【連作】遊城十代が死んだ
【不老不死if】十代が高校生の頃まで記憶喪失になった話(前編)
万丈目と結婚しているらしい。なんだかよくわからないけど。
目が覚めたら石畳に倒れていて、眼鏡のおじさんが心配そうにしていた。「おじさん誰?」と聞いたらずいぶん驚かれて、「ジェイデン」と呼ばれたから遊城十代だと答えるとさらに驚かれた。自分についてわかることを教えてほしいと言われたから「デュエルアカデミアのオシリス・レッドの遊城十代」だと答えると、おじさんは「落ち着いて聞いてほしい」と次のように説明した。
デュエルアカデミアは卒業から十年経っている。卒業後はインダストリアル・イリュージョン社と仕事をするようになって、おじさんは同じチームの仕事仲間。
そしてオレは──「遊城十代」は、現在死んだことになって「ジェイデン・ケント」を名乗っているのだと。
オレの連れた精霊や精霊を操る力を狙って悪い組織に狙われておりそうせざるを得なかった。遊城十代の名は名乗ってはならず、家族とも友達とも、昔の知り合いとはもう誰とも会ってはいけないのだと──。
ただし、万丈目だけは例外で結婚している。
もうよくわからなかった。ひとまず家に帰って万丈目と会ってはどうかと言われた。左手の薬指にはなんだかしゃれた指輪がはまっているから、結婚してはいるのだろう。それが万丈目なのはよくわからないけれど。
ひとけのない古い神社からタクシーに乗って家だというところに向かった。神社には精霊の調査に来たそうだ。神社にいた精霊は光の波動に影響されており、そいつとデュエルしたら勝ったものの記憶を失ってしまったらしい。精霊の調査は海外に行くこともあるから、今回は国内でよかったとおじさんは言っていた。
タクシーで着いた家は平屋の小さな一軒家だった。御曹司の万丈目が住んでいるとはとても思えないけれど、タクシーが到着するやその家から万丈目にそっくりな大人が出てきた。あの二人の兄さん以外に万丈目とそっくりな兄さんがもう一人いたのかと一瞬思った。大人になったその姿に、卒業から十年経つというのは本当なのだとやっと思った。
万丈目は心配そうにオレを見て「ジェイデン」と戸惑いと気遣いの混じった声で呼んだ。見たことのない表情だし、聞いたことのない声音だった。オレはなんと答えたらいいのかよくわからなかった。
万丈目はおじさんに挨拶し、二人はお互いに頭を下げて謝り合って、なんだかそれはオレが子供の頃、誰かに迷惑をかけてしまって謝る両親を見ているみたいで居心地が悪かった。おじさんは「仕事のことは何も心配しなくていいから、ゆっくり休んで。お大事に」というと別れを告げタクシーに再び乗った。
オレと万丈目は小さな一軒家に入った。ほんの少しだけ懐かしいような感覚がする。万丈目はリビングにオレを案内してソファに座らせた。
「腹は減ってないか?」
「大丈夫……」
「なら、茶を淹れる。少し待ってろ」
そう言って万丈目はキッチンに向かう。リビングとキッチンは繋がっていて、キッチン側にはテーブルと椅子がある。ソファの前にはローテーブルがあり、その向こうに大型のテレビ。窓側には物干しがあって洗濯物が干されていた。赤いパジャマがオレのなのかなあ、となんとなく思った。
お茶の入ったマグカップを持って万丈目が戻ってくる。
「ありがと」
万丈目はローテーブルにマグカップを置くとオレの隣に座った。万丈目の顔立ちは、オレの記憶より頬の丸みがなくなってすっかり大人びている。
「……本当に万丈目だよな?」
「ああ。そんなに変わったか?」
「見た目はそっくりな兄貴かなって感じ」
「そうか」
万丈目は微笑んだ。見慣れない顔にどきりとしてしまう。かっこいいしその顔に見つめられると嬉しくなっちゃうけど、それこそが違和感なのだ。
「……今っていつもそんな感じ?」
「そんなとは?」
「なんか……やさしい?」
万丈目は眉間にシワを寄せた。オレとしてはちょっと見慣れた顔だ。
「まあ……いつまでも子供のように意地をはっても仕方ない」
「意地なんだ?」
「何が言いたい」
「……結婚してるって信じられない」
「まあ──高校生の頃からすれば信じられない話だな。あの頃は……」
「嫌いだろ、オレのこと」
「嫌いでは……いや、お前はいつまでなら覚えてるんだ? 今自分が何年生だと思う?」
あれ? ぱっと出てこない。でも、もう一年生じゃない気がする。だって、プロのエドが入学してきて、剣山が弟分になって、翔はイエロー寮になって、万丈目は……。
「ホワイトサンダー! そうだ、お前ホワイトサンダーとかってなんか変になってて……」
「……つまり二年生の途中か」
「たぶん」
「まあ……そのくらいの頃だと、今のようには好きではなかったと思う」
友達っていうと否定したくらいだし。なんで結婚してるのか本当にわからない。
「……まあ、まったく嫌いではなかったと言ったら嘘になるな。お前に対してイライラすることも多かった」
「だよなあ」
「でもそれは嫉妬心や、勝てない悔しさや自分自身の弱さへの苛立ちをお前に向けていたところもあると思う。お前じゃなくてオレの問題だったというか……友情や憧れもあったがそれを認められずにいて、それを認めたら何かに負けてしまうような感覚があって……意地だろう、そういうのは」
淡淡と万丈目は説明した。万丈目にとって高校生の頃の感情は遠いものみたいだ。十年ってそういうものだろうか。オレは十年も前のことはほとんど覚えてないけど。
「……お前は二年生の頃にはオレに嫌われてると思ってるが、当時は……友達としては好きだったと思う」
万丈目は少し照れくさそうに言った。オレまで恥ずかしいし、嬉しいようなくすぐったいような気持ちで胸がざわざわする。でも。
「……あのホワイトサンダーになってからずっとそんな感じなのか?」
白がどうこう言わなくなっただけで、まだ何かおかしいままなんだろうか。そう心配になってしまう。
「違う! だいたいオレを元に戻したのはお前だろうが」
「オレ?」
「それは覚えてないのか?」
「お前が変だったのは覚えてるけど……」
「……ともかく、お前がオレを正気に戻したのは確かだ。高校生の頃のオレの態度は嫌われていると思われて仕方ないものだったと思う。それは……すまなかった」
「謝られることじゃないよ、オレは別に……」
ああいう万丈目のこと好きだし。ホワイトサンダーにいろいろ意地悪されたような気もするけど……ん?
「……ホワイトサンダーから戻ったらそうなったのか?」
「そう、とは?」
「その……妙に素直な感じ」
「妙……」
万丈目は顔をしかめた。
「……さっきも言ったが、子供のように意地をはらなくなったんだ、オレは」
「子供……」
まあ、今の万丈目は見るからに大人だ。この顔を見ると、オレの記憶にある万丈目って子供だったんだなって思う。
「記憶がないから信じがたいと思うが、卒業して十年以上経ってる。オレはプロとしてずっと」
「プロ? 万丈目プロなのか!? すげえ!」
そっか、もう高校生じゃないんだから、そうなるよな!
