一話完結短編

 融合したばかりの頃、十代の闇の中があまりに居心地がよくて動こうとも思わなかった。十代の正しい闇の力は、ずっと苛まれていた怒りも憎しみも闇の中に溶かしてしまった。この闇の中で光の波動なんて存在できないのだろう。ユベル自身にあった悲しみや寂しさも、やがては薄れていくだろう。
 ユベルはいつも闇の海をたゆたうことを楽しんでいた。ある日ふと、この闇の中になにかあることに気がついた。

・第一階層

 そこはラクガキみたいな世界だった。
 海と浜辺があるかと思ったら、いきなり屋内のような絨毯の敷かれた床があっておもちゃが散らばっている。それが妙に見覚えがあって、はてなんだったかと思考を巡らせているとユベルを呼ぶ懐かしい声がした。
「ユベル! 来てくれたんだ」
 そこには幼い姿の十代がいた。その姿を見たとたんに、絨毯は十代の部屋のものだと気づく。散らばるおもちゃも十代がよく遊んでいたものだ。
「ユベルも一緒に遊ぼうよ!」
 幼い十代はユベルの手を取った。ああこれは十代の「かけら」みたいなものだ、と触れて理解する。十代の心の中にある、記憶や心のかけら。ここは幼い十代の居場所だからラクガキみたいなのだろう。
「すごろくしよ! みんなでやる方が楽しいよね」
 十代が言うとネオスペーシアンたちが現れた。だがそれは本物のネオスペーシアンたちではなく、十代の心が作った幻影なのだとユベルにはわかった。
 すごろくは十代が幼い頃にも一緒に遊んだことがある。あのときは物を触れないユベルの代わりに十代がユベルの分もサイコロを振って駒を動かしていた。今のようにユベルが自分でサイコロを振れて、二人ではなく何人もでゲームをやることがあの頃の十代の本当の望みだったのかもしれない。
 十代はずっと楽しそうに笑っていた。本当に子供の頃でさえ、こんな笑顔は見たことがなかったかもしれない。子供の頃の十代はいつもどこか寂しそうにしていた。
 すごろくをしていたら、急にユベルの視界が白くなっていき、十代もネオスペーシアンの幻影も消え失せた。ユベルは十代の身体が目を覚ましたことに気がついた。
 ──夢だったのか。
「楽しかったね」
「何が?」と十代は寝ぼけまなこをこする。
「一緒にすごろくして」
 十代はしばし考えて「子供の頃の話か?」と聞き返す。
「ついさっきやったよ」
 十代は首をかしげた。
「……もしかして夢見てた?」
「キミは見てないの?」
「覚えてない……オレたちって同じ夢見るの?」
「そうだと思ったんだけど──」
 あれは「かけら」といえど『本物の十代』だという確信がユベルにはあった。その後も十代が眠ったときにその場所に行くことができた。
 夢の中の十代はいつも幼い姿で、ユベルと一緒に遊びたがった。すごろくやボードゲームやトランプなど室内遊びだけでなく、海で遊ぶ日もあった。海にはなぜかイルカがたくさんいて、水平線の向こうは青空ではなく見慣れない星や巨大な惑星が見えた。太陽はないが空気はからりとして十代は気持ちよさそうに泳いでいた。十代の服は海水浴をするときは一瞬で水着に変わり、飽きて海から離れればまた一瞬で元の服に戻り髪も乾いた。
 ──夢の中は便利だね。
 お茶を服にこぼして慌てていた幼い日を思い出す。十代はもうそんなことは覚えていないだろう。
 夢の中で十代とユベルは毎日楽しく遊んでいた。ひとつだけ気がかりだったのは、十代がデュエルをしないことだった。もしかしたら幼い十代の中にデュエルを避ける心があるのだろうか。
 十代と遊び始める前にユベルは言った。
「十代、デュエルはしないのかい?」
「デュエルしたいの? デュエルするならデュエルアカデミアだよ」
 十代は笑って指をさした。海と反対方向にデュエルアカデミアの校舎が見えた。先程までは何もなかったのに、突然現れたのだ。
「こんなのいつの間に──」
 ユベルが振り向くと、十代はいなくなっていた。
「十代?」
 あたりを見回し呼び掛けるが返事はない。先にデュエルアカデミアに行ってしまったのだろうか。ユベルはデュエルアカデミアに向かった。
「ユベルー! デュエルしに来たのか?」
