完結済中編

にわか雨とビーバー②

 異世界にいると時間の感覚が少しおかしくなる。一日中明るい場所もあるし、逆に暗い場所もある。あちこち移動していたら日にちはよくわからなくなるし、そもそも時間にルーズな連中も多い。
 だから一年も経っていたなんてまったく思ってなくて、でもそんなに経っていたから最近調子が悪いんだなと納得もした。
 人間界にいる精霊が精霊界の空気(正確にはある種のエネルギー)を遮断されたら生きていけないように、人間が精霊界に長く居ることは難しい──厳密には「人間のままでいる」ことが難しい。精霊界にいる人間の身体は精霊界の空気や精霊界の物質の飲食によってだんだんと変質していくらしい。普通の人間ならば変質するにまかせてしまえば精霊界に適応できるようだが、十代の場合は既に人間と精霊の融合体であることと、不滅の器であるためにその変質から戻ろうとする力が働き精霊界に居すぎると不調を起こすのだとユベルは推測した。ユベルからは再三早く人間界に戻るようにと言われていた。
 しかしこの器が本当に不滅のものであるなら多少の不調は平気だろうと十代はたかをくくっていた。
 覇王の魂の宿る器はその力を覚醒させた時に不滅のものとなると古の伝承にあるという。確かに十代の身体は以前よりずっと丈夫になって、実体化したモンスターのエネルギー波を食らったってかすり傷で済んだりする。とはいうものの、基礎的な器が人間であることに間違いはなく、物理的な衝撃には案外脆い。アメコミの鋼の身体を持つスーパーヒーローみたいにはいかないようだった。
 いくら傷や不調が回復するといっても痛みはあるし、精霊と人間としてのバランスを崩すような不調は治るまでの時間もかかる──ということを十代はようやく理解し始めていた。
 十代は十七歳の頃に変質した器を未だ把握できていなかった。倒れてみてやっと限界を理解して、ユベルには呆れられて偶然居合わせた万丈目に心配をかけてしまった。
 でも偶然出会ったのが万丈目でよかったと十代は思う。もとから精霊が見えるから多少の変わり事には慣れているし、万丈目は十代を心配し過ぎない。馬鹿なやつだと呆れて、十代を助けようと自分の命をなげうったりしない。
 しかしさすがに今回は心配をかけすぎたようだった。目の前で倒れたりしたから仕方がない。十代は万丈目が心配し過ぎないことを期待していたが、心配されることも心地がいいと感じてしまっていた。万丈目が多少同情したのをいいことに、しばらく万丈目の家に居座ることができそうだった。万丈目のやさしさにつけこむことはよくないとわかっているけれど、万丈目のそばは居心地がいい。万丈目を好く精霊たちも、そう思って万丈目のそばに居たがるのかもしれなかった。
 しかし泊まらせてもらえることは嬉しくても、万丈目に迷惑をかけたいわけではない。
 夜になって、十代は万丈目がソファで寝ようとしていることに気づいた。
「昨日ソファで寝たのか? ベッド半分空けといたのに……」
「病人は遠慮なく使え」
「病人じゃねーって……もう結構調子いいし、今日からオレがソファで寝るよ」
「まだ本調子には見えんぞ」
「そりゃ完全に良くなったわけじゃないけど……」
 どうせ死にもしない──そんなことは言えないけれど。
「ベッド広いし半分ずつ使えばよくね?」
「落ち着かないだろ。とりあえず今週はお前がベッドで寝ろ。良くなったら来週オレがベッドで寝る」
 どうやら万丈目にとってはそこが妥協点のようだった。今週は十代が万丈目のベッドで寝ることになった。
 ふかふかのベッドは心地いいけれど、心には少し罪悪感があった。
「だから言ったじゃないか」
 魂の奥から呆れた声がした。ユベルの忠告に従っていれば防げたことだった。
「でも、実際やってみないとわからないだろ?」
 今回のことは学びも多かったと十代は思っている。一年以上精霊界に長居すると体調が悪くなるということは、一年以内なら問題がないということだ。今後は気をつければいい。
「そんなに弱ってよく言うよ」
「勉強代ってヤツだ……」
 十代は目を閉じる。勉強代が自分の体調だけなら安いものだ。未熟な十代の引き起こした惨事を思えば──。
 十代とユベルが引き起こしたことの傷跡は異世界のあちこちに残っていた。無理に繋げられた次元の修復、傷ついた村の復興、やるべきことはいくらでもあって、関係のない精霊たちの困り事でさえ十代はなるべく力になりたいと思っている。
 そんなことを考えて走り回り、結果的には万丈目に余計な迷惑をかけてしまった。無理はよくないというごく当たり前のことを再確認している。
 結局のところ、無理をするよりはほどほどにするのが一番なのかもしれない。そんなことを考えながら十代は眠りに落ちた。