「やっぱ強い? どんくらい?」
万丈目は驚いた顔をして、それから笑った。
「日本一だ」
「すげえ! なあデュエルしてくれよ!」
思えば、万丈目が本物か確かめたかったらデュエルすれば早いじゃないか!
「構わないが、高校生の頭でオレに勝てると思うなよ」
強気に笑う顔は、大人になってるけど見慣れた万丈目だった。
万丈目は、テレビ台に置いてあったデュエルフィールドをローテーブルにしいて、そのままオレの向かいに座った。床に絨毯が敷いてあるだけの場所に万丈目はそのまま座ったから、ちょっとだけ、ソファを譲れとか言わないんだなと不思議な気持ちになる。
先攻はオレだ。まずデッキから手札分を引いた。
「え──」
カードが真っ白だった。あのときみたいに──。
「十代?」
向かいの万丈目が心配そうにオレを見た。
「あ……カードが……白く……」
万丈目はオレの隣に来て手札を見た。
「……お前は見える?」
「オレには見える。十代、少し休め」
万丈目はオレの手からカードを取った。ほんの少し触れた指は冷たくて、なんだか覚えがある。
「……でも、休んでも見えなかった」
「前はどう見えるようになったんだ」
そうか。あのとき万丈目はいなかったんだ。
「……ネオスペースに行って見えるようになった。ネオスペーシアンたちと出会って、新しいオレのデッキが海馬コーポレーションの……昔宇宙に送ったカードが……宇宙の闇の力を受けて、それで……」
全然うまく説明できない。でも万丈目は黙ってオレの話を聞いている。──オレの知る万丈目なら、何を言ってるんだと怒りそうなものなのに。
「……ごめん、わかんないよな」
「そんなことはない。お前はネオスたちを宇宙へ送った。宇宙の正しい闇の力で彼らは力を得てお前に力を貸しているんだろ」
「なんで……あ、もう話したのか」
オレが忘れてるだけか。
「またネオスペースに行けばいいのかな……どうやって行けるのかわかんないけど」
「精霊に聞いてみるか?」
「……でも、たぶんまた見えない」
「見えなくても、お前の魂の中にいる」
魂──潮騒が聞こえた気がした。
「十代」
アクア・ドルフィンの声。気がつけばオレはネオスペースにいた。砂浜に立って、スリッパを履いていた足には赤い靴──デュエルアカデミアの指定靴で、オレはいつの間にか制服を着ていた。
「アクア・ドルフィン!」
「やあ、十代」
アクア・ドルフィンが笑う。ハネクリボーが飛んで来た。
「相棒!」
よかった、ちゃんと見える。触ることもできる──ハネクリボーのふわふわの身体を抱きしめた。
「これでまたカードも見えるようになるか?」
「いいや。今はまだ」
アクア・ドルフィンは首を横に振った。
「どうして?」
「キミの魂は今傷ついている。光の波動の攻撃の影響で、記憶が消えそうになってしまったんだ。今は記憶を安全な場所に隠したのだと思ってくれていい。無理に思い出そうとすると、むしろ記憶が消えてしまうかもしれない」
「そう……なのか」
思い出そうとしてはいけない──のか。
「魂の傷が癒えれば記憶も戻るから今は辛抱してくれ」
「わかった」
万丈目とデュエルできないのは残念だけど。元気になったらまたやってもらおう。
「ところでここ──オレの魂の中なんだ」
魂の中に、ハネクリボーもアクア・ドルフィンも、ネオスもネオスペーシアンたちもいる。それに──。
「十代。今は思い出さなくていい」
アクア・ドルフィンは静かに言った。
「……うん」
この魂の中にいるのに、今は会えない。それが誰かもわからないのに、寂しさだけは感じた。
「それじゃ、十代。くれぐれも気をつけて」
潮騒が遠ざかる。一度目を閉じてまた開けば、そこはさっきまでいたリビングで、オレはソファに座っている。靴じゃなくてスリッパを履いてるし、着てるのも制服じゃない。
なんだかあったかい──そう感じる右側に視線を動かして、オレは万丈目に寄りかかっていることに気がついた。間近で万丈目と目が合う。
「大丈夫か? 気分が悪いなら横になるか?」
「……大丈夫」
真っ黒な目はただ心配そうにオレを見ている。オレの記憶の中にある万丈目なら、無事を確認したらもたれるなとか文句を言いそうなものだけど、もたれても怒らないみたいだ。それどころか、倒れないようにちゃんと肩を支えてくれている。
「魂の中でアクア・ドルフィンと話してきた。えっと──光の波動の攻撃で魂が傷ついて記憶が消えそうになったから、今は記憶を安全な場所に隠したようなものなんだってさ。だから無理に思い出したらよくないって言ってた。休んで回復したら記憶も戻るって」
「そうなのか」
万丈目はほっとした顔をした。やっぱり素直だよな。さっきまではそんな万丈目に違和感しかなかったけど、今は記憶からなくなった時間がそうさせてるんだろうと納得できる。オレも記憶がなくなったとはっきり自覚できたし、何より──。
「大丈夫か? ……熱はないみたいだな」
ぼんやりしてたら、万丈目の右手がオレの額に触れた。ほんの少し冷たい。その手の温度をオレは覚えている。もたれたあったかさも、感触もにおいも──。
「……醤油のにおいがしない」
そうか、最初の違和感はこれだったのかもしれない。万丈目本人じゃなくて、そっくりな兄貴なのかもと思ったのは。
「醤油?」
「レッド寮にいた頃はちょっと醤油のにおいがした。今はちゃんと洗濯したにおいがする」
万丈目はちょっと顔をしかめた。
「今はやらないんだ?」
「子供じゃないんだ」
少し拗ねたみたいな言い方。それは高校生の頃と変わらなくて、子供じゃないと言ってるのに、やっぱりこいつはあの頃と同じ万丈目なんだと思う。
「何笑ってるんだ」
「確かに万丈目が大人になったんだなって思っただけ」
デュエル以外でも、万丈目が万丈目だとわかる。今は思い出せなくてもそれだけの時間を過ごしてきた。どんな時間を過ごしてきたのかすごく気になるけど、聞くのは我慢しよう。その時間が消えてしまう方が嫌だから。
◇◆◇
かつて十代に施された記憶操作の痕跡は、光の波動の影響を受け再び十代の記憶を消そうとし始めた。パンドラの箱というよりは、衝撃を受けると爆発する爆弾だったのかもしれない──ユベルはそんなことを思う。
「以前、おそらく光の波動に影響されたエドとのデュエルに負けてカードが見えなくなった。あれももしかしたら、記憶操作の痕跡に影響したのかもしれない」
遊城十代の「一部分」が淡淡と言った。今ユベルの目の前にいる彼は無意識に近い十代の心の一部分だ。抑揚なくしゃべり表情もあまり動かない。
「記憶操作というのは、特定の記憶 を消そうとするコンピューターウイルスのようなものかもしれない」
十代は「ユベル」の記憶が消されようとする気配を察知し、即座にその記憶を自ら封じた。たとえるならパソコンをシャットダウンしたようなもの──らしい。昔消された記憶のことも、十代はパソコンのデータように「ユベル」と名のついたデータフォルダを消そうとしたのだろうと言う。
