一話完結短編

列車

 規則正しく耳を打つ音が列車の音だと気づいたときに目が覚めた。左手は妙に温かく、見れば赤い袖から覗く手がオレの手を握っていた。オレの手は座った膝に置かれていて、列車に乗るうち居眠りしてしまったのだ、と思い至る。
「起きた?」
 そう訊ねる声は飽きるくらいに聞き覚えがある。左を見れば茶色い目が細まった。飽きるくらいに見た顔だ。その顔の向こうにはガラスのはまった窓があり、窓の向こうは真っ暗で何も見えなかった。夜だろうか。
「ここは?」
「見ての通り」
 列車の中──だろうか。ボックス席の向かいには誰もいなかった。それどころか、見える範囲に他の人間はいない。この列車自体も、昨今は見慣れないクラシックなデザインで、映画を見ているような気分だった。
「お前のしわざなのか?」
「何が?」
「この状況」
 彼は微笑むだけで何も答えなかった。
「どこに向かってるんだ」
「さあ? オレは知らない」
「まずここはどこなんだ」
「見ての通りだよ」
「真っ暗で何も見えん」
 彼の向こうにある窓ガラスに自分の顔が映る。窓から遠いから見づらいのだろうか。立ち上がるが、彼は手を離さない。むしろぎゅうっと左手を握った。別に痛いほどではない。
「動きづらい」
「離せって言えば離すよ」
 そう言いながらも手を握る力はゆるまなかった。不思議と嫌悪感はない。少しだけ離すのが惜しい気がした。
「別に気にしない」
 惜しいなんて言ってやりたくなくてそう答えた。離せと言わない自分の心が広いみたいなふりをする。
 窓の外を覗く。近づいたところで暗いだけで何も見えない。
「どこ行きたい?」
 オレと一緒に。
 聞き違いか、と思って振り向いた。彼は微笑んでいる。
「お前と?」
「うん」
「なんでまたお前と」
「じゃ、なんで同じ列車に乗ったの?」
 オレが望んだ──のか?
 そもそもどうして列車に乗っているのかわからない。これはどこへ向かい、今はどこなのだろう。わからないが居心地は悪くなかった。耳に届く規則的な音。身体を揺らすわずかな揺れ。
 窓に視線を戻す。目を凝らしてもやはり真っ暗で何も見えない。景色が見えたらよかったのに。
「お前は何か見えるか」
 そう聞けば彼は座ったまま窓を覗き込む──その顔は窓に映らなかった。
 驚いて思わず後ずさる。しかし掴まれたままの手は離されず、彼の腕は肩から袖ごとすっぽ抜けた。
「はあ!?」
「あ」
 オレの驚く声と裏腹に、彼は間の抜けた声を出した。窓から振り向いた彼の顔はまるで穴が空いたように暗く、黒い──。
「なァんだ、もう気づかれちゃった」
 彼は黒い霧とカードになってばらりと崩れた。列車も同様にカードと黒い霧へと変化する。ぐいと左手が引っ張られる。赤い袖から生えた手はまだオレを掴んだままだ。闇の中へ引きずり込まれる──。
「は」
 離せ、と言う間もなく目の前が明るくなった。見覚えのある天井──。
「万丈目くん。目が覚めたのね。痛いところはない?」
 鮎川先生の声だった。保健室だ。
「いえ……」
 そう答えたが左手に違和感がある。目をやれば茶色の頭があった。それに阻まれて自分の手は見えない。
「森の中で倒れていたあなたを十代くんが運んでくれたのよ。心配だからって待ってたけど、寝ちゃったみたい」
 今度は本物だろうか。その髪の下はまた真っ黒じゃないだろうな。そう思いながら右手を伸ばし茶色の髪を持ち上げる。耳は人間の肌の色をしていた。それに安堵し、茶色の頭を叩いた。
「起きろ」
「……ん? あ、万丈目。おはよう」
 十代は眠そうな目でオレを見た。
「おはようじゃない。なんだったんだ今のは」
「ダークネスの置き土産がまだそこらに残っててな。お前は運悪く引っ掛かっちまった」
「またダークネスか」
 しかし今見たものは、以前ダークネスに見せられたような、追い詰められて焦燥感にかられた幻とはまるで違った。ただ列車に乗っていただけだ。窓に映らないだとか顔が真っ黒い闇になっているだとか、B級ホラー映画のような怖さは確かにあったが。
 ずっと掴まれていた手は──思えばあまり怖くなかった。今も。
 今も掴まれている。妙に温いと感じたあの手と同じものが今そこにある。あの赤い袖から覗く手だけが本物の遊城十代だったのだろうか。
「あ、ごめん、いつまでも」
 オレが見ていることに気がついて十代が手を離す。途端に手の甲が冷える気がした。
「どっか変なとことかない? 大丈夫?」
「どっかと言われてもな」
 別にどこも痛くはない。サイドテーブルにデッキとデュエルディスクがある。デッキは無事か。
「……生徒手帳がない」
「マジ? ごめん見逃した。探してくる」
「待て。そんなもの自分で行く」
「お前は寝てろよ」
「もう平気だ」
「熱もないし大丈夫だと思うけど、無理はダメよ。途中で気分が悪くなるかもしれないし、二人で行ったら?」
 鮎川先生にそう言われ、二人で森に向かった。
「そういや、なんであんな場所にいたんだ?」
「デュエルを挑まれるのにも疲れたからな。森なら見つからずに寮に戻れると思ったんだが」
 森の中で声をかけられたのだ。それでデュエルを──なんでデュエルを受けたんだ? そもそもどんなやつに声をかけられたのか。森で待ち伏せるなんていかにも怪しいのに。
 でもその人物に恐怖や不審を感じた覚えはない。その時点でダークネスの術中にはまっていたのか。
「この辺だったよな?」
「ああ」
 ブルー寮に程近い森の中。思えば、十代はどうしてオレを見つけたのだろう?
「お前はどうしてこんな場所に?」
 言ってから、その台詞を口にするのは今日が初めてではない気がした。
 お前を探してたんだよ──そう言ったのは、こいつじゃなかったか?
「ダークネスの気配追ってたんだ。島のいろんな場所に、罠みたいにバラまかれてんだよ。もっと早く気づけばよかった」
 もっと早く気づけばよかった──それも言われなかったか? この森の中で。