 ユベルの前に現れたのは、高校生の十代だった。腰丈の短いジャケットで、顔つきは本来の十代よりややあどけない。高校生になったばかりの十代なのかもしれない。
「一瞬で大きくなるんだねぇ……」
 突然現れたデュエルアカデミアに、突然大きくなる十代──夢というものは、あまり深く考えても仕方ないのかもしれない。
「早くデュエルしようぜ!」
 十代は目を輝かせている。
「はは、夢でも手加減はしないよ」
「当たり前だ!」
 夢の中の十代は現実の彼と変わらない強さだった。だが、何回かデュエルするうちに「変わりなさすぎる」と感じた。以前のデュエルをなぞっているような感覚があった。
 ──夢って記憶からできているんだっけ?
 幼い十代との遊びは種類が多く気がつかなかっただけで、そちらも繰り返すうちに記憶をなぞるような遊びへ移行していくのかもしれない。
 ここは「楽しい記憶」という場所なのだろうか。ならば他の気持ちの場所もあるのだろうか──そのように考えたせいか、次の日ユベルはもうひとつの新しい場所を見つけた。

・第二階層

 そこは海があり、おもちゃのちらばる十代の部屋があり、デュエルアカデミアがあり──配置は以前とそっくりだったけれど、雰囲気はまるで違った。イルカであふれていた海にはなんの生き物もおらず、十代の部屋はほこりをかぶっていて遊ばれた形跡もない。デュエルアカデミアは遠目から見てもさびれていた。明るく楽しい雰囲気のあったあの場所とは真逆だ。
 デュエルアカデミアの方に向かうと、以前は土だった地面は砂漠になっていた。よく見覚えのあるそれだが、あの場所のようにモンスターはいないようだ。ここには十代もいないのではないかと思うほど静かだった。
 十代は何もない砂漠にひとりで立っていた。呼び掛けると笑って振り向いた。
「ユベル、どうしたんだ?」
「十代こそこんなところで何してるんだい?」
「別に何も」
「……寂しくないの?」
「ユベルがいるから」
「ボクがいないときは?」
「ずっと一緒にいるだろ。融合してるんだから」
 十代は、まるでユベルがおかしなことを言ったかのように笑った。
「ひとりだなんて馬鹿なこと言うなって、ユベルが言ったんだろ」
「そうだけど……」
 しかしこの場所はあまりにも寂しい。十代が寂しがりなことは、ユベルはよく知っている。
「どうしてここにいるの?」
 ユベルの問いに十代はしばらく黙って考えた。
「さあ──考えたこともなかった」
「ずっとここにいるの?」
「そうかもな。考えたことなかったけど」
 何してるの、と言いかけて、先程何もしていないと答えられたことを思い出す。
 質問に迷ったら沈黙が訪れた。十代は微笑んだままユベルを見つめている。
「えっと──デュエルでもする?」
「今はいいや」
「そう……」
 あの楽しい空間の十代とは、まるで別人だ。しかし彼も十代である。ユベルが見間違えるわけがない。
「遊びたいなら向こうの方がいいよ」
「向こうって?」
「もう通ってきただろ。きっと向こうのが退屈しない」
 どうやら、この十代はあちらの十代のことを知っているらしい。
「キミは……向こうの十代とは違う十代なのか?」
「オレはオレだよ。見ての通り」
 見ての通り──か。服装は同じだが『向こう』の十代よりは少し大人びている気がする。
「キミは向こうには行かないの」
「行かない。ユベルは行きたいなら行くといいよ。ここは退屈だろ」
「ここは──何?」
「さあ? 考えたこともない」
 考えたこともない──というのがここの十代なのだろうか。この茫漠とした砂漠のように。
「じゃあキミは、何もせず、考えもしないでここにいるのか?」
 十代は不思議そうな顔でユベルを見返した。
「そうかもな」
 考えたことなかったけど、とやはり十代は言った。
 これも十代の心の一部──なのか。『向こう』の十代が「楽しい心の部分」なら、ここの十代は「特に何もせず考えていない部分」なのだろうか。確かに人間は四六時中楽しいわけでも悲しいわけでもない。「何もしない」という部分も存在し、それがこの十代──なのか?
