一話完結短編
時計
遊星の手には、古い懐中時計があった。
ここ数日、遊星はこの懐中時計を見ては頭を悩ませていた。これは遊星のものではない。
その持ち主は遊城十代──遊星が過去へタイムスリップした際に出会った人だった。
「遊星! やっと会えたな」
数日前、遊星は町でそう声をかけられた。赤いジャケットを着た少年は遊城十代とそっくり──いや、遊城十代そのものだった。
「百年ぶりくらいか?」
十代が遊星の時代にもし生きていたら、百をとうに超えている。言葉を失う遊星に十代はウィンクして笑った。
「不老不死ってやつ。大きな声じゃ言えないけどな」
突然の再会、十代が人智を超越した存在であること、驚くことばかりだった。だがそれでも遊星には、驚きを上回る喜びがあった。二度と会うことは叶わないかもしれないと思った十代に再び会えたこと──それも、タイムスリップのような一時の再会ではなく、これから同じ時間を生きられること──これ以上の喜びがあるだろうか?
遊星はゆっくり十代と話そうとポッポタイムへと十代を案内した。
「遊星んち時計屋なんだ?」
「借りている家ですが。大家の息子のレオは腕のいい職人なんです」
「本当か? なら、オレの時計も直せるかな。すごく古いけど」
十代は懐から懐中時計を取り出しレオに修理を頼んだ。
「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ。オレの」
時計の由来を話そうとした十代は、急に店の外を振り向いた。
「悪い、行かなきゃ──じゃ、これ修理お願いします。遊星、できたら受け取っといてくれ。用済ませたら取りに来るから!」
おそらく精霊に呼ばれた十代は風のように去ってしまった。
そうして、レオによって修理された十代の時計は、今遊星の手元にある。これがどのような由来のものであるのか、遊星は気になって仕方なかった。
レオによれば、この時計は十代の言う通りあまり高価なものではないという。長年使い込まれており、時計の背面にあったはずの時計を作った企業や型番の刻印はかすれてしまって不明だそうだ。そして刻印は名前か何かも彫られた跡があるものの、それも読み取れないという。ただ刻印はかすれてしまっているが、経年劣化以外の大きな傷も不具合もなく、大切にされた品だろうとレオは言った。
傷をつけないように大切に、でも刻印はかすれてしまうほどこの時計は十代の手に何度も握られたのだろうか──ある男性を想いながら?
遊星を思い悩ませているのはそのことだった。
懐中時計は表の蓋裏に写真を入れられるようになっており、破れた古い写真が入っていた。その写真には髭のある初老の男性が写っていた。
男性は写真の左側に写っており右側は古びたせいか破れてなくなっている。男性一人の写真ならば男性を中心に撮るだろう。右側に誰かいて、その部分は消失してしまったのだろうと思われる。
「おじいさん夫婦の形見とかかな」
遊星に時計を渡したレオは言った。レオには十代が遊星よりも若い少年に見えているのだ。写真の人物が彼の祖父でその隣には祖母がいたのだろうと想像したようだった。
しかし遊星は──その右側の人物は遊城十代だったのではないかと想像した。写真の男性は彼の恋人で、その隣には十代が写っていたのではないか?
