【連作】遊城十代が死んだ
悪夢のあと
最近、あの日をやり直す夢ばかり見る。
真っ昼間の商店街。ほんの一瞬で奪われた「遊城十代」の人生。
たとえばあの日、外へ出かけなかったら。
「映画でも見るか?」
そんなことを言って、定額配信サービスからあいつの好きそうなアクション映画を選ぶ。ヒーローものの三部作で、あいつは「この家テレビでかくていいよなあ」とか言いながら画面を食い入るように見つめて、穏やかに一日が終わる──。
そう思うのに、結末はいつも悲惨だ。
オレが映画と映画の合間に茶を入れていると、インターホンが鳴る。あいつは「オレが出るよ」と言って玄関に向かい、次に聞こえるのは何かがどさりと倒れた音だ。オレが玄関に向かえば血を流した遊城十代が倒れている。
そうして目が覚める。最悪な夢を見たと思いながら仕事に向かう。そしてその夜にまたあの日の夢を見る。
残念ながら夢の中のオレは未来の記憶があるわけではなく、あいつに「お前は今日殺されるぞ」なんて忠告はできない。でもオレの行動は変えられるようだった。
「ショッピングモールにでも行くか?」
商店街でなければどうだ? 日用品の買い足しにちょうどいい荷物持ちもいる。ソース焼きそばと醤油味のたこ焼きでも食べて、服やらなんやら楽しそうに冷やかして──でも場所が変わるだけで結末は同じだった。遊城十代が死んだ瞬間に目が覚める。
行き先を映画館や美術館にしてみてもダメだ。近場なのが悪いのか? ならば飛行機や新幹線に乗って北海道だとか大阪だとかに行ってみるのは? あいつは世界中や異世界を飛び回っている割に、日本国内の有名な観光地に行ったことがなかったりする。提案したら喜んでついてきた。ラーメンが食べたいとかお好み焼きが食べたいとか期待に目を輝かせて──飛行機や新幹線の中で殺される。
ならばオレが何もしなければ? どこかに行こうなどと言わずこの家に留まらせようともしなかったら。オレが関与したせいで死んだなら何もしない方がいいのではないか? するとあいつはちょっと散歩してくると出かけたあと、しばらくすると男性が刺殺されたとニュースが流れる。被害者の名前はもちろん遊城十代だ。
結局のところ、オレが何をしてもしなくても結末は変わらないのだ。だが、夢の結末が変わったところで、目が覚めた後の現実は何も変わらない。「遊城十代」は死んだ。
そんなことはわかっている。それでも何度も同じ夢を見る。何年経ってもあの日を悔い続けている。
しかし、なぜ急にこんな夢を見るようになったのだろう? 長らくあいつが留守で安否が気にかかっているのだろうか。あいつが殺したって死なないことはそれを目の前で見てしまったからこそわかっているのに。
あいつがふらふらと根なし草をしていた頃には心配などしなかった。あの頃は思いもしなかったが、きっとあいつは普通なら死ぬような怪我を何度もしていたのだ。あのときにはもう人前で大怪我をした場合の対処方法を知っていた。不老不死を隠すための協力者が何人もいた。学園で三年間あいつと共にいた友人たちは誰一人そんなこと知らなかったのに──。
夢を見るのは、そんな不満も原因の一つかもしれない。でも、知っていたからといってオレに何ができるんだ? オレは、オレたちは何もできなかった。その経験があるから、あいつはオレたちに何も言わなかったのだろう。
今だって、あいつがどこで何をしているのか、大まかなところしか知らない。初めて名前を聞く地域の変わった名前の遺跡調査に行くとは聞いている。その言葉もどこまで本当なのかはよくわからない。仕事である以上守秘義務もあるだろうし根掘り葉掘り聞くものでもないだろう。オレだって仕事のことは行き先や時間を話すだけで細かい話などしない。それは不老不死だの異世界だのと非常識なことに関わっていなくとも普通はそういうものだ──「普通」ならば異世界だの闇のデュエルだのということに関わることもないのだが。
結局のところ、心配だったり過去の後悔だったり不満だったりがあの夢を見せているのだろう。ただ刺殺された瞬間を見るばかりだったときよりは進歩したのだろうか? あいつにこの夢を話したらなんと言うのだろう。墓の夢を見ることを進歩だと言ったあいつは、この夢をいったいなんと表現する?
──話したいのか。
こんな内容の夢を話せる相手はあいつしかいない。たいしたことじゃないと言ってくれるのも、うなされていれば抱きしめてくれるのも──。
──寂しいのか?
自覚した自分の感情にため息が出た。もうあいつが出かけて一ヶ月経つし、夢を見始めたのは半月過ぎた辺りだ。会いたいという願望も夢の一因なのかもしれない。ならもう少し楽しい夢を──いや、途中までは楽しいときもある。
今日など、混雑するテーマパークに行く夢だった。もらったチケットの期限が切れそうだとかなんとか。木を隠すなら森の中と無意識では思ったのかもしれない。あいつはこんなところに来たことがないと子供のように喜び──結末はいつもより悲惨だった。混雑のためか無関係な人間も刺され、遊城十代も殺された。子供の悲鳴がやけにリアルだった。
目覚めたときの気分はいつもより悪かった。今日は久し振りの休みだというのに、起きてからずっと夢のことを考えてしまう。不毛だ。元より何かしようと思っていた休みではないが、こんなことを考えるくらいなら眠った方がマシじゃないか? あの夢もそろそろアイデアが尽きて新しいものを見るのは無理ではないだろうか。なにせ普段なら思いつきもしないテーマパークなど出てきたのだ。これ以上はもうネタ切れのはずだ。
そう思うと少し心が軽くなる。ソファに横になって目を閉じた。
◇◆◇
「異世界?」
遊城十代はおうむ返しに言った。
「そうだ。オレも行けないか」
「行ってどうすんだ、そんなとこ」
十代は怪訝そうにオレを見返した。茶褐色の瞳にやや困惑が滲む。
「有り体にいえば武者修行だ。次こそは必ず優勝しなければならん。この先も勝ち続けたいと思ったとき、人間相手の普通のデュエルだけしていても強くなれないんじゃないかと思ってな。幸いスケジュールはしばらく空いてるし、お前も暇なんだろ」
「暇だけどさ──人間相手のデュエルなんだから人間相手に修行した方がいいぜ。デュエルならオレが相手するし」
「お前のデッキは把握し尽くしてる。オレは世界一になるんだぞ。まだ見ぬデュエリストを相手にしなければ修行にならん」
十代はしばし考える。
「……んじゃ、ちょっと行ってみるか? でも、タダでとはいかないぜ」
そうして十代は、オレにスーパーで大量のエビフライの材料を買わせた。それが異世界に連れていく代金だと言われた。不思議なことに、一度自宅に戻って内側から玄関を開けるとそこが異世界に繋がった。そこから十代と彼が拠点にしている覇王城へと向かった。
「第一回、エビフライデュエル大会の開催だ!」
十代──この異世界の地においては覇王として君臨する彼は自身の支配下の民にそう宣言した。この地にいるのはほとんどが異世界侵略時から十代の配下だった者たちだそうで、血の気が多いから定期的にストレス発散用のデュエル大会を開催しているのだと十代は言った。
「普段は下克上デュエル大会で別に城がほしくないやつは参加しないからさ、いつもより参加者が多いよ」
「城を賞品にするな」
「でも覇王城なんだから一番強いやつのものじゃないとダメだろ? 奇襲とかボーリョク的なことされるより大会した方がいいと思うけどなあ」
「負けたらどうする」
「もともとオレも前の王をぶっ倒しただけだからな。また交代するだけさ」
なんとも適当なやつだ。こんなやつが領主でここは大丈夫なのか?
