【連作】遊城十代が死んだ
バースデーサプライズ
負けるかもしれない。そう思うほどに万丈目は追い詰められていた。観客は固唾を飲んでデュエルの行方を見守っている。
万丈目の目の前にはブラック・マジシャン、伏せカードが二枚、その向こうにクリボーの着ぐるみがいる。着ぐるみのままではカードを持てないから、実際にカードを引きデュエルディスクに置いているのは横にいるスタッフだ。そばにパソコンも置かれているからあれで連絡を取り合いデュエルしているようだった。
あの着ぐるみの中身が誰なのかは万丈目は知らされていない。だが、その戦術とデッキはデュエルキング武藤遊戯その人ではないかと──デュエルの中盤から疑っている。
今年のバースデーイベントはこれまでよりファンが驚くものにしましょう、と企画段階から言われていた。そのために万丈目にも伏せられたサプライズゲストが存在すること、そのゲストとデュエルすることは事前に知らされていた。武藤遊戯ならばファンは間違いなく驚くだろう。
だがまさか、武藤遊戯なんて連れてくるか? こんな小規模なイベントに?
あるいは同級生の神楽坂か。あらゆるデュエリストを見事にコピーしてみせるモノマネデュエリストとして人気の彼なら、同窓のよしみで万丈目のバースデーイベントに出てもおかしくはない。武藤遊戯のコピーも得意だったはずだ。
そうだ、きっと神楽坂に違いない──そう思うと心に余裕ができる。
しかし本物の可能性も捨てきれない──万丈目の身内は武藤遊戯と懇意にしているのだ。
なんならついこの前も万丈目の家に彼は遊びに来ていたのである。帰宅すると玄関に見慣れない靴があり、リビングで十代が武藤遊戯と真剣にデュエルしていたものだから驚いた。
「あ、お邪魔してます」
そんな風ににこりと微笑まれ、一瞬幻覚かと思ったくらいだ。ただ遊びにきただけだと本人も十代も言っていたが、あれはこの予行演習だったのではないか?
ならあの着ぐるみの中身はやはり──。
怖じ気づきそうになり、いや落ち着けと万丈目は思い直す。武藤遊戯本人だろうが、神楽坂か誰かのモノマネだろうが、それがなんだというのだ? 今やるべきことは観客を楽しませることだ。特に今日の観客は万丈目サンダーのファンクラブ会員という、とりわけ自分を応援してくれている人たちなのだ。勝敗が決まるその瞬間まで全力を尽くしこの場を盛り上げる、それが「万丈目サンダー」のやるべきことだ。
「オレのターン!」
万丈目は新しいカードを引いた。
この手札なら──万丈目は恐れず攻めていく。伏せカードにより妨害され、モンスターを破壊され──しかしそれを乗り越え、なんとか勝利をおさめた。
「万丈目サンダー逆転勝利ィー! 苦境を見事乗り越えました!」
司会が万丈目の勝利を宣言する。クリボーの着ぐるみはしょんぼりとした様子で傾いた。なかなか演技派のようだ。
「一!」
「十!」
「百!」
「千!」
「万丈目サンダー!」
観客と共にいつものサンダーコールをし、盛大な拍手でデュエルは終了した。
「おめでとうございます! さて、万丈目さん、デュエルをしてサプライズゲストの正体はわかりましたか?」
司会が万丈目に訊ねた。さてなんと答えるべきか。クリボーは万丈目に向かって両手を振っている。自分が勝てたということは武藤遊戯ではないのでは? と万丈目は思っていた。しかし。
「ブラック・マジシャンに素晴らしいタクティクス……もしや武藤遊戯さん?」
こう答えておけば、本物だろうがモノマネデュエリストだろうが波風が立たない。本物ならそのままご本人登場、モノマネなら「本物と思うほど素晴らしいモノマネだった」と相手の顔を潰さずに済む。
「そう! まさにキング武藤遊戯さながらのデュエルでした! でも……武藤遊戯さんご本人ではありません」
やはり武藤遊戯ではなかったか。クリボーの着ぐるみは手をバタバタさせている。喜びの表現なのか?
