完結済中編

にわか雨番外編:年末年始の話

「あれ、翔じゃん」
「アニキ!」
 万丈目と十代の住むマンションの前で、翔は偶然にも十代に会った。
「もしかして遊びに来たのか?」
「いやファラオを預かりに……」
 翔は、今日から海外へ行くことになった万丈目に猫を預かってほしいと言われたのだ。十代は旅に出ていていないから、と。
「マジ? 万丈目連絡つかねーからいないと思ってた」
「それが急に日程が変わっちゃって、今急いでてスマホ見てないんだと思うよ。本当は明日出発の予定だったのに、大雪の天気予報で飛行機飛ばなくなるかもって。だから本当はファラオも明日預かる予定だったけど、忙しそうだからボクが引き取りに来たの」
「そりゃ悪かったな。とりあえず上がってくか? 暇なら話そうぜ」
 十代に誘われ、翔は十代と共に彼らの部屋へ向かった。
「ただいまぁ」
 十代が玄関を開けると、そこには大きなスーツケースとファラオの入ったペットキャリーが置かれていた。
「十代? おかえり」
「おう。ただいま」
 万丈目はバスルームから歯ブラシ片手に顔を出した。
「翔もか。無駄足させてすまん」
「大丈夫だよ。アニキに会えたし。お邪魔します」
「ゆっくりしてってくれ」
 万丈目はバスルームへすぐさま引っ込み、十代はファラオをペットキャリーから出して翔を家に上げた。
「お茶入れるな」
「ありがとう。アニキ、予定より早く帰れたんだ?」
「いや、予定より長引いてやっと帰った」
「そうなの?」
 翔は万丈目から「十代はいない」としか聞いていなかった。
「ああ。九月に出て、一ヶ月くらいで戻れると思ったんだけど」
「三ヶ月も? じゃあ……残念だね」
「残念?」
「だってやっと帰って来れたのに……あ、ボクと話してるより万丈目くんと話さなくていいの?」
「忙しいだろ今。帰ってきたらゆっくり話すよ」
 なんてこともないように十代は笑った。
「同棲の余裕って感じっスね」
 翔は感心して呟いた。
「なんだそれ」
「だって、恋人との三ヶ月ぶりの再会っスよ」
「まあそーだけど、お互い家を空けること多いからな。それにオレと翔だって半年ぶりくらいだぜ」
「友達と恋人は別だよ。それともまだ友達気分が抜けない感じ?」
 翔から見て、二人は友達の頃から大幅に変わった気はしない。万丈目の十代に対する態度が軟化したのは感じるが、恋人のような甘やかな雰囲気を二人から感じたことはなかった──もちろんそれは翔の手前見せないだけで、二人きりの時にどのように過ごしているかを翔は知る由もないのだが。
「友達……よりかは、家族に近い気分なのかも」
 十代は少し考えてから答えた。翔の前に紅茶と先程コンビニで買ったというチョコレートを用意する左手には指輪が光っている。
 十代は翔の向かいに座り一息ついた。
「コンビニにも正月飾りとか売っててさ、もう年末なんて、なんか実感ねーや」
「ずっと日本にいるボクも似たような感じ」
 翔は十代と近況について話した。クリスマスにイベントを行い忙しかった話をすると、十代は「そっか、年末ってことはクリスマスも過ぎてるなあ」と今気づいたように言った。
「そういえば付き合って初めてのクリスマスだったんじゃない?」
「それは去年。別にクリスマスだから何ってことも……一応プレゼント交換はしたかな」
「プレゼントってなんだったの?」
「コレ」
 十代は左手薬指の指輪を示した。
「万丈目にも買おうと思ったけどつけれないからいいって言われて、だから同じ店でキーホルダーみたいなの買った」
「そうなんだ」
 仕事中はつけられないし、プライベートでつけてマスコミにとやかく言われるのも嫌なのだろうと翔は思う。
「今年の分は来年万丈目が暇になったら買いに行くよ」
