一話完結短編

 白金にブルーの小さな宝石がひとつ。似合うと思って、と緊張した面持ちの万丈目から贈られた最初の指輪が明日香の一番のお気に入りだった。その後にも指輪はいくつか贈られているし、先日は婚約指輪ももらった。その日のファッションやTPOで使い分けるが、それでも一番つけたくなるのがその指輪だった。
「そんなに気に入ったんなら、万丈目も悩んだ甲斐があったな」
「あら、そうなの?」
「すげ~悩んでた。今みたいに大量に指輪のカタログに付箋つけてさ」
 十代はカタログの積み上がるローテーブルを示した。十代自身もローテーブル前のソファにあぐらをかきカタログをめくっている。万丈目が「最近棲みついている」と言った通り、今はそのソファが彼のねぐらになっているらしい。ソファには畳まれたブランケットや彼の制服のジャケット(あの頃のまま、さしたる汚れもほころびもない)がかけられて、バッグやファラオが転がっている。彼の存在はまるでここの住人のように馴染んでいた。
 明日香のここでの扱いは現在「お客様」だ。万丈目が用意してくれた来客用のティーカップが置かれたダイニングテーブルに座っている。本当ならば向かいに万丈目が座って三人で歓談するつもりが、万丈目は急な呼び出しにあって泣く泣く家を飛び出した。口をつけられないままのティーカップの紅茶が誰もいない椅子の前で冷めている。せっかく久しぶりに万丈目と休日が合ったというのに、明日香はろくに婚約者の顔を見れないまま帰ることになりそうだった。
 ──十代はそのあと会えるのよね……。
 ほんの少し羨ましくて、ほんの少し妬ましい。万丈目と結婚するのだからいずれは同居するのだが。ここは二人住むには手狭だしそのときは新居だろうから、明日香はここに住むことがない。そのこともほんのりと妬ましく感じてしまう。別にここに住みたいわけではないのだが。
 ──たぶん、一緒にいられるのが羨ましいのよね。
 思えば彼らはレッド寮でもしばらく同室だったのだ。そのあたりも気安いのだと思う。それに同性ならではの近しさもあるだろう。
 ──そんなことに嫉妬したって仕方ないのだけど。
 それも、十代相手に。
 十年前には考えられなかったことだ。高校生の頃には彼のことが好きだったくらいなのに。最近は高校時代のことを思い返しても、十代より万丈目の記憶をたどっている。
「そうだよなぁ。本当よかったよな」
 十代は唐突に中空に向かって言った。寝ているファラオの上あたりだ。
「ユベルと話してるの?」
「いや、大徳寺先生」
「あ──そうか。先生もいらっしゃるんでしたね」
 明日香は十代の見ていたあたりに視線をやるが、何も見えない。万丈目には幽霊も見えるらしく、精霊たち含めてやかましくてかなわないと以前こぼしていた。
「婚約おめでとうってさ」
「ありがとうございます」
「そういや、万丈目のことアカデミアのときから好きだったのか?」
 屈託のない笑顔でそう言われて、あの頃はあなたが好きだったけど、なんて言ったらどんな顔をするのだろうかと思う。
「そうねえ、あの頃は……ちょっと変わった面白い友達、ってところかしら。あの頃はデュエルに夢中だったし」
「そっか。万丈目はずっと明日香に夢中だったのにな」
 そうね、と肯定する。万丈目は明日香への気持ちを隠しはしなかったし、直接想いを告げられたこともある。今はデュエルが一番だと、誰かさんと似たような断り文句を言った。あのとき振られた少女は、アカデミアの仲間うちでは誰より早く結婚したのだけど。
「うん? ──まあ、確かに」
 十代はまたファラオの上を見た。その視線の高さは彼の頭より少し上のようで、すらりと背の高かった大徳寺を思い出す。明日香はファラオの隣に座る大徳寺を想像する。彼が錬金術の教師だったのはデュエルアカデミアの一年生のときだから、最後に見たのはもう十年以上前になる。