「しかし、武藤遊戯さんからのお手紙が届いております! わたくしが読み上げさせていただきますね」
──お誕生日おめでとうございます。今回はデッキ構築とデュエルアドバイザーを勤めさせていただきました。本当はボクもその場でお祝いしたかったのですが、都合が合わず残念です。サプライズゲストとのデュエルを楽しんでいただけたら幸いです。
「……とのことです。なんと先程のデュエル、武藤遊戯さん構築の特別デッキで行われました!」
「なるほど、手強いデッキでした」
「武藤遊戯さんでなければ誰だと思いますか?」
「じゃあ、同級生の神楽坂くん?」
神楽坂以外のモノマネデュエリストの可能性もある。同級生だから来てくれるなら神楽坂だろう、というニュアンスで答えた。
「残念ながらそちらも違います。サプライズゲストからお手紙を預かっていますから読み上げますね。英語で頂いてますから、そちらを読んだあと観客のみなさまにもわかるよう日本語訳を読み上げます」
──お誕生日おめでとうございます。スタッフの方からサプライズゲストのお話をいただいたときには大変に驚きました。でも特別な記念日ですし、武藤遊戯さんにご助力いただきボクも参加させていただきました。一生忘れられないようなデュエルができたら嬉しいです。キミの誕生日が最高の一日になりますように。
「……とのことです。どなたかわかりましたか?」
「いえ……」
英語の手紙? 英語が母語のデュエリストは誰だったろうかと考える。
「ヒントです! 万丈目さんとはとても親しい方ですよ!」
「え?」
もしやエド・フェニックスか──英語が母語のデュエリストで万丈目と親しいというと彼しか思い浮かばない。しかし彼は日本語で本を執筆できるほど日本語も堪能だ。万丈目宛に英語で手紙を書くだろうか。第一忙しくてこんなイベントに出る暇はあるまい。エドが武藤遊戯のデッキを使うのも変だ。でも他に思いつかない。
「エド……?」
「違います。さらにヒント! 万丈目さんには最近大きな変化がありました」
大きな変化? 目立つところなら──。
「……全日本大会の優勝? なら吹雪さん、とか……」
吹雪にはその前に参加した全日本大会決勝で負けている。吹雪ならこのおかしな演出もやるだろうか?
「残念、プロデュエリストではありません」
プロではない? 余計にわからなくなった。クリボーの着ぐるみは両手を上下にパタパタ振りながら身体全体も上下に揺らしている。何を言いたいのかさっぱりだ。
「難しいみたいですね。これは計画通りとても驚いていただけそうです。なんとこのクリボーの中身は」
司会が一度言葉を止めた。クリボーがステージの真ん中へ移動する。
「万丈目サンダーのパートナーです!」
「は? ……は?」
クリボーは観客席に手を振っている。あの中に十代が?
「こちらを」
スタッフが通話状態の携帯電話を渡してくる。
「やっほー。驚いた?」
電話からは聞き慣れた能天気な声がした。驚いたに決まってるだろ何やってんだお前は! そう言いたいのをぐっとこらえる。マイクは切ったものの、誰かに聞こえては困る。
「……とんでもないサプライズだ」
「そうなるように頑張った!」
「大丈夫か?」
「許可は取ってるし、大丈夫。楽しめた?」
「ああ」
「では万丈目さんにも中の人を確認していただいたところで、クリボーさんのお隣までお願いします!」
司会が明るく言った。万丈目に渡された携帯電話が回収され、ステージの真ん中へ行くように指示される。クリボーの隣に立つと音楽が流され始めた。
聞き覚えのあるそれは、よくテレビCMで流れている曲だ。主に結婚式場などのCMで。
舞台袖からケーキが運ばれてくる。バースデーイベントではお馴染みのデュエルモンスターズのカードを模したケーキだ。通常モンスターを模した作りでカード名部分には「万丈目サンダー誕生祭」、イラスト部分には万丈目の写真がプリントされ、テキスト部分には「万丈目サンダーお誕生日&ご結婚おめでとう!」と書かれている。
「せっかくお二人が揃いますしケーキもありますからね、ケーキ入刀していただこうと」
ヒュー! と観客が囃し立て拍手をした。誰だこの企画考えたやつ。正気か? オレは着ぐるみとケーキ入刀するのか? 観客がいなければ万丈目は今すぐこの場を去りたかった。
「すげー! 面白いな!」
さすがにすぐ隣にいると着ぐるみの中からでも能天気な声が聞こえる。スタッフにナイフを渡され、万丈目は指示通りに着ぐるみとケーキ入刀せざるを得なかった。着ぐるみはナイフを持てないから、万丈目の手に着ぐるみの手を添えているだけである。
「ご結婚おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