「ま、頑張れよ。優勝したらエビフライ食べ放題だからな」
適当な支配者はトーナメント表を作るのが面倒だからと大会は懐かしのジェネックスと同様のルールとなった。参加者に札を配り、勝者が敗者のすべての札を得る。最後まで札を守った一人が優勝。シンプルだ。
対戦相手はなんとなく参加してみただけというさして強くない者から、手応えのある者──一時は負けるかと思うほど強い者もいた。負けた者は観客に回り、オレを応援したり人間なんかに負けるなと精霊を応援したりして、大会は賑やかに進んでいった。オレは勝ち続け、ついには最後の一人を倒した──と思いきや。
「さて、じゃあ決勝戦といくか」
エビフライの準備をしていた十代がオレの前に立ちはだかった。割烹着を着た十代と覇王城の背景はなんともミスマッチだ。そんなシュールな姿でも精霊たちからは覇王覇王と低い声が響いた。
「せっかくだから『覇王』とやってみるか? 万丈目」
「何?」
「オレのデッキは知り尽くしてつまんないんだろ。だったら」
十代は白い割烹着を脱ぎ捨てた。その下からは、漆黒の鎧をまとった姿が現れる──いや、どうやって下にそんなの着込んでたんだ。背中のトゲみたいなやつとか明らかにさっきの割烹着の下から出てくるもんじゃないぞ。だいたい兜はいつの間にかぶったんだ?
「来い。楽に勝てると思うな」
いつもより低い声。金色の目が射貫くようにオレを見た。エビフライを賭けたデュエルとは思えないほどの気迫だった。先程までは賑やかな雰囲気だった周囲も一気に静まり返り、緊張感に包まれる。これが覇王──。
結果としてオレは負けた。なんだあの黒いネオスは。
十代が勝つや、準決勝まではサンダーサンダーと歓声をあげていた観客も手のひらを返して覇王覇王と彼を讃えた。
「さーて、これでエビフライはオレのもんだな」
十代は一瞬で黒い鎧からいつもの赤い制服へと変わった。
十代は揚げ油を熱した鍋の中に、白い衣をつけたエビを放り込む。鍋は魔女か何かが使いそうな、毒毒しい緑色をしていた。
「実はな、これはオレが苦労して手に入れた、フライが世界一おいしく仕上がる魔法の鍋なんだ。何を揚げても中の油は劣化しないし油はねもしない超スグレもの。出来上がりのフライも冷めにくくてずっとサクサクだ」
嘘か真かわからないことを十代はこっそりささやいた。出来上がったエビフライは見事なきつね色をしていたので、真実なのかもしれない。
エビフライを皿に山盛りにし、十代はそれをフォークに刺して口に運んだ。白い前歯がサクリと音を立てて衣とエビを噛みちぎる。
「うっめー!! やっぱりエビフライは最高だな!」
茶褐色の目を輝かせて満面の笑みを見せた。
「でもオレ一人じゃ食べきれないから、みんなも食べてくれよ。参加賞だ参加賞。まだまだ揚げてくからじゃんじゃん食えよ!」
そう言って十代はエビフライを振る舞った。小型の可愛らしい精霊も強面の精霊も、喜んでエビフライを食べた。決勝戦では緊張感に包まれていた覇王城前は、また賑やかな雰囲気を取り戻した。覇王城が「賑やか」でいいのかという気はするが。
山のようにあったエビフライがなくなり、エビフライデュエル大会はお開きとなった。オレと十代は人間界へと戻る扉へと向かった。
「あのエビフライ、レッド寮と同じ味だったな」
「ああ。トメさん直伝レシピだぜ。世界一うまいエビフライだ」
「世界一は言い過ぎだろ」
「そんなことねーって。楽しくデュエルして、みんなで食うエビフライが世界一おいしい」
──そうか。実技授業や放課後にデュエルをして、レッド寮の食堂で賑やかな雰囲気の中エビフライを食べる──それが十代にとっての「世界一おいしいエビフライ」だったのかもしれない。
扉へとたどり着く。荒野にぽつんとある扉がオレの自宅に繋がるのだから不思議なものだ。
「万丈目。ここでお別れだ。オレ、しばらくは異世界にいる」
「……急だな」
なぜだか、オレはこのまま十代と一緒に家に帰って過ごすのだと思い込んでいた。今日だけでなくこの先もずっとそうしているのだと──そう思い込んでいた。元から少しの間逗留するだけだとわかっていたのに、なぜそんな風に思ったのだろう。
「……実はさ、この前アメリカで精霊売買の組織をぶっ潰したんだけど、その組織の狙ってる精霊のリストにオレの名前があった。なんだかオレには三幻魔を操る力とか、何でも願いを叶える力があるとか思われてるみたいだぜ」
「馬鹿馬鹿しい。お前なんぞにそんな力があるもんか」
鼻で笑ってみせたが──あの黒いネオスには相手モンスターのコントロールを得る力があった。もしあの覇王と揃いのような黒い衣のネオスが、覇王の力を映し出したものであるなら──。
「ああ。本当に馬鹿みたいだ。でも、そう思ってる連中がいるのは確かだからな。本当は日本にいるより早く異世界に行った方がよかったかも。でも、お前と吹雪さんの試合見れてよかったよ。ここの連中、結構強いんだぜ。それに勝てたんだから次は絶対優勝できるよ。きっと世界大会でも」
十代はオレを見つめて微笑んだ。笑っているのに少しだけ寂しそうに見えた。何年も先のことまでそんな風に言うのは、その間は会えないからなのだろうか。
「じゃ、気をつけて帰れよ」
次に会うのは何年後になるのだろう。きっと何年経っても彼は同じ姿をしている。学生時代から着続けても古びることのない赤いジャケットに、二十代も半ばになったというのに変わらないあどけなさを残す顔。
「早く行かないと扉消えちまうぜ」
「あ──ああ」
オレは何をためらっている? 名残惜しいと思っているのか?
「さようなら、万丈目」
扉をくぐるオレの背中にそんな言葉がかけられた。振り返る。
そこに異世界の見慣れぬ景色はなく、 見慣れた自宅の玄関ドアがあった。
さようなら、という言葉が妙に心にのしかかった。もう二度とあいつに会えないような、そんな気がした。
玄関からリビングへと入る。今朝までは十代がベッド代わりにしていたソファには誰もいない。騒がしいやつがいなくなると、一人で住むには広い一軒家はやけに静かだった。
大会の疲れもありソファに寝転び目を閉じる。やはり胸がずしりと重かった。
でも、これでよかったんじゃないか? 精霊売買の組織に狙われて人間界で隠れるように暮らすより、異世界で堂堂と暮らす方が。覇王様と精霊たちに慕われ、時には下克上デュエル大会をする方があいつも楽しく過ごせるだろう。あのデュエル馬鹿には似合いだ。
これでいい。そのはずなのに胸が苦しい。
この胸の重さはまるで──。
猫が乗っているようだった。
……いや、本当にこの重さはちょうど猫が──ファラオが胸に乗っているのとぴったり同じような……。
目を開けると胸の上には本当にファラオがいた。触ってみれば重さだけでなく柔らかな毛並みとぬくもりがあり幻覚ではない。あいつはファラオを連れて行き忘れたのか? 確か出かける前にファラオはあの赤いショルダーバッグに──いや違う、ショルダーバッグは黒だ。今のあいつは赤なんて──。
「あ、おはよう万丈目。ただいまー」
ソファの背から黒髪黒目に黒縁眼鏡の顔がオレを覗き込んだ。目や髪の色が変わってもすっかり見慣れた能天気な笑顔。
「メールに返事ないから仕事かと思ったら昼寝なんて珍しいな。あんま寝れてない?」
一瞬お前のせいだと思ったが、別にこいつは何もしていない。
「……確認なんだけど、オレがいない間に可愛い子を寝室に入れてあげたりした?」
「はあ? あるわけないだろ」
「んじゃこいつは不法侵入者か?」
十代は丸っこいぬいぐるみをオレに見せた。全体は黒っぽいが一部はグレーの、何か動物のぬいぐるみ──いや違う、精霊だ。半透明で首根っこをつかむ十代の手が透けている。
「……なんだそれは」
「いわゆるバクってやつ。ベッドの下に棲みついて、お前の悪夢を食べてたみたいだ」
悪夢──ならば、ずっと見ていた夢はこのバクが見せていたのか?
