完結済中編
にわか雨とビーバー④
十代と暮らす日日は、時に奇妙で、時に不安や心配に苛まれ、でも基本的には穏やかで楽しいものだと万丈目は感じていた。
元気になってきたビーバー型の精霊は人間界の食べ物を食べたがって、十代は野菜やら果物やら買ってやったし、万丈目もビーバーが好きそうなものを見るとつい買ってしまった。兄から知り合いからトウモロコシをたくさんもらったがいらないかと聞かれ、今同居中の友人が好きだからくれと言ったら思った以上に届いた。
ビーバーは真っ黒な瞳をキラキラとさせて、トウモロコシの実は元より周りの皮まで喜んで食べていた。
「こんなにおいしい葉っぱなのに、人間は食べないんですか?」
「うーん……人間には消化しづらいのかもな」
「そうなんですか。では遠慮なく」
ビーバーはよく食べよく眠りよく泳いだ──万丈目の家の風呂場で。狭さが若干不満そうだったが、風呂というのは泳ぐものではない。
「もうすぐ帰れるかな」
九月も半ば、ビーバーの様子を見て十代は言った。十代はビーバーを精霊界へ送っていってやるつもりのようだった。
そのまま旅立ってしまうのかもしれないと万丈目は思った。十代は人間界で十分に休み元気になっている。行かないでくれとかまた戻ってきてくれとか、そんな言葉を口にしたら十代はそうしてくれるのだろうか?
お前が好きだ、このまま一緒に暮らしたい──。
勇気を出せばそのようなことを伝えられたのだと思う。でもその時の万丈目にはそこまでの勇気はなく、十月に翔の誕生祝いを兼ねた飲み会をしようという案で十代を引き留めることにした。十代は喜んで承諾し、ビーバーを精霊界へ送り届けた後にまた戻ってきてくれた。
しかし今度こそ伝えなければ十代は万丈目の元を去ってしまうだろう。万丈目が十代に惹かれているように、十代もまた自分に惹かれているのではないかと万丈目は思っている。時折見せる照れた顔だとか、大好きだと言って見つめる瞳の熱っぽさだとか──それが万丈目の思い違いでなければ。
でも十代には他人との間にしっかり線引きしてしまうようなところがある。それは十代が普通の人間とは違うことに起因するのではないかと万丈目は思った。
十代と暮らす中で、万丈目は時折違和感を覚えていた。
たとえば、爪。寝室の引き出しに爪切りがなくて十代に訊ねたが知らないと言った。結局万丈目自身がしまい忘れていただけだったが、そういえば爪切りの場所を十代に教えたことなどなかったと思い出した。十代はどうやって爪を切っている? しかし十代は自分の爪切りを持っているのかもしれないと考え直した
もう一つは服装。本格的に暑くなってもいつまでも長袖を着ていた。それもデュエルアカデミアの制服だ。それなりにしっかりしているから夏には適さない。思えば以前冬に会った時にも、十代はコートも着ずにあの制服姿だった。火山の影響か年中あまり気温の変わらなかったあの島と違って、ここは暑くも寒くもなるのに。
決定的におかしいと思ったのは髪の長さだ。万丈目は少なくとも月に一度は髪を切る。「万丈目サンダー」のイメージを保つために、髪の長さはほとんど変えない。そしてふと十代は異世界に一年以上いて、どうやって別れた頃と変わらない髪型を保っていたのだろうと思った。そして──一緒に暮らし始めて何ヶ月経っても、十代の髪は伸びなかった。
それらの疑問の答えは、十代が交通事故に遭うという最悪の事態で知ることになった。
居酒屋からの帰り道だった。翔と十代と万丈目の三人で飲んだ帰り道。にわか雨に降られて、万丈目は十代を自分の傘に入れた。
万丈目は今度こそ十代に自分の気持ちを言おうとして、それは起こった。
万丈目は十代に突き飛ばされた。激しい衝撃音が耳に届き、転倒した万丈目が音の方へ視線をやると、倒れた十代と歩道に突っ込み電柱にぶつかった車が見えた。
雨に濡れたアスファルトに倒れた十代は、額から血を流しながらも少し顔をしかめただけで起き上がると万丈目のことを心配した。言葉をなくす万丈目に、十代ははっとして「オレはなんともないんだ」と言った。
「なんてゆーか不老不死みたいな? とにかく大丈夫だからさ」
十代は不安そうな顔をしていた。信じてもらえないと思ったのだろう。しかし万丈目にとってそれは答え合わせのようなものだった。
「だから──お前は爪も髪も伸びないのか」
「気づいて──た?」
大きな瞳が揺れる。二十歳になったのに、相変わらず高校生みたいな幼い顔。
「気づくというか──少し気になっていた。一緒に暮らしてればな」
万丈目は雨に濡れる顔に傘を差した。十代が弱っている時はいつも濡れている気がした。あの時ほど濡れ鼠ではないにしろ。万丈目は、そんな時に傘を差してやりたい──。