遊星は腹の中がじりじりと焼けるような気がした。その感情が嫉妬だと気づき、遊星は十代に抱いていた感情が単なる尊敬でないことに思い至った。
恋人と思うなんて邪推かもしれない。十代の祖父や父の写真である可能性は十分にある。かすれた刻印をよくよく見れば遊城某と書いてあるのではないか? しかし遊星がルーペ越しに目を凝らしても、時計の裏面にはかすれた文字の痕跡しか見えなかった。
残りの手がかりは写真の男性である。もし遊城十代に面差しが似通っていれば、彼の血縁者であろう。しかしその顔をじっくりと見ても、十代に似ているとは思えなかった。温厚そうな丸い瞳、禿頭に白髪交じりの整えられた髭。十代の顔を老けさせたところで彼に似そうにない。
やはり恋人なのではないか? いや、きっと似ていないだけで父や祖父だ……遊星はその思考を繰り返していた。
十代もレオもこの時計は高価なものではないと言った。恋人への贈り物ならば安物を選びはしないだろう。しかし父や祖父の遺品だったとして、安物なのはやはりおかしいか。息子や孫に残す遺産として安物の時計など選ぶまい。それとも遊城家にとって特別な意味のある時計だったのか……それをいうなら、恋人からの贈り物でも同様だ。思い出は金銭的な価値に勝るだろう。十代ははっきりと「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ」と言ったのだから。
いったいどんな思い出なのだろう。「オレの」に続く言葉はなんだったのだろう?
遊星はあの日の十代の声思い出しながら、続きを想像する。
「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ。オレのじいちゃんの形見なんだよ。じいちゃんが若い頃、ばあちゃんからもらった時計でな。今は破れちゃったけど、二人の写真も入ってたんだ……」
そんな話でもするつもりだったのかもしれない。いや、でも十代自身の思い出があるわけではない形見に「思い出の品」という言葉を使うのはおかしいだろうか?
「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ。オレの恋人がくれたんだよ。ほらここに写真が……」
なんて話をする方が言葉の流れとして自然な気もする。しかし恋人の話をそうあっさりとするものだろうか? 十代の声音は恥ずかしげではなかったし……いや、恋人の話をするなら恥じらうだろうというのは青臭い考えだろうか……。
ぐるぐると考えたところで真実はわからない。早く十代が帰ってきてくれたらこんなに悩まずに済むのに──。
いや、もしそれで「恋人がくれたんだ」なんて聞いたら、遊星はそれにも思い悩むのだろう。破れた写真と刻印がかすれて止まってしまった時計を十代は大切に持ち歩いていたのだ。きっととても長い間──そんな人物に、自分はとてもかなわないのではないか……。
恋敵にはいなくなってしまえと思うものだろうが、もう既にこの世にはいないのだ。遊星が生まれるずっと前のことだろう。
破れた写真の男性は幸せそうに微笑んでいる。何を想い十代に時計を贈ったのだろう? 永遠に少年のままの十代に、どんなに長くても数十年で亡くなるであろう彼は……。
それはまだ若い遊星には理解できない心理なのかもしれなかった。
一週間ほど経った後、十代はポッポタイムへとやってきた。
「十代さん。時計は直りましたよ」
「ありがとう。……キミ少し顔色悪くないか?」
「少し忙しくて……」
遊星は作り笑いをした。まさかこの時計の正体に悩み寝つきが悪いのだとは言えない。
「ちゃんと休まないとだめだぜ。人間の寿命は短いんだからさ」
十代は心配そうに遊星を見つめた。人間の寿命は短い──それは不老不死の十代にとっては骨身にしみたことなのかもしれない。
「具合悪いなら出直すよ」
「いえ、そんな。あの、これ」
遊星は十代を引き留めようと懐中時計を差し出した。
「お、サンキュ」
十代は懐中時計が再び動いていることを確かめ、愛おしそうに時計を見つめる──写真の彼を想っているのだろうか?
「……十代さん。その中の写真は……」
遊星はためらいながらも訊ねた。聞くのは失礼かもしれない。しかし黙っていれば十代はただ時計を懐にしまうだろう。知らないままでいるのは嫌だった。
「ああ。オレの卒業した学校の校長先生」
「校長──先生?」
そんな歳の離れた人とお付き合いを? いや、改めて学校に通ったりした際の先生なのか……?