「じゃあキミは特に何も思わない……のかな」
「確かにあまり思わないけど──ユベルがいるのは嬉しい」
 十代はやわらかく笑う。この十代はよくユベルを見つめてくると思ったが、それが理由だったのだろうか。
「素直すぎてちょっと気味が悪い」
 ユベルの言葉に「そーかぁ」と十代は笑った。
「素直すぎてもやっぱりユベルを困らせるよな」
「困るってわけじゃないけど」
「そうかな」
「驚く」
「そっか。じゃ、さらに『向こう』に行くともっと驚くかもな」
「また別の十代がいる場所があるってこと?」
「オレはオレだよ」
「けどキミとは違うんだろ?」
「行けばわかるよ。でも、明日かな」
 十代の言葉の通り、今日はもう視界が白くなってきた。
「またな、ユベル」
 十代がきちんと別れの挨拶をしたのは初めてだった。いつも突然視界が白くなっていた。この十代はここが夢だときちんとわかっているようだった。
 十代が目を覚ます。ユベルはまだうつらうつらとしている十代に訊ねる。
「夢見た?」
「夢? わかんね……覚えてない……ユベルは?」
「キミといた」
「デュエルでもしてたのか?」
「今日はしてない。今日は──」
 なんと説明したものか迷った。でも見たままを言うしかない。
「砂漠にいたキミと話してただけ」
「砂漠?」
「そう。砂漠にひとりでいて、何もしてないって言ってて、デュエルもしなくて、でも別に寂しいとか暇とかでもないみたいで……」
 やけに素直だったけれど、照れくさいからそれは黙っていた。
「それって、ユベルにはオレがそう見えてるってこと?」
「ボクに?」
「だってユベルの夢だろ」
「ボクの?」
 ずっとあれは十代の夢だと思っていた。あの十代たちは確かに本物で、ユベルが見間違えるはずなどない。
「でも十代は十代だったよ」
「融合してるんだから、ユベルの夢のオレもオレなんじゃね?」
 説明になっていない気がする。十代は大きくあくびをすると、また目を閉じてしまう。眠くて適当なことを言ったのだろう。
 しかしあれが十代ではなくユベルの夢、というのはあり得る。ユベルは十代が幼い頃、ああして一緒に遊んでやりたいと思っていた。今更ながら夢でその再現をしていたのかもしれない。十代とのデュエルが記憶をなぞったようなものだったのも、ユベルの夢にすぎないから記憶通りの行動しかしなかった、という説明ができそうだ。
 では先程会った茫漠とした砂漠の十代はなんだろう。ユベルはあんな風に十代にひとりでいてほしいとは望んでいない。願望の逆が表れたのがあの十代なのだろうか。それならもっと寂しそうだったり悲しんでいたりしそうなものだ。それに。
 さらに『向こう』に行くともっと驚くかもな──。
 あの十代はユベルの知らないことも知っているようだった。よく考えたら幼い十代との遊びにもユベルが名前もルールも知らないゲームがあった。ユベルの夢ならばそれはおかしいのではないか?