◇◆◇

 十代が万丈目の家に来て四日経っていた。
 万丈目が寝室へ入ると十代はベッドの端で眠っていた。ファラオがベッドの真ん中を陣取っていた。ファラオのために場所を譲っているのだろうか。
 万丈目は十代を起こさないようにクローゼットから着替えを取り出した。昨日まで十代は朝に起きていたが、今日はまだ眠っていた。
 万丈目が家を出るまで十代は起きてこなかった。夜に帰宅すると、室内は真っ暗だった。玄関でファラオが万丈目を待ちわびていたように鳴いた。
「ファラオ、十代は……」
 口にして、猫が答えるわけがないと思い直す。十代の赤い靴が今朝と同じ場所に置かれていた。
 万丈目は寝室を見て、十代が今朝と同じように眠っているのを確認した。丸一日眠っていたのか、起きたがまた眠ってしまったのかは万丈目には区別がつかない。
 万丈目は猫にエサをやり、自分の食事や風呂、洗濯などを済ませた。その間も十代は起きてこなかった。
 昨日、明日はカレーにするとたくさん作っていたポトフは、ポトフのまま冷蔵庫に入っていた。十代は──丸一日眠っているのか?
 万丈目は心配になり寝室へ行った。十代は先程と変わらず眠っていた。
「十代」
 返事はない。少し──本当に生きているのか不安になった。
 探偵もののドラマを思い出して首筋を触ってみる。温かい。医師でもない万丈目には脈の取り方はよくわからなかったが。
「んあ……? まんじょーめ、おはよ」
 十代の目が薄く開いた。
「大丈夫か」
「すげーねむくって……万丈目、手ェ冷たくて気持ちいいな……」
 十代は万丈目の手を握って笑う。十代の手は温かい。
「暑いならアイス枕でもいるか?」
「おー……」
 十代はもにゃもにゃ何か言いながら再び眠ってしまった。口元はほころび、「間抜け面」というべき寝顔だ──死んでいるかもなんて不安を抱いたのが馬鹿らしくなった。
 万丈目はもうソファで眠ろうと思ったが、十代はしっかりと万丈目の袖をつかんでしまっていた。
「……おい十代」
 呼ぶが、十代は眠り込んでいる。万丈目は十代の手を開かせようとしたが、十代を起こさず袖を離させるのは難しそうだった。
 とすんとファラオがベッドに飛び乗った。ファラオは昨日と同じようにベッドの真ん中を陣取った。
 これでは誰がこのベッドの主なのやら──。
 万丈目はため息をつく。諦めてベッドへ横になった。丸三日ぶりのベッドの寝心地はかなりよかった。
 ソファは座るものであって寝床にするものではない──以前泊まりに来た十代は平気な顔で何日も寝ていたが。
 新しいベッドを買ってやろうか──どうせ洋室が一室余っている。狭い部屋だが、あいつならレッド寮にあったような大きさのシングルベッドだって喜ぶだろう。あの三段ベッドは固くて寝心地が悪かった……翔や剣山はうるさいし、精霊共も……。
 万丈目は、久しぶりにレッド寮の懐かしい日日を思い出した。
 暑い──と思って万丈目は目を覚ました。ファラオがぴったり万丈目の腹にくっついているし、昨夜十代に掴まれた袖、というか腕がうつ伏せに寝る十代の身体に押し潰されていた。熱源が二つも万丈目にくっついている。
「……暑いぞ、お前ら」
 ファラオは不服そうに身体の方向を変え、万丈目から少しだけ離れた。十代も目を覚ましたようだった。
「ん~? あれ、万丈目、こっちで寝たんだ」
「お前が人の袖を掴むからだ」
「マジ? って踏んでる? ごめん……」
 十代が動くと手に何かやわらかいものが触れた気がした──。
「……太ったか?」
「そんなに重かった?」
「いや」
 手は痺れている。万丈目は違和感を無視して起き上がった。十代も伸びをしながら起き上がる。
「でもすっごいよく眠れた。腕枕のおかげ?」
「枕なら高級すぎる、当たり前だ」
「プロの腕だもんな」
 十代は笑う。一昨日よりもずいぶん調子がよさそうに見えた。
「朝飯、昨日のポトフでカレーパンにしようか」
「昨日じゃなくて一昨日だぞ」
「ん?」
「昨日、丸一日寝てたが」
 マジ? とまた十代は目をぱちくりとさせた。
「あまり眠れてなかったか?」
「なんてーか時差ボケみたいな……精霊界と人間界のズレみたいなのが、やっとなくなってぐっすり眠れた感じ。丸一日は寝過ぎだけど。万丈目は?」
「ん?」
「万丈目はよく眠れた? オレはどこでも眠れるけど、お前はやっぱベッドのが眠れるんじゃないか」
「まあ──な」
 確かに昨日は万丈目もよく眠れた。
「じゃ、今日から交代な」
「だが」
「もう平気」
 十代は足取り軽く寝室を出ていった。ファラオもそれに着いていき、寝室には万丈目一人残される。
 引き留めればよかったか──なぜ? ソファの寝心地が悪いから? そんなことは以前からわかっていただろう。そもそも十代の具合が悪いからベッドを貸したのだ。もう元気になったなら、引き留める理由などない──。
 万丈目は何か納得できないまま身支度をしてリビングへ向かった。カレーのにおいがしていた。
「万丈目、ルーの賞味期限切れてたぜ」
 鍋の中身をかき混ぜながら十代は言った。
「おい、それなのに入れたのか?」
