一話完結短編

勘違いラブコメ

 痛い──と目が覚めるなり思った。腰の辺りだろうか。
 遊星はうつぶせになってベッドのサイドテーブルを見つめていた。時計はまだ午前五時を過ぎたところだ。
 仕事も休みだし二度寝してもいいか──しかしどうして腰が痛むのだろう?
 昨日はいったい何があったのだったか、と遊星は記憶を辿る。
 やっと一仕事終わったのだ。トラブル対応で一週間近く職場から離れられず、睡眠は仮眠室で数時間、徹夜する日もあった。とにかく疲れて寝不足だった。遊星は早く帰って眠りたかった。
 遊星には家が二つある。ひとつは昔から借りているポッポタイム──これは現在の職場から遠い。仕事が忙しい時のために、遊星は職場から程近いマンションに一室借りていた。
 昨夜はそこに帰った──のか。今遊星が寝転がるベッドはそのマンションのものだ。
 遊星は覚束ない記憶をさらに辿る。昨夜の遊星は早く眠りたいと同時に、風呂にも入りたかった。職場にもシャワー室はあるものの、ああいう場所はやはり落ち着かないのだ。慣れた風呂場で、使い慣れた石鹸やシャンプーでしっかり汚れを落としてからベッドで眠りたい、そう思ったのだ。
 だから、帰宅するなり着替えを用意して風呂場に直行した。睡眠不足と疲労で何も考えていなかったし、何も見えていなかった。
 あのドアを開けるまで。
「あれっ遊星おかえり」
 浴室には湯気が立ち込め、先客がいた。先客は身体を洗っている最中、茶色の髪はしっとり濡れて、身体を覆う白い泡の間から健康的な肌が──。
 見てはいけない、と遊星は思った。そして──。
 その後の記憶がない。
 遊星はなんとか思い出そうと昨夜の記憶を辿る。職場のビルを出て、マンションまで歩き、エントランスを通りエレベーターに乗って──よくよく思い出せば、玄関のドアを開けた時に室内は明るかった。その時に先客──遊城十代がいることに気づくべきだったのだ。
 いや、十代のことを「客」と呼ぶことはふさわしくないかもしれない。遊星は彼に合鍵を渡しているのだ。とはいえ、遊星と十代は恋仲というわけではない。遊星はそうなりたいと思っているが。
 そもそも遊星と十代は付き合いが浅い。知り合ったのこそ何年も前──十代にしてみればおおよそ百年も前になるが、再会したのは最近だ。それも遊星は仕事に忙しく十代も世界やら異世界やら飛び回っており、なかなか交流が持てない。そこで遊星はこのマンションの鍵を十代に渡したのだった。十代は定住していない。よければホテル代わりにでも使ってほしい、と。
 最初、十代はそこまで甘えられないと遠慮した。
「いえ、オレは使わない日も多くて。もったいないと思うんですが、かといって解約しても不便で……十代さんが使ってくれたらありがたいくらいです」
 そんなようなことを言って受け取らせた。ありがとうと十代は微笑み、
「家の鍵なんて久しぶりだ」
 そう呟いた顔は少し寂しそうだった。
 遊星は、これで交流する機会が増やせるだろうと下心を抱いていたことを恥じた。しかし。
「じゃ、さっそくここに泊まらせてもらうな。一週間くらいいてもいいか?」
「もちろんです。一週間でも一ヶ月でも。オレも仕事が終わったら来ていいですか?」
「来ていいですかって、遊星の家じゃん」
 十代がころころと笑う声をまだ覚えている。その一週間、遊星はとても楽しく幸せに過ごした。朝晩十代の手作り料理を食べ、夜は同じベッドに眠った──無論隣に寝ただけで二人の間には何もないのだが。十代が滞在することになった晩、遊星は十代にベッドを譲りソファで眠ろうかと思ったが、
「遊星のベッドだろうが。んじゃ、一緒に寝るかあ?」
 明るく十代は言った。十代はデュエルアカデミアの寮生活のようだと笑っていた。
「まあ、こんなきれいな部屋とふかふかのベッドじゃなかったけど。仲間と過ごすの、楽しいよなあ」
 共に食事をし、夜までデュエルに興じ、同じ部屋で眠る──それは十代にとっては寮生活を彷彿とさせるものだったようだった。遊星はひっそりと恋人のようだと考えていたが。
 それはともかく、十代は楽しそうに一週間を過ごし旅立った。
「またいつでも来てください。オレの許可なんて取らず、自分の家のように使ってくださって構いませんから」
 遊星はそう言い、十代はありがとうと笑っていたものの、それ以来十代がこの家を使った様子はなかった──もう一年近く。
 遊星は、十代はもう来ないのだとさえ思っていた。だから昨日も十代が来ているかどうかなど全く意識していなかった。それに加えて疲労と睡眠不足による注意散漫で、あらゆることを見逃していた。おそらく玄関に十代の靴があったことも、室内照明がついていたことも、風呂の脱衣場には十代の服があったであろうことも、何もかも──。
 そうして昨夜風呂場で十代に鉢合わせ──その後を覚えていない。いくら思い出そうとしても十代が「あれっ遊星おかえり」と少しだけ振り向いた姿しか思い出せない。身体は泡だらけで、その間からほんの少し肌が覗いて──。
 それは思い出さなくていい!
 カッと顔が熱くなって遊星は頭を振った。そして──隣に十代が眠っていることに気づいた。
 十代さん! と叫びそうになったのを飲み込んだ。心臓が口から飛び出しそう──という表現はこのような時に使うのだろう。
 なんでオレの隣に? いや、以前もそうだったのだから驚くことはない──が。
 なんでそんな格好なんですか!?
 十代はバスローブ一枚で、しかも少し胸元が開いてしまっていた。もう少しで丸みのある右胸が──。
 遊星は凝視しそうな自分を制して再び首をサイドテーブルに向けた。デジタル時計の秒数が心臓の鼓動よりもゆっくり動いている。