「先生がなれそめを聞きたいって。万丈目は照れて話してくれないもんな」
「ふふ、私も少し恥ずかしいですよ。でも、そうね──」
 出会いはデュエルアカデミアの中等部。当時は彼の印象はかなり悪かったと思う。家の名前を笠に着て、アンティルールのデュエルをしかけるなどろくでもないことをして。でも高等部に入って、黒い服を着るようになり以前と変化した彼と友人になることができて──それは十代も大徳寺もよく知るところだ。在学中には友人であっても特別仲がよかったわけでもない。告白を断っても諦めの悪い万丈目に呆れていたふしもある。でも卒業後も連絡はよく取り合っていたし、兄や友人たちを交えるなど二人きりとも限らないが食事や外出もよくした。気がついたら二人きりでの食事や出かける回数が増えいて、交際を申し込まれて──。
 それなりにありがちな話だと思う。それなのに、十代は面白そうに頷きながら聞いている。
 ──昔から、彼にとって私はずっと『友達』でしかないのよね。
 頭の隅でそんなことを思った。十年前には確かに惹かれていたけれど、今の感情はフラットだ。彼との距離は『友』や『ライバル』がちょうどいいのだとあの夜に思った。失恋するというよりはただ恋するのをやめたように思う。あの淡い恋心は、まさに高校時代の明日香の心に吹き抜けていった風だった。
「──だから大きなきっかけがあるというより、そうやって何度も会っているうちに、という感じかしら。確かに積み重なっていくものがあると感じて……デュエリストっぽく例えるならストレージボックスかもしれないわね。アカデミアで出会った頃から、想い出のカードが一枚ずつ貯まっていくような。学生時代に一緒の授業に出たこととか、付き合ってからもただ喫茶店でおしゃべりをしたようなノーマルなカードから、喧嘩をしたなんてあまりよくないカードも、指輪を贈られたとかプロポーズされたとかのウルトラレアまで、たくさんの想い出というカードが入っていて、これからも増え続けていく……そんな感じがするわ」
 ロマンチックなたとえじゃないけれど、と付け加える。しかし十代は目を輝かせた。
「ストレージかあ! スゲーな!」
 カードの話となるととたんに食いつきがいいのは相変わらずだ。あの頃と変わらない十代ティーンの顔つきが、生徒たちを思い出させて今の明日香には子供のように見えてしまう。
「でもそのカードじゃデュエルはできないんだよな」
「やっぱりたとえとしてはロマンチックじゃないわね」
 少しがっかりした様子の十代を見てくすりと笑う。
「でも私はそんなストレージを作っていけることが嬉しいのよ。ただ吹き抜けていく風と違って、一緒に積み重ねていけることが」
 風? と十代は不思議そうに聞き返したが無視した。
「ところで十代、今度はあなたの話を聞かせてよ。その熱心に見てるカタログ──贈り物かしら?」
 十代は目を丸くした。それから「あ、いや」と言葉に迷う。
「……贈るわけじゃなくて自分用。万丈目にいい歳なんだからいいものつけろって言われたしな」
 十代は卒業後から薬指に指輪をつけている。ナンパ避けなのだと言っていた。百円ショップで買ったと聞いた覚えがある。
「……あと、婚約指輪とか結婚指輪とかの話聞いたユベルまでいいものつけろって……」
 十代は少し恥ずかしそうに言った。なるほど、ユベルからのおねだりだったらしい。十代は時折「オレの愛はユベルのものだからなぁ」なんてさらりと言ったりするのに、妙なところで照れるのだ。
 彼らの関係を初めて知ったのは、万丈目との交際の話を十代にしたときだったか。亮と翔と十代と、四人で食事をしていた。話の流れで十代に交際相手はいないのかと水を向けた。
「特には」
「探したりしないの?」
