完結済中編

にわか雨

「あ、お父さん? 年末帰ろうと思うんだけど」
 息子からの突然の電話だった。中学卒業後、全寮制の高校へと入学し、高校卒業後はそのまま帰ってこなかった息子だ。以前から伝えられていた電話番号からの電話だから、詐欺ではない。
「なんかさあ、万丈目が会いたいって言うから、日程合わせたいんだけど」
「まんじょうめ──サンダー?」
「そう」
 プロデュエリスト万丈目サンダーは、十代の同級生だ。学生時代にデュエルした映像がテレビで放送されたことが二回もある。
 十代は万丈目氏と同棲しているようだというのは、数年前から届くようになった年賀状で知ってはいる。差出人欄に住所と共に「万丈目様方遊城十代」と書かれていたのだ。
 それだけで同棲と断じたわけではない。妻が返信に次からは十代の写真を送って欲しいと書いたら、十代は翌年素直に自分の写真つきの年賀状を送ってきて、その左手の薬指には指輪がはまっていたのだ。どうやら自宅──この自宅は万丈目氏の自宅でもある──のリビングで飼い猫と共に撮ったラフなもので、両手で猫を持ち上げる十代を撮影したのは万丈目氏であろう。三が日を過ぎて届いたそれは、忘れっぽい十代が慌てて写真を撮ってもらい送ってきたのだろうと想像できた。さらに次の年からはきちんと写真を用意するようになり、水族館やテーマパークなどを背景にした写真の年賀状が元旦に届くようになった。やはりそれも万丈目氏が撮影してくれているようで──つまりはデート中に撮影したのだろう。
「いつなら会えそう?」
「あ──ああ、お父さんたちは二十七日から休みの予定で……」
「二十七からだって」
 十代の声が少し遠くなった。十代以外の誰かの声が少し聞こえる。これは──万丈目氏と話しているのか?
「二十八日でいい?」
「あ。ああ」
「昼? 昼過ぎ? 二時とか」
「わかった、二時だな。その、それは──スーツとか着た方がいいやつか?」
「スーツは着なくていいと思うけど」
「いや、だって、その」
 息子さんをボクにください的な──。
「なに? あーちょっと代わる」
「えっ」
「──突然のお電話失礼いたします。万丈目と申します」
「ハい──」
 少し声が裏返った。息子の彼氏と話すなど生まれて初めてである。しかも相手は有名なプロデュエリストにして万丈目財閥の御曹司、普通ならば電話することなど一生なさそうな相手だ。
「息子さんとお付き合いさせていただいておりますので、一度ご挨拶に伺いたいと思いまして──」
 万丈目氏ははきはきと喋るのに対し、私は情けないほど緊張し何度か言葉を噛んだ。とりあえずスーツでなくていいらしい。挨拶するだけで長居するつもりもないので気遣い無用であると言われた。十代に電話が戻される。
「お母さん電話繋がらなかったからそっちから報せといて。あ、ケーキ買ってくからそっちでなんか用意とかしなくていいから。新しくできたケーキ屋うまくて」
 十代は数年ぶりの電話にも関わらずリビングで雑談でもしているような調子である。
「あとオレ正月まで泊まるから猫も連れてく」
「あ──ああ、わかった」
 じゃあまたね、と十代は電話を切った。

◇◆◇

 十代が育ったという町は、都会とも田舎とも言い難いように万丈目は思った。駅周辺はよく栄えているが、少し離れれば田畑がある。
 十代の両親への挨拶のために来たが、遊城家へ行く前に少し町を見たいと車を走らせている。十代は窓から見える景色に覚えがあればそれを万丈目に話した。
「あれ中学ん時に通ってた塾」
 十代は小さなビルを指差した。新入塾生募集の旗が立っていた。
「デュエルアカデミア行きたいって言ったら、結構厳しく教えてくれた。おかげで百十番」
「そのおかげで滑り込めたわけか」
 そう、と十代は笑った。
 受験番号百十番。筆記試験最下位に近い成績だったが、実技試験でクロノス教諭に勝利した。もう十年近く前のことだ。
 あの頃はあんなにいけ好かないと思ったのに。
「あの先生まだいるのかな? あの頃も結構おじいちゃんだったから引退しちゃったかなー。そうだ、神社行ってみるか? 学問の神社で、塾のみんなで一緒に行ったんだよ」
 十代は懐かしそうに笑った。運転手に神社の場所を説明し、久しぶりに来た故郷の町並みを眺める。
「ちょっとマンションとか増えたと思うよ。道もきれいになって──あ」
 十代は何か見つけたようだった。
「あの、すみません──ちょっと止まってくれませんか。今通り過ぎた公園、知り合いがいたかも」