 以前十代と過ごした時に、彼はゆったりしたTシャツとパンツをパジャマ代わりに寝ていた。十代はホテルに泊まることも多いだろうし、バスローブが気に入って買ったのかもしれない。しかし下に何か着ておいてほしいと遊星は思う。十代にしてみれば同性である遊星相手に気兼ねもいるまいと思っているのかもしれないが──。
 半分は異性だ、と遊星は思ってしまう。
 十代は人智を超越した存在だ。破滅をもたらす光の波動と対立し、生命の根源たる闇をその身に宿す。不老不死の肉体を持ち、ヒトと精霊、男と女、その両方でありだからこそどちらでもない、そういう存在なのだと──。
 遠い過去で初めて会った日と寸分変わらぬ姿で遊星の前に現れた十代は、他の人間には内緒なと笑ってそう説明したのだ。
「なぜそのことをオレに?」
「キミは強いし不思議なことにも慣れてるだろ。だったら、嘘じゃなくちゃんと知ってほしいと思った」
 遊星は嬉しかった。事情があってタイムスリップしてきたとか、遊城十代の子孫であるとか(実際彼の公的な身分は「遊城十代の子孫」として作成されているそうだ)そうしたごまかしはいくらでもできたのに遊星に真実を告げてくれた。遊星が過去に抱いた十代への好感はますます高まり、何度も会って過ごすうちにそれは友情から恋愛感情へと変化していったように思う。
 もし嘘をつかれていたらきっと十代は遊星によそよそしく接していただろうし、遊星もその態度から十代のプライベートな部分に関わろうとせず合鍵を渡すこともなかっただろう。
 そうしたらこんな状況にもなっていないか、と遊星は思考を現在に戻した。
 昨夜のことはまだ思い出せない。じんわり痛む腰から何かあったのだろうと──。
 何か?
 一瞬やましい考えが浮かんで、そんなまさかと否定する。しかし十代は下に何も着ていなさそうなバスローブ一枚で──いや、遊星だって寝る時はタンクトップ一枚だ。それと似たようなものだ──。
 自分もタンクトップ一枚だ、と思ってから遊星は自分の着ているものを今初めて認識した。
 バスローブである。
 着心地がよく今まで違和感を覚えなかったが、なぜこんなものを着ているのだ? 昨夜遊星が用意していたのは普段パジャマにしているタンクトップとパイル生地のパンツだった。その服はまだ脱衣場にあるのだろうか? 風呂場で十代と目が合って以降の記憶がないのだ。風呂場に行ってみれば何か思い出すだろうか──。
「遊星?」
 動こうとしたら十代の声がした。
「十代さん──」
 振り向きたいが、まだ着衣が乱れていたらよくないと遊星はそのまま動かなかった。十代が動く気配がして、遊星の頭に十代の手が触れた感触がした。
「……大丈夫か? 昨日は悪かったなあ……」
 遊星の頭を撫でながら十代は言った。悪かったとは、なんのことだ?
「まだ痛いか?」
「少し──」
 そうかごめんなオレのせいで──十代は謝りながら遊星の頭を撫でる。
 もしや──本当に何かあったのか? あの浴室で、遊星は回らない頭で十代に告白してしまい、お互いに裸の状態でそのまま──なんてことが? そして十代が遊星にオレのせいだと謝るということは──。
 オレは十代さんに抱かれてしまったのか!?
 それは遊星にとって全く予想外のことだった。実際目にしたことはないが、十代は半身が女性なのである。そのような関係性になるなら遊星は自分が「抱く側」だろうと漠然と思っていたのである。しかし十代は半身が男性なのだから当然逆の場合もあるわけで──。
 遊星は今までずっと自分が十代に下心を抱いているのだと思っていたが、本当は十代が遊星に下心を抱いていたのだろうか?
 ──がっかりした気分になって、それはつまり自分は十代の身体目当てだったのか? と遊星は自身に問いかける。もちろん魅力を感じないわけではない。しかし本当に愛しているのはその人間性だろう。パラドックスと対峙したあの日、遊星を励ましてくれたあの笑顔──それこそ十代への愛が芽吹いた瞬間だろう。そして再会し己の正体をごまかさずに伝えてくれた真摯さ、デュエルや共同生活の楽しかった時間。そういったものが十代への愛しさを育んだ──。
 ならば肉体関係において自分がどちら側なのかなど些細なことだろう。何も覚えていないが──いや。
 遊星大丈夫か──と心配そうな十代の声と顔が脳裏に蘇る。遊星を見下ろし、しっとり濡れた髪からは滴が遊星の顔へと落ちた。首から下は泡にまみれて──見てはいけないと遊星は思った。
 思い出せるのはそれだけだ。腰の痛みと水滴の落ちた冷たさだけは覚えているが、それ以外のことを覚えていない。もっとお互いに触れ合ったはずなのに──。
「ちょっと待っててな」
 十代はそう言いベッドから降りると寝室を出ていった。
 遊星は腰が少少痛むものの動けないわけではない。自分の身体を確認した。バスローブ以外は何も身につけていないが、特段に汚れたりはしていない。何かあったならその痕跡があるだろうと思ったが、風呂場で事に及んだなら洗い流してしまっただろうか?
「あ、起きて大丈夫か?」
 十代が部屋に戻ってきた。手には袋を提げている。見覚えのあるそれは近所のドラッグストアのものだった。
「昨日打ち身に効く軟膏とか湿布とか買っといたんだ。痛みがひどいなら病院のがいいかもしれないけど」
「打ち身……?」
「転んで腰打っちゃったろ。覚えてない?」
 いわく──遊星は風呂場で十代と目が合った直後、後ずさりしようとして転んだらしい。十代は咄嗟にハネクリボーを実体化させ、遊星は頭を打つことは避けられたものの腰を脱衣かごにぶつけてしまったそうだ。