しかし人間の記憶はパソコンのデータフォルダのように、特定のフォルダだけ消すことなどできない。「ユベル」という記憶は十代の記憶の中でさまざまな情報と相互に繋がりを持っていた。それを無理矢理消せば、当然他の記憶に支障も出る。
ユベルが融合後に知った十代の幼少期の記憶からすると、一部の読み書きができなくなったり計算の基礎ができなくなったりと、なかなか苦労したようだった。ユベルといた頃はあんなに好きだったお絵かきも、記憶操作の後は興味がなくなっている。お絵かきはまだしも読み書きと計算を忘れてしまったことはその後の十代の人生に大きな影響を与えただろう──今目の前の彼がまとう赤い制服とか。
「で──コンピューターウイルスみたいなものだとして、そのウイルスは退治できるのかい」
「わからない。少なくともオレにできることはウイルスがおとなしくなるまで記憶を封印しておくことだけだ」
「おとなしくなるだけでウイルスはずっと居続けるってこと?」
「おそらく」
「今回はデュエルに負けたわけでなし、なんだってウイルスは作動した?」
「わからない。光の波動とウイルスが共鳴でもしたか」
「共鳴ねえ。でもこれまで光の波動に影響された精霊とデュエルしてもそんなことは起きなかった。今回そんなことが起きた理由はなんだ?」
「わからない。取り憑いていた精霊の影響かもしれないし、場所の影響かもしれない」
「わからないばかりだな。打つ手なしか」
「施術した医療機関なら何か知っているかもしれない」
「だとして、遊城十代が死んだことになってるのにどうやって詳細を知る?」
「あれは確か海馬コーポレーションの系列病院だ」
「なら調べられるか。ボクとしては調べることでキミのいうウイルスが元気にならないかが心配だけれど」
「それもそうか。なら──」
◇◆◇
十年分ほど記憶を失って帰ってきた十代は、最初のうちかなり所在なげにしていた。オレのことは本物の「万丈目準」なのか、あるいはまだ光の波動の洗脳が解けていないのかとか疑っていたようだった。十代はオレのことだけでなく自分自身の変化にも戸惑っていた。この十年ほどでもたらされた変化は、十代にとって大きなものが多かっただろう。宿命への覚醒、人ならざる肉体への変化、「遊城十代」という名前を失ったこと──。
両親にも友人たちにも二度と会えないということを、もう一度飲み込むのはつらいだろう。
「……眠くなってきた」
夕飯を食べ終わると、十代は大きなあくびをした。
「寝ていいぞ。あとはやっておく」
「ごめんな、作るのもやってくれたのに」
「もともと休みの日はオレが作る当番だ」
夕食を作ると言ったとき、十代はかなり不安そうに「できるのか?」と言った。高校生の頃にできた覚えはないから、その反応も無理はない。
「寝室って真ん中のドアだっけ?」
「そうだが……寝るとき一人の方がいいか?」
「なんで?」
「いや……落ち着かないかと」
「別にレッド寮でも一緒だったろ。じゃ、先に寝るな。おやすみ」
十代はまたあくびをしてリビングを出ていった。ひとつのベッドで二人寝ることと三段ベッドに寝ることは違うと思うのだが。
十代は、オレと結婚したことに戸惑いはしても嫌悪感はないようだった。もしオレが高校生の頃まで記憶を失ったなら「なんでお前なんかと?」と拒否反応が出そうだ。もしや高校生の頃から憎からず思われていたのだろうか。当時は十代が嫌われていると思うほどの態度を取っていたのに?
「万丈目」
「うわあっ」
十代ではない声に呼ばれ、しかも巨大な翼を広げたシルエットが突然現れて、思わず悲鳴をあげてしまった。洗い終えて棚に片付けようとしていた皿を落とさなくてよかった。
「なんだ、そんなに驚いて?」
驚いたオレを見て、驚かせた張本人──ユベルも目を丸くする。
「誰もいないと思ってんだこっちは」
「それもそうか。悪かったな」
ユベルは案外とあっさり謝った。ユベルは普段めったに姿を現さない。十代が精霊から居場所を辿られ『刺殺』されてから、彼に付き従う精霊たちはほとんど姿を見せなくなったのだ。
「どうしたんだ、十代のことか?」
ユベルがわざわざオレに声をかける理由などそれしかない。
「ああ。十代が昔人間の技術で記憶を操作されたことは知ってたな? それについて調べてほしい。十代には内密に」
「内密?」
「十代の推測だが、今回の記憶喪失は光の波動の攻撃の影響で過去に記憶操作された痕跡が活性化したようなもの──らしい。何か刺激を受けて活性化するなら、本人には秘密にした方がいいだろう」
「……なんで今のあいつにそんなことがわかる?」
「起きてる十代じゃない」
「何?」
「夢の中というか心の奥の方というか……十代の表側の意識とは別の十代だ。なんと説明したものか……」
ユベルは十代と融合してから心の深層の十代と話せるようになったそうだ。十代の表側の意識──つまりはオレが普段話すこともできる遊城十代──は心の深層で話したことを覚えていない。ただし。
「何も影響がないわけじゃないんだ。ものすごく単純にたとえると、西に行くか東に行くか迷ったときに心の奥でボクと西の方がメリットがありそうだと話し合うと、表側の彼は西がいいような気分になる。彼にしてみたらインスピレーションくらいの感覚だ」
「なるほど……?」
わかるようなわからないような。
「ともかくそこで話し合って、キミに調べてもらうことにした」
ユベルは本題へと戻る。
「しかし調べるといってもどうやって当時のことを? あいつのご両親に教えてくれと言うわけにも……」
「記憶操作したのは海馬コーポレーションの系列病院だ」
「今世話になってるところか?」
「いや、たぶん十代の実家近くのだろう。海馬の誰かに聞けばすぐわかるんじゃないか」
「海馬の誰か?」
「海馬瀬人なら確実だろう」
ユベルは世界一多忙そうな社長の名前を出した。
「……海馬さんの番号なんか知らないが」
「なんとかしろ」
「それが人にものを頼む態度か」
「別にやりたくないならやらなくていい。調べたところで解決しないかもしれないし」
「……頼むのか頼まないのかどっちなんだ?」
「頼んでるだろ。ボクは調べてほしいと言ったよ」
「要望を伝えた」と「頼む」は違うと思うのだが。精霊にとってそれは些細なことなのか、ユベルの性格上そのような言い方なのか、オレに区別はつかない。まともに話したことはほとんどないのだ。カードの精霊は持ち主以外とあまり話さないように思う。
「やるやらないはキミの自由だ。今回の記憶喪失は時間が経てば戻るからキミに支障はない」
何日かかるか知らないが、とユベルは言い添える。
「……十代に支障があるのか」