「デュエルアカデミア本校の初代校長。この時計は校長引退したあとにトメさんと結婚した時の引き出物なんだ」
「ひ、引き出物──」
祖父の形見でもなければ恋人からの贈り物でもない。引き出物だから夫婦の写真が入っていただけ。おそらく刻印も結婚の日付や新郎新婦の名前が刻まれていたのだろう。
なんとも呆気ない真実だ。この一週間、あんなに頭を悩ませていたのに。
「時計はちょっと珍しいよな。きっと校長、トメさんと結婚したのがよっぽど嬉しかったんだぜ。破れちゃったけど、写真もすごく幸せそうでさ。あ、トメさんってのはデュエルアカデミアで働いてた女の人でさ、オレのいたレッド寮の飯とか購買とかですごくお世話になったんだ。校長とは幼なじみだったんだって」
なるほど、幼い頃からの恋が叶い、破れた写真の校長はとても幸せそうに微笑んでいたのだろう──遊星は心の底からほっとした。
「そうでしたか。てっきり……」
「てっきり?」
十代は不思議そうに見返した。遊星はしまったと思う。ほっとして余計なことを口走るところだった。
「十代さんのお祖父様か誰かかと」
「ああ──まあ、確かに自分の家族でもないのに変だよな。でもこの時計を見ると校長先生やトメさんだけじゃなくてアカデミアの頃や友達も思い出してさ、お気に入りなんだ」
十代は時計を見つめて懐かしそうに目を細めた。遊星は勝手に邪推して嫉妬した自分を恥じる。ひとりでどんなに十代について邪推や憶測を重ねたところで十代を知ることはできない。そんな簡単なことをこの一週間、遊星は見失っていた。
「無事にお返しできてよかったです」
「はは、また何年も会えないかと思った?」
「それもですが──うっかりなくしたり壊したり、そういうことがなくてよかったと……」
「キミってそんなところもあるのか? 初めて会ったときにはしっかり者に見えたけど」
十代は遊星を見ておかしそうに笑った。
「キミのこともっと知りたいってずっと思ってたんだ。今度こそゆっくり話そうぜ。キミのこと聞かせてくれよ」
遊星は、十代もまた遊星のことを知りたいと思ってくれたことが嬉しかった。
「はい、オレも──ずっと話したいと思っていました」
「でも遊星、無理はしないでくれよ。本当はどっか食事にでもと思ったんだけど、家でゆっくりした方がよさそうだ」
「いえ、そんな」
遊星はこの一週間無駄な思考で眠れなかったことを後悔する。
「やっぱりユベルの言う通り手土産でもあればよかったなあ。キミがどんな食べ物が好きかとか全然知らないし、ネオ童実野のこともわかんないしで、遊星と一緒に出かけたらいいやと思っちゃってさ」
どうやら十代はひとりで悶悶と悩んだ遊星とは反対に、ひとりで考えるよりも本人に聞けばいいと思っていたようだ。もしかしたら遊星は、そんなところに惹かれたのかもしれない。
「では、近くの喫茶店に行きませんか? 本当にすぐそこですから」
「ああ」
十代は笑って頷いた。
時空を超えた出会いから、十代にはおよそ百年、遊星には数年──ようやく互いを知ることができそうだった。
◇◆◇
精霊の報せてくれた異世界の時空の歪みを修復し、十代は人間界へと急いでいた。せっかく百年近く待ってやっと遊星と会えたというのに、ろくに話すこともできなかった。
遊星について知れたのは、ネオ童実野シティの町中で流れていたテレビでWRGPというライディングデュエルの大会に優勝したらしいこと、ポッポタイムという時計店の併設された家に住んでいることくらいだ。
思えば十代は遊星がどんな場所に住んでいるのかなど、この百年考えたこともなかった。過去に会った遊星とそんな話をする暇はなかったし、旅暮らしの十代はあまり「居住」というものに興味がない。
でも、なぜだか十代は、遊星の暮らす家を見て少し嬉しくなった。Dホイールを見事に操る遊星に、ゼンマイで動く時計店は似合うような気がした。時計とDホイールは全く違うものだけれど。
十代は、遊星のことをもっともっと知りたいと望んでいることに気がついた。彼に初めて出会った日から、いつかまた会って話したい、デュエルしたいと漠然と思ってきた。
でも今はそれよりももっとわくわくするような気持ちで遊星を知りたいと思っている──。