 あれっ遊星おかえり。
 じゅっ──すみませ、うわあっ!
 遊星!
 すみません、すみません。
 遊星大丈夫か?
 すみません見てませんすみません──。

 遊星はうわごとのように謝りながら気絶してしまったらしい。十代は裸の遊星にとりあえずバスローブを着せてベッドに運び、自分は着替えて閉店直前のドラッグストアへ走ったのだそうだ。
「驚かせちゃって本当にごめんな」
「十代さんのせいでは……オレの不注意です」
 遊星は申し訳なく思う。今の今まで考えていたのは、たとえ自分の期待と逆でも十代と関係を持ちたいという不埒な妄想だったのだ。
「気ィ遣わせちまったな、オレの裸なんか別に見たって構わねえのに」
「オレが構います……」
「はは、健全な青少年の教育によくなさそうだしな」
 十代は苦笑いした。
「そうではなく……好きな人の裸を同意なく見たくはありません」
「……は?」
 十代は大きな目を瞬かせた。
「あなたが好きです。だから同意なく見たくありません」
 遊星は言い直した。十代は隠せば済むことをわざわざ教えてくれたのだ。ならば遊星も真摯に見たくない理由を答えるべきだ。人間ではない身体を厭うわけではなく、ただ不同意に見たくなかっただけなのだと。
「……オレは百も過ぎたジジイだ」
 フラれるのだ、と遊星は思う。遊星は視線を下げた。バスローブの裾から十代の裸足の足が見えた。少年らしいその足の見た目は、なんなら遊星よりも若いのだろう。しかし十代にとって自分は幼い子供のように見えるのではないか。だから裸を見ようが見られようが同じベッドに眠ろうが何も思わないのだ──。
「その上鈍感で……本当に歳食っただけのジジイだぜ……遊星はいいやつで、一緒にいたら楽しくて、オレも好きだけど……オレなんか……」
 何やら──遊星の予想と風向きが違う。視線を上げる。十代は思春期の少年のように頬を染め、手にした軟膏薬の箱をくるくる回していた。
「オレなんかなんて言わないでください。あなたが好きなんです」
 十代と目が合う。赤くなった顔に潤んだ目。おそらく遊星の好意を拒否していない。押せばいけるのではないか──と遊星はまたしても下心を抱く。
「……うん、キミは真面目で……軽率なことは言わない。でも……」
「十代さんにとって、オレは子供すぎて相手になりませんか?」
「子供だなんて……いや、ある意味今のオレには全人類が子供に見えちまうけどよ、キミを子供だと思ったことはない。出会った時なんてオレよりよっぽどしっかりしてて」
「では……他に何か、オレに不満がありますか?」
「不満なんてないよ。けど、キミみたいな若くてかっこいい子にはオレみたいなジジイより誰か素敵な」
「あなたが好きなんです。他の誰かでは意味がありません」
 遊星はわざと十代の言葉をさえぎった。
「オレはあなたの恋人にふさわしくありませんか」
「恋──」
 十代は頬を赤くして言葉を詰まらせた。また軟膏薬の箱をくるくる回す。
「はいかいいえだけ答えてください。オレはあなたの恋人にふさわしくないでしょうか」
 十代は瞳を揺らす。遊星はその茶褐色の目を見つめる。十代の薄い色の唇が開いた。
「……いいえ」
「恋人としてお付き合いしてくれませんか?」
「オレは本当にさ」
「はいかいいえでお願いします」
 さえぎる。十代は潤んだ目で遊星を見返す。可愛いと思ってしまう。遊星は必死に真面目な顔をする。
「……はい」
 十代は観念したように小さな声で言った。遊星は立ち上がろうとして、腰の痛みを思い出し情けなく床に膝をついた。遊星! と十代の慌てた声が聞こえた。
 昨日も聞いた声だ──と遊星は思い出した。

