GX最終回後短編集

 ぼろっと涙が流れて「あ、思ったよりショックなんだ」とレイは頭の隅で思った。流れる涙と痛む胸と裏腹にものすごく冷静な自分がいる。
 失恋した。告白してフラれたわけではない。むしろその方がよかったくらいだ。
 笑顔を見たのだ。やわらかくて、まぶしいくらいの素敵な笑顔を。でも同時に自分へは絶対に向けられないとわかってしまった笑顔を。
 遊城十代がそれを誰に向けていたかというと、何もない場所に向かって、だ。でもレイにはわかる。他の人間の目には見えなくても彼には見えるものがある。そのレイには見えないものを見つめる目は──。
 思い出したらまたずきりと胸が痛んで涙が出る。「あ、ボクってそんなに好きだったんだ」とやっぱりどこか冷静な頭が思う。
 遊城十代に恋をしたのは二年前だ。熱いデュエルと、十代のキラキラした笑顔。また会いたくてこの学園に飛び込んだ。その気持ちが叶うと思うほど馬鹿じゃない。少し前まで小学生だった自分を相手にしないことなどわかっていた。でも好きだと思う人のそばにいたいし、気持ちをぶつけたい。それがレイなりの恋の仕方なのだ。恋する気持ちはワクワクして、なんでもできるような気がする。攻撃表示でいる限り戦闘では破壊されない「恋する乙女」のように、恋においては前向きにぶつかっていくのがレイ流なのだ。
 だが──今回ばかりは十代のあの笑顔を、あの瞳を遠くから見ただけで逃げ出してしまった。
 レイにはわかる。あれは愛しいひとに向ける笑顔。愛しいひとを見つめる目。レイの抱くワクワクする恋心よりも、ずっとずっと深いもの。きっとその気持ちを覆すことは誰にもできない、そう一瞬で悟ってしまった。
 心のどこかで、遊城十代の愛はデュエルにだけ注がれるのだと思っていた。二年前に追いかけた丸藤亮のように。
 亮に失恋したときはここまでショックを受けなかった。すぐ新しい恋をしたのも理由だけれど、それは心のどこかであのひとの心がデュエルにしかないことを最初から知っていたからかもしれない。レイ自身もデュエルに心を燃やすデュエリストだ。もし万が一、恋かデュエルかを選択しなければならないときにどちらを選ぶか? もちろん「恋する乙女」をエースカードにするデュエリストとして、レイはどちらも手にする道を選択する。二者択一などまっぴらだ。でも、亮も十代も片方しか選ばないひとなのだと、そしてそれはデュエルなのだと、そう思っていた。
 だから安心して恋をしていたと、失恋して気がついた。失恋の原因がデュエルなら、人間相手より傷つかなくてすむ。
 ──結局、人間でもなかったけど。
 デュエルも人間も遊城十代の唯一の愛を得られなかった。デュエルの神様に愛されたような奇跡のデュエリストが本当に愛されて、愛していたのは。
 レイに精霊の姿は見えないが、あの笑顔の先に誰がいたのかは予想がついている。
 ユベル。レイにとっては友達のマルタンに取り憑いたいやなやつ。姿を見たのは異世界から戻った日の一度だけ。十代にとっては幼い頃から一緒にいた精霊らしい。長い別離を経て今は共にいるらしいと剣山や翔から聞いている。あの事件から十代はあまり笑わなくなったが、最近は笑顔を取り戻してきた。
 もうすぐ卒業する十代と過ごせる時間はあと少ししかない。だから、今日も会いたかったのだけれど。
 ──とりあえず今日は無理かな。
 やっとおさまってきた涙を拭う。ずいぶん時間が経っていたようで、夕日が海をオレンジに染めていた。

「やっぱり強いなー、十代様は」
 遊城十代とデュエルして、負けた。悔しいが、全力を出しきれたから後悔はない。
 あの日失恋してからレイがやったのは、十代に勝てるようにデッキを組み上げることだった。やはり恋はデュエルのように真正面からぶつからなくては。勝っても負けてもこれが失恋からの卒業デュエルだ、と。だから負けたのにどこかすっきりしていた。
「楽しいデュエルだったぜ」
「ボクも!」
 例のポーズを決めた十代に、レイも同じポーズを返す。
「十代様、卒業してもまた遊びに来てね。来年度は学園祭できるようにって先生たちに剣山先輩と掛け合ってるから、レッド寮伝統のコスプレデュエルやろ! ボク次は絶対勝つから!」
「ははっ。来れるかはわかんないけど、できるといいな」
