中編
スキャンダル〔前編〕
万丈目サンダー 一般人と熱愛!? 深夜の公園デート!?
万丈目準の入った楽屋には、そんな文字が躍るゴシップ誌が置いてあった。わざとらしく該当ページが開かれたそれは、明らかに万丈目に対する嫌がらせだった。
今日の対戦相手の関係者が手を回したのか、それとも彼の熱烈なファンの仕業なのか、あるいは万丈目グループを敵視するどこかの企業の差し金かもしれない。
だが無駄なことだ。こんなことで心を乱すほど万丈目はこの業界が短いわけではないし、そもそもこの写真は熱愛でもなんでもない。万丈目には今日の天気の方が気懸かりなくらいだ。
見開きの荒く印刷されたモノクロ写真──夜の公園のベンチに万丈目と「一般人」が座っていいた。仲睦まじく座っているわけではない。二人の距離は空いているし、ベンチの真ん中には猫が陣取っている。万丈目は仏頂面をして「一般人」の顔にはぼかしがかけられ表情はわからない。これのどこが「熱愛」だというのだ?
まあ、写真を見れば少し懐かしい気持ちにはなる。これは三年ほど前の写真だった。写真の「一般人」──遊城十代に最後に会った時だ。
あの日、万丈目は公園で酒を飲んでいた。大事な試合に負け、飲まずにはいられなかった。店に入るのも家に帰るのも嫌で、ひと気のない公園でコンビニで買った缶ビールを飲んでいた。
何度も敗北の記憶をたどり、朝になったら引退すると事務所に連絡しようか──そんなことを考えていた。
少し肌寒かった気がする。雑誌のモノクロ写真の万丈目は秋用のコートを着ていた。この時ビールをこぼし、シミが取れなかったから処分してしまったと思い出す。
──酔いが回り少しばかり眠くなって来た頃だ。
「ニャア!」
猫の鳴き声で万丈目の眠気は吹き飛んだ。聞き覚えのある鳴き声だった。
「……ファラオ?」
万丈目の足元には、いつの間にかかつてレッド寮にいた猫、ファラオがいたのだ。ファラオはベンチに飛び乗ると、ニャーアと万丈目を見上げて鳴いた。
「……なんだ? ……お前の飼い主はどうした?」
そう訊ねるやファラオの飼い主──遊城十代は万丈目の前に現れた。
「万丈目? ……大丈夫か?」
万丈目を見るなり十代は心配そうに顔を曇らせた。そのくらい万丈目の姿はひどいものだったのだろう。コートをビールで汚し、空き缶をいくつもベンチに置いて、だらしなく座っているだなんて?
「相変わらず間抜け面だな」
「お前は──つらそうだ」
「当たり前だろ」
ビールを呷りたかったがもう空き缶しかなかった。缶を調べる万丈目に、十代は片手に持っていたペットボトルの水を差し出した。受け取ったそれは冷たく、未開封だった。ついさっき買ったのだろう。酒の方がよかったが、喉を通る冷たい水はうまかった。
「何があったんだ?」
「何が? 馬鹿にしてるのか?」
「そんなわけないだろ」
「また異世界か」
「そうだけど……」
十代は、ここ最近の万丈目の戦績など微塵も知らないのだろう。
「浦島太郎ってわけか」
「はあ?」
「負けた。それだけだ」
十代は──心配そうだった目に少し安堵の色を滲ませた。
「あ? なんだ、オレが負けて嬉しいのか」
「違──何か大変なことがあったのかと思って」
「負けるのは大変じゃないってのか!?」
「違うって! ケガでもしたのかと思って」
十代は万丈目が何か事件に巻き込まれでもしていないかと、そんな心配をしたのだろう。だというのに、万丈目にはその心配こそが頭に来た。
「お前には大したことじゃないだろうな。命も世界の命運もかけないデュエルなんて」
「そんなこと」
「だったらなんでプロにならなかった! キングになるだのなんだの言ってたくせに──オレは」
お前と大舞台でデュエルしたかったのに。
そんな言葉が出そうになって、万丈目は口をつぐんだ。
引退してしまおうかと考えてしまう、その理由。負けたことだけじゃない。
真のライバルがいない場所にいつまでもしがみついてどうするのだ?
オレが本当にデュエルで倒したいのは。
「プロの世界はくだらないか?」
「そうじゃない。それは──オレの立つべき場所じゃない」
「人間じゃないからか」
十代の大きな目がわずかに見開かれた。高校生のまま時間を止めたみたいな、あどけない顔。
「……そうだ」
精霊たちは噂する。覇王は人でも精霊でもないと。命を育むやさしい闇、正しい闇の力、破滅をもたらす光の波動の対立者──。
まるで意味がわからない。いや、本当はわかっている。黄色く小さな役立たずの相棒と出会ってから万丈目の見える世界は一変したのだから。
「それで、覇王様が何の用だ? 世界を救うのにお忙しいだろ」
「友達の隣に座る時間くらいはある」
十代はファラオを挟んで万丈目の隣に座った。
「……馬鹿には遠回しな言い方は通じないんだったな。オレは時間があるか聞いたんじゃなく、『あっちへ行け』と言ったんだ」
「知ってる。オレは結構、万丈目語に詳しいんだ」
十代は得意気に微笑んだ。
「万丈目語?」
「たとえば最初に言った『相変わらず間抜け面だ』は翻訳すれば『あなたに会うのは久しぶりですが、お元気そうで何よりです』だ」
「いや、文字通り間抜け面だと言っただけだ」
間抜け面は否定されても微笑んでいた。
「さっきの『なんでプロにならなかった』は『あなたとデュエルできなくて寂しいです』」
十代は英語の授業の訳文のように「万丈目語」を訳す。
「断じて言っていない」
「ふうん?」
十代は面白がるみたいに万丈目を見返した。
「……プロとして同じ舞台でデュエルしたいという話だ」
結局さっき飲み込んだ言葉を吐き出した。寂しいなんて言われるより、その方がマシだ。
「お前の頭でも自宅でデュエルするのと大会でデュエルするのは違うくらいわかるだろ」
「そうだな」
「結局……お前とはそういう舞台でやり合えなかった」
そうだ──万丈目がいつも十代に思いを馳せてしまうのは、そういう消化不良があるからだ。
一世一代の大舞台で、世界でただ一つの栄誉を賭けて、お前と本気でデュエルしたい──。
幼い頃に憧れた、武藤遊戯と海馬瀬人みたいに。
それが万丈目の抱いていた望みだった。
でも、そんな日はもう来ない。
卒業から何年経っても高校生みたいな顔をした、年を取らない男が表舞台に立つことはない。
「……どうしてジェネックスの決勝戦に来なかった?」
それが万丈目が十代と大舞台でデュエルする最後のチャンスだった。あの頃はそんなこと知る由もなく、いずれチャンスがくるはずだと思っていた。
「破滅の光とデュエルしてた」
十代は端的に答える。万丈目は、その話はもう知っていた。ジェネックスで好成績をおさめながら決勝戦に来なかった遊城十代とエド・フェニックスは、破滅の光に取り憑かれた斎王琢磨とデュエルし世界が滅びるのを防いだのだと。
本来、エドは決勝戦のチャンスを逃すべきではなかっただろう。プロと学生の混合大会といえど、プロでありデュエルアカデミアの生徒として、華華しく決勝戦に出た方が話題にもなる。
でも彼は友を救う方を選んだ。
「お前は……もしプロになっても、そうやって大事なデュエルをすっぽかすんだろうな」
遊城十代もエド・フェニックスも、そうしてヒーローとして生きることを選ぶ。そのデッキに恥じない自分であろうとするように──。
「……すっぽかしたいわけじゃないけど……タイミングが悪かった」
十代は少し寂しそうに万丈目から目を逸らした。
「タイミング? 選んだろ、そっちを」
「……そうだな、選んだ」
嫌味を言われたのに十代はまた微笑んで万丈目を見返した。こいつに嫌味は通じないのか?