「十代? どうしてこんな場所に?」
「お前を探してたんだよ」
「オレを?」
「だってオレたち、まだ決着ついてないだろ? もう卒業しちゃうのにさ」
「……それもそうだな」
 だからデュエルした。でもそのデュエルには妙に手応えがなかった。あいつは攻撃せずデュエルを引き延ばすようなことをした。
「おい、手抜きをしてるのか!?」
「まさか。ただオレは、もう少しこの時間が続けばいいと思って」
「それを手抜きというんだろうが」
「万丈目は終わってもいいのか? これが終わったら」
 オレたちきっと二度とデュエルできない。
「何を──馬鹿な」
「そうだろ? だってオレたちの道は違うんだ。同じ列車にいつまでも乗っていられない。もっと早く気づけばよかった。それとも万丈目、お前はオレと同じ列車に乗りたい?」
 そこで意識が途切れ、気がついたら列車の中だった。
 他の乗客もいない、景色も見えない列車。聞き飽きた声。見飽きた顔。でも列車を降りたら二度と会えないかもしれない。

「あった!」
 十代の声で我に返った。
「ちゃんと万丈目の?」
 十代は拾った生徒手帳を差し出す。確かにオレのものだった。
「……助かった」
 そう言うと十代はにっこり笑う。
「じゃ、気をつけてな」
「待て!」
 帰ろうとした十代を思わず呼び止める。十代に見返されて、何も言葉を用意していない自分に気づく。
「……デュエルしないか」
「今日はしっかり休めって先生に言われただろ」
「だが」
 もうデュエルできないかもしれないだろ、そう言うと十代はじっとオレの目を見た。
「……ダークネスに変なもの見せられた? お前はデュエルできなくなったりしない」
「オレじゃなく、お前が、だ」
「オレ?」
 いや、正確には「オレとお前が」だ。
「お前は──どこかに行ってしまうんだろ」
「まあなぁ」
 曖昧な返事だ。卒業後どこに行くのか、何をするのか、十代ははっきり言ったことはない。
「お前みたいな間抜けはどこでのたれ死ぬかわからん。捕まえられるうちにデュエルしておかんとな。オレたちの決着はまだついてないんだ」
 オレたち、まだ決着ついてないだろ? それはダークネスの見せた幻が言った言葉だ。でもそれは確かにオレの中に燻っている感情だ。
「決着って?」
「決着は決着だろうが。ライバルとしての決着、というか……」
「それがついたらもうライバルじゃなくなるってこと?」
 十代は不思議そうに聞き返した。
「そんなことはないが」
「じゃあなんの決着なんだ?」
 なんの? いずれ決着をと思うばかりで、なんの決着であるのかを考えていなかった。だが、もうすぐ終わってしまうんだ。デュエルアカデミアという同じ列車に乗った時間は。
「……学生としての決着?」
「ふうん? じゃ、明日デュエルするか」
 あっさりとそう言って、十代はまた明日とレッド寮に戻っていった。
 また明日、と言える日だってもうあとわずかだ。そんな感傷があるのは事実だった。
 ずっと同じ列車に乗っていたいとは思わない。あいつと同じ列車に乗りたいとも思わない。
 でも。
 
 万丈目は終わってもいいのか?
 お前はオレと同じ列車に乗りたい?
 どこ行きたい?
 オレと一緒に──。

 あの幻が投げかけた問いは、すべてオレの心から生まれたものなのだろう。
 もっとデュエルしたかったとか、もっと話せばよかったとか、もっと──。
 ダークネスの見せた幻は、自覚していなかった感情を引きずり出した。今更気づいてなんだというんだ。
 やはり決着が必要なのだ。明日デュエルをすれば決着がつく。