 確かめる方法などあるかはわからない。だがあの砂漠の十代から聞いた『向こう』というのを見てみたいとユベルは思った。

・第三階層

 そこは、海も十代の部屋もデュエルアカデミアもなかった。
 覇王城だった。
 十代は確かに覇王である。しかし彼にとってそこはいい思い出があるとは言い難い場所だ。だからこそ心の中から離れないということだろうか。ならばここにいる十代は──。
 砂漠の十代に聞いた「もっと驚く」とはこのことか。ユベルは覇王城の前に降り立つ。
 ユベルを待っていたかのように覇王城の扉が開く。これまでのように歓迎されるとは限らない。場合によっては敵意を向けられる可能性もある──。ユベルは暗いそこに足を踏み入れた。
 闇の中に輝く金色の二つの目がユベルをとらえた。
「ユベル!」
 十代は勢いよくユベルに抱きついた。
「……は?」
「こんなとこまで来たのか? どーしたんだ? いや来てくれたのすげー嬉しいけど! 何する? 誰も来ないしマジでなんもないよ。あ、デュエルくらいならできるけど」
 十代はにこにこと笑っている。金色の目をした十代がこんな風に表情豊かなのは珍しい。覇王の力を操る時は真剣勝負の時ばかりだ。楽しそうに笑うこともなければ、ユベルを愛おしそうに見つめることもない。
 ──やっぱりボクの夢なのかな、これ。
 自分にそんな願望があったつもりはないのだが。先程は十代と──覇王と敵対するかもしれないと気を引き締めたのが馬鹿らしいくらいだ。
「どうしたんだ?」
 考えているユベルに十代が訊ねる。
「ここって、キミの夢? ボクの夢?」
「オレの心の闇ん中だよ」
 十代はさらりと答えた。そういえば、ここは闇の中で見つけた場所だった。そもそも夢ですらないのか。
「そーいやユベルは心の闇を食べるんだっけ? 食べる?」
「食べない」
「そっか」
 十代は残念そうな顔をした。
「あんまうまそうじゃないよな、覇王城って。もっとお菓子の家みたいならよかった」
 外観の問題ではない。そもそもなぜ食べられたがっているのだ。
「……絵本だっけ。キミが子供の頃に読んだ」
「そう。魔女の住むお菓子の家」
 十代が両手で何か開く動作をすれば絵本がそこに現れる。可愛らしいお菓子の家の絵が見開きで描かれている。十代が幼い頃読んでいたものだ。
「子供を捕まえる罠じゃないか」
「太らせて食べちゃうんだもんな。オレはユベルのこと食べないから大丈夫」
 当たり前だ。何を言っているんだ。十代が本を閉じるとそれは消えてしまった。
「キミって──」
 気味が悪い──は、昨日言ったのだ。砂漠にいた十代に。
 もっと驚くと彼が言ったのはこのことか。ここに覇王城があることではなく。
「ちょっと違うよね。起きてる十代とは」
「そりゃ起きてるオレは『部分』じゃねーもん」
 『部分』か。ユベルがこの闇の中の十代を「かけら」と感じたのは間違いではなかったのだ。
「キミは覇王の『部分』ってことか」
「そうそう」
「そのわりにはおとなしそう」
「おとなしくない時期もあったけどな~」
 けらけらと十代は笑う。それから、何かに気づいたように表情が消える。
「──ユベルがいなかったら、今もおとなしくなかったかも」
 なんてな、と十代はまた笑った。見慣れない金色の瞳が少し寂しそうに見えた。
 ──そうか。この瞳を真正面から最後に見たのは。
 世界の破滅と存続をかけ対峙した、あのときだ。
 もしも超融合のカードがなければ、ユベルの魂から光の波動のみを追い払う手段がなければ──。
 この宇宙からお前を消滅させようとしている──そう十代が宣言したようにするしかなかったのだ。
 覇王として、この宇宙を守るために。
「ボクはいるよ。キミが嫌でもね」
 そう言ってやれば十代は嬉しそうに笑う。
「うん。そうだよな」
「そうさ」