「お前が普通じゃないのは今更だ。それより、治るといっても痛みはあるんじゃないのか」
「まあ……」
さすがにこの状況で痛くないなどという嘘はつかなかった。もし一人だけで交通事故に遭ったなら、十代は平気な顔で何もなかったふりをするのだろう。
「それに治るだけで鋼鉄の男とはいかないわけか」
映画の鋼のヒーローのように傷ひとつつかないわけではない。万丈目はハンカチで十代の顔の血を拭った。髪をかき上げても十代の額には傷などなかった。
「汚れる──」
「洗えばいい。服は──破れは直っても汚れはそのままか」
アスファルトに擦られ少しほつれていた赤い制服の表面は、話すうちにそうなる前の状態へと戻った。血の染みが襟や肩についている。万丈目は自分の上着を十代に着せた。
「汚れるって」
「洗えばいいと言ってるだろ」
これから警察を呼ぶというのに血まみれの男がいるわけにはいかない。警察を呼び、十代と口裏を合わせて車の自損事故を目撃しただけだと言った。
警察に嘘をついたのなど初めてだった。これからも万丈目は公的機関に嘘をつき続けるだろう。不老不死という人間社会に存在しないはずの存在と、一生を共にしたいと思っているのだから。
「それで──これからも一緒に暮らしたいという話だが」
帰路につき、万丈目は先程の話を再開する。
「そりゃ、住まわせてくれるのはありがたいけど」
「オレとしては結婚を前提にしたいんだが」
いきなり結婚前提は飛躍している気もした。しかし万丈目はこの根なし草を確実に自分のもとへ引き留める方法が結婚しか思いつかなかった。
「結婚?」
「すぐには無理だが、何年後かには」
万丈目は恥ずかしくて十代の顔を見られなかった。が、十代の言葉が予想外すぎて、恥ずかしさは吹き飛んだ。
「ふうん。やっぱ明日香と結婚すんの?」
「……は? 何を言ってるんだお前は」
からかっているのかと思うほどだったが、十代はきょとんとした顔で万丈目を見返した。万丈目の予想以上に十代は鈍かった。十代は学生時代の万丈目が天上院明日香に熱を上げているのを見ているのだ。未だにそのイメージを持たれていても仕方ないのかもしれない。万丈目は怒りをおさえて静かに言い直す。
「……いや、天上院くんとオレは何もないんだ。好きだったが……フラれて」
卒業式の後、改めて告白したが断られている。今はよき友人であると思う。
「あー……残念だったな」
「それはともかく、今はお前の話をしている。オレと結婚を前提に付き合ってくれないかと──そう言ってるんだ。いくらお前でもこれならわかるだろ」
十代は黙り込んでしまった。しかしそれは拒否ではなかった。少し顔を赤くして、言葉を探しているようだった。
「……す……好きってこと?」
「好きでもない相手に結婚を申し込むのかお前は」
言い返して、万丈目はまだ好きだとも言っていなかったことを思い出した。
「まあ──その──す……お前もオレに大好きだのなんだの言ってただろうが」
結局好きだと口にできず、十代を責めるような口振りになってしまった。
「そりゃ大好きだけど……オレが一方的にそう思ってんのかなって……」
十代は照れたような困ったような顔で笑った。万丈目は十代に好かれていることを感じていたが、十代の方はそうでなかったようだ。ひねくれた自分の性格が改めて嫌になる。
「オレ、結婚とか考えたこともなくてよ……家族に──なる、ってことだよな?」
「そうだな」
「オレは……不老不死以外にもまだフツウじゃないことある……けど……」
十代が万丈目のことを好きでも万丈目の好意を受け入れられない理由はそこにあるのだろう。
「今更だろうが。アカデミアの頃も最近も、変な空間に行ったり、精霊に薬を飲ませたり飯を食わせたり、普通じゃないことはいくらでもしてきた」
それは奇妙で、不安で、しかし楽しくもある時間だったのだ。
「それもだけどさ──オレは……」
十代は言葉を詰まらせた。
「ごめん、帰ってから話していい?」
外では話しにくいのだろう。二人は家に帰った。明るい場所で十代を見ると、髪には砂などがついて汚れていた。
「お前の上着早く洗わないと……」
十代は急いで洗濯機のある風呂場に向かった。万丈目も続く。
「あまり気にしなくていいぞ。黒なんだし」
「黒でもシミはつくだろ。だいたいこれ高そうだけどうちで洗濯できるやつ? オキシしたらヤバいかな……」
十代は万丈目の上着ばかり気にしているが、万丈目は十代の着る制服に染みた血の跡の方が気になった。
「上着より──お前の怪我はどうなんだ」
「ん? さっき拭いてくれたけど、もう傷なんかなかっただろ」
「そうだが……他のところは怪我をしてないのか」
あの時は血の流れた額の傷ばかり気になったが、全身をぶつけているのではないか?
