完結済中編
呪い〔後編〕
父と二人きりでの話し合いの場を設けた。その結果、十代の感じていた父の悪い気配とやらは消えたようだった。
「どうやったの?」
「お前には使えない手だし、聞いていい気分しないぞ」
「……息子って立場を利用したってこと?」
「いや、売るならもっと高額で売れるルートがあると言った。レアカードや精霊を扱うブローカーにツテがあると。その方面は詳しくなかったから、すぐ信じたぞ。そういうわけで、次に親父がお前を売り飛ばそうと思ったらまずオレに話が来る」
正直なところ、父が人身売買に乗り気などというのは信じたくなかった。十代の考えすぎだと思いたかった。だがその話を出すと父は狼狽し、ごまかそうとして──もっと高額で売れるから勝手なことをされたら困ると同類のふりをしたらひどく安堵した。
「でも、それってすぐ売り飛ばせとかは言われなかったの?」
「利用価値があると言っておいた」
「どんな?」
「お前はデュエルモンスターズの精霊に好かれているからその配偶者のオレもデュエルで有利になる、と」
嘘だ。
「それ、おとうさん信じたの?」
「半信半疑といったところだったが、親父は精霊のことはわからんからな。戦績が落ちると困るから現役の間は売りたくないと言っておいた。どうせ今すぐ金がいるわけじゃないしな」
現役の間は売りたくない、と言ったのは事実だ。
「……そっか。家族に嘘つかせてごめん」
「いや、こっちこそ……親父が人身売買に手を染めるような人間だったとは……」
「まだ売られてねーし、おとうさんもお金に困って魔が差しただけかもだし……そもそもオレが脅したからこんなやつ売ってやれってなったかもだし……脅したのは本当によくなかった」
「お前が脅す必要があったのは売られそうになったからで……」
いや、脅したのは不老不死が知られてしまったからだったか? もうどちらでもいいか。
「ともかく、親父のことは一旦ケリがついた。もしまたお前を売ろうとすればすぐにわかる」
「万丈目って本当に頭いいな。脅すより味方のふりする方が対処しやすいなんて思いつかなかった」
十代はにこにこと笑うが、家族が十代を売ろうとしていることが申し訳なかった。十代の言う通り情報を得られるようになったのはいいことではあるが。
「……疲れたから、今日は一人で休ませてくれ」
夜、そう言うと十代はしばし心配そうにして、それから微笑んで頷いた。
「……わかった。ゆっくり休んで」
「ああ。今日は……親父に話を合わせるためとはいえ、モノみたいな言い方をしてすまない」
「そんなのいいって! ……でも、嘘ついたり悪いふりするのってつらいよな。あんまりいい気分じゃないし」
「そうだな」
「気ィ変わったら呼んでもオレの部屋に来てもいいから。じゃ、おやすみ」
寝室で一人になると、疲れと罪悪感と自己嫌悪が押し寄せてきた。
今日は最悪な一日だった。
父親が人身売買に関わろうとしていたなんて一生知りたくなかった。しかも話を合わせれば安堵した顔をして──お前があの化け物に本気でなくてよかった、と笑った。
化け物という言葉を使われたのは一度や二度ではなかった。父はあれの呪いは厄介だと愚痴を言った。父は心の底から十代を化け物と思い、だからこそ人身売買にためらいもないのだろう。より金になるルートがあると知ればすぐに売りたがった。売るより利用価値があると話せば納得した。残念ながら父には大事な人だとか愛しているとかよりも、損得勘定の方が話の通りがいい。
──万丈目サンダーは愛妻家で通ってますから、現役の間はいなくなると困ります。男に愛妻家も変ですけど、世間はそういうのが好きですからね。愛妻家だの内助の功だの……。それに“老いない妻”なんてみんな喉から手が出るほど欲しいものでしょう? 妻より若い相手がほしくて不倫や何かで身を持ち崩すデュエリストだっていますが、あれなら若い相手を探し直す必要がない。永遠に若いままですから。
ぺらぺらとそんなことを言った。共に歳を重ねられないことがどんなに苦しいか。いつかあいつを置いていってしまうことがどれほど心配か。プロデュエリストとして鍛えた表情筋が今日はよく役に立った。
化け物にもそんな利点があるかと父は笑った。「化け物」という言葉に同調し十代をモノのように語るのは耐え難い苦痛だった。
──手懐ければ可愛いものですよ。呪いというのも、つまりはあれに害だと認識されなければいい。本当に金に困ったらあれが自ら身を売るように仕向ければ我我に呪いが降りかかることはありません。簡単なことですよ、あれはこちらに惚れ込んでますからね。
反吐が出そうだった。もし万が一そんなことになればオレたちは呪われるべきだ。対象が十代であろうがなかろうが人身売買で金を得ようなんて、考えるだけでもおぞましい。
だがこれで父の信用は得た。もし十代を売ろうとするなら必ずオレに話が来る。そうすれば理由をつけて止めるなり十代を逃がすなりできる。そのためなら、多少自分が不快だったことなんてなんだというんだ?
ただの人間ではないあいつと生涯を共にすると決めた時に覚悟したはずだ。家族の理解が得られないこと、特異な力を狙う輩への対処に苦労すること──まさか家族がその輩になるとは思わなかったが。
資金援助を受け入れられた時、金の力とはいえ父と和解できたかと思っていた。だが、おそらく父にとっての和解は今日だった。オレが人身売買をためらわないこと、十代を対等なパートナーではなく“手懐けた化け物”として扱うことでこれまでにないほど信頼を込めた目でオレを見た。父にとっての理想の息子は他者をためらいなく利用し損得勘定を最優先にする人間だった。
それは万丈目という名と財を保つのに必要な素養なのかもしれない。綺麗事だけで財は成せない。プロデュエリストだって他者を蹴落とさなければならない。それは他者を利用して頂点に立つとも言えるだろう。でも。
人身売買は度を越している──。
そんな人間に認められようと今まで苦心してきたのか?