「こいつが言うには、お前に許可はもらったらしいんだよ」
さっきの「寝室に可愛い子を入れてあげた」はこいつの話なのか。だが。
「知らんぞ」
オレがそう答えるとバクは短い手足をバタバタとさせた。
「そんなことないって言ってる」
「知らん」
「お前もこいつも嘘はついてなさそうなんだよな。イエローいるか?」
「なあに?」
十代に呼ばれておジャマ・イエローが姿を現す。
「こいつ知ってる?」
「しばらく前から居候してるわよ」
十代にバクを見せられてイエローはそう答えた。
「お前知ってたのか? いつの間にこんなもんが棲みついたんだ」
「いつの間にって……アニキが住んでいいって言ったんじゃないの」
イエローの言葉にバクはぶら下がった身体を前後に揺らした。頷いているのかもしれない。
「本当に知らんぞ。今日初めて見た」
「あらぁ? でも……」
「イエロー、こいつが来た日のこと詳しく教えてくれないか?」
十代が言った。
「えーと、半月くらい前かしらね? アニキがすごく忙しかった頃かしら。ぐったりしてるアニキの背中にいつの間にかくっついてて……アニキに聞いたら雑魚なんかほっとけ、好きにしろって……」
全く覚えがない。いや──イエローが何かうるさかった日はあった気がする。疲れて家に帰ったら、イエローが「あらっ」と驚いた声を出した。
──アニキ、なんだか精霊がついてきてるわよ。丸くて可愛い……。
──雑魚なんかほっとけ。
──この子、弱ってるみたい。それでアニキの……。
──うるさい、好きにさせておけ。オレは疲れてるんだ。
そんなことを言って寝てしまった気がする。つまりバクにとっては「オレに許可を取った」のか。
「……まあなんとなくわかったよ。じゃ、元気になるまでオレの魂にいな」
バクは頷いて姿を消した。十代の魂の中に入ったらしい。相変わらず不可思議な力を持っている。あの夢のように、突然覇王の姿に変わったり元の姿に戻ったりもできるのだろうか──いや、夢なんて脈絡のないことが起きるものか。
「……ごめんな、オレが留守じゃなきゃすぐこうしてやれたんだけど」
「お前が謝ることじゃない」
「相変わらず精霊に好かれてるな、万丈目」
「お前もだろうが」
あんなに精霊たちに慕われて──いや、あれは夢だ。やけにリアルだっただけで。
「具合は?」
「……疲れているだけだ」
「明日は仕事?」
「ああ」
「お昼食べた?」
「いや」
「オレもまだだからなんか作ろうか。なんかあったかいもん……あ、うどんでいいか?」
「ああ──」
起き上がろうとしたが十代に止められた。
「ファラオも寝てるしできるまでそうしてやって。ファラオ、帰ったらすぐにお前のところに行ったんだぜ。会いたかったみたい」
十代は目を細めてファラオの頭を撫でた。それからキッチンへ向かう。ファラオは長旅に疲れたのかぐっすりと眠っていた。若干、先程の悪夢はバクではなくこいつのせいじゃないかと思った。
いや、あれは悪夢だったのか? この半月に見た夢の中で、唯一遊城十代が死なずに済んだ。いくらなんでも異世界に普通の人間が行くことは難しい。それにもし襲われても異世界ならユベルがすぐに実体化できるから、直接十代を守ることができるだろう。遊城十代の名を失わずに済めば──。
あいつは今ここにいない。
以前のように、旅の合間に遊びに来るような関係は続いたかもしれない。だが。
──さようなら、万丈目。
その言葉を聞いた瞬間感じたように、二度と会えなくなるのかもしれない。
それもまた悪夢か。やっと十代が死なない夢を見られたのに、それを「悪夢」と感じてしまうなんて我ながら勝手だ。
でも、きっともうあいつのいない人生は考えられないのだろう。もうそのくらい人生の中に織り込まれてしまった。いったいどうしてこうなったのやら──。
ファラオがもぞりと動いて、オレから降りると十代の方へ走っていった。
「なんだぁ? ファラオも腹減ったのか?」
キッチンからは醤油と出汁の香りが漂ってきていた。ファラオが腹をすかせたように、オレも空腹を感じ始めていた。
◇◆◇
昼食も終わり、オレが土産に買ってきたお菓子を食べながらお互いの近況を話した。万丈目は相変わらず忙しくしているらしく、ゆっくり過ごせるのは今日だけのようだった。
オレのいない間バクの精霊に取り憑かれていた万丈目は、一部面白い夢も見ていたようだった。
「エビフライデュエル大会に下克上デュエル大会……」
エビフライって精霊にウケるかわかんないけど。下克上デュエル大会はたまに覇王の座を狙って挑んでくるやつがいるから、ある意味もう開催されているのかもしれない。
「楽しそうだけどさ、お前ん中でオレってそんなに大会好きそうってこと?」
「ん? 言われてみれば変だな。お前はあまり大会に出ないのに」
万丈目は今気づいたみたいだった。夢の中で起きることって、変なことでもそのときは気づかないもんな。
「……最後に出た大会はジェネックスか」
「そうだな。二年生のときだっけ」
確か破滅の光のせいで途中からジェネックスどころじゃなくなってしまった。斎王とか元気にしてるかな。あまり万丈目から話は聞かない。
「卒業後は何か大会に出たりしなかったのか?」
「特にはないな。顔が残ってもよくないし」
「それもそうか」
「異世界で大会やるのはいいアイデアかもな」
下克上デュエル大会なら強いやつが集まりそうだ。でも覇王城の連中は嫌がるかな。エビフライは精霊にウケないかもしれないけど、何か賞品はほしい。
「大会って運営側になると大変そうだなあ」
「そうだな」
「翔は小規模とはいえ何回もやってるからすごいよな」
昔、翔の主催する大会に誘われたけど断ってしまった。一回くらい出てみたらよかったかな。今更だけど。
「オレが大会に出る夢って多かった?」
「いや、最後に見た夢だけだな。あとは……」
万丈目はためらってから、オレが刺された日を何回もやり直す夢を見たのだと言った。行き先を変えながら、最後に必ずオレが刺されて目が覚めたのだそうだ。
「でも……オレが刺されるのがなかったら結構楽しそうだな。映画とか美術館とかテーマパークとか……」
デートみたい、と言ったら万丈目はうつむいてため息をついた。照れてるなこれは。
「お前の仕事一段落ついたら一緒にどっか行こうな」
どこがいいかな。テーマパークって行ったことないな。北海道や大阪も行ったことないし。
「そういや二人で旅行したことないな……あ、新婚旅行ってやつやる?」
「新──」
万丈目は眉根を寄せた。正式な結婚手続きが済んだときに「今日から新婚さんだな」と言ったときも似たような反応をしていた。万丈目は昔は照れると怒ってごまかしていたけれど、最近は怒らないように我慢している。そうすると、こんな風にちょっと変な顔になるのだ。
「……そうか、そういえばなかったな。休みが取れたら……」
「新婚旅行だ!」
万丈目はやっぱり変な顔をしながら頷いた。いつになったらこういうときに素直に笑ってくれるのかなァ? 早くそうなってほしい気もするし、今みたいな反応が面白くて可愛いような気持ちもある。
「新婚旅行ってどこに行ったらいいんだ?」
「別に決まりはないだろ。行きたいところに行けば」
「行きたいところ……」
特には思いつかない。旅していたときにはいろんなところに行ったけど、思えば「行きたいところ」に行くというより「行く必要のあるところ」に行っていたかもしれない。
「参考として兄者たちはイタリアとハワイだったか……まあ現実的な問題としてオレが一週間も休めないかもしれない。海外に行くとしたら選択肢が少なくなるかもな」
「あ、オレも海外出るのはちょっと……この前みたいにまた交通事故とかあったとき、誤魔化すのが大変だから……って思うと、国内でも海馬コーポレーションの病院とかある範囲の方がいいことになるけど……」
そういえば、私用で遠出することを考えたことがなかった。万が一この前の交通事故みたいなことがあって誤魔化しきれなかったら、万丈目に早早に葬式をやらせることになってしまう……。
「せっかくだから近場でも特別な場所がいいけど……特別な場所ってなんだろ?」
「お前の場合普段からどこでも行けたから、どこに行こうが特別感がないんじゃないか?」
「そーかも……」
旅をしていた頃は行こうと思えばどこにでも行けた。海外とかきちんとしたルートで行かないと面倒なことになるからその手順分の制限はあるとはいえ、法律やらなんやらを無視してしまえば本当に「どこでも」行けるんじゃないか? でも「どこでも」に行きたいんじゃなくて「二人で」行きたいんだよなあ……。
──ん?