 車を止めさせて公園へ向かった。公園では三十代くらいの男性と三、四歳くらいの子供が砂場で遊んでいた。今日は曇り空だからか、まだ新しそうな公園にはその二人しかいなかった。
「オサム兄さん──」
 十代は男性に声をかける。男性は不思議そうに十代を見返した。自分たちより少なくとも十は上だろうかと万丈目は思う。
「あの、遊城十代です。小さい頃お世話になった──」
「あ、十代くん? 大きくなったねえ」
 男性は十代を思い出したようでにこりと笑った。
「ええ──その子は息子さん?」
 男の子は十代をちらと見ただけで砂遊びに夢中になっていた。
「一番下の子でね。上の二人は女の子で奥さんとショッピング」
「そうなんですか。年末で帰ってこられたんですか? 引っ越されたって聞きましたけど」
「ああ、リハビリに通ってた先で会った人と結婚してそっちにね。十代くんは?」
「今は東京の方に」
「キミも結婚を?」
 オサムはちらと万丈目を見て会釈した。
「まだなんだけど……」
「万丈目と申します。今日ちょうどご両親にご挨拶に伺うところでして」
 オサムは名乗り返し、万丈目の顔をまじまじと見た。
「あの、間違ってたら失礼ですが──万丈目サンダー?」
 万丈目が肯定するとオサムは驚き、プロに会ったのなど初めてだと笑った。
「いやよくテレビで見てます──こんなすごい人といったいどう知り合ったんだい?
 オサムは十代に訊ねた。
「デュエルアカデミアの同級生」
「同級生? ……あれ、十代くんいくつだっけ」
「二十四かな」
「そんなだったかい? ああでも──そうかあ。じゃあキミの面倒を見てたのって、もう二十年近く前なんだね。小学生になったばかりだっけ。あの頃は少し身体が弱くて──今は元気かい?」
「ええ。オサム兄さんこそ、倒れてから大丈夫だったんですか?」
「ちょっとリハビリは大変だったけどねえ。でもそこで同じくリハビリに通ってた奥さんと出会ってね。人生わかんないもんだね」
 オサムはおかしそうに笑った。
「お元気そうでよかったです、本当に」
「十代くんもね」
「お会いできてよかったです、オサム兄さん」
 十代はオサムに深く頭を下げて別れを告げ公園を後にした。車へと戻る前に十代は立ち止まる。
「……あの人、昔オレとデュエルして倒れた人」
「ああ」
 なんとなく察しはついていた。
「本当に……元気そうでよかった」
 十代は大きく息を吐いた。
「……昔、身体が弱かったのか?」
「ん? まあ──子供の頃は検査とかでよく病院行ったりしてたな」
 元気すぎるほどの高校生だった遊城十代からは全く想像もできない。
「産まれた時に一回心臓が止まったらしくて、思えばオレは──その時に入り込んだのかもしれない。死んだ赤ん坊に覇王の魂が入り込んだのかもって──たまに思う」
 十代は自分の心臓のあたりを撫でた。もはやヒトのものではなく、きっと永遠に止まることのない心臓──。
「……ごめん、変な話したな」
「不安なのか? 本当は息子じゃないかもしれないことが」
「……逆で、そうならいいのにと思ってる。本当の遊城十代はちゃんと人間で──オレなんかが本当の子じゃない方が」
「そういうのはご両親に失礼だ」
「へ?」
 十代は大きな目を見開き万丈目を見返した。
「まだ会ったことはないが、話を聞くにご両親はお前のために手を尽くしている。もし仮にそんな魂の入れ違いのようなものが起きるのだとして、お前から見てご両親は自分の子の魂と違うからと赤ん坊を見捨てるような人たちか?」
「違うけど、知らないんだから騙されたようなもんだろ」
「滅多にはないだろうが赤ん坊の取り違えは起きないことじゃない。お前がそんな取り違えた子供だったとして、騙したなと憎んだり、こんなドロップアウトボーイがうちの子じゃなくてよかったと安心したりするような人たちなのか」
「……確かに失礼だな、そりゃ」
 十代は苦笑いした。
「……大事に育ててもらったよ。でも普通の人間だったら迷惑かけなかったっていつも思う」
「大なり小なり──子供は親に迷惑をかけるものだ。オレだって、学生の頃はいい迷惑だったと思うぞ」
「お前が?」
「万丈目の三男坊がレッド寮なんて、当時はかなり世間体が悪かったろうさ。だが今となっては笑い話だ。なんなら親父は今頃あの挫折があったから息子はキングになれたとか吹聴してるかもな」
「お前のことは親御さんも誇らしいさ。オレと違って──」
「阿呆。だから、お前のおかげでキングになったという話をしてるんだろうが。ここまで言わなきゃわからんか?」