「万丈目だってその時にはそうする」
十代の目はそう信じているようだ。だが、万丈目のデッキはヒーローではなく雑魚どもだ。彼らがデッキに恥じないヒーローなら──万丈目は大いなる脅威から逃げ回る雑魚か?
「オレはヒーローじゃない」
「オレだってそうさ」
「何回も世界を救う一般人がいてたまるか」
「確かに、一般人でもなかったな」
十代は少し眉を下げる。
「でも万丈目、お前はきっとそうするよ。馬鹿野郎って言いながら、大一番の試合を投げ出して……」
十代は万丈目の目を見つめながら、その向こうに何かを見ているような気がした──。
「……だからオレは、そうならないようにしたいのかもな」
十代はまた万丈目に焦点を合わせた。
「お前はさっき、命も世界の命運もかけないデュエルはくだらないのかって言ったけどさ──逆なんだよ。そういうデュエルこそ大切で、オレは守りたい。そのために……」
そのために、お前は自分の身を投げ出すのか?
「……なんて、ちょっとかっこつけちゃったな」
十代は茶化してウィンクしてみせた。
「でも本当に、お前みたいに観客わかすデュエルって大切だろ。……お前にしかできないことだ」
「オレは今日観客をわかすどころか落胆させたところだ」
「たまにはそういう日もあるさ。でも、這い上がるのが万丈目サンダーだろ?」
プロの世界を知らない素人の意見だと万丈目は思う。でも十代が身を置く世界は一度負ければ命さえ失う──あるいは世界さえ? 這い上がるチャンスさえ彼には与えられない。負けた後に公園で飲んだくれることも、偶然友人に出会い慰められることも……。
「お前に言われるまでもない」
万丈目の答えに十代は嬉しそうに笑った。それから猫を抱いて立ち上がった。
「じゃあな万丈目、次に会うときはきっとキングになってるぜ!」
遊城十代と会ったのはこれが最後だった。
そしてまさに今日、キングを懸けたデュエルが始まろうとしている。
このゴシップ誌の出版社は写真を載せるタイミングを誤った。「キングの候補者」として万丈目が注目されるうちに売りたいと思ったのだろうが「キングの」記事の方が莫大な売り上げをもたらしたことだろう。出版社もこれを楽屋に置いた誰かも全く無駄なことをしている。
万丈目にとっては今日の天気の方がよっぽど気になる。快晴のはずが嵐になりそうだった。前日まではまったくそんな気配がなかったのに、突然にスタジアムの近辺に発生したのだ。今年は異常気象が多く、今回のトーナメントは何度も延期されていた。本来ならもうキングは決まっているはずが、八月も終わろうというのに未だ決まらない。スポンサーたちはやきもきしていた。この八月最後の週末を逃さないために、試合日時はもう延期されることはないだろう。
「こんな時に怖いわね、アニキ……」
万丈目の経験上、今年の異常気象は精霊か何か人智を超えた存在のもたらしたものだろう。少しはその気配を感じるおジャマ・イエローは雑魚らしく気を揉んでいた。
「ふん。万丈目サンダーの大一番に嵐ほど相応しいものはない」
「アニキ……!」
おジャマ・イエローはギョロ目を感激に潤ませ、万丈目に抱きつこうと両手を広げて突進した。万丈目はそれを片手で振り払った。
「酷いわアニキ〜」
「感動は勝利後に取っておけ」
イエローは文句を言おうとしたが、万丈目の出まかせに再び気をよくした。ちょうどマネージャーが呼びに来てイエローは姿を消した。
楽屋から出て会場へと向かう途中、窓には雨が激しく叩きつけられていた。
万丈目は嵐の中心部でヒーロー気取りのデュエル馬鹿が赤いジャケットを翻す姿を夢想した。それは完全な妄想かもしれないし事実かもしれない。もし彼がこの窓の向こうに現れて「万丈目、手を貸してくれ」と言うのなら、万丈目はすぐさま彼の後を追うだろう。
しかしそんなことは起きない。もし遊城十代がこの嵐に対処しているなら、まさにそうならないためなのだから。
試合が始まれば風雨の音は歓声にかき消され、外の天候など観客たちは忘れてしまうだろう。十代の仕事が嵐自体を止めることなら、万丈目の仕事は嵐のことなど忘れるほど熱中するデュエルを観客に見せることだ。
キングを決めるデュエルは、互いの力量を申し分なく発揮するものとなった。二人にプレイミスはなく、エースがぶつかり合い、ライフポイントを削り合い──今、お互いにフィールドは空になり、手札もなく、残りのライフポイントは二人とも千だ。
万丈目のターンになる。万丈目の脳裏には、懐かしいデュエルがよみがえった。
──ここでオレが攻撃力千以上のモンスターを引いたら面白いよな!
