GX最終回後短編集
朝靄の少年
このところ静かな早朝の埠頭に、珍しく人影が見えた。朝靄の向こうのそれはまだぼんやりとしか見えないが、父は感嘆したような声をもらした。
「おお──遊城十代。おい、おーい! 遊城十代!」
大きな声で父は人影を呼んだ。知り合いであったらしい。互いに近づいてだんだんはっきり見えてきたその人影は、派手な赤いジャケットを着た、少年とも呼べそうな顔立ちの小柄な男だった。
「……ごめん、誰だっけぇ?」
孫ほど歳が離れていそうなのに彼は臆面なくそう訊ねた。
「忘れたのか、十代? まだ高校生だったもんな。海運王アナシスだっちゅーの。今はもう隠居の身だがな」
「お? おー! アトランティスのおっさんかあ! うわあ、すっげー久しぶりだな!」
十代と呼ばれた男はにっこり笑った。以前父と会ったときに高校生だったようだが、今でも高校生のように見えた。
「何年ぶりだ? ちっとも変わらんな」
「よく言われる。おっさんは白髪増えた?」
「そりゃあ増えるっちゅーの」
父は豪快に笑った。
「あれから何しとる?」
「ずっとあちこち旅してるよ。風の向くまま気の向くままってな」
「せっかくお前がプロになるのを楽しみにしとったのに、宝の持ち腐れだっちゅーの。今からでもプロにならんか? 腕が落ちてないなら二億出してやる。デュエルアカデミア時代に万丈目サンダーを打ち破った宿命のライバル! なんて売り出したら儲かるぞ」
──ん? 万丈目サンダーは確か、もう長年プロデュエリストとして活躍していなかったか。それこそ、もう高校生くらいの子供がいるような……。
「それ安いか高いかよくわかんねー」
「勝てばもっと上がるっちゅーの。万丈目を越えてやれ。……あいついくらもらっとるんだ?」
「そんなの知らねーって」
「なんだ、友達じゃなかったか?」
「友達だからってそんな話しないっちゅーの」
彼は父の口真似をしてみせた。
「ところでおっさん。このあたりの船なんか貸してくれよ。おっさんのだろ?」
「そうだが、今沖に化け物が出るらしいぞ」
「そいつに会いに来たんだよ」
「なんだぁ? UMAハンターでもやっとるのか?」
「ハントはしねえ。会いに来た」
「おお、おお。噂は聞いとるぞ」
父は目を輝かせた。
「そういうことなら貸してやるっちゅーの。ただしオレも一緒に行くぞ」
父はそう言うと携帯電話を取り出して電話をかけ始めた。わたしは父に気づかれないようにこっそり彼に話しかける。
「ごめんね。キミ、彼の息子さんかな」
わたしの質問に彼は頷いた。
「よくあるんですよ。でも、父から話は聞いてるし、その方が船を貸してくれそうで……騙してすみません」
彼は声をひそめて謝った。先程までの底抜けに明るそうな様子と違い、本来は落ち着いた少年なのかもしれない。あれは父に合わせた振る舞いだったのだろう。
「いや、こちらこそごめんね、最近父はちょっと……まあ、歳だから……」
言葉を濁すわたしに彼は頷いた。
「キミがよければこのまま話を合わせてもらってもいい? あんな楽しそうな父は久しぶりで」
「ええ、もちろん。むしろ助かります」
「ところで、キミの名前は?」
「遊城十代二世です。だから十代で間違ってないんですよ」
十代は微笑んだ。わたしも名乗り返す。
「父はこの島に隠居しててね。休みの日は様子を見に来るんだよ」
「そうなんですね。アナシスさん、お体の方は?」
「年齢なりにはいろいろあるけどね、元気だよ。キミのお父様は?」
「元気にしてます。アナシスさんのこと聞いたら喜ぶと思います」
「ところで噂って……」
「おい十代! 船が出せるぞ。でも靄が晴れてからだ。朝飯は食ったか? 奢ってやるぞ」
十代に話を聞こうとしたところで、電話を終えた父が言った。
「マジで? サンキューおっさん!」
十代は先ほどの様子はどこへやら、遠慮を知らない子供のように笑った。