「別に変色もしてなかったし平気平気。においだっておいしそうだろ?」
 へらへらと十代は笑った。そもそもは万丈目が賞味期限を切らしたのだから怒るのはお門違いだろうか。用意されたカレーは特段おかしな味はしなかった。朝からカレーというのも妙な気分だったが。
「前の日のカレーで朝のカレーパンしないのか?」
「温めるのも面倒だからな。だいたいカレーパンって、普通は揚げたやつのことじゃないのか」
「うちはこれをカレーパンて呼んでたけどな」
 十代がカレーパンと呼ぶのはトーストにカレーを載せただけのものだ。
「次の日のカレーパンとかドリアとか、楽でうまくていいだろ」
 高校時代から変わらないような顔で十代はうまそうに「カレーパン」をかじっていた。案外と料理の手際のいい十代は、小学生の頃から軽い料理はしていたのだそうだ。両親が家にいなかったから──。
 別に、珍しいことではないのかもしれない。万丈目の幼少期を思い出しても、両親が家にいない日も多かった。ただ万丈目の場合、食事は専属の料理人が用意していたし、掃除や洗濯など身の回りのことはそうした雇い人が行っていた。それに兄たちが学生の頃は一緒に食事をすることも多かった。マナーや何かも厳しくされたが、大人になってみればありがたいものだ。
「今日、仕事遅いの?」
 十代は時計を見た。
「今日は休みだ」
「マジ? じゃ、デュエルしようぜ」
 嬉しそうに十代は笑った。デュエルをする元気が出てきたのはいいことだ。
「構わんが、いろいろ済ませてからだ。掃除もあるし、買い物も」
「買い物ってどこ? オレも行っていい?」
 十代はすっかり元気になったようだった。朝食後に万丈目の掃除を手伝い、共に買い物へ行った。いつもの制服を着た十代は、そのまま旅立ってしまいそうに見えた。万丈目の家にファラオを置いていかなければ、そのままふらりと消えてもおかしくないのではないかと──。
 しかし消えるどころか、ショッピングモールへと向かう道すがら、十代は欲しい食料品を並べ立てた。しばらくは万丈目の家へ居座る気のようだった。
 万丈目は、モールで寝具コーナーへ寄った。ベッドのパンフレットをいくつか手に取った。
「ベッド買い換えるのか?」
「いや、空いてる洋室に」
「へえ。誰か泊まりに来るのか?」
 お前のだろうが──と思ったが、口にはしなかった。いつまでいるかもわからない十代のためにベッドを買うのはおかしくないだろうか? 思えば十代以外が泊まることはあっただろうか? これからあるのだろうか?
「……まあ、考えているだけだ」
 その後必要なものを買い回った。二人はそれぞれに服を買った。十代は借りてばかりだからと部屋着を買っていた。食料品と日用品に加え、ファラオ用のエサとトイレと猫砂を買い、十代が財布を出した。とりあえず自分に関係するものは出したいと十代は言った。十代は少ないが世話をしてくれた礼だと万丈目に昼食を奢った。
 十代に財布を出されるのは妙な気分だった。思えば学生時代には万丈目と十代に金銭のやり取りなど発生しなかった。
「お前金あるのか?」
「あるから出してるじゃん」
「収入源はどこ──というか、何してるんだ?」
「んー? いろいろ」
 十代は笑うが、万丈目は真面目に心配している。世界や異世界をふらついている十代が、いったい何をしているのか万丈目は知らない。
「……変な顔すんなよ。インダストリアル・イリュージョン社と海馬コーポレーション。お前がオレにカードが消える事件を頼んだみたいに、精霊の調査とかいろいろ頼まれ事」
 十代は声の調子を落とし、小さな声で答えた。精霊関係となれば人前であまり大声で言えないのだろう。
「あとデュエルモンスターズのインストラクター。ちゃんと資格も持ってるよ。連携店は世界中にあるからな」
 十代は一段落声を明るくした。つまり、精霊調査に世界中を回る口実としてインストラクターということになっているのだろう。
 家に帰って、さっそく猫用のトイレを用意してやる。これまで十代の用意した空き箱に紙くずを入れたものを使っているが、きちんとしたものがある方がいいだろう。本人ならぬ本猫がどう思っているかは知らないが、万丈目の選んだトイレをファラオは特段文句も言わずに使った
 夕食は惣菜コーナーで買ったコロッケを入れたカレーライスだ。万丈目はなぜカツでなくコロッケなのだと思ったが、案外おいしかった。
 その夜、十代は今朝言った通りソファで寝ることになった。万丈目が寝室へ入ると、ファラオはベッドの真ん中にいた。
「おい、飼い主と寝ろ。ここはオレのベッドだ」
 ファラオは万丈目を無視した。ファラオには残念ながら、万丈目は十代のように猫のためにベッドの端へ寄ってやろうとは思わない。ファラオの丸い身体をずらして万丈目がベッドの真ん中に寝た。移動させられたファラオは抗議するようにどすんと万丈目の足にもたれかかった。
「なんだデブ猫」
 ファラオは毛づくろいを始めた。まるで万丈目の言葉など聞く気はないとでも言いたげだ──そもそも猫に人間の言葉がわかる気はしないが。
「……夜中に蹴るかもしれんぞ」
 そう忠告してから万丈目は眠った。