 え、と十代は目をぱちくりさせた。
「ブルー寮のトップがレッド寮のドロップアウトボーイに負けたなんてオレの人生の汚点だが、下に落ちたからこそ這い上がろうという気概を持てたのも事実だ。お前がはた迷惑なドロップアウトボーイだったのは事実だが、オレを含めてお前に影響されてプロになったりしたのが一人や二人じゃないのも事実だろ。さっきのオサム兄さんだって、お前のせいで倒れたのは事実だが、その結果リハビリ先で奥さんに出会って子供もいるんだろ。良くないことがきっかけでも、そういうことも起きる。お前は悪い面だけを見すぎだ」
「……ありがと」
 十代はようやく少し微笑んだ。

◇◆◇

 あっという間に年末は来て、十代と万丈目氏と猫が自宅に来た。十代は年賀状で見たとおり年がら年中デュエルアカデミアの制服を着ていた。万丈目氏はファッション紙のモデルのように洒落た姿だった。テレビで見た通りに顔がいい。私たちと万丈目氏が緊張しながら挨拶をする中、十代だけが微塵の緊張感もなく猫に水をやってくるとさっさと台所に行ってしまった。万丈目氏をリビングへと通す。
「なんというか──マイペースな子で」
「ああいうおおらかなところが十代くんの美点だと思います」
 緊張感がないことをおおらかと表現すればそれなりに聞こえるものだ。
「先日ボクの家族に会ったときもそう緊張はしなかったようで」
「もうそちらへご挨拶に行ったんですか」
 妻が驚いて聞き返す。私も初耳である。
「ええ──十代くんは何も?」
「年賀状くらいしか寄越さないもので……」
 万丈目氏は少しだけ困った顔をした。そこまで連絡を取っていないとは思わなかったのだろう。情けない話だ。
「ああ、年賀状といえば、いつも十代の写真を撮ってくださってるようで」
 話題を変える。万丈目氏は微笑んだ。
「ええ、出掛けた時にはなるべく──十代くんはあまり写真が好きではないみたいなんですが、年賀状だけはと」
 写真が──嫌いだったろうか? そんなことすら親なのにわからない。
 リビングへ猫と共に十代が入ってくる。猫は床や家具のにおいをかぎながら歩き回る。
「ねーお茶って場所変えたの」
「ああ、私がやるから、十代は座ってなさい」
「ケーキ買ってきた。チョコの」
「はいはい」
 妻が十代と入れ替わりに台所へ向かった。十代が万丈目氏の隣に座る。身長は万丈目氏が少し高いだけだが、顔立ちは十代の方がかなり幼いように見えた。同い年だというのに、十代の方はまるで高校生だ。確かもう二十半ばなのだが。
 猫が私の足元に寄ってきた。
「猫は万丈目さんの飼い猫なんですか?」
「いえ、十代くんの」
「元はレッド寮で飼ってたんだけど、オレが旅に出る時についてきた。ファラオっての」
 なかなか御大層な名前がついている。どっしりとした体格でボス猫のような風情があるから似合っている気もした。
「え、飾んの年賀状」
 十代は写真立てに目を留めた。十代からの年賀状を飾っているのだ。
「写真ないから」
「え~……まあいいか……あ、これ来年の年賀状」
 十代は鞄から年賀状を取り出した。馬と十代が映っている。
「乗馬行った。馬って乗るの難しいのな。鳥の方が楽」
「鳥?」
「万丈目は馬乗るのうまかった」
 私の質問は無視された。鳥を深掘りしても仕方ないので馬の話をする。
「乗馬のご経験が?」
「ええ、子供の頃に少し」
「普段忘れてるけどオンゾーシなんだよな」
 御曹司──よもやそんな肩書きの人間と不肖の息子が結婚だなんて、いまだに信じられない。
 妻がお茶とケーキを持ってくる。ケーキは十代が電話で言った通りチョコレートのケーキで、二人の住むマンションの近くに最近できた洋菓子店のものだそうだ。上品な味がした。
「二人はその──高校生の頃から?」
「同じレッド寮だったよな」
「正式には卒業後に……二十歳の頃から一緒に暮らし始めまして」
「年賀状届くようになったの、その頃からですものねえ。十代は昔から言わなきゃ書かないものだから」
 妻が言った。十代は先程の年賀状を示す。
「今も万丈目に言われて書いてる。これ来年の」
「持ってきてくれたの。乗馬でもしたの?」
「うん。難しいけど楽しかった」
「これはどこか旅行に?」
「ボクの親戚に馬が好きな人がいまして──」
 なんでも馬が好きで牧場を持っている親戚の別荘に遊びに行ったらしい。相手方のご両親だけでなく万丈目財閥の親類にまで十代を紹介済みなのである。御曹司の気まぐれで付き合っているわけでもないのだろう。
「すごいですねえ。こちらの写真も万丈目さんが?」