不意に、十代は魂の片割れがくすくすと笑っていることに気がつく。
「なんだよ、ユベル?」
「いや、いや、キミも百年も経てば成長するものだと思ってね。いつまでも子供ではないんだね」
ユベルは感慨深げに言った。
「なんだよいきなり?」
「ふふ──」
ユベルの微笑みには何か含みがある。ユベルはいつもこうだ。十代のことを深く愛し支えてくれるけれど、同時にからかい減らず口を叩くのも大好きなのだ。
「ま、早く会いに行けば。ああ、人の家にお邪魔するのだから、手土産くらい持っていったら?」
「それもそうか」
ユベルはからかいながらもこうして助け舟を出してくれる。そうするともう用は済んだとばかりにまた十代の魂の奥に引っ込んでしまった。急ぎ足の十代に礼節を欠くなと釘を刺したかったのだろうか。全く面倒見のいい兄貴分だ。
しかし手土産といっても十代は、遊星が甘いものが好きなのか辛いものが好きなのかも知らない。成人しているなら酒の類の方が喜ばれるのか? だいたい手土産を買おうにも、十代は何十年か振りに人間界へと戻ったばかりで、昔の童実野町ならまだしも様変わりしてしまったネオ童実野シティのことを何も知らなかった。
きっとネオ童実野シティのことなら遊星の方が詳しいだろう。ならば手土産より食事に誘った方がいいかもしれない。遊星の好きな店、好きな食べ物、十代は知らないことばかりだ。
町へ出るならまたDホイールに乗せてもらえないかな。Dホイールで時空を超えるのもわくわくしたけれど、普通に走るのだってきっとわくわくするはずだ……。
十代は期待に胸をふくらませながら遊星の元へと急いだ。
2026/07/05
遊星の手には、古い懐中時計があった。
ここ数日、遊星はこの懐中時計を見ては頭を悩ませていた。これは遊星のものではない。
その持ち主は遊城十代──遊星が過去へタイムスリップした際に出会った人だった。
「遊星! やっと会えたな」
数日前、遊星は町でそう声をかけられた。赤いジャケットを着た少年は遊城十代とそっくり──いや、遊城十代そのものだった。
「百年ぶりくらいか?」
十代が遊星の時代にもし生きていたら、百をとうに超えている。言葉を失う遊星に十代はウィンクして笑った。
「不老不死ってやつ。大きな声じゃ言えないけどな」
突然の再会、十代が人智を超越した存在であること、驚くことばかりだった。だがそれでも遊星には、驚きを上回る喜びがあった。二度と会うことは叶わないかもしれないと思った十代に再び会えたこと──それも、タイムスリップのような一時の再会ではなく、これから同じ時間を生きられること──これ以上の喜びがあるだろうか?
遊星はゆっくり十代と話そうとポッポタイムへと十代を案内した。
「遊星んち時計屋なんだ?」
「借りている家ですが。大家の息子のレオは腕のいい職人なんです」
「本当か? なら、オレの時計も直せるかな。すごく古いけど」
十代は懐から懐中時計を取り出しレオに修理を頼んだ。
「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ。オレの」
時計の由来を話そうとした十代は、急に店の外を振り向いた。
「悪い、行かなきゃ──じゃ、これ修理お願いします。遊星、できたら受け取っといてくれ。用済ませたら取りに来るから!」
おそらく精霊に呼ばれた十代は風のように去ってしまった。
そうして、レオによって修理された十代の時計は、今遊星の手元にある。これがどのような由来のものであるのか、遊星は気になって仕方なかった。
レオによれば、この時計は十代の言う通りあまり高価なものではないという。長年使い込まれており、時計の背面にあったはずの時計を作った企業や型番の刻印はかすれてしまって不明だそうだ。そして刻印は名前か何かも彫られた跡があるものの、それも読み取れないという。ただ刻印はかすれてしまっているが、経年劣化以外の大きな傷も不具合もなく、大切にされた品だろうとレオは言った。
傷をつけないように大切に、でも刻印はかすれてしまうほどこの時計は十代の手に何度も握られたのだろうか──ある男性を想いながら?