「もう治ったよ。結構治り早いから。……てゆーか、見た方が早い? だいたいさっき話そうとしたこともさ、見た方が早いんじゃねーかなと思うんだけど……」
でもなあ、と十代は視線を迷わせた。
「お前にとってショッキングというか……」
「なんだ? やっぱり傷があるのか」
「傷はもうないけどよ……普通の人間にはショッキングな映像が含まれますみたいな……」
映像作品の冒頭の注意書きのようだ。
「……すまないが、具体的に言ってくれ」
「具体的に言うと──」
半分女で半分男の身体なのだと十代は言った。彼の片割れである精霊のように。
思えば一緒に暮らしてから、十代のシャツよりも下の部分を見たことがない。二度ほど風呂に浸かっているところを見てしまったが。
一度目は一緒に暮らし始めた頃、室内にいないと思った十代を探していて見てしまった。
二度目はまだビーバーがいた頃だ。風呂場から話し声がするのでまたビーバーが怪我をして傷を洗っているのかもしれないと思い見に行ったら、ただ十代とビーバーが風呂に入っているだけだった。
思い返せばそのどちらも十代は戸惑った様子を見せた──。
昔の、レッド寮の頃の十代ならば「お、万丈目も入るかあ?」なんて言いそうなものだ。寮近くの天然温泉もアカデミアの温泉施設もよく利用して、十代と万丈目は一度ならず同じ風呂に入ったことがある。
だというのに、十代は万丈目に裸を見られたくないかのような反応をしたのだ──。
もっと早くその違和感に気づくべきだった。万丈目も十代への気持ちを自覚し始め十代の肌を見ることに抵抗を持ち、そのことをなるべく考えないようにしていたのだ。
「まだ他にもいろいろあるけど……長くなるからゆっくり話そうぜ。とりあえず風呂入る」
これはクリーニングだな、と十代は万丈目に上着を渡した。
◇◆◇
万丈目と知り合ったのはデュエルアカデミアに入学してからで、だから付き合いとしては五年ほどになるのだなと十代は思う。
だというのに、十代には万丈目の心がよくわかっていなかった。今はそばにいさせてくれても、本当は心のどこかで疎ましく思われていないかと不安だった。それは出会ったばかりの頃は嫌われていたことと、一度築けた友情を十代自身が壊してしまったことが原因だ。その後に万丈目とも他の仲間ともやり直すことができたけれど、どこか自信を失くしてしまったのかもしれない。
十代の目はその自信のなさから曇っていたのだと思う。五年の付き合いがある十代よりも、あのビーバー型の彼の方がずっと万丈目の感情を見抜いていた。
大切な家に嫌いな人は入れない。大好きな人と一緒に暮らしたい。大好きな人とはいつか家族に──。
そんなごく当たり前のことが十代には見えていなかった。見ようとしなかったのかもしれない。相手の心に深く踏み込むよりも、関係が浅くても嫌われないでいたかった。それは意気地のないことだったと今は思う。
万丈目は十代が思うよりもずっと十代のことを見ていて、十代のことを深く想っていた。不老不死の身体には気づかれていたし、万丈目が知らなかった他のことを知っても十代を拒絶しなかった。普通の人間は理解してくれないだろうなんていうのは、万丈目のことを見くびった傲慢な考えだったのかもしれない。
まあ、いきなり「結婚を前提として」だなんてのは、飛躍している気もしたけれど。
「飛躍というがな、そういう縛りがなくて、お前こまめに帰ってくるか? 異世界をふらふらしてる間に百年も経ったら洒落にならん」
「確かにこの前は気がついたら一年経ってたけどさ……あんまり長居もできないってわかったし」
長居する方法を考えないわけではないけれど──。
「前回そうだっただけで長居できるようになったらしそうだ」
「心配しなくても帰るよ。やらなきゃいけないことはあるから、ここにいられない時も結構あると思うけどさ──そうじゃない時はここにいたい」
万丈目は少し顔をしかめた。でもそれは怒っているのではなく照れ隠しのようだった。思い返せば一緒に暮らす間にしばしば万丈目はこんな顔をしていたのだ。
「……それで、だ。空いてる部屋をお前の部屋にしようと思ってな。とりあえずベッドと、収納のない部屋だから箪笥のようなものがいるんじゃないか? 他にも机や何か──今度の休みに家具屋に行かないか」
「とりあえずベッドはお前のベッドでよくない?」
「ば」
馬鹿という言葉を万丈目は飲み込んだようだった。
「……順序というものがあってだな」
「順序?」
「婚前に同じベッドで寝るのはよくない」