司会に続き観客も声を揃えた。観客側にはあらかじめ結婚を祝うことが伝えられていたようだ。盛大な拍手が送られ、万丈目は笑顔を作るしかなかった。なんだこの茶番は。
観客にケーキと同じデザインのプリントクッキーが引き出物として配布されるというサプライズが発表された。なんだ引き出物って。
クリボーが退場した後は事前の打ち合わせ通りにイベントが進行した。観客の満足そうな笑顔と拍手で無事にイベントは終わった。
◇◆◇
「おかえり。お疲れ様~」
万丈目が自宅に帰ると十代がへらりと笑って出迎えた。
「全然わかんなかったァ?」
「わかるわけないだろ」
やったね、と十代は笑う。
「遊戯さんっぽかった?」
「ああ。この前来てたのはそれか」
「そうそう。遊戯さんっぽい動き教えてもらった」
十代はにこにこと笑いあのデュエルの感想を話し始める。十代が自分の仕事に関わることにいい気分はしないのだが、こうも楽しそうにされると文句を言う気も失せる。一生忘れられないデュエルになったことは確かだ。
「デッキあるからさ、もう一回やろうぜ。今度は負けねー」
「借り物のデッキでオレに勝てると思うなよ」
それに万丈目自身もやはりあのデュエルは楽しかったのだ。正体は誰だと雑念に惑わされない再戦は望むところだった。
「それにしても、キングにこんなくだらないことをさせるなんてな」
「もとはちょっとブラマジデッキ教えてもらおうと思っただけなんだけど」
十代から話を聞いた遊戯が乗り気になり自らデッキ構築とレクチャーをしたそうだ。
「HEROデッキじゃお前にすぐオレだってバレて面白くないからな。どんなデッキか迷ったけど、遊戯さんだったらお客さんも楽しいかなって。遊戯さんかもって思った?」
「まあな。お前が関わってたら来るかもしれないと思った」
「デュエルでそう思ったわけじゃなくて?」
十代は残念そうに言った。
「いやデュエルで思ったが、あんな小規模イベントに普通キングは来ない。来るならせいぜい神楽坂あたりのモノマネデュエリストだ。もし本人ならお前経由くらいでしか来ない」
「そうかなあ?」
「遊戯さんと親しいのはお前であってオレじゃないだろ」
遊戯と万丈目は個人的に親しいとは言いがたい。何度か顔を合わせたり食事をしたことはあるのだが、十代がいるからそのような機会があっただけだ。遊戯にとって万丈目は「友人の配偶者」であろう。
「ところで、ずいぶん物物しい演出をしたみたいだな。アメリカのセレブなのかと聞かれたぞ」
十代はイベントに参加するにあたり、分厚い契約書を交わし数名の護衛を入れることを条件としたそうだ。十代が自らそんなことをするとは思えないからインダストリアル・イリュージョン社の意向であろう。事件から数年経ったが、まだそのような保護が必要だということか。
「インダストリアル・イリュージョン社に相談したらちょっと契約書とか用意するけど大丈夫だよって感じだったのに実際にはすごい分厚い契約書とエージェントが来てさ……わざわざアメリカから来たエージェントに今さら辞めるとも言えなかったし……」
十代は少し眉を下げた。十代もただ能天気に楽しめたわけではないらしい。
「エージェントとか護衛とかのお金オレが払うって言ったら、会長から結婚祝いと思って受け取ってほしいって言われちゃってさ。記念になると思うから楽しんでほしいって……だったら目一杯楽しむのが会長に対するお礼じゃないかなって楽しむことにした。イベントのスタッフさんたちも結婚のお祝いしたいって言ってくれたしさ、ファンの人たちもおめでとうって言ってくれてさ、いろんな人がお祝いしてくれるのはありがたいことだよな」
「そうだな」
突然ケーキ入刀だの引き出物だのやられるのはあまり嬉しくないのだが、祝いたいという気持ちがあるのは理解する。
「結婚式とかやらなかったからな。やってない分祝われてしまうというか……」
おそらく結婚式をやっておけば企業やファンクラブ名義で花か何かでも贈られてそこで終わったのだ。冠婚葬祭の儀式というのは「祝いや弔いの気持ちを表明し整理する」役割があるのだろう。
「そういうものなのかな。まあ会長のはいただくにはちょっと高すぎる気もするけど……」
「いくらかかったんだろうな……」
インダストリアル・イリュージョン社お抱えの護衛やエージェントなど金額の想像がつかない。
「でも、いい思い出になったよ。デュエル楽しかったし、お客さんもすごい盛り上がってたし、たぶんこんなの二度とないし」
「着ぐるみとケーキ入刀なんて、確かに二度とないな」
「あれはびっくりした」
「聞いてなかったのか?」
「うん。万丈目に正体バラしたら退場するって聞いてた。ブラマジデッキで遊戯さんと思わせるっていうのと、実はオレだったっていう二重サプライズになってるから、さらにもう一個出てくるなんて思わなかった。あ、ケーキもらってきたぜ。予備のキレイな方」