赤い制服。まだあどけない顔。楽しそうな笑顔。あの遊城十代への敗北こそ全ての始まり──屈辱の記憶だ! だが、万丈目はそこから這い上がり、ここまで来た。
「……引いたら面白いよな」
万丈目は呟いた。カードを引いた万丈目の手の中に来たのは、モンスターカードではなかった。万丈目には十代のように、こんな時にぴったり攻撃力千のモンスターを引く力はない。
しかし万丈目には、ドロー以外のやり方がある。
「墓地の《おジャマデュオ》を除外して、デッキから《おジャマ・イエロー》を攻擊表示で特殊召喚する! そして……」
万丈目は引いたカードをフィールドゾーンへ置いた。
「《おジャマ・カントリー》を発動!」
観客席の万丈目ファンはわっと沸き立つ。《おジャマ・カントリー》はモンスターの攻撃力と守備力を入れ替える。《おジャマ・イエロー》の攻撃力はゼロだが、守備力は千──。
「バトル! 《おジャマ・イエロー》でダイレクトアタック!」
万丈目が大歓声のもとでキングの称号を手にした時、それを祝福するように嵐は消え太陽の光が差したのだという。スタジアムの屋根と大歓声の下ではそれはわからなかったが、その日のネットニュースではそのように書かれていた。
あの唐突な嵐は発生時と同様に唐突に消え去った。突然の雷雨だったが大きな被害はなかったという。
今回も万丈目の功績の裏で宇宙が守られたのかもしれなかった。あのジェネックス大会の日のように。赤いジャケットの少年はその功績を誰にも話さず、問い質したところでのらりくらりとごまかすのだろう。
インタビューやら祝賀会やら、嬉しくも煩わしい仕事を終えマンションに帰れたのは夜も遅くなってからだった。エントランスの前で、万丈目は聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
「万丈目。優勝おめでとう」
いつもの赤いジャケットで、三年前と微塵も変わらない姿で遊城十代は現れた。
「ありがとう」
「お、素直じゃん」
「当たり前だ、念願のキングだぞ」
「うん。本当におめでとう」
十代は自分のことのように嬉しそうに笑う。
「寄って行くか?」
「いいや。一言お祝いしたかっただけ」
「でもお前、濡れてるぞ」
「え? そんなはず……」
十代は慌てた様子でジャケットやズボンを確かめる──濡れてなどいない。万丈目はかまをかけたのだ。
「あの嵐の中にいたんだろ」
十代は答えずに、少し困ったように笑った。
「少し休んでいけ。それに」
万丈目は時計を見た。ちょうど日付の変わる時間だ。
「誕生日おめでとう」
大きな茶色の目がぱちりと瞬いた。
「……へ?」
「自分の誕生日も忘れたのかお前は」
「……そうかも」
「間抜け。さっさと来い」
万丈目がエントランスのドアを開けると、十代は大人しくついてきた。
「……一日は万丈目の誕生日だったよな。遅れたけど、おめでとう」
エレベーターの中、十代は思い出したように言った。
「ありがとう。自分の誕生日を忘れるやつに覚えていてもらえるとは光栄だ」
「今日の日付を忘れただけで、誕生日自体は忘れてないって」
「どうだか」
軽口を叩き合いながら、万丈目は十代を自宅へ上がらせた。
「明日は休みなんだ」
「そっか、お疲れさん」
「だからお前の誕生日を祝ってやる」
「もう充分だよ」
十代は微笑む。
「キングとの初デュエルだ! しないとは言わせんぞ」
大きな瞳が瞬いて、それから嬉しそうに笑った。
翌朝から、互いの祝いと称して万丈目と十代はデュエルに興じた。ライバルとデュエルするのは数年ぶりのことで、二人共まるで学生時代のようにはしゃぎ、熱中した。
「な、腹減ったからなんか買いに行こうぜ」
昼前になると十代は言った。
「なんか?」
「スーパーかコンビニないの? すぐ食べれるもん。それにケーキ!」
十代の発案でコンビニに行き、好き放題ホットスナックや弁当や菓子を買い込み、安っぽいケーキを買った。高校生のような買い物だ。
腹を満たしてデュエルをして、三時のおやつにケーキを食べる。一つしかないソファにファラオを挟んで二人で座り、万丈目はふと三年前を思い出す。
「そういえば前にお前に会った時、ゴシップ誌に写真を撮られてて、熱愛記事にされてたぞ」
「熱愛? 前に会った時っていつ?」
「公園で会ったろ」
「公園?」
「本当に記憶力のないやつだな」
万丈目は仕方なく説明してやった。十代はやっと思い出したようだった。
「あ〜、なんかちょっとやさぐれてた時?」
「まあな──あの時は引退さえ頭をよぎったからな」
「そーなの?」
「そのくらい負け込んでだんだ、あの時は」
三年前のことがもはや懐かしい。あの時十代がいなかったら、翌朝の万丈目は引退を決めていたのかもしれない。
「……それがなんで熱愛?」
「二人並んでりゃとりあえず熱愛なんだ、あんなゴシップ誌は」
へえー、と十代はわかったようなわからないような顔をする。
「その雑誌が昨日の楽屋にこれ見よがしに置かれててな。絶対こっちの戦意を削ごうとした誰かの策略だぞ」
「ええ? 意味わかんねー」
「無論この万丈目サンダーには通じないがな。それどころか戦意がわいたくらいだ」
「さすがサンダー!」
十代はにこにこと笑う。
「……お前、あの時は次に会う時はキングだって言ってたの覚えてるか」
「そんなこと言ったっけ?」
予想通りではあるが、万丈目はやや落胆した。
「オレ、お前はいつか絶対キングになると思ってたから、そんなことお前に言っても当たり前だって言われるだけと思ってたよ」
「当然だ。お前に言われずともキングになる」
本当はあの言葉にかなり励まされていたし、キングになればまた会えるのだと期待していた。まさか当日に会うとは思わなかったが。
「……忘れていたならオレがキングになるまで会わないとか、そう決めてたわけじゃないのか? 三年も何してた」
「まあいろいろ? でも一段落ついたよ」
「今年の異常気象は精霊か何かのせいか?」