長く誇りに思ってきた「万丈目」の名前も、今は虚しいものに感じられた。
◇◆◇
「お前が殺したのか」
化け物はあどけない顔を隠すためか、いつからか眼鏡をしていた。黒縁のそれで誰もが騙されるのか、四十になる彼を若すぎると言う者はいなかった。
「おとうさん──」
「おとうさんなどと呼ぶな化け物が! 一秒たりともお前を息子だと思ったことはない!」
化け物は悲しそうな顔をして私を見返した。見かけだけはまるであわれな少年のように見えるのだ。今は似合わない喪服など着ているからなおさらだった。息子が死んでから、会う度に彼は喪服を着続けていた。
「答えろ! お前が殺したのか!」
「……オレが飛行機落としたって言いたいの」
化け物から表情が消えた。能面のようなそれにほんの少し背筋が寒くなった。
「お前ならできるだろう!」
「できるできないの話ならあんたの財力だってできる」
「我が子を殺す理由があるか!」
「オレだってあいつを殺す理由なんてない」
「裏切られたことに気づいて逆上したんじゃないのか」
「裏切り?」
化け物は心底不思議そうな顔をした。
「……ふん。本当に何も知らなかったのか」
私は我が子が化け物をどう思っていたかを教えてやった。自己演出の道具に過ぎず、若さを楽しみいずれ金に替えるために飼われていたにすぎないと。
「そんなことない。本当に愛してくれてたよ」
成る程、聞いた通りに一途であわれな化け物だ。息子も多少は絆されていたようだが、本当にそうならあんなことは手紙に書かない。
「信じていないのか? あの子は自分の万一の時のために私にお前の処分方法を教えてくれたぞ。──入れ! もういいぞ」
私は扉の外に声をかけた。化け物を引き取りに来た男たちが入ってくる。それを見て、化け物は泣き出しそうな顔をした。胸のすく思いだ。今日化け物をあの日私を脅した部屋に呼んだのは一種の意趣返しでもあった。
「……おとうさん。冗談だって言って」
「冗談なものか」
「おとうさん、本当に」
「黙れ」
「おとうさん」
「おとうさんと呼ぶのをやめろと言ったはずだ。早く連れていけ!」
男の一人は馬鹿丁寧に化け物へこちらへと声をかけた。
「本気じゃないと思うんですよ、だから……」
どうやら化け物でも命乞いをするようだ。しかしこちらへと再び言われ、化け物は大人しく男についていった。
スーツ姿の男が二人部屋に残り、私に書類を差し出した。化け物の引き取りに必要な書類かと目をやれば──そこには逮捕状という文字があった。
◇◆◇
万丈目が死んで一年経った。
「こんなに早くてすまない」
それがオレに遺した言葉だった。墜落する飛行機の中で、怯えるおジャマたちに異世界に行って必ずオレに伝えろと言った。
何それ? 助けてとか怖いとか言ったら?
そうしたら、時間の壁も空間の壁もぶち破ってお前を助けに行ったのに。
あいつはオレからとても遠い場所で死んだ。他の多くの死者と同様に、あいつの遺体も戻らなかった。だから今目の前にある墓に骨はない。でも遺体なんて見たら《死者蘇生》くらい試したくなっちゃったから、これでよかったのかもしれない。最期の言葉も遺体がないのも、オレにそういうことをさせないためにわざとやったのかな、なんて。
世間を騒がせた事故も万丈目の父親の逮捕も、無関係な人人はもう忘れてしまった頃だろうか。
万丈目は、この十年ほど自分の仕事の傍ら父親の不正の証拠を集め告発しようと準備を進めていた。「人身売買に手を出そうとした」というのが彼にとってもっとも許せないことのようだった。
「別に、人身売買なんて思ってないんだろ。あのひとにとってオレは化け物なんだから」
放っておけばいいのになあ、というのがオレの正直な気持ちだった。売られたりすんのはそりゃあ怖いけど、手段を選ばなければ逃げようなんかいくらでもある。人間は傷つけたくないなあとか建物ぶっ壊しちゃったら申し訳ないなあとか……。
「お前はそれでいいかもしれないがな」
普通の子供にそれはできないんだ──。
万丈目は三十過ぎたあたりから、どうにもオレを子供のように感じるらしかった。見た目は高校時代から変わらないのだから、仕方ない部分もあるけど。「お前みたいな子供を平気で売れて、他の子供にそうしないと思うのか?」なんて言われた。タガが外れるなんて言葉もあるから、その懸念はそう的外れでもないんだろうか。
幸い(と言っていいのかどうか)万丈目の父親の不正は金銭関係ばかりで、人身売買はオレの件だけのようだった。それでも人買いをするような反社会的組織と接触したのは事実で、万丈目は父親がオレを売ろうとしたらその情報が外部に流れるようにしていたらしい。これらに関して、オレは蚊帳の外でよく知らない。身内のことだから自分で片付けると万丈目が言った通り、彼は兄たちと協力して身内の膿を出し切ろうとしていた。万丈目の死後も兄たちがその不正を正し、万丈目グループを立て直そうとしている。
万丈目は、人身売買についてだけはオレを売ろうとしなければ胸の内に留めておくつもりだったらしい。万丈目は自分に万一のことがあった時に父親に手紙が届くようにしていた。それはオレのことを「口ではああ言ったが愛している」とか「自分がいなければ出ていくだけだから彼のことは放っておいてくれ」とか書いた上で売買の連絡先(もちろん偽の)も知らせるというものだったそうだ。万丈目は父親の良心を信じたかったのだろう。結果は残念なことになってしまったが──オレが脅したことで「息子はこいつのせいで死んだ」と思い込んでしまったのだとしたら、オレが悪かったんじゃないかなと思ってしまう。
万丈目が死んだのだって、本当にオレは無関係なのかな。呪いのせいなんだろうか。十年ほど前に微かな気配を感じてそれに対処して以来、万丈目に呪いの気配は一切なかった。大勢が亡くなった事故だし呪いとは関係ないはずだとユベルは言う。もし呪いなら先に大きな気配を感じたはずだ、と。
