完結済中編

にわか雨とビーバー③

 十代と万丈目の共同生活はしばらく続いた。
 ある日、万丈目が家に帰ると室内は真っ暗で、玄関に十代の靴はなかった。
 家の中に十代の姿はなかった。書き置きもなく、携帯電話に連絡もなかった。十代の携帯電話もショルダーバッグもリビングに置きっぱなしだった。ファラオは万丈目のベッドで寝ていた。
 室内が暗いなら、昼間に出掛けたのだろう。電話も鞄も持たなかったなら、少し買い物にでも行っただけだろうか? ならばなぜまだ戻らないのだろう?
 精霊に呼ばれどこかへ行ってしまったか──あるいは、出掛けた際に事故にでも?
 万丈目は、もし十代が事故に遭ったとて自分にはなんの連絡もないだろうということに気がついた。そんなものは共に暮らす前からずっとそうだ。人間界ならまだしも、もし十代が異世界にいる間に何かあったら、彼はその死さえ誰にも知られないままなのではないか──?
 急に恐ろしいような気がした。しばらく前まで、あんなやつは殺したって死なないと漠然と思っていたのに。万丈目の脳裏にはずぶ濡れの十代が浮かぶ──あの日から、そんな風には思えなくなってしまった。十代が自ら危険に飛び込んでしまう姿は簡単に想像がつく。
 きっと万丈目には、それを止めることはできない──。
 インターホンが鳴った。
 十代だった。鍵も持たずに飛び出したようで、開けてくれと頼んだ。帰ってきた十代は、雨も降っていないはずなのにずぶ濡れで、泣き出しそうな顔をしていた。
「ごめん、汚すかも、風呂貸して!」
 玄関で靴を脱ぎ捨て十代は風呂場へと走った。
「どうした? おい、十代──」
 濡れた十代の足跡は赤茶色をしていた。
 血か──?
 万丈目は十代を追い風呂場へ入る。十代はドアも開けっ放しで服も脱がず──ビーバーにシャワーの水をかけていた。
「……は?」
 ビーバーはぐったりとしているが、万丈目を見ると「万丈目さんだぁ」と間の抜けた声を出した。あの時の精霊だ。
「先生呼んで来て」
「先生?」
 獣医でも呼べというのか? 日本でビーバーなど診れる獣医が──そもそもこいつは精霊だ。
「大徳寺先生! ファラオのお腹から叩き起こしてくれ!」
 大徳寺先生? ファラオのお腹? 万丈目はわけがわからないまま寝室で寝ていたファラオを浴室へ運んだ。
「フニャア」
 ファラオが不服そうに鳴く──その口から、光の玉がふわりと出てきた。
「先生! なんか毒のあるやつに噛まれたり引っ掻かれたり……洗う以外何したらいい!?」
 十代は光の玉に問う。光の玉は、かつてデュエルアカデミアで教師をしていた男の姿になった。
「専門外なんですけどニャ……万丈目くん、十代くんの鞄からファラオの絵のケースを取ってきてほしいニャ」
 万丈目は聞きたいことも言いたいこともいくつもあったが大徳寺に従った。ファラオの描かれたケースの中には粉やら液体やら石やら入っていた。万丈目はそれを大徳寺に指示されるまま混ぜて、十代がビーバーに飲ませた。
「苦いです……」
「ごめんな、我慢してくれ」
「うぅーん……あれ、でも……ぐるぐるする感じがなくなってきました……」
「本当か?」
 十代はほっとした顔をする。
「噛みつかれたとことかまだ痛いですけど……」
「うん。しばらくオレの魂の中で休んでな」
「はい……」
 精霊は姿を消した。十代は大きくため息をついて脱力した。
「よかった……」
 浴室の床には薄く赤い水。十代がずぶ濡れな上に服の色が赤と黒で目立たないが、おそらく彼の服にも血は染みているだろう。
「……先生、万丈目、ありがとう」
 十代は顔を上げて微笑んだ。
