一話完結短編
すれ違いラブコメ
「──そうですね、そろそろ結婚したいですね」
万丈目準のその言葉に、お相手は、いつ、と記者たちはざわめく。万丈目はしかるべき時がきたら公表するといって微笑んだ。その口振りからすると、もう結婚は決まっているのだろう。
結婚──するのか。
咀嚼していた菓子の味がしなくなった気がした。
誰と──なんだろう。
まだインタビューはあったが、その内容は遊城十代の耳にはほとんど入らなかった。見慣れた顔の映るテレビ画面を眺めながら自分の思考へ没頭する。
明日香──かな。
十代の頭には、同級生だった天上院明日香の顔が浮かぶ。なぜだか高校生の頃の顔を思い出した。
ずっと好きだったもんな──。
高校生の頃の万丈目は明日香への好意を隠すことはなかった。当時の明日香はそんな万丈目に呆れていたような気もするが。
万丈目くんも最近はすっかり落ち着いたわね、なんて言葉を聞いたのはいつだったろうか。酒の席だった気がするから、二十歳は越えていたのだろう。確か──万丈目が何かの大会で優勝した祝いに学生時代の面面と集まったのだったか。あなたは相変わらずどこにも落ち着いてないのかしら、と言われた覚えがある。
最近は万丈目くんのとこだよねぇと丸藤翔が答えた。
十代は定住していない。人間界にいるときはホテルや何かに泊まることが多いが、野宿もする。異世界に行ったらほとんど野宿だ。日本にいるなら友達の家に泊まることもあるが、パラドックスの一件で万丈目グループから仕事を依頼されたのをきっかけに万丈目の家に泊まることも多くなり、いつの間にかほとんど同居状態になった。
こいつはよそで迷惑をかけるからな、オレが見てやらにゃいかんのだ──と万丈目は言っていた。事実、その少し前に翔の家に入り浸って迷惑をかけるなと万丈目に言われていたのだ。
どうやら万丈目には仕事を斡旋した以上面倒を見なければならないと思われていた。別に仕事を斡旋したからといって十代の居住や生活の面倒を見る義理など一切ないと思うのだが、万丈目は責任感が強いのである。十代もこれ幸いと入り浸っているのだが。
それももう終わりか。
テレビの万丈目のインタビューはいつの間にか終わっていた。十代はそのことにも気づかず、まだ考えていた。
明日香と付き合っているなら教えてくれてもいいのに──。
万丈目はドがつくほど真面目だから、結婚が確定するまでは他人に言いたくなかったのだろうか。万丈目は仕事以外では外泊もしないから、行動で気づくのも難しい。普通のカップルなら二人で外泊したり、互いの家に泊まったりといったことをするのだろうが、万丈目はたとえ相思相愛の相手でも結婚するまでそのようなことはすべきではない、という考えなのである。今時珍しいと思うが、いわゆる「ワンナイト」の相手として誘いを受けることに辟易していた十代としては、この世の人間全てがそうなら断る手間がなくて楽なのにと思った。楽しくデュエルをした後にそのような誘いを受けると楽しい気分も台無しだ。万丈目の意見に十代が賛同すると、万丈目は驚くと同時に同じ考えであることを喜んだ。あまり賛同者はいないのだろう。
十代の場合はその信条への共感より現実的な問題として一生を共にする相手でもなければ己の秘密を明かせないからではあるのだが。
ともかく友人の結婚はめでたいことだ──十代は明日香に結婚おめでとうとメッセージを送った。明日香はすぐに返事をくれた。
あら、耳が早いのね。ありがとう。式にはぜひ来てね──。
──結婚式か。
白い衣装を来た二人を想像する。万丈目など有頂天なことだろう。祝福すべきなのだ。
そう思うけれど、十代は無性に悲しくなり携帯端末をソファに投げ捨てた。横になりたくなって寝室に向かう。万丈目が半分貸してくれているふかふかのベッドだ。もうすぐ使えなくなってしまうだろう。万丈目は結婚してしまうのだから──。
十代の目からは涙が溢れてきた。ずっと万丈目のことが好きだった。自分なんかがどうにかなれるとは始めから思っていない。だから友達としてしばらく一緒に住めてよくデュエルしたり遊びに行ったりできて、もう充分なはずだ。充分だと思うべきだ。
でも。
十代の目からは更に涙が溢れてくる。今のうちに泣いておこう。万丈目が帰ってきたら、ちゃんとおめでとうと言わなくては……。
寝室で一人泣く十代は、リビングのソファに投げ捨てた端末に明日香からもう一件メッセージが届いていたことに気づかなかった。
あなたこそ結婚おめでとう。あなたたちの結婚式にもぜひ呼んでね!
◇◆◇
結婚を申し入れる度胸がない。タイミングがつかめない。言い出すことができない。
「じゃあ自分を追い込んでみたら?」
と翔は言った。自ら外堀を埋め、言わなければならないようにしたらどうか、と。
万丈目は十代を自分の親兄弟に会わせた。自分もまた「少しは親孝行しろ」と十代を実家に帰らせ、送ったついでに彼の両親に挨拶をした。互いの両親の反応は悪くない──と万丈目は感じている。
万丈目の両親は昔からずっと見合い結婚を望んでいたが、長年断り続けていることと十代を見たことでもう三男坊の結婚相手は諦めたようだった。十代の陽気な性格とデュエルの強さはそれなりに気に入られたように思う。
十代の両親は十代から何も話を聞いていなかったらしく驚いていたが、十代本人に対して放任主義であるように十代の相手が誰でも反対する気はないようだった。後から十代に彼の両親の反応を聞いたら「先に言って欲しかったって言ってた。あとサイン欲しいって言ってた」というほとんど中身のない答えが帰ってきた。もちろんサインと手紙を送った。彼の両親からの返信には、礼と今後も息子をよろしくと書かれていた。悪くはないだろう。
「後は本人に言うだけなのに」
万丈目の話を聞いた翔は呆れたように言った。彼は三年前に結婚している。悩むより思い切って言ってしまえばいいのだ、というのは翔自身の経験則だった。
「付き合ってから何年だっけ。まだ兄さんと同居してた時だから……」
「もうすぐ五年だ」
「あ、そうそう。面白かったなあ、あの日の万丈目くん」
翔には未だにからかわれる。万丈目が十代への気持ちを自覚したのは、翔の兄である丸藤亮がきっかけだった。
デュエルアカデミアの卒業後、万丈目は一人暮らしを始めた。十代は定住せず国内外や異世界を飛び回っており、野宿することも珍しくないようだった。十代は十二次元世界を支配しかけた覇王でもあるのだから心配するだけ野暮だろう。しかし友人として──当時はあくまでも友人として、日本に来たら泊まってもいいと声をかけるのは自然なことだ。十代は他の同級生たちにももちろん同じように言われていた。
万丈目のところによく十代が泊まるようになったきっかけは、未来から来たというパラドックスが歴史を変えようとした事件だった。その時万丈目グループの保有するカードもごっそり消えてしまったのだ。そんな非常識な事件には非常識な存在の方が対応できるだろうと十代に調査を頼んだ。その際万丈目グループのデータベースなどが使えるようにとパソコンを渡したら、それ以降電源がつかなくなったとか(ただの充電切れだ)ソフトが動かなくなったとか(大抵アップデートや再起動で直る)よく十代が来るようになったのだった。