大きな呪いの気配なら、十年前に感じていたのだ。万丈目の父親を中心に、一族までも巻き込む大きな呪い。オレはそれを解消できたつもりでいた。万丈目も手伝ってくれて全部消えたんだってずっと思っていた。
でも。
本当は解消なんてされてなくて、報いが実行されたから気配が消えたんじゃないのか? 報いがすぐさま実行されて終わるなんてのはオレの思い込みで、十年かけてゆっくりと進行していったんじゃないのか。十年前の経営の傾きはただの始まりで、そこから万丈目が父親と深く関わることでその不正を暴いていき、彼は信頼していた息子も地位も失う──そういう報い。
呪いは一度発生してしまえば止めることなんてできなくて、オレの都合なんてお構いなしにただ粛粛と「覇王へ害を与えた者」への報いを与えるものなのかもしれない。オレの大切な人はその駒として消費されてしまったのではないか──。
万丈目と一緒にいたいと思わなかったら、こんなことにならなかったのかな。
「馬鹿馬鹿しい。キミが関わらなくたってあいつは不正してたんだろ。いずれ発覚して失脚していたさ。万丈目だって世界中飛び回ってたんだ。飛行機事故に遭う確率は頻繁に飛行機に乗る人間の方が高い。それだけのことだ」
ユベルはオレがうじうじしていることに呆れ果てていた。
「そもそもキミが呪いと呼んでいるのが本当に『覇王を害をなすものに報いがある』という伝承に基づくものかさえわからないのが実際じゃないか。キミが感じた気配を勝手にそれに結びつけてるだけ」
「ユベルが言い出したんだろ」
「ボクはそういう伝承があるって話をしただけさ。それだって真実かはわからない。覇王が害されないように牽制するための作り話かもね。ボクらがそれを偶然起きた交通事故や何かに結びつけてしまった、それだけのことかもしれない」
「じゃ、オレが感じる気配はなんなんだよ?」
「単純に『何か悪いこと』の気配じゃないの? たとえば十年前に万丈目グループが傾いた時の気配なら、万丈目の資金援助で持ち直さなかったらそのまま倒産して親父は失脚、一族郎党路頭に迷い、万丈目にも借金か何かが及んだ、それだけのことをボクらは勝手に覇王を害した者への呪いだと思い込んだ」
「おとーさんからなかなか気配が消えなかったのは?」
「ストレスで胃でも痛めてたのが悪いことの気配として出ただけかもしれないよ」
「ストレスねぇ──」
こんな風に言われると、呪いなんて思い込みに過ぎなかったのかもしれないとも思う。でも、オレに何かしようとした人間が酷い目に遭うことも偶然とは言えない頻度で起きている──。
全てただの偶然なのか、それとも呪いは存在するのか、確認なんてできないんだろう。実験のしようもないし。
考えすぎるだけ無駄だというユベルの言う通りだ。
「……そろそろ行くか。じゃあな。しばらく戻らない」
墓にそう声をかける。これからしばらく人間界から離れる。この一年で家や遺品の片付けも終わり、義兄や友人たちに挨拶をして回って、最後に来たのがこの墓だった。遺骨もない形だけの墓だけど、それでもこの一年、月命日や気が向いた時には墓参りをしていた。しばらく来られないのは少し寂しい。
「……行ってきます」
そう言って、オレは墓に背を向けた。
◇◆◇
「……十年ぶりでしたっけ」
赤い服を着た少年は、十年前から変わらない幼い顔でそう言った。いや、十年どころか初めて顔を見た日から変わっていない。年齢を誤魔化すための似合わない眼鏡はもうかけていなかった。
「なんだ。笑いに来たのか」
いいえ、と言って少年は私の隣に座った。
霊園のベンチだった。ここには息子の一人の墓がある。プロデュエリストだった息子の墓は、デュエリストの聖地童実野町の霊園に建てられた。ファンにも場所は公開されていて、いつも花が絶えない。
「今日はお渡ししたいものが」
少年はそう言って封筒を差し出した。よくある縦長の茶封筒だ。受け取ると、中身は手紙ではなさそうだった。上が折られているだけの封筒を開ける。
「……砂?」
訝しく思い少年を見ると、彼は微笑んでいる。
「あいつが沈んだ海底の砂」
「はあ?」
息子は、乗っていた飛行機と共に海に沈んだ。遺体は戻らなかった。ほとんどの乗客がそうだ。飛行機の残骸の回収もままならなかったと記憶する。
「……本当は遺体を見つけたかったけど、海は広すぎて無理だ。どう流されたかもわかんねーし。行くなら事故直後じゃなきゃダメだったな。今更だけど」
確か──事故直後は彼も海外でなかなか連絡がつかなかったと、いや。
「……あの日どこにいた?」
「地球にはいなかった。もしいたら──飛んでってたかな」
文字通り、と少年は瞳を潤ませて笑った。
「……空が飛べるのか」
「うん」
「深海も泳げる?」
「うん」
「それでこの砂を?」
「うん」
「なんで砂なんだ?」
「さあ──なんにも見つからないから、なんとなく?」
「……どうして今なんだ?」
「裁判結果知らなかったから、十年したらシャバかなと思って」
「十年も入っとらんわ」
少年は口を押さえて笑いをこらえた。肩が震える。
元はと言えばこいつのせいだ。いや、こいつに肩入れした息子の。
「ゾーワイとかダツゼーとかいろいろしてたのに?」
「経営に収賄贈賄くらいつきものだ。多少の税の誤魔化しも」
「人身売買も?」
「そんなことはやっとらん」
「オレを売ろうとしたくせにぃ」
彼はもう五十近いと思うが、十代の少年のように笑う。その名のごとく。
「お前は人間じゃない」
何十年も若いまま。爆破に巻き込まれようが見えない何かに重傷を負わされようが傷一つ残らない。他人を操り記憶を消す。これのどこが人間なのだ?