 十代と万丈目はまだ付き合って一年と少しのはずだ。もし翔なら未だ浮かれ気分でクリスマスや年末年始を楽しみにしそうだが、二人の関係はそうではないようだった。家族とも思える関係──翔はつい兄の顔を思い浮かべてしまったが、兄は生まれながらに家族なのだ。他人から家族になることを翔はまだうまく想像できなかった。
「じゃ、オレは行ってくる」
 万丈目がリビングへ声をかけた。
「いってらっしゃい。気をつけてな」
「翔、よいお年を」
「うん、万丈目くんもよいお年を」
 慌ただしく万丈目が出ていく──と思ったら、彼は戻ってきた。
「十代、年賀状忘れるなよ! ハガキはプリンターの横にある」
 万丈目はリビングに置かれたプリンターを指差した。プリンターの横にはブックエンドが立てられ、何種類かのプリント用紙とハガキがあるようだった。
「あ。りょーかいりょーかい」
「じゃあな。いってきます」
「いってらっしゃーい」
 今度こそ玄関ドアの開閉する音がして、万丈目は出ていったようだった。
「年賀状忘れてた」
 十代は学生時代に宿題をやり忘れていた時と同じ顔をした。翔は小学生の頃に母親から宿題をやったのかと言われたことを思い出し、十代が万丈目を家族のようだと思う理由が少しわかるような気がした。
「もう一日には届かないね」
「てゆーか……万丈目に手伝ってもらおうと思ったのに」
 どういうことだろうと思ったら、十代は両親から写真つきの年賀状を送ってほしいと頼まれているそうだ。パソコン作業は得意でないから万丈目の手伝いをあてにしていたようだ。
「手伝おうか?」
「マジ? サンキュー翔!」
 十代のパソコンには文書編集ソフトが入っていた。翔はそれを立ち上げどの写真を使うのかと聞いたが──。
「写真……ちょっと待って」
 十代はリビングを出ていき、しばらくして戻った。
「……万丈目のデジカメどこかわかんない。年賀状用にいろいろ撮ってもらったのに……」
「データのコピーしてないの?」
「万丈目のパソコンには入ってると思う……けど、勝手にさわれないし。えーと……これで撮った写真も使えるよな?」
 十代は翔にスマホを見せた。
「うん」
「じゃ、ちょっと撮ってくれ」
 十代は翔に自分のスマホを渡すと、猫用ベッドで寝ていたファラオを抱き上げた。寝ていたところを起こされたファラオは不機嫌そうだったが、翔はその写真を撮る。十代は猫用ベッドにファラオを戻し、今日は高い猫缶をやるからと頭を撫でた。
「これでいい?」
「ああ。パソコンに送るのはどうやるんだ?」
「USBケーブルあればすぐだよ」
 翔はデータ取り込みの仕方も説明した。画像の編集、文字の入れ方、印刷方法などを教え、年賀状は出来上がった。十代と猫の写真と、あけましておめでとうの文字が入ったシンプルなものだ。
「一枚しか印刷しないの?」
「実家に送るだけだからな」
「どうせプリントするならみんなに送ったらどうかな。住所も印刷したらすぐだし、ボクもアニキから年賀状欲しいし」
「親はともかく、友達に自分の写真送るの恥ずかしいんだけど」
「でもみんな絶対嬉しいよ。アニキが元気か知りたいと思うし」
「うーん……」
 十代は渋ったものの、翔の強いすすめでデュエルアカデミアの同窓生たちの分も年賀状が用意された。
「これで来年からも同じようにしたらみんなの分も年賀状出せるでしょ?」
「……そうだな」
 十代は微笑んだ。
「あとはこいつを輪ゴムで……あ!」
 プリンター近くの引き出しを開けた十代は驚きの声をあげた。
「デジカメこんなとこにあった!」
「ありゃ……」
「全部終わった後に出てくるんだもんな……」
「作り直す?」
「いや、もったいないしせっかく翔が撮ってくれたからな。こっちはたくさん撮ってあるし、今から選ぶとなると今日中に終わらないかもしれねー」
「そんなにたくさんあるの?」
「出かけたらいっぱい撮ってんだ。花見とか……本当は紅葉狩りも行こうかって言ってたんだけど」
 つまりデートの度に写真をたくさん撮っているのだろう。ラブラブのカップルだ、と翔は思ったが言うのはやめておく。