しかしある日、しばらく十代が来ないと思ったら、一緒に飲んでいた翔から「最近アニキがずっと兄さんとデュエルしてるんだよね」と愚痴られた。なんでも武藤遊戯の知り合いのカードショップが閉店し、売り物にもならないカードが余っているが少しいらないかと十代が一箱譲り受けた。レアではないが最近では見ないカードがたくさんあると、そのカードでずっと亮とデュエルに興じているのだと。
「リビングの電気がついてるとボクの部屋まぶしいんだよねって言ったら兄さんの部屋でデュエルするようになって、一緒に寝てたからびっくりしたよ」
翔のその言葉に万丈目の胸はひどくざわつき、十代が好きなのだと自覚したのだった。それはもろに顔に出たらしく、その後の行動も含めて未だ翔にからかわれている。しかしきっかけをくれたことには感謝せねばなるまい。
その後万丈目は翔と共に彼の家に向かった。
「おかえり。万丈目、久しぶりだな」
亮はリビングで一人、お茶を飲んでいた。
「ただいま。あれ? アニキは?」
「寝てるぞ」
「ベッド取られちゃったの?」
亮は肩をすくめた。十代は彼の部屋で彼のベッドを占領して眠っていた。ベッドにはカードが散らばり、デッキでも考えるうちに眠ってしまったようだった。
「十代、起きろ!」
肩を揺すぶると十代は「あ~万丈目おはよう」と間抜けな顔で笑った。
「おはようじゃない。夜だ。翔やカイザーに迷惑をかけるな。帰るぞ」
「え~?」
十代は寝ぼけ眼をこすった。身支度をさせてカードを片付けさせ、翔と亮に頭を下げさせた。
「別に迷惑じゃないぞ。珍しいカードでのデュエルは楽しかった」
カイザーと呼ばれた男は寛容だった。もうちょっと遊びたいと不満そうな十代の手を引いて丸藤兄弟の住むマンションを出た。
「まったくお前は──カイザーだからいいものの、あんなことはするんじゃない」
「あんなって?」
「その……恋人でもない相手のベッドに寝るようなことはだな……」
「カイザーは友達じゃん」
「カイザーはいいんだ別に」
彼と何かあるわけがないのだ──冷静に考えれば。しかし翔の家に行くまでの万丈目は完全に冷静さを失っていた。高校時代の亮は十代の憧れだった。彼とデュエルする十代は本当に楽しそうで、あの頃の二人を思い返すともう十代は亮のことが好きなのではないかと、そんなことを思ってしまったのだ。亮の方も十代を憎からず思ってはいないかと──。
しかし亮の顔を見ればそんな気配は皆無であった。後輩にベッドを取られてやや困っていただけだった。
「まあ確かにちょっと困らせちゃったかな。別に起こしてくれりゃどくのに、カイザー何も言わないからさ」
「今後はそうやってよそに迷惑をかけるな。日本にいる間はオレのところに泊まればいいだろ」
「いーの?」
「お前がよそに迷惑をかけるよりマシだからな」
「んじゃ、そーする。でもカイザーのベッド気持ちよかったなあ。調子悪いと寝込むこともあるからいいの買ったんだって。すげーふかふか」
ベッドごときに嫉妬しても仕方ないと頭では理解していた。しかしその夜の万丈目はやはり冷静ではなかったのである。言い訳をするなら酒も飲んでいた。
「だったらオレのベッドで寝たらいいだろ」
「さっきひとのベッドで寝るなって言ったばかりじゃん」
「オレが付き合ってやると言ってるんだ」
最低の告白だったと思う。高校生の頃から変わらない意地っぱりで素直になれない性格がこれほど嫌になった日はない。万丈目に手を引かれて少し後ろを歩く十代の顔を見る勇気は、残念ながらなかった。
「マジ? ありがと!」
十代の返事は色よいものだった。あまりのことにその後の会話を万丈目はよく覚えていない。感謝しろとか、やはり意地っぱりなことを言ってしまったと思う。
そうして付き合って一日目にして同じベッドに寝ることになったが、万丈目は自分が軽薄な男であると十代に思われたくなかった。ベッドに転がりふかふかだと喜ぶ十代に万丈目は言った。
「なんというかだな、節度というのは大切なんだ。相思相愛だとしても、結婚するまでは、その──お前もいい大人だからわかるな?」
「うん」
「お前もそう思うか?」
「いい考えだと思うよ。そのくらいきちんとしてる方がいいよな」
十代は万丈目の意見に深く頷いた。ここに意見の相違があってはうまくいかない。同じ考えであることが嬉しかった。
その後も万丈目と十代は問題なく付き合った。十代も万丈目も家を空けることはままあるものの、共同生活に問題はなかった。家事を分担し、互いを気遣い、時にはデートを楽しみ──三年目にはプロポーズしたいと万丈目は思った。
しかし、自分の仕事が忙しかったり、十代が旅に出てしまったり、うまくプロポーズのタイミングがつかめなかった。いざ言おうとしても口に出来なかったり──気がつけば二人の付き合いは五年経とうとしていた。
そして現在、翔の「自分を追い込んでみたら」というアドバイスを元に、万丈目は自分を追い込み続けているのである。
今日はついにマスコミの前で結婚するつもりがあることを口にした。これまでずっと結婚について聞かれたら「いつかはしたいですね」と濁し続けてきた。今日のインタビューは十代もテレビで見ているはずだ。きっと期待に胸をふくらませながら万丈目の帰りを待っているだろう──いや、それこそ万丈目の期待であり、マスコミに先に言うなんてと怒られる可能性もあるのだが。
ともかく万丈目の頭には断られるという選択肢はなかった。ずっとうまく付き合ってきた。万丈目はそう思っている。
マンションに帰ると、室内は真っ暗だった。万丈目は十代が旅立ってしまったのだとまず思った。普段なら万丈目に一報入れるが、なんの連絡も来ていなかった。よほど慌てていたのだろうか?
しかし照明をつけよく見れば十代の靴は玄関に揃えられていた。
不審に思いながら万丈目は室内に入り、リビングには十代がいないことを確認する。テレビがつけっぱなしになっていたから切り、寝室へ向かった。十代はベッドで眠っているようだった。
「十代?」
照明をつけ、声をかけると毛布の下の塊がもぞりと動く。毛布から茶色の頭が出てきた。
「大丈夫か? 具合が悪いのか?」
病気知らずの十代がいったいどうしてしまったのだろう? 十代は腫れぼったくなった目をこすり、おかえりと掠れた声で言った。
「熱でもあるのか?」
「……大丈夫」
全く大丈夫そうには見えなかった。十代は無理に笑顔を作る。
「結婚おめでとう」
「はあ?」
「インタビュー見た。そろそろするんだろ」
「なんだ他人事みたいに」
この反応は予想外である。先にマスコミに言ったのは失敗だったか。
「……先に言わなくて悪かった」
「本当だよ、教えろよ」
拗ねたように十代は言った。具合が悪いのではなく怒っているのか?