「前にもう寝たし、ファラオは毎日お前のベッドで寝てるだろ」
「ファラオは猫だ」
「じゃあオレを猫と思って」
「こんなドでかい猫がいてたまるか」
「でも結婚すんの何年後になんだよ」
万丈目はしばし考える。
「……五年以内には」
「長くね?」
「いろいろと──あるだろうが。だいたいお前、今の状態でオレの両親に会えると思うか? マナーも何も知らんだろ」
「おんぞーしの両親かァ……」
会うのが面倒くさいなァ、と十代は思う。
「そもそもお前のご両親って息子がオレみたいな庶民と結婚すんの嫌じゃないの? 社長令嬢とかと結婚してほしいんじゃないか」
「まあ見合い話はいくつか来たがな」
「やっぱお見合いとかするんだ?」
「断った。今は一応諦められてるな。見合い話ならオレよりデュエルが強い人を連れてきてくれと言って」
「へえ~。じゃ、オレがお前に勝てばいいってこと?」
「なんでそうなる。だいたいオレに簡単に勝てると思うなよ」
万丈目は眉をつり上げて十代をにらんだ。
「ともかく、庶民かどうかは気にするな。それなりにマナーは身につけておけばいい。ところでお前のご両親、ちゃんと連絡取ってるか?」
「たまに?」
「最後に連絡したのいつだ?」
「卒業ん時に荷物と手紙は送った」
「……今年から年賀状出せ。ここの住所書いて、元気にしてるとだけでも書け。まずは年賀状だけでいいから」
「……わかった」
結婚って面倒だなと十代は思う。十代としては万丈目と暮らせたらそんなものは必要ないのだが、万丈目には必要なのだと思う。順序というのも、万丈目には必要なのだろう。しかし。
「話戻していい? ベッドは別なのはわかったけどさ、それ以外は? デートとかも順序でできないのか?」
「……デート……は、できる」
万丈目はかなりためらいながら言った。別に今までも十代と万丈目は一緒に買い物に行ったり映画を見に行ったりしているのだが。
「じゃ、デートしような」
十代の言葉に、やはり万丈目は顔をしかめたのだった。
◇◆◇
「ビーバーって小さいんだな」
動物園のふれあいコーナーでビーバーに人参をやりながら十代は言った。動物園のアメリカビーバーはファラオより少し大きいくらいだ。
「こんなに小さいのにダムを作るのか。すごいもんだな」
十代は人参スティックを両手に持ってかじるビーバーの小さな頭を撫でた。万丈目はその姿をデジタルカメラで撮った。十代が送る年賀状のためだ。
昨年末に十代が両親へと送った年賀状は、スーパーのレジ横にあった絵柄印刷済みの年賀ハガキに一言書くというものだった。それに対し十代の両親は──十代いわく母親の字であるそうだが──来年は十代の写真つきで送ってくれたら嬉しいと返事をくれた。デュエルアカデミアへの入学以来息子の姿を見ていないのだろう。年末に帰らないのかと万丈目が聞くと十代は「忙しくていないと思う」と渋り「ユベルが」と言いかけて黙り込んだ。
「話したくないなら話さなくていい。お前が話したい時に聞く。どんな話でも」
「……うん」
万丈目はとにかく年賀状だけは出せと年賀状を出させた。少しずつでも連絡を取り合えば、いきなり結婚相手を連れて会うよりはいいだろう。
「お前も撮ってやろうか?」
「オレはいい」
「一枚くらい撮れよォ。ビーバー可愛いだろ」
十代は万丈目の手からデジタルカメラを取り、エサのカップを万丈目に渡した。
「ちょっとマスク外して。誰もいないし大丈夫」
二月の平日の動物園は閑散としていた。万丈目がマスクを外すと頬がきんと冷える気がした。万丈目はコートにマフラー、変装と防寒を兼ねた帽子をかぶっているが、十代はいつもの制服姿にマフラーをしただけだ。寒くはないしコートを着ると動きづらいのが嫌だと言う。マフラーはビーバーの刺繍つきのものだ。今日があまりに冷えるのでその格好は不自然じゃないかと万丈目が言ったら、じゃあ動物園で何か買うと到着後に園内ショップで買った。ビーバーの毛の色を模したそれには、かつてビーバーは毛皮目的で乱獲され激減した過去があり、売上の一部はビーバーの保護活動へと使われると説明が書かれていた。
「ウゥ! ンウゥ!」
ビーバーが鳴いた。万丈目に早くエサを寄越せと言っているようだ。ビーバーの鳴き声とはこんなものなのかと万丈目は思う。あの精霊はよくしゃべって、鳴くことはなかった。ビーバーに人参を与えるとビーバーはオレンジ色の前歯で無心にそれをかじった。その動きは精霊と似ていたもののどこか彼とは隔絶しているように感じた。
「……よし、よく撮れた!」