「ああ、聞いた」
帰る前、スタッフから予備のケーキを十代に持たせたから自宅で食べてほしいと伝えられていた。
「今からちょっと食べる? なんならもう一回ケーキ入刀する?」
「……お前がやりたいならやるが」
「え、マジ?」
十代は目を丸くした。
「言い出してなんだその反応は」
「いや、お客さんは盛り上がってたけど何がいいのかはよくわかんない。ケーキ見ると気分アガるからそれを今から食うかと思うと盛り上がるのか?」
「情緒がないぞ、それは」
こいつ女性と結婚してたら相手をかなり幻滅させるんじゃないのか? いや、滅するほどの幻をそもそもこいつに抱かないか。
「確か……一応ケーキ入刀の意味としては二人で協力するとか食べ物に困らないようにとかがあるみたいだが……」
「ふうん?」
「……まあ結婚式でも注目される定番の演出だからな。デュエルでいうならエースモンスターの召喚のような盛り上がりがあるんじゃないか」
あまりわかっていなさそうな十代にデュエルでたとえた。
「なるほど。じゃ、やってみるか」
今の話でそうなるのか?
「何事もやってみないとな。お前とできることはなるべくやりたいんだよ。今回はちょっと大ごとになったからあんま表舞台関係はできねーなと思ったけど」
十代は冷蔵庫からケーキを取り出した。二人で食べるにはやや大きなケーキだ。独身の頃は切り分けられたものを楽屋で食べたり持ち帰ったりしていたが、丸ごと持ち帰るのは初めてのことだった。バースデーイベントのケーキはほぼ毎年用意されているが、自分の顔のケーキを食べるのは毎回妙な気分だ。しかし万丈目のプリントケーキはファンに好評らしく、小振りなものが度度販売されている。
「……そういやケーキ入刀って正確にはどうやんの?」
「オレも人がやってるのしか見たことないぞ」
ネットでやり方を調べて、動画などを参考に見様見真似で切った。一日二回も何をやっているんだ? と思わなくはなかった。
「何がいいのかはよくわかんない」
包丁をわざわざ二人で持ってケーキを切るのは不便極まりない。今まで招待された結婚式では疑問に思わなかったが、自宅の台所でやるといったいこれはなんなのだろうと思う。
「式の最中の演出だから意味があるんだろうな」
ケーキ入刀も鏡開きもテープカットも、ふさわしい時と場所でやるから様になるのであって、それだけを抜き出すと間抜けな動作にすぎないのだろう。
「でも実際にやったことに意味がある、ってことにしとくか」
十代は皿に切ったケーキを載せ、それをスプーンですくった。
「はい」
万丈目にスプーンに載せたケーキを差し出す。
「……なんだ」
「さっき動画でやってたじゃん」
ファーストバイトか。思えばイベントでやらされなくてよかった。あの着ぐるみがスプーンを持つのが難しいからだろう。着ぐるみがネオスか何かだったらやらされた可能性がある。武藤遊戯のデッキにクリボーがいることに感謝するべきかもしれない。
「ほれ、あーん」
「お前もやれよ、絶対やれよ」
「やるってェ」
へらへら笑う十代が差し出すスプーンを口に含んだ。それなりに安っぽい味がする。デコレーションに金がかかっている分他の部分が削られるのだろう。
「誕生日おめでとう」
キャラメル色の目にからかいの色を混ぜて、朝一番に言った言葉をもう一度繰り返した。
「なんで誕生日にこんな小っ恥ずかしいことをやらされにゃいかんのだ」
「オレがやりたいならやるって言ったの自分じゃん」
「ああ、そうだとも」
万丈目は十代の手からスプーンを取り、生意気な口にケーキを突っ込んだ。口の端にクリームをつけて、十代はケーキを吹き出さないように笑いをこらえていた。
2025/08/01
2025/08/02 加筆修正
2025/08/03 一部修正
負けるかもしれない。そう思うほどに万丈目は追い詰められていた。観客は固唾を飲んでデュエルの行方を見守っている。
万丈目の目の前にはブラック・マジシャン、伏せカードが二枚、その向こうにクリボーの着ぐるみがいる。着ぐるみのままではカードを持てないから、実際にカードを引きデュエルディスクに置いているのは横にいるスタッフだ。そばにパソコンも置かれているからあれで連絡を取り合いデュエルしているようだった。
あの着ぐるみの中身が誰なのかは万丈目は知らされていない。だが、その戦術とデッキはデュエルキング武藤遊戯その人ではないかと──デュエルの中盤から疑っている。
今年のバースデーイベントはこれまでよりファンが驚くものにしましょう、と企画段階から言われていた。そのために万丈目にも伏せられたサプライズゲストが存在すること、そのゲストとデュエルすることは事前に知らされていた。武藤遊戯ならばファンは間違いなく驚くだろう。
だがまさか、武藤遊戯なんて連れてくるか? こんな小規模なイベントに?