十代はコンビニで買ったコーラを一口飲んだ。
「……今年だけじゃない。何年も季節外れに雪が降ったり花が咲いたり……ニュースにならないような小規模なのも含めていろいろ。今年が一番ひどかった……早めになんとかできてよかったけど」
十代は昨日会ってから初めて疲れたような顔を見せた。
「何が起きたんだ」
「何が悪いというより周期的なもので……異世界と人間界の日蝕みたいな? 基本的には、ちょっと風が強く吹くとか一瞬雪が舞うとか、本当に大したことは起きない。悪いパターンが事故的に精霊がこっちに来ちゃって、その力が昨日みたいに嵐になっちゃうようなやつで……」
「その精霊に対処してたのか」
「そんなとこ……」
十代の視線が下に落ち、ややどこを見ているのかわからなくなる。これは──。
「十代、お前、ちゃんと寝てるか?」
「ん?」
十代は顔を上げた。
「あんまり寝てないんじゃないのか」
「昨日は寝たよ」
「昨日以外は?」
「ん〜? まあ、オレは寝なくても平気」
へらりと十代は笑った。
「寝ろ」
「昼間じゃん。それよりデュエルしたい」
「……オレも少し昼寝したい。一時間くらい昼寝して、それからデュエルだ」
万丈目は薄い膝掛けを渡し、自分もそれをかけた。
「少し寝た方が新しい戦略も思いつく」
「そうかもな」
「起きたらデュエルだからな、逃げるなよ」
万丈目はそう言って目を閉じた。わかったと十代の声がした。
昨日から、万丈目は少し不安に思っている。十代は卒業式の日のように黙っていなくなるのではないかと。デュエルの約束をしておけば逃げられないだろうなんて、子供のようだけれど。
ちらと十代の方を見れば、目を閉じ眠っているようだった。十代が不意に見せた疲労の色はずいぶんと濃く、かつて鏡の向こうに見た自分の顔や多忙なプロデュエリストたちを思い出させた。
十代は異世界と人間界の日蝕のようなものは数年続いていたと言った。それに対処する間、十代はまともに休めたのだろうか?
そもそもこいつは普段どこにいる? きちんとベッドで休んでいるだろうか? そこらへんで野宿なんかしてないだろうな?
万丈目はそんなことを考えながら眠りに落ちた。
思った以上に寝入ってしまい、万丈目が目を覚ましたら午後六時を回っていた。十代はまだぐっすりと眠っている。
万丈目は簡単な夕食を作った。先に作ってしまえば十代は無下にしないだろうという下心もあった。十代を起こすと寝入ってしまったことに驚いていたが、夕食には喜んだ。
「すげー! うめー!」
十代は少ない語彙で万丈目の料理を称賛した。
「料理すごく上手いんだな!」
「ふん、もっと讃えていいぞ」
「最高!」
明らかに言い過ぎであったが、万丈目はそれを受け取った。たぶんもうすぐ終わってしまう時間に否定の言葉を使いたくなかった。
「もう発つのか」
万丈目はシンクに立つ背中に問いかけた。十代が片づけを申し出たため任せたのだ。
「ああ。本当に楽しかった」
「オレもだ」
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。名残惜しいが万丈目は明日から仕事が立て込むし、十代にもやるべきことはあるだろう。これ以上引き留めるつもりはなかった。
片づけが終わると十代は荷物(というほどたいしたものはない)をまとめ、ファラオをバッグに入れた。
「昼寝前に言ってたデュエル、できなかったな」
「ああ……」
万丈目は少し緊張した。ポケットに合鍵となるカードキーを用意していた。合鍵は明らかにやりすぎだ──でもまた来てほしい。
「だから、また来てもいい?」
「あ……当たり前だ」
十代の方からそんなことを言われるのは意外だった。しかしこのチャンスは逃すべきではない。
「これを持っていけ」
カードキーを差し出す。十代は何かわかっていなさそうな顔でそれを受け取った。
「ここのカードキーだ」
「え? いや、もらえねーって」
十代は驚いてカードキーを返そうとする。
「なくしたら大変だろ。オレそそっかしいし」
「お前が粗忽者なことくらいわかっている。ここのセキュリティをなめるな。ここはカードキーと顔認証の二重のセキュリティが必要なんだ。紛失したところで他人には使えないし、そのカードキーを無効にするのは簡単だ」
それは万丈目がこのマンションを選んだ理由でもあった。プロデュエリストとして人気が高まるのはいいことだが、その分煩わしいことが増える。
「どうせお前は宿なしだろうが。いつでも来い。あの客室は自由に使え」
「でも」
「素直に受け取れ。あー……誕生日だろ」
十代は少し迷ったものの、カードキーをバッグにしまった。
「……ありがとう。なくさないようにする」
「来たら冷蔵庫のもんとか好きに食っていいぞ。代わりに買い出しは行けよ」
「うん」
「風呂やなんかも好きに使え。掃除はしろよ」
「もちろん」
「あとは……」
何か言い忘れていないかと万丈目は考える。
「絶対また来るよ──お前に会いたいから」
十代は笑う。万丈目は、十代の気を引こうと言葉を重ねていたことに気づいて少し恥ずかしくなった。
万丈目はエントランスまで十代を見送った。
「本当にありがとう。なんか……今までで最高の誕生日だった!」
相変わらず十代の語彙は貧弱だが、その笑顔は雄弁だった。
「次はオレがお前に最高のプレゼントする! 絶対!」
またな! と十代は万丈目に手を振って走り去った。
しばらくして、再びゴシップ誌には万丈目と十代の写真が載った。仲良さそうにコンビニで買い物をしていたというもので、別に手も繋いでいなければ腕も組んでいない写真だ。「結婚間近!?」などという煽り文句が並べられていた。
根も葉もない記事だ。だが前回よりは信憑性を持って受け取られるだろう──顔にぼかしをかけられた十代の隣で、万丈目の顔は……。
万丈目はゴシップ誌を閉じた。
(後編の追加はしばらくお待ちください)
万丈目サンダー 一般人と熱愛!? 深夜の公園デート!?