遊星を思い悩ませているのはそのことだった。
懐中時計は表の蓋裏に写真を入れられるようになっており、破れた古い写真が入っていた。その写真には髭のある初老の男性が写っていた。
男性は写真の左側に写っており右側は古びたせいか破れてなくなっている。男性一人の写真ならば男性を中心に撮るだろう。右側に誰かいて、その部分は消失してしまったのだろうと思われる。
「おじいさん夫婦の形見とかかな」
遊星に時計を渡したレオは言った。レオには十代が遊星よりも若い少年に見えているのだ。写真の人物が彼の祖父でその隣には祖母がいたのだろうと想像したようだった。
しかし遊星は──その右側の人物は遊城十代だったのではないかと想像した。写真の男性は彼の恋人で、その隣には十代が写っていたのではないか?
遊星は腹の中がじりじりと焼けるような気がした。その感情が嫉妬だと気づき、遊星は十代に抱いていた感情が単なる尊敬でないことに思い至った。
恋人と思うなんて邪推かもしれない。十代の祖父や父の写真である可能性は十分にある。かすれた刻印をよくよく見れば遊城某と書いてあるのではないか? しかし遊星がルーペ越しに目を凝らしても、時計の裏面にはかすれた文字の痕跡しか見えなかった。
残りの手がかりは写真の男性である。もし遊城十代に面差しが似通っていれば、彼の血縁者であろう。しかしその顔をじっくりと見ても、十代に似ているとは思えなかった。温厚そうな丸い瞳、禿頭に白髪交じりの整えられた髭。十代の顔を老けさせたところで彼に似そうにない。
やはり恋人なのではないか? いや、きっと似ていないだけで父や祖父だ……遊星はその思考を繰り返していた。
十代もレオもこの時計は高価なものではないと言った。恋人への贈り物ならば安物を選びはしないだろう。しかし父や祖父の遺品だったとして、安物なのはやはりおかしいか。息子や孫に残す遺産として安物の時計など選ぶまい。それとも遊城家にとって特別な意味のある時計だったのか……それをいうなら、恋人からの贈り物でも同様だ。思い出は金銭的な価値に勝るだろう。十代ははっきりと「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ」と言ったのだから。
いったいどんな思い出なのだろう。「オレの」に続く言葉はなんだったのだろう?
遊星はあの日の十代の声思い出しながら、続きを想像する。
「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ。オレのじいちゃんの形見なんだよ。じいちゃんが若い頃、ばあちゃんからもらった時計でな。今は破れちゃったけど、二人の写真も入ってたんだ……」
そんな話でもするつもりだったのかもしれない。いや、でも十代自身の思い出があるわけではない形見に「思い出の品」という言葉を使うのはおかしいだろうか?