 十代はレイの話に微笑む。けれど不意に真剣な顔になった。
「──レイ。お前に謝らないといけないことがある」
 長くなるから座ろうと、波止場で海に向かって座る。
 十代は、異世界では迷惑をかけたと謝った。ユベルのことは自分に責任がある。レイ自身とマルタンを傷つけてすまなかった、と。
「ユベルは宇宙で光の波動を受けて歪んでしまった。だからユベル自身が本当に悪いわけじゃないんだ」
 そしてその原因、十代の子供の頃に起こったことから、なぜ異世界に飛ばされたのかなど──レイの知らなかったあの事件の経緯を十代は丁寧に説明してくれた。十代が記憶を失ったことがユベルを傷つけたことも、そのせいでさらにユベルが歪んだことも。十代は幼い自分の選択が悪かったと後悔しているようだった。
「……それって十代様が悪いわけじゃないと思うけどな」
 六歳か七歳か、そんな子供に完全に正しい選択などできない。それにたぶん闇の波動でユベルを正そうとしたこと自体は過ちではなかったのだ。現にネオスは正しい力を持ったカードとしてこの世に存在できている。ただユベルの衛星は光の波動と墜落という不運に見舞われてしまっただけで。十代の記憶を彼の両親が消したことも苦しむ我が子を見かねてのことだ。みんな正しいと思ったことをした、でもその結果はよいものにならなかった。整然とした言葉にはならなかったが、レイはそのことを十代に伝えた。
「……そうかもしれないな。でも、選んだのは確かにオレなんだ」
 責任を感じないでと言っても、たぶん無駄なんだろう。もうそれを背負うと十代は決めてしまっているのだ。
「ユベルのこと好き?」
 その問いに十代は一拍おいて微笑んだ。目にはあの愛しそうな色が滲む。
「ああ。愛してる」
 その言葉を聞いて、レイは安堵した。あの日のショックが嘘みたいに「よかった」と思った。その愛を向けられる対象が自分でないことが寂しくないとは言わないけれど、正直に答えてもらえたことは嬉しい。
「失恋しちゃった」
 そう冗談めかして言ったら十代は少し驚いた顔をして、「あ、こんな子供の恋心なんて意識になかったんだ」と思う。
「ごめんな。オレの愛はユベルのものだ。永遠に」 
 真剣な顔だった。この天才的デュエリストは容赦なく恋心にトドメを刺してくる。とっくにレイのライフはゼロだというのに。
 レイは笑う。なるべく軽薄に見えますようにと思いながら。
「ノロケだあ」
 十代は「そうかもな」と微笑んだ。レイがうまく笑えたのか十代が気を遣ったのかはわからなかった。
 あの日──レイが初めてユベルを見たとき、「十代はボクのものだ」という言葉に、わけのわからないことを言う精霊だと思った。でもきっと別離さえなければ、その愛は最初からユベルのものだったのだろう。
「卒業したらどうするの?」
 レイは話題を変える。
「旅に出るよ。オレの力が必要な場所があるから」
 十代は水平線の向こうを眺めた。
「ボクはね、卒業したらプロになるよ。テレビとかいっぱい出るから、見てね」
「ああ」
「女の人は結婚したり子育てで引退しちゃう人も多いけど、ボクは結婚しても子供がいてもずっとプロでいるんだ。で、百歳すぎたおばあちゃんになってもデュエルする」
「そいつはすごいな」
 レイの夢物語を十代は否定しなかった。
「十代様もずっとデュエルしてるでしょ? だから、百歳過ぎてもデュエルしようね」
「だいぶ先の話だなあ」
 だから長生きしてよ、そう言いたくなったけどそれは言わなかった。旅先で危ないことでもするんじゃないかと少し思っている。
「ね、住所教えて。ボク、手紙書くから」
「旅に出るって言ったろ? 送ってくれても読めないから──」
「たまに帰った時に読んでくれたらいいよ。旅するなら、ボクに絵ハガキ送ってよ。ただボクの住所書くだけでもいいからさ。卒業までは学園に送って、その後は実家に。引っ越したりしたら報せるから」
 レイは学園の住所と実家の住所を書いた紙を十代に押しつける。
「ほら、十代様も住所書いて」
 さらに手帳とペンを押しつける。十代は少しためらってから住所を書いた。それが本当に彼の住所なのか、デタラメを書いたものかレイにはわからない。でもその手帳を大切に胸ポケットにしまった。
「ありがとう。絶対手紙書くからね。今日はたくさん話せて楽しかったよ!」