◇◆◇

 何度もデュエルするうちに、気がついたら夕方になっていた。木漏れ日は橙に十代を染める。下級生に邪魔されない場所でと、結局昨日と同じ場所を選んだ。
「……一生分デュエルした気分だ」
 そのくらい疲れている。でも、満足感も大きかった。勝敗がどうでもよくなるくらいに楽しいデュエルだった。
「お前はこれからもっとデュエルするじゃん。楽しみにしてるぜ、サンダー」
「なんだ、見る気があったのか?」
「当たり前だろ」
 十代は事も無げに答えた。
「見れるのか? どこに行くのか知らないが」
「……見逃すことも多いかもしれないけどさ。でも見たいよ」
 見られないことは否定しないのか。
「──どこに行くんだ」
「気の向くままに行くさ」
 やはり答えない。あの列車の真っ暗な窓を思い出す。あの幻で何もイメージできなかったのは、オレがそれを知らないからだ。
「せいぜい迷子になるなよ」
「目的地もないからな。迷子になりようがない」
「……とんだ列車だな」
 やはりこいつと一緒の列車には乗れない。行き先不明の、窓の向こうも見えない列車だ。
「列車?」
 十代は首をかしげる。
 そうか、こいつはそもそも人生を列車にたとえるなんてしないのだ。あれはオレの心の迷いから生まれたのだから。
「たとえ話だ。アカデミアという列車からそれぞれ別の列車に乗り換える時が来たという──万年赤点のお前に詩的なたとえはわからないかもしれないが」
「ふーん。難しいこと考えてるんだな」
 こいつは「オレと同じ列車に乗りたい?」なんて聞かない。これが遊城十代だ。幻でもなんでもない、現実の。
 つまり、同じ列車に乗りたいと望んだのはやはりオレなのだ。一時の気の迷いだとしても。同じ列車で隣に座って手を繋ぎたいなんて──いや。
 あの手は本物の遊城十代だったのか?
「昨日は──助かった」
 十代はデュエルディスクからデッキを外していた手を止めてオレを見た。
「オレを引っ張り出したろ」
「ああ──そう見えたんだ?」
「そう見えた?」
「お前の頭の中で起きたことはオレにはわかんないから。ダークネスの気配を追い払うことはしたけど」
 なら、あれもオレの願望が生み出したにすぎないのか? いや、でも目が覚めた時には手を握られていた。単に事実が反映されたものか──。
「ダークネスを追い払うためにオレの手を掴んでたのか?」
「いや……なんか、冷たかったから?」
 十代は目を泳がせた。なんだその反応は。妙に気まずい空気になってしまう。
「ああ、えーと……決着はついた?」
 十代は露骨に話題を変えた。
「つくものか」
 デュエルの終わった直後はさわやかな気分だったのに、結局また頭はごちゃごちゃとしている。全部こいつのせいだ。昨日握られていた左手にまだその感触が残っているような気がする。
「……握手でもする?」
「はア?」
 まるで心を読まれたようなタイミングで、声が裏返ってしまった。
「……そんな驚くかよ」
「いや──お前がそんなことを言うとは」
「明日香がこの前、これからもいいライバルでいようって」
「ああ、なるほど。天上院くんは礼儀正しいな」
 そう、礼儀だ。ライバルとのデュエルが終わり握手する。なんてことのない、締めくくりに相応しい動作。オレたちは互いに歩み寄り右手を差し出す。
「いいデュエルだった」
「ああ、楽しかったぜ」
 十代の手はやはり温かかった。離れるのが少し名残惜しいほど──何を考えている?
「やっぱりちょっと冷たい」
「体質だ」
 十代も手の温度を意識していたことにどきりとした。だが、オレが温かいと感じるなら十代も冷たいと感じるのが自然か。
「またデュエルしような!」
 十代はあっさりと手を振りレッド寮へ戻っていった。橙に染まる後ろ姿は振り向きもしなかった。
 まったく、感傷が台無しだ。宿命のライバルとの最後のデュエルになるかもしれないのに。
 オレたちきっと二度とデュエルできない──あの幻の十代が言った言葉。そう思っていたのはオレ自身だ。いつまでもデュエルしていたいと、同じ列車に乗っていたいと思った。でも、その列車の外は真っ暗で何も見えない。あれとの未来なんて何一つイメージできないのだ。幻の中でさえ。
 なのに十代は、いとも簡単に「またデュエルしよう」と言う。オレたちは違う列車に乗るのに──いや、あいつは列車にすら乗らずレールなんて無視して、どこでも好きな場所に歩いていってしまうのかもしれない。
 卒業式の日、案の定十代は一足先にデュエルアカデミアという列車を降りてしまった。さよならひとつ言わず、身勝手なやつだ。弟分の翔はそんな十代の行動も予測していたとみえて、事前に寄せ書きを用意してファラオに託した。
 オレもそこに一言寄せた。どこへいくのかもわからない、聞いても答える気がないあいつに言うなら、なんだ?
 またデュエルしような! そう笑ったあいつに言うなら。

 いつでも来い! デュエルしてやる!!

2025/09/27
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