「ああ。でもあいつにとっては人間だった」
愛している、と息子は手紙に書いていたと思う。あの子の死後に届いた手紙の内容はもううろ覚えだ。化け物を買い取るブローカーの連絡先だという番号は、化け物を保護させ人身売買を告発する罠だった。
──おとうさん。冗談だって言って。
──本気じゃないと思うんですよ、だから……。
泣きそうな顔でそう訴えたのは、自分自身ではなく私のための命乞いだった。本来なら人身取引について罪に問うところを彼の頼みで不問にしたのだと──。
「まあ、ひとでなしではないようだな。ろくでなしだが」
ろくでなしかァ、と少年は笑う。
「お前が傍にいればあの子は死ななかったんじゃないのか」
そう言えば少年は目を潤ませる。
「たぶんね。でも、そうしたかったらあいつを人間でいさせてはやれない」
「お前の同類にはできると?」
「同類というか……いわゆる使い魔みたいな? そーゆーのにするのは簡単。でもそれ、対等なパートナーとは言えないでしょ」
使い魔とはなんともファンタジーな言葉が出てきた。
「あいつはオレに最期のメッセージをくれた。自分の精霊に頼んで……知ってた? あいつに精霊が憑いてたのは」
信じがたいがそうらしいとは知っている。
「『こんなに早くてすまない』だってさ。助けてって言えば、オレは何をしても助けたのに。たとえ」
何を犠牲にしても。
そう微笑む暗い瞳に、やはり少年の皮をかぶった化け物なのだと思う。
「でも、一度だってオレがあいつにそういう力を使うこと望んでくれなかった。望んでくれたらなんだってしたのに」
悲しそうに寂しそうにする横顔はただの少年だ。
あの子は、やはり化け物をうまく手懐けていたのだろう。これがひとでなしにならないように──最期のその時まで。
「そういえば、もうオレのこと疑ってないの? あの時はお前が殺したんだって言ってたのに」
「地球にいなかったんだろ」
「呪いのせいとは思わなかった?」
「呪いなんてこの世にはない」
呪いなど──ない。経営がうまくいかないなど、別によくあることなのだ。あの時は間違っていないはずだと邁進した方向が間違っていた、それだけのことだ。こいつに非常識な力があるのが事実でも、経営には関係がない。あの時は弱気になってこんな小僧の口車にのせられてしまったが。
「そっか、脅しちゃってごめんね」
「まったく、一生の恥だ」
だが──呪いのせいでこれまでの選択は正しくなかったと、そう思うことで冷静になったのも事実だった。そんなことはこいつには絶対に言わないが。
「おとうさん」
一度だってこれを義理の息子と思ったことはない。だというのに、息子のいない今さえこれは「おとうさん」と呼ぶ。
「あいつの墓参りしてくれてありがとう。嫌いになっちゃったかと思った」
「なるか。私の息子だぞ」
「そっかァ。あいつもおとうさんのこと大好きだったよ。万丈目の名前に誇りを持ってた。だから」
だから不正を正そうとしたのだと、長男から聞いた。
出来損ないの三男坊。カード遊びに夢中で、大した役にも立たないかもしれないと思った。だというのに、万丈目といえば万丈目財閥ではなく万丈目サンダーの名の方が人口に膾炙するようになってしまった。
しかしそれも──この十年で忘れられ始めているか。
「お前は……ずっとあの子のことを覚えているか?」
「オレ忘れっぽいからなァ。でも、覚えてたいよ」
膝に頬杖をつく左手の薬指には、まだ指輪がはまっていた。
「嘘でもはいと言えないのか」
「おとうさんが生きてる間ならはっきり覚えてるよ。何万年先まで覚えてられるかはわかんねーけど、せめて一万年は覚えてたい」
「一万年か」
「万丈目だけに。やっぱ今からでも改姓しちゃおーかな。自分の名前になれば何万年先でも覚えてそう」
「やめろ。お前が万丈目一族になるなんて御免だ」
「あいつにも同じこと言われた。ま、オレには遊城十代の方が似合ってるかな」
遊城十代はそう言ってベンチから立ち上がった。何年経ってもほころびも色褪せもない、息子の卒業アルバムに残る写真と同じ赤のジャケット、黒いズボン、赤いブーツ。くるりと私の正面に立つ。
「じゃあね、おとうさん。オレもう行くから」
「この砂、どうしろというんだ?」
「好きにしたら」
「本当に海底の砂なのか?」
「嘘つくなら遺骨って言って持ってくるよ。海底の砂なんかもらって嬉しくないよね」
「ならなんで渡したんだ?」
「お詫び? おすそわけ?」
少し首を傾げてみせる。まるで子供の仕草だ。今となっては孫よりも若い。
「詫びにおすそわけ?」
「先祖代代の墓から、あいつのこと取っちゃったから。オレがいつでも来られるように童実野町に建てたいって」
墓までこいつのためのものなのか。
「……で、それ、あの墓にも入ってるから。だからおすそわけ」
「まったく意味がわからん」
白い砂。遺灰代わりにしろというのか?
「わかんなくていーよ。そんじゃ、元気でね、おとうさん。大好きだよ」
孫のように馴れ馴れしく別れを告げる。
「おとうさんと」
呼ぶな、と言おうとしたが、封筒から顔を上げると彼はもういなかった。開けた霊園の広場のどこにも。
「お──おい、あいつはどこに行った?」
私は少し離れて控えていた男に訊ねた。
「どうされました?」
「今いただろう、赤いジャケットの」
男は素早く周りを見た。盆でも彼岸でもない平日の昼間の霊園は閑散とし、誰もいなかった。
「ジャケット以外に特徴は? 男ですか? 女ですか? 年頃は?」
「高校生くらいの──今、わたしの、となりに……」
「隣?」
男は不思議そうな顔をした。そもそも──見ず知らずの高校生くらいの少年を、護衛が声もかけず私の隣に座らせるか?