 またね、となんでもない風に立ち去る。日は少し傾いてきていた。
 
 失恋しちゃった、と早乙女レイに言われたのは確かデュエルアカデミアの卒業前だったと思う。ずいぶん傷ついた目をしていて、驚くと同時に申し訳なくなった。十代には「恋をする」という気持ちがわからない。あの頃もわからなかったし今もわからない。十代はユベルを愛しているが、それは『恋』とは呼べない気がする。レイは「恋はワクワクする」と言っていたが、ユベルに対してワクワクはしない。万丈目に恋人なのかと聞かれたこともあるが、それもしっくりこない。愛している、とは思う。十代がしっくりこないだけで、あるいはそれを恋とも呼ぶのかもしれない。
 自らをなげうって宿命を共にしてくれたユベルのことが十代は愛しくてたまらない。もとより愛していたけれど、この愛が永遠にユベルだけのものだと思ったのはやはりあのときだ。十代にとっての愛とは宿命を共にすることなのかもしれない。
 ユベルに抱く感情は唯一無二のもので、もしユベルを失うとなればそれは文字通り身を引き裂かれる痛みだろう。かつての自分はそれをユベルに与えてしまった。痛みさえ愛と思わなければいけなかったユベルの気持ちは今ならわかる。愛を失うのはあまりにもつらく、そのくらいなら痛み苦しみこそが愛だと思うしかない。失うくらいなら世界など壊れてしまえと思う。その気持ちだけはわかる。実行はしないけれど。
 でも万が一ユベルがこの終わりなき宿命からの自由を望むのなら、それは受け入れるべきなのだろうと十代は思う。この宿命は本来自分だけのものなのだから。そんなことは起きないし、可能性さえ口にしようものならユベルは激怒するだろう。けれどもし起きたらそれが十代にとっての「失恋」になるのかもしれない。
 なぜそんなことを思い出したかといえば、レイとの文通のきっかけがその日だったからだ。あれからもう半世紀以上過ぎた。文通といってもレイは封書で近況や写真を送ってくれるが、十代は旅先から絵ハガキを出すだけだ。十代はハガキに一言添えることもあれば、何も書かないときもある。テレビなどでレイが優勝したのを知れば「優勝おめでとう」と書くし、結婚や出産の報告があればもちろんおめでとうと書いた。年に数回とはいえレイはしっかりした内容の手紙をくれるのに素っ気ない返事だと自分でも思うが、十代は文章を書くのは得意ではなかった。
 レイの方は筆まめなだけ得意とみえて、プロデュエリストをやる傍ら何冊も本を書いた。出版された本は必ず送ってくれるから、十代は読書も得意と言いがたいが全て読んだ。幸いレイの著作はエッセイが中心で、本を読み慣れない十代にも読みやすかった。半自伝的な『恋する乙女は強いのよ』という本に、名前こそ伏せられているものの明らかに自分のことが書いてあったときは気恥ずかしくて読み進めにくかったが。
 そんなレイから、もう手紙は書けなくなりそうだという手紙がきた。いずれその日は来ると思っていたが、あまりにも早い。
「百歳になってもデュエルするんじゃなかったのか」
 病室でそう言ってやれば、レイはちょっと肩をすくめた。
「百歳は難しいかもね。でも、おばあちゃんになってもプロでいる夢は叶ったよ」
 もう孫が五人だからね、とレイは言った。
「せっかく来てくれたんだからデュエルしよ。約束でしょ、おばあちゃんになってもデュエルしようって」
 百歳過ぎてもデュエルしよう、だった気がすると十代は思う。もうずいぶん遠くなった記憶だけれど。
 デュエルをしながら互いの近況を話す。レイの病状はそれほどかんばしくはないようだった。
「レイはさ、あの世でもデュエルしたい?」
 十代はレイのモンスター効果で破壊されたカードを墓地に移動させながら聞いた。
「なにそれ。バトルフェイズ入っていい?」
「どうぞ。デュエルが大好きな友達が天にいてな。レイがいいなら紹介する」
「相変わらずいろんなお友達がいるね。──そうだなあ、たまに遊びに行くくらいならいいよ。デュエルの天国じゃあのひとは来れなさそうだし。攻撃するね」
 レイの攻撃で十代のモンスターゾーンはがら空きになった。
「そっか」
 レイの夫はデュエリストではない。なんとなく彼女はデュエリストと結婚するのだと思っていた十代は、レイの手紙でそれを知ったとき意外に思ったものだ。