万丈目準の入った楽屋には、そんな文字が躍るゴシップ誌が置いてあった。わざとらしく該当ページが開かれたそれは、明らかに万丈目に対する嫌がらせだった。
今日の対戦相手の関係者が手を回したのか、それとも彼の熱烈なファンの仕業なのか、あるいは万丈目グループを敵視するどこかの企業の差し金かもしれない。
だが無駄なことだ。こんなことで心を乱すほど万丈目はこの業界が短いわけではないし、そもそもこの写真は熱愛でもなんでもない。万丈目には今日の天気の方が気懸かりなくらいだ。
見開きの荒く印刷されたモノクロ写真──夜の公園のベンチに万丈目と「一般人」が座っていいた。仲睦まじく座っているわけではない。二人の距離は空いているし、ベンチの真ん中には猫が陣取っている。万丈目は仏頂面をして「一般人」の顔にはぼかしがかけられ表情はわからない。これのどこが「熱愛」だというのだ?
まあ、写真を見れば少し懐かしい気持ちにはなる。これは三年ほど前の写真だった。写真の「一般人」──遊城十代に最後に会った時だ。
あの日、万丈目は公園で酒を飲んでいた。大事な試合に負け、飲まずにはいられなかった。店に入るのも家に帰るのも嫌で、ひと気のない公園でコンビニで買った缶ビールを飲んでいた。
何度も敗北の記憶をたどり、朝になったら引退すると事務所に連絡しようか──そんなことを考えていた。
少し肌寒かった気がする。雑誌のモノクロ写真の万丈目は秋用のコートを着ていた。この時ビールをこぼし、シミが取れなかったから処分してしまったと思い出す。
──酔いが回り少しばかり眠くなって来た頃だ。
「ニャア!」
猫の鳴き声で万丈目の眠気は吹き飛んだ。聞き覚えのある鳴き声だった。
「……ファラオ?」
万丈目の足元には、いつの間にかかつてレッド寮にいた猫、ファラオがいたのだ。ファラオはベンチに飛び乗ると、ニャーアと万丈目を見上げて鳴いた。
「……なんだ? ……お前の飼い主はどうした?」
そう訊ねるやファラオの飼い主──遊城十代は万丈目の前に現れた。
「万丈目? ……大丈夫か?」
万丈目を見るなり十代は心配そうに顔を曇らせた。そのくらい万丈目の姿はひどいものだったのだろう。コートをビールで汚し、空き缶をいくつもベンチに置いて、だらしなく座っているだなんて?
「相変わらず間抜け面だな」
「お前は──つらそうだ」
「当たり前だろ」
ビールを呷りたかったがもう空き缶しかなかった。缶を調べる万丈目に、十代は片手に持っていたペットボトルの水を差し出した。受け取ったそれは冷たく、未開封だった。ついさっき買ったのだろう。酒の方がよかったが、喉を通る冷たい水はうまかった。
「何があったんだ?」
「何が? 馬鹿にしてるのか?」
「そんなわけないだろ」
「また異世界か」
「そうだけど……」
十代は、ここ最近の万丈目の戦績など微塵も知らないのだろう。
「浦島太郎ってわけか」
「はあ?」
「負けた。それだけだ」
十代は──心配そうだった目に少し安堵の色を滲ませた。
「あ? なんだ、オレが負けて嬉しいのか」
「違──何か大変なことがあったのかと思って」
「負けるのは大変じゃないってのか!?」
「違うって! ケガでもしたのかと思って」
十代は万丈目が何か事件に巻き込まれでもしていないかと、そんな心配をしたのだろう。だというのに、万丈目にはその心配こそが頭に来た。
「お前には大したことじゃないだろうな。命も世界の命運もかけないデュエルなんて」
「そんなこと」
「だったらなんでプロにならなかった! キングになるだのなんだの言ってたくせに──オレは」
お前と大舞台でデュエルしたかったのに。
そんな言葉が出そうになって、万丈目は口をつぐんだ。
引退してしまおうかと考えてしまう、その理由。負けたことだけじゃない。
真のライバルがいない場所にいつまでもしがみついてどうするのだ?
オレが本当にデュエルで倒したいのは。
「プロの世界はくだらないか?」
「そうじゃない。それは──オレの立つべき場所じゃない」
「人間じゃないからか」
十代の大きな目がわずかに見開かれた。高校生のまま時間を止めたみたいな、あどけない顔。
「……そうだ」
精霊たちは噂する。覇王は人でも精霊でもないと。命を育むやさしい闇、正しい闇の力、破滅をもたらす光の波動の対立者──。
まるで意味がわからない。いや、本当はわかっている。黄色く小さな役立たずの相棒と出会ってから万丈目の見える世界は一変したのだから。
「それで、覇王様が何の用だ? 世界を救うのにお忙しいだろ」
「友達の隣に座る時間くらいはある」
十代はファラオを挟んで万丈目の隣に座った。
「……馬鹿には遠回しな言い方は通じないんだったな。オレは時間があるか聞いたんじゃなく、『あっちへ行け』と言ったんだ」
「知ってる。オレは結構、万丈目語に詳しいんだ」
十代は得意気に微笑んだ。
「万丈目語?」
「たとえば最初に言った『相変わらず間抜け面だ』は翻訳すれば『あなたに会うのは久しぶりですが、お元気そうで何よりです』だ」
「いや、文字通り間抜け面だと言っただけだ」
間抜け面は否定されても微笑んでいた。
「さっきの『なんでプロにならなかった』は『あなたとデュエルできなくて寂しいです』」
十代は英語の授業の訳文のように「万丈目語」を訳す。
「断じて言っていない」
「ふうん?」
十代は面白がるみたいに万丈目を見返した。
「……プロとして同じ舞台でデュエルしたいという話だ」
結局さっき飲み込んだ言葉を吐き出した。寂しいなんて言われるより、その方がマシだ。
「お前の頭でも自宅でデュエルするのと大会でデュエルするのは違うくらいわかるだろ」
「そうだな」
「結局……お前とはそういう舞台でやり合えなかった」
そうだ──万丈目がいつも十代に思いを馳せてしまうのは、そういう消化不良があるからだ。
一世一代の大舞台で、世界でただ一つの栄誉を賭けて、お前と本気でデュエルしたい──。
幼い頃に憧れた、武藤遊戯と海馬瀬人みたいに。
それが万丈目の抱いていた望みだった。
でも、そんな日はもう来ない。
卒業から何年経っても高校生みたいな顔をした、年を取らない男が表舞台に立つことはない。
「……どうしてジェネックスの決勝戦に来なかった?」
それが万丈目が十代と大舞台でデュエルする最後のチャンスだった。あの頃はそんなこと知る由もなく、いずれチャンスがくるはずだと思っていた。
「破滅の光とデュエルしてた」
十代は端的に答える。万丈目は、その話はもう知っていた。ジェネックスで好成績をおさめながら決勝戦に来なかった遊城十代とエド・フェニックスは、破滅の光に取り憑かれた斎王琢磨とデュエルし世界が滅びるのを防いだのだと。
本来、エドは決勝戦のチャンスを逃すべきではなかっただろう。プロと学生の混合大会といえど、プロでありデュエルアカデミアの生徒として、華華しく決勝戦に出た方が話題にもなる。
でも彼は友を救う方を選んだ。
「お前は……もしプロになっても、そうやって大事なデュエルをすっぽかすんだろうな」
遊城十代もエド・フェニックスも、そうしてヒーローとして生きることを選ぶ。そのデッキに恥じない自分であろうとするように──。
「……すっぽかしたいわけじゃないけど……タイミングが悪かった」
十代は少し寂しそうに万丈目から目を逸らした。
「タイミング? 選んだろ、そっちを」
「……そうだな、選んだ」
嫌味を言われたのに十代はまた微笑んで万丈目を見返した。こいつに嫌味は通じないのか?
