【連作】遊城十代が死んだ

【不老不死if】万丈目の不老不死ifの話

「だからデュエル哲学というのはだな──」
 万丈目は教科書も見ずにペラペラと説明する。そんなことが頭に入ってるなんてスゲーなあ。何言ってるのかは全然わかんないけど。
「おい聞いてるのか? お前の! 卒業がかかってるんだぞ!」
「聞いてるよォ」
 内容は全然わかんないけど。でも万丈目の声はちゃんと聞いてる。ちょっと高くて、独特のクセがあって。きっと唯一無二の声だ。
 でも、卒業? 卒業なんて、もうずいぶん前にしたんじゃなかったっけ。ここはデュエルアカデミアの教室だ。二人で居残りでもしているみたいだった。万丈目はあの頃の黒い制服で、まだあどけなさの残る顔。こうやって見るとあの頃は可愛かったなあ。今が可愛くないとは言わないけど。
「おい聞いてるのか十代? 十代!」
 なんだか視界がぼやけてくる。万丈目の顔は見えなくなって、ぼんやりした黒い影になってしまう。目をこすってみようと思うのに、腕は上がらなかった。
「十代!」
 耳元で万丈目の声が聞こえた。焦ったような声だけど、何をそんなに焦ることがあるんだ? 卒業ならもうしたから大丈夫。結局デュエル哲学はよくわかんなかったけど。
 声のした方を見ようとする。
「十代──」
 万丈目、老けた? 違う、今の夢が子供の頃だっただけだ。あれが子供の頃なら、今はいつだ?
「十代、見えるか?」
 あまりよく見えない。返事をしようとしたけど、喉から声は出なかった。
「──先生を呼んでください、目を覚ましました!」
 万丈目の声が遠ざかる。先生、ってことはここは病院かなあ。なんでいるんだろ。思い出せない。まともに身体も動かない。
 ユベル、ちょっと説明してくれ──そう思ったけれど、ユベルは声も届かないくらい深く眠っているみたいだった。オレがこれだけダメージ受けてるから、ユベルもなんだろう。
 また交通事故かな。いや、そんな傷はすぐ治るはずだ。この身体がこれだけぼろぼろになるなら、光の波動とでも戦ったか? でも、いつどこでどう戦ったとかそういう記憶がまったくない。ただでさえ記憶は覚束ないのに。
 天井はたぶんクリーム色をしている。目の奥がぐるぐるする。こらえられなくて目を閉じた。
 何があったんだっけ。
 冬の気配が少し遠退いて、風が冷たくなくなったことを覚えている。春のように暖かい風はまだ吹かないけれど、冬のきんと冷たい風ではない。畦道には小さな黄色の花が咲いていたから、それを写真に撮ろうと足を止めた。
 はっきり覚えているのはそこまでだった。
 すごくたくさん嫌な夢を見た。何度も何度も身体を切り裂かれる夢。皮膚を切られ肉を切られ骨を切られ内臓を取り出されて何度も何度も何度も何度も。
「起きろ、十代」
 万丈目の声に目を開ける。嫌な夢を見ていた。
 真っ黒な服の万丈目の隣に白衣の男がいる。医師だろう。痛みの有無や具合の悪いところを聞かれた。少しは声を出せるようになって、ぽつりぽつりと返事をする。痛みはないが、めまいがひどかった。薬はないと医師に言われた。大方の薬は効かないから仕方ない。医師はできることがなくて申し訳ないと謝った。そんなことは謝られることじゃない。大丈夫なわけではないが大丈夫ですと答えた。
 医師は何かあれば呼んでくれと出ていった。万丈目だけが部屋に残る。
「何が……」
「覚えてないのか? ……今はとにかく休め」
 万丈目は心配そうにしている。万丈目と話したいけど、頭の中がぐるぐるして難しい。
 左腕に何かチューブが繋がれていることに気づいた。
 それを見た途端に目の前が真っ赤になった。
 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──。
「十代!」
 血のにおいがする。嫌だ。お願いだから。
 もう切らないで。