「これもケータイみたいにUSBでパソコンにデータ移せる?」
「デジカメは機種にもよるけど……」
 翔はデジタルカメラを受け取る。スマホと同じUSBジャックのあるタイプだった。
「これならできるよ。にしても万丈目くんってわざわざデジカメで撮るんだ」
 そういえば学生時代にもハンディカメラを回したりしていたか、と翔は思い出す。
「なんか、ケータイにオレの写真入れてうっかり見られてスキャンダルになるの嫌なんだって」
「あー……人気者だもんね」
 年末年始も休めないほど忙しいというのは、一種人気商売でもあるデュエリストにはありがたいことではある。だがファンの中には応援している相手に恋人や配偶者がいることを極端に嫌う者もいる。翔も子供の頃は好きだったアイドルの結婚にショックを受けたものだが。
 いい大人でも仕事とプライベートの区別がつかない人はいるものなあ──と翔は思う。今の翔にはそのようなファンに苦労するデュエリストの話もよく耳に届く。
「オレなんかでスキャンダルになるか?」
「一般人だとゴシップとしては話題性薄いけど、怖いファンもいるから……」
「そっか。じゃあ用心に越したことはないのかな。あ、翔これ見てくれよ。ビーバー可愛いぜ」
 十代はパソコンに取り込んだ写真を翔に見せた。茶色の動物──ビーバーがたくさん写っている。動物園に行った時のものだそうだ。どうやら十代はビーバーが気に入りらしく、エサやり体験が楽しかったことや、精霊のビーバーとは全然大きさが違って驚いたことなどを話した。
 動物園以外の写真も見せてもらった。写真に写る十代はどれも笑顔だったし、目の前の十代は本当に楽しそうにその思い出を話した。
 実のところ、翔は最初に十代と万丈目が付き合っていると聞いた時には驚いたし心配もした。二人は以前仲が悪かった──というか、万丈目の方が十代を嫌っていたのだ。もちろんそれはデュエルアカデミアに入学したばかりの頃のことで、二人は三年生になる頃には友人と呼べる関係になっていた。しかし恋人として二人が本当にうまくやっていけるのか? 二人は留守がちで、特に十代は連絡無精だし、異世界に行ってしまえば何ヶ月も連絡がつかない。友人関係ならそれが問題にならなくても、恋人関係を保つのは難しいのではないかと思ったのだ。しかし先程の二人の様子やこの写真を見ると、そんなものは杞憂だったと翔は改めて思った。
 夕方になり、翔は帰ることにした。十代は年賀ハガキを出したいからと、ポストのある最寄り駅まで翔を送った。
「じゃあな翔。また来年。よいお年を」
「よいお年を。あ、お正月一人で暇なら一緒に初詣とか行く? 兄さんと行こうと思ってたんだけど」
「いいのか?」
「もちろん」
 そんな約束をして、翔は十代と別れた。

◇◆◇

 海外での仕事を終え日本に戻った万丈目は、自宅の玄関で両手を広げた十代に出迎えられた。
「おかえり。あけおめ」
「略すな。あけましておめでとう」
 年始の挨拶をするものの、もう三が日も過ぎていた。
「あけましておめでとう!」
 十代はにこにこ笑い両手を広げている。万丈目はやや抵抗感を持ちながら十代を抱きしめた。万丈目にはコート越しで感触がわかりにくいのに、やけに緊張する。
 今年はハグがしたい──というのが十代の要望だった。
 海外にいた間も、万丈目は十代とメールでやり取りをしていた。新年の挨拶をしたあと「今年の目標はあるか?」と聞いて返ってきたのが「今年もたくさんデートしたい」と「今年はハグできたら嬉しい」というものだったのだ。そんなことを目標にするなと突っ込みながら、三ヶ月も会えず年末にほとんどすれ違いで家に置いていった恋人の要望を叶えてやりたいと思った。つい「日本に帰ったらな」と返信し、帰国した今、十代は玄関で万丈目を待ち構えていたのだった。
「目標はいっぱいハグするに更新する」
 十代が耳元でささやいた。動揺に気づかれないように万丈目はゆっくり十代を離した。