「はい」
「いつも楽しみにしているんです。この子の写真あまりなくて」
「では、よければこちらを。十代くんの写真を入れてきました」
 万丈目氏はUSBメモリをくれた。妻は早速ノートパソコンを持ってきてその写真を見る。
「いろんなところに行かれてるんですね」
 妻が感心したように言った。ずらりと並ぶ写真──年賀状で見た水族館やテーマパークだけでなく、博物館や寺社、花見や紅葉狩りに行ったらしい写真もある。十代はどの写真でもにこにこと楽しそうに笑っていた。
「本当に楽しそう。でもあまり二人の写真はないんですね」
「万丈目が撮ってばかりだもんな。そもそもいつも顔隠してるし」
「ああ、有名人だから──大変ですね」
 私には有名人の生活などまるで想像できない。
「プロのお仕事はやっぱりお忙しいですか?」
「そうですね、ありがたいことに」
「明日からアメリカだっけ」
 十代が言った。
「ああ、それはお忙しいところに……」
「いえこちらこそ、十代くんからお二人はお忙しいと伺ってまして……本当はもっと早くにご挨拶できればよかったのですが、年の瀬に押し掛けるようなかたちになってしまい申し訳ありません」
 十代と違って万丈目氏は本当にしっかりしている。十代は向こうの親御さんにこんな風にきちんとできたのだろうかと少し心配になってしまった。
「最近は私もお父さんも結構休めるようになってきましたけどねえ──十代が子供の頃は本当に、年末年始もろくに休めなくて……十代には悪いことをしたね」
「え? 別に──大丈夫。気にしないで」
 母親から急に水を向けられて十代は気まずそうにした。昔からこういうときには大丈夫と言ってそれ以上何も言わない。
 たぶん十代は「聞きわけのいい子供」だった。幼い頃にはよく泣いたりそれなりにわがままも言っていたと思うが、いつの間にか──。
 十代の視線が宙を泳ぐ。私には何も見えないが、十代の視線はまるで小さな虫か何か追いかけるようにしっかり何かをとらえている──幼い時分にもよくやっていた仕草だ。
「ごめん、ちょっと出てくる。たぶんすぐ戻るから」
「十代──」
 十代は立ち上がるとこちらの返事も聞かずにリビングを飛び出した。玄関ドアが慌ただしく開閉する音が聞こえてきた。
「申し訳ありません、昔からそそっかしい子で……」
「失礼ですが、万丈目さんはあの子の事情をどのくらいご存知ですか?」
 ごまかそうとした私と違い、妻は単刀直入に言った。
「事情といいますと──精霊のことでよろしいですか」
 万丈目氏は先程までの如才ない笑顔から一転、真剣な顔で妻を見返した。
「そうです。今のも」
「精霊に呼ばれたようですね。お二人は──見えない方──でしょうか」
 それまでそつなく話していた万丈目氏は初めて言葉を迷わせた。
「見えません。万丈目さんは」
「見えます」
「ユベルの──ことは?」
「ユベルが過去にしたことを知っているか、という意味ですか?」
「それもですが──あの子が在学中に問題を起こしたと聞いています」
 万丈目氏は少し考える。
「過去のことは十代くんから聞きました。在学中のことは──ボクも当事者といえます」
 十代がデュエルアカデミア在学中に数数の事件が起こったと聞くが、私たちはユベルが関わったらしいということ以外、詳しいことは知らない。
 噂によるとカードの絵が消えてしまったとか、デュエルアカデミアの島に巨大なクレーターができて校舎が消え、多数の生徒が音信不通になったとか、世界中の人間が同時多発的に白昼夢を見ただとか……。
「ならば──あの子が普通でないことは承知の上ということですか」
「はい」
「そうですか。少し──安心しました。あの子のことだから、何も話していないのではと心配したんです」
 妻は微笑んだ。万丈目氏も緊張していた表情を少しゆるめた。
「精霊はボクも見えますから──しかし十代くんと違って、あくまで見えるだけ、といいますか」
 万丈目氏は少し視線をさ迷わせた。もしかしたら、そこに精霊がいるのかもしれない。
「見えるだけで──平凡な人間です。以前のようなことがまたあった時にボクでは役に立てないかもしれませんが、できる限りのことはしたいと思っています」
 プロデュエリストにして万丈目財閥御曹司は平凡と言い難いが──おそらくそんな「人間の基準」ではないのだ。精霊に選ばれるということは。
「何か──他にもご心配なことはありますか? これから長いお付き合いになると思いますし、遠慮なく仰ってください」