魂の中からバクが何か伝えてくる。万丈目の夢の中みたいなところはどうか、と。
「……夢の中で出かけた先ってオレと出かけたいところだったりした?」
「え? いや……ただ行き先のパターンが変化しただけだと思うが」
「でも行ったら楽しそうなとこばっかりだったよな。近場で旅行っていうと……テーマパークとか? テレビとかで併設のホテルも凝っててすごいって言ってるし、新婚旅行としてはいいかもな」
万丈目はまた眉根を寄せた。これは本当に嫌なのか照れてるのかどっちだ?
「テーマパークとか好きじゃないか?」
「好きじゃないも何も、行ったことがない」
「お前も? オレもないんだよな。子供の頃はクラスの子が行ったって聞くと羨ましかったけど、大人になったら忘れてた。オレは行ってみたいけど……」
万丈目はまだ渋い顔をしている。混みそうだしあんまり行きたくないのかな。有名人だし写真とか撮られても嫌だろうしなあ……。
「嫌なら──」
「嫌じゃない。……行ってみるか」
「無理はしなくていいけど……」
デュエルならタイムアウト負けしそうなくらい考えてたぞ。
「嫌なわけではなくて、若者向けの場所だなと……」
「まだ二十代じゃん」
最近ちょくちょく「もう三十前だから」とか言うんだよなぁ。三十って若いと思うけど。
「そう、十年後二十年後にやっぱり行こうと思うより今行った方がいいかと思ってな。やや恥ずかしいでもないが、一度も行ったことがないというのもエンターテイメントに関わる人間としてどうかというものだろう。この機会に行くのも悪くない」
難しく考えるやつだなあ。素直に行くって言えばいいのに。
「じゃ、行き先はテーマパークで決まりだな!」
そうして、テーマパークへ行くことが決まった。一度決まればその日を待つ間さえ楽しかった。テーマパークを扱った雑誌なんかを買って万丈目と何を見るとか何を食べたいとか話したり、ネットでテーマパークを案内する動画を見たり。
でも、ときどきふと子供の頃のことを思い出したりもした。今度の休みは遊園地に行こうと言われていたのに、両親の急な仕事でおじゃんになってしまったこと──それを思い出すとワクワクした気持ちは氷水をぶっかけたみたいに一気に縮んでしまう。もう子供じゃないんだから、そうなったってまた計画を立て直せばいいだけだ。子供の頃に「また今度」と言われた「今度」は来なかったけど、今は大人なんだから自分で日程も決められる。不安になるたびに「少し時期が延びるだけだ」と言い聞かせた。
その不安は夢にまで出てきて、遊園地に行けなくてごめんと謝る両親の悲しそうな顔が何度も出てきた。普段は両親のことなんて忘れているのに、こんな夢ばかりを見るのは申し訳ないような気もした。
こんなことを誰かに話すつもりはなかったけど、夜中に目が覚めたときに少し涙が出たのが万丈目にバレてしまった。あんまり泣き顔とか見られたくなくて、万丈目の胸に額をくっつけた。
「十代……」
心配そうにオレを呼ぶ。あんまり深刻にとらえられてもなぁと思って正直に夢のことを話した。万丈目はそうかと言ってオレの背を軽く叩いて慰めてくれた。
「……オレにも覚えがある」
万丈目にもやっぱり似たようなことはあったみたいだった。財閥の主なんてオレの両親よりもずっと忙しいだろうから、万丈目の方がオレよりつらい思いをしてきたのかもしれない。
「正直なところ、絶対に延期がないとは言い切れない。オレが原因になるかもしれないし、お前が原因になるかもしれない」
「うん」
「でも、延期になっても絶対行くぞ。何年先になってもだ」
「……うん」
曖昧な「また今度」とは違う約束。自分一人で「延期するだけだ」と思うより、万丈目にそう言ってもらえる方が安心した。
「ありがとう。絶対行こうな」
ようやく顔を上げた。万丈目は微笑んでくれていた。
「こんな夢見てんのも、なんか親に悪い気がするんだよな。これじゃいつまでも恨んでるみたいだ。そんなつもりないし、むしろオレの方が何もできなくて……」
結局両親とは疎遠のままだった。なんとなく会いづらくて、卒業後も会わないまま──。
「……ご両親に何かしたいのか?」
「今更だよな。会いに行きもしなかったのに。絵ハガキの一枚でも送ったりしといたらよかったのかなって」
もう全部遅いけど。
「……それなら今からでもできるかもしれないぞ」
「え?」
万丈目の提案はこうだった。万丈目の家から「遊城十代」の書いた絵ハガキが見つかったことにして、それをオレの両親に送る。それは数年前に万丈目がオレを含む友人数名とテーマパークへと行った際の写真の中に紛れ込んでいた。オレがテーマパークで購入し、万丈目の家でそのときの写真を見ながら両親宛に書いたあと誤って紛れ込ませてしまったようだった。万丈目は最近テーマパークへ行く予定があるため過去に友人たちと行った写真を見返していたらこの絵ハガキを発見した──少し不自然な気もするが、以前出そうか迷った絵ハガキをいつの間にかなくしたこともあったし、起こらないわけじゃないか。
「でも……今更迷惑じゃないかな」
「それは知らん」
きっぱりと万丈目は言った。
「お前の両親とは葬式で少し話しただけだ。息子からの手紙を喜ぶのか迷惑がるのかなんて知らん。だが、お前から見て息子から手紙が来たら迷惑がるような人間なのか?」
「そんなこと──」
ない、と思いたい。結局オレもよくわからない。あのひとたちのことをよく知らない。悲しそうな顔ばかり覚えている。
「決めるのはお前だ。出せるのは一度きりだし、機会として不自然でないのは今言った理由か──あとは引っ越しのときにでも見つかったと言うくらいか。バレないようにお前が死んだ日より前の絵ハガキを手に入れねばならないし、やるなら早めの方がいいとオレは思うがな」
出せるのは一度きり。やるなら早く──。
「……そうだな。出してみる、手紙」
「ああ。そうと決まれば早く寝ろ」
万丈目は笑って、またオレの背中を軽く叩いた。
それからは子供の頃の夢は見なくなった。無意識のわだかまりがなくなったのかもしれない。
絵ハガキを出すために、辻褄合わせを万丈目と一緒にいろいろ考えた。まずは「遊城十代」と万丈目が一緒にテーマパークへ行った日付。万丈目の試合などと重なってはいけないし、オレが海外にいた時期でもいけない。万丈目の試合の日はともかくオレの方はどうでもいいんじゃないかと思ったけど、「些細なことからアリバイは崩れるものだ」と名探偵サンダーは言った。確からしくするためにテーマパークで写真を偽造して同封しようとか、その写真を撮るには行った日付と矛盾しないものを撮らなくてはならないとか、それはまるでミステリードラマの犯人にでもなった気分だった。アリバイを崩す側の名探偵がアリバイを考えるのも変な話だけど。でも、二人で偽のアリバイ工作を考えるのはすごくワクワクした。オレの中からは、いつの間にか不安なんて消え失せていた。
旅行の予定は延期なんてされることはなく、当日は天気もよくて最高の日和だった。テーマパークでは「正体」がバレないように帽子や眼鏡を買った。大きめのジャケットの下にデュエルアカデミアの制服を着て、人目を盗んで帽子や眼鏡を外しジャケットを脱いで「遊城十代」の写真を撮った。端から見れば茶髪の男の写真を撮っているだけなんだから別になんてこともないのに、妙にスリルがあった。もちろん「ジェイデン・ケント」の写真も撮った。万丈目と多少は人に見せられる「二人の写真」を撮ろうと話していた。テーマパークの着ぐるみを真ん中に、テーマパークの帽子や眼鏡で顔を隠した写真なんて、あってもなくても似たようなもののような気がするけれど。でも万丈目は知っている人が見ればわかるように、オレはわからないように顔の角度やら気をつけて写真を撮った。それも「アリバイ作り」のひとつでやっぱりワクワクした。
テーマパークはアトラクションももちろん楽しかったけど、一番の思い出はやっぱりその「偽アリバイ作り」だった。オレたち以外に誰にも言えない、二人だけの思い出。テーマパークにいる間中ずっと帽子と眼鏡をしていてお互いの顔もぱっとわからないくらいだったけど、でも万丈目もずっと笑顔だった。またテーマパークに来たってこんなことは二度としないから、一生に一度の、最高の新婚旅行になったと思う。偽アリバイ作りする新婚旅行ってなんだよって感じだけど。結婚したときと同じでロマンチックなわけじゃないけど、ワクワクしてスリルがあって最高に楽しくて、きっとオレたちにしか過ごせない時間だった。
あんまり楽しくて、その日はテーマパークで遊ぶ夢を見た。オレはまだ子供で、父と母がいた。両親が笑っていることはわかるのに、なぜだか二人の顔は見えなかった。そういえば最後に両親の笑顔を見たのはいつだっけ。よく覚えていなかった。