◇◆◇

 その人間は──「人間型をしたもの」は、人間と精霊の混ざりあった異様な気配がしていた。同時に、精霊にとってとても魅力的なやさしい闇の気配と、おそろしく冷たい覇気を持っていた。
 かつていたダムの仲間たちにのろまだ鈍感だと言われた彼にもその人間型のものが噂に聞く覇王であろうことはすぐにわかった。
「御神木みたいなのを探してんだよ」
 覇王の探し物が昨晩自分がかじり倒した木のことであるのはすぐにわかった。覇王の持っていた木の欠片のにおいにはよく覚えがあったのだ。
「お守り作りに使う大事な木なんだと。返してくれないか」
「ええ、はい、もちろん。わざとじゃないんですよ」
 噂に聞くよりも覇王はずっと穏やかで、彼の失敗を責めることはなかった。
「これ、キミが作ったのか?」
「ええ、はい。不恰好ですが」
「結構悪くない池だよ」
 覇王と同じ気配のする精霊──ユベルが言った。ユベルもまた、噂では一時期十二次元を無理矢理繋げたと聞く。あの頃はいろんな次元が繋がってしまい川を探すのが大変だったことを覚えている。
 ユベルの配下らしい花の精霊が青青とした葉っぱの船で気持ち良さそうに溜め池に浮いていた。
「サクリファイス・ロータスは気に入ったみたいだな」
「ダムはうまくいけばいろんな精霊たちが集まってくれるんです。ボクも両親や他の兄弟みたいにみなさんの役に立つダムを作りたいんですけど……」
 残念ながら彼の作るダムはあまり出来がよくない。ダム作りは下手だしいつも失敗ばかりだ。だから修行の旅をしている。そのことを話すと「えらいな」と覇王は笑った。
「オレも修行はしてないけど旅はしてるんだ。失敗もするし、うまくいかないこともあるよ。キミの失敗はまだ取り返しがつく。木を村に返しに行こうぜ」
 覇王は噂とは全然違っていた。やさしい闇の気配が心地よく、彼を慰めてくれた。
 しかしその後、彼はダムを決壊させてしまい、いろいろとあったのだが──なんとか覇王に聞いた村へと盗んでしまった木を返しに行った。
 村の住民たちは、わざとでないのならとあまり彼を責めなかった。
「それより──よく無事だったね。覇王をダムの決壊に巻き込んだなんて、下手をしたらキミは消し飛ばされていたかもしれないよ」
「えっと──覇王様、やさしかったですよ」
「じゃ、今日は機嫌がよかったんだ。なにせしばらく前には、そこら中の精霊が異次元送りにされたんだから……」
 彼は村の住民が言う覇王軍の侵攻をよく知らなかった。そこら中で噂になっていたから、事実ではあるのだろう。覇王の隣で感じたやさしい闇と真逆のおそろしく冷たい覇気のことを思い出した。

にわか雨とビーバー③」へ続く
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