「その──万丈目さんのご実家は立派な家柄ですから、あの子では釣り合わないというか──うちはこんなですから十代が選んだ相手ならと思いますが、そちらのご両親は──」
 聞きにくいことではあったが、非常に気になる部分ではあった。万丈目氏は少し考えてから答える。
「正直なところ、手放しで賛成されたわけではありませんが──結婚したければ十代くんとデュエルをするように父から言われまして」
「デュエルですか?」
「昔──十八になった頃でしたか、父に見合いをすすめられて自分よりデュエルの強い人ならという条件を出して断ったんです。ボクが負けたらその人と結婚する、ボクが勝てば結婚相手はボクが自由に選ばせてもらうと──以前自分でそう言ったのだから十代くんとデュエルしてみせろと」
 どちらが勝っても結果は同じ──それでも万丈目財閥の長としてデュエルの結果だから仕方ないという体裁を取ることが必要だったのだろうか。
「どちらが勝ちました?」
 妻が訊ねた。
「十代くんが。父にはキングになったのに情けない、これからも十代くんに鍛えてもらえと──その後父も十代くんとデュエルしたりして、十代くん個人に対しては好感を持ったようでした」
「お父様もデュエルをされるのですか?」
「最近社交のためにも始めたそうです。それで、十代くんはデュエルを教える仕事もしてますから」
「あの子はそんな仕事をしてるんですか?」
 思わず聞き返し、万丈目氏は少し驚いた顔をした。
「あ、すみません。あの子は卒業してからろくに連絡もよこさなかったもので……情けない話ですが、何をしているのか知らなくて」
「いえ──ええと、十代くんはデュエルモンスターズの正式なインストラクター資格がありますから、方方で教える仕事はしているようです。詳しくは十代くんに聞かれた方がいいかと」
「そう──ですね。早く戻るといいのですが」
 私は窓の外へと目をやった。いつの間にか雨が降り始めていた。

◇◆◇

 最悪だと思う。暴れる精霊をなだめて、怪我をして、にわか雨に降られて。
 ──まあでも、雨で血は流れてきれいになるか。
 アスファルトに落ちた血も少しは目立たなくなるだろう。
 十代は拾ったカードをデッキケースにしまった。
 見通しの悪い曲がり角、その近くの街路樹の間にこのカードは挟まっていた。
 このカードの持ち主は少年で、ここで交通事故に遭い──おそらくは亡くなった。それが寂しさと悲しさのあまり暴れる精霊から伝わってきた記憶だった。今その精霊は十代の魂の中で眠っている。傷が癒えたら精霊界に帰してやるつもりだ。
 街路樹の細かい枝の隙間に入り込んだこのカードがどれだけの間ここにあったのか、十代にはわからない。「事故多発注意」の看板は角が錆びていた。それが少年の交通事故の後に立てられたのか、前からあったものかもわからない。
 十代がいる間に一度も車は通らず、歩行者も車を運転する者も油断しやすい道なのかもしれない。交通事故は日常のすぐ隣にあって、あっという間に人の命を奪ってしまう。かつてユベルが利用したコブラの息子もそうだった。車は便利だが、一歩間違えば惨事を招く。
 十代も数年前に交通事故に遭った。その日もこんなにわか雨だった。

 夜だった。翔と万丈目と十代で、せっかく全員成人したのだからと酒を飲んでいた。確か十月頃だ。
 二十歳になった翔はすらりと背が伸びていた。兄さんには追いつけなかったよと笑う翔はすっかり大人びて見えた。
 居酒屋で酒と話を楽しみ、帰る方向の違う翔と別れた。翔に「またうちにも来てよ」と言われて、もちろんだと答えた。そろそろ万丈目の家に長居もし過ぎたし潮時だろうと思っていた。
 その帰り道ににわか雨に降られて、万丈目は用意していた折り畳み傘に十代を入れてくれた。
 小さな折り畳み傘に大人二人が入るのは狭かった。いつもより近くなった距離で見た万丈目の横顔は普段よりも神妙に見えた。真横に並ぶと万丈目の背が以前より少しだけ高くなったことを改めて感じた。
 なあ十代、と呼ぶ声はいつもより静かで、傘に当たる雨の音に消されないように十代は耳をすました。
「……これからもうちに住まないか。空き部屋もあるし、そこをお前の部屋にしたらいい。オレはこれからも──」
 万丈目の言葉を聞き逃さないようにとしていた十代の耳は不穏な音を聞きつけた。乗用車が十代と万丈目の方へと突っ込んできた。十代は万丈目を突き飛ばした。次の瞬間には全身に衝撃と痛みが走った。
 濡れたアスファルトのにおいと鉄のにおいが混ざって不快だったなと十代は思い出す。でもその時の十代にはそんなものよりも万丈目の安否が気にかかっていた。
