史修正主義者と戦いたい。本丸の修繕やそれまでの生活環境について話したいので担当部署を……無事なのは手入部屋と道場だけですよ。まあ屋根と壁があるだけ無事って意味ですけど……」
本丸の現状を聞かれたらしく、主は壊れている建物などを報告していく。しばらく話した後に電話を切った。
「……これからの対応を今から決めるから連絡あるまで待てってさ」
主は膝を抱えている安定の側に端末を置いた。
「……思ったより状況が悪いなあ」
「嫌味でも言われた?」
「いや、仕事上必要な会話をしただけだよ。でも──調査人員の削減とかでここを調べてないだけだと思ってたのに、まさか本気で刀剣男士が祟り神だかなんだかになってると思ってるとは……実際そんな事例があるの……?」
「確か、審神者は二十年前で約三十万人でしょう? 刀剣男士が各本丸に百振りなら三千万振りになりますから、それだけいれば祟り神になるのも出るんじゃないですか? 知りませんけど」
宗三が言った。
「今も約三十万人だよ。──審神者の年齢を引き下げたのに人数が増えてないってことは、その引き下げ分の人数はそのまま死んでるってこと? ……いや、二十年前はアレがあったからその分かな……」
「アレ?」
安定は首をかしげた。
「ああ──こんな風になった本丸は他にもあったんだよ。鍛錬所で『望んだ刀剣男士を作る方法』として化け物の作り方がネットで拡散されて、次次と多くの本丸が壊滅した。鍛練所不正呪術スパム事件、なんて呼ばれてる。被害本丸はおよそ三万」
「三万!?」
その数に、俺たち全員が驚いた。
「そのうち、化け物を退治して審神者も無事だった本丸は約一万二千。審神者の死亡が確認されたのが約三千。あとは審神者も刀剣も生死不明のまま本丸が封鎖された」
「半分もどうなったのかわからなかったの?」
「これは発生直後の数字だから、追い追い状況不明の本丸の調査はされたと思うけど──」
「ここみたいに二十年ほったらかしかもね」
「……そうかもね」
俺の言葉に頷いて、主はため息をつく。
「……主が、そんなところに行かされなくてよかった」
小夜が言った。
「……行かされた子供もいるのだろうけどね」
「主なら仮に行かされても平気なんじゃないですか?」
宗三が軽口を叩く。
「TZEWじゃないと退治できない化け物相手にどうしろっての。そもそもなんでそんなもの所持してたのさ」
「暇だったんですよ」
「意外と難しくなかった」
そういえば化け物を退治した爆弾は宗三と小夜のお手製だと前に安定が言っていたか。
「それ絶対政府の人間には言わないでね……ここが爆発した理由は適当に誤魔化して」
「かっこよかったのに、爆破……」
先程嬉嬉として爆弾の威力を説明していた安定はしゅんとした。
「化け物退治してくれたことは最高に誉をあげたいけど爆弾作るのは犯罪なんだよ。その知識のある宗三と小夜は刀解命令を受けるかもしれないし、わたしも審神者を続けられなくなるかもしれない」
「わかった、秘密にする」
こくこくと安定は頷く。
「あと、わたしの記憶のことも秘密にしてね。怪しい研究室で解剖されたくないし」
「解剖でわかるんですか?」
「さあ? 脳に変なもの写ったりしたら解剖コースになりそうで怖いね。まあ近年多少の報告はあるみたいだけど、まだメカニズムは不明だよ。生まれ変わりなんて言葉が安易に使われてるけど、わたしは特定個体同士のHHWの適合率の高さに原因があるって説の方が信憑性があると思うな。わたしがここに選ばれたのも俗に顕現遺伝子と呼ばれてる数値の適合率が高かったからだし」
「顕現遺伝子?」
先程から主の話にはわからない言葉ばかりが出てくるが、『顕現』という言葉は自分に関わりがありそうで聞き返す。
「どの審神者に顕現されたかがわかるDNAみたいなものだよ。正確には遺伝子じゃないしなんか長い名前がついてる。ここ何十年かで審神者の検査項目に入った。それの適合率が高ければ引き継ぎしやすいらしいよ」
「その適合率が高かったら主みたいに記憶があるってこと?」
安定が訊ねる。
「記憶についてはまた別だろうけど──少なくとも顕現遺伝子が近ければ、あなたたちはその相手を『主』と認識するんじゃないかな? 安定だってわたしの顔を見た途端、前とは似ても似つかないのに『主だ』と認識したでしょう?」
それは俺にもあった感覚だ。最初の主と全く違う容姿であっても、疑い無く『主』だと思った。
「たとえそれが誤認であっても『主』と感じた相手を無下には出来ないってことじゃないかな」
「僕のは誤認じゃないよ?」
「あなたがそう思うならそれでいいよ。人間の細胞が何ヵ月かで全部入れ替わっても同一人物なんだし……だったらわたしも派手に細胞が入れ替わっただけってこと?」
「細胞はよくわからないけど、主は主だと思うなあ」
「そうなのかもね。どうにもわたしは物理的肉体の方にこだわってしまってたけど、細胞レベルに考えたら肉体もひどく曖昧なものだねえ……」
主は自分の手のひらを見つめた。その小さな爪には鮮やかな紅。星のように細かな輝きも散っている。
「そのマニキュア超いいじゃん」
「あ、そうなのラメ入り。持ってきたからさ、加州も今度塗りなよ」
「主、僕も塗って!」
「うん。安定みたいな色のブルーもあるよ。宗三もさ、ピンクあるけど塗らない? 小夜みたいな青もあるよ」
「もっと飾れと? 僕は今でも充分美しいですけど」
「僕は別に……」