十代は万丈目にカメラの画面を見せた。万丈目がビーバーにエサをやる姿が何枚か撮られていた。
「よろしければお撮りしましょうか?」
暇そうにしていた係員が声をかけてきた。十代はお願いしますとカメラを渡す。ビーバーを真ん中にして写真を撮ってもらった。それを見た十代はずいぶん満足げだった。
動物園を一通り見終わって、最後に暖かいカフェに入った。
「写真っていつまで撮れるだろうな」
十代は撮った写真を見返しながら言った。十代の姿は「十代」のまま永遠に変わらない。それに気づかれる証拠となり得る写真を本当は撮りたくないのだろう。
「……本当は少し怖い」
十代は最近だんだんと不安なことも話してくれるようになった。怪我をしたり体調が悪かったり悩みがあったり、そういうことを隠さないでほしいと万丈目は伝えていた。
「今はまだ大丈夫なのかな」
「ああ。二十代の頃なんてこんなもんだと言える」
万丈目は十代に手を差し出す。ここで撮るの? と言いながらも十代は万丈目にカメラを渡した。少し照れくさそうな十代を写真におさめる。
「お前も撮らせて」
万丈目は十代にカメラを渡し、今度は十代が写真を撮る。
「オレは忘れっぽいし、写真撮るのはいいことかもな」
頼んだケーキが届き、十代はそれも写真におさめた。モンブランで、ビーバーを模して耳と目と鼻と口と歯(ちゃんとオレンジ色の歯だ)、しっぽには楕円形のチョコレートでデコレーションされている。
「……可愛いとちょっと食べるのに抵抗あるな」
十代はそう言いながらモンブランにフォークを刺す。
「あいつも元気にしてるといいけど」
「そうだな」
一ヶ月ほどだが生活を共にし、十代も万丈目もあのビーバー型の精霊にはどこか愛着があった。万丈目はあまり認めたくはないが、二人がこうなるきっかけをもたらした存在でもある。
「……実はさ、あいつ、万丈目とオレはいつか家族になるかもって言ってたんだ」
当たったな、と十代ははにかんで笑った。
その通り過ぎた一瞬を、写真におさめたかったと万丈目は少し惜しくなった。しかしそんな瞬間はこれからも無数に起きて、そのほとんどが写真になど残らないのだろう。でも、その瞬間そのものを写真に撮らなくても、ここで撮った写真を見ればはにかんだ笑顔も思い出すのかもしれない。
それも十代の若さをごまかせる二十代のうちだけなら、なるべくたくさん写真を撮ろうと万丈目は決めた。
その後、土産物屋で十代はビーバーの小さなぬいぐるみを吟味した。
「これが一番あいつに似てるかな?」
十代が手にしたぬいぐるみは、他と比べて少しだけ愛嬌があり、少しだけ情けない顔をしている気がした。
十代はそのぬいぐるみを買い、リビングに飾った。
「なあ、誰かにお付き合いしたきっかけは? って聞かれたら、ビーバーだって答えるか?」
「答えになるかそんなもん」
「だよな。じゃあ」
ふたりだけの秘密ってやつだ──。
少しだけはにかんで、少しだけいたずらっぽく十代は笑った。
万丈目は再びそれを写真に残したいと思ったが、心に留めてふたりだけの秘密にする方がいいだろうと思い直した。
2026/05/04
2026/05/07 一部修正
2026/05/31 誤字修正
十代と暮らす日日は、時に奇妙で、時に不安や心配に苛まれ、でも基本的には穏やかで楽しいものだと万丈目は感じていた。
元気になってきたビーバー型の精霊は人間界の食べ物を食べたがって、十代は野菜やら果物やら買ってやったし、万丈目もビーバーが好きそうなものを見るとつい買ってしまった。兄から知り合いからトウモロコシをたくさんもらったがいらないかと聞かれ、今同居中の友人が好きだからくれと言ったら思った以上に届いた。
ビーバーは真っ黒な瞳をキラキラとさせて、トウモロコシの実は元より周りの皮まで喜んで食べていた。
「こんなにおいしい葉っぱなのに、人間は食べないんですか?」
「うーん……人間には消化しづらいのかもな」
「そうなんですか。では遠慮なく」
ビーバーはよく食べよく眠りよく泳いだ──万丈目の家の風呂場で。狭さが若干不満そうだったが、風呂というのは泳ぐものではない。
「もうすぐ帰れるかな」
九月も半ば、ビーバーの様子を見て十代は言った。十代はビーバーを精霊界へ送っていってやるつもりのようだった。
そのまま旅立ってしまうのかもしれないと万丈目は思った。十代は人間界で十分に休み元気になっている。行かないでくれとかまた戻ってきてくれとか、そんな言葉を口にしたら十代はそうしてくれるのだろうか?