父の出資したデュエルフィールドつきのカフェレストランへと向かった。朝から晩までデュエルできる人気スポットだが、こんな早朝には人がいない。
「お、あれ最新式のやつ?」
「もちろんだっちゅーの。あとでデュエルするか?」
「おう! じいさん相手でも手加減しないぜ」
十代はデュエル好きのようでそのデュエルフィールドを見て喜んでいた。彼は自分の父親のふりをすることに慣れているようで、食事をしながら卒業後のことを聞きたがる父の質問を嫌がることもなく、よどみなく答えていた。器用なものだと思う。彼の話は、誰もがよく知る国へ行った話から、この世とあの世の狭間でデュエルしてきたんだという荒唐無稽なものまであったが、父はそんな嘘か真かわからない話も楽しんでいるようだった。
朝食のあと、父と十代はデュエルをした。わたしはデュエルに詳しくないが、激しい攻防戦は見ごたえがあった。最近ぼんやりすることが多かった父が若い頃のようにいきいきとしていた。負けたのに父はずいぶん嬉しそうで、その腕なら三億出しても惜しくないと笑っていた。
「な、勝ったごほうび、あれくれねぇ?」
店の壁に飾られた皿のようなものを十代は指差した。十代はデュエル前に父から勝てばなんでも好きなものをやると言われていたのだ。
「うん? 綺麗だが別に高級品じゃないぞ。確か漁で引っ掛かったんだったか? おーい! この皿みたいなやつもらってもいいか?」
父は初老の店主に訊ねた。
「ええどうぞ。でもこの前財布忘れた客が詫びに置いてったガラクタだよ。そんなのでいいの? あんないいデュエル見せてもらったんだから、もっといいものあげたいくらいだよ」
「オレ、あれ店に入ったときから目ェつけてたんだ。キレーじゃん」
「そう? じゃあ持っておいき」
やった、と十代は笑って壁から皿を取る。ガラスのようで傾ければオーロラのような淡い輝きを見せるそれは、綺麗ではあるがやや歪んだ形をしていた。修行中のガラス職人の失敗作だろうか、などと思う。
その後、船で沖に出た。十代の言うまま、海面の不思議な光を追って進んだ。父があの光はなんなのか問うと十代は案内役だと答えた。
「もっとはっきり姿を見れんのか?」
「恥ずかしがり屋みたいだ」
「そうか。一回くらい見てみたかったが」
「縁がありゃあ見れるさ」
どうやら十代は精霊が見えるらしかった。父の言った「噂は聞いている」とはこのことなのだろう。
真っ直ぐ進んでいた海面の光がくるりと円を描いて、十代が止めてくれと声をかける。止まった光はだんだん小さくなり、海の中に潜っていくのだ、と思った。
「みんな、なんかに掴まっててくれ。おーい、船にぶつかんねーようにゆっくり出てきてくれよー」
十代が海面に向かって叫んだ。彼の視線の先に目を凝らすと、海面が白く泡立って、そこだけ流れが違うようだった。わたしには見えなくともそこにいるのかもしれない。
「よう! 初めましてだな」
十代が声をかける。精霊に何か言われたようで、少し間を置いてから頷く。
「うん。一応なあ、それっぽいの持ってきたぜ」
十代はバッグからレストランでもらった皿を出した。とたんに衝撃があり船が揺れた。
「ああ、落ち着け。船ひっくり返さないでくれよ」
精霊は皿を見て喜んだのだろうか、船にぶつかったようだ。何もない空中から水滴がしたたり落ちる。どうやら海から出てきたようだった。水滴のしたたり落ちる位置から、三メートルはありそうだ。これが頭だけ出しているなら、体はもっと大きいだろう。わたしは子供の頃図鑑で見たエラスモサウルスを想起する。
「これでいいんだな? んじゃ、そっち行くからさ──」
十代は隣の父を見た。
「おっさん、今日はありがとな! オレここで降りるな」
「降りるって、お前」
「この先はアイツに乗せてもらうからさ。船出してくれてマジで助かったぜ。息子さんもありがと!」
十代はわたしの方を見て手を振った。それから手すりに足をかけ軽やかに飛び上がると宙に立つ──いや、精霊の上に乗っているのか?