「──ボクの勝ち」
 ダイレクトアタックが決まり、レイは嬉しそうに笑う。レイとのデュエルは、彼女がプロになってからは負けることも増えた。癖のあるカードでも見事に使いこなす手腕は、年齢で衰えるどころかますます磨きがかかっているのかもしれない。
「本当、強くなったよな」
「女子世界チャンピオンですから。元だけど」
「通算勝利数はまだレイが一番だろ」
「今はね」
 もう一戦といきたいところだが、こちらに向かう足音が聞こえてきていた。
「おばーちゃん! ……あ」
 病室のドアを開けた少年は十代を見てたじろぐ。こんにちはと十代は声をかけた。
「こんにちは……お兄ちゃん、だれ?」
「おばあちゃんのお友達」とレイ。
「遊城十代。よろしく」
 少年も名乗ってよろしくと答えた。まだ小学校に上がったかどうかくらいの歳に、しっかりした子だ。
「あ、デュエルしてたの? ボクもやる!」
 テーブルのカードを見て少年は目を輝かせた。
「お義母さん、こんにちは──あ」
 若い男性と、彼と手を繋ぐ少女が病室に入ってきた。少女は少年とそっくりで、これが例の双子かと十代は思った。
「遊城です。お世話になります」
 十代は椅子から立ち上がり男性に頭を下げる。男性も名乗り返した。
「ユーキのお兄ちゃん、ボクともデュエルして」
「ごめん、オレはもう行かなきゃ」
 少年に期待の眼差しで見られたが断る。
「おばあちゃんとやろ。おいで」
 レイが声をかけると、少年は喜んでベッドによじ登った。
「今日はありがとう。デュエル楽しかった」
「うん。次はどこに行くの?」
「また、ちょっと遠いとこ」
「そっか。さよなら、十代」
「さよなら、レイ」
 十代は男性に失礼しますと会釈して病室を出た。エレベーター前に行くと、ちょうどレイの夫と若い頃のレイによく似た女性が降りてきたところだった。十代は二人に挨拶する。
「遊城さん、わざわざ来ていただいて」
「あ、遊城さんのお孫さん? おじいさまにそっくり」
 レイの娘は驚いた様子で十代の顔を見る。十代は「よく言われます」と笑い返す。確かこの子が三、四歳の頃に顔を会わせているから、おぼろげにでも覚えているのかもしれない。よもや本人とは思わないだろう。公的書類上はそうなっているから、嘘でもない。インダストリアル・イリュージョン社の仕事を手伝ううち、彼らにより『遊城十代』はその息子や孫としての身分が用意されるようになった。確か今の身分証には「三世」とついていたはずだ。
「早乙女さん、お会いできてよかったです。失礼します」
 十代は二人に深く頭を下げる。きっともうレイにも彼女の夫にも、娘にも息子にも孫にも、二度と会わないだろう。
 十代はエレベーターに乗る。
「──あの子たち、ボクのこと見てたかも」
 ふたりきりになるとユベルが言った。
「マジか。ああでも──」
 昨年出版されたレイの最新作は、精霊が見える双子のきょうだいのファンタジー小説だった。孫からインスピレーションを得たのだとあとがきに書いてあったか。
「ふたりとも目は合わなかったから、気配だけ感じるのかもしれない」
「そうか……」
 エレベーターが一階に着いた。確かレイは万丈目と交流があるはずだ。精霊が見えることで孫が困るなら頼る先はある。それに関わるにしても十代より人間社会に溶け込む万丈目の方が相応しいだろう。
 病院の外に出て、十代は携帯電話を取り出す。
「……あ、万丈目? 今話せるか?」
 十代は、レイの孫は精霊が見えるかもしれないことを伝え、気にかけてやるように頼んだ。
「……いや、オレは今からまたちょっと異世界に……」
 文句を言われたが、頼んだことは果たしてくれるはずだ。なんだかんだと万丈目は面倒見がいい。
「じゃ、行くか」
 電話をしまい十代は片割れを見上げた。日はまだ高いが、夜までに目的地に行きたい。

 数年後、地方のタッグデュエル大会で早乙女レイの孫である双子のきょうだいが優勝したとニュースで取り上げられていた。初めて会ったときのレイくらいの年頃だったが、レイにはあまり似ていないなと十代は思った。

2024/03/23
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