◇◆◇

 日常というのはある日突然崩壊する。
 あの日、家に入ると家の中は真っ暗だった。暗闇から猫の鳴き声がした。明かりをつけたら猫以外は誰もいなかった。オレの携帯端末にはなんの連絡もなく、こちらから十代に連絡しようとしても繋がらなかった。
「大徳寺先生。十代は?」
「昼間にお買い物に行ったきり……ですニャ」
 あまり頼りにならない猫の腹の同居人の返事を聞いて、オレは十代の所属する精霊研究室へと電話をかけた。そこで判明したのは、十代は精霊研究室にも連絡をしていないこと、十代の携帯端末は自宅からスーパーに向かう道に落ちていたことだった。
 オレの頭には「誘拐」という言葉が真っ先に浮かんだ。その瞬間に穏やかだった日常は一瞬で崩れ去ったのだ。
 一般的には失踪届なりなんなり出すのだろうが、精霊研究室と話し合ってそれはやめた。十代が自ら姿を消したなら邪魔になってしまうし、届け出て正体に気づかれても困る。インダストリアル・イリュージョン社と海馬コーポレーションが連携協力し捜索することになった。
 十代が消えた理由として考えられるのは自ら失踪したか人間または精霊による誘拐だ。
 人間によるものなら近辺に不審な車や人間がいなかったかと調査したが、住宅街からスーパーに向かう道に防犯カメラもなければ目撃者もいなかった。人間による誘拐だとして、身代金の要求などもなかった。精霊売買の闇マーケットにも大きな動きはなかったそうだ。
 精霊のしわざかと精霊研究室が十代が消えた近辺に精霊がいたかどうか、時空間の移動などあればそのエネルギー反応が残っていないかを調べたものの、そのような反応はなかった。しかしそれはすべての精霊を検知できるものではなく、計測できない未知の力で時空間を移動した可能性もある。精霊研究室の持つ機材で痕跡を見つけられないだけで精霊のしわざである可能性を排除できるものではないと説明された。
 調べても何もわからないことだけがわかった。
 二社からは今後も捜索を続けていくのでこれまで通り生活してほしいと言われたが、十代がいないまま「これまで通りの生活」などできるわけがなかった。オレの人生にはもうあいつが織り込まれてしまっているのだから。
 捜索とは異世界も調べるのかと聞いたら、この世界しか調べられないということだった。ならばオレにできるのはこの世界ではない場所を調べることだろうと──そう思い実行することにためらいはなかった。
 異世界を旅し、人ならざる力へ手を伸ばし、精霊から薬や毒を買いつける人間がいるのだという噂を耳にして──やっと十代を見つけたときには二十年経っていた。
 誘拐された十代は、解剖や人体実験を繰り返し行われた。不老不死の能力や精霊の力を死者の蘇生に利用できないかという研究であったようだ。記録されていた実験内容はおぞましいものだった。
 異世界から手に入れた薬で意識を奪われた状態で行われただけマシだったのかもしれない。
 でも。
「十代、落ち着け!」
 十代は突然錯乱状態になって腕の点滴を引きちぎり、もがきだした。
「十代!」
「嫌だッ! 嫌だ嫌だ嫌だアアアアアア」
 拒否の言葉だけを叫ぶ。
「十代、大丈夫だ、もう大丈夫だから」
 なんの意味もないかもしれないのにそう言った。彼にとって何も「大丈夫」ではないだろう。
「嫌だ、嫌だ、もう切らないで──」
 二色の目から涙がこぼれた。薬物で無理矢理精霊の力を引き出され、もう元の茶褐色には戻らなくなった目。何度も繰り返し生きたまま切り刻まれて──。
 突然背後に気配がした。振り向くと、オレのデッキのオジャマ三兄弟が実体化していた。おジャマたちの目は虚ろで、己の意思で動いているようには見えない。
「大人しくしてろ!」
 一喝する。十代に影響され暴れだすかもしれない。攻撃力ゼロとはいえ、暴走すれば人的被害が出かねない。
「十代! 泣いてないでオレを見ろ!」