「万丈目! 大丈夫か!」
 万丈目は尻餅をついていたが無事のようだった。幸いにも──あくまで十代にとって幸いにも、道は暗く目撃者は運転手と万丈目だけだった。しかもその運転手は事故後に気絶していた。
「十代──」
 ごまかしがきかないのは万丈目で、呆然とする彼に十代は己が不老不死であることを話さざるを得なかった。突然なんだとか馬鹿なことを言うなとか怒るかもしれないと思っていたが。
「だから──お前は爪も髪も伸びないのか」
 万丈目にとって、十代が不老不死だという話は「疑問の答えを確認した」ものに過ぎないようだった。
「気づいて──た?」
「気づくというか──少し気になっていた。一緒に暮らしてればな」
 万丈目は再び十代に傘を差した。爪だの髪だの十代は気にしたことがなかった。そんなことで気づかれるなど思ってもみなかった。
「お前が普通じゃないのは今更だ。それより、治るといっても痛みはあるんじゃないのか」
「まあ……」
「それに治るだけで鋼鉄の男とはいかないわけか」
 万丈目は自身のハンカチで十代の顔の血を拭った。十代は慌てていて血が流れたことさえ忘れていた。
「汚れる──」
「洗えばいい。服は──破れは直っても汚れはそのままか」
 万丈目は十代に傘を持たせると自分の上着を脱いで十代に着せた。服に染みた血を隠すためだ。十代が汚れると言ったら万丈目はやはり洗えばいいと言った。
「……オレたちは突っ込んできた車を見ただけ、それでいいな?」
 万丈目はそう確認してから警察と救急に電話をかけた。到着した警察官に万丈目は率先して目撃者として嘘を伝えた。目を覚ました運転手は人をひいてしまったと言ったが、暗くて見間違えたのだろうと判断された。車にひかれた相手がピンピンして嘘の目撃証言をしているなどという非常識なことを警察官が疑うことはなく、十代と万丈目は連絡先を聞かれただけですぐに解放された。
 帰路を再び歩き出し、万丈目はとんだ邪魔が入ったとため息をついた。
「それで──これからも一緒に暮らしたいという話だが」
「そりゃ、住まわせてくれるのはありがたいけど」
「オレとしては結婚を前提にしたいんだが」
「結婚?」
「すぐには無理だが、何年後かには」
 その時の十代には万丈目の言っていることがよくわかっていなかった。いずれ結婚するからそれまで十代が家にいてもいいという話なのだと思った。
「ふうん。やっぱ明日香と結婚すんの?」
「……は? 何を言ってるんだお前は」
 それまで静かだった万丈目の声が怒気を含んだ。なぜ怒ったのかわからないまま十代は万丈目を見返した。万丈目は少し怒った顔から、少し気まずそうな顔になった。
「……いや、天上院くんとオレは何もないんだ。好きだったが……フラれて」
「あー……残念だったな」
「それはともかく、今はお前の話をしている。オレと結婚を前提に付き合ってくれないかと──そう言ってるんだ」
 いくらお前でもこれならわかるだろ、と万丈目は恥ずかしそうに言った。

 にわか雨。濡れたアスファルトと血のにおい。気分のいいものではないが、あの日を思い出せばそう悪くないと十代は思う。
「……戻らないと」
 十代は自宅へと急ぐ。両親になんと言い訳したものか。
 黒地とはいえ服に血が染みていた。濡れたから着替えると急いで自室に向かえば気づかれないか? 万丈目に両親がリビングから出ないように引き止めてもらって──。
「……ケータイねーよ、馬鹿」
 慌てて飛び出したから携帯電話など持っていない。バレないことを祈るか適当にごまかすしかないだろう。
 そう思ったのに、玄関にはタオルを用意した母が待ち構えていた。
「あー……ただいま」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと降られたけど。ありがと」
 十代は笑顔を作って母の差し出すタオルを受け取った。とりあえず顔と髪を拭く。
「怪我したの?」
「へ」
 白いタオルには血がついていた。どこだ。頭か。そういえば少し打ったのだったか。服の汚ればかり気にして、黒いから見えないと思っていたのに。
 心臓が早鐘をうち胃が緊張で気持ち悪くなる。ごまかさないと。何を言えばいい。
「頭打ったの?」
「だいじょうぶ」
「でもそんなに血が出て」
「だいじょうぶ──」
 タオルは汚れたが、血なんかもう出ていない。とっくに傷は治っている。
 どうしよう。気づかれたくないのに。
 人間じゃないだなんて。
