一話完結短編

「あのう、覇王様ってここにいるんですかあ……?」
 今日もふらふらと精霊が訪ねてくる。片手で捻り潰せそうな、弱った小さな精霊だ。
「用はなんだ」
「どうか助けてほしくって……」
 小さな精霊は見た目通りに弱弱しく答えた。
 覇王様は寛大で慈悲深いお方である。それがたとえどこの誰と知れぬ死にかけた精霊でも。だからこういう精霊が絶えず覇王城を訪ねてくる。
 初めのうちは覇王様のお手を煩わせるなどまったくけしからんと思ったものだ。しかし。
 こういった精霊を集めておけば、覇王様はこまめに覇王城へとお戻りになるということに気がついた。今もちょうど覇王様がここにいらっしゃる。今日ここを訪ねた精霊は幸運だ。待つこともなく覇王様にお会いできるのだから。
 精霊たちを集めている部屋へと案内する。そこには闇が広がっていた。
 覇王様は、まるで畳んでいたベールか何かを広げるかのように簡単に闇の力を広げてみせる。今は精霊たちを待たせる小さな部屋にだけ広げているが、その気になれば覇王城どころか世界そのものまでを包み込んでしまえるのかもしれない──そもそもこの世界も、覇王様の中にある闇と同じものから生まれたのだから。
 宇宙は闇から生まれ、闇の中に生命が生まれた──古から伝わるそれが真実だと、その力の端に触れなかったら到底信じられなかっただろう。この部屋に広がる闇の端に触れるだけで、自分はそこから生まれたのだと理解できる。だが同時にそれに飲み込まれてしまうような恐ろしさも感じる。生まれる前の闇に戻されてしまうのではないか、そんな恐怖を抱いている。
 連れてきた小さな精霊は、その闇の正体がわからず部屋の前で尻込みしていた。覇王様はそれに気づくとおいでと声をかける。覇王様の腕には六足のトカゲのような精霊が抱かれていた。足元には二足の精霊や蛇や犬や猫のような精霊が何体もまとわりついている。覇王様に近づいていない精霊も闇の中をたゆたったり精霊同士で戯れたりと好き勝手振る舞っているようだった。
 それらを見て、新入りはおそるおそる闇へと足を踏み入れた。その闇が己の傷を癒していくことに気づくと安堵し身をゆだねた。
 それはなんとも心地よさそうで、恐れを抱いているのにいつもうらやましくなってしまう。
「お前も来る?」
 そうしてその度に覇王様はそのように声をかけられる。金色の目を細めて、この覇王様より何倍も大きな身体を、小さな精霊と変わらぬもののように見る。
「いいえ、いいえ、めっそうもない──」
 いつもそのように答えて、逃げるように持ち場へ戻る。部屋の前でその闇の端に触れそうになるだけでおかしくなりそうなのに、あの闇の中に入ってしまったらいったいどうなるのだ?

◇◆◇

 覇王城を訪ねてくる精霊はだんだん増えているような気がする。以前だって道場破り的に訪ねてくるやつはいたけれど、最近は傷を治してほしいという精霊がよくやってくる。旅先で精霊たちの傷を癒してやっていたら、いつの間にか噂が広まってしまったようだった。覇王城に弱った精霊たちが集まってくるから最近はこまめに覇王城へ行くようになり、自然と旅の拠点にするようになっていた。それはもとから覇王城にいた連中にとっては望むことだったらしく、もしかしたら噂の広まりはオレの行動だけが原因ではないのかもしれない。
 覇王城の連中は、顔を見せれば喜ぶのだがオレの力に触れることは拒む者が多い。今日も門番の精霊には逃げられてしまった。でもなぜだか、羨ましそうに闇を見ている。彼に限らず、そんな連中はちらほらといた。
「やっぱり怖いのかな」
 この闇の力でかつて何をしたのか──それを知る彼らは恐ろしいのかもしれない。そう呟いたらオレの中にいるユベルがくすくすと笑った。
「なんだよ」
「いいや? 別にそんなことを恐れているわけじゃないと思うけどね」
「じゃ、何が怖いんだ?」
「さて、本人に聞いてみたら」
「余計怖いだろそんなの」
 お前はオレの何が怖いんだ? なんて怖いと思ってる相手から聞かれたいやつがいるか?
 抱いていたトカゲがもぞりと動いた。もう抱っこは満足したらしい。こうして気まぐれな猫みたいに、抱っこされたり撫でられたりすることを望む精霊だっているのに。まあ、オレよりも大きなさっきのやつに抱っこも難しいけど。頑張れば持ち上げれるのかな。
 蝶のような精霊がひらりと寄ってくる。そのきれいな羽根には穴が開いてしまっていた。手のひらに乗せてやると蝶は居眠りを始めたように動かなくなった。
「覇王城もすっかり診療所だね」
「ま、別に使い道もないし。でも、他の連中があんまり反対しなかったのは意外だな」
「そりゃ、傷ついた精霊を集めておけばキミがこまめに帰ってくるじゃないか」
「でも、オレが来たってたいして喜んでなさそうだぜ。さっき逃げたやつみたいにさ」
 オレと目を合わせないように、怯えたようにしている精霊は少なくない。喜ぶやつもいるけど。
「怯えるにも種類がある。ここの連中が抱いているのは単なる恐怖ではないんだろう。キミは好かれているとボクは思うよ」
「そうかあ?」
「そうさ」
 恐怖も愛の一つだとかそういう話だろうか。恐怖と愛は一見混ざり合うようには見えないけれど。ユベルがそう言うのならば、そうなのかもしれない。

◇◆◇

 数日の滞在ののちに覇王様はまた旅立っていく。
 覇王様は門の前で偶然来た精霊を魂の中に入れてやっていた。小さな精霊はそのまましばらくは覇王様と行動を共にするのだろう。どこへ運ばれるともわからないそれが恐ろしくないのだろうか。
 覇王様の軽やかな足取りは颯爽と吹き抜ける風のようで、浮き草のごとき小さな精霊たちはその風と共に流されていくことに抵抗がないのかもしれなかった。
 それはわずかに羨ましくも思える。しかしその魂の中に入るだなんて、闇の力の端に触れるどころではない。己の形など瞬く間に消え去ってしまうだろう。手も足も頭も胴体もすべてがどろどろに溶けて──でもそうして覇王様の魂に溶けてしまえたらそれはとても幸福なのかもしれない……。
 くるりと覇王様が振り向いた。不敬なことを考えていたのが恥ずかしくなりピンと背筋を伸ばした。
「じゃ、またな!」
 覇王様はただ一言そう言って笑うと再びくるりと背を向けた。その後は振り返ることはなく、覇王様の姿は見えなくなった。
 魂の中に入るだとか闇の力に触れるだとか、そんなことをしなくても私は今にも溶けてしまいそうだった。ああでも、この門番という役割を果たさなければと、ただ足に力を入れ背筋を伸ばし続けていた。

2025/08/10
11/16ページ
スキ