あるいは同級生の神楽坂か。あらゆるデュエリストを見事にコピーしてみせるモノマネデュエリストとして人気の彼なら、同窓のよしみで万丈目のバースデーイベントに出てもおかしくはない。武藤遊戯のコピーも得意だったはずだ。
そうだ、きっと神楽坂に違いない──そう思うと心に余裕ができる。
しかし本物の可能性も捨てきれない──万丈目の身内は武藤遊戯と懇意にしているのだ。
なんならついこの前も万丈目の家に彼は遊びに来ていたのである。帰宅すると玄関に見慣れない靴があり、リビングで十代が武藤遊戯と真剣にデュエルしていたものだから驚いた。
「あ、お邪魔してます」
そんな風ににこりと微笑まれ、一瞬幻覚かと思ったくらいだ。ただ遊びにきただけだと本人も十代も言っていたが、あれはこの予行演習だったのではないか?
ならあの着ぐるみの中身はやはり──。
怖じ気づきそうになり、いや落ち着けと万丈目は思い直す。武藤遊戯本人だろうが、神楽坂か誰かのモノマネだろうが、それがなんだというのだ? 今やるべきことは観客を楽しませることだ。特に今日の観客は万丈目サンダーのファンクラブ会員という、とりわけ自分を応援してくれている人たちなのだ。勝敗が決まるその瞬間まで全力を尽くしこの場を盛り上げる、それが「万丈目サンダー」のやるべきことだ。
「オレのターン!」
万丈目は新しいカードを引いた。
この手札なら──万丈目は恐れず攻めていく。伏せカードにより妨害され、モンスターを破壊され──しかしそれを乗り越え、なんとか勝利をおさめた。
「万丈目サンダー逆転勝利ィー! 苦境を見事乗り越えました!」
司会が万丈目の勝利を宣言する。クリボーの着ぐるみはしょんぼりとした様子で傾いた。なかなか演技派のようだ。
「一!」
「十!」
「百!」
「千!」
「万丈目サンダー!」
観客と共にいつものサンダーコールをし、盛大な拍手でデュエルは終了した。
「おめでとうございます! さて、万丈目さん、デュエルをしてサプライズゲストの正体はわかりましたか?」
司会が万丈目に訊ねた。さてなんと答えるべきか。クリボーは万丈目に向かって両手を振っている。自分が勝てたということは武藤遊戯ではないのでは? と万丈目は思っていた。しかし。
「ブラック・マジシャンに素晴らしいタクティクス……もしや武藤遊戯さん?」
こう答えておけば、本物だろうがモノマネデュエリストだろうが波風が立たない。本物ならそのままご本人登場、モノマネなら「本物と思うほど素晴らしいモノマネだった」と相手の顔を潰さずに済む。
「そう! まさにキング武藤遊戯さながらのデュエルでした! でも……武藤遊戯さんご本人ではありません」
やはり武藤遊戯ではなかったか。クリボーの着ぐるみは手をバタバタさせている。喜びの表現なのか?