「オレの愛はユベルのものだし」
 まるで当たり前みたいに。ここのラーメンうまいなと言うのと同じ調子で。思わず翔と亮を見ると、翔が小さく「ずっとそうっス」と教えてくれた。あまりに意外でそのときはそれ以上聞けずに「そうなの」とだけ言った。後から翔に「たまにぽろっとああいうこと言うんス」と教えられた。精霊の見える万丈目に確認しても同様だ。万丈目はむしろ明日香が知らなかったことに少し驚いていた。自分だけ教えられなかったのだろうかと少し不満だった。
「ああでも、明日香さんは見えないから……距離感とか話してる感じでそうかなと思っただけで、ボクも特には説明されてないよ。あとは精霊が言うには、あのふたりは『ひとつ』なんだと。聞き返してもひとつはひとつだと返されて、それがそれほど仲がいいという比喩なのか、それとも何か──契約のようなものをしているからなのか、詳しいことはわからないけど……」
 精霊の見える万丈目も特に何か話されたわけではないようだった。思えば高校生の頃から十代は自分のことをあまり話さなかった。三年生のあの事件からそれが顕著に感じられたが、きっと一年生の頃からだってずっとそうだったのだ。あの頃、幼い自分は彼の苦しみに寄り添ってやれなかったと思う。──彼はそれを望んでいないかもしれないし、そう思うことが傲慢なのかもしれないが。
「いいじゃない。どんなの買うの?」
「いや、指輪とか全然わかんねーから……そりゃ百円のよりは綺麗だと思うけどさ」
 カタログをめくりながら十代は言った。
「……色や宝石が違う以外はどれも一緒に見えちまうんだよな……」
 十代は装飾品に興味がないのだろう。例の指輪以外のアクセサリーをつけているところを見たことがない。彼の憧れの武藤遊戯はいろいろとつけていたように思うが、デュエリストとして憧れていてもファッションを真似たりはしないらしい。
「万丈目はどうやって選んだんだろ?」
「そりゃあ、似合いそうとかそういう基準じゃないかしら」
「明日香ならなんでも似合うんじゃねーの?」
「なんでもとはいかないわよ。指の形や長さとかで結構合う合わないってあるものよ。デザインが素敵だと思っても試着したら似合わなかったなんてよくあるもの」
「ふーん。万丈目よく明日香が気に入るの選べたなー」
「すごく悩んでたってさっき言ってたじゃない」
 明日香は左手の指輪に目を落とす。きっとたくさん考えてくれたのだと思う。手指のつくりとの相性はもちろん、明日香の好みだとか、普段のファッションとの兼ね合いだとか、そんなことを懸命に考えてくれたことがこの指輪からは伝わってくる。高校生の頃には押しつけがましいような告白をしてきた万丈目が、彼が望むものを贈るのではなく明日香が喜ぶことを考えて選んでくれた。緊張しながら明日香に渡してきたときの彼もとても可愛くて。──積み重なった記憶が、この指輪をより愛おしいものにする。
「……オレがつけるのなんてどれでもいい気がする……」
 パラパラとカタログをめくりながら十代は小さな声で言った。
「ユベルに選んでもらえば?」
 明日香の言葉に十代は顔を上げた。きょとんとしている。思いつきもしなかったのだろう。
「私は彼が選んでくれたことも含めてこの指輪がお気に入りなの。ああ、選んでもらうだけじゃなく一緒に選ぶのだって楽しいわよ。十代しかつけられなくても、あなたたちふたりの指輪なんでしょ?」
 十代は、ファラオとは反対側の少し上の空間を見上げた。明日香には見えないが、きっとそこにユベルがいるのだろう。
「……ええ? いや覚えてねーよ。だからどれも同じに見えるんだって……」
 十代はぶつぶつ言いながらローテーブルに積まれたカタログを探る。ユベルには何か目星のつけたものがあったのだろうか。これかぁ? と言いながら十代は重なったカタログを一冊抜き出した。