「意気地がなかったのは認める。──十代」
用意していた指輪を取り出す。ベッドの横に片膝をつく。理想には遥か遠いが、ここで言わねばなるまい。
「結婚してくれ」
「はあ?」
十代は顔をしかめた。ここは素直に謝らなければならない。この五年で自分も大人になったのだ。
「……すまない。言い出す勇気が出ないからとマスコミを利用するようなことをして、本当に情けないことをしたと思う。一番最初にお前に言うべきだった」
十代は指輪とオレの顔を見比べる。
「……お前明日香と結婚するんじゃねえの?」
「なんで急に天上院くんが出てくるんだ?」
「だってお前……明日香と結婚するだろ」
なぜそう思い込んでいるのだ? 十代の目は万丈目のことをからかっているわけではなさそうだった。
「しないが……そもそも天上院くんは留学した時から付き合ってる恋人と結婚するぞ。式は来年の予定らしいが」
「……マジ?」
茶色の目が瞬く。本当に驚いているようだった。
「お前オレが二股してるとでも思ってたのか?」
「二股? 明日香以外にも付き合ってたのか?」
「だから天上院くんとは付き合ってない。……高校の時にフラれてるんだぞ」
「……待ってマジでわかんない……」
十代は頭を抱えた。何をそんなに悩んでいるのか、万丈目の方がわからなかった。
「明日香はお前をフッてて、留学先のやつと結婚すんだな?」
「そうだ」
「……じゃあお前は誰と結婚すんの?」
「お前だ」
「なんで?」
「なんでって……五年も付き合ったし頃合いだろう。年齢的にも悪くないだろうし……キングの称号も得たことだし……」
理由を並べながら、それは対外的なものばかりではないか? と万丈目は思う。
「何よりあ、あ──」
愛していると口にしづらい。万丈目が言えないうちに十代が口を開く。
「あのさ、まず五年も付き合ってなくね?」
「まあ四年十ヶ月くらいか」
「細かい数字じゃなくてよ……オレたち別に付き合ってないだろ」
「は……?」
五年近く万丈目のそばでいつも幸せそうに笑っていたじゃないか。あれは全部嘘だというのか? 足元が崩れていくような気分がした。
「……付き合ってたのか?」
十代もまた困惑した様子だ。十代にしてみれば同居人が五年近く勝手に自分を恋人だと思い込んでいたことになる。
「……オレはそのつもりだった」
「でも……ハグもしないし……」
「結婚するまでは軽率なことはしないというのはお前も同意見だと思ったんだが」
「え? ……あれオレたちの話だったの?」
「オレはそのつもりだ」
「じゃ、よく一緒に出かけたりしてたのって、デート……」
「の、つもりだ」
つもり、つもり──全て万丈目の思い込みなのである。何年も勝手に、十代と付き合っていると思い込んでいた──。
恥ずかしいよりもとにかく情けなく虚しく、万丈目は十代の顔が見られなかった。
「なんだよそれ……五年も……」
五年も思い込んでいやがって気色悪い──とでも思っているのだろう。
「五年ももったいないじゃん!」
十代はベッドをぼふりと叩いた。
「あれ全部デートだったのかよ! オレが勝手にデート気分になってただけじゃなくて!?」
もったいないッと十代は叫んだ。万丈目の想像した反応と違う。
「もったいない……?」
「もったいないだろ! せっかくデートできてたのに! 五年も!」
十代はうつぶせにベッドへ倒れ頭をかきむしった。どうやら十代は万丈目の勘違いを悪くは思っていないようだ。万丈目は気が抜けベッドに座った。
しかしなぜ十代は万丈目と「付き合っていない」と思っていたのだ? 万丈目はそう質問する。
「だって……何も言われてないし……」
「言ったしお前も承諾したと思うんだが」
「いつだよ」
十代は寝た体勢のまま首を傾けて万丈目を見上げた。
「だから四年十ヶ月前……」
「細けぇ数字じゃなくてよ……どっか出かけた時とかそういう」
「ああ──翔の家からの帰り道だったろ」
「翔の?」
「お前が翔のところに入り浸って、オレが迎えに行って」
「うん──それはあった、あったな。でも告白とかされた覚えは……」
「しただろ。付き合ってくれと──」
「……あの時って、ここに住んでいいって話しかしてなくね? あとベッド使っていいとか……」
万丈目は当時の会話の流れを思い出す。十代に日本にいる時は自分のところに来いと言い、ベッドの話になり──。
オレのベッドで寝たらいいだろ。
さっきひとのベッドで寝るなって言ったばかりじゃん。
オレが付き合ってやると言ってるんだ──。
「……恋人になれば同じベッドで寝ても問題ないから付き合おうと……言ったつもりなんだが」
十代は目を丸くした。
「そういう──話だったのか? ……ごめん、本当にベッドとかの話しかしてないと思ってた……」
「いや……オレの責任だ。本当にすまない」
恥ずかしいからと遠回しな言い方をした自分が全て悪い。
「謝んなよ。オレも鈍いからさ、あんまどっちが悪いとか言うのはやめようぜ」
十代は起き上がって万丈目の前に座り直した。
「だってよく考えてみたら……誕生祝いに友達といい感じのホテルで飯食って豪華な部屋に泊まらないよな?」
「まあ……そういうことをする友達もいるかもしれないが」
「虫除けだってこんな高そうな指輪を買わないよな……?」
十代は自分の左手の薬指にはまる指輪を示した。何年か前に二人で出かけた際、少し離れた間に十代がナンパされてしまった。そのため万丈目が「虫除けにしろ」と贈ったものだ。十代はずいぶん喜んで、はにかむ笑顔が可愛かったことを覚えている。
「……こんなダイレクトなもんもらったのに気づかないのは本当に馬鹿だよな……」
十代は悲しげに薬指の指輪を見つめた。
誕生祝いの食事と宿泊、指輪のプレゼントなどいかにも恋人らしい行動だ。しかし万丈目の婚前は節度ある距離をという信条、何より素直になりきれない性格と十代の鈍感さの組み合わせがこの状況を起こしてしまったのだろう。
「……お前の言う通りどちらが悪いとか言うのはやめよう。それより、お互いの認識を整理したい」
万丈目も座り直して十代と向き合う。
「まず……好意においては双方に相違がないということでいいか?」
「ソーホーに……なに?」
十代の反応に、万丈目は自分の言葉遣いが誤解を招く原因かもしれないと思う。
「オレとお前はお互いに好きだということでいいんだな?」
十代は目をぱちくりとさせ、それからはにかんで笑う。
「なんか改めて言われると照れるな!」
「交際に関してはオレだけ一方的に付き合ってると認識してたが、お前はどう思ってたんだ?」
「どうって言われても……」
漠然とした質問はよくないようだ。
「たとえばデート……とオレが一方的に思ってたが、嫌じゃなかったか?」
「全然。むしろ楽しかったぜ。デートってちゃんとわかってなかったのはもったいないけど……」
「恋人でもないのに恋人のようなことをさせられるのは嫌じゃなかったのか?」
「ない。そもそも恋人みたいなことだって気づいてなかったし」
気づいて──いなかったのか? 万丈目は違和感を覚えた。万丈目はこの五年近く、十代が自分のことを恋人だと認識「していない」とは思わなかった。それは十代の反応が「恋人らしかった」からではないだろうか。特に指輪を贈った時など、もらっていいのかと照れくさそうに微笑み、薬指にはめた指輪を嬉しそうに見つめて──。
「指輪は……どうなんだ。気づかなかったと言ったが、指輪を贈られるなんて変だと思わなかったのか?」
「虫除けって言ってたから……高そうとは思ったけど、お前って御曹司だし金持ちって友達にこういうプレゼントするのがよくあるのかなってその時は思ってた」
つまり──万丈目の物言いが悪いのだ。素直に「そろそろ付き合いも長くなったし指輪を贈りたい」と言っていれば誤解もその場で解けたのだ。
「でももらって本当に嬉しかったぜ! ちょっと恋人みたいだなーなんて思ったし」
にこにこと十代は笑う。
「そう思っても気づかなかったのか……?」
「だから鈍すぎて馬鹿だなって反省してる……」
十代は笑顔から一転、悲しそうな顔になる。