白昼夢でも見ていたのかと思う。息子の命日であいつを思い出して、あんな夢を──。
しかし私の手には、砂の入った茶封筒が握られていた。
2025/08/26
2025/09/27 誤字修正
2025/11/10 一部修正
父と二人きりでの話し合いの場を設けた。その結果、十代の感じていた父の悪い気配とやらは消えたようだった。
「どうやったの?」
「お前には使えない手だし、聞いていい気分しないぞ」
「……息子って立場を利用したってこと?」
「いや、売るならもっと高額で売れるルートがあると言った。レアカードや精霊を扱うブローカーにツテがあると。その方面は詳しくなかったから、すぐ信じたぞ。そういうわけで、次に親父がお前を売り飛ばそうと思ったらまずオレに話が来る」
正直なところ、父が人身売買に乗り気などというのは信じたくなかった。十代の考えすぎだと思いたかった。だがその話を出すと父は狼狽し、ごまかそうとして──もっと高額で売れるから勝手なことをされたら困ると同類のふりをしたらひどく安堵した。
「でも、それってすぐ売り飛ばせとかは言われなかったの?」
「利用価値があると言っておいた」
「どんな?」
「お前はデュエルモンスターズの精霊に好かれているからその配偶者のオレもデュエルで有利になる、と」
嘘だ。
「それ、おとうさん信じたの?」
「半信半疑といったところだったが、親父は精霊のことはわからんからな。戦績が落ちると困るから現役の間は売りたくないと言っておいた。どうせ今すぐ金がいるわけじゃないしな」
現役の間は売りたくない、と言ったのは事実だ。
「……そっか。家族に嘘つかせてごめん」
「いや、こっちこそ……親父が人身売買に手を染めるような人間だったとは……」
「まだ売られてねーし、おとうさんもお金に困って魔が差しただけかもだし……そもそもオレが脅したからこんなやつ売ってやれってなったかもだし……脅したのは本当によくなかった」
「お前が脅す必要があったのは売られそうになったからで……」
いや、脅したのは不老不死が知られてしまったからだったか? もうどちらでもいいか。
「ともかく、親父のことは一旦ケリがついた。もしまたお前を売ろうとすればすぐにわかる」
「万丈目って本当に頭いいな。脅すより味方のふりする方が対処しやすいなんて思いつかなかった」
十代はにこにこと笑うが、家族が十代を売ろうとしていることが申し訳なかった。十代の言う通り情報を得られるようになったのはいいことではあるが。
「……疲れたから、今日は一人で休ませてくれ」
夜、そう言うと十代はしばし心配そうにして、それから微笑んで頷いた。
「……わかった。ゆっくり休んで」
「ああ。今日は……親父に話を合わせるためとはいえ、モノみたいな言い方をしてすまない」
「そんなのいいって! ……でも、嘘ついたり悪いふりするのってつらいよな。あんまりいい気分じゃないし」
「そうだな」
「気ィ変わったら呼んでもオレの部屋に来てもいいから。じゃ、おやすみ」
寝室で一人になると、疲れと罪悪感と自己嫌悪が押し寄せてきた。
今日は最悪な一日だった。
父親が人身売買に関わろうとしていたなんて一生知りたくなかった。しかも話を合わせれば安堵した顔をして──お前があの化け物に本気でなくてよかった、と笑った。
化け物という言葉を使われたのは一度や二度ではなかった。父はあれの呪いは厄介だと愚痴を言った。父は心の底から十代を化け物と思い、だからこそ人身売買にためらいもないのだろう。より金になるルートがあると知ればすぐに売りたがった。売るより利用価値があると話せば納得した。残念ながら父には大事な人だとか愛しているとかよりも、損得勘定の方が話の通りがいい。
──万丈目サンダーは愛妻家で通ってますから、現役の間はいなくなると困ります。男に愛妻家も変ですけど、世間はそういうのが好きですからね。愛妻家だの内助の功だの……。それに“老いない妻”なんてみんな喉から手が出るほど欲しいものでしょう? 妻より若い相手がほしくて不倫や何かで身を持ち崩すデュエリストだっていますが、あれなら若い相手を探し直す必要がない。永遠に若いままですから。
ぺらぺらとそんなことを言った。共に歳を重ねられないことがどんなに苦しいか。いつかあいつを置いていってしまうことがどれほど心配か。プロデュエリストとして鍛えた表情筋が今日はよく役に立った。
化け物にもそんな利点があるかと父は笑った。「化け物」という言葉に同調し十代をモノのように語るのは耐え難い苦痛だった。
──手懐ければ可愛いものですよ。呪いというのも、つまりはあれに害だと認識されなければいい。本当に金に困ったらあれが自ら身を売るように仕向ければ我我に呪いが降りかかることはありません。簡単なことですよ、あれはこちらに惚れ込んでますからね。
反吐が出そうだった。もし万が一そんなことになればオレたちは呪われるべきだ。対象が十代であろうがなかろうが人身売買で金を得ようなんて、考えるだけでもおぞましい。
だがこれで父の信用は得た。もし十代を売ろうとするなら必ずオレに話が来る。そうすれば理由をつけて止めるなり十代を逃がすなりできる。そのためなら、多少自分が不快だったことなんてなんだというんだ?
ただの人間ではないあいつと生涯を共にすると決めた時に覚悟したはずだ。家族の理解が得られないこと、特異な力を狙う輩への対処に苦労すること──まさか家族がその輩になるとは思わなかったが。
資金援助を受け入れられた時、金の力とはいえ父と和解できたかと思っていた。だが、おそらく父にとっての和解は今日だった。オレが人身売買をためらわないこと、十代を対等なパートナーではなく“手懐けた化け物”として扱うことでこれまでにないほど信頼を込めた目でオレを見た。父にとっての理想の息子は他者をためらいなく利用し損得勘定を最優先にする人間だった。
それは万丈目という名と財を保つのに必要な素養なのかもしれない。綺麗事だけで財は成せない。プロデュエリストだって他者を蹴落とさなければならない。それは他者を利用して頂点に立つとも言えるだろう。でも。
人身売買は度を越している──。
そんな人間に認められようと今まで苦心してきたのか?