「彼が良くなったなら何よりだニャ」
「聞きたいことはいろいろあるが、まずは着替えろ」
 万丈目の返事に十代は苦笑いした。万丈目は十代の着替えを脱衣場に運んでやった。うろつかれては床が汚れるからだ。
 十代を風呂場に残し、万丈目は汚れた床を掃除した。それから大徳寺に話を聞いた。
 大徳寺はファラオに魂を飲み込まれ、成仏できずに今は十代と旅をしているという。十代の旅の連れは精霊と猫だけでなく幽霊までいたらしい。
「私のことが見えない人は多いけど、万丈目くんは見えるんだニャア。精霊が見えるからですかニャ」
「そうかもしれません」
 精霊も幽霊も似たような存在なのだろうか。
「万丈目くんと話すのも久しぶりですニャ。すっかり立派になって、先生感激ニャ」
「先生もお元気そうで──」
 ついそう言ってから、幽霊に元気も何もないかと万丈目は思い直す。言葉を詰まらせた万丈目に大徳寺は微笑んだ。
「元気にファラオのお腹で過ごしてますニャ。あ」
 ファラオがひょいと大徳寺に飛びつき、再び光の玉になった大徳寺を飲み込んでしまった。その後ファラオは万丈目にニャアと鳴いた。腹が減ったのだろう。
 ファラオにエサをやり終わった頃に十代が風呂から戻った。疲れた顔をしていた。
「大丈夫か」
「腹減ったくらい」
 そういえば万丈目も夕飯を食べていない。
「今日は残りもんも特になかったな。インスタントでも食う?」
 簡単に夕飯を済ませ、十代の話を聞いた。昼にビーバーの友人の鳥型の精霊から助けを求められ、精霊界に行ってきたそうだ。
「次元のほころびから出てきた異次元の精霊が他の精霊を襲ってるって──で、行ったら猫と狼が混ざったみたいなやつとあいつが戦ってて。あいつ、のんびりしてそうでガッツあるぜ。襲ってきたやつに噛みついてさ」
 十代は異次元の精霊を元の次元に追い返して次元のほころびを閉じ、毒に苦しむビーバーを連れて戻ってきたという。
「先生にはいつもいろいろ助けてもらってるんだ。今回はお前にも助けられた」
「別に、先生に言われた通りにしただけだ」
「それもだけどさ、鳥の精霊がオレを見つけられたの、お前のおかげみたい。万丈目サンダーは有名人だから、人間界の精霊たちにサンダーの家を訊ねてオレのところに来たんだって」
 好かれてるなと十代は笑う。
「お前も好かれてるだろ」
「オレ? どうかな。まあ、そういうやつもいるけど」
 十代は困ったように笑った。
「あいつには悪いことしたよ。せっかくダム作りがうまくいって友達もできたのに襲われちまって……」
「お前が悪いわけじゃないだろ」
「次元のほころびはオレのせいなんだ。前に無理矢理いろんな次元を繋げた時の後遺症みたいな……塞いで回ってるけど後からほころんでくるやつもあるし」
「だから──無理をしてたのか」
 一年以上も異世界にいた理由。体調不良をおして異世界へ戻ろうとした理由。万丈目にはまるで異世界が楽しいかのように話していたのに、本当は──。
「別に無理は……」
「しただろ」
「けどたくさんあるわけじゃないぜ。今回みたいなことはたぶんめったにないし」
 十代は言い訳をするように付け加えた。
「今回も、お前は大丈夫なのか?」
「オレは平気」
 十代は笑う。たぶん嘘だ、と万丈目は思う。
「床が血で汚れたが、あれは」
「あいつの血が服についてたんだと思うよ。悪いな、掃除するから」
「もう掃除した」
「そっか。ありがと。……オレ、疲れたから寝るな」
 十代は話を切り上げた。彼が疲れているのは見ればわかることだった。このまま問いつめても仕方がないと、万丈目も寝る支度を始めた。