「高いもんじゃないけど、思い出の品なんだ。オレの恋人がくれたんだよ。ほらここに写真が……」
なんて話をする方が言葉の流れとして自然な気もする。しかし恋人の話をそうあっさりとするものだろうか? 十代の声音は恥ずかしげではなかったし……いや、恋人の話をするなら恥じらうだろうというのは青臭い考えだろうか……。
ぐるぐると考えたところで真実はわからない。早く十代が帰ってきてくれたらこんなに悩まずに済むのに──。
いや、もしそれで「恋人がくれたんだ」なんて聞いたら、遊星はそれにも思い悩むのだろう。破れた写真と刻印がかすれて止まってしまった時計を十代は大切に持ち歩いていたのだ。きっととても長い間──そんな人物に、自分はとてもかなわないのではないか……。
恋敵にはいなくなってしまえと思うものだろうが、もう既にこの世にはいないのだ。遊星が生まれるずっと前のことだろう。
破れた写真の男性は幸せそうに微笑んでいる。何を想い十代に時計を贈ったのだろう? 永遠に少年のままの十代に、どんなに長くても数十年で亡くなるであろう彼は……。
それはまだ若い遊星には理解できない心理なのかもしれなかった。
一週間ほど経った後、十代はポッポタイムへとやってきた。
「十代さん。時計は直りましたよ」
「ありがとう。……キミ少し顔色悪くないか?」
「少し忙しくて……」
遊星は作り笑いをした。まさかこの時計の正体に悩み寝つきが悪いのだとは言えない。
「ちゃんと休まないとだめだぜ。人間の寿命は短いんだからさ」
十代は心配そうに遊星を見つめた。人間の寿命は短い──それは不老不死の十代にとっては骨身にしみたことなのかもしれない。
「具合悪いなら出直すよ」
「いえ、そんな。あの、これ」
遊星は十代を引き留めようと懐中時計を差し出した。
「お、サンキュ」
十代は懐中時計が再び動いていることを確かめ、愛おしそうに時計を見つめる──写真の彼を想っているのだろうか?
「……十代さん。その中の写真は……」
遊星はためらいながらも訊ねた。聞くのは失礼かもしれない。しかし黙っていれば十代はただ時計を懐にしまうだろう。知らないままでいるのは嫌だった。
「ああ。オレの卒業した学校の校長先生」
「校長──先生?」
そんな歳の離れた人とお付き合いを? いや、改めて学校に通ったりした際の先生なのか……?
「デュエルアカデミア本校の初代校長。この時計は校長引退したあとにトメさんと結婚した時の引き出物なんだ」
「ひ、引き出物──」
祖父の形見でもなければ恋人からの贈り物でもない。引き出物だから夫婦の写真が入っていただけ。おそらく刻印も結婚の日付や新郎新婦の名前が刻まれていたのだろう。
なんとも呆気ない真実だ。この一週間、あんなに頭を悩ませていたのに。
「時計はちょっと珍しいよな。きっと校長、トメさんと結婚したのがよっぽど嬉しかったんだぜ。破れちゃったけど、写真もすごく幸せそうでさ。あ、トメさんってのはデュエルアカデミアで働いてた女の人でさ、オレのいたレッド寮の飯とか購買とかですごくお世話になったんだ。校長とは幼なじみだったんだって」
なるほど、幼い頃からの恋が叶い、破れた写真の校長はとても幸せそうに微笑んでいたのだろう──遊星は心の底からほっとした。
「そうでしたか。てっきり……」
「てっきり?」
十代は不思議そうに見返した。遊星はしまったと思う。ほっとして余計なことを口走るところだった。
「十代さんのお祖父様か誰かかと」
「ああ──まあ、確かに自分の家族でもないのに変だよな。でもこの時計を見ると校長先生やトメさんだけじゃなくてアカデミアの頃や友達も思い出してさ、お気に入りなんだ」
十代は時計を見つめて懐かしそうに目を細めた。遊星は勝手に邪推して嫉妬した自分を恥じる。ひとりでどんなに十代について邪推や憶測を重ねたところで十代を知ることはできない。そんな簡単なことをこの一週間、遊星は見失っていた。
「無事にお返しできてよかったです」
「はは、また何年も会えないかと思った?」
「それもですが──うっかりなくしたり壊したり、そういうことがなくてよかったと……」