「……でも宝石とかついてると引っかけそうじゃね? ……それもある。……そーだなー」
 十代はパラパラとページをめくる。きっとユベルもカタログを見ているのだろう。明日香が十代の隣の空間に目を凝らしても何も見えない。大徳寺のように想像してみようかとも思ったが、ユベルの姿をよく知らない。思えば明日香は実際にユベルを目にしたことはないのだ。大切な友人のパートナーのことを明日香は何も知らない。ひとづてに聞いた幼い頃の話や異世界での出来事を少し知っているだけ。それはユベル本人を本当に表現したものだったろうか。
「……私が話したのだから、あなたたちのなれそめを聞かせてくれてもいいんじゃないかしら」
「へ?」
「だって私はユベルのことよく知らないし」
「いや、オレたちのことは別に……」
 十代はカタログを持ち上げて顔を隠した。
「あら、高校生みたいに照れなくてもいいじゃない」
「オレは永遠に『十代』だからな」
 ──あ。
 その意味が二種類に取れることに、明日香は少ししまったと思う。本人は「永遠に十代という名前だ」と言っただけかもしれないけれど。
「そうね遊城十代。で、何が気に入ったの?」
 明日香は立ち上がりソファまで歩いて手を差し出す。十代は黙って開いたままのカタログを明日香に渡した。
「……あら、案外センスがいいのね」
「案外は余計だろ」
 十代が見ていたのは、金と白金の二色がゆるやかに絡み合うリングだった。
「どこが気に入ったの?」
「ちょっと融合のカードみたいだろ」
「ああ、本当」
 明日香は指輪を見てカードのようだなんて考えたこともない。その発想が十代らしくて、きっとこの指輪は彼に似合うだろうと思う。
「ユベルは気に入った?」
「……気に入ったって」
「このブランドは耐久性にも力を入れてるところよ。長年使えるんじゃないかしら。値段もそれなりにはするけれど、評判はいいわ」
「へえ……」
 十代は興味深そうに頷いた。明日香はカタログを十代に返す。ちょうど明日香の携帯電話が鳴る。万丈目からだった。
「明日香さん。今から帰るから土産でもと思って──」
 万丈目が寄ろうとしているデパートの名前を聞いて、明日香は万丈目の言葉をさえぎった。
「いえ、私たちがそっちに行くわ」
「え? なんでまた」
「十代とユベルの指輪を買うのよ」
「は? 十代と……ユベル?」
「あなたは適当に時間をつぶしててちょうだい」
 明日香は戸惑う万丈目に有無を言わせず電話を切ると十代に笑いかけた。
「十代、行くわよ」
「へ……?」
「指輪を買いに行くの。二十分もタクシーに乗ればデパートあるでしょ。そこにその店、入ってるのよ」
「は? いや、そんな急に」
「あなたひとりでアクセサリーのお店入れるの?」
「そりゃ入りにくいけどさ……てか、本当に買う気は……」
「永遠のパートナーでしょう。指輪のひとつくらいなくちゃ」
 十代は視線を宙にやり、わかった、わかったと呟く。ユベルに何か言われたらしい。
「決まりね」
 なんだか兄のような強引さだと明日香は思う。でも今連れていかないと、十代がきちんとした指輪を買う気がしなかった。この根なし草は、今はここに棲みついていても一度別れてしまえば次に会うのは何ヶ月、下手すれば何年後かさえわからないのだから、またの機会にとはいかない。
 大きなお世話かもしれない。でも彼らの長い──長すぎるくらいの人生に、お節介な友達がいたことが楽しい想い出としてほんの少しでも残ればいいと思った。

「……もうすぐ結婚式の日かなぁ」