気がついたら、子供だった姿はいつの間にか成長して、今度は友達がそばにいた。翔、隼人、剣山、明日香、吹雪さん、レイ、エド、ヨハンもジムもオブライエンも、藤原もカイザーもいた。みんな高校生の頃の姿でアカデミアの制服を着ていた。夢の中でこれが夢だとわかっていた。現実にはみんなに会えないし、卒業から十年経った今、みんながどんな姿かよくわからない。でも高校生の頃の姿ならはっきり思い出せた。みんなでおしゃべりしてアトラクションに乗って、すごく楽しかった。
そこに万丈目はいなかった。でも寂しいとは思わなかった。万丈目とテーマパークで過ごしたのは現実のあの時間だけでいい。
目を覚ますと知らない天井があるけど、隣には見慣れた万丈目がいる。万丈目もちょうど目が覚めたみたいだった。
「おはよ……夢の中でもテーマパークで遊んでた」
「おめでたいやつだな」
「万丈目はいい夢見れた?」
「まあな」
笑うだけで万丈目はどんな夢か話してくれなかった。よく眠れたみたいだし、いい夢だったんだろうなと思った。
「もうちょっと寝たい」
「あと一時間くらい寝るか……」
二度寝をしようと思ったら、魂の中にいるバクが外に出てきた。
「……ん、わかった」
バクから旅立つことを告げられた。バクとは本当は悪夢を食べていい夢をもたらすものだそうだ。万丈目に憑いたときには弱っていて中途半端になってしまったらしい。今日見た夢はバクが悪夢を食べてくれたからいい夢だったのかな。
「達者でな」
「気をつけろよ」
万丈目も声をかけて、バクを見送った。バクは無口なやつだったけど、いなくなると少しだけ寂しい。
また万丈目に抱きついた。あったかい。
「……魂に精霊がいるってどんな感じだ?」
「ちょっとあったかい……正確には温度じゃないけど……ファラオが胸に乗ってる感じが近いかも。重さはないけど」
「温度も重さもないのに?」
「そう言われるとちょっとヘンだけど……」
目を開ける。万丈目は目を閉じていた。オレもまた目を閉じる。
「……命があるって感じかも……」
精霊には温度も重さもないけど、その存在を人間の感覚にたとえるなら「あったかくて、少し重さがあるような感じ」だと思う。
「……そうだ、精霊からは居心地いいって言われるよ……」
万丈目からの返事はない。寝てしまったのだろう。オレもそのままうとうとする。万丈目の体温と、抱きしめられる腕の重さが心地いい。オレの魂の居心地のよさはオレ自身にはよくわからないけど、こんな感じなのかな。ずっと居たくなっちゃうけど、いつかあのバクみたいに旅立たなくては……。アラームが鳴るまでのまどろみの中でそんなことを考えた。
今日は美術館や博物館を回った。賑やかなテーマパークと正反対に静かだった。オレは難しいことはよくわからないけど、何百年も前の絵とか像とか、何千年も前の石器とかを見てると、オレがこの先長い間生きていってもこういうものは残っていくのかなと思った。万丈目と一緒に見たものは特に覚えておきたいけど、残念ながらあんまり記憶力に自信はなかった。ミュージアムショップで万丈目が気に入った絵の絵ハガキを一枚だけ買った。
「これ覚えておけば、ずっと未来でもまた見れるかなって。オレ忘れっぽいからさ」
そう言ったらちょっと変な顔をさせてしまったけど。オレはいつまで万丈目のことを覚えていられるんだろうって不安は、考えても仕方ないと思うけどいつも心の底にあった。
「本当はたくさんいろいろ覚えておきたいんだけど」
「別に忘れてもいいだろう」
万丈目はあっさりと言った。
「よくないよ」
「どうしてだ?」
「どうしてって……寂しいから? 悲しいのかな。今日の夢なんて親の顔も思い出せなかったし……」
起きて考えたら思い出せたけど、万丈目の顔もいつか忘れちゃうのかな、と思うと悲しかった。
「人間なんて忘れる生き物だ。気にするな」
「なんだよ、ドライだな」
「いつまでも湿っぽく泣かれる方が嫌だ」
そりゃ──そうだよな。オレだって、オレが死んだと思ってるひとたちにいつまでも泣いてほしいなんて思わない。オレのことなんか忘れて、楽しく生きててほしい。万丈目もそうなのかな。
「でも、お前といると楽しいし、やっぱり忘れたくないよ。オレの記憶力はアヤシイけどさ……」
「なら、楽しかったということを覚えておけばいいんじゃないか」
「どういう意味?」
「昨日頼んだランチの正確な名前覚えてるか?」
「え? えーと……なんとかチキンサンドだっけ……」
鶏の揚げたやつのサンドイッチだった。ちょっと独特のスパイス効いててうまかったな。
「メニュー名を覚えてなくても、チキンサンドがうまかったことは覚えてるだろ。そのくらい覚えておけばいい」
「万丈目といて楽しかった、って?」
「それで十分だろう。なにもかもを覚えておくのは無理だからな。まあ、オマケでどの絵が好きだったとか覚えておくのも悪くないだろうが。あの絵は何百年か残るかもしれないしな」
楽しかったということを覚えておいて、あとはオマケ。そういうのもアリなのかもしれない。記憶力には自信ないけど、一緒に出かけて楽しかったとか、一緒にいられて幸せだったとか、そういうことなら覚えていられそうだ。
「やっぱり頭いいな、万丈目」
「当たり前だ」
万丈目は、オレの大好きな自信に満ちた顔で笑った。
新婚旅行は一泊二日の短い旅だったけど、賑やかでワクワクするテーマパークと静かな美術館や博物館で、それぞれ全然違う日を過ごせた。
家に帰ったら、すぐに絵ハガキにメッセージを書いた。偽アリバイの頃にテーマパークで売っていたものを万丈目がインターネットで買っておいてくれたのだ。ワクワクした気持ちが残ったまま書いたから、それらしくなるんじゃないかなあなんて思った。
万丈目もオレの両親宛に手紙を書いた。事前に話した通り「テーマパークへ行ったときの写真を探していたら紛れこんで十代の絵ハガキがあった、十代の写真も同封する」という内容のものだ。
「……オレの写真、変じゃないよな?」
オレはあまり自分の写真を撮らなくて、自分の顔を見るのは変な感じだった。結局オレたちが一緒にテーマパークに行けた日付は二十歳頃まで遡ることになったから、卒業後から歳を取っていないことは気づかれないだろう。
「アカデミアの頃から変わらん能天気な顔だ、安心しろ」
確かに、めちゃくちゃ楽しかったこともあって写真の「遊城十代」はどれも能天気な笑顔のものばかりだ。なんなら昔よく万丈目に言われたように「間抜け面」だろう。はしゃぎすぎていて恥ずかしい気がした。
「……写真、いるかなあ? あんときはスゲーいいアイデアな気がしたけど……」
「どうしても嫌ならやめるが、個人的には同封した方がいいと思う」
「なんで?」
「……葬儀のときの遺影、卒業アルバムのものだった。お前、卒業後から写真の一枚もろくに撮ってないだろ」
「うん……あんまり写真残ると後でよくないかなと思ったし……」
今もあまり顔の残る写真は撮りたくない。
「それはわかるが、ご両親は卒業後のお前の姿を知らないままだ。まあ見てくれは変わってないわけだが、卒業後も元気にしていた姿を見るのはご両親にとって嬉しいことじゃないかと、オレとしては思う」
そうなのだろうか。せっかく撮ったものだし、結局写真も同封して両親へと送った。一週間ほど後に万丈目宛にオレの両親から手紙が届いた。手紙を受け取ってから万丈目が仕事から帰ってくるまで、中には何が書かれているんだろうとドキドキした。それは期待ではなく不安で、絵ハガキや写真を送り返されたかもとか、余計なことをするなと怒っているかもとか、そんな風に考えてしまった。
万丈目が帰宅して、オレが変な顔をしているものだから少し心配をかけてしまった。大丈夫だとは思うが、と言いながら万丈目も少し不安そうに手紙を開封した。
「……お礼の手紙だ。お前が元気だった姿を見られてよかったと」
手紙の一枚目に目を通した万丈目は、微笑んでそう言った。だが、二枚目に目を通すと眉間にシワを寄せた。
「……やっぱりダメだった?」
「いや……全く悪い内容ではない」
万丈目はオレに手紙を渡した。封筒は両親の連名で書かれていたが、中身は母の手によるものだった。一枚目は絵ハガキと写真を送ってくれた礼が述べられていた。卒業後の写真は家に一枚もなかったと書かれていて、同封してよかったと思う。二枚目は。
卒業後の十代の様子を知らなかったので楽しそうでよかったということと──万丈目さんがいてくれてよかった、十代はあなたに出会えて本当に幸せだったと思う、と万丈目に感謝の言葉が述べられていた。なんだかその書きぶりは万丈目が単なる「友人」ではないことを察しているような……。
「……オレ、ニヤけすぎてたかな」