「しかし、武藤遊戯さんからのお手紙が届いております! わたくしが読み上げさせていただきますね」
──お誕生日おめでとうございます。今回はデッキ構築とデュエルアドバイザーを勤めさせていただきました。本当はボクもその場でお祝いしたかったのですが、都合が合わず残念です。サプライズゲストとのデュエルを楽しんでいただけたら幸いです。
「……とのことです。なんと先程のデュエル、武藤遊戯さん構築の特別デッキで行われました!」
「なるほど、手強いデッキでした」
「武藤遊戯さんでなければ誰だと思いますか?」
「じゃあ、同級生の神楽坂くん?」
神楽坂以外のモノマネデュエリストの可能性もある。同級生だから来てくれるなら神楽坂だろう、というニュアンスで答えた。
「残念ながらそちらも違います。サプライズゲストからお手紙を預かっていますから読み上げますね。英語で頂いてますから、そちらを読んだあと観客のみなさまにもわかるよう日本語訳を読み上げます」
──お誕生日おめでとうございます。スタッフの方からサプライズゲストのお話をいただいたときには大変に驚きました。でも特別な記念日ですし、武藤遊戯さんにご助力いただきボクも参加させていただきました。一生忘れられないようなデュエルができたら嬉しいです。キミの誕生日が最高の一日になりますように。
「……とのことです。どなたかわかりましたか?」
「いえ……」
英語の手紙? 英語が母語のデュエリストは誰だったろうかと考える。
「ヒントです! 万丈目さんとはとても親しい方ですよ!」
「え?」
もしやエド・フェニックスか──英語が母語のデュエリストで万丈目と親しいというと彼しか思い浮かばない。しかし彼は日本語で本を執筆できるほど日本語も堪能だ。万丈目宛に英語で手紙を書くだろうか。第一忙しくてこんなイベントに出る暇はあるまい。エドが武藤遊戯のデッキを使うのも変だ。でも他に思いつかない。
「エド……?」
「違います。さらにヒント! 万丈目さんには最近大きな変化がありました」
大きな変化? 目立つところなら──。
「……全日本大会の優勝? なら吹雪さん、とか……」
吹雪にはその前に参加した全日本大会決勝で負けている。吹雪ならこのおかしな演出もやるだろうか?
「残念、プロデュエリストではありません」
プロではない? 余計にわからなくなった。クリボーの着ぐるみは両手を上下にパタパタ振りながら身体全体も上下に揺らしている。何を言いたいのかさっぱりだ。
「難しいみたいですね。これは計画通りとても驚いていただけそうです。なんとこのクリボーの中身は」
司会が一度言葉を止めた。クリボーがステージの真ん中へ移動する。
「万丈目サンダーのパートナーです!」
「は? ……は?」
クリボーは観客席に手を振っている。あの中に十代が?
「こちらを」
スタッフが通話状態の携帯電話を渡してくる。
「やっほー。驚いた?」
電話からは聞き慣れた能天気な声がした。驚いたに決まってるだろ何やってんだお前は! そう言いたいのをぐっとこらえる。マイクは切ったものの、誰かに聞こえては困る。
「……とんでもないサプライズだ」
「そうなるように頑張った!」
「大丈夫か?」
「許可は取ってるし、大丈夫。楽しめた?」
「ああ」
「では万丈目さんにも中の人を確認していただいたところで、クリボーさんのお隣までお願いします!」
司会が明るく言った。万丈目に渡された携帯電話が回収され、ステージの真ん中へ行くように指示される。クリボーの隣に立つと音楽が流され始めた。
聞き覚えのあるそれは、よくテレビCMで流れている曲だ。主に結婚式場などのCMで。
舞台袖からケーキが運ばれてくる。バースデーイベントではお馴染みのデュエルモンスターズのカードを模したケーキだ。通常モンスターを模した作りでカード名部分には「万丈目サンダー誕生祭」、イラスト部分には万丈目の写真がプリントされ、テキスト部分には「万丈目サンダーお誕生日&ご結婚おめでとう!」と書かれている。
「せっかくお二人が揃いますしケーキもありますからね、ケーキ入刀していただこうと」
ヒュー! と観客が囃し立て拍手をした。誰だこの企画考えたやつ。正気か? オレは着ぐるみとケーキ入刀するのか? 観客がいなければ万丈目は今すぐこの場を去りたかった。
「すげー! 面白いな!」
さすがにすぐ隣にいると着ぐるみの中からでも能天気な声が聞こえる。スタッフにナイフを渡され、万丈目は指示通りに着ぐるみとケーキ入刀せざるを得なかった。着ぐるみはナイフを持てないから、万丈目の手に着ぐるみの手を添えているだけである。