「これまでと変わらないさ。この先一生何かのきっかけで記憶喪失になるかもしれない爆弾を抱え続けるだけだ。もともとはキミに関係のない話だし、気にすることはない」
気にしないなどできるわけがない。
「……この内容を精霊研究室に問い合わせてもいいか? それとも他人には秘密にした方がいいのか?」
ユベルは黙ってやや思案した。
「……精霊研究室の人間は信用できるが、そこを通すなら記録には残るだろう。もし……これが解決できない問題なら、致命的な弱点の記録が残ることになる」
ならば秘密裏に動いた方がいいのか──。
「……わかった、なるべく知る人間が少ないようにしてみる」
「頼む。ああ、十代はカルテの閲覧やもし治療ができるならその医療行為等には全面的に同意し細かいことはキミにまかせる──だそうだ」
そう言うとユベルは消えた。
海馬瀬人と直接連絡ができて、十代の事情も知っている人物となると──。
時計を見る。まだ電話をしてもそこまでは失礼でない時間だ……オレは深呼吸して電話口で話す内容を考えた。
◇◆◇
ここはどこだ? と目が覚めた瞬間に思った。目の前にあるのはいつもなら見えるレッド寮の三段ベッドじゃない。レッド寮よりも少し広い部屋、広いベッドに……ファラオが寝ている。
とりあえずファラオの頭を撫でて、そういえば記憶が十年くらいなくなったんだっけと昨日のことを思い出す。
起きて、昨日も使った洗面所に行く。歯ブラシは赤いのがオレので、黒いのは万丈目の。いくつもあるフロス用品や化粧水なんかの手入れ用品は全部万丈目のものらしかった。プロって大変そうだなあ。
鏡には黒い髪と黒い目が映る。体つきは結構変わったし、顔立ちも……少し変わったのかなあ。普段自分の顔なんてそうまじまじとは見ない。でもすっかり大人になった万丈目と比べたら子供の顔なのはわかる。
影丸じいさんが世界中のデュエルモンスターズを犠牲にしてでも欲しがった不老不死を、なぜだかオレが手に入れている。不老不死と言われても、三十前にしては顔が子供っぽい以外にはそれらしいところはない。少し傷でもつければわかるんだろうけど、絶対試したりするなよ、と万丈目は真剣な顔をして言った。その
顔もやっぱり高校生の頃には見たことがなかった。でも初めて見た気はしなくて、罪悪感だけは強くあって、何も覚えていないのに傷つけてしまったことだけはわかった。
死んだことにしなければならなかったということは、普通ならば死んでしまうようなことが起きたということだ。どんなことが起きたのか、今は覚えていないけど。
身支度を済ませてリビングへ向かった。
「おはよう、万丈目」
「おはよう。調子はどうだ」
「元気だと思うよ。記憶は戻ってないけど」
それなんだが、と万丈目は真面目な顔をしてオレを見た。
「病院に行かないか?」
なんでもオレの不老不死をごまかすために協力してくれている病院があり、そこで診てもらえるらしい。
「記憶喪失のことなんてわかるのか?」
「とりあえず診てもらわないことには……お前が嫌でなければだが」
病院なんてあんまり行きたくないけど、心配してくれてんだもんな。
「わかった。行く」
万丈目は昨日のうちに病院に連絡して主治医に相談していたそうだ。
「いろいろ検査をするから、受診するなら水以外は飲食しないよう言われたが大丈夫か?」
残念だけど仕方ない。万丈目は病院の場所を説明して、病院の名前と主治医の名前をきちんと覚えるように言った。何かあれば世話になるはずだから、と。
「傷が治るのに?」
「治るから問題なんだ。人前で大怪我をしたときなんかな。最悪の場合は死んだことにしなければならない」
その最悪の場合はもう起きた後なんだろう。
「……またそうなったらどうなるんだ?」
「また名前を変える必要があるだろうな」
「そうなったら」
もう万丈目とは一緒にいられないんじゃないのか──口には出せなかったけど、万丈目はそれをわかったみたいだった。
「そうならないように覚えておけ」
「……うん」
「だいたい不老不死と下手に知られるだけでも大変だ。解剖されるかもしれないぞ」
解剖は嫌だなあ。不老不死って、そんなに便利なものじゃないのかもしれない。
病院にはタクシーで向かった。出かける前、外出時には必ず眼鏡をかけろと言われた。
「スーパーマンみたいなものだと思えばかける気も起きるだろ」
「あ、だからケントなのか?」
「さあな。病院じゃケントさんとか呼ばれるから、ちゃんと返事しろよ」
病院は一見普通の総合病院だった。主治医だという人と話してから、いろんな検査を受けた。血液を取ったり、血圧を測ったり、レントゲンを撮ったり……学校で受けた健康診断と似たような感じだった。変わっていたのは一、二時間くらい機械の中に入らないといけない検査で、寝てもいいと言われていたから眠ってしまった。その後また主治医と話して、血液検査の数字や骨や脳の写真を見ながら異常は特になかったと説明された。精霊に言われた通り今は休むしかないだろう、と言われて診察は終わった。
なんだか拍子抜けしたけど、異常がないのはいいことだろう。万丈目も先生から異常なしと言われて安心したのか、今朝は少し難しい顔をしていたのがやわらかい顔になったように思う。
病院内のレストランで昼食を食べた。唐揚げ定食とエビフライ定食で迷っていたら、両方頼んでわければいいだろうと万丈目は言った。まるでそれが当たり前みたいな言い方で、たぶんオレたちはよくそういうことをするんだろうと思った。
家に帰ると、昨日と違ってここが自分の家だと感じた。少しずつ記憶が戻っているのかもしれない。
ソファで人心地つくと、そういえばと万丈目は預けていた指輪を取り出した。
「ああ、サンキュ」
「馬鹿、逆だ」
受け取ろうとして右手を出したらそう言われた。左手を出したら万丈目はオレの手を取り薬指に指輪をはめた。それはほんの数秒の出来事で、万丈目の少し冷たい指はすぐに離れてしまった。指輪の温度も感触もすぐに指に馴染んでしまう。指輪なんてずっとつけたことがなかったのに、昨日だって違和感はなかった。思い出せないけど、それでもオレの中にある。
「ありがと」
オレは昨日みたいに隣の万丈目にもたれかかった。思った通り拒否はされず、疲れたか? と言われた。
「病院でも寝たのに、まだちょっと眠いや」
「疲れてるんだろ。無理せず寝ろ。ベッド行くか?」
「いいや。……ここがいい」
万丈目の腕に自分の腕を絡めた。抱きしめてほしい気もするけど、まだそれは恥ずかしい気もする。
万丈目はそんな気持ちを知ってか知らずか、手を握っておやすみと言った。
万丈目の手の冷たさも肩や腕のぬくもりも指輪の温度みたいに馴染んでいく。
うとうとして、また潮騒が聞こえた気がした。
【不老不死if】十代が高校生の頃まで記憶喪失になった話(後編)へ続く
万丈目と結婚しているらしい。なんだかよくわからないけど。