「じゃあな! またデュエルしようぜ!」
屈託ない笑顔で指を三本揃えた右手を前に出して、十代の姿はかげろうのように揺れて、消えていった。
「……は?」
瞬きをする。やはり十代の姿はない。父の方を見れば、驚いた顔のまま十代が消えたあたりを見つめていた。
「見えたか? 今、青くて美しい……」
父の目には、何かが見えたようだった。港へ戻るまでの間、父は心ここにあらずといった様子だった。
「……やはりあいつはいくら出しても捕まえておくべきだったなあ……」
家へ向かう道を歩きながら父は呟いた。帰宅してからもずっと考え事をしているようだったが、それは最近のぼんやりしていた状態ではなく、隠居前の父を思い出させた。
昼食の後から、父はどこへやらか電話をかけているようだった。そしてそれが終わると父は宣言した。
「隠居はやめだ。海には精霊なんてまだまだ面白そうなものがあるからな。じっとしておれんっちゅーの」
「歳なんだし、あんまり無茶はしないでよ」
「わかっとる、わかっとる。この歳まで生きてやっと精霊を目にしたんだからな。もっと長生きせんと再び見ることはできんっちゅーの。誘ったのもじいさんばかりだからな。無理はできんわ」
父は、同じく隠居していた友人たちに連絡をつけて、精霊を探しに行こうと誘ったらしい。彼らが精霊の存在を信じたのか、それともただ友人たちと老後を過ごすのも悪くないと思ったのか、それはわからない。
ともかく父は友人たちと海に出た。仲間のひとりが写真が趣味といい、たくさん写真が送られてきた。写真には父とその仲間たちのいきいきとした様子が写っていた。隠居後、特に母が亡くなってから意気消沈していた父の様子を思えば、これでよかったのかもしれない。
月に数回くる父の手紙と、時折会ったときに聞く土産話がわたしにとっても楽しみのひとつになった。
あるとき、写真の中に遊城十代の姿があった。相変わらず派手な赤いジャケットで、父の隣で苦笑いをしていた。十代は写真嫌いで一緒には一枚しか撮らせてくれなかったと手紙には書いてあった。十代二世は父親のふりはしても、父親の代わりに写真に残ることには抵抗があったのかもしれない。しかし父の友人は被写体として彼を気に入ったらしく、頼み込んで少し離れた後ろ姿だけ撮らせてもらったという写真もあった。
それは海辺の朝靄の中に立つ十代の後ろ姿で、わたしは彼に初めて出会った日を思い出した。その写真をよく見ると、彼の隣にもうひとつ人影があるように見えた。それはきっと光加減でそう見えただけなのだろう。でもわたしは、あのときのように見えない精霊の影が一瞬だけ写り込んだのではないかと──そんな浪漫じみたことを思った。
2024/10/06
このところ静かな早朝の埠頭に、珍しく人影が見えた。朝靄の向こうのそれはまだぼんやりとしか見えないが、父は感嘆したような声をもらした。
「おお──遊城十代。おい、おーい! 遊城十代!」
大きな声で父は人影を呼んだ。知り合いであったらしい。互いに近づいてだんだんはっきり見えてきたその人影は、派手な赤いジャケットを着た、少年とも呼べそうな顔立ちの小柄な男だった。
「……ごめん、誰だっけぇ?」
孫ほど歳が離れていそうなのに彼は臆面なくそう訊ねた。
「忘れたのか、十代? まだ高校生だったもんな。海運王アナシスだっちゅーの。今はもう隠居の身だがな」
「お? おー! アトランティスのおっさんかあ! うわあ、すっげー久しぶりだな!」
十代と呼ばれた男はにっこり笑った。以前父と会ったときに高校生だったようだが、今でも高校生のように見えた。
「何年ぶりだ? ちっとも変わらんな」
「よく言われる。おっさんは白髪増えた?」
「そりゃあ増えるっちゅーの」
父は豪快に笑った。
「あれから何しとる?」
「ずっとあちこち旅してるよ。風の向くまま気の向くままってな」
「せっかくお前がプロになるのを楽しみにしとったのに、宝の持ち腐れだっちゅーの。今からでもプロにならんか? 腕が落ちてないなら二億出してやる。デュエルアカデミア時代に万丈目サンダーを打ち破った宿命のライバル! なんて売り出したら儲かるぞ」
──ん? 万丈目サンダーは確か、もう長年プロデュエリストとして活躍していなかったか。それこそ、もう高校生くらいの子供がいるような……。
「それ安いか高いかよくわかんねー」
「勝てばもっと上がるっちゅーの。万丈目を越えてやれ。……あいついくらもらっとるんだ?」
「そんなの知らねーって」