「手当てしないと──とにかく上がって一旦傷見せて」
「大丈夫。本当に怪我してないから」
「血が出てるじゃない」
「タオル汚してごめん。新しいの買うから。オレ──家汚れちゃうから帰る」
「何言っとるの」
 母の声が少し訛る。昔から怒ったりすると少し方言が出る。十代は母の故郷をよく知らない。父もそうだ。二人ともそんなことをあまり話さないし、どちらの祖父母も早くに亡くなったようだった。母方の祖母は十代が一歳頃に亡くなって、赤子の十代を連れて病院に見舞いに行くと孫を見て喜んでいたのだと聞いた。
「ここもあんたの家。ええから上りゃ」
 少し視線を上げれば、自分と同じ茶色の瞳がまっすぐに十代を見ていた。小さな頃は母に似ているとよく近所の人に言われたものだったか、と十代はぼんやり思い出した。
「大丈夫か」
 万丈目の声がした。リビングから父と共に様子を見に来たようだ。
 十代は、万丈目にこの身体のことを知られた時はそれほど怖くなかった。万丈目はデュエルアカデミアにいた頃さんざん不思議なことに巻き込んでいる。不思議なことが一つ増えても大丈夫だろうとどこかで思っていたのかもしれない。
 でも両親に知られるのは怖い。ユベルの記憶を消されてから十代は一時的に精霊が見えなくなった。両親にとってはその方がよかったのかもしれないと思う。「普通の子供」でいる方が──いや。
 そういうのはご両親に失礼だ──と言った万丈目の言葉を思い出した。
「……とりあえず着替えていい?」
 十代は覚悟した。いずれ隠しきれなくなることは予想していた。こんなにも早くなるとは思っていなかっただけで。
 両親と話すのは苦手だ。でも、逃げずに向き合わなくてはならない。

◇◆◇

 戻ってきた十代は怪我をしていたようで、雨に濡れた髪を拭いたらしいタオルには血が染みていた。しかし妻が頭を調べてもなんの怪我もなく、十代本人も怪我はないと言った。
 十代は一度風呂場に行って頭の血を洗い着替えて再びリビングの椅子に座った。中学生の頃に着ていた服は少しサイズが合っていないようだった。トレーナーにスウェットのパンツというラフな格好で万丈目氏と並ぶと十代はますます子供のように見えた。
「なんてゆーか……不老不死、みたいな」
 言葉も子供っぽく──もしかしたら十代は、つとめてこの家にいた頃のように振る舞おうとしているのかもしれない。
「何から話したらいいのかよくわかんないんだけど。そもそも宇宙は闇から生まれて……別に精霊の創世神話とでも思ってくれていいんだけど」
 視線をさ迷わせながら、十代はなんとか自分にまつわる物事を説明しようとした。十代は何度も言葉を迷わせ、話があっちこっちに飛んだりした。万丈目氏は幾度も何か言いたそうな顔をしていたが、十代が語るにまかせていた。おそらく万丈目氏の方が理路整然とした話をできたのだろうが、十代本人が語ることに意味があると口を挟まなかったのだろう。
 いわく宇宙は闇から生まれ闇の中に生命が生まれ、光は破滅をもたらしてこの世界は闇と光のデュエルがずっと続いているようなものだとか……。
 十代は正しい闇の力を宿す覇王として光の波動に対抗しなければならないとか、覇王は宇宙を守るために不老不死なんだとか……。
 世界は創造と破壊によってできているという神話があることは知っている。十代が神話のような話の一端に関わるというのはにわかには理解しがたい。しかし十代に通常と違う運命のようなものがあるのは幼い頃から感じていた。
 特に精霊のことは。
 幼い頃から何もない空間を見ては笑ったり話しかけたりは日常茶飯事だった。初めは子供特有のイマジナリー・フレンドかと思ったが、それが異質なものだとはっきり理解したのは十代がよく「ユベル」の名を口にするようになってからだった。
「ユベルはもともとオレの魂の片割れで──今はひとつになってる。ユベルは精霊でドラゴンで、ドラゴンって男でも女でもあって男でも女でもないから、オレは今は人間でも精霊でもあるし同時にそうじゃなくて、男でも女でもあるしないんだけど……」
 なんだか形而上学的な話になってきた。
「だから子供が生めるかもしれないんだけど」
「……は?」
「本当に生めるかはわかんないしあんまり期待はしないでほしいんだけど。書類上は養子引き取ったことになるかな。たぶん海馬コーポレーションに頼めば孤児院から引き取ったことにしてくれるから戸籍とかは困んない……あ、オレの戸籍もそのうち変えることになってる。見た目ずっとこのままだからさ」