「ご結婚おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
司会に続き観客も声を揃えた。観客側にはあらかじめ結婚を祝うことが伝えられていたようだ。盛大な拍手が送られ、万丈目は笑顔を作るしかなかった。なんだこの茶番は。
観客にケーキと同じデザインのプリントクッキーが引き出物として配布されるというサプライズが発表された。なんだ引き出物って。
クリボーが退場した後は事前の打ち合わせ通りにイベントが進行した。観客の満足そうな笑顔と拍手で無事にイベントは終わった。
◇◆◇
「おかえり。お疲れ様~」
万丈目が自宅に帰ると十代がへらりと笑って出迎えた。
「全然わかんなかったァ?」
「わかるわけないだろ」
やったね、と十代は笑う。
「遊戯さんっぽかった?」
「ああ。この前来てたのはそれか」
「そうそう。遊戯さんっぽい動き教えてもらった」
十代はにこにこと笑いあのデュエルの感想を話し始める。十代が自分の仕事に関わることにいい気分はしないのだが、こうも楽しそうにされると文句を言う気も失せる。一生忘れられないデュエルになったことは確かだ。
「デッキあるからさ、もう一回やろうぜ。今度は負けねー」
「借り物のデッキでオレに勝てると思うなよ」
それに万丈目自身もやはりあのデュエルは楽しかったのだ。正体は誰だと雑念に惑わされない再戦は望むところだった。
「それにしても、キングにこんなくだらないことをさせるなんてな」
「もとはちょっとブラマジデッキ教えてもらおうと思っただけなんだけど」
十代から話を聞いた遊戯が乗り気になり自らデッキ構築とレクチャーをしたそうだ。
「HEROデッキじゃお前にすぐオレだってバレて面白くないからな。どんなデッキか迷ったけど、遊戯さんだったらお客さんも楽しいかなって。遊戯さんかもって思った?」
「まあな。お前が関わってたら来るかもしれないと思った」
「デュエルでそう思ったわけじゃなくて?」
十代は残念そうに言った。
「いやデュエルで思ったが、あんな小規模イベントに普通キングは来ない。来るならせいぜい神楽坂あたりのモノマネデュエリストだ。もし本人ならお前経由くらいでしか来ない」
「そうかなあ?」
「遊戯さんと親しいのはお前であってオレじゃないだろ」
遊戯と万丈目は個人的に親しいとは言いがたい。何度か顔を合わせたり食事をしたことはあるのだが、十代がいるからそのような機会があっただけだ。遊戯にとって万丈目は「友人の配偶者」であろう。
「ところで、ずいぶん物物しい演出をしたみたいだな。アメリカのセレブなのかと聞かれたぞ」
十代はイベントに参加するにあたり、分厚い契約書を交わし数名の護衛を入れることを条件としたそうだ。十代が自らそんなことをするとは思えないからインダストリアル・イリュージョン社の意向であろう。事件から数年経ったが、まだそのような保護が必要だということか。
「インダストリアル・イリュージョン社に相談したらちょっと契約書とか用意するけど大丈夫だよって感じだったのに実際にはすごい分厚い契約書とエージェントが来てさ……わざわざアメリカから来たエージェントに今さら辞めるとも言えなかったし……」
十代は少し眉を下げた。十代もただ能天気に楽しめたわけではないらしい。
「エージェントとか護衛とかのお金オレが払うって言ったら、会長から結婚祝いと思って受け取ってほしいって言われちゃってさ。記念になると思うから楽しんでほしいって……だったら目一杯楽しむのが会長に対するお礼じゃないかなって楽しむことにした。イベントのスタッフさんたちも結婚のお祝いしたいって言ってくれたしさ、ファンの人たちもおめでとうって言ってくれてさ、いろんな人がお祝いしてくれるのはありがたいことだよな」
「そうだな」
突然ケーキ入刀だの引き出物だのやられるのはあまり嬉しくないのだが、祝いたいという気持ちがあるのは理解する。
「結婚式とかやらなかったからな。やってない分祝われてしまうというか……」
おそらく結婚式をやっておけば企業やファンクラブ名義で花か何かでも贈られてそこで終わったのだ。冠婚葬祭の儀式というのは「祝いや弔いの気持ちを表明し整理する」役割があるのだろう。
「そういうものなのかな。まあ会長のはいただくにはちょっと高すぎる気もするけど……」