目が覚めたら石畳に倒れていて、眼鏡のおじさんが心配そうにしていた。「おじさん誰?」と聞いたらずいぶん驚かれて、「ジェイデン」と呼ばれたから遊城十代だと答えるとさらに驚かれた。自分についてわかることを教えてほしいと言われたから「デュエルアカデミアのオシリス・レッドの遊城十代」だと答えると、おじさんは「落ち着いて聞いてほしい」と次のように説明した。
デュエルアカデミアは卒業から十年経っている。卒業後はインダストリアル・イリュージョン社と仕事をするようになって、おじさんは同じチームの仕事仲間。
そしてオレは──「遊城十代」は、現在死んだことになって「ジェイデン・ケント」を名乗っているのだと。
オレの連れた精霊や精霊を操る力を狙って悪い組織に狙われておりそうせざるを得なかった。遊城十代の名は名乗ってはならず、家族とも友達とも、昔の知り合いとはもう誰とも会ってはいけないのだと──。
ただし、万丈目だけは例外で結婚している。
もうよくわからなかった。ひとまず家に帰って万丈目と会ってはどうかと言われた。左手の薬指にはなんだかしゃれた指輪がはまっているから、結婚してはいるのだろう。それが万丈目なのはよくわからないけれど。
ひとけのない古い神社からタクシーに乗って家だというところに向かった。神社には精霊の調査に来たそうだ。神社にいた精霊は光の波動に影響されており、そいつとデュエルしたら勝ったものの記憶を失ってしまったらしい。精霊の調査は海外に行くこともあるから、今回は国内でよかったとおじさんは言っていた。
タクシーで着いた家は平屋の小さな一軒家だった。御曹司の万丈目が住んでいるとはとても思えないけれど、タクシーが到着するやその家から万丈目にそっくりな大人が出てきた。あの二人の兄さん以外に万丈目とそっくりな兄さんがもう一人いたのかと一瞬思った。大人になったその姿に、卒業から十年経つというのは本当なのだとやっと思った。
万丈目は心配そうにオレを見て「ジェイデン」と戸惑いと気遣いの混じった声で呼んだ。見たことのない表情だし、聞いたことのない声音だった。オレはなんと答えたらいいのかよくわからなかった。
万丈目はおじさんに挨拶し、二人はお互いに頭を下げて謝り合って、なんだかそれはオレが子供の頃、誰かに迷惑をかけてしまって謝る両親を見ているみたいで居心地が悪かった。おじさんは「仕事のことは何も心配しなくていいから、ゆっくり休んで。お大事に」というと別れを告げタクシーに再び乗った。
オレと万丈目は小さな一軒家に入った。ほんの少しだけ懐かしいような感覚がする。万丈目はリビングにオレを案内してソファに座らせた。
「腹は減ってないか?」
「大丈夫……」
「なら、茶を淹れる。少し待ってろ」
そう言って万丈目はキッチンに向かう。リビングとキッチンは繋がっていて、キッチン側にはテーブルと椅子がある。ソファの前にはローテーブルがあり、その向こうに大型のテレビ。窓側には物干しがあって洗濯物が干されていた。赤いパジャマがオレのなのかなあ、となんとなく思った。
お茶の入ったマグカップを持って万丈目が戻ってくる。
「ありがと」
万丈目はローテーブルにマグカップを置くとオレの隣に座った。万丈目の顔立ちは、オレの記憶より頬の丸みがなくなってすっかり大人びている。
「……本当に万丈目だよな?」
「ああ。そんなに変わったか?」
「見た目はそっくりな兄貴かなって感じ」
「そうか」
万丈目は微笑んだ。見慣れない顔にどきりとしてしまう。かっこいいしその顔に見つめられると嬉しくなっちゃうけど、それこそが違和感なのだ。
「……今っていつもそんな感じ?」
「そんなとは?」
「なんか……やさしい?」
万丈目は眉間にシワを寄せた。オレとしてはちょっと見慣れた顔だ。
「まあ……いつまでも子供のように意地をはっても仕方ない」
「意地なんだ?」
「何が言いたい」
「……結婚してるって信じられない」
「まあ──高校生の頃からすれば信じられない話だな。あの頃は……」
「嫌いだろ、オレのこと」
「嫌いでは……いや、お前はいつまでなら覚えてるんだ? 今自分が何年生だと思う?」
あれ? ぱっと出てこない。でも、もう一年生じゃない気がする。だって、プロのエドが入学してきて、剣山が弟分になって、翔はイエロー寮になって、万丈目は……。
「ホワイトサンダー! そうだ、お前ホワイトサンダーとかってなんか変になってて……」
「……つまり二年生の途中か」
「たぶん」
「まあ……そのくらいの頃だと、今のようには好きではなかったと思う」
友達っていうと否定したくらいだし。なんで結婚してるのか本当にわからない。
「……まあ、まったく嫌いではなかったと言ったら嘘になるな。お前に対してイライラすることも多かった」
「だよなあ」
「でもそれは嫉妬心や、勝てない悔しさや自分自身の弱さへの苛立ちをお前に向けていたところもあると思う。お前じゃなくてオレの問題だったというか……友情や憧れもあったがそれを認められずにいて、それを認めたら何かに負けてしまうような感覚があって……意地だろう、そういうのは」
淡淡と万丈目は説明した。万丈目にとって高校生の頃の感情は遠いものみたいだ。十年ってそういうものだろうか。オレは十年も前のことはほとんど覚えてないけど。
「……お前は二年生の頃にはオレに嫌われてると思ってるが、当時は……友達としては好きだったと思う」
万丈目は少し照れくさそうに言った。オレまで恥ずかしいし、嬉しいようなくすぐったいような気持ちで胸がざわざわする。でも。
「……あのホワイトサンダーになってからずっとそんな感じなのか?」
白がどうこう言わなくなっただけで、まだ何かおかしいままなんだろうか。そう心配になってしまう。
「違う! だいたいオレを元に戻したのはお前だろうが」
「オレ?」
「それは覚えてないのか?」
「お前が変だったのは覚えてるけど……」
「……ともかく、お前がオレを正気に戻したのは確かだ。高校生の頃のオレの態度は嫌われていると思われて仕方ないものだったと思う。それは……すまなかった」
「謝られることじゃないよ、オレは別に……」
ああいう万丈目のこと好きだし。ホワイトサンダーにいろいろ意地悪されたような気もするけど……ん?
「……ホワイトサンダーから戻ったらそうなったのか?」
「そう、とは?」
「その……妙に素直な感じ」
「妙……」
万丈目は顔をしかめた。
「……さっきも言ったが、子供のように意地をはらなくなったんだ、オレは」
「子供……」
まあ、今の万丈目は見るからに大人だ。この顔を見ると、オレの記憶にある万丈目って子供だったんだなって思う。
「記憶がないから信じがたいと思うが、卒業して十年以上経ってる。オレはプロとしてずっと」
「プロ? 万丈目プロなのか!? すげえ!」
そっか、もう高校生じゃないんだから、そうなるよな!