 異世界の濃緑色の夜空を眺めて十代は呟いた。月みたいなものが三つも空に浮かんでいる。正体のわからない青白い光が時折ちらついたり、ガラスみたいな質感の鳥が飛んでいったり、まあまあ見飽きない空だ。昼間は透ける地面の中にはたくさん生き物がいて、不思議なことにまるで水中みたいに泳いでいるから、地面だって見飽きない。ここは地面も生き物も植物も、あらゆるものがガラスっぽかった。ヨハンだったら宝石にたとえるかもしれないが、十代は透けていて硬いそれらを「ガラスっぽい」と感じる。昼間は透けるような淡緑の空とガラスっぽい世界がキラキラ輝いて、美しいけれど目が疲れてしまう。夜になると光がぐっと減るから過ごしやすい──が、硬い地面の寝心地は当然よくなかった。
 だが最近は硬い地面にもだんだんと慣れてきた。ファラオはその硬さが気に入らないようで、今日も十代の胸の上に乗っている。ハネクリボーもファラオにくっついて眠っていた。ファラオは寒いとか地面が硬いとかのときはこうして十代を寝床代わりにしてくる。ふてぶてしいその態度も可愛く感じるのだから、猫というのは不思議なものだ。
「そうかもしれないニャア……おふたりの晴れ姿を見られないのは残念ですニャ」
 十代の呟きに大徳寺が答えた。そうだなと頷く。ここと人間界と時間の流れは違うが、帰れる頃には結婚式の日は過ぎていそうだ。
「キミが残念なのはタッグデュエル大会の方だろ?」
 ユベルはからかうように言った。
「確かにそれはすごく残念」
 万丈目と明日香の結婚式では、新郎新婦主催のタッグデュエル大会が行われる。十代も楽しみにしていたからその意味でも残念だった。
 この世界の精霊から助けを求められて、長丁場になりそうだと思い一応断りの電話は入れておいた。万丈目からはお前が来ないおかげで素晴らしい式になるだろうと言われ、明日香からは素直に残念だと言われた。
「でもこれで、タッグデュエル大会の優勝は私たちかしら」
「エドとレイが本気で組むって言ってたぞ」
「プロだろうと、即席のタッグに負ける気はしないわ」
「オレが行っても即席タッグだけどな」
 参加する友人たちと、タッグパートナーは当日にくじ引きで決めようと話していた。なにせ弟分たちがアニキのパートナーは自分だとまた争い始めそうで、エドとレイからはチャンプと組まないのかと言われ(エドは全米大会、レイは全日本大会で優勝したばかりだ)、ヨハンとジムとオブライエンからも本校生じゃない自分たちは忘れたのかと冗談混じりに言われた。くじ引きならば恨みっこなしだと十代が提案した。
「あら。そこをひっくり返すのが遊城十代だもの。誰と組むにしても油断ならないって、彼と楽しみにしてたの。今回来れなくても、タッグデュエルはまた別の機会にやりましょう。ユベルとあなたのタッグとやれたら楽しそうなのに」
 そんな会話をして電話を切った。ここ数年、明日香はよくユベルのことも気にかけてくれている。明日香自身に精霊は見えないが、万丈目から話を聞いているのかもしれない。
 夜空に左手をかざして、薬指の指輪を眺める。明日香が買いに行こうと言わなければ、たぶん今も安物の指輪をはめていただろう。
 三人で指輪を買いに行った日を思い出す。慣れた様子の万丈目と明日香に、場違いな自分。ショーケースに並ぶさまざまな宝飾品。銀と白金は違うと万丈目に言われたり、色が同じなら同じ宝石なわけじゃないと明日香に言われたり。店員にパートナーの分も買うかと聞かれて、ユベルを見上げて「この世界ではつけられないからなぁ」と言ったら何か誤解させてしまい店員の顔を強張らせてしまった。万丈目と明日香が「指輪をつけられない仕事で」などと慌ててフォローしてくれて、店員はほっとしたようにもとの笑顔に戻っていた。あれは申し訳なかったけれど、全体として楽しい時間だった。
 店ではたくさん指輪を見せられたが、結局カタログで一番最初に気に入った指輪を買った。
 融け合うみたいにゆるやかに絡む金と白金の二色が、自分たちの魂みたいだと思ったなんて、万丈目と明日香には言えなかったけれど。