「……さあな。まあ……悪く思われたわけじゃないだろう」
もう一度手紙に目を通す。落ち着いた薄茶の封筒と便箋に、細くてきれいな字。久しぶりに見たけれど一目で母の字だとわかった。すぐに返事が来たし、絵ハガキと写真を本当に喜んでくれたのだと思う。今も幸せだよ、と返事を出すことはできないけれど。絵ハガキを出す前に比べたらずいぶん心が軽くなって、なんの連絡もしていなかったことはやっぱり心残りだったんだと改めて思う。
「お前のおかげだ万丈目。本当にありがとう。……余計なお世話かもしれないけどさ、お前のお父さんともいつか仲直りできるかな」
「お前が気にしなくていい」
気にするなと結婚が決まったときから言われているけど、気にはなる。
「でも、やっぱりオレの……」
「オレの結婚相手に文句をつけたくなるのはオレ一人では万丈目の益にならないと思われているからだ。オレがキングになれば向こうから謝ってくる。だから気にするな」
万丈目はきっぱりと言い切った。
「キングに……」
「なる」
「……そっか。かっこいいな、万丈目」
「当然だ。オレは」
「万丈目サンダー!」
高校生の頃から変わらないやりとりで笑い合う。ああ、本当に。
「母さんの書いた通り、お前に会えて幸せだと思うよ」
そう言ったら、またしても万丈目は眉間に深いシワを寄せてしまったけど。
「照れてる」
ふん、と万丈目は顔をそらしてしまった。ちょっとだけ耳が赤くなっていた。
こういう顔もどれだけの時間覚えていられるんだろう。楽しかったこと、幸せだったことだけを覚えておくといっても、オレはいつまで──。
でも、あんまり悲しい気持ちになるのはやめよう。いつまでも湿っぽく泣かれるのは嫌だって、オレもそう思うから。
◇◆◇
──お元気ですか? 友達とテーマパークに行きました。すごく楽しかった。また遠くに行くから帰ることはできないけど、オレは元気でやってるから心配しないで。十代。P.S.お忙しいと思いますが、お身体お大事に。
三年前に亡くなった息子の絵ハガキが、息子の友人から届いた。テーマパークの写真のポストカードは、十代が友人たちとテーマパークに行ったときに購入したもののようだ。十代の友人──万丈目氏の手紙によると二十歳頃のことらしい。ならば絵ハガキは八年ほど前に書かれたものか。「遠くに行くから帰ることはできない」という言葉が、海外を飛び回っていたからだとわかっているのに、今は別の意味のように思える。でもあまり悲しいと思わなかった。同封されていた写真の十代が幸せそうだったからだろうか。
写真の中で、十代はデュエルアカデミアの制服を着ていた。卒業後も着たままだったと話には聞いていたが、その赤い制服姿を実際に見ることはついぞなかった。生きた姿を最後に見たのはデュエルアカデミアへ出発する前の学ラン姿だった。十年近く息子の姿を見ないまま、次に見たのは死化粧を施された遺体だった。それはまるで作り物のように現実味がなかった。それに比べると、写真の中の十代は「本物」だと思えた。死のショックから時間が経ったからかもしれない。
写真はテーマパークのいくつかの建物を背景に、バストショットが三枚と全身を写したロングショットが一枚。どれも十代は幸せを全身で表すように笑い、よく撮れていた。万丈目氏が撮影上手なのか──何枚も撮ったうちの一番いいものを送ってくれたのか。なんとなく後者のような気がした。ほんの四枚の写真だが、そこには十代をよく撮ろうという愛情があるような気がした。
思い込みといえばそれまでだが、彼らは単なる友人を越えた関係だったのではないだろうか。手紙では「友人たちと」テーマパークへ行ったと書いてあったが、複数人で行ったなら十代一人の写真を何枚も撮るだろうか? 十代と万丈目氏が二人で行き万丈目氏が十代を撮ったという状況の方が自然なように思えた。
写真はありがたく頂戴し、お礼の手紙を書いた。十代とのことを聞きたくなったが、万丈目氏は現在別の男性と結婚している。余計な詮索はすまい。
卒業後の十代は連絡してくることもなく、届いたのは突然の訃報だった。それまでどのように過ごしていたのか全くわからなかった。いつか連絡してくるだろうなどと思わずに、自分から連絡すればよかった。嫌がられたかもしれないが、会いたいと言えばよかった。そんな後悔ばかりしていた。でも送られてきた写真で、こんなに幸せそうに笑う時間があったのだと知ることができた。その笑顔は後悔という暗雲へ光を射し込む太陽のようだった。
2025/05/19
2025/07/17 一部修正
最近、あの日をやり直す夢ばかり見る。
真っ昼間の商店街。ほんの一瞬で奪われた「遊城十代」の人生。
たとえばあの日、外へ出かけなかったら。
「映画でも見るか?」
そんなことを言って、定額配信サービスからあいつの好きそうなアクション映画を選ぶ。ヒーローものの三部作で、あいつは「この家テレビでかくていいよなあ」とか言いながら画面を食い入るように見つめて、穏やかに一日が終わる──。
そう思うのに、結末はいつも悲惨だ。
オレが映画と映画の合間に茶を入れていると、インターホンが鳴る。あいつは「オレが出るよ」と言って玄関に向かい、次に聞こえるのは何かがどさりと倒れた音だ。オレが玄関に向かえば血を流した遊城十代が倒れている。
そうして目が覚める。最悪な夢を見たと思いながら仕事に向かう。そしてその夜にまたあの日の夢を見る。
残念ながら夢の中のオレは未来の記憶があるわけではなく、あいつに「お前は今日殺されるぞ」なんて忠告はできない。でもオレの行動は変えられるようだった。
「ショッピングモールにでも行くか?」
商店街でなければどうだ? 日用品の買い足しにちょうどいい荷物持ちもいる。ソース焼きそばと醤油味のたこ焼きでも食べて、服やらなんやら楽しそうに冷やかして──でも場所が変わるだけで結末は同じだった。遊城十代が死んだ瞬間に目が覚める。
行き先を映画館や美術館にしてみてもダメだ。近場なのが悪いのか? ならば飛行機や新幹線に乗って北海道だとか大阪だとかに行ってみるのは? あいつは世界中や異世界を飛び回っている割に、日本国内の有名な観光地に行ったことがなかったりする。提案したら喜んでついてきた。ラーメンが食べたいとかお好み焼きが食べたいとか期待に目を輝かせて──飛行機や新幹線の中で殺される。
ならばオレが何もしなければ? どこかに行こうなどと言わずこの家に留まらせようともしなかったら。オレが関与したせいで死んだなら何もしない方がいいのではないか? するとあいつはちょっと散歩してくると出かけたあと、しばらくすると男性が刺殺されたとニュースが流れる。被害者の名前はもちろん遊城十代だ。
結局のところ、オレが何をしてもしなくても結末は変わらないのだ。だが、夢の結末が変わったところで、目が覚めた後の現実は何も変わらない。「遊城十代」は死んだ。
そんなことはわかっている。それでも何度も同じ夢を見る。何年経ってもあの日を悔い続けている。
しかし、なぜ急にこんな夢を見るようになったのだろう? 長らくあいつが留守で安否が気にかかっているのだろうか。あいつが殺したって死なないことはそれを目の前で見てしまったからこそわかっているのに。
あいつがふらふらと根なし草をしていた頃には心配などしなかった。あの頃は思いもしなかったが、きっとあいつは普通なら死ぬような怪我を何度もしていたのだ。あのときにはもう人前で大怪我をした場合の対処方法を知っていた。不老不死を隠すための協力者が何人もいた。学園で三年間あいつと共にいた友人たちは誰一人そんなこと知らなかったのに──。
夢を見るのは、そんな不満も原因の一つかもしれない。でも、知っていたからといってオレに何ができるんだ? オレは、オレたちは何もできなかった。その経験があるから、あいつはオレたちに何も言わなかったのだろう。
今だって、あいつがどこで何をしているのか、大まかなところしか知らない。初めて名前を聞く地域の変わった名前の遺跡調査に行くとは聞いている。その言葉もどこまで本当なのかはよくわからない。仕事である以上守秘義務もあるだろうし根掘り葉掘り聞くものでもないだろう。オレだって仕事のことは行き先や時間を話すだけで細かい話などしない。それは不老不死だの異世界だのと非常識なことに関わっていなくとも普通はそういうものだ──「普通」ならば異世界だの闇のデュエルだのということに関わることもないのだが。
結局のところ、心配だったり過去の後悔だったり不満だったりがあの夢を見せているのだろう。ただ刺殺された瞬間を見るばかりだったときよりは進歩したのだろうか? あいつにこの夢を話したらなんと言うのだろう。墓の夢を見ることを進歩だと言ったあいつは、この夢をいったいなんと表現する?