「いくらかかったんだろうな……」
インダストリアル・イリュージョン社お抱えの護衛やエージェントなど金額の想像がつかない。
「でも、いい思い出になったよ。デュエル楽しかったし、お客さんもすごい盛り上がってたし、たぶんこんなの二度とないし」
「着ぐるみとケーキ入刀なんて、確かに二度とないな」
「あれはびっくりした」
「聞いてなかったのか?」
「うん。万丈目に正体バラしたら退場するって聞いてた。ブラマジデッキで遊戯さんと思わせるっていうのと、実はオレだったっていう二重サプライズになってるから、さらにもう一個出てくるなんて思わなかった。あ、ケーキもらってきたぜ。予備のキレイな方」
「ああ、聞いた」
帰る前、スタッフから予備のケーキを十代に持たせたから自宅で食べてほしいと伝えられていた。
「今からちょっと食べる? なんならもう一回ケーキ入刀する?」
「……お前がやりたいならやるが」
「え、マジ?」
十代は目を丸くした。
「言い出してなんだその反応は」
「いや、お客さんは盛り上がってたけど何がいいのかはよくわかんない。ケーキ見ると気分アガるからそれを今から食うかと思うと盛り上がるのか?」
「情緒がないぞ、それは」
こいつ女性と結婚してたら相手をかなり幻滅させるんじゃないのか? いや、滅するほどの幻をそもそもこいつに抱かないか。
「確か……一応ケーキ入刀の意味としては二人で協力するとか食べ物に困らないようにとかがあるみたいだが……」
「ふうん?」
「……まあ結婚式でも注目される定番の演出だからな。デュエルでいうならエースモンスターの召喚のような盛り上がりがあるんじゃないか」
あまりわかっていなさそうな十代にデュエルでたとえた。
「なるほど。じゃ、やってみるか」
今の話でそうなるのか?
「何事もやってみないとな。お前とできることはなるべくやりたいんだよ。今回はちょっと大ごとになったからあんま表舞台関係はできねーなと思ったけど」
十代は冷蔵庫からケーキを取り出した。二人で食べるにはやや大きなケーキだ。独身の頃は切り分けられたものを楽屋で食べたり持ち帰ったりしていたが、丸ごと持ち帰るのは初めてのことだった。バースデーイベントのケーキはほぼ毎年用意されているが、自分の顔のケーキを食べるのは毎回妙な気分だ。しかし万丈目のプリントケーキはファンに好評らしく、小振りなものが度度販売されている。
「……そういやケーキ入刀って正確にはどうやんの?」
「オレも人がやってるのしか見たことないぞ」
ネットでやり方を調べて、動画などを参考に見様見真似で切った。一日二回も何をやっているんだ? と思わなくはなかった。
「何がいいのかはよくわかんない」
包丁をわざわざ二人で持ってケーキを切るのは不便極まりない。今まで招待された結婚式では疑問に思わなかったが、自宅の台所でやるといったいこれはなんなのだろうと思う。
「式の最中の演出だから意味があるんだろうな」
ケーキ入刀も鏡開きもテープカットも、ふさわしい時と場所でやるから様になるのであって、それだけを抜き出すと間抜けな動作にすぎないのだろう。
「でも実際にやったことに意味がある、ってことにしとくか」
十代は皿に切ったケーキを載せ、それをスプーンですくった。
「はい」
万丈目にスプーンに載せたケーキを差し出す。
「……なんだ」
「さっき動画でやってたじゃん」
ファーストバイトか。思えばイベントでやらされなくてよかった。あの着ぐるみがスプーンを持つのが難しいからだろう。着ぐるみがネオスか何かだったらやらされた可能性がある。武藤遊戯のデッキにクリボーがいることに感謝するべきかもしれない。
「ほれ、あーん」
「お前もやれよ、絶対やれよ」
「やるってェ」
へらへら笑う十代が差し出すスプーンを口に含んだ。それなりに安っぽい味がする。デコレーションに金がかかっている分他の部分が削られるのだろう。
「誕生日おめでとう」
キャラメル色の目にからかいの色を混ぜて、朝一番に言った言葉をもう一度繰り返した。
「なんで誕生日にこんな小っ恥ずかしいことをやらされにゃいかんのだ」
「オレがやりたいならやるって言ったの自分じゃん」
「ああ、そうだとも」
万丈目は十代の手からスプーンを取り、生意気な口にケーキを突っ込んだ。口の端にクリームをつけて、十代はケーキを吹き出さないように笑いをこらえていた。
2025/08/01
2025/08/02 加筆修正
2025/08/03 一部修正