 いつかあなたたちのなれそめ話も聞かせてちょうだい──あの日の帰り道、明日香にそう言われた。
 十代は、ユベルと自分のことをまだ誰にも詳しく話せていないでいる。どう説明したらいいのかよくわからないし、他人に理解される必要があるとも思っていない。
 でも「友達なのにあなたのパートナーのことを何も知らないのは寂しいわ」と言われてしまった。それはそうかもしれないと思う。万丈目と明日香のことはふたりともよく知っているが、もし全然知らない相手だったらどんな相手なのか気になるものだろう。
 そういえば隼人が結婚するときには、相手のことを隼人はいろいろ話してくれたのだった。彼の結婚相手のことは結婚式のときに多少の挨拶を交わした程度で直接に詳しくはない。でも隼人から出会ったときのことなどは聞いたし、隼人と話せば週末に一緒に出掛けたとか家でこんなことがあったとか、そんな話題から自然と相手のひととなりがわかる。
 ──でも。
 自分とユベルのことは説明しにくい。今愛し合うに至った過程は簡単な話ではない。ものすごく単純化すれば「すれ違って大喧嘩したけれど和解した」なのかもしれない。そんなことは隼人たちにも万丈目と明日香にもあるだろう。だがその「すれ違って大喧嘩したけれど和解した」の中身が、多くのひとは十二次元宇宙を滅ぼしかけたなんて話にはならない。
 十代はユベルと融合していることも誰にも話していない。精霊たちは人間とも精霊ともつかぬ気配から察するだろうし、人間の友人たちだってすでに十代がヒトの理から外れていることやユベルが他の精霊たちと違うことには気づいているだろう。隠し立てはできないことだし、もし「融合しているのか」と聞かれたらそうだと答えるけれど。どうしてと聞かれたら──。
 おかしな話だが、十代は自分とユベルはもともとひとつだったような気がする。いや、もともとは別別の人間だったことはわかっている。だからこそ愛し合ったし、すれ違って憎むこともあった。別の存在でなければ融合することもできない。この指輪が最初からこのかたちであったわけではなく、金やら白金やら耐久性を上げるためのなんやらかんやら(店員が説明してくれたのにもう忘れてしまった)別別の材料を混ぜてつくったように、十代とユベルも別別の存在が融合したのだ。
 頭ではわかっている。でも融合することが当然の帰結のように思えたのは、もともとがひとつだったからではないのかと心のどこかで思っている──。 
 やはりどうにも、他人には説明しづらいと思う。ユベルだってそんなことは思っていないだろう。
 ユベルを見るとすぐに気づいてどうしたのと聞かれる。
「ユベルってさ、オレともともとひとつだったって思うことある?」
「あるわけないだろ」
 ばっさりと言われてしまう。
「いきなりどうしたんだ?」
 隣に座っていたユベルは、寝そべる十代の顔を覗き込む。
「いきなりっていうか。融合してから、なんかそう感じるんだ」
「それがそのくらいボクを愛してるって比喩なら嬉しいけど、キミの場合そうじゃないよね」
 二色の目が細められ、緑の唇がおかしそうにつり上がる。
「別の存在だから融合できたってことくらいはキミの頭でもわかるよね?」
「わかってるって。でも、なんかそう感じるんだよ」
「もともとひとつだと感じるんなら、その『もともと』はどこにあるんだい」
「どこ──」
 どんなに記憶をたどろうがあるはずがない。初めて《ユベル》のカードを手にした日も、遠い昔に初めてユベルと出会った日も、やはりユベルと自分は『ふたり』だった。
「……どこにもないんだけどさぁ」
 なぜだかそんな感覚だけがある。おかしな話だというのは自分でよくわかっている。