「万丈目だってその時にはそうする」
十代の目はそう信じているようだ。だが、万丈目のデッキはヒーローではなく雑魚どもだ。彼らがデッキに恥じないヒーローなら──万丈目は大いなる脅威から逃げ回る雑魚か?
「オレはヒーローじゃない」
「オレだってそうさ」
「何回も世界を救う一般人がいてたまるか」
「確かに、一般人でもなかったな」
十代は少し眉を下げる。
「でも万丈目、お前はきっとそうするよ。馬鹿野郎って言いながら、大一番の試合を投げ出して……」
十代は万丈目の目を見つめながら、その向こうに何かを見ているような気がした──。
「……だからオレは、そうならないようにしたいのかもな」
十代はまた万丈目に焦点を合わせた。
「お前はさっき、命も世界の命運もかけないデュエルはくだらないのかって言ったけどさ──逆なんだよ。そういうデュエルこそ大切で、オレは守りたい。そのために……」
そのために、お前は自分の身を投げ出すのか?
「……なんて、ちょっとかっこつけちゃったな」
十代は茶化してウィンクしてみせた。
「でも本当に、お前みたいに観客わかすデュエルって大切だろ。……お前にしかできないことだ」
「オレは今日観客をわかすどころか落胆させたところだ」
「たまにはそういう日もあるさ。でも、這い上がるのが万丈目サンダーだろ?」
プロの世界を知らない素人の意見だと万丈目は思う。でも十代が身を置く世界は一度負ければ命さえ失う──あるいは世界さえ? 這い上がるチャンスさえ彼には与えられない。負けた後に公園で飲んだくれることも、偶然友人に出会い慰められることも……。
「お前に言われるまでもない」
万丈目の答えに十代は嬉しそうに笑った。それから猫を抱いて立ち上がった。
「じゃあな万丈目、次に会うときはきっとキングになってるぜ!」
遊城十代と会ったのはこれが最後だった。
そしてまさに今日、キングを懸けたデュエルが始まろうとしている。
このゴシップ誌の出版社は写真を載せるタイミングを誤った。「キングの候補者」として万丈目が注目されるうちに売りたいと思ったのだろうが「キングの」記事の方が莫大な売り上げをもたらしたことだろう。出版社もこれを楽屋に置いた誰かも全く無駄なことをしている。
万丈目にとっては今日の天気の方がよっぽど気になる。快晴のはずが嵐になりそうだった。前日まではまったくそんな気配がなかったのに、突然にスタジアムの近辺に発生したのだ。今年は異常気象が多く、今回のトーナメントは何度も延期されていた。本来ならもうキングは決まっているはずが、八月も終わろうというのに未だ決まらない。スポンサーたちはやきもきしていた。この八月最後の週末を逃さないために、試合日時はもう延期されることはないだろう。
「こんな時に怖いわね、アニキ……」
万丈目の経験上、今年の異常気象は精霊か何か人智を超えた存在のもたらしたものだろう。少しはその気配を感じるおジャマ・イエローは雑魚らしく気を揉んでいた。
「ふん。万丈目サンダーの大一番に嵐ほど相応しいものはない」
「アニキ……!」
おジャマ・イエローはギョロ目を感激に潤ませ、万丈目に抱きつこうと両手を広げて突進した。万丈目はそれを片手で振り払った。
「酷いわアニキ〜」
「感動は勝利後に取っておけ」
イエローは文句を言おうとしたが、万丈目の出まかせに再び気をよくした。ちょうどマネージャーが呼びに来てイエローは姿を消した。
楽屋から出て会場へと向かう途中、窓には雨が激しく叩きつけられていた。
万丈目は嵐の中心部でヒーロー気取りのデュエル馬鹿が赤いジャケットを翻す姿を夢想した。それは完全な妄想かもしれないし事実かもしれない。もし彼がこの窓の向こうに現れて「万丈目、手を貸してくれ」と言うのなら、万丈目はすぐさま彼の後を追うだろう。
しかしそんなことは起きない。もし遊城十代がこの嵐に対処しているなら、まさにそうならないためなのだから。
試合が始まれば風雨の音は歓声にかき消され、外の天候など観客たちは忘れてしまうだろう。十代の仕事が嵐自体を止めることなら、万丈目の仕事は嵐のことなど忘れるほど熱中するデュエルを観客に見せることだ。
キングを決めるデュエルは、互いの力量を申し分なく発揮するものとなった。二人にプレイミスはなく、エースがぶつかり合い、ライフポイントを削り合い──今、お互いにフィールドは空になり、手札もなく、残りのライフポイントは二人とも千だ。
万丈目のターンになる。万丈目の脳裏には、懐かしいデュエルがよみがえった。
──ここでオレが攻撃力千以上のモンスターを引いたら面白いよな!