「もう少し建設的な目標を立てろ」
「建設的な目標って?」
「その……物事がよくなるような……」
「ハグしたら気分がよくなる! それともお前は悪くなるか?」
「そんなことは言ってないだろ」
「じゃ、建設的だ」
 十代はへらへら笑ってお茶を入れるとリビングへ去った。万丈目一人で緊張しているのは少し面白くない気がした。
 万丈目は荷物を片付けリビングへ向かう。十代は緑茶と瓶詰めの栗の甘露煮を出した。
「正月になると甘露煮食べたくなるんだ」
 二人は茶を飲みながら、互いにいなかった間や年末年始のことを話した。
「──で、これ、試し刷りのやつ」
 十代は年賀状の試し刷りの一枚を万丈目に見せた。十代がファラオを抱き上げ、ファラオは眠そうな顔でされるがままになっていた。即席で撮ったとわかる写真だが、気取らない姿は十代らしいのかもしれない。
「これもファラオの顔がいいよな。でもデジカメの写真もいいのいっぱいあったから、ちょっともったいなかった。オレ、動物園で三人で撮った写真が気に入ってて」
「三人?」
「ビーバーとお前とオレで撮っただろ」
「ビーバーを『人』に入れるな」
「なんかあいつを思い出すと『人』って気がするんだよな」
 確かに人間の子供並みに大きくてしゃべるあの精霊は『一匹』より『一人』の方が合うかもしれない、と万丈目は思う。かといって動物のビーバーを『人』と数える気はしないが。
「写真見ながら、あいつのことも思い出してたんだけどさ──思い返すとちょっと子供みたいかなって思ってさ」
「子供?」
 どう考えてもあれは精霊だし、それも動物に近い。無邪気なところは子供のようだったろうか。
「ほら、初詣でジュンコと姪っ子に会ったって言ったじゃん?」
 十代は、翔と行った初詣で同級生の枕田ジュンコとその家族に会ったのだそうだ。ジュンコは両親と姉夫婦と姪とお参りに来ていた。まだ四歳の姪がぐずり、ジュンコは姉夫婦が参拝をする間姪を預かっていた。ジュンコは姪に出店のわたあめを食べさせていたそうだ。
「目ぇキラキラさせてわたあめ食って、口の周りベタベタにしちゃって、可愛くてさ。ジュンコがそれ拭ってやってて。そんで思い出したんだよ。あいつも野菜うまそうに食って、口周りにくずつけちゃって、お前が口の周り拭いてやったりしてたなって」
 確かに万丈目はあの精霊ビーバーと共に暮らしていた頃、口周りについた野菜くずを拭いてやったりしていた。茶色の毛にひっかかる野菜くずが目立つので呆れて拭いていただけだ──。まあ、おいしそうに野菜をかじる姿や、構ってやればにこにこと笑い愛嬌のある姿は可愛らしいと思わないでもなかったのだが。
「ああいうとこは子供みたいだったろ? そりゃ、人間と精霊は違うけど、あいつがいた時にぎやかですごく楽しかった。だから子供がいても楽しく過ごせるかもってさ──」
 十代は子供を生めるかもしれないと、その身体のことを伝えられた時に聞いた。さらりと口にしたが、十代は子供を望んでいるのか──。
「……すまん、まだそこまで考えたことも──」
「何謝ってんだよ。『順序』としちゃ、今のはオレの話が早すぎたな」
 十代はからかうように笑った。『順序』が大事なのだと言ったのは万丈目の方だ。万丈目は友人であった頃より、現在の方が十代と身体的な距離をおいてしまっている。昔はふざけてプロレスの真似事をして抱きつくような格好になっても何も思わなかったのに、今はハグひとつさえ抵抗感がある──友人から恋人への変化というものに、一年経っても慣れることができない。デートやハグを今年の目標と言った十代に呆れもしたが、万丈目こそそれを目標にするべきだろうか。
「そんな難しい顔しなくてもさ、ぼんやり子供いたら楽しいかなって思っただけ。そもそも今だって十分楽しいから、一生今みたいでもいいし」
 一生──この距離でいるのか? ハグさえまともにできないような?