「やっぱ強い? どんくらい?」
万丈目は驚いた顔をして、それから笑った。
「日本一だ」
「すげえ! なあデュエルしてくれよ!」
思えば、万丈目が本物か確かめたかったらデュエルすれば早いじゃないか!
「構わないが、高校生の頭でオレに勝てると思うなよ」
強気に笑う顔は、大人になってるけど見慣れた万丈目だった。
万丈目は、テレビ台に置いてあったデュエルフィールドをローテーブルにしいて、そのままオレの向かいに座った。床に絨毯が敷いてあるだけの場所に万丈目はそのまま座ったから、ちょっとだけ、ソファを譲れとか言わないんだなと不思議な気持ちになる。
先攻はオレだ。まずデッキから手札分を引いた。
「え──」
カードが真っ白だった。あのときみたいに──。
「十代?」
向かいの万丈目が心配そうにオレを見た。
「あ……カードが……白く……」
万丈目はオレの隣に来て手札を見た。
「……お前は見える?」
「オレには見える。十代、少し休め」
万丈目はオレの手からカードを取った。ほんの少し触れた指は冷たくて、なんだか覚えがある。
「……でも、休んでも見えなかった」
「前はどう見えるようになったんだ」
そうか。あのとき万丈目はいなかったんだ。
「……ネオスペースに行って見えるようになった。ネオスペーシアンたちと出会って、新しいオレのデッキが海馬コーポレーションの……昔宇宙に送ったカードが……宇宙の闇の力を受けて、それで……」
全然うまく説明できない。でも万丈目は黙ってオレの話を聞いている。──オレの知る万丈目なら、何を言ってるんだと怒りそうなものなのに。
「……ごめん、わかんないよな」
「そんなことはない。お前はネオスたちを宇宙へ送った。宇宙の正しい闇の力で彼らは力を得てお前に力を貸しているんだろ」
「なんで……あ、もう話したのか」
オレが忘れてるだけか。
「またネオスペースに行けばいいのかな……どうやって行けるのかわかんないけど」
「精霊に聞いてみるか?」
「……でも、たぶんまた見えない」
「見えなくても、お前の魂の中にいる」
魂──潮騒が聞こえた気がした。
「十代」
アクア・ドルフィンの声。気がつけばオレはネオスペースにいた。砂浜に立って、スリッパを履いていた足には赤い靴──デュエルアカデミアの指定靴で、オレはいつの間にか制服を着ていた。
「アクア・ドルフィン!」
「やあ、十代」
アクア・ドルフィンが笑う。ハネクリボーが飛んで来た。
「相棒!」
よかった、ちゃんと見える。触ることもできる──ハネクリボーのふわふわの身体を抱きしめた。
「これでまたカードも見えるようになるか?」
「いいや。今はまだ」
アクア・ドルフィンは首を横に振った。
「どうして?」
「キミの魂は今傷ついている。光の波動の攻撃の影響で、記憶が消えそうになってしまったんだ。今は記憶を安全な場所に隠したのだと思ってくれていい。無理に思い出そうとすると、むしろ記憶が消えてしまうかもしれない」
「そう……なのか」
思い出そうとしてはいけない──のか。
「魂の傷が癒えれば記憶も戻るから今は辛抱してくれ」
「わかった」
万丈目とデュエルできないのは残念だけど。元気になったらまたやってもらおう。
「ところでここ──オレの魂の中なんだ」
魂の中に、ハネクリボーもアクア・ドルフィンも、ネオスもネオスペーシアンたちもいる。それに──。
「十代。今は思い出さなくていい」
アクア・ドルフィンは静かに言った。
「……うん」
この魂の中にいるのに、今は会えない。それが誰かもわからないのに、寂しさだけは感じた。
「それじゃ、十代。くれぐれも気をつけて」
潮騒が遠ざかる。一度目を閉じてまた開けば、そこはさっきまでいたリビングで、オレはソファに座っている。靴じゃなくてスリッパを履いてるし、着てるのも制服じゃない。
なんだかあったかい──そう感じる右側に視線を動かして、オレは万丈目に寄りかかっていることに気がついた。間近で万丈目と目が合う。
「大丈夫か? 気分が悪いなら横になるか?」
「……大丈夫」
真っ黒な目はただ心配そうにオレを見ている。オレの記憶の中にある万丈目なら、無事を確認したらもたれるなとか文句を言いそうなものだけど、もたれても怒らないみたいだ。それどころか、倒れないようにちゃんと肩を支えてくれている。
「魂の中でアクア・ドルフィンと話してきた。えっと──光の波動の攻撃で魂が傷ついて記憶が消えそうになったから、今は記憶を安全な場所に隠したようなものなんだってさ。だから無理に思い出したらよくないって言ってた。休んで回復したら記憶も戻るって」
「そうなのか」
万丈目はほっとした顔をした。やっぱり素直だよな。さっきまではそんな万丈目に違和感しかなかったけど、今は記憶からなくなった時間がそうさせてるんだろうと納得できる。オレも記憶がなくなったとはっきり自覚できたし、何より──。
「大丈夫か? ……熱はないみたいだな」
ぼんやりしてたら、万丈目の右手がオレの額に触れた。ほんの少し冷たい。その手の温度をオレは覚えている。もたれたあったかさも、感触もにおいも──。
「……醤油のにおいがしない」
そうか、最初の違和感はこれだったのかもしれない。万丈目本人じゃなくて、そっくりな兄貴なのかもと思ったのは。
「醤油?」
「レッド寮にいた頃はちょっと醤油のにおいがした。今はちゃんと洗濯したにおいがする」
万丈目はちょっと顔をしかめた。
「今はやらないんだ?」
「子供じゃないんだ」
少し拗ねたみたいな言い方。それは高校生の頃と変わらなくて、子供じゃないと言ってるのに、やっぱりこいつはあの頃と同じ万丈目なんだと思う。
「何笑ってるんだ」
「確かに万丈目が大人になったんだなって思っただけ」
デュエル以外でも、万丈目が万丈目だとわかる。今は思い出せなくてもそれだけの時間を過ごしてきた。どんな時間を過ごしてきたのかすごく気になるけど、聞くのは我慢しよう。その時間が消えてしまう方が嫌だから。
◇◆◇
かつて十代に施された記憶操作の痕跡は、光の波動の影響を受け再び十代の記憶を消そうとし始めた。パンドラの箱というよりは、衝撃を受けると爆発する爆弾だったのかもしれない──ユベルはそんなことを思う。
「以前、おそらく光の波動に影響されたエドとのデュエルに負けてカードが見えなくなった。あれももしかしたら、記憶操作の痕跡に影響したのかもしれない」
遊城十代の「一部分」が淡淡と言った。今ユベルの目の前にいる彼は無意識に近い十代の心の一部分だ。抑揚なくしゃべり表情もあまり動かない。
「記憶操作というのは、特定の
十代は「ユベル」の記憶が消されようとする気配を察知し、即座にその記憶を自ら封じた。たとえるならパソコンをシャットダウンしたようなもの──らしい。昔消された記憶のことも、十代はパソコンのデータように「ユベル」と名のついたデータフォルダを消そうとしたのだろうと言う。