お前が好きだ、このまま一緒に暮らしたい──。
勇気を出せばそのようなことを伝えられたのだと思う。でもその時の万丈目にはそこまでの勇気はなく、十月に翔の誕生祝いを兼ねた飲み会をしようという案で十代を引き留めることにした。十代は喜んで承諾し、ビーバーを精霊界へ送り届けた後にまた戻ってきてくれた。
しかし今度こそ伝えなければ十代は万丈目の元を去ってしまうだろう。万丈目が十代に惹かれているように、十代もまた自分に惹かれているのではないかと万丈目は思っている。時折見せる照れた顔だとか、大好きだと言って見つめる瞳の熱っぽさだとか──それが万丈目の思い違いでなければ。
でも十代には他人との間にしっかり線引きしてしまうようなところがある。それは十代が普通の人間とは違うことに起因するのではないかと万丈目は思った。
十代と暮らす中で、万丈目は時折違和感を覚えていた。
たとえば、爪。寝室の引き出しに爪切りがなくて十代に訊ねたが知らないと言った。結局万丈目自身がしまい忘れていただけだったが、そういえば爪切りの場所を十代に教えたことなどなかったと思い出した。十代はどうやって爪を切っている? しかし十代は自分の爪切りを持っているのかもしれないと考え直した
もう一つは服装。本格的に暑くなってもいつまでも長袖を着ていた。それもデュエルアカデミアの制服だ。それなりにしっかりしているから夏には適さない。思えば以前冬に会った時にも、十代はコートも着ずにあの制服姿だった。火山の影響か年中あまり気温の変わらなかったあの島と違って、ここは暑くも寒くもなるのに。
決定的におかしいと思ったのは髪の長さだ。万丈目は少なくとも月に一度は髪を切る。「万丈目サンダー」のイメージを保つために、髪の長さはほとんど変えない。そしてふと十代は異世界に一年以上いて、どうやって別れた頃と変わらない髪型を保っていたのだろうと思った。そして──一緒に暮らし始めて何ヶ月経っても、十代の髪は伸びなかった。
それらの疑問の答えは、十代が交通事故に遭うという最悪の事態で知ることになった。
居酒屋からの帰り道だった。翔と十代と万丈目の三人で飲んだ帰り道。にわか雨に降られて、万丈目は十代を自分の傘に入れた。
万丈目は今度こそ十代に自分の気持ちを言おうとして、それは起こった。
万丈目は十代に突き飛ばされた。激しい衝撃音が耳に届き、転倒した万丈目が音の方へ視線をやると、倒れた十代と歩道に突っ込み電柱にぶつかった車が見えた。
雨に濡れたアスファルトに倒れた十代は、額から血を流しながらも少し顔をしかめただけで起き上がると万丈目のことを心配した。言葉をなくす万丈目に、十代ははっとして「オレはなんともないんだ」と言った。
「なんてゆーか不老不死みたいな? とにかく大丈夫だからさ」
十代は不安そうな顔をしていた。信じてもらえないと思ったのだろう。しかし万丈目にとってそれは答え合わせのようなものだった。
「だから──お前は爪も髪も伸びないのか」
「気づいて──た?」
大きな瞳が揺れる。二十歳になったのに、相変わらず高校生みたいな幼い顔。
「気づくというか──少し気になっていた。一緒に暮らしてればな」
万丈目は雨に濡れる顔に傘を差した。十代が弱っている時はいつも濡れている気がした。あの時ほど濡れ鼠ではないにしろ。万丈目は、そんな時に傘を差してやりたい──。
「お前が普通じゃないのは今更だ。それより、治るといっても痛みはあるんじゃないのか」
「まあ……」
さすがにこの状況で痛くないなどという嘘はつかなかった。もし一人だけで交通事故に遭ったなら、十代は平気な顔で何もなかったふりをするのだろう。
「それに治るだけで鋼鉄の男とはいかないわけか」
映画の鋼のヒーローのように傷ひとつつかないわけではない。万丈目はハンカチで十代の顔の血を拭った。髪をかき上げても十代の額には傷などなかった。
「汚れる──」
「洗えばいい。服は──破れは直っても汚れはそのままか」
アスファルトに擦られ少しほつれていた赤い制服の表面は、話すうちにそうなる前の状態へと戻った。血の染みが襟や肩についている。万丈目は自分の上着を十代に着せた。
「汚れるって」
「洗えばいいと言ってるだろ」
これから警察を呼ぶというのに血まみれの男がいるわけにはいかない。警察を呼び、十代と口裏を合わせて車の自損事故を目撃しただけだと言った。
警察に嘘をついたのなど初めてだった。これからも万丈目は公的機関に嘘をつき続けるだろう。不老不死という人間社会に存在しないはずの存在と、一生を共にしたいと思っているのだから。
「それで──これからも一緒に暮らしたいという話だが」
帰路につき、万丈目は先程の話を再開する。
「そりゃ、住まわせてくれるのはありがたいけど」
「オレとしては結婚を前提にしたいんだが」
いきなり結婚前提は飛躍している気もした。しかし万丈目はこの根なし草を確実に自分のもとへ引き留める方法が結婚しか思いつかなかった。
「結婚?」
「すぐには無理だが、何年後かには」
万丈目は恥ずかしくて十代の顔を見られなかった。が、十代の言葉が予想外すぎて、恥ずかしさは吹き飛んだ。
「ふうん。やっぱ明日香と結婚すんの?」
「……は? 何を言ってるんだお前は」
からかっているのかと思うほどだったが、十代はきょとんとした顔で万丈目を見返した。万丈目の予想以上に十代は鈍かった。十代は学生時代の万丈目が天上院明日香に熱を上げているのを見ているのだ。未だにそのイメージを持たれていても仕方ないのかもしれない。万丈目は怒りをおさえて静かに言い直す。
「……いや、天上院くんとオレは何もないんだ。好きだったが……フラれて」
卒業式の後、改めて告白したが断られている。今はよき友人であると思う。
「あー……残念だったな」
「それはともかく、今はお前の話をしている。オレと結婚を前提に付き合ってくれないかと──そう言ってるんだ。いくらお前でもこれならわかるだろ」
十代は黙り込んでしまった。しかしそれは拒否ではなかった。少し顔を赤くして、言葉を探しているようだった。
「……す……好きってこと?」
「好きでもない相手に結婚を申し込むのかお前は」
言い返して、万丈目はまだ好きだとも言っていなかったことを思い出した。
「まあ──その──す……お前もオレに大好きだのなんだの言ってただろうが」
結局好きだと口にできず、十代を責めるような口振りになってしまった。
「そりゃ大好きだけど……オレが一方的にそう思ってんのかなって……」
十代は照れたような困ったような顔で笑った。万丈目は十代に好かれていることを感じていたが、十代の方はそうでなかったようだ。ひねくれた自分の性格が改めて嫌になる。
「オレ、結婚とか考えたこともなくてよ……家族に──なる、ってことだよな?」
「そうだな」
「オレは……不老不死以外にもまだフツウじゃないことある……けど……」
十代が万丈目のことを好きでも万丈目の好意を受け入れられない理由はそこにあるのだろう。
「今更だろうが。アカデミアの頃も最近も、変な空間に行ったり、精霊に薬を飲ませたり飯を食わせたり、普通じゃないことはいくらでもしてきた」
それは奇妙で、不安で、しかし楽しくもある時間だったのだ。
「それもだけどさ──オレは……」
十代は言葉を詰まらせた。
「ごめん、帰ってから話していい?」
外では話しにくいのだろう。二人は家に帰った。明るい場所で十代を見ると、髪には砂などがついて汚れていた。
「お前の上着早く洗わないと……」
十代は急いで洗濯機のある風呂場に向かった。万丈目も続く。
「あまり気にしなくていいぞ。黒なんだし」
「黒でもシミはつくだろ。だいたいこれ高そうだけどうちで洗濯できるやつ? オキシしたらヤバいかな……」
十代は万丈目の上着ばかり気にしているが、万丈目は十代の着る制服に染みた血の跡の方が気になった。
「上着より──お前の怪我はどうなんだ」
「ん? さっき拭いてくれたけど、もう傷なんかなかっただろ」
「そうだが……他のところは怪我をしてないのか」
あの時は血の流れた額の傷ばかり気になったが、全身をぶつけているのではないか?