──話したいのか。
こんな内容の夢を話せる相手はあいつしかいない。たいしたことじゃないと言ってくれるのも、うなされていれば抱きしめてくれるのも──。
──寂しいのか?
自覚した自分の感情にため息が出た。もうあいつが出かけて一ヶ月経つし、夢を見始めたのは半月過ぎた辺りだ。会いたいという願望も夢の一因なのかもしれない。ならもう少し楽しい夢を──いや、途中までは楽しいときもある。
今日など、混雑するテーマパークに行く夢だった。もらったチケットの期限が切れそうだとかなんとか。木を隠すなら森の中と無意識では思ったのかもしれない。あいつはこんなところに来たことがないと子供のように喜び──結末はいつもより悲惨だった。混雑のためか無関係な人間も刺され、遊城十代も殺された。子供の悲鳴がやけにリアルだった。
目覚めたときの気分はいつもより悪かった。今日は久し振りの休みだというのに、起きてからずっと夢のことを考えてしまう。不毛だ。元より何かしようと思っていた休みではないが、こんなことを考えるくらいなら眠った方がマシじゃないか? あの夢もそろそろアイデアが尽きて新しいものを見るのは無理ではないだろうか。なにせ普段なら思いつきもしないテーマパークなど出てきたのだ。これ以上はもうネタ切れのはずだ。
そう思うと少し心が軽くなる。ソファに横になって目を閉じた。
◇◆◇
「異世界?」
遊城十代はおうむ返しに言った。
「そうだ。オレも行けないか」
「行ってどうすんだ、そんなとこ」
十代は怪訝そうにオレを見返した。茶褐色の瞳にやや困惑が滲む。
「有り体にいえば武者修行だ。次こそは必ず優勝しなければならん。この先も勝ち続けたいと思ったとき、人間相手の普通のデュエルだけしていても強くなれないんじゃないかと思ってな。幸いスケジュールはしばらく空いてるし、お前も暇なんだろ」
「暇だけどさ──人間相手のデュエルなんだから人間相手に修行した方がいいぜ。デュエルならオレが相手するし」
「お前のデッキは把握し尽くしてる。オレは世界一になるんだぞ。まだ見ぬデュエリストを相手にしなければ修行にならん」
十代はしばし考える。
「……んじゃ、ちょっと行ってみるか? でも、タダでとはいかないぜ」
そうして十代は、オレにスーパーで大量のエビフライの材料を買わせた。それが異世界に連れていく代金だと言われた。不思議なことに、一度自宅に戻って内側から玄関を開けるとそこが異世界に繋がった。そこから十代と彼が拠点にしている覇王城へと向かった。
「第一回、エビフライデュエル大会の開催だ!」
十代──この異世界の地においては覇王として君臨する彼は自身の支配下の民にそう宣言した。この地にいるのはほとんどが異世界侵略時から十代の配下だった者たちだそうで、血の気が多いから定期的にストレス発散用のデュエル大会を開催しているのだと十代は言った。
「普段は下克上デュエル大会で別に城がほしくないやつは参加しないからさ、いつもより参加者が多いよ」
「城を賞品にするな」
「でも覇王城なんだから一番強いやつのものじゃないとダメだろ? 奇襲とかボーリョク的なことされるより大会した方がいいと思うけどなあ」
「負けたらどうする」
「もともとオレも前の王をぶっ倒しただけだからな。また交代するだけさ」
なんとも適当なやつだ。こんなやつが領主でここは大丈夫なのか?
「ま、頑張れよ。優勝したらエビフライ食べ放題だからな」
適当な支配者はトーナメント表を作るのが面倒だからと大会は懐かしのジェネックスと同様のルールとなった。参加者に札を配り、勝者が敗者のすべての札を得る。最後まで札を守った一人が優勝。シンプルだ。
対戦相手はなんとなく参加してみただけというさして強くない者から、手応えのある者──一時は負けるかと思うほど強い者もいた。負けた者は観客に回り、オレを応援したり人間なんかに負けるなと精霊を応援したりして、大会は賑やかに進んでいった。オレは勝ち続け、ついには最後の一人を倒した──と思いきや。
「さて、じゃあ決勝戦といくか」
エビフライの準備をしていた十代がオレの前に立ちはだかった。割烹着を着た十代と覇王城の背景はなんともミスマッチだ。そんなシュールな姿でも精霊たちからは覇王覇王と低い声が響いた。
「せっかくだから『覇王』とやってみるか? 万丈目」
「何?」
「オレのデッキは知り尽くしてつまんないんだろ。だったら」
十代は白い割烹着を脱ぎ捨てた。その下からは、漆黒の鎧をまとった姿が現れる──いや、どうやって下にそんなの着込んでたんだ。背中のトゲみたいなやつとか明らかにさっきの割烹着の下から出てくるもんじゃないぞ。だいたい兜はいつの間にかぶったんだ?