しかし人間の記憶はパソコンのデータフォルダのように、特定のフォルダだけ消すことなどできない。「ユベル」という記憶は十代の記憶の中でさまざまな情報と相互に繋がりを持っていた。それを無理矢理消せば、当然他の記憶に支障も出る。
ユベルが融合後に知った十代の幼少期の記憶からすると、一部の読み書きができなくなったり計算の基礎ができなくなったりと、なかなか苦労したようだった。ユベルといた頃はあんなに好きだったお絵かきも、記憶操作の後は興味がなくなっている。お絵かきはまだしも読み書きと計算を忘れてしまったことはその後の十代の人生に大きな影響を与えただろう──今目の前の彼がまとう赤い制服とか。
「で──コンピューターウイルスみたいなものだとして、そのウイルスは退治できるのかい」
「わからない。少なくともオレにできることはウイルスがおとなしくなるまで記憶を封印しておくことだけだ」
「おとなしくなるだけでウイルスはずっと居続けるってこと?」
「おそらく」
「今回はデュエルに負けたわけでなし、なんだってウイルスは作動した?」
「わからない。光の波動とウイルスが共鳴でもしたか」
「共鳴ねえ。でもこれまで光の波動に影響された精霊とデュエルしてもそんなことは起きなかった。今回そんなことが起きた理由はなんだ?」
「わからない。取り憑いていた精霊の影響かもしれないし、場所の影響かもしれない」
「わからないばかりだな。打つ手なしか」
「施術した医療機関なら何か知っているかもしれない」
「だとして、遊城十代が死んだことになってるのにどうやって詳細を知る?」
「あれは確か海馬コーポレーションの系列病院だ」
「なら調べられるか。ボクとしては調べることでキミのいうウイルスが元気にならないかが心配だけれど」
「それもそうか。なら──」
◇◆◇
十年分ほど記憶を失って帰ってきた十代は、最初のうちかなり所在なげにしていた。オレのことは本物の「万丈目準」なのか、あるいはまだ光の波動の洗脳が解けていないのかとか疑っていたようだった。十代はオレのことだけでなく自分自身の変化にも戸惑っていた。この十年ほどでもたらされた変化は、十代にとって大きなものが多かっただろう。宿命への覚醒、人ならざる肉体への変化、「遊城十代」という名前を失ったこと──。
両親にも友人たちにも二度と会えないということを、もう一度飲み込むのはつらいだろう。
「……眠くなってきた」
夕飯を食べ終わると、十代は大きなあくびをした。
「寝ていいぞ。あとはやっておく」
「ごめんな、作るのもやってくれたのに」
「もともと休みの日はオレが作る当番だ」
夕食を作ると言ったとき、十代はかなり不安そうに「できるのか?」と言った。高校生の頃にできた覚えはないから、その反応も無理はない。
「寝室って真ん中のドアだっけ?」
「そうだが……寝るとき一人の方がいいか?」
「なんで?」
「いや……落ち着かないかと」
「別にレッド寮でも一緒だったろ。じゃ、先に寝るな。おやすみ」
十代はまたあくびをしてリビングを出ていった。ひとつのベッドで二人寝ることと三段ベッドに寝ることは違うと思うのだが。
十代は、オレと結婚したことに戸惑いはしても嫌悪感はないようだった。もしオレが高校生の頃まで記憶を失ったなら「なんでお前なんかと?」と拒否反応が出そうだ。もしや高校生の頃から憎からず思われていたのだろうか。当時は十代が嫌われていると思うほどの態度を取っていたのに?
「万丈目」
「うわあっ」
十代ではない声に呼ばれ、しかも巨大な翼を広げたシルエットが突然現れて、思わず悲鳴をあげてしまった。洗い終えて棚に片付けようとしていた皿を落とさなくてよかった。
「なんだ、そんなに驚いて?」
驚いたオレを見て、驚かせた張本人──ユベルも目を丸くする。
「誰もいないと思ってんだこっちは」
「それもそうか。悪かったな」
ユベルは案外とあっさり謝った。ユベルは普段めったに姿を現さない。十代が精霊から居場所を辿られ『刺殺』されてから、彼に付き従う精霊たちはほとんど姿を見せなくなったのだ。
「どうしたんだ、十代のことか?」
ユベルがわざわざオレに声をかける理由などそれしかない。
「ああ。十代が昔人間の技術で記憶を操作されたことは知ってたな? それについて調べてほしい。十代には内密に」
「内密?」
「十代の推測だが、今回の記憶喪失は光の波動の攻撃の影響で過去に記憶操作された痕跡が活性化したようなもの──らしい。何か刺激を受けて活性化するなら、本人には秘密にした方がいいだろう」
「……なんで今のあいつにそんなことがわかる?」
「起きてる十代じゃない」
「何?」
「夢の中というか心の奥の方というか……十代の表側の意識とは別の十代だ。なんと説明したものか……」
ユベルは十代と融合してから心の深層の十代と話せるようになったそうだ。十代の表側の意識──つまりはオレが普段話すこともできる遊城十代──は心の深層で話したことを覚えていない。ただし。
「何も影響がないわけじゃないんだ。ものすごく単純にたとえると、西に行くか東に行くか迷ったときに心の奥でボクと西の方がメリットがありそうだと話し合うと、表側の彼は西がいいような気分になる。彼にしてみたらインスピレーションくらいの感覚だ」
「なるほど……?」
わかるようなわからないような。
「ともかくそこで話し合って、キミに調べてもらうことにした」
ユベルは本題へと戻る。
「しかし調べるといってもどうやって当時のことを? あいつのご両親に教えてくれと言うわけにも……」
「記憶操作したのは海馬コーポレーションの系列病院だ」
「今世話になってるところか?」
「いや、たぶん十代の実家近くのだろう。海馬の誰かに聞けばすぐわかるんじゃないか」
「海馬の誰か?」
「海馬瀬人なら確実だろう」
ユベルは世界一多忙そうな社長の名前を出した。
「……海馬さんの番号なんか知らないが」
「なんとかしろ」
「それが人にものを頼む態度か」
「別にやりたくないならやらなくていい。調べたところで解決しないかもしれないし」
「……頼むのか頼まないのかどっちなんだ?」
「頼んでるだろ。ボクは調べてほしいと言ったよ」
「要望を伝えた」と「頼む」は違うと思うのだが。精霊にとってそれは些細なことなのか、ユベルの性格上そのような言い方なのか、オレに区別はつかない。まともに話したことはほとんどないのだ。カードの精霊は持ち主以外とあまり話さないように思う。
「やるやらないはキミの自由だ。今回の記憶喪失は時間が経てば戻るからキミに支障はない」
何日かかるか知らないが、とユベルは言い添える。
「……十代に支障があるのか」