 頭を抱えて呻く十代にそう呼び掛ける。
「十代!」
 見開かれた目がオレを見る。錯乱しどこを見ていたかわからなかった目の焦点がやっと合う。
「……万丈目」
 小さな声で呼ぶ。二色の目が信じられないものを見るようにオレを見る。
「……お前なんで……魂が──」
 人知を越えたその瞳は、普通の人間にはわからないことをいとも簡単に見抜いた。
「なんで……」
 二色の目は錯乱からではない涙を流した。
 しばらく泣いたら、疲れたのか十代は眠ってしまった。実体化の解けたおジャマ三兄弟が目を回して床に落ちた。
 オレは十代が点滴を無理矢理引き抜いた腕を見る。溢れた血を拭けば、傷はもうないようだった。回復力は元に戻ってきている。
「万丈目さん、大丈夫ですか?」
 スピーカーを通して外から声がかけられた。
「今は寝てます。替えのシーツと着替え、清拭の用意をお願いします」
 そう答えると、必要なものがワゴンで運ばれて来る。ドア前で受け取る。十代を自分のベッドに運び、監視カメラの視線を遮るカーテンを引いた。
 この病室──というか隔離室というか──には、プライベートなどオレの寝起きするこの場所にしかない。十代の身体を拭いて血で汚れた服を着替えさせる。それから十代のベッドのシーツを替えた。清拭もシーツの取り替えも初めは手間取ったが、もう慣れたものだ。十代が外してしまった点滴も片付け、床に落ちた血と薬品も掃除する。
 十代をもとのベッドに戻し、ワゴンに汚れたシーツと着替え、清拭の一式と点滴を載せてドアの前に行く。電子錠のかかったドアが開くと、そこには医師がいた。
「まだ何か?」
「点滴を付け直したいんですが」
「まだ必要ですか? もう傷は治るようですし、またパニックを起こすかもしれません」
 そうですねぇと医師は悩む様子を見せる。通常の人間の医療は通じないから、どのようにすべきかよくわからないのだろう。
「……わかりました、しばらく付けずに様子を見ましょう」
 医師がそう言い話は終わったかと思ったが、その隣にいた人間が言った。
「万丈目さん。申し訳ありませんが、デッキの隔離を」
 安全のためです──何度聞いたかわからない台詞だった。それに従い、デッキを隔離室へと置きに行った。隔離室では、ハネクリボーが所在なげにしている。
「万丈目。十代はどう?」
 比較的おしゃべりなアクア・ドルフィンが現れた。
「一応目は覚めた。また寝たがな。……今日からオレのデッキもここに隔離だ。雑魚どもを頼む」
 アクア・ドルフィンが頷いた。
「クリクリィ」
 ハネクリボーが寄ってくる。
「……ハネクリボーだけでも十代に会わせてやれませんか」
 オレの質問に、監視員はやはり安全のために無理だと答えた。ハネクリボーはしょげた顔で離れていく。
「しばらく待っててくれ」
 そう声をかけて、病室に戻った。十代はまだ眠っているようだった。
 目覚めれば、また錯乱したり泣いたりするのだろう。十代が目覚めるのを待ち続けていたのに、目覚めれば今度は別の苦しみがやってくる。
 十代は悪夢に飛び起きたり泣き叫んだり暴れたり、ただ静かに泣くだけだったり──そんなことを繰り返しながら日日は過ぎていった。十代はぽつぽつとさらわれる前の最後の記憶や、身体を切り刻まれた記憶を話した。
 誘拐されている間は強力な薬で眠らされ痛みも意識もなかったはずが、生きたまま何度も何度も解剖されたことを覚えているのは不思議であり、不幸だった。何も覚えていなければ苦しまなかっただろう。
「……お前は何があったんだよ。どうしてお前が、そんな──」
 二色の瞳に涙が浮かぶ。
「先に言っておくが、これはオレが望んだことで、後悔はしていない。お前がその選択に後悔していないように」
「でも、お前はただの人間で──」
「ああ。でもただの人間では」
 お前に二度と会えなかった。
 オレが人間であることを捨てた理由はただそれだけのことだった。