「なんだ、友達じゃなかったか?」
「友達だからってそんな話しないっちゅーの」
彼は父の口真似をしてみせた。
「ところでおっさん。このあたりの船なんか貸してくれよ。おっさんのだろ?」
「そうだが、今沖に化け物が出るらしいぞ」
「そいつに会いに来たんだよ」
「なんだぁ? UMAハンターでもやっとるのか?」
「ハントはしねえ。会いに来た」
「おお、おお。噂は聞いとるぞ」
父は目を輝かせた。
「そういうことなら貸してやるっちゅーの。ただしオレも一緒に行くぞ」
父はそう言うと携帯電話を取り出して電話をかけ始めた。わたしは父に気づかれないようにこっそり彼に話しかける。
「ごめんね。キミ、彼の息子さんかな」
わたしの質問に彼は頷いた。
「よくあるんですよ。でも、父から話は聞いてるし、その方が船を貸してくれそうで……騙してすみません」
彼は声をひそめて謝った。先程までの底抜けに明るそうな様子と違い、本来は落ち着いた少年なのかもしれない。あれは父に合わせた振る舞いだったのだろう。
「いや、こちらこそごめんね、最近父はちょっと……まあ、歳だから……」
言葉を濁すわたしに彼は頷いた。
「キミがよければこのまま話を合わせてもらってもいい? あんな楽しそうな父は久しぶりで」
「ええ、もちろん。むしろ助かります」
「ところで、キミの名前は?」
「遊城十代二世です。だから十代で間違ってないんですよ」
十代は微笑んだ。わたしも名乗り返す。
「父はこの島に隠居しててね。休みの日は様子を見に来るんだよ」
「そうなんですね。アナシスさん、お体の方は?」
「年齢なりにはいろいろあるけどね、元気だよ。キミのお父様は?」
「元気にしてます。アナシスさんのこと聞いたら喜ぶと思います」
「ところで噂って……」
「おい十代! 船が出せるぞ。でも靄が晴れてからだ。朝飯は食ったか? 奢ってやるぞ」
十代に話を聞こうとしたところで、電話を終えた父が言った。
「マジで? サンキューおっさん!」
十代は先ほどの様子はどこへやら、遠慮を知らない子供のように笑った。
父の出資したデュエルフィールドつきのカフェレストランへと向かった。朝から晩までデュエルできる人気スポットだが、こんな早朝には人がいない。
「お、あれ最新式のやつ?」
「もちろんだっちゅーの。あとでデュエルするか?」
「おう! じいさん相手でも手加減しないぜ」
十代はデュエル好きのようでそのデュエルフィールドを見て喜んでいた。彼は自分の父親のふりをすることに慣れているようで、食事をしながら卒業後のことを聞きたがる父の質問を嫌がることもなく、よどみなく答えていた。器用なものだと思う。彼の話は、誰もがよく知る国へ行った話から、この世とあの世の狭間でデュエルしてきたんだという荒唐無稽なものまであったが、父はそんな嘘か真かわからない話も楽しんでいるようだった。
朝食のあと、父と十代はデュエルをした。わたしはデュエルに詳しくないが、激しい攻防戦は見ごたえがあった。最近ぼんやりすることが多かった父が若い頃のようにいきいきとしていた。負けたのに父はずいぶん嬉しそうで、その腕なら三億出しても惜しくないと笑っていた。
「な、勝ったごほうび、あれくれねぇ?」
店の壁に飾られた皿のようなものを十代は指差した。十代はデュエル前に父から勝てばなんでも好きなものをやると言われていたのだ。
「うん? 綺麗だが別に高級品じゃないぞ。確か漁で引っ掛かったんだったか? おーい! この皿みたいなやつもらってもいいか?」
父は初老の店主に訊ねた。
「ええどうぞ。でもこの前財布忘れた客が詫びに置いてったガラクタだよ。そんなのでいいの? あんないいデュエル見せてもらったんだから、もっといいものあげたいくらいだよ」
「オレ、あれ店に入ったときから目ェつけてたんだ。キレーじゃん」
「そう? じゃあ持っておいき」
やった、と十代は笑って壁から皿を取る。ガラスのようで傾ければオーロラのような淡い輝きを見せるそれは、綺麗ではあるがやや歪んだ形をしていた。修行中のガラス職人の失敗作だろうか、などと思う。
その後、船で沖に出た。十代の言うまま、海面の不思議な光を追って進んだ。父があの光はなんなのか問うと十代は案内役だと答えた。
「もっとはっきり姿を見れんのか?」
「恥ずかしがり屋みたいだ」
「そうか。一回くらい見てみたかったが」
「縁がありゃあ見れるさ」
どうやら十代は精霊が見えるらしかった。父の言った「噂は聞いている」とはこのことなのだろう。