◇◆◇

 ネオスペースの海に、少少不似合いな精霊か浮かぶ。ビーバーに似ている精霊は、波に身をまかせていた。
 ビーバーは漢字で海狸と書くけれど海にはいないのだそうだ。そんな豆知識を十代は万丈目から知った。
 また万丈目に心配をかけてしまった──。
 のんびりしていないで、もっと早く旅立てばよかっただろうか。一ヶ月もしたら体調はよくなったのだから。
 でも、万丈目の二十歳の誕生日を祝いたかった。せっかくだから酒を贈りたかったが、まだ十九歳の十代には買えなかった。だから万丈目の好きそうなコーヒーを専門店でいくつか買って贈った。
「お前にしてはいいチョイスだ」
「本当はせっかくハタチだしお酒がいいかなと思ったけど買えなくてさ」
「なんだ、なら今度のお前の誕生日には一緒に酒でも飲むか」
 そんなことを言われてしまって、またしても出発の日は延びた。
 あと少し、もう少しと、いつまでも甘えてしまう。
 さすがにこの傷が治ったら、もう出ていかなくちゃ──。
「覇王様」
 ビーバーが浜辺に座る十代のもとへ歩いてくる。
「覇王様のお怪我は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。オレも毒にはちょっとやられたけど」
 今、十代の身体には猫と狼を混ぜたような精霊の爪痕がある。十代の不老不死の身体をもってしても、毒のせいか紫の爪痕が残っていた。まだ少しだけ痛む。
「毒はつらいです」
「そうだな」
 ビーバーは十代の隣に座った。
「覇王様が万丈目さんのところにいてくれてよかったです。覇王様が見つからなかったら、ボクは今頃あの大きな猫さんのお腹の中だったかも」
「間に合ってよかったよ」
 十代はビーバーの頭を撫でる。万丈目の家に長居したことは悪いことではなかったか。悪いことどころか──毎日楽しくて、幸せで、だからいつまでもいたくて。
 でもそれは十代の感情で、万丈目はどう思っているのだろうか?
「覇王様、つらいですか?」
「ん? 大丈夫だよ」
「でも……」
 つぶらな瞳が十代を見つめる
「お前にまで心配かけたらよくないな。万丈目だって……」
「よくないことじゃないですよ。心配はない方がもちろんいいけど、でも大丈夫って嘘つくのは違くて、えーと……」
「うん?」
「心配かけないでほしいんじゃなくて、心配の本当の原因がなくなって覇王様に元気になってほしいです。覇王様がボクを心配してる時も同じ気持ちだったと思います」
「……そうだな」
 十代は、ビーバーが心配でも心配をかけないでほしいとは思わなかった。毒の苦しみや傷が癒えて元気になってほしいと願った。
 万丈目も──そう思ってくれただろうか?
「覇王様のつらい気持ちの本当の原因はなんですか?」
「つらい気持ちの原因っていうか……オレが勝手に悩んでるだけ。万丈目としばらく一緒に暮らしてるけど、迷惑じゃないかなとか」
「どうして? 何か迷惑なことをしてますか? ダムを壊しちゃったり?」
「ダムは壊してねーけど」
「御神木みたいな大切なものを壊しちゃったり?」
「してない」
「じゃあ、万丈目さんのとっておきのご飯を食べちゃったとか?」
「それもしてないな」
「だったら何が迷惑なんですか?」
「さあ……なんだろ」
 ビーバーに言われて気づいたが、具体的に何かあるわけではないのだ。漠然と──不安なだけだ。
「本当は嫌われてるかもとか」
「万丈目さんが? そんなことないと思いますよ。だって一緒に暮らしてるんでしょう?」
 ビーバーは首を傾げる。
「覇王様と万丈目さんって、兄弟とか、親子とかなんですか?」
「違うよ。ただの……」
 友達? かつてのレッド寮生? 十代は不意にわからなくなる。
「家族はともかく、嫌いなひととは一緒に暮らしませんよ。ボクは嫌いなひとならおうちに入れないです。家族じゃなくても大好きなひとはおうちに来てほしいです。一緒に暮らすほど大好きなら、いつか家族になれるかもしれません」
 家族。十代の頭には顔もおぼろげな両親が浮かぶ。やさしい人たちだと思う。でも、一緒にいる時間はあまり多くなかった。
「ボクはダム作りの修行して、いつか立派なダムとおうちを作って、大好きなひとと暮らせたらなって思います。万丈目さんは立派なおうちを作ってて、そこに覇王様と住んでるんですから、覇王様のこと大好きだと思いますよ」
 あのマンションは万丈目が作ったわけではない。家を自分で作るビーバー型の彼には万丈目が作ったように見えるのだろう。でも、万丈目が作ったわけではなくても家というのは大切な空間で、万丈目はそこに十代を入れてくれている──。
「……そうだと嬉しいな」
「そうに決まってます」
 ビーバーは無邪気に笑った。

にわか雨とビーバー④完」へ続く
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