「そこははっきり言わないオレも悪い……ともかくそのあたりは双方に非があるということで手打ちにしよう」
自分が大いに悪かった気がするが、万丈目はそれを棚に上げた。十代は万丈目を責めることなく頷く。
「オレたちはお互いに好意があって、認識に齟齬はあったもののこの五年弱はいい付き合いをしてきた──ということだ」
「そうだな」
「それで、誤解ないようにはっきり言うぞ。オレはお前と結婚したいと思っている。お前はどうだ?」
「け──ああ──えっと──」
十代は明らかに動揺し視線をさ迷わせる。完全に及び腰だ。逃げられないようにしなくてはならない。
「何か疑問があるのか?」
「……お前社長令嬢とかと結婚しなくていいの? なんか……親御さんとかがさ……」
「オレの親にはこの前会っただろうが」
「えっ?」
十代は驚きオレを見て、それから合点がいったようだった。
「あれ──そういう……やつ?」
「そういうやつだ」
認識がズレているのである。十代が万丈目の両親に会うことに対して全く異存がなかったのは「恋人の両親」ではなく「友達の両親」に会うという感覚だったからだろう。結婚を望んでいるからではなかったのは残念だが。
「お前に対する両親の反応は悪くないし結婚も好きにしろと言われた。お前のご両親も会った感触としてはオレを悪く思わなかったと思うが」
「オレの? でも……別に結婚の話とかはしてなくない?」
「あのな、十代。息子さんとお付き合いさせていただいてますと挨拶に来たら、普通は結婚の前段階だと察する。というか、お前もオレの両親にそう挨拶してるだろ」
「えっ? お前がそう言えって……ああ──」
どうやら十代は「息子さんとお友達です」という挨拶だと思っていたらしい。万丈目が自分を追い込むために取った行動が十代を追い込むことになろうとは思いもしなかった。
「互いの両親の感触は悪くないし、あとはお前の気持ちだけだ。オレと結婚するのは嫌か?」
「オレは──」
十代は子供のように膝を抱えた。
「オレは人間じゃない」
「……そのようだな」
万丈目もこれまでにはっきりそう言われたわけではない。しかし一緒に暮らしていれば、その違和感には気づく。少しも伸びない髪や爪。いつまでも子供のような顔つき。風邪のひとつもひかず、料理や何かで指先を切ってもすぐに塞がり傷跡すら残らない──。
「歳も取らないし……死なないし……」
「ああ」
十代はうかがうように万丈目を見た。少し目が潤んでいる。
「そうだとしてもオレは結婚したいと思ってる」
「でも……」
「何が心配なんだ? 歳を取らないことが周りにバレたくないなら、外国にでも引っ越したらいい。オレは英語はできるし、必要なら何語でも覚える。戸籍みたいなもんは法のゆるい国で適当にでっち上げればいい」
万丈目は大したことではないかのように言った。実際には困難が伴うことはわかっている。でもそうする覚悟があることを十代に知ってほしかった。
「そんなこと……考えてたのかよ」
十代は少し笑った。
「生涯を共にしようというんだから、未来のことを考えるのは当たり前だろ」
「……ありがと」
十代は目元を拭った。しかしまだその顔から憂いは消えていない。
「でも、結婚するならその……そういうことを──その……」
「結婚するまで節度をというのは、結婚したら何でもさせろという意味じゃないぞ。お前が嫌なら今と同じように適切な距離を取る」
十代は意外そうにオレを見返した。
「当たり前だろうが、そんなことは」
「……ハグくらいはしてほしいけど……ていうか……嫌なわけじゃなくて……ちょっと……」
十代は言いよどんでいる。不老不死であること以外に何かあるのだろうか。
「言いたくないことを無理に言わなくていいぞ」
「じゃなくて……知ってほしい」
何度も迷って途切れる十代の言葉を待ち、伝えられたのは予想外のことだった。十代の身体は現在、左右で男女の混ざったかたちをしているのだという──ユベルのように。
万丈目はつい確かめようと視線をやって、十代が身体を隠すように膝を抱えていることに気づき目を逸らした。
「だから……えっと……どう?」
珍しく弱気な様子で十代は訊ねた。おそらくこれは十代にとって最大の秘密だ。
「……驚いたが、だからといってオレの気持ちは変わらない」
「変わん──ないか?」
「仮にオレがそうだとしたらお前はそれで嫌いになったりするのか?」
「ならないけど」
「それと同じことだ」
「そう──か」
十代は膝を抱えた体勢を変え胡座をかく。大きく息を吐いた。万丈目をまっすぐに見る。
「結婚する」
一言、きっぱりとそう言った。
「十代──」
「何驚いてんだよ。お前が言い出しっぺだ」
十代はからかうように笑った。
◇◆◇
十代は薬指にはまる新しい指輪を眺める。昼間に泣いていたのが嘘みたいに幸せな気分だった。
万丈目と明日香が結婚するかもしれないなんて、今思い返すと全然筋が通らない。万丈目が休みの日はほとんど十代と一緒にいるのだから、彼に明日香と会う暇なんてないのだ。
後から気がついたが、明日香からは十代と万丈目の結婚を祝うメッセージが届いていたし、他の友人たちからも同様のメッセージが届いていた。
つまり、十代以外は万丈目と十代が恋人関係だと認識していたのである。
五年もオレだけ気づいていないなんて、やっぱりオレは馬鹿で鈍感だ──と十代は自分を責めたくなる。しかし万丈目とお互いにあまりそのことは気にしないと約束した。すれ違いがあっても今は解消されたのだからよしとしなくては。
終わりよければすべてよし──という言葉が頭に浮かんで、終わりどころか始まったばかりかと思い直す。結婚を始まりとするならまだ始まっていない。
ドアの開く音がする。万丈目が寝室に入ってきた。いつもより時間は遅い。
「仕事?」
「いろいろ連絡をな。お前はちゃんとご両親に連絡したか?」
「した。日程はまた後で送るって」
結婚自体は嬉しいが、それに伴うもろもろのことは面倒くさいと十代は思う。
「それより万丈目」
十代は万丈目に向けて両手を広げた。ハグはしたいと十代が希望し、万丈目もそのくらいならと受け入れた。十代としては秘密を打ち明けた以上昔のように一緒に風呂に入りたかったが、それは拒否されてしまった。
万丈目は緊張した面持ちになり、ぎくしゃくとした動きで十代を抱きしめた。
「緊張しすぎじゃない?」
「うるさい」
まだ初日だから仕方ない。結婚前は節度がうんぬんというのが自分たちの話だと知っていたら、その時にハグがしたいと言えたのに。五年も経っていたらきっと緊張なんてせずに抱きしめてくれただろう。寝る前だけじゃなく寝る時だって抱きしめてくれたかもしれない──やはりそれも風呂同様に断られてしまった。
五年ももったいない──。
油断するとすぐに過去を悔いてしまう。これからはデートをちゃんとデートとして楽しめるし、いつか出ていかなくちゃいけないのかなとか、そんな心配もしなくていい。万丈目の好意だって、ちゃんと受け取ることができる。虫除けだと言われた指輪を文字通りに受け取るのではなく。
「あのさ、結婚したらさ」
ベッドに並んで横になって、暗くなった部屋で十代は万丈目に訊ねる。
「子供ってほしい?」
「養子か? 考えてなかったが……」
「じゃなくて、オレ子供生めるかもしれないんだけど」
「は?」
暗くてよく見えないが、たぶん万丈目は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。
「まあ本当に生めるのかわかんないんだけどさ。なにしろ前例がない。今すぐ決めろってわけじゃなく、とりあえずこれは情報共有な」
今後は認識の齟齬がないように適宜確認しよう、ということになっている。そのために情報共有は必要だ。
「……わかった、頭に入れておく。……お前は子供はほしいのか?」
「子供がいたら楽しいかなと思うけど、オレより先に死んじゃうなとも思う。もしかしたら孫とかも生まれるかもしれないけど、いずれは途絶えるし……生まれるかもわかんないのにこんなこと考えるのも変だけどさ」
「変ではない。子供に先立たれるのはつらいことだ」
「……うん。きっとすごくつらい──」