「キミってそんなところもあるのか? 初めて会ったときにはしっかり者に見えたけど」
十代は遊星を見ておかしそうに笑った。
「キミのこともっと知りたいってずっと思ってたんだ。今度こそゆっくり話そうぜ。キミのこと聞かせてくれよ」
遊星は、十代もまた遊星のことを知りたいと思ってくれたことが嬉しかった。
「はい、オレも──ずっと話したいと思っていました」
「でも遊星、無理はしないでくれよ。本当はどっか食事にでもと思ったんだけど、家でゆっくりした方がよさそうだ」
「いえ、そんな」
遊星はこの一週間無駄な思考で眠れなかったことを後悔する。
「やっぱりユベルの言う通り手土産でもあればよかったなあ。キミがどんな食べ物が好きかとか全然知らないし、ネオ童実野のこともわかんないしで、遊星と一緒に出かけたらいいやと思っちゃってさ」
どうやら十代はひとりで悶悶と悩んだ遊星とは反対に、ひとりで考えるよりも本人に聞けばいいと思っていたようだ。もしかしたら遊星は、そんなところに惹かれたのかもしれない。
「では、近くの喫茶店に行きませんか? 本当にすぐそこですから」
「ああ」
十代は笑って頷いた。
時空を超えた出会いから、十代にはおよそ百年、遊星には数年──ようやく互いを知ることができそうだった。
◇◆◇
精霊の報せてくれた異世界の時空の歪みを修復し、十代は人間界へと急いでいた。せっかく百年近く待ってやっと遊星と会えたというのに、ろくに話すこともできなかった。
遊星について知れたのは、ネオ童実野シティの町中で流れていたテレビでWRGPというライディングデュエルの大会に優勝したらしいこと、ポッポタイムという時計店の併設された家に住んでいることくらいだ。
思えば十代は遊星がどんな場所に住んでいるのかなど、この百年考えたこともなかった。過去に会った遊星とそんな話をする暇はなかったし、旅暮らしの十代はあまり「居住」というものに興味がない。
でも、なぜだか十代は、遊星の暮らす家を見て少し嬉しくなった。Dホイールを見事に操る遊星に、ゼンマイで動く時計店は似合うような気がした。時計とDホイールは全く違うものだけれど。
十代は、遊星のことをもっともっと知りたいと望んでいることに気がついた。彼に初めて出会った日から、いつかまた会って話したい、デュエルしたいと漠然と思ってきた。
でも今はそれよりももっとわくわくするような気持ちで遊星を知りたいと思っている──。
不意に、十代は魂の片割れがくすくすと笑っていることに気がつく。
「なんだよ、ユベル?」
「いや、いや、キミも百年も経てば成長するものだと思ってね。いつまでも子供ではないんだね」
ユベルは感慨深げに言った。
「なんだよいきなり?」
「ふふ──」
ユベルの微笑みには何か含みがある。ユベルはいつもこうだ。十代のことを深く愛し支えてくれるけれど、同時にからかい減らず口を叩くのも大好きなのだ。
「ま、早く会いに行けば。ああ、人の家にお邪魔するのだから、手土産くらい持っていったら?」
「それもそうか」
ユベルはからかいながらもこうして助け舟を出してくれる。そうするともう用は済んだとばかりにまた十代の魂の奥に引っ込んでしまった。急ぎ足の十代に礼節を欠くなと釘を刺したかったのだろうか。全く面倒見のいい兄貴分だ。
しかし手土産といっても十代は、遊星が甘いものが好きなのか辛いものが好きなのかも知らない。成人しているなら酒の類の方が喜ばれるのか? だいたい手土産を買おうにも、十代は何十年か振りに人間界へと戻ったばかりで、昔の童実野町ならまだしも様変わりしてしまったネオ童実野シティのことを何も知らなかった。
きっとネオ童実野シティのことなら遊星の方が詳しいだろう。ならば手土産より食事に誘った方がいいかもしれない。遊星の好きな店、好きな食べ物、十代は知らないことばかりだ。
町へ出るならまたDホイールに乗せてもらえないかな。Dホイールで時空を超えるのもわくわくしたけれど、普通に走るのだってきっとわくわくするはずだ……。
十代は期待に胸をふくらませながら遊星の元へと急いだ。
2026/07/05
23/23ページ