「一生……というつもりはなくてだな……」
「うん。まあのんびりいこうぜ。まだ正月だし」
 もう正月は過ぎている。しかし慌てる必要はないという気遣いなのだろう。
「……そうだな。遅れたが少し正月休みがもらえてな。どこか出かけないか」
「マジ?」
 十代がぱっと顔を明るくした。
「どこ行く? 初詣とか?」
「お前はもう行ったんだろ」
「そうだけど、やっぱ季節イベントのデートしたいじゃん。去年みたいに逃しちゃうこともあるし」
 昨年、紅葉を見に行く予定は十代が異世界から戻れず流れてしまった。できるならば季節の行事をというのは万丈目も同感だ。
「なら、初詣に行くか」
「翔たちとは商売繁盛の神様のとこ行ったけど、万丈目はなんの神様がいいとかある? 勝負の神様とか?」
「そんなことを神頼みする気はない」
「それもそうか。じゃ、地元の神様とかお参りしてみる? 思えば一度も近所の神社に行ったことないし」
 確かにここに引っ越して一年以上経つが、地元の神社になど行ったことがない。そもそもこんな都会に神社などあるのだろうか?
 調べてみると、案外と神社は存在していた。散歩を兼ね、歩いて行けそうな場所を回ることにした。
 翌日。空は曇って、昼から夕方には雨か雪が降るかもしれないという天気予報だった。散歩日和とは言いがたい。それでも十代は楽しそうで、とりとめのない話をしながら地図にある神社を探した。
 数ヶ所回った神社は、それなりに広く人のいる社務所のあるところもあれば、無人で鳥居と賽銭箱だけあるような、本当に小さな神社もあった。本来なら氏子しかこない場所なのかもしれない。
「な、あれ喫茶店じゃね? 入ってみないか」
 昼時も近づいた頃、十代は小さな喫茶店を見つけた。こじんまりとした、しかし趣のある雰囲気の店だった。そこで昼食をとることにした。
 本日のおすすめだというスープパスタは、散策で冷えた身体を温めてくれた。十代もうまいと喜んで食べていた。
 昼食を終え、雨が降らないうちに帰ろうと帰路につく。
 たまたまこの辺りに引っ越さなければ、そして十代が初詣をしようと言わなければ、万丈目は小さな神社も喫茶店も、その存在さえ知らなかったのだろう。
 あのにわか雨の日にほんの少しずれた世界に足を踏み入れてから、万丈目の人生自体もそれまでと違う道へと進んでいった──いや、もしかしたら、遊城十代に出会ったその日から。
 十五歳の万丈目には、十代とこんな風に同じ景色や食事を楽しむようになるだなんて、夢にも思わなかっただろう。精霊が見えるようになることも、いつの間にかそれが無二の相棒となることも、あんなに憎らしく思った相手を愛するようになることも──。
「あ、雪だ」
 十代が呟く。曇天から白い粒がふわりと落ちてくる。
「積もるかな」
「積もるなら今日明日にしてくれりゃ、休み明けに困らずに済むんだが」
「道歩きにくいもんな」
 万丈目が鞄に入れていた折りたたみ傘をさせば、十代は当然のようにその下に入ってくる。十代は少しの雨や雪ならば自分で傘をさしたくないようだ。今朝だって、万丈目は雨が降るかもしれないと十代に言ったのだが。
「でも、お前が入れてくれるだろ?」
 へらりと笑うその顔に少し呆れて、でも二人で一つの傘に入ったいくつかの日を思い出して、あまり悪い気はしなくて。
 きっと十代もそうなのだろうと、少しだけ万丈目を見上げて笑う顔を見て思った。
「あ。雪ついてる」
 十代の手が万丈目の頭へと伸びる。顔が間近にあって落ち着かない──十代の指は万丈目のこめかみあたりを払った。それからあたたかい手が万丈目の頬を撫でる。寒空に冷えた頬に十代の熱がしみる──。
 心臓はドッと高鳴り、熱い血液を全身に送り出す。頬はあんなに冷えていたはずなのに、分厚いコートの下が暑くなってくる。
 十代は万丈目の様子に気づいたのか、だって寒そうで、わざとじゃなくて、などともごもごと口にした。十代は無意識にそうしてしまったようだった。寒さなどものともしない身体をもつくせに、その頬は赤く染まっていた。見えないだけで自分もそうなっているのかもしれない。
「さみーから早く帰ろうぜ」
「そうだな」
 いっそ吹雪いてこの熱を冷やしてほしいくらいだ──しかし万丈目の願いとは裏腹に、雪はわずかに空から落ちてくるだけだ。
 傘などいらないくらいだったが、万丈目も十代もそれを言い出さないまま歩き続けた。

2026/06/02
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