宗三は満更でもなさそうだが、小夜は本当に興味がなさそうだった。
「結構たくさん持ってきたんだね」
「うん。他にも折り紙とかトランプとかレシピ集とか本とかいろいろ……」
「遊び道具ばかり持ってきたんですねえ……」
宗三は少し呆れた声で言った。
「別に仕事のこと考えてなかったわけじゃないって。……引き継ぎって刀剣男士と仲良くなるのも仕事のうちかなと思って、話のタネにしたかったんだよ」
「ふーん……」
確かに、マニキュアは俺や乱の気を引けるだろうし、折り紙やトランプは短刀や脇差たちが興味を持つだろう。レシピ集はどんな刀剣に対しても「この中に食べたいものがある?」と話すきっかけになりそうだ。
──そういえば主は『最初』の頃も、そうして仕事以外に話すきっかけを作ってくれていたか。あの時は、確か……。
「そういえば、昔は仕事の後によくお手入れしてくれたよね」
安定が懐かしそうに笑う。
修理とは違う、単に刀身や鞘を拭いたりする『お手入れ』を主は時時してくれた。最初のうちは扱いがたどたどしくて心配になったことを思い出す。
「やって!」
「ついさっき手入したところじゃない」
安定の差し出した刀を、主はそう言いながらも受け取った。
「……あ、手入部屋にしか道具がないや。それも後で買わないとなあ……」
「遊び道具ばっかり持ってくるからですよ」
宗三はくすくす笑う。
「やるつもりなかったもの。修理以外の手入れって、引き継いだばかりの審神者にはやらせたくないと思って。あなたたちも、誰かにやってもらった?」
「ないね」
「ですねえ」
安定と宗三が即答する。小夜も首を横に振った。
「そーね……まあ、向こうからも言われなかったしね」
言われたところで、この刀を預けられただろうか。何人も『主』となるひとが来たけれど。
「……苦労をかけたね」
俺たちの沈黙に、主は労うように言った。宗三が苦笑する。
「選んだのは自分ですよ、全員ね。刀解を望むことはいつでも出来たんですから。それにあなたも、わざわざ引き継ぎなんて苦労をしに来てるじゃありませんか」
「わたしは引き継ぎって言ってもあなたたちだから、苦労しないよ。四人しかいないのは寂しいけど……実を言えば、知らない刀がいないのは少し安心した。ていうかさあ……」
主は、少し顔を歪めた。それは笑ったようにも、困っているようにも見えた。
「自分の刀があるっていいね。安定持ってるだけでなんか安心する、これ」
「ほんと? 嬉しいなあ」
「主、俺も持って俺も」
「僕なら重くないよ」
「侍らせるなら僕に決まってますよね?」
刀を三振り目の前に出されて、主は「持ちきれないね」と苦笑しながらも一つずつ受け取る。その幼い腕には重いだろうに、愛おしそうに抱きしめる。
「本当に……心強いよ。……折れずに、生き残ってくれてありがとう」
笑いながら、主の頬には涙が伝った。
俺たちはまったく新しい本丸に移動することになった。主の「一日でも早く歴史修正主義者と戦いたい」という望みは、これですぐに叶えられる。
政府は主のことを生贄以外にも「使える」と判断したのだろう。あるいは、ありもしない「祟り神の報復」でも恐れたのだろうか。
──まあ、この惨状を見たら、恨むだろうと思うのは無理もないか。
月明かりに照らされる、破壊しつくされた本丸「だったもの」を見ながら俺はそう思った。
「清光」
安定が近づいてくる。
「どうだい」
明日の朝、この本丸を離れる。政府からは何も持ち出すなと言われたが、主は惜しいものがあれば今のうちに回収しておけと言ってくれた。だから瓦礫の間を探してみたのだが。
「まあ、無理かな」
「そうか。いいの?」
「うん」
「何を探してたの?」
「……主が望むもの」
「主が? 何か言ってたの?」
──主は? 何か、探しておくものある?
──ううん。わたしには、惜しいものはあなたたちだけ。……ただ、弔ってやれないことは、惜しい。
主は、小さな声で言った。だから、散った刀剣たちの欠片でいいから、見つけたいと思った。けれど、金属の破片すら見つからなかった。
「……なんでもない」
「相変わらず主はお前にだけ話すなあ」
「そーゆーのじゃないってば。……本当に」
昔は、たぶんそうだった。困ったことや、迷っていることなどを俺に話してくれた。でも、これからもそうとは限らない。
「宗三のこと気にしてるの?」
「別に。主が必要だからそうしたんだし」
主は、『外』の宿泊施設に行った。護衛を一振りだけ許可されて、主は宗三を連れていった。政府から大和守安定と小夜左文字以外の外出を許可すると言われ、主は俺でなく宗三を選んだのだ。
「え? 僕なんですか?」
「化け物と爆弾のことをもっと詳しく知りたい。──爆弾のことをそのまま話すことは出来ないけど、化け物を倒す手段があるのならその情報は報告したい。まだ化け物がいて封鎖中の本丸に生き残ってる刀剣男士がいるなら、その子たちが助かる可能性がある」
「二十年もあの化け物から逃れられますかね?」
「わかんないけど……何もしないのは嫌だから」
選ばれなかったことは寂しいが、主には主のやるべきことがある。俺がやるべきなのは、主の願いを果たすこと。
「……もー戻って寝るわ。明日から、忙しいだろうし」
「そうだね」
(②に続く)
2020/05/11 pixiv公開
2022/11/18 一部表現の修正、削除
2024/11/02 当サイト掲載