長く誇りに思ってきた「万丈目」の名前も、今は虚しいものに感じられた。
◇◆◇
「お前が殺したのか」
化け物はあどけない顔を隠すためか、いつからか眼鏡をしていた。黒縁のそれで誰もが騙されるのか、四十になる彼を若すぎると言う者はいなかった。
「おとうさん──」
「おとうさんなどと呼ぶな化け物が! 一秒たりともお前を息子だと思ったことはない!」
化け物は悲しそうな顔をして私を見返した。見かけだけはまるであわれな少年のように見えるのだ。今は似合わない喪服など着ているからなおさらだった。息子が死んでから、会う度に彼は喪服を着続けていた。
「答えろ! お前が殺したのか!」
「……オレが飛行機落としたって言いたいの」
化け物から表情が消えた。能面のようなそれにほんの少し背筋が寒くなった。
「お前ならできるだろう!」
「できるできないの話ならあんたの財力だってできる」
「我が子を殺す理由があるか!」
「オレだってあいつを殺す理由なんてない」
「裏切られたことに気づいて逆上したんじゃないのか」
「裏切り?」
化け物は心底不思議そうな顔をした。
「……ふん。本当に何も知らなかったのか」
私は我が子が化け物をどう思っていたかを教えてやった。自己演出の道具に過ぎず、若さを楽しみいずれ金に替えるために飼われていたにすぎないと。
「そんなことない。本当に愛してくれてたよ」
成る程、聞いた通りに一途であわれな化け物だ。息子も多少は絆されていたようだが、本当にそうならあんなことは手紙に書かない。
「信じていないのか? あの子は自分の万一の時のために私にお前の処分方法を教えてくれたぞ。──入れ! もういいぞ」
私は扉の外に声をかけた。化け物を引き取りに来た男たちが入ってくる。それを見て、化け物は泣き出しそうな顔をした。胸のすく思いだ。今日化け物をあの日私を脅した部屋に呼んだのは一種の意趣返しでもあった。
「……おとうさん。冗談だって言って」
「冗談なものか」
「おとうさん、本当に」
「黙れ」
「おとうさん」
「おとうさんと呼ぶのをやめろと言ったはずだ。早く連れていけ!」
男の一人は馬鹿丁寧に化け物へこちらへと声をかけた。
「本気じゃないと思うんですよ、だから……」
どうやら化け物でも命乞いをするようだ。しかしこちらへと再び言われ、化け物は大人しく男についていった。
スーツ姿の男が二人部屋に残り、私に書類を差し出した。化け物の引き取りに必要な書類かと目をやれば──そこには逮捕状という文字があった。
◇◆◇
万丈目が死んで一年経った。
「こんなに早くてすまない」
それがオレに遺した言葉だった。墜落する飛行機の中で、怯えるおジャマたちに異世界に行って必ずオレに伝えろと言った。
何それ? 助けてとか怖いとか言ったら?
そうしたら、時間の壁も空間の壁もぶち破ってお前を助けに行ったのに。
あいつはオレからとても遠い場所で死んだ。他の多くの死者と同様に、あいつの遺体も戻らなかった。だから今目の前にある墓に骨はない。でも遺体なんて見たら《死者蘇生》くらい試したくなっちゃったから、これでよかったのかもしれない。最期の言葉も遺体がないのも、オレにそういうことをさせないためにわざとやったのかな、なんて。
世間を騒がせた事故も万丈目の父親の逮捕も、無関係な人人はもう忘れてしまった頃だろうか。
万丈目は、この十年ほど自分の仕事の傍ら父親の不正の証拠を集め告発しようと準備を進めていた。「人身売買に手を出そうとした」というのが彼にとってもっとも許せないことのようだった。
「別に、人身売買なんて思ってないんだろ。あのひとにとってオレは化け物なんだから」
放っておけばいいのになあ、というのがオレの正直な気持ちだった。売られたりすんのはそりゃあ怖いけど、手段を選ばなければ逃げようなんかいくらでもある。人間は傷つけたくないなあとか建物ぶっ壊しちゃったら申し訳ないなあとか……。
「お前はそれでいいかもしれないがな」
普通の子供にそれはできないんだ──。
万丈目は三十過ぎたあたりから、どうにもオレを子供のように感じるらしかった。見た目は高校時代から変わらないのだから、仕方ない部分もあるけど。「お前みたいな子供を平気で売れて、他の子供にそうしないと思うのか?」なんて言われた。タガが外れるなんて言葉もあるから、その懸念はそう的外れでもないんだろうか。
幸い(と言っていいのかどうか)万丈目の父親の不正は金銭関係ばかりで、人身売買はオレの件だけのようだった。それでも人買いをするような反社会的組織と接触したのは事実で、万丈目は父親がオレを売ろうとしたらその情報が外部に流れるようにしていたらしい。これらに関して、オレは蚊帳の外でよく知らない。身内のことだから自分で片付けると万丈目が言った通り、彼は兄たちと協力して身内の膿を出し切ろうとしていた。万丈目の死後も兄たちがその不正を正し、万丈目グループを立て直そうとしている。
万丈目は、人身売買についてだけはオレを売ろうとしなければ胸の内に留めておくつもりだったらしい。万丈目は自分に万一のことがあった時に父親に手紙が届くようにしていた。それはオレのことを「口ではああ言ったが愛している」とか「自分がいなければ出ていくだけだから彼のことは放っておいてくれ」とか書いた上で売買の連絡先(もちろん偽の)も知らせるというものだったそうだ。万丈目は父親の良心を信じたかったのだろう。結果は残念なことになってしまったが──オレが脅したことで「息子はこいつのせいで死んだ」と思い込んでしまったのだとしたら、オレが悪かったんじゃないかなと思ってしまう。
万丈目が死んだのだって、本当にオレは無関係なのかな。呪いのせいなんだろうか。十年ほど前に微かな気配を感じてそれに対処して以来、万丈目に呪いの気配は一切なかった。大勢が亡くなった事故だし呪いとは関係ないはずだとユベルは言う。もし呪いなら先に大きな気配を感じたはずだ、と。