子供だけじゃなくて、みんな。お前も──。
「十代」
「ん?」
「少し……こっちに来るか」
「いいの?」
「嫌ならいい」
「嫌なもんか」
十代は寝たまま万丈目の方へ寄る。万丈目はやはりぎこちない動きで十代の背に腕を回した。十代は万丈目の枕に頭を乗せる。暗くて万丈目の顔は輪郭くらいしか見えない。万丈目からも十代のにやけてしまった顔は見えないだろう。
「へへ。どーしたの」
「後悔したくないからな。オレは──あと五十年くらいしか一緒にいてやれん。オレの仕事とお前の仕事で長ければ一年の半分近く一緒にいないことを思うと実質二十五年だ。もしかしたらもっと早いかもしれない」
「……ん」
そんなことは考えたくない。でも子供がいても先立たれてしまうと口にしたのは十代だ。万丈目もそうだと言外に含まれていることなど、頭のいい彼ならすぐに気づいてしまっただろう。
「後から一日でも早くこうしてやればよかったなんて思っても遅い」
「うん」
暗いから十代が泣きそうになった顔も見られずに済む。気づかれてはいるかもしれないが。
「じゃあもっとくっついてよ」
十代は万丈目の肩に額を寄せ、自分も万丈目の背に腕を回した。万丈目も十代を軽く抱きしめる。
生きている温度だ──。
涙が流れそうになる。十代は、気づかれないように小さくおやすみと言った。
「おやすみ」
万丈目は十代の背を撫でた。その動きはやっぱり少しぎこちなかったけれど、一日でも早くと手を伸ばしてくれたことが十代は嬉しかった。
オレも──頑張らないと。
今こうしていられるのは万丈目が勇気を出して想いを伝えてくれたからだ。十代は傷つくことを怖れて、最初から諦めて何もしなかった。指輪なんてわかりやすいものをもらってもその意味を考えなかった。万丈目が自分に向けてくれる気持ちをある意味では無視し続けて、逃げていた。
でも、これからは傷ついても万丈目と向き合わなくてはいけない。もうすれ違ってしまわないように。もしすれ違ってもやり直せるように。いずれ別れの日が来るとわかっていても。
この幸せな時間を一日でも長く過ごしたい。永い時の中で、振り返れば瞬きみたいに短い時間を、笑顔で思い出せるように。
2026/01/31
2026/02/01 誤字修正
「──そうですね、そろそろ結婚したいですね」
万丈目準のその言葉に、お相手は、いつ、と記者たちはざわめく。万丈目はしかるべき時がきたら公表するといって微笑んだ。その口振りからすると、もう結婚は決まっているのだろう。
結婚──するのか。
咀嚼していた菓子の味がしなくなった気がした。
誰と──なんだろう。
まだインタビューはあったが、その内容は遊城十代の耳にはほとんど入らなかった。見慣れた顔の映るテレビ画面を眺めながら自分の思考へ没頭する。
明日香──かな。
十代の頭には、同級生だった天上院明日香の顔が浮かぶ。なぜだか高校生の頃の顔を思い出した。
ずっと好きだったもんな──。
高校生の頃の万丈目は明日香への好意を隠すことはなかった。当時の明日香はそんな万丈目に呆れていたような気もするが。
万丈目くんも最近はすっかり落ち着いたわね、なんて言葉を聞いたのはいつだったろうか。酒の席だった気がするから、二十歳は越えていたのだろう。確か──万丈目が何かの大会で優勝した祝いに学生時代の面面と集まったのだったか。あなたは相変わらずどこにも落ち着いてないのかしら、と言われた覚えがある。
最近は万丈目くんのとこだよねぇと丸藤翔が答えた。
十代は定住していない。人間界にいるときはホテルや何かに泊まることが多いが、野宿もする。異世界に行ったらほとんど野宿だ。日本にいるなら友達の家に泊まることもあるが、パラドックスの一件で万丈目グループから仕事を依頼されたのをきっかけに万丈目の家に泊まることも多くなり、いつの間にかほとんど同居状態になった。
こいつはよそで迷惑をかけるからな、オレが見てやらにゃいかんのだ──と万丈目は言っていた。事実、その少し前に翔の家に入り浸って迷惑をかけるなと万丈目に言われていたのだ。
どうやら万丈目には仕事を斡旋した以上面倒を見なければならないと思われていた。別に仕事を斡旋したからといって十代の居住や生活の面倒を見る義理など一切ないと思うのだが、万丈目は責任感が強いのである。十代もこれ幸いと入り浸っているのだが。
それももう終わりか。
テレビの万丈目のインタビューはいつの間にか終わっていた。十代はそのことにも気づかず、まだ考えていた。
明日香と付き合っているなら教えてくれてもいいのに──。
万丈目はドがつくほど真面目だから、結婚が確定するまでは他人に言いたくなかったのだろうか。万丈目は仕事以外では外泊もしないから、行動で気づくのも難しい。普通のカップルなら二人で外泊したり、互いの家に泊まったりといったことをするのだろうが、万丈目はたとえ相思相愛の相手でも結婚するまでそのようなことはすべきではない、という考えなのである。今時珍しいと思うが、いわゆる「ワンナイト」の相手として誘いを受けることに辟易していた十代としては、この世の人間全てがそうなら断る手間がなくて楽なのにと思った。楽しくデュエルをした後にそのような誘いを受けると楽しい気分も台無しだ。万丈目の意見に十代が賛同すると、万丈目は驚くと同時に同じ考えであることを喜んだ。あまり賛同者はいないのだろう。
十代の場合はその信条への共感より現実的な問題として一生を共にする相手でもなければ己の秘密を明かせないからではあるのだが。
ともかく友人の結婚はめでたいことだ──十代は明日香に結婚おめでとうとメッセージを送った。明日香はすぐに返事をくれた。
あら、耳が早いのね。ありがとう。式にはぜひ来てね──。
──結婚式か。
白い衣装を来た二人を想像する。万丈目など有頂天なことだろう。祝福すべきなのだ。
そう思うけれど、十代は無性に悲しくなり携帯端末をソファに投げ捨てた。横になりたくなって寝室に向かう。万丈目が半分貸してくれているふかふかのベッドだ。もうすぐ使えなくなってしまうだろう。万丈目は結婚してしまうのだから──。
十代の目からは涙が溢れてきた。ずっと万丈目のことが好きだった。自分なんかがどうにかなれるとは始めから思っていない。だから友達としてしばらく一緒に住めてよくデュエルしたり遊びに行ったりできて、もう充分なはずだ。充分だと思うべきだ。
でも。
十代の目からは更に涙が溢れてくる。今のうちに泣いておこう。万丈目が帰ってきたら、ちゃんとおめでとうと言わなくては……。
寝室で一人泣く十代は、リビングのソファに投げ捨てた端末に明日香からもう一件メッセージが届いていたことに気づかなかった。
あなたこそ結婚おめでとう。あなたたちの結婚式にもぜひ呼んでね!
◇◆◇
結婚を申し入れる度胸がない。タイミングがつかめない。言い出すことができない。
「じゃあ自分を追い込んでみたら?」
と翔は言った。自ら外堀を埋め、言わなければならないようにしたらどうか、と。
万丈目は十代を自分の親兄弟に会わせた。自分もまた「少しは親孝行しろ」と十代を実家に帰らせ、送ったついでに彼の両親に挨拶をした。互いの両親の反応は悪くない──と万丈目は感じている。
万丈目の両親は昔からずっと見合い結婚を望んでいたが、長年断り続けていることと十代を見たことでもう三男坊の結婚相手は諦めたようだった。十代の陽気な性格とデュエルの強さはそれなりに気に入られたように思う。
十代の両親は十代から何も話を聞いていなかったらしく驚いていたが、十代本人に対して放任主義であるように十代の相手が誰でも反対する気はないようだった。後から十代に彼の両親の反応を聞いたら「先に言って欲しかったって言ってた。あとサイン欲しいって言ってた」というほとんど中身のない答えが帰ってきた。もちろんサインと手紙を送った。彼の両親からの返信には、礼と今後も息子をよろしくと書かれていた。悪くはないだろう。
「後は本人に言うだけなのに」
万丈目の話を聞いた翔は呆れたように言った。彼は三年前に結婚している。悩むより思い切って言ってしまえばいいのだ、というのは翔自身の経験則だった。