 今度はユベルから十代を抱きしめてやる。
「キミみたいな寂しがりの根性なしをひとりにはできないからね」
「そっか」
 ありがとう、と十代もユベルを抱きしめ返す。
 もう視界が白んでくる。十代の目覚めが近い。
「ユベル、────」
 十代は耳元でささやく。
 ──まったく、起きてる間はろくに言わないくせに。
 十代の茶色の目が開く。寝起きの間抜け面にユベルは微笑んだ。
「おはよう、十代。ボクも愛してるよ」

・第四階層

 そこは、デタラメなジオラマみたいだった。
 イルカの泳ぐ海。おもちゃの散らばる部屋。デュエルアカデミア。砂漠。そして覇王城──。
「ユベル。こんなとこまで来たんだな」
 そこにいる十代は、起きているときとほとんど変わらない。ただ、それよりは少し落ち着いた雰囲気がある。
「ごちゃごちゃした世界だね」
「そうだな。でもバラバラだったオレがこうやってひとつになれたのはユベルのおかげだ」
「ボクは何もしてないけど……」
 ユベルには何一つ覚えがない。しかし十代はユベルに微笑む。そして右手を差し出した。
「少し歩かないか」
 ユベルは十代と手を繋ぐ。これまでの「かけら」の十代とは違う──そう直感的に思った。
「覚えてる? 木星の衛星イオ。宇宙の友達がたくさんいる」
 砂浜を歩きながら十代は言った。そうか。この海辺は幼い頃の十代が想像した世界だ。
 昔、幼い十代はたくさん絵を描いてユベルに話してくれた。
 宇宙にはいっぱい友達がいてね、宇宙には正しい力があってね──。
 きっとユベルも宇宙で友達になれるよ──。
 ユベルは──そんな想像の友達の話をするより自分のカードを使ってくれたらいいのにと思っていた。だから、十代がつたない言葉で本当に伝えようとしていたことまで聞き流してしまっていたのだろう。今更気がついても遅いのに。
「ユベルはいつも笑ってオレの話を聞いてくれてた。でも子供の考えた話なんて、お前にはきっと面白くなかったろ」
「確かにね。でも、一生懸命なキミは可愛かったよ」
「あのときのオレは、ユベルが聞いてくれるからたくさん考えて、絵を描いてた。それがネオスペーシアンたちになったんだ」
 海ではイルカたちが楽しそうに泳いでいる。その中にアクア・ドルフィンがいて十代とユベルに手を振った。十代は手を振り返す。水平線の向こうではネオスが飛んで行くのが小さく見えた。
「ユベルがいなかったら、きっと今こんなにたくさん仲間ができることはなかったよ」
「それはちょっと買いかぶりすぎじゃないの」
 ユベルにとっては、ただ話を聞いただけのことだった。それも話半分に。
「そんなことない」
 ユベルを見つめて微笑む十代が嘘をついているようには見えない。親がほとんど家にいなかった幼い十代には、ただそばで話を聞くだけでもよかったのだろうか。
 次は幼い十代と遊んでいた部屋へ行く。最初に見た十代の心と違い、おもちゃだけでなくデュエルモンスターズのカードもあった。それに。
 部屋の隅のガラスケースに、見覚えある城を象ったジオラマ──それは懐かしいと同時に、ユベルの胸の奥に痛みをもたらした。幸せな記憶と痛みの記憶が同時にある場所だ。
「オレが子供から大人になれたのもユベルのおかげだ」
「でも」
 かつてのキミはなれなかったじゃないか。
 その言葉は口にできなかった。
「オレは今のオレのこと気に入ってるよ。大変だったけどさ」
 十代はデュエルアカデミアや覇王城のある方を眺める。
「どっちが本当によかったのかなんてのはわからないけど」
 そんなことは誰にもわからない。かつての彼に十代よりも過酷な運命が待ち受けていたかもしれないし、そうではないかもしれない。
 十代は左手でガラスケースに触れジオラマを見つめる。子供部屋に置かれたジオラマの時は永遠に進まず、過去をやり直すことは誰にもできない。十代の心から砂漠も覇王城も消えないように、ユベルからも決して消えない痛みがある。