赤い制服。まだあどけない顔。楽しそうな笑顔。あの遊城十代への敗北こそ全ての始まり──屈辱の記憶だ! だが、万丈目はそこから這い上がり、ここまで来た。
「……引いたら面白いよな」
万丈目は呟いた。カードを引いた万丈目の手の中に来たのは、モンスターカードではなかった。万丈目には十代のように、こんな時にぴったり攻撃力千のモンスターを引く力はない。
しかし万丈目には、ドロー以外のやり方がある。
「墓地の《おジャマデュオ》を除外して、デッキから《おジャマ・イエロー》を攻擊表示で特殊召喚する! そして……」
万丈目は引いたカードをフィールドゾーンへ置いた。
「《おジャマ・カントリー》を発動!」
観客席の万丈目ファンはわっと沸き立つ。《おジャマ・カントリー》はモンスターの攻撃力と守備力を入れ替える。《おジャマ・イエロー》の攻撃力はゼロだが、守備力は千──。
「バトル! 《おジャマ・イエロー》でダイレクトアタック!」
万丈目が大歓声のもとでキングの称号を手にした時、それを祝福するように嵐は消え太陽の光が差したのだという。スタジアムの屋根と大歓声の下ではそれはわからなかったが、その日のネットニュースではそのように書かれていた。
あの唐突な嵐は発生時と同様に唐突に消え去った。突然の雷雨だったが大きな被害はなかったという。
今回も万丈目の功績の裏で宇宙が守られたのかもしれなかった。あのジェネックス大会の日のように。赤いジャケットの少年はその功績を誰にも話さず、問い質したところでのらりくらりとごまかすのだろう。
インタビューやら祝賀会やら、嬉しくも煩わしい仕事を終えマンションに帰れたのは夜も遅くなってからだった。エントランスの前で、万丈目は聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
「万丈目。優勝おめでとう」
いつもの赤いジャケットで、三年前と微塵も変わらない姿で遊城十代は現れた。
「ありがとう」
「お、素直じゃん」
「当たり前だ、念願のキングだぞ」
「うん。本当におめでとう」
十代は自分のことのように嬉しそうに笑う。
「寄って行くか?」
「いいや。一言お祝いしたかっただけ」
「でもお前、濡れてるぞ」
「え? そんなはず……」
十代は慌てた様子でジャケットやズボンを確かめる──濡れてなどいない。万丈目はかまをかけたのだ。
「あの嵐の中にいたんだろ」
十代は答えずに、少し困ったように笑った。
「少し休んでいけ。それに」
万丈目は時計を見た。ちょうど日付の変わる時間だ。
「誕生日おめでとう」
大きな茶色の目がぱちりと瞬いた。
「……へ?」
「自分の誕生日も忘れたのかお前は」
「……そうかも」
「間抜け。さっさと来い」
万丈目がエントランスのドアを開けると、十代は大人しくついてきた。
「……一日は万丈目の誕生日だったよな。遅れたけど、おめでとう」
エレベーターの中、十代は思い出したように言った。
「ありがとう。自分の誕生日を忘れるやつに覚えていてもらえるとは光栄だ」
「今日の日付を忘れただけで、誕生日自体は忘れてないって」
「どうだか」
軽口を叩き合いながら、万丈目は十代を自宅へ上がらせた。
「明日は休みなんだ」
「そっか、お疲れさん」
「だからお前の誕生日を祝ってやる」
「もう充分だよ」
十代は微笑む。
「キングとの初デュエルだ! しないとは言わせんぞ」
大きな瞳が瞬いて、それから嬉しそうに笑った。
翌朝から、互いの祝いと称して万丈目と十代はデュエルに興じた。ライバルとデュエルするのは数年ぶりのことで、二人共まるで学生時代のようにはしゃぎ、熱中した。
「な、腹減ったからなんか買いに行こうぜ」
昼前になると十代は言った。
「なんか?」
「スーパーかコンビニないの? すぐ食べれるもん。それにケーキ!」
十代の発案でコンビニに行き、好き放題ホットスナックや弁当や菓子を買い込み、安っぽいケーキを買った。高校生のような買い物だ。
腹を満たしてデュエルをして、三時のおやつにケーキを食べる。一つしかないソファにファラオを挟んで二人で座り、万丈目はふと三年前を思い出す。
「そういえば前にお前に会った時、ゴシップ誌に写真を撮られてて、熱愛記事にされてたぞ」
「熱愛? 前に会った時っていつ?」
「公園で会ったろ」
「公園?」
「本当に記憶力のないやつだな」
万丈目は仕方なく説明してやった。十代はやっと思い出したようだった。
「あ〜、なんかちょっとやさぐれてた時?」
「まあな──あの時は引退さえ頭をよぎったからな」
「そーなの?」
「そのくらい負け込んでだんだ、あの時は」
三年前のことがもはや懐かしい。あの時十代がいなかったら、翌朝の万丈目は引退を決めていたのかもしれない。
「……それがなんで熱愛?」
「二人並んでりゃとりあえず熱愛なんだ、あんなゴシップ誌は」
へえー、と十代はわかったようなわからないような顔をする。
「その雑誌が昨日の楽屋にこれ見よがしに置かれててな。絶対こっちの戦意を削ごうとした誰かの策略だぞ」
「ええ? 意味わかんねー」
「無論この万丈目サンダーには通じないがな。それどころか戦意がわいたくらいだ」
「さすがサンダー!」
十代はにこにこと笑う。
「……お前、あの時は次に会う時はキングだって言ってたの覚えてるか」
「そんなこと言ったっけ?」
予想通りではあるが、万丈目はやや落胆した。
「オレ、お前はいつか絶対キングになると思ってたから、そんなことお前に言っても当たり前だって言われるだけと思ってたよ」
「当然だ。お前に言われずともキングになる」
本当はあの言葉にかなり励まされていたし、キングになればまた会えるのだと期待していた。まさか当日に会うとは思わなかったが。
「……忘れていたならオレがキングになるまで会わないとか、そう決めてたわけじゃないのか? 三年も何してた」
「まあいろいろ? でも一段落ついたよ」
「今年の異常気象は精霊か何かのせいか?」
十代はコンビニで買ったコーラを一口飲んだ。