大きな呪いの気配なら、十年前に感じていたのだ。万丈目の父親を中心に、一族までも巻き込む大きな呪い。オレはそれを解消できたつもりでいた。万丈目も手伝ってくれて全部消えたんだってずっと思っていた。
でも。
本当は解消なんてされてなくて、報いが実行されたから気配が消えたんじゃないのか? 報いがすぐさま実行されて終わるなんてのはオレの思い込みで、十年かけてゆっくりと進行していったんじゃないのか。十年前の経営の傾きはただの始まりで、そこから万丈目が父親と深く関わることでその不正を暴いていき、彼は信頼していた息子も地位も失う──そういう報い。
呪いは一度発生してしまえば止めることなんてできなくて、オレの都合なんてお構いなしにただ粛粛と「覇王へ害を与えた者」への報いを与えるものなのかもしれない。オレの大切な人はその駒として消費されてしまったのではないか──。
万丈目と一緒にいたいと思わなかったら、こんなことにならなかったのかな。
「馬鹿馬鹿しい。キミが関わらなくたってあいつは不正してたんだろ。いずれ発覚して失脚していたさ。万丈目だって世界中飛び回ってたんだ。飛行機事故に遭う確率は頻繁に飛行機に乗る人間の方が高い。それだけのことだ」
ユベルはオレがうじうじしていることに呆れ果てていた。
「そもそもキミが呪いと呼んでいるのが本当に『覇王を害をなすものに報いがある』という伝承に基づくものかさえわからないのが実際じゃないか。キミが感じた気配を勝手にそれに結びつけてるだけ」
「ユベルが言い出したんだろ」
「ボクはそういう伝承があるって話をしただけさ。それだって真実かはわからない。覇王が害されないように牽制するための作り話かもね。ボクらがそれを偶然起きた交通事故や何かに結びつけてしまった、それだけのことかもしれない」
「じゃ、オレが感じる気配はなんなんだよ?」
「単純に『何か悪いこと』の気配じゃないの? たとえば十年前に万丈目グループが傾いた時の気配なら、万丈目の資金援助で持ち直さなかったらそのまま倒産して親父は失脚、一族郎党路頭に迷い、万丈目にも借金か何かが及んだ、それだけのことをボクらは勝手に覇王を害した者への呪いだと思い込んだ」
「おとーさんからなかなか気配が消えなかったのは?」
「ストレスで胃でも痛めてたのが悪いことの気配として出ただけかもしれないよ」
「ストレスねぇ──」
こんな風に言われると、呪いなんて思い込みに過ぎなかったのかもしれないとも思う。でも、オレに何かしようとした人間が酷い目に遭うことも偶然とは言えない頻度で起きている──。
全てただの偶然なのか、それとも呪いは存在するのか、確認なんてできないんだろう。実験のしようもないし。
考えすぎるだけ無駄だというユベルの言う通りだ。
「……そろそろ行くか。じゃあな。しばらく戻らない」
墓にそう声をかける。これからしばらく人間界から離れる。この一年で家や遺品の片付けも終わり、義兄や友人たちに挨拶をして回って、最後に来たのがこの墓だった。遺骨もない形だけの墓だけど、それでもこの一年、月命日や気が向いた時には墓参りをしていた。しばらく来られないのは少し寂しい。
「……行ってきます」
そう言って、オレは墓に背を向けた。
◇◆◇
「……十年ぶりでしたっけ」
赤い服を着た少年は、十年前から変わらない幼い顔でそう言った。いや、十年どころか初めて顔を見た日から変わっていない。年齢を誤魔化すための似合わない眼鏡はもうかけていなかった。
「なんだ。笑いに来たのか」
いいえ、と言って少年は私の隣に座った。
霊園のベンチだった。ここには息子の一人の墓がある。プロデュエリストだった息子の墓は、デュエリストの聖地童実野町の霊園に建てられた。ファンにも場所は公開されていて、いつも花が絶えない。
「今日はお渡ししたいものが」
少年はそう言って封筒を差し出した。よくある縦長の茶封筒だ。受け取ると、中身は手紙ではなさそうだった。上が折られているだけの封筒を開ける。
「……砂?」
訝しく思い少年を見ると、彼は微笑んでいる。
「あいつが沈んだ海底の砂」
「はあ?」
息子は、乗っていた飛行機と共に海に沈んだ。遺体は戻らなかった。ほとんどの乗客がそうだ。飛行機の残骸の回収もままならなかったと記憶する。
「……本当は遺体を見つけたかったけど、海は広すぎて無理だ。どう流されたかもわかんねーし。行くなら事故直後じゃなきゃダメだったな。今更だけど」
確か──事故直後は彼も海外でなかなか連絡がつかなかったと、いや。
「……あの日どこにいた?」
「地球にはいなかった。もしいたら──飛んでってたかな」
文字通り、と少年は瞳を潤ませて笑った。
「……空が飛べるのか」
「うん」
「深海も泳げる?」
「うん」
「それでこの砂を?」
「うん」
「なんで砂なんだ?」
「さあ──なんにも見つからないから、なんとなく?」
「……どうして今なんだ?」
「裁判結果知らなかったから、十年したらシャバかなと思って」
「十年も入っとらんわ」
少年は口を押さえて笑いをこらえた。肩が震える。
元はと言えばこいつのせいだ。いや、こいつに肩入れした息子の。
「ゾーワイとかダツゼーとかいろいろしてたのに?」
「経営に収賄贈賄くらいつきものだ。多少の税の誤魔化しも」
「人身売買も?」
「そんなことはやっとらん」
「オレを売ろうとしたくせにぃ」
彼はもう五十近いと思うが、十代の少年のように笑う。その名のごとく。
「お前は人間じゃない」
何十年も若いまま。爆破に巻き込まれようが見えない何かに重傷を負わされようが傷一つ残らない。他人を操り記憶を消す。これのどこが人間なのだ?