「これまでと変わらないさ。この先一生何かのきっかけで記憶喪失になるかもしれない爆弾を抱え続けるだけだ。もともとはキミに関係のない話だし、気にすることはない」
気にしないなどできるわけがない。
「……この内容を精霊研究室に問い合わせてもいいか? それとも他人には秘密にした方がいいのか?」
ユベルは黙ってやや思案した。
「……精霊研究室の人間は信用できるが、そこを通すなら記録には残るだろう。もし……これが解決できない問題なら、致命的な弱点の記録が残ることになる」
ならば秘密裏に動いた方がいいのか──。
「……わかった、なるべく知る人間が少ないようにしてみる」
「頼む。ああ、十代はカルテの閲覧やもし治療ができるならその医療行為等には全面的に同意し細かいことはキミにまかせる──だそうだ」
そう言うとユベルは消えた。
海馬瀬人と直接連絡ができて、十代の事情も知っている人物となると──。
時計を見る。まだ電話をしてもそこまでは失礼でない時間だ……オレは深呼吸して電話口で話す内容を考えた。
◇◆◇
ここはどこだ? と目が覚めた瞬間に思った。目の前にあるのはいつもなら見えるレッド寮の三段ベッドじゃない。レッド寮よりも少し広い部屋、広いベッドに……ファラオが寝ている。
とりあえずファラオの頭を撫でて、そういえば記憶が十年くらいなくなったんだっけと昨日のことを思い出す。
起きて、昨日も使った洗面所に行く。歯ブラシは赤いのがオレので、黒いのは万丈目の。いくつもあるフロス用品や化粧水なんかの手入れ用品は全部万丈目のものらしかった。プロって大変そうだなあ。
鏡には黒い髪と黒い目が映る。体つきは結構変わったし、顔立ちも……少し変わったのかなあ。普段自分の顔なんてそうまじまじとは見ない。でもすっかり大人になった万丈目と比べたら子供の顔なのはわかる。
影丸じいさんが世界中のデュエルモンスターズを犠牲にしてでも欲しがった不老不死を、なぜだかオレが手に入れている。不老不死と言われても、三十前にしては顔が子供っぽい以外にはそれらしいところはない。少し傷でもつければわかるんだろうけど、絶対試したりするなよ、と万丈目は真剣な顔をして言った。その
顔もやっぱり高校生の頃には見たことがなかった。でも初めて見た気はしなくて、罪悪感だけは強くあって、何も覚えていないのに傷つけてしまったことだけはわかった。
死んだことにしなければならなかったということは、普通ならば死んでしまうようなことが起きたということだ。どんなことが起きたのか、今は覚えていないけど。
身支度を済ませてリビングへ向かった。
「おはよう、万丈目」
「おはよう。調子はどうだ」
「元気だと思うよ。記憶は戻ってないけど」
それなんだが、と万丈目は真面目な顔をしてオレを見た。
「病院に行かないか?」
なんでもオレの不老不死をごまかすために協力してくれている病院があり、そこで診てもらえるらしい。
「記憶喪失のことなんてわかるのか?」
「とりあえず診てもらわないことには……お前が嫌でなければだが」
病院なんてあんまり行きたくないけど、心配してくれてんだもんな。
「わかった。行く」
万丈目は昨日のうちに病院に連絡して主治医に相談していたそうだ。
「いろいろ検査をするから、受診するなら水以外は飲食しないよう言われたが大丈夫か?」
残念だけど仕方ない。万丈目は病院の場所を説明して、病院の名前と主治医の名前をきちんと覚えるように言った。何かあれば世話になるはずだから、と。
「傷が治るのに?」
「治るから問題なんだ。人前で大怪我をしたときなんかな。最悪の場合は死んだことにしなければならない」
その最悪の場合はもう起きた後なんだろう。
「……またそうなったらどうなるんだ?」
「また名前を変える必要があるだろうな」
「そうなったら」
もう万丈目とは一緒にいられないんじゃないのか──口には出せなかったけど、万丈目はそれをわかったみたいだった。
「そうならないように覚えておけ」
「……うん」
「だいたい不老不死と下手に知られるだけでも大変だ。解剖されるかもしれないぞ」
解剖は嫌だなあ。不老不死って、そんなに便利なものじゃないのかもしれない。
病院にはタクシーで向かった。出かける前、外出時には必ず眼鏡をかけろと言われた。
「スーパーマンみたいなものだと思えばかける気も起きるだろ」
「あ、だからケントなのか?」
「さあな。病院じゃケントさんとか呼ばれるから、ちゃんと返事しろよ」
病院は一見普通の総合病院だった。主治医だという人と話してから、いろんな検査を受けた。血液を取ったり、血圧を測ったり、レントゲンを撮ったり……学校で受けた健康診断と似たような感じだった。変わっていたのは一、二時間くらい機械の中に入らないといけない検査で、寝てもいいと言われていたから眠ってしまった。その後また主治医と話して、血液検査の数字や骨や脳の写真を見ながら異常は特になかったと説明された。精霊に言われた通り今は休むしかないだろう、と言われて診察は終わった。
なんだか拍子抜けしたけど、異常がないのはいいことだろう。万丈目も先生から異常なしと言われて安心したのか、今朝は少し難しい顔をしていたのがやわらかい顔になったように思う。
病院内のレストランで昼食を食べた。唐揚げ定食とエビフライ定食で迷っていたら、両方頼んでわければいいだろうと万丈目は言った。まるでそれが当たり前みたいな言い方で、たぶんオレたちはよくそういうことをするんだろうと思った。
家に帰ると、昨日と違ってここが自分の家だと感じた。少しずつ記憶が戻っているのかもしれない。
ソファで人心地つくと、そういえばと万丈目は預けていた指輪を取り出した。
「ああ、サンキュ」
「馬鹿、逆だ」
受け取ろうとして右手を出したらそう言われた。左手を出したら万丈目はオレの手を取り薬指に指輪をはめた。それはほんの数秒の出来事で、万丈目の少し冷たい指はすぐに離れてしまった。指輪の温度も感触もすぐに指に馴染んでしまう。指輪なんてずっとつけたことがなかったのに、昨日だって違和感はなかった。思い出せないけど、それでもオレの中にある。
「ありがと」
オレは昨日みたいに隣の万丈目にもたれかかった。思った通り拒否はされず、疲れたか? と言われた。
「病院でも寝たのに、まだちょっと眠いや」
「疲れてるんだろ。無理せず寝ろ。ベッド行くか?」
「いいや。……ここがいい」
万丈目の腕に自分の腕を絡めた。抱きしめてほしい気もするけど、まだそれは恥ずかしい気もする。
万丈目はそんな気持ちを知ってか知らずか、手を握っておやすみと言った。
万丈目の手の冷たさも肩や腕のぬくもりも指輪の温度みたいに馴染んでいく。
うとうとして、また潮騒が聞こえた気がした。
【不老不死if】十代が高校生の頃まで記憶喪失になった話(後編)へ続く