「付き合ってから何年だっけ。まだ兄さんと同居してた時だから……」
「もうすぐ五年だ」
「あ、そうそう。面白かったなあ、あの日の万丈目くん」
翔には未だにからかわれる。万丈目が十代への気持ちを自覚したのは、翔の兄である丸藤亮がきっかけだった。
デュエルアカデミアの卒業後、万丈目は一人暮らしを始めた。十代は定住せず国内外や異世界を飛び回っており、野宿することも珍しくないようだった。十代は十二次元世界を支配しかけた覇王でもあるのだから心配するだけ野暮だろう。しかし友人として──当時はあくまでも友人として、日本に来たら泊まってもいいと声をかけるのは自然なことだ。十代は他の同級生たちにももちろん同じように言われていた。
万丈目のところによく十代が泊まるようになったきっかけは、未来から来たというパラドックスが歴史を変えようとした事件だった。その時万丈目グループの保有するカードもごっそり消えてしまったのだ。そんな非常識な事件には非常識な存在の方が対応できるだろうと十代に調査を頼んだ。その際万丈目グループのデータベースなどが使えるようにとパソコンを渡したら、それ以降電源がつかなくなったとか(ただの充電切れだ)ソフトが動かなくなったとか(大抵アップデートや再起動で直る)よく十代が来るようになったのだった。
しかしある日、しばらく十代が来ないと思ったら、一緒に飲んでいた翔から「最近アニキがずっと兄さんとデュエルしてるんだよね」と愚痴られた。なんでも武藤遊戯の知り合いのカードショップが閉店し、売り物にもならないカードが余っているが少しいらないかと十代が一箱譲り受けた。レアではないが最近では見ないカードがたくさんあると、そのカードでずっと亮とデュエルに興じているのだと。
「リビングの電気がついてるとボクの部屋まぶしいんだよねって言ったら兄さんの部屋でデュエルするようになって、一緒に寝てたからびっくりしたよ」
翔のその言葉に万丈目の胸はひどくざわつき、十代が好きなのだと自覚したのだった。それはもろに顔に出たらしく、その後の行動も含めて未だ翔にからかわれている。しかしきっかけをくれたことには感謝せねばなるまい。
その後万丈目は翔と共に彼の家に向かった。
「おかえり。万丈目、久しぶりだな」
亮はリビングで一人、お茶を飲んでいた。
「ただいま。あれ? アニキは?」
「寝てるぞ」
「ベッド取られちゃったの?」
亮は肩をすくめた。十代は彼の部屋で彼のベッドを占領して眠っていた。ベッドにはカードが散らばり、デッキでも考えるうちに眠ってしまったようだった。
「十代、起きろ!」
肩を揺すぶると十代は「あ~万丈目おはよう」と間抜けな顔で笑った。
「おはようじゃない。夜だ。翔やカイザーに迷惑をかけるな。帰るぞ」
「え~?」
十代は寝ぼけ眼をこすった。身支度をさせてカードを片付けさせ、翔と亮に頭を下げさせた。
「別に迷惑じゃないぞ。珍しいカードでのデュエルは楽しかった」
カイザーと呼ばれた男は寛容だった。もうちょっと遊びたいと不満そうな十代の手を引いて丸藤兄弟の住むマンションを出た。
「まったくお前は──カイザーだからいいものの、あんなことはするんじゃない」
「あんなって?」
「その……恋人でもない相手のベッドに寝るようなことはだな……」
「カイザーは友達じゃん」
「カイザーはいいんだ別に」
彼と何かあるわけがないのだ──冷静に考えれば。しかし翔の家に行くまでの万丈目は完全に冷静さを失っていた。高校時代の亮は十代の憧れだった。彼とデュエルする十代は本当に楽しそうで、あの頃の二人を思い返すともう十代は亮のことが好きなのではないかと、そんなことを思ってしまったのだ。亮の方も十代を憎からず思ってはいないかと──。
しかし亮の顔を見ればそんな気配は皆無であった。後輩にベッドを取られてやや困っていただけだった。
「まあ確かにちょっと困らせちゃったかな。別に起こしてくれりゃどくのに、カイザー何も言わないからさ」
「今後はそうやってよそに迷惑をかけるな。日本にいる間はオレのところに泊まればいいだろ」
「いーの?」
「お前がよそに迷惑をかけるよりマシだからな」
「んじゃ、そーする。でもカイザーのベッド気持ちよかったなあ。調子悪いと寝込むこともあるからいいの買ったんだって。すげーふかふか」
ベッドごときに嫉妬しても仕方ないと頭では理解していた。しかしその夜の万丈目はやはり冷静ではなかったのである。言い訳をするなら酒も飲んでいた。
「だったらオレのベッドで寝たらいいだろ」
「さっきひとのベッドで寝るなって言ったばかりじゃん」
「オレが付き合ってやると言ってるんだ」
最低の告白だったと思う。高校生の頃から変わらない意地っぱりで素直になれない性格がこれほど嫌になった日はない。万丈目に手を引かれて少し後ろを歩く十代の顔を見る勇気は、残念ながらなかった。
「マジ? ありがと!」
十代の返事は色よいものだった。あまりのことにその後の会話を万丈目はよく覚えていない。感謝しろとか、やはり意地っぱりなことを言ってしまったと思う。
そうして付き合って一日目にして同じベッドに寝ることになったが、万丈目は自分が軽薄な男であると十代に思われたくなかった。ベッドに転がりふかふかだと喜ぶ十代に万丈目は言った。
「なんというかだな、節度というのは大切なんだ。相思相愛だとしても、結婚するまでは、その──お前もいい大人だからわかるな?」
「うん」
「お前もそう思うか?」
「いい考えだと思うよ。そのくらいきちんとしてる方がいいよな」
十代は万丈目の意見に深く頷いた。ここに意見の相違があってはうまくいかない。同じ考えであることが嬉しかった。
その後も万丈目と十代は問題なく付き合った。十代も万丈目も家を空けることはままあるものの、共同生活に問題はなかった。家事を分担し、互いを気遣い、時にはデートを楽しみ──三年目にはプロポーズしたいと万丈目は思った。
しかし、自分の仕事が忙しかったり、十代が旅に出てしまったり、うまくプロポーズのタイミングがつかめなかった。いざ言おうとしても口に出来なかったり──気がつけば二人の付き合いは五年経とうとしていた。
そして現在、翔の「自分を追い込んでみたら」というアドバイスを元に、万丈目は自分を追い込み続けているのである。
今日はついにマスコミの前で結婚するつもりがあることを口にした。これまでずっと結婚について聞かれたら「いつかはしたいですね」と濁し続けてきた。今日のインタビューは十代もテレビで見ているはずだ。きっと期待に胸をふくらませながら万丈目の帰りを待っているだろう──いや、それこそ万丈目の期待であり、マスコミに先に言うなんてと怒られる可能性もあるのだが。
ともかく万丈目の頭には断られるという選択肢はなかった。ずっとうまく付き合ってきた。万丈目はそう思っている。
マンションに帰ると、室内は真っ暗だった。万丈目は十代が旅立ってしまったのだとまず思った。普段なら万丈目に一報入れるが、なんの連絡も来ていなかった。よほど慌てていたのだろうか?
しかし照明をつけよく見れば十代の靴は玄関に揃えられていた。
不審に思いながら万丈目は室内に入り、リビングには十代がいないことを確認する。テレビがつけっぱなしになっていたから切り、寝室へ向かった。十代はベッドで眠っているようだった。
「十代?」
照明をつけ、声をかけると毛布の下の塊がもぞりと動く。毛布から茶色の頭が出てきた。
「大丈夫か? 具合が悪いのか?」
病気知らずの十代がいったいどうしてしまったのだろう? 十代は腫れぼったくなった目をこすり、おかえりと掠れた声で言った。
「熱でもあるのか?」
「……大丈夫」
全く大丈夫そうには見えなかった。十代は無理に笑顔を作る。
「結婚おめでとう」
「はあ?」
「インタビュー見た。そろそろするんだろ」
「なんだ他人事みたいに」
この反応は予想外である。先にマスコミに言ったのは失敗だったか。
「……先に言わなくて悪かった」
「本当だよ、教えろよ」
拗ねたように十代は言った。具合が悪いのではなく怒っているのか?