◇◆◇

 十代は遊星の腰に軟膏を塗ってやった。腰には青アザができてしまっている。
 昨日風呂場で十代と鉢合わせ、遊星は驚いて転んでしまった。真面目な遊星は半分だけとはいえ異性の身体を見ることに抵抗があったのだろうと十代は思った。しかし。
 好きな人の裸を同意なく見たくはありません──。
 そんなことを言われるなんて思いもしなかった。誰かに好きだと言われたこと自体は初めてではないけれど、それを嬉しいと思ったのは初めてだった。
 でも、オレなんかに遊星は釣り合わない──そう思ったけれど。
 他の誰かでは意味がありません──。
 遊星は十代のそんな気持ちも吹き飛ばしてしまった。恋人なんて本当はよくわからないけれど、そうなりたいと思った。
 無自覚だっただけで、十代は以前から遊星のことを好きだったのではないかと思う。初めて会った時も、スターダスト・ドラゴンを想い、歴史を守ろうとする遊星に好感を抱いていた。遊星が未来に戻ってから、また会える日をずっと楽しみにしていた。
 再会した時、十代は遊星に自分が人間ではないことを正直に話した。時空を超えて出会い、噂には世界を守ったという遊星ならその話を受け入れられると思った。しかし何よりも、十代は自分のことを遊星に知って欲しかったのだと思う。嘘をつけば姿が変わらないことに気づかれない間しか会うことができない。もっと長く一緒にいたい──。
「人間は脆いんだからさ、もっと自分のことを大事にしてほしいよ。昨日だって目の下のクマがすごかったぞ。睡眠不足は健康に悪い」
 十代は今は色の薄くなった遊星の目の下を指でなぞった。夜空みたいな瞳は十代の指が近づいても恐れることはなく、申し訳なさそうに見返してくる。
「すみません……仕事があるとどうしても……」
「うん、大事な仕事だよな。でも自分のことも大事にして──長生きしてよ」
 遊星は少し驚いて、それから十代の目を見てはいと答えた。素直で真面目な、可愛い後輩だ。
 十代は、宿命のために永遠を生きることを嫌だと思ったことはない。でも親しい人を見送るのはいつも悲しい──。
「あなたのためなら永遠に生きる方法も見つけます」
 遊星は大真面目な顔で言った。十代は苦笑いする。
「そこまでしなくていいけどよ。若死にでなきゃ充分だ。その髪の色が白くなって、顔がシワだらけになるくらい」
 その間に──きっと心の準備ができる。
「だからよく寝て、ちゃんと飯も食えよ。実は昨日の夜、フレンチトースト仕込んどいた。食べれそうか?」
「はい」
 遊星は微笑んだ。十代は可愛い後輩の頭を撫でて、フレンチトーストを焼くためにキッチンへと向かった。

2026/02/08
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