「もう治ったよ。結構治り早いから。……てゆーか、見た方が早い? だいたいさっき話そうとしたこともさ、見た方が早いんじゃねーかなと思うんだけど……」
でもなあ、と十代は視線を迷わせた。
「お前にとってショッキングというか……」
「なんだ? やっぱり傷があるのか」
「傷はもうないけどよ……普通の人間にはショッキングな映像が含まれますみたいな……」
映像作品の冒頭の注意書きのようだ。
「……すまないが、具体的に言ってくれ」
「具体的に言うと──」
半分女で半分男の身体なのだと十代は言った。彼の片割れである精霊のように。
思えば一緒に暮らしてから、十代のシャツよりも下の部分を見たことがない。二度ほど風呂に浸かっているところを見てしまったが。
一度目は一緒に暮らし始めた頃、室内にいないと思った十代を探していて見てしまった。
二度目はまだビーバーがいた頃だ。風呂場から話し声がするのでまたビーバーが怪我をして傷を洗っているのかもしれないと思い見に行ったら、ただ十代とビーバーが風呂に入っているだけだった。
思い返せばそのどちらも十代は戸惑った様子を見せた──。
昔の、レッド寮の頃の十代ならば「お、万丈目も入るかあ?」なんて言いそうなものだ。寮近くの天然温泉もアカデミアの温泉施設もよく利用して、十代と万丈目は一度ならず同じ風呂に入ったことがある。
だというのに、十代は万丈目に裸を見られたくないかのような反応をしたのだ──。
もっと早くその違和感に気づくべきだった。万丈目も十代への気持ちを自覚し始め十代の肌を見ることに抵抗を持ち、そのことをなるべく考えないようにしていたのだ。
「まだ他にもいろいろあるけど……長くなるからゆっくり話そうぜ。とりあえず風呂入る」
これはクリーニングだな、と十代は万丈目に上着を渡した。
◇◆◇
万丈目と知り合ったのはデュエルアカデミアに入学してからで、だから付き合いとしては五年ほどになるのだなと十代は思う。
だというのに、十代には万丈目の心がよくわかっていなかった。今はそばにいさせてくれても、本当は心のどこかで疎ましく思われていないかと不安だった。それは出会ったばかりの頃は嫌われていたことと、一度築けた友情を十代自身が壊してしまったことが原因だ。その後に万丈目とも他の仲間ともやり直すことができたけれど、どこか自信を失くしてしまったのかもしれない。
十代の目はその自信のなさから曇っていたのだと思う。五年の付き合いがある十代よりも、あのビーバー型の彼の方がずっと万丈目の感情を見抜いていた。
大切な家に嫌いな人は入れない。大好きな人と一緒に暮らしたい。大好きな人とはいつか家族に──。
そんなごく当たり前のことが十代には見えていなかった。見ようとしなかったのかもしれない。相手の心に深く踏み込むよりも、関係が浅くても嫌われないでいたかった。それは意気地のないことだったと今は思う。
万丈目は十代が思うよりもずっと十代のことを見ていて、十代のことを深く想っていた。不老不死の身体には気づかれていたし、万丈目が知らなかった他のことを知っても十代を拒絶しなかった。普通の人間は理解してくれないだろうなんていうのは、万丈目のことを見くびった傲慢な考えだったのかもしれない。
まあ、いきなり「結婚を前提として」だなんてのは、飛躍している気もしたけれど。
「飛躍というがな、そういう縛りがなくて、お前こまめに帰ってくるか? 異世界をふらふらしてる間に百年も経ったら洒落にならん」
「確かにこの前は気がついたら一年経ってたけどさ……あんまり長居もできないってわかったし」
長居する方法を考えないわけではないけれど──。
「前回そうだっただけで長居できるようになったらしそうだ」
「心配しなくても帰るよ。やらなきゃいけないことはあるから、ここにいられない時も結構あると思うけどさ──そうじゃない時はここにいたい」
万丈目は少し顔をしかめた。でもそれは怒っているのではなく照れ隠しのようだった。思い返せば一緒に暮らす間にしばしば万丈目はこんな顔をしていたのだ。
「……それで、だ。空いてる部屋をお前の部屋にしようと思ってな。とりあえずベッドと、収納のない部屋だから箪笥のようなものがいるんじゃないか? 他にも机や何か──今度の休みに家具屋に行かないか」
「とりあえずベッドはお前のベッドでよくない?」
「ば」
馬鹿という言葉を万丈目は飲み込んだようだった。
「……順序というものがあってだな」
「順序?」
「婚前に同じベッドで寝るのはよくない」
「前にもう寝たし、ファラオは毎日お前のベッドで寝てるだろ」
「ファラオは猫だ」
「じゃあオレを猫と思って」
「こんなドでかい猫がいてたまるか」
「でも結婚すんの何年後になんだよ」
万丈目はしばし考える。
「……五年以内には」
「長くね?」
「いろいろと──あるだろうが。だいたいお前、今の状態でオレの両親に会えると思うか? マナーも何も知らんだろ」
「おんぞーしの両親かァ……」
会うのが面倒くさいなァ、と十代は思う。
「そもそもお前のご両親って息子がオレみたいな庶民と結婚すんの嫌じゃないの? 社長令嬢とかと結婚してほしいんじゃないか」
「まあ見合い話はいくつか来たがな」
「やっぱお見合いとかするんだ?」
「断った。今は一応諦められてるな。見合い話ならオレよりデュエルが強い人を連れてきてくれと言って」
「へえ~。じゃ、オレがお前に勝てばいいってこと?」
「なんでそうなる。だいたいオレに簡単に勝てると思うなよ」
万丈目は眉をつり上げて十代をにらんだ。
「ともかく、庶民かどうかは気にするな。それなりにマナーは身につけておけばいい。ところでお前のご両親、ちゃんと連絡取ってるか?」
「たまに?」
「最後に連絡したのいつだ?」
「卒業ん時に荷物と手紙は送った」
「……今年から年賀状出せ。ここの住所書いて、元気にしてるとだけでも書け。まずは年賀状だけでいいから」
「……わかった」
結婚って面倒だなと十代は思う。十代としては万丈目と暮らせたらそんなものは必要ないのだが、万丈目には必要なのだと思う。順序というのも、万丈目には必要なのだろう。しかし。