「まあ、理屈をつけるんならキミの中のやさしい闇がそう思わせるんだろ。あまねく命がやさしい闇の中から生まれて、キミはそのやさしい闇を宿してるんだから。その意味じゃ、ボクとキミはもともとひとつだったといえる」
 考え込む十代にユベルはそう説明した。
「……でも、それだとユベル以外ともひとつだったことになるだろ。別にユベル以外とはもともとひとつだった気はしないけどなあ……」
 十代は胸の上で眠るファラオと、そのファラオの上で眠るハネクリボーを見る。
「相棒やファラオにはそう感じないし」
「ふーん……まあ、キミがボクだけにそう感じるというのは好ましいね。理屈で説明できない愛があるというわけだ」
「理屈で説明できない、かぁ……」
 やはりユベルとのことは説明できないのだと思う。
「まあいいんじゃない。ずいぶん前に言ってただろ。整然とした屁理屈より、不恰好でも自分たちの信じる絆の方が真実だって」
「……言ったか?」
「ダークネスに」
「ああ……言ったかなあ」
「キミは記憶も整然としてないね」
 ユベルは手の甲で十代の額をこつりと叩いた。
「内側にいるとよくわかるけど、キミは全然整然としていない。でもたぶん、やさしい闇ってそういうものさ。混沌として雑然として不恰好で……だから命を育むこともできるんだろう」
「そうかあ?」
「感想さ。実際に光の波動を浴びて、今はキミの闇の中にいるボクの感想」
 ユベルは微笑んでいる。情けない顔するんじゃないよと今度は額を撫でられた。
「すべてが融合されて統一された世界は整然として美しいかもしれないけど、そこに生きられる者はいないさ。キミの中の闇みたいなごちゃごちゃしてるところにたくさんの命が生きてるんだろう」
「……そうかもな」
 今は暗くて見えないこの地面の下の不思議な生き物たちも、整然とはしていない。十代にわからないだけで、なにか法則のようなものはあるのかもしれないが。いろんな世界を見てきたが、どこもそんなに整然としていなくて、たくさんの命が雑然と不恰好に生きている。
「もう眠ったら。なにをごちゃごちゃ考えてるのか知らないけど」
「……なれそめ話。なにを話したらいいのか全然わかんねぇ」
「まあ──ボクらにはいろいろあるからね」
 やっぱり、自分とユベルのことは誰かには説明しづらいのだ。破滅をもたらす光の波動と命を育むやさしい闇の話から、ふたりの間に起きたことまで複雑に絡み合って。話すことはふたりの痛みを引きずり出すことでもある。それがあったから、今こうしてひとつになることができたけれど。
「話したくないなら話さなければいいんじゃないの」
「話したくない……のかな」
 話すのが難しいと考えていたけれど、話したいかどうかは考えていなかった。
「違うのかい?」
「……あんまり昔のことは言いたくない」
 遠い昔の──今の遊城十代として生まれてくる前の自分とユベルのことは話したくないと明確に思う。それを知っているのは自分たちだけでいいと思うのは、子供っぽい独占欲だろうか。
「ふーん。なるほど」
 十代を見下ろしてユベルはニヤニヤと笑う。口にしなくてもユベルには理由がわかったらしい。
「ユベルは誰かに知られても構わないのか?」
「ボクはボクがどれほどキミを愛してるのか、キミがどれほどボクを愛してるのか、誰に知られたって構わないけどね。でもキミが秘密にしたいなら秘密にしておこう。キミの愛がボクだけのもののように、ボクたちだけのものだ」
 ユベルは十代の唇の前に人差し指を立てた。細められた二色の目はずいぶん満足げだ。
「……でも、なんにも話さないのも悪い気がするんだよ。友達なんだし」
「じゃ、とりあえずキミの子供の頃の話でもしたら。そのあたりは別にいいんだろ」
「そうだけど」
 でも、それなら愛するきっかけをどう話したらいいのだろう。遠い昔から愛しているのに。