「遠い過去にも子供の頃にも、この前のことだって、いろんな『もしも』があって、もっといい道みたいなものもあったと思う。オレは馬鹿だから間違えてみんなを傷つけて、後悔して、それでもさ」
 十代と繋いでいた手が強く握り返される。ジオラマに落とされていた視線がまっすぐにユベルに向けられる。
「それでも今こうしてユベルといられてよかった。オレはそう思うよ」
 穏やかに笑う。不意に思い出す──彼は、ここは、いつもユベルがたゆたう闇だ。正しい闇の力と愛でできた、心地いい闇。
「キミ、起きてるときもそのくらい素直になったら?」
 嬉しいのにユベルの口から出るのは十代に「減らず口」といわれそうなもので、ひとのことを言えない。考えとく、と十代は笑った。
 十代と共に子供部屋を出て、砂漠を抜けてデュエルアカデミアへ向かった。覇王城が遠くに見える。十代は校舎を通りすぎてその向こうへと足を進める。そこには、キャンバスのように真白い空間があった。
「このあたりはまだ何もないんだ。これからいろんなものが増えてくと思う。ユベルと一緒に見たものが」
 なあユベル、卒業したらさ──。
 それは起きている十代に言われた言葉だ。
 旅に出よう。きっとこの力を必要としてるひとや精霊たちがいる。これからは──。
「一緒に楽しい世界にできるといいな」
「一緒に?」
「ああ、一緒に」
 ここを「楽しい世界」にするのは、きっと容易ではない。宿命は容赦なく彼を傷つけようとするだろう。十代自身が抱える傷も、きっと彼を苦しめ続ける。
 でもユベルは、そんな彼を守ると決めたのだ。永遠に。
「付き合ってあげるよ。さらにごちゃごちゃしそうだけど。せいぜい居心地のいい世界になるようにね」
 ユベルの言葉に十代は笑う。
 ひとりでは難しいことも、ふたりならできるかもしれない。新しい旅は始まったばかりで、何が待っているのかなんてわからないけれど。
 ふたりで新しい世界を。このやさしさと愛に溢れた闇がいつまでもそうあるように。
「またな」
 ユベルの手を握り返す感触だけ残して、十代が消えていく。目を覚ました十代には人間界で触れられない。魂はとうにひとつだけれど、手が離れるのはいつも惜しい。
 ──寂しがりだなんて、ボクもひとのことが言えないか。
「おはよ……」
 十代は半分だけ開けた目でユベルをとらえると、触れられない手を伸ばしてきた。手が届くように少し近づいてやれば、十代は嬉しそうに笑った。
「おはようユベル」
「おはよう十代」
 十代の手がユベルの髪を撫でるように動く。ユベルも十代の髪の寝癖のついたあたりを撫でる──実際には触れられないけれど。それでも十代はくすぐったそうに笑う。
「なんだい」
「別に、ただ──ユベルがいてよかったなって」
「おやおや。どういう風の吹きまわしだい」
 今日は雨かな、と言ってやれば十代は声を立てて笑った。
「なんでだろ。急に言いたくなった」
 ──キミ、起きてるときもそのくらい素直になったら?
 そう言ったのが効いたのだろうか。でも。
 素直すぎてもやっぱりユベルを困らせるよな──。
 砂漠の十代に言われた言葉を思い出す。困るわけではないけれど、素直すぎたら少しばかり落ち着かない気もする。
 ──まあ、どちらにせよ。
「キミは可愛いねぇ」
「昔からそればっかだなユベルは」
「可愛いもの」
 そーかぁ? と十代は笑う。
 ──幼い頃も、少しひねくれた今も、闇の中の素直なキミも、全部全部可愛くて。
「愛してるよ十代」
「うん。オレも愛してる」
 おや、やっぱり槍でも降るかな──そう思ったけれど言わないでおいた。

2024/04/20
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