◇◆◇

「ここ……本当にオレたちの家?」
 玄関へ入った途端にそう言ってしまった。帰りたいと何度も泣いて、無理を言って帰ってきたのに。あれから二十年経ったという家は、しんとして冷たい感じがした。リビングに入ってもその感覚は同じで、前は帰宅すると一息つけた場所なのに居心地が悪い。ソファやローテーブルの場所も、テレビの位置もカーテンも、何一つ変わっていないはずなのに──。
「……帰りたかったのに、なんでここじゃないって思うんだろ」
「……変わってしまったから、かもしれない」
 万丈目が静かに答えた。変わっていないのは、位置だけか。カーテンは色褪せているし、オレがよく覚えていないだけで家自体も老朽化しているはずだ。もともとが築五十年くらいの家をリフォームしたものだから、もう築七十年経ったことになる。
「……病院に戻るか?」
「いや……もう少しいたい」
 オレはソファに座った。
「……表面ちょっと悪くなってる」
「手入れはしてないからな」
 万丈目も隣に座る。この家は、もう万丈目が買い取って、留守の間は定期的なハウスクリーニングを頼んでいたそうだ。だからほこりもなくキレイだけど、家具の細やかな手入れまではしていない。
 視界が歪んで、またぼろぼろと涙がこぼれる。どうして泣くのか自分でもよくわからない。目が覚めてからずっとこうだ。頭の中はごちゃごちゃして、涙は勝手に流れて、泣き疲れると眠ってしまう。万丈目ともたくさん話したいのに話そうとしたら泣いてしまうし、そうでなくても泣いてしまうからうまく話せない。全てがめちゃくちゃだ。
 隣に座る万丈目が軽く背を撫でてくれる。万丈目の魂の気配は少し変わって、人間より精霊のそれに近くなっている。オレを探して異世界を旅し、探し続けるために不老不死となる方法にまで手を伸ばしたという。人間として生きて死ぬはずだった彼の人生を歪めてしまった。
 万丈目が抱きしめてくれる。オレのせいで普通の人間ではなくなってしまったことへの罪悪感で、以前みたいにただ幸せだと思うことはできなかった。それでも抱きしめられるのは大好きだ。浅ましいと思う。オレはいつも大事な人の人生を歪めてしまう。なのにそれを嬉しく思っている。最低だ。オレなんかには泣く資格もない。でも涙は止まらなかった。
 いつの間にか眠っていた。目が覚めると、薄暗い中に見慣れた天井が見えた。少し視線を動かせば、見慣れたローテーブル、テレビ、カーテン──いつものリビングだ。
 涙が流れて、あんなのただ悪い夢を見ていただけならよかったのにと思った。オレはただ少し昼寝をしていただけで、万丈目にこんなところで寝るなと呆れられるか、笑ってくれるみたいな、そんな幸せな日日が、まだ続いていたら──。
 帰りたくて仕方なかったのは、そんな日日を取り戻したかったからなんだろう。でも、人の気配がしない、ただの木造の置物みたいになった家に来たら、それはもう失われたものなのだと改めて感じてしまった。もう二度と戻れないのだと。
 涙を拭おうとして、毛布をかけられていることに気がついた。万丈目がかけてくれたのだろう。
 でも、万丈目はリビングにはいないようだった。
「万丈目……?」
 起き上がる。ふらつく足で明るい廊下に出た。
「万丈目?」
 寝室にはいない。万丈目の部屋のドアを叩いたが返事はなかった。少しだけドアを開けてみたが、部屋は暗くてやはり中にはいないようだった。あとはトイレ。風呂。どちらにもいない。外に出ていってしまった?
 追いかけないと。玄関を見て、ドアに何か貼りつけられていることに気づく。近づくと、ちょうどオレの目の前になる高さだ。ジェイデンへ、とオレの偽名が書かれた封筒。貼りつけたテープは変色してパリパリになっていた。これは──。

 ──ジェイデンへ。無事帰ったならなら何よりだ。連絡をくれ。オレは今は日本にはいないから、電話はおそらく繋がらない。I2社に伝言するかこの家に手紙を残してくれ。オレは毎年八月には必ず帰る。オレの心配は無用だ。できれば会いたい。