「意気地がなかったのは認める。──十代」
用意していた指輪を取り出す。ベッドの横に片膝をつく。理想には遥か遠いが、ここで言わねばなるまい。
「結婚してくれ」
「はあ?」
十代は顔をしかめた。ここは素直に謝らなければならない。この五年で自分も大人になったのだ。
「……すまない。言い出す勇気が出ないからとマスコミを利用するようなことをして、本当に情けないことをしたと思う。一番最初にお前に言うべきだった」
十代は指輪とオレの顔を見比べる。
「……お前明日香と結婚するんじゃねえの?」
「なんで急に天上院くんが出てくるんだ?」
「だってお前……明日香と結婚するだろ」
なぜそう思い込んでいるのだ? 十代の目は万丈目のことをからかっているわけではなさそうだった。
「しないが……そもそも天上院くんは留学した時から付き合ってる恋人と結婚するぞ。式は来年の予定らしいが」
「……マジ?」
茶色の目が瞬く。本当に驚いているようだった。
「お前オレが二股してるとでも思ってたのか?」
「二股? 明日香以外にも付き合ってたのか?」
「だから天上院くんとは付き合ってない。……高校の時にフラれてるんだぞ」
「……待ってマジでわかんない……」
十代は頭を抱えた。何をそんなに悩んでいるのか、万丈目の方がわからなかった。
「明日香はお前をフッてて、留学先のやつと結婚すんだな?」
「そうだ」
「……じゃあお前は誰と結婚すんの?」
「お前だ」
「なんで?」
「なんでって……五年も付き合ったし頃合いだろう。年齢的にも悪くないだろうし……キングの称号も得たことだし……」
理由を並べながら、それは対外的なものばかりではないか? と万丈目は思う。
「何よりあ、あ──」
愛していると口にしづらい。万丈目が言えないうちに十代が口を開く。
「あのさ、まず五年も付き合ってなくね?」
「まあ四年十ヶ月くらいか」
「細かい数字じゃなくてよ……オレたち別に付き合ってないだろ」
「は……?」
五年近く万丈目のそばでいつも幸せそうに笑っていたじゃないか。あれは全部嘘だというのか? 足元が崩れていくような気分がした。
「……付き合ってたのか?」
十代もまた困惑した様子だ。十代にしてみれば同居人が五年近く勝手に自分を恋人だと思い込んでいたことになる。
「……オレはそのつもりだった」
「でも……ハグもしないし……」
「結婚するまでは軽率なことはしないというのはお前も同意見だと思ったんだが」
「え? ……あれオレたちの話だったの?」
「オレはそのつもりだ」
「じゃ、よく一緒に出かけたりしてたのって、デート……」
「の、つもりだ」
つもり、つもり──全て万丈目の思い込みなのである。何年も勝手に、十代と付き合っていると思い込んでいた──。
恥ずかしいよりもとにかく情けなく虚しく、万丈目は十代の顔が見られなかった。
「なんだよそれ……五年も……」
五年も思い込んでいやがって気色悪い──とでも思っているのだろう。
「五年ももったいないじゃん!」
十代はベッドをぼふりと叩いた。
「あれ全部デートだったのかよ! オレが勝手にデート気分になってただけじゃなくて!?」
もったいないッと十代は叫んだ。万丈目の想像した反応と違う。
「もったいない……?」
「もったいないだろ! せっかくデートできてたのに! 五年も!」
十代はうつぶせにベッドへ倒れ頭をかきむしった。どうやら十代は万丈目の勘違いを悪くは思っていないようだ。万丈目は気が抜けベッドに座った。
しかしなぜ十代は万丈目と「付き合っていない」と思っていたのだ? 万丈目はそう質問する。
「だって……何も言われてないし……」
「言ったしお前も承諾したと思うんだが」
「いつだよ」
十代は寝た体勢のまま首を傾けて万丈目を見上げた。
「だから四年十ヶ月前……」
「細けぇ数字じゃなくてよ……どっか出かけた時とかそういう」
「ああ──翔の家からの帰り道だったろ」
「翔の?」
「お前が翔のところに入り浸って、オレが迎えに行って」
「うん──それはあった、あったな。でも告白とかされた覚えは……」
「しただろ。付き合ってくれと──」
「……あの時って、ここに住んでいいって話しかしてなくね? あとベッド使っていいとか……」
万丈目は当時の会話の流れを思い出す。十代に日本にいる時は自分のところに来いと言い、ベッドの話になり──。
オレのベッドで寝たらいいだろ。
さっきひとのベッドで寝るなって言ったばかりじゃん。
オレが付き合ってやると言ってるんだ──。
「……恋人になれば同じベッドで寝ても問題ないから付き合おうと……言ったつもりなんだが」
十代は目を丸くした。
「そういう──話だったのか? ……ごめん、本当にベッドとかの話しかしてないと思ってた……」
「いや……オレの責任だ。本当にすまない」
恥ずかしいからと遠回しな言い方をした自分が全て悪い。
「謝んなよ。オレも鈍いからさ、あんまどっちが悪いとか言うのはやめようぜ」
十代は起き上がって万丈目の前に座り直した。
「だってよく考えてみたら……誕生祝いに友達といい感じのホテルで飯食って豪華な部屋に泊まらないよな?」
「まあ……そういうことをする友達もいるかもしれないが」
「虫除けだってこんな高そうな指輪を買わないよな……?」
十代は自分の左手の薬指にはまる指輪を示した。何年か前に二人で出かけた際、少し離れた間に十代がナンパされてしまった。そのため万丈目が「虫除けにしろ」と贈ったものだ。十代はずいぶん喜んで、はにかむ笑顔が可愛かったことを覚えている。
「……こんなダイレクトなもんもらったのに気づかないのは本当に馬鹿だよな……」
十代は悲しげに薬指の指輪を見つめた。
誕生祝いの食事と宿泊、指輪のプレゼントなどいかにも恋人らしい行動だ。しかし万丈目の婚前は節度ある距離をという信条、何より素直になりきれない性格と十代の鈍感さの組み合わせがこの状況を起こしてしまったのだろう。
「……お前の言う通りどちらが悪いとか言うのはやめよう。それより、お互いの認識を整理したい」
万丈目も座り直して十代と向き合う。
「まず……好意においては双方に相違がないということでいいか?」
「ソーホーに……なに?」
十代の反応に、万丈目は自分の言葉遣いが誤解を招く原因かもしれないと思う。
「オレとお前はお互いに好きだということでいいんだな?」
十代は目をぱちくりとさせ、それからはにかんで笑う。
「なんか改めて言われると照れるな!」
「交際に関してはオレだけ一方的に付き合ってると認識してたが、お前はどう思ってたんだ?」
「どうって言われても……」
漠然とした質問はよくないようだ。
「たとえばデート……とオレが一方的に思ってたが、嫌じゃなかったか?」
「全然。むしろ楽しかったぜ。デートってちゃんとわかってなかったのはもったいないけど……」
「恋人でもないのに恋人のようなことをさせられるのは嫌じゃなかったのか?」
「ない。そもそも恋人みたいなことだって気づいてなかったし」
気づいて──いなかったのか? 万丈目は違和感を覚えた。万丈目はこの五年近く、十代が自分のことを恋人だと認識「していない」とは思わなかった。それは十代の反応が「恋人らしかった」からではないだろうか。特に指輪を贈った時など、もらっていいのかと照れくさそうに微笑み、薬指にはめた指輪を嬉しそうに見つめて──。
「指輪は……どうなんだ。気づかなかったと言ったが、指輪を贈られるなんて変だと思わなかったのか?」
「虫除けって言ってたから……高そうとは思ったけど、お前って御曹司だし金持ちって友達にこういうプレゼントするのがよくあるのかなってその時は思ってた」
つまり──万丈目の物言いが悪いのだ。素直に「そろそろ付き合いも長くなったし指輪を贈りたい」と言っていれば誤解もその場で解けたのだ。
「でももらって本当に嬉しかったぜ! ちょっと恋人みたいだなーなんて思ったし」
にこにこと十代は笑う。
「そう思っても気づかなかったのか……?」
「だから鈍すぎて馬鹿だなって反省してる……」
十代は笑顔から一転、悲しそうな顔になる。
「そこははっきり言わないオレも悪い……ともかくそのあたりは双方に非があるということで手打ちにしよう」
自分が大いに悪かった気がするが、万丈目はそれを棚に上げた。十代は万丈目を責めることなく頷く。
「オレたちはお互いに好意があって、認識に齟齬はあったもののこの五年弱はいい付き合いをしてきた──ということだ」
「そうだな」
「それで、誤解ないようにはっきり言うぞ。オレはお前と結婚したいと思っている。お前はどうだ?」
「け──ああ──えっと──」
十代は明らかに動揺し視線をさ迷わせる。完全に及び腰だ。逃げられないようにしなくてはならない。
「何か疑問があるのか?」
「……お前社長令嬢とかと結婚しなくていいの? なんか……親御さんとかがさ……」
「オレの親にはこの前会っただろうが」
「えっ?」
十代は驚きオレを見て、それから合点がいったようだった。
「あれ──そういう……やつ?」
「そういうやつだ」
認識がズレているのである。十代が万丈目の両親に会うことに対して全く異存がなかったのは「恋人の両親」ではなく「友達の両親」に会うという感覚だったからだろう。結婚を望んでいるからではなかったのは残念だが。