「それこそこう言えばいいじゃないか。ボクとはもともとひとつだったと感じるんだって」
「……意味わかんないだろ、それ」
「ボクは万丈目の一目見たときに運命のひとだと思ったの方が意味がわからないけどね」
「なんでそんなこと……」
「パソコンで書いてた。雑誌かなんかに載せるやつだろうね」
 そういえば、万丈目はデュエル雑誌にエッセイを書いていたか。結婚に合わせて明日香とのなれそめ話を書くのだろう。
「そういうの、一から十まで全部書くわけじゃなく、適宜省いてまとめ上げるものだろ。そういうものだと思えばいいさ。嘘を言う必要はないけど、余計なことも言う必要はない」
「……難しくないか、それ」
「そうかもね。でもボク、キミがボクらのことを明日香にどう話すかはとても興味がある」
「なんで? ユベルは全部知ってるだろ」
「だからさ。キミにとって何が話してもいいことで、何が秘密にしたいことなのかわかるじゃないか。ボクさっきまでキミがあんなこと考えてるなんて知らなかったし」
 ユベルはまたニヤニヤと笑った。
「……やめとこうかな」
 十代は恥ずかしさからふいとユベルから顔をそらした。
「おや。明日香は友達の愛するひとのことを知ることができないままだ、かわいそうに。指輪を買う手伝いまでしてくれたのに」
「……ひとの良心つつきやがって」
「ボクそういうのが得意だから」
「お前なぁ」
 十代がユベルに文句を言おうとすると、ぱたんと胸の上でファラオのしっぽが動いた。抗議するように、ぱしぱしとしっぽが胸を叩く。
「あ──ごめんごめん。うるさかったな」
 なんで寝床にされてるオレが謝ってんだろ、そう思ったけれど、なんとなく自分が悪いような気がしてしまうのだ。
 十代は黙ったままユベルを睨む。ユベルは唇の動きだけでごめんと言う。少しからかいすぎたね、と心に伝えてくる。 
 まあ、いいんだけど。十代はそう返す。別に本当に怒ったりはしていない。単なるじゃれあいみたいなものだ。
 もう寝るよ、おやすみと伝える。ユベルは頷いて、おやすみとささやくと十代の中に戻る。
 大徳寺のいた場所に目をやると、いつの間にかいなくなっていた。ユベルと十代が話していると、大徳寺はいつの間にか姿を消していることが多い。若いおふたりの邪魔はできませんからニャアと以前言っていた。ファラオは遠慮など知らずに、十代の胸の上でずっと寝ている。
 十代は目を閉じる。明日香にどう話したものかと、ずっとぼんやり悩んでいたものが消えた。ユベルと話していると、いつもそうした気がかりや不安は消えていく。からかいや皮肉を交えながらも、十代が悩んでいるとそれを解きほぐそうとしてくれる。
 ──話してもいいことと、秘密にしたいこと。
 そのふたつから考えていけば話せる気がした。ずっと難しいと考えていたのは、何もかもを話さないといけないと思い込んでいたからかもしれない。
 ──秘密、か。
 隠し事は得意ではないと思う。嘘をつくのは苦手だし、よく馬鹿正直だと言われる。管理のわずらわしさを思うと、そもそも秘密を持つことが面倒だと感じてしまう。
 でも。

 ──キミが秘密にしたいなら秘密にしておこう。キミの愛がボクだけのもののように、ボクたちだけのものだ──。

 十代ひとりではなく、ユベルとふたりだけのもの。そんな秘密なら、持ち続けてもわずらわしくはない。それどころか、愛おしくていつまでも持っていたい。
 明日香や隼人にも、きっとそんな秘密があるんだろう。話してくれたことの影に、愛するひととの大切な記憶が。
 話してもいいことと、秘密にしたいこと。それを考えるのは、案外楽しいのかもしれないと十代は思った。

2024/09/16
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