 二十年前、万丈目がこの家を旅立つ前に用意したのだろう。おそらくオレが「自分の意志で」失踪したことを想定して書いたものか。
「十代?」
 後ろから声がした。振り向くと、万丈目がオレの部屋のドアから出てきていた。腕には服を抱えている。たぶん着替えを探していたのだ。
「……大丈夫か?」
 万丈目は心配そうに声をかける。オレはまた泣いてしまっていた。
 万丈目がずっとオレを探していたのは聞いた。でもずっと意識のなかったオレに二十年の実感はあまりなくて、この少し黄ばんだ手紙がその月日の証拠みたいだった。万丈目が必ず帰ると書いた毎年八月──オレたちの誕生日がある月だ。この二十年、その月にはここに帰って来たのか。毎年開封されないままの手紙を見てはきっとがっかりしていただろう。
「……玄関は冷えるぞ」
 そう言われて、一緒にリビングに戻った。手紙は汚れないようにまた封筒にしまってローテーブルに置く。万丈目がタオルとティッシュを持ってきてくれた。
「二十年しまいっぱなしだったから、ほこりっぽいかもしれないがな」
 タオルからは少しナフタレンのにおいがした。
「……本当にごめん、苦労かけてばっかりで……」
「お前のせいじゃない。それに、昔も言ったがお前の迷惑千万なところも含めてオレの人生の一部だ」
 万丈目は昔からそう言ってくれる。迷惑なところも含めて人生に欠かせないとか、人生に織り込まれたとか。最初にそう言ってくれた時は怒りながらだっけ。オレは本当にそれが嬉しくて、万丈目が生きてる間はずっとそばにいたいと思った。
「……お前のこと、ちゃんと見送らないといけなかったのに、そう思ってたのに」
 離れないで済むことが嬉しい。オレはやっぱりろくでもないやつだ。愛するひとをいつも人間でいられなくしてしまう。
「ずっと一緒にいてくれてありがとう」
 人間でなくさせてごめん──その言葉は飲み込んだ。オレはその罪悪感を飲み込んで、一生腹に抱えていくべきだ。
「……大好きだよ」
「オレも大好きだ」
 目を見てそう答えてくれる。ずいぶん素直じゃないか、とからかうことはできない。そうさせたのは二十年の空白と、目覚めなかった一年だ。オレたちの関係の変化はいつもオレに「よくない何か」があったことで起こる。
 オレが遊城十代として死んだことで一緒に暮らし始めて、交通事故に遭ったことで結婚して、誘拐され行方不明になることで彼を大きく変えた。人間の道から外れて、怒らなくてあまり表情を変えなくなって、でも素直に愛を口にするようになって。
 あんなことがなかったら、オレたちは今どんな関係だったんだろう。結婚したとき計画したみたいに、オレは万丈目の息子ってことになってたのかな。きっと万丈目は今頃シワや白髪が増えてきて。
 オレはいつか来る別れに怯えながら過ごしていただろう。
 ぼろぼろ流れる涙は、しばらく止まりそうになかった。