真っ直ぐ進んでいた海面の光がくるりと円を描いて、十代が止めてくれと声をかける。止まった光はだんだん小さくなり、海の中に潜っていくのだ、と思った。
「みんな、なんかに掴まっててくれ。おーい、船にぶつかんねーようにゆっくり出てきてくれよー」
十代が海面に向かって叫んだ。彼の視線の先に目を凝らすと、海面が白く泡立って、そこだけ流れが違うようだった。わたしには見えなくともそこにいるのかもしれない。
「よう! 初めましてだな」
十代が声をかける。精霊に何か言われたようで、少し間を置いてから頷く。
「うん。一応なあ、それっぽいの持ってきたぜ」
十代はバッグからレストランでもらった皿を出した。とたんに衝撃があり船が揺れた。
「ああ、落ち着け。船ひっくり返さないでくれよ」
精霊は皿を見て喜んだのだろうか、船にぶつかったようだ。何もない空中から水滴がしたたり落ちる。どうやら海から出てきたようだった。水滴のしたたり落ちる位置から、三メートルはありそうだ。これが頭だけ出しているなら、体はもっと大きいだろう。わたしは子供の頃図鑑で見たエラスモサウルスを想起する。
「これでいいんだな? んじゃ、そっち行くからさ──」
十代は隣の父を見た。
「おっさん、今日はありがとな! オレここで降りるな」
「降りるって、お前」
「この先はアイツに乗せてもらうからさ。船出してくれてマジで助かったぜ。息子さんもありがと!」
十代はわたしの方を見て手を振った。それから手すりに足をかけ軽やかに飛び上がると宙に立つ──いや、精霊の上に乗っているのか?
「じゃあな! またデュエルしようぜ!」
屈託ない笑顔で指を三本揃えた右手を前に出して、十代の姿はかげろうのように揺れて、消えていった。
「……は?」
瞬きをする。やはり十代の姿はない。父の方を見れば、驚いた顔のまま十代が消えたあたりを見つめていた。
「見えたか? 今、青くて美しい……」
父の目には、何かが見えたようだった。港へ戻るまでの間、父は心ここにあらずといった様子だった。
「……やはりあいつはいくら出しても捕まえておくべきだったなあ……」
家へ向かう道を歩きながら父は呟いた。帰宅してからもずっと考え事をしているようだったが、それは最近のぼんやりしていた状態ではなく、隠居前の父を思い出させた。
昼食の後から、父はどこへやらか電話をかけているようだった。そしてそれが終わると父は宣言した。
「隠居はやめだ。海には精霊なんてまだまだ面白そうなものがあるからな。じっとしておれんっちゅーの」
「歳なんだし、あんまり無茶はしないでよ」
「わかっとる、わかっとる。この歳まで生きてやっと精霊を目にしたんだからな。もっと長生きせんと再び見ることはできんっちゅーの。誘ったのもじいさんばかりだからな。無理はできんわ」
父は、同じく隠居していた友人たちに連絡をつけて、精霊を探しに行こうと誘ったらしい。彼らが精霊の存在を信じたのか、それともただ友人たちと老後を過ごすのも悪くないと思ったのか、それはわからない。
ともかく父は友人たちと海に出た。仲間のひとりが写真が趣味といい、たくさん写真が送られてきた。写真には父とその仲間たちのいきいきとした様子が写っていた。隠居後、特に母が亡くなってから意気消沈していた父の様子を思えば、これでよかったのかもしれない。
月に数回くる父の手紙と、時折会ったときに聞く土産話がわたしにとっても楽しみのひとつになった。
あるとき、写真の中に遊城十代の姿があった。相変わらず派手な赤いジャケットで、父の隣で苦笑いをしていた。十代は写真嫌いで一緒には一枚しか撮らせてくれなかったと手紙には書いてあった。十代二世は父親のふりはしても、父親の代わりに写真に残ることには抵抗があったのかもしれない。しかし父の友人は被写体として彼を気に入ったらしく、頼み込んで少し離れた後ろ姿だけ撮らせてもらったという写真もあった。
それは海辺の朝靄の中に立つ十代の後ろ姿で、わたしは彼に初めて出会った日を思い出した。その写真をよく見ると、彼の隣にもうひとつ人影があるように見えた。それはきっと光加減でそう見えただけなのだろう。でもわたしは、あのときのように見えない精霊の影が一瞬だけ写り込んだのではないかと──そんな浪漫じみたことを思った。
2024/10/06
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