「話戻していい? ベッドは別なのはわかったけどさ、それ以外は? デートとかも順序でできないのか?」
「……デート……は、できる」
万丈目はかなりためらいながら言った。別に今までも十代と万丈目は一緒に買い物に行ったり映画を見に行ったりしているのだが。
「じゃ、デートしような」
十代の言葉に、やはり万丈目は顔をしかめたのだった。
◇◆◇
「ビーバーって小さいんだな」
動物園のふれあいコーナーでビーバーに人参をやりながら十代は言った。動物園のアメリカビーバーはファラオより少し大きいくらいだ。
「こんなに小さいのにダムを作るのか。すごいもんだな」
十代は人参スティックを両手に持ってかじるビーバーの小さな頭を撫でた。万丈目はその姿をデジタルカメラで撮った。十代が送る年賀状のためだ。
昨年末に十代が両親へと送った年賀状は、スーパーのレジ横にあった絵柄印刷済みの年賀ハガキに一言書くというものだった。それに対し十代の両親は──十代いわく母親の字であるそうだが──来年は十代の写真つきで送ってくれたら嬉しいと返事をくれた。デュエルアカデミアへの入学以来息子の姿を見ていないのだろう。年末に帰らないのかと万丈目が聞くと十代は「忙しくていないと思う」と渋り「ユベルが」と言いかけて黙り込んだ。
「話したくないなら話さなくていい。お前が話したい時に聞く。どんな話でも」
「……うん」
万丈目はとにかく年賀状だけは出せと年賀状を出させた。少しずつでも連絡を取り合えば、いきなり結婚相手を連れて会うよりはいいだろう。
「お前も撮ってやろうか?」
「オレはいい」
「一枚くらい撮れよォ。ビーバー可愛いだろ」
十代は万丈目の手からデジタルカメラを取り、エサのカップを万丈目に渡した。
「ちょっとマスク外して。誰もいないし大丈夫」
二月の平日の動物園は閑散としていた。万丈目がマスクを外すと頬がきんと冷える気がした。万丈目はコートにマフラー、変装と防寒を兼ねた帽子をかぶっているが、十代はいつもの制服姿にマフラーをしただけだ。寒くはないしコートを着ると動きづらいのが嫌だと言う。マフラーはビーバーの刺繍つきのものだ。今日があまりに冷えるのでその格好は不自然じゃないかと万丈目が言ったら、じゃあ動物園で何か買うと到着後に園内ショップで買った。ビーバーの毛の色を模したそれには、かつてビーバーは毛皮目的で乱獲され激減した過去があり、売上の一部はビーバーの保護活動へと使われると説明が書かれていた。
「ウゥ! ンウゥ!」
ビーバーが鳴いた。万丈目に早くエサを寄越せと言っているようだ。ビーバーの鳴き声とはこんなものなのかと万丈目は思う。あの精霊はよくしゃべって、鳴くことはなかった。ビーバーに人参を与えるとビーバーはオレンジ色の前歯で無心にそれをかじった。その動きは精霊と似ていたもののどこか彼とは隔絶しているように感じた。
「……よし、よく撮れた!」
十代は万丈目にカメラの画面を見せた。万丈目がビーバーにエサをやる姿が何枚か撮られていた。
「よろしければお撮りしましょうか?」
暇そうにしていた係員が声をかけてきた。十代はお願いしますとカメラを渡す。ビーバーを真ん中にして写真を撮ってもらった。それを見た十代はずいぶん満足げだった。
動物園を一通り見終わって、最後に暖かいカフェに入った。
「写真っていつまで撮れるだろうな」
十代は撮った写真を見返しながら言った。十代の姿は「十代」のまま永遠に変わらない。それに気づかれる証拠となり得る写真を本当は撮りたくないのだろう。
「……本当は少し怖い」
十代は最近だんだんと不安なことも話してくれるようになった。怪我をしたり体調が悪かったり悩みがあったり、そういうことを隠さないでほしいと万丈目は伝えていた。
「今はまだ大丈夫なのかな」
「ああ。二十代の頃なんてこんなもんだと言える」
万丈目は十代に手を差し出す。ここで撮るの? と言いながらも十代は万丈目にカメラを渡した。少し照れくさそうな十代を写真におさめる。
「お前も撮らせて」
万丈目は十代にカメラを渡し、今度は十代が写真を撮る。
「オレは忘れっぽいし、写真撮るのはいいことかもな」
頼んだケーキが届き、十代はそれも写真におさめた。モンブランで、ビーバーを模して耳と目と鼻と口と歯(ちゃんとオレンジ色の歯だ)、しっぽには楕円形のチョコレートでデコレーションされている。
「……可愛いとちょっと食べるのに抵抗あるな」
十代はそう言いながらモンブランにフォークを刺す。
「あいつも元気にしてるといいけど」
「そうだな」
一ヶ月ほどだが生活を共にし、十代も万丈目もあのビーバー型の精霊にはどこか愛着があった。万丈目はあまり認めたくはないが、二人がこうなるきっかけをもたらした存在でもある。
「……実はさ、あいつ、万丈目とオレはいつか家族になるかもって言ってたんだ」
当たったな、と十代ははにかんで笑った。
その通り過ぎた一瞬を、写真におさめたかったと万丈目は少し惜しくなった。しかしそんな瞬間はこれからも無数に起きて、そのほとんどが写真になど残らないのだろう。でも、その瞬間そのものを写真に撮らなくても、ここで撮った写真を見ればはにかんだ笑顔も思い出すのかもしれない。
それも十代の若さをごまかせる二十代のうちだけなら、なるべくたくさん写真を撮ろうと万丈目は決めた。
その後、土産物屋で十代はビーバーの小さなぬいぐるみを吟味した。
「これが一番あいつに似てるかな?」
十代が手にしたぬいぐるみは、他と比べて少しだけ愛嬌があり、少しだけ情けない顔をしている気がした。
十代はそのぬいぐるみを買い、リビングに飾った。
「なあ、誰かにお付き合いしたきっかけは? って聞かれたら、ビーバーだって答えるか?」
「答えになるかそんなもん」
「だよな。じゃあ」
ふたりだけの秘密ってやつだ──。
少しだけはにかんで、少しだけいたずらっぽく十代は笑った。
万丈目は再びそれを写真に残したいと思ったが、心に留めてふたりだけの秘密にする方がいいだろうと思い直した。
2026/05/04
2026/05/07 一部修正
2026/05/31 誤字修正