◇◆◇

 十代を誘拐した犯人は、十代が世話になっていた海馬コーポレーションが出資する病院の医師だった。十代がたった三回病院に行ったことで、同僚である十代の主治医の行動の変化から遊城十代とジェイデン・ケントが同一人物で不老不死なのだと気づかれてしまった。非常に優秀な医師だったそうだ。
 十代が交通事故に遭った少し後に彼は幼い娘を交通事故で亡くし、十代を研究すれば娘をよみがえらせることができるのではないかと考えたようだった。彼は別の病院の医師だった妻と共に、両親の死後閉鎖されていた個人病院で十代の研究をした。実家の病院を継ぐと言って退職した彼を疑う者など誰もいなかったそうだ。
 その個人病院の方も過疎地域であり、もとより住宅から離れた場所に建てられていたから誰もそこでおぞましい研究が行われているなど気づかなかったようだ。地域住民との交流もなく外で姿を見かけることもなかったそうだが、最近の若者はリモートワークや通販でもしているのだろうとあまり気にされなかったそうだ。
 そうして発見されるまで二十年に渡り人体実験は続けられた。そのおぞましい実験内容は、いつかは死者の蘇生にも辿り着くと信じていたのか、繰り返すうち実験こそ目的になってしまったのか定かではない。犯人は妻を殺し自殺してしまった。不老不死を公にできない以上、法的に裁くことは難しかったかもしれない。それでも死なれてしまっては償わせることもできない。やり場のない怒りは永遠に心の底に燻り続けるのかもしれない──。
 当の被害者本人は、そのことについて「かわいそうだな」なんて口にする。繰り返された解剖や人体実験にショックを受けているものの、犯人が幼い子供を亡くしたことや妻を殺し自殺したことについては同情しているらしかった。
「だって納得できないよな。オレは刺されたって車にひかれたって死なないでピンピンしてて、自分の子供は死んじゃうなんて。だから気づいたんじゃないのか」
 なぜ犯人が不老不死の存在に気がついたのか、その理由は本人が亡くなった今は知りようもない。
「人体実験なんて勘弁してほしいけどさ、同じように車にひかれたのにお前だけズルいだろとか……どうして助けたのがうちの娘じゃなかったのかとか──」
 十代は急にぼろりと涙を流した。感情の緩急が激しく、淡淡と話していたと思ったら突然泣き出すということが、目覚めてからは珍しくなかった。
「無闇に人間の生死に関わっちゃいけなかった。オレはいつも間違えてばかりだ。もっとうまくやれてたら……」
 どんな理由があろうと誘拐は犯罪で人体実験なんてもってのほかだ。お前が悪いわけじゃない、なんて言葉はもう十代は聞きたくないのかもしれない。十代は何回も後悔を口にして何回も泣いて時には自分を傷つけようとして、オレはそれを止めて──。
 そんな日日が少しばかり遠く感じた。この家で久しぶりに過ごし、十代は少し落ち着いたようだった。もちろん泣いたりぼんやりとしている時間も多いのだが。少しテレビが見たいとか風呂に入りたいとか、能動的に何かをしたがるのは久しぶりだった。
 長く伸びたブラウンの髪にドライヤーの風をあてる。どういう理屈かよくわからないが、瞳の色が二色に固定されたように、髪の長さも長いまま固定されてしまっている。何度か短く切ろうとしたが、切っても元の長さに戻ってしまった。
「乾かすの大変?」
「もう慣れた」
「ドライヤーは夢に見てないかも……」
 風呂に入りながら、十代はオレに髪を洗われる夢を見た気がすると言っていた。実際入院中は週に一度ほどそうしていた。汗もかかない十代に本当に必要性があるのかはよくわからないが、なるべく人間らしいことをしてやりたかった。
「眠かったら寝ていいぞ」
 温風をあてる頭が時折船をこいだ。
「でも洗濯物あんじゃん」
「やっておく。病人は寝てろ」
「病人じゃないよォ……」
 文句を言いながらも十代は眠ってしまった。髪を乾かし終えたらドライヤーを片付けて、毛布を十代の肩にかけてやる。洗濯機の音がかすかに耳に届く。
 この家を約二十年ほったらかして、さすがに温水器はダメだろうと取り替えたが洗濯機のことは忘れていた。しかし案外と動かせば動くものだ。
 風呂と洗濯機が動けばここで暮らすこともできるか。コンロは動くか確かめてもいない。今の十代は食事を取るのも難しいようだった。病院で水を一口飲んだだけで戻してしまったほどだ。
 人間らしいことは続けていないとできなくなる気がする──と以前十代は言っていた。食事も睡眠も『必要』ではない。やろうと思えば飲まず食わず不眠不休で動き続けることができる、と──。
 十代が水も飲めなくなったのは二十年も飲食をやめてしまったせいなのか、人体実験の影響なのか、それはわからない。もう二度と飲食もできないのかもしれない。十代は食べることが好きだった。それが失われるのはつらいだろう。
 洗濯物を干し終えた頃に十代は目を覚ました。起こせばよかったのにと言うからまた病人は寝ていろと言った。
「……あの日と逆みたい」
 寝室に向かうために肩を貸すと十代は言った。
「あの日?」
「お前がオレを幽霊だと思った日。寝ぼけたお前に肩貸して、寝室まで行った」
「覚えてないが、お前からその話を聞いたことは覚えている。思えばあれが……」
 寝室のドアを開ける。十代がこの家にいれば、毎日共に寝ていたベッドがある。
「初めて一緒に寝た日か」
「うん」
 二人でベッドに横になった。二十年使われなかったベッドは、やけに冷たい気がした。
「ベッドの寝心地、こんなんだっけ」
 十代も同じことを考えたようだった。
「まあ、マットレスや何かも劣化するだろう」
「うん……」
 十代は少し寂しそうに頷いた。オレに身を寄せる。
「ずっと帰りたいって思ってたけど、この家に入った途端になんか違う気がしちゃって……たぶんさ」
 十代はオレの胸元に額をこすりつける。
「場所としての家じゃなくて、お前のいるところだから帰りたかったんだ」
「……まだ、言ってなかったな。顔を見せてくれ」
 十代は顔を上げた。また涙を溜めた目がオレを見つめる。
「おかえり、十代」
 溜まった涙が流れた。十代は唇を震わせて息を吸い込んだ。
「っ……ただいま……」
 掠れた声だった。ぼろぼろと涙を流す十代を抱きしめる。十代はオレの胸にしがみついて泣いた。また服がこいつの涙と鼻水だらけになってしまう──でもそれさえも、今はここに十代がいるという証として感じられて、嫌だとは思わなかった。

2026/01/25
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