「ああ。でもあいつにとっては人間だった」
愛している、と息子は手紙に書いていたと思う。あの子の死後に届いた手紙の内容はもううろ覚えだ。化け物を買い取るブローカーの連絡先だという番号は、化け物を保護させ人身売買を告発する罠だった。
──おとうさん。冗談だって言って。
──本気じゃないと思うんですよ、だから……。
泣きそうな顔でそう訴えたのは、自分自身ではなく私のための命乞いだった。本来なら人身取引について罪に問うところを彼の頼みで不問にしたのだと──。
「まあ、ひとでなしではないようだな。ろくでなしだが」
ろくでなしかァ、と少年は笑う。
「お前が傍にいればあの子は死ななかったんじゃないのか」
そう言えば少年は目を潤ませる。
「たぶんね。でも、そうしたかったらあいつを人間でいさせてはやれない」
「お前の同類にはできると?」
「同類というか……いわゆる使い魔みたいな? そーゆーのにするのは簡単。でもそれ、対等なパートナーとは言えないでしょ」
使い魔とはなんともファンタジーな言葉が出てきた。
「あいつはオレに最期のメッセージをくれた。自分の精霊に頼んで……知ってた? あいつに精霊が憑いてたのは」
信じがたいがそうらしいとは知っている。
「『こんなに早くてすまない』だってさ。助けてって言えば、オレは何をしても助けたのに。たとえ」
何を犠牲にしても。
そう微笑む暗い瞳に、やはり少年の皮をかぶった化け物なのだと思う。
「でも、一度だってオレがあいつにそういう力を使うこと望んでくれなかった。望んでくれたらなんだってしたのに」
悲しそうに寂しそうにする横顔はただの少年だ。
あの子は、やはり化け物をうまく手懐けていたのだろう。これがひとでなしにならないように──最期のその時まで。
「そういえば、もうオレのこと疑ってないの? あの時はお前が殺したんだって言ってたのに」
「地球にいなかったんだろ」
「呪いのせいとは思わなかった?」
「呪いなんてこの世にはない」
呪いなど──ない。経営がうまくいかないなど、別によくあることなのだ。あの時は間違っていないはずだと邁進した方向が間違っていた、それだけのことだ。こいつに非常識な力があるのが事実でも、経営には関係がない。あの時は弱気になってこんな小僧の口車にのせられてしまったが。
「そっか、脅しちゃってごめんね」
「まったく、一生の恥だ」
だが──呪いのせいでこれまでの選択は正しくなかったと、そう思うことで冷静になったのも事実だった。そんなことはこいつには絶対に言わないが。
「おとうさん」
一度だってこれを義理の息子と思ったことはない。だというのに、息子のいない今さえこれは「おとうさん」と呼ぶ。
「あいつの墓参りしてくれてありがとう。嫌いになっちゃったかと思った」
「なるか。私の息子だぞ」
「そっかァ。あいつもおとうさんのこと大好きだったよ。万丈目の名前に誇りを持ってた。だから」
だから不正を正そうとしたのだと、長男から聞いた。
出来損ないの三男坊。カード遊びに夢中で、大した役にも立たないかもしれないと思った。だというのに、万丈目といえば万丈目財閥ではなく万丈目サンダーの名の方が人口に膾炙するようになってしまった。
しかしそれも──この十年で忘れられ始めているか。
「お前は……ずっとあの子のことを覚えているか?」
「オレ忘れっぽいからなァ。でも、覚えてたいよ」
膝に頬杖をつく左手の薬指には、まだ指輪がはまっていた。
「嘘でもはいと言えないのか」
「おとうさんが生きてる間ならはっきり覚えてるよ。何万年先まで覚えてられるかはわかんねーけど、せめて一万年は覚えてたい」
「一万年か」
「万丈目だけに。やっぱ今からでも改姓しちゃおーかな。自分の名前になれば何万年先でも覚えてそう」
「やめろ。お前が万丈目一族になるなんて御免だ」
「あいつにも同じこと言われた。ま、オレには遊城十代の方が似合ってるかな」
遊城十代はそう言ってベンチから立ち上がった。何年経ってもほころびも色褪せもない、息子の卒業アルバムに残る写真と同じ赤のジャケット、黒いズボン、赤いブーツ。くるりと私の正面に立つ。
「じゃあね、おとうさん。オレもう行くから」
「この砂、どうしろというんだ?」
「好きにしたら」
「本当に海底の砂なのか?」
「嘘つくなら遺骨って言って持ってくるよ。海底の砂なんかもらって嬉しくないよね」
「ならなんで渡したんだ?」
「お詫び? おすそわけ?」
少し首を傾げてみせる。まるで子供の仕草だ。今となっては孫よりも若い。
「詫びにおすそわけ?」
「先祖代代の墓から、あいつのこと取っちゃったから。オレがいつでも来られるように童実野町に建てたいって」
墓までこいつのためのものなのか。
「……で、それ、あの墓にも入ってるから。だからおすそわけ」
「まったく意味がわからん」
白い砂。遺灰代わりにしろというのか?
「わかんなくていーよ。そんじゃ、元気でね、おとうさん。大好きだよ」
孫のように馴れ馴れしく別れを告げる。
「おとうさんと」
呼ぶな、と言おうとしたが、封筒から顔を上げると彼はもういなかった。開けた霊園の広場のどこにも。
「お──おい、あいつはどこに行った?」
私は少し離れて控えていた男に訊ねた。
「どうされました?」
「今いただろう、赤いジャケットの」
男は素早く周りを見た。盆でも彼岸でもない平日の昼間の霊園は閑散とし、誰もいなかった。
「ジャケット以外に特徴は? 男ですか? 女ですか? 年頃は?」
「高校生くらいの──今、わたしの、となりに……」
「隣?」
男は不思議そうな顔をした。そもそも──見ず知らずの高校生くらいの少年を、護衛が声もかけず私の隣に座らせるか?
白昼夢でも見ていたのかと思う。息子の命日であいつを思い出して、あんな夢を──。
しかし私の手には、砂の入った茶封筒が握られていた。
2025/08/26
2025/09/27 誤字修正
2025/11/10 一部修正
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