「……海馬コーポレーション?」
「あとインダストリアル・イリュージョン社。そっちに頼むとアメリカ人になるかも。二社とも世界各地の精霊の調査とかに協力する代わりにお金もらったりオレの不老不死ごまかすのにも協力したりしてもらってる」
 つまり仕事上の関係で二社の協力を得ているらしかった。インストラクターの仕事について聞くとそれもやっているという。表向きはインストラクターということにしているのかもしれない。
「これでだいたい話した……と思う」
 十代の明かした情報は多く複雑だった。十代自身にも他者に説明する際には混乱があるのかもしれない。
「……別にこんな話するつもりなかったんだけどさ。万丈目の紹介の場なわけだし」
「十代の話もお母さんたちは聞きたかったよ。十代が高校行ってから、全然話してないから。お父さんは話したけど」
 からかうように母から言われ、十代は少しばつが悪そうな顔をした。中学生の頃も、学校の成績だとか話したくないことを話す時に、十代はこんな様子だった。
 十代がにわかに信じがたい能力や宿命を持つのだとしても、あの頃と変わらない。
 いや、あの頃と違って、私たちはようやく十代と本当のことを話せるようになったのではないだろうか。
 ユベルの一件で十代の記憶を消してから──十代は少しよそよそしくなってしまった。
 十代の記憶を消す処置をした直後、十代は不安そうな顔で私たちに「だれ?」と聞いた。医師から一時的にさまざまな記憶の混濁が起きることは聞いていた。それでも目の当たりにした時にはショックだった。それまで十代は私たちを「パパ」「ママ」と呼んでいたのに「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになった。小学校に上がった年頃に呼び方を変える子供は少なくない。もう小学生だからとか、他の子はそんな風に呼んでないとか──だが十代のそれは年頃の子が背伸びをしたがったり恥ずかしがったりして変えたものではなかった。私たちが誰だかわからなくなり、医師から与えられた「十代くんのお父さんとお母さんだよ」という言葉に基づいた呼び方だった。
 十代が甘えることもわがままをいうことも泣くことも減ったのはそれからだった。私たちもまた、十代にどのように接したらいいのか迷ってしまっていたように思う。デュエルアカデミアに入学してから、こちらから連絡できなかったのも。
「お母さんからも電話かけたらよかったね。年賀状だけじゃなくて、もっといろいろ連絡したらよかった」
「別に──いいんだけど。あ、嫌って意味じゃなくて……日本にいなかったりで繋がらない時も結構ある、けど」
 別に連絡しても構わない、ということだろう。
「うん。また連絡するし、十代も連絡して」
「うん──」
 十代は少し気恥ずかしげにしている。年齢的には思春期は過ぎたはずだが、老いない外見も伴いまるで少年だ。私たちは本来向き合うべき時期に向き合わなかった。しかしこれからそれを取り戻していけるのかもしれない。
 その後も万丈目氏も交え談笑するうち夕方になり、万丈目氏は帰られることになった。明日からアメリカに発つというのだから、本来ならこんなところに来ている場合ではなかったのかもしれない。十代はこれでも忙しくない方なのだと言うから、プロデュエリストの世界は素人には想像もつかないようなものなのだろう。
 高級そうな運転手つきの車を見送った十代の顔は少し寂しそうだった。
 十代が生まれた時にはいつか恋の相談でもされるのだろうかと考えたことを思い出した。少し大きくなったら十代だけが見える精霊のことばかり気にかかって、十代が記憶をなくし精霊のことを言わなくなってからもいつまたあんなことが起きるのかとばかり気を揉んでいた。高校生になったら連絡すら取らないまま、成人して届いた年賀状に詳細を聞き返すこともできず──今日が来てしまった。
 もっといい道があったのではないかと何度考えただろう。記憶を消したのは本当にこの子のためになったのか、デュエルなんて取り上げてしまえばよかったのか、デュエルアカデミアに行かせない方がよかったのか──。
「……何?」
 十代が私を見た。抱えていた猫を抱き直す。
「本当に──いい人に出会えたな」
「……うん」
 少し恥ずかしそうに頷いて、十代は一足先に家の中に戻ってしまう。
 親が心配するより子供はずっと強かで、親が思うより大きく成長するのかもしれない。
 にわか雨はいつの間にか上がっていた。

2026/04/14
3/7ページ
スキ