「……今年だけじゃない。何年も季節外れに雪が降ったり花が咲いたり……ニュースにならないような小規模なのも含めていろいろ。今年が一番ひどかった……早めになんとかできてよかったけど」
十代は昨日会ってから初めて疲れたような顔を見せた。
「何が起きたんだ」
「何が悪いというより周期的なもので……異世界と人間界の日蝕みたいな? 基本的には、ちょっと風が強く吹くとか一瞬雪が舞うとか、本当に大したことは起きない。悪いパターンが事故的に精霊がこっちに来ちゃって、その力が昨日みたいに嵐になっちゃうようなやつで……」
「その精霊に対処してたのか」
「そんなとこ……」
十代の視線が下に落ち、ややどこを見ているのかわからなくなる。これは──。
「十代、お前、ちゃんと寝てるか?」
「ん?」
十代は顔を上げた。
「あんまり寝てないんじゃないのか」
「昨日は寝たよ」
「昨日以外は?」
「ん〜? まあ、オレは寝なくても平気」
へらりと十代は笑った。
「寝ろ」
「昼間じゃん。それよりデュエルしたい」
「……オレも少し昼寝したい。一時間くらい昼寝して、それからデュエルだ」
万丈目は薄い膝掛けを渡し、自分もそれをかけた。
「少し寝た方が新しい戦略も思いつく」
「そうかもな」
「起きたらデュエルだからな、逃げるなよ」
万丈目はそう言って目を閉じた。わかったと十代の声がした。
昨日から、万丈目は少し不安に思っている。十代は卒業式の日のように黙っていなくなるのではないかと。デュエルの約束をしておけば逃げられないだろうなんて、子供のようだけれど。
ちらと十代の方を見れば、目を閉じ眠っているようだった。十代が不意に見せた疲労の色はずいぶんと濃く、かつて鏡の向こうに見た自分の顔や多忙なプロデュエリストたちを思い出させた。
十代は異世界と人間界の日蝕のようなものは数年続いていたと言った。それに対処する間、十代はまともに休めたのだろうか?
そもそもこいつは普段どこにいる? きちんとベッドで休んでいるだろうか? そこらへんで野宿なんかしてないだろうな?
万丈目はそんなことを考えながら眠りに落ちた。
思った以上に寝入ってしまい、万丈目が目を覚ましたら午後六時を回っていた。十代はまだぐっすりと眠っている。
万丈目は簡単な夕食を作った。先に作ってしまえば十代は無下にしないだろうという下心もあった。十代を起こすと寝入ってしまったことに驚いていたが、夕食には喜んだ。
「すげー! うめー!」
十代は少ない語彙で万丈目の料理を称賛した。
「料理すごく上手いんだな!」
「ふん、もっと讃えていいぞ」
「最高!」
明らかに言い過ぎであったが、万丈目はそれを受け取った。たぶんもうすぐ終わってしまう時間に否定の言葉を使いたくなかった。
「もう発つのか」
万丈目はシンクに立つ背中に問いかけた。十代が片づけを申し出たため任せたのだ。
「ああ。本当に楽しかった」
「オレもだ」
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。名残惜しいが万丈目は明日から仕事が立て込むし、十代にもやるべきことはあるだろう。これ以上引き留めるつもりはなかった。
片づけが終わると十代は荷物(というほどたいしたものはない)をまとめ、ファラオをバッグに入れた。
「昼寝前に言ってたデュエル、できなかったな」
「ああ……」
万丈目は少し緊張した。ポケットに合鍵となるカードキーを用意していた。合鍵は明らかにやりすぎだ──でもまた来てほしい。
「だから、また来てもいい?」
「あ……当たり前だ」
十代の方からそんなことを言われるのは意外だった。しかしこのチャンスは逃すべきではない。
「これを持っていけ」
カードキーを差し出す。十代は何かわかっていなさそうな顔でそれを受け取った。
「ここのカードキーだ」
「え? いや、もらえねーって」
十代は驚いてカードキーを返そうとする。
「なくしたら大変だろ。オレそそっかしいし」
「お前が粗忽者なことくらいわかっている。ここのセキュリティをなめるな。ここはカードキーと顔認証の二重のセキュリティが必要なんだ。紛失したところで他人には使えないし、そのカードキーを無効にするのは簡単だ」
それは万丈目がこのマンションを選んだ理由でもあった。プロデュエリストとして人気が高まるのはいいことだが、その分煩わしいことが増える。
「どうせお前は宿なしだろうが。いつでも来い。あの客室は自由に使え」
「でも」
「素直に受け取れ。あー……誕生日だろ」
十代は少し迷ったものの、カードキーをバッグにしまった。
「……ありがとう。なくさないようにする」
「来たら冷蔵庫のもんとか好きに食っていいぞ。代わりに買い出しは行けよ」
「うん」
「風呂やなんかも好きに使え。掃除はしろよ」
「もちろん」
「あとは……」
何か言い忘れていないかと万丈目は考える。
「絶対また来るよ──お前に会いたいから」
十代は笑う。万丈目は、十代の気を引こうと言葉を重ねていたことに気づいて少し恥ずかしくなった。
万丈目はエントランスまで十代を見送った。
「本当にありがとう。なんか……今までで最高の誕生日だった!」
相変わらず十代の語彙は貧弱だが、その笑顔は雄弁だった。
「次はオレがお前に最高のプレゼントする! 絶対!」
またな! と十代は万丈目に手を振って走り去った。
しばらくして、再びゴシップ誌には万丈目と十代の写真が載った。仲良さそうにコンビニで買い物をしていたというもので、別に手も繋いでいなければ腕も組んでいない写真だ。「結婚間近!?」などという煽り文句が並べられていた。
根も葉もない記事だ。だが前回よりは信憑性を持って受け取られるだろう──顔にぼかしをかけられた十代の隣で、万丈目の顔は……。
万丈目はゴシップ誌を閉じた。
(後編の追加はしばらくお待ちください)
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