「お前に対する両親の反応は悪くないし結婚も好きにしろと言われた。お前のご両親も会った感触としてはオレを悪く思わなかったと思うが」
「オレの? でも……別に結婚の話とかはしてなくない?」
「あのな、十代。息子さんとお付き合いさせていただいてますと挨拶に来たら、普通は結婚の前段階だと察する。というか、お前もオレの両親にそう挨拶してるだろ」
「えっ? お前がそう言えって……ああ──」
どうやら十代は「息子さんとお友達です」という挨拶だと思っていたらしい。万丈目が自分を追い込むために取った行動が十代を追い込むことになろうとは思いもしなかった。
「互いの両親の感触は悪くないし、あとはお前の気持ちだけだ。オレと結婚するのは嫌か?」
「オレは──」
十代は子供のように膝を抱えた。
「オレは人間じゃない」
「……そのようだな」
万丈目もこれまでにはっきりそう言われたわけではない。しかし一緒に暮らしていれば、その違和感には気づく。少しも伸びない髪や爪。いつまでも子供のような顔つき。風邪のひとつもひかず、料理や何かで指先を切ってもすぐに塞がり傷跡すら残らない──。
「歳も取らないし……死なないし……」
「ああ」
十代はうかがうように万丈目を見た。少し目が潤んでいる。
「そうだとしてもオレは結婚したいと思ってる」
「でも……」
「何が心配なんだ? 歳を取らないことが周りにバレたくないなら、外国にでも引っ越したらいい。オレは英語はできるし、必要なら何語でも覚える。戸籍みたいなもんは法のゆるい国で適当にでっち上げればいい」
万丈目は大したことではないかのように言った。実際には困難が伴うことはわかっている。でもそうする覚悟があることを十代に知ってほしかった。
「そんなこと……考えてたのかよ」
十代は少し笑った。
「生涯を共にしようというんだから、未来のことを考えるのは当たり前だろ」
「……ありがと」
十代は目元を拭った。しかしまだその顔から憂いは消えていない。
「でも、結婚するならその……そういうことを──その……」
「結婚するまで節度をというのは、結婚したら何でもさせろという意味じゃないぞ。お前が嫌なら今と同じように適切な距離を取る」
十代は意外そうにオレを見返した。
「当たり前だろうが、そんなことは」
「……ハグくらいはしてほしいけど……ていうか……嫌なわけじゃなくて……ちょっと……」
十代は言いよどんでいる。不老不死であること以外に何かあるのだろうか。
「言いたくないことを無理に言わなくていいぞ」
「じゃなくて……知ってほしい」
何度も迷って途切れる十代の言葉を待ち、伝えられたのは予想外のことだった。十代の身体は現在、左右で男女の混ざったかたちをしているのだという──ユベルのように。
万丈目はつい確かめようと視線をやって、十代が身体を隠すように膝を抱えていることに気づき目を逸らした。
「だから……えっと……どう?」
珍しく弱気な様子で十代は訊ねた。おそらくこれは十代にとって最大の秘密だ。
「……驚いたが、だからといってオレの気持ちは変わらない」
「変わん──ないか?」
「仮にオレがそうだとしたらお前はそれで嫌いになったりするのか?」
「ならないけど」
「それと同じことだ」
「そう──か」
十代は膝を抱えた体勢を変え胡座をかく。大きく息を吐いた。万丈目をまっすぐに見る。
「結婚する」
一言、きっぱりとそう言った。
「十代──」
「何驚いてんだよ。お前が言い出しっぺだ」
十代はからかうように笑った。
◇◆◇
十代は薬指にはまる新しい指輪を眺める。昼間に泣いていたのが嘘みたいに幸せな気分だった。
万丈目と明日香が結婚するかもしれないなんて、今思い返すと全然筋が通らない。万丈目が休みの日はほとんど十代と一緒にいるのだから、彼に明日香と会う暇なんてないのだ。
後から気がついたが、明日香からは十代と万丈目の結婚を祝うメッセージが届いていたし、他の友人たちからも同様のメッセージが届いていた。
つまり、十代以外は万丈目と十代が恋人関係だと認識していたのである。
五年もオレだけ気づいていないなんて、やっぱりオレは馬鹿で鈍感だ──と十代は自分を責めたくなる。しかし万丈目とお互いにあまりそのことは気にしないと約束した。すれ違いがあっても今は解消されたのだからよしとしなくては。
終わりよければすべてよし──という言葉が頭に浮かんで、終わりどころか始まったばかりかと思い直す。結婚を始まりとするならまだ始まっていない。
ドアの開く音がする。万丈目が寝室に入ってきた。いつもより時間は遅い。
「仕事?」
「いろいろ連絡をな。お前はちゃんとご両親に連絡したか?」
「した。日程はまた後で送るって」
結婚自体は嬉しいが、それに伴うもろもろのことは面倒くさいと十代は思う。
「それより万丈目」
十代は万丈目に向けて両手を広げた。ハグはしたいと十代が希望し、万丈目もそのくらいならと受け入れた。十代としては秘密を打ち明けた以上昔のように一緒に風呂に入りたかったが、それは拒否されてしまった。
万丈目は緊張した面持ちになり、ぎくしゃくとした動きで十代を抱きしめた。
「緊張しすぎじゃない?」
「うるさい」
まだ初日だから仕方ない。結婚前は節度がうんぬんというのが自分たちの話だと知っていたら、その時にハグがしたいと言えたのに。五年も経っていたらきっと緊張なんてせずに抱きしめてくれただろう。寝る前だけじゃなく寝る時だって抱きしめてくれたかもしれない──やはりそれも風呂同様に断られてしまった。
五年ももったいない──。
油断するとすぐに過去を悔いてしまう。これからはデートをちゃんとデートとして楽しめるし、いつか出ていかなくちゃいけないのかなとか、そんな心配もしなくていい。万丈目の好意だって、ちゃんと受け取ることができる。虫除けだと言われた指輪を文字通りに受け取るのではなく。
「あのさ、結婚したらさ」
ベッドに並んで横になって、暗くなった部屋で十代は万丈目に訊ねる。
「子供ってほしい?」
「養子か? 考えてなかったが……」
「じゃなくて、オレ子供生めるかもしれないんだけど」
「は?」
暗くてよく見えないが、たぶん万丈目は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。
「まあ本当に生めるのかわかんないんだけどさ。なにしろ前例がない。今すぐ決めろってわけじゃなく、とりあえずこれは情報共有な」
今後は認識の齟齬がないように適宜確認しよう、ということになっている。そのために情報共有は必要だ。
「……わかった、頭に入れておく。……お前は子供はほしいのか?」
「子供がいたら楽しいかなと思うけど、オレより先に死んじゃうなとも思う。もしかしたら孫とかも生まれるかもしれないけど、いずれは途絶えるし……生まれるかもわかんないのにこんなこと考えるのも変だけどさ」
「変ではない。子供に先立たれるのはつらいことだ」
「……うん。きっとすごくつらい──」
子供だけじゃなくて、みんな。お前も──。
「十代」
「ん?」
「少し……こっちに来るか」
「いいの?」
「嫌ならいい」
「嫌なもんか」
十代は寝たまま万丈目の方へ寄る。万丈目はやはりぎこちない動きで十代の背に腕を回した。十代は万丈目の枕に頭を乗せる。暗くて万丈目の顔は輪郭くらいしか見えない。万丈目からも十代のにやけてしまった顔は見えないだろう。
「へへ。どーしたの」
「後悔したくないからな。オレは──あと五十年くらいしか一緒にいてやれん。オレの仕事とお前の仕事で長ければ一年の半分近く一緒にいないことを思うと実質二十五年だ。もしかしたらもっと早いかもしれない」
「……ん」
そんなことは考えたくない。でも子供がいても先立たれてしまうと口にしたのは十代だ。万丈目もそうだと言外に含まれていることなど、頭のいい彼ならすぐに気づいてしまっただろう。
「後から一日でも早くこうしてやればよかったなんて思っても遅い」
「うん」
暗いから十代が泣きそうになった顔も見られずに済む。気づかれてはいるかもしれないが。
「じゃあもっとくっついてよ」
十代は万丈目の肩に額を寄せ、自分も万丈目の背に腕を回した。万丈目も十代を軽く抱きしめる。
生きている温度だ──。
涙が流れそうになる。十代は、気づかれないように小さくおやすみと言った。
「おやすみ」
万丈目は十代の背を撫でた。その動きはやっぱり少しぎこちなかったけれど、一日でも早くと手を伸ばしてくれたことが十代は嬉しかった。
オレも──頑張らないと。
今こうしていられるのは万丈目が勇気を出して想いを伝えてくれたからだ。十代は傷つくことを怖れて、最初から諦めて何もしなかった。指輪なんてわかりやすいものをもらってもその意味を考えなかった。万丈目が自分に向けてくれる気持ちをある意味では無視し続けて、逃げていた。
でも、これからは傷ついても万丈目と向き合わなくてはいけない。もうすれ違ってしまわないように。もしすれ違ってもやり直せるように。いずれ別れの日が来るとわかっていても。
この幸せな時間を一日でも長く過ごしたい。永い時の中で、振り返れば瞬きみたいに短い時間を、笑顔で思い出せるように。
2026/01/31
2026/02/01 誤字修正
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