「来い。楽に勝てると思うな」
いつもより低い声。金色の目が射貫くようにオレを見た。エビフライを賭けたデュエルとは思えないほどの気迫だった。先程までは賑やかな雰囲気だった周囲も一気に静まり返り、緊張感に包まれる。これが覇王──。
結果としてオレは負けた。なんだあの黒いネオスは。
十代が勝つや、準決勝まではサンダーサンダーと歓声をあげていた観客も手のひらを返して覇王覇王と彼を讃えた。
「さーて、これでエビフライはオレのもんだな」
十代は一瞬で黒い鎧からいつもの赤い制服へと変わった。
十代は揚げ油を熱した鍋の中に、白い衣をつけたエビを放り込む。鍋は魔女か何かが使いそうな、毒毒しい緑色をしていた。
「実はな、これはオレが苦労して手に入れた、フライが世界一おいしく仕上がる魔法の鍋なんだ。何を揚げても中の油は劣化しないし油はねもしない超スグレもの。出来上がりのフライも冷めにくくてずっとサクサクだ」
嘘か真かわからないことを十代はこっそりささやいた。出来上がったエビフライは見事なきつね色をしていたので、真実なのかもしれない。
エビフライを皿に山盛りにし、十代はそれをフォークに刺して口に運んだ。白い前歯がサクリと音を立てて衣とエビを噛みちぎる。
「うっめー!! やっぱりエビフライは最高だな!」
茶褐色の目を輝かせて満面の笑みを見せた。
「でもオレ一人じゃ食べきれないから、みんなも食べてくれよ。参加賞だ参加賞。まだまだ揚げてくからじゃんじゃん食えよ!」
そう言って十代はエビフライを振る舞った。小型の可愛らしい精霊も強面の精霊も、喜んでエビフライを食べた。決勝戦では緊張感に包まれていた覇王城前は、また賑やかな雰囲気を取り戻した。覇王城が「賑やか」でいいのかという気はするが。
山のようにあったエビフライがなくなり、エビフライデュエル大会はお開きとなった。オレと十代は人間界へと戻る扉へと向かった。
「あのエビフライ、レッド寮と同じ味だったな」
「ああ。トメさん直伝レシピだぜ。世界一うまいエビフライだ」
「世界一は言い過ぎだろ」
「そんなことねーって。楽しくデュエルして、みんなで食うエビフライが世界一おいしい」
──そうか。実技授業や放課後にデュエルをして、レッド寮の食堂で賑やかな雰囲気の中エビフライを食べる──それが十代にとっての「世界一おいしいエビフライ」だったのかもしれない。
扉へとたどり着く。荒野にぽつんとある扉がオレの自宅に繋がるのだから不思議なものだ。
「万丈目。ここでお別れだ。オレ、しばらくは異世界にいる」
「……急だな」
なぜだか、オレはこのまま十代と一緒に家に帰って過ごすのだと思い込んでいた。今日だけでなくこの先もずっとそうしているのだと──そう思い込んでいた。元から少しの間逗留するだけだとわかっていたのに、なぜそんな風に思ったのだろう。
「……実はさ、この前アメリカで精霊売買の組織をぶっ潰したんだけど、その組織の狙ってる精霊のリストにオレの名前があった。なんだかオレには三幻魔を操る力とか、何でも願いを叶える力があるとか思われてるみたいだぜ」
「馬鹿馬鹿しい。お前なんぞにそんな力があるもんか」
鼻で笑ってみせたが──あの黒いネオスには相手モンスターのコントロールを得る力があった。もしあの覇王と揃いのような黒い衣のネオスが、覇王の力を映し出したものであるなら──。
「ああ。本当に馬鹿みたいだ。でも、そう思ってる連中がいるのは確かだからな。本当は日本にいるより早く異世界に行った方がよかったかも。でも、お前と吹雪さんの試合見れてよかったよ。ここの連中、結構強いんだぜ。それに勝てたんだから次は絶対優勝できるよ。きっと世界大会でも」
十代はオレを見つめて微笑んだ。笑っているのに少しだけ寂しそうに見えた。何年も先のことまでそんな風に言うのは、その間は会えないからなのだろうか。
「じゃ、気をつけて帰れよ」
次に会うのは何年後になるのだろう。きっと何年経っても彼は同じ姿をしている。学生時代から着続けても古びることのない赤いジャケットに、二十代も半ばになったというのに変わらないあどけなさを残す顔。
「早く行かないと扉消えちまうぜ」
「あ──ああ」
オレは何をためらっている? 名残惜しいと思っているのか?
「さようなら、万丈目」
扉をくぐるオレの背中にそんな言葉がかけられた。振り返る。
そこに異世界の見慣れぬ景色はなく、 見慣れた自宅の玄関ドアがあった。
さようなら、という言葉が妙に心にのしかかった。もう二度とあいつに会えないような、そんな気がした。
玄関からリビングへと入る。今朝までは十代がベッド代わりにしていたソファには誰もいない。騒がしいやつがいなくなると、一人で住むには広い一軒家はやけに静かだった。
大会の疲れもありソファに寝転び目を閉じる。やはり胸がずしりと重かった。
でも、これでよかったんじゃないか? 精霊売買の組織に狙われて人間界で隠れるように暮らすより、異世界で堂堂と暮らす方が。覇王様と精霊たちに慕われ、時には下克上デュエル大会をする方があいつも楽しく過ごせるだろう。あのデュエル馬鹿には似合いだ。
これでいい。そのはずなのに胸が苦しい。
この胸の重さはまるで──。
猫が乗っているようだった。
……いや、本当にこの重さはちょうど猫が──ファラオが胸に乗っているのとぴったり同じような……。
目を開けると胸の上には本当にファラオがいた。触ってみれば重さだけでなく柔らかな毛並みとぬくもりがあり幻覚ではない。あいつはファラオを連れて行き忘れたのか? 確か出かける前にファラオはあの赤いショルダーバッグに──いや違う、ショルダーバッグは黒だ。今のあいつは赤なんて──。
「あ、おはよう万丈目。ただいまー」
ソファの背から黒髪黒目に黒縁眼鏡の顔がオレを覗き込んだ。目や髪の色が変わってもすっかり見慣れた能天気な笑顔。
「メールに返事ないから仕事かと思ったら昼寝なんて珍しいな。あんま寝れてない?」
一瞬お前のせいだと思ったが、別にこいつは何もしていない。
「……確認なんだけど、オレがいない間に可愛い子を寝室に入れてあげたりした?」
「はあ? あるわけないだろ」
「んじゃこいつは不法侵入者か?」
十代は丸っこいぬいぐるみをオレに見せた。全体は黒っぽいが一部はグレーの、何か動物のぬいぐるみ──いや違う、精霊だ。半透明で首根っこをつかむ十代の手が透けている。
「……なんだそれは」
「いわゆるバクってやつ。ベッドの下に棲みついて、お前の悪夢を食べてたみたいだ」
悪夢──ならば、ずっと見ていた夢はこのバクが見せていたのか?
「こいつが言うには、お前に許可はもらったらしいんだよ」
さっきの「寝室に可愛い子を入れてあげた」はこいつの話なのか。だが。
「知らんぞ」
オレがそう答えるとバクは短い手足をバタバタとさせた。
「そんなことないって言ってる」
「知らん」
「お前もこいつも嘘はついてなさそうなんだよな。イエローいるか?」
「なあに?」
十代に呼ばれておジャマ・イエローが姿を現す。
「こいつ知ってる?」
「しばらく前から居候してるわよ」
十代にバクを見せられてイエローはそう答えた。
「お前知ってたのか? いつの間にこんなもんが棲みついたんだ」
「いつの間にって……アニキが住んでいいって言ったんじゃないの」
イエローの言葉にバクはぶら下がった身体を前後に揺らした。頷いているのかもしれない。
「本当に知らんぞ。今日初めて見た」
「あらぁ? でも……」
「イエロー、こいつが来た日のこと詳しく教えてくれないか?」
十代が言った。
「えーと、半月くらい前かしらね? アニキがすごく忙しかった頃かしら。ぐったりしてるアニキの背中にいつの間にかくっついてて……アニキに聞いたら雑魚なんかほっとけ、好きにしろって……」
全く覚えがない。いや──イエローが何かうるさかった日はあった気がする。疲れて家に帰ったら、イエローが「あらっ」と驚いた声を出した。
──アニキ、なんだか精霊がついてきてるわよ。丸くて可愛い……。
──雑魚なんかほっとけ。
──この子、弱ってるみたい。それでアニキの……。
──うるさい、好きにさせておけ。オレは疲れてるんだ。
そんなことを言って寝てしまった気がする。つまりバクにとっては「オレに許可を取った」のか。
「……まあなんとなくわかったよ。じゃ、元気になるまでオレの魂にいな」
バクは頷いて姿を消した。十代の魂の中に入ったらしい。相変わらず不可思議な力を持っている。あの夢のように、突然覇王の姿に変わったり元の姿に戻ったりもできるのだろうか──いや、夢なんて脈絡のないことが起きるものか。
「……ごめんな、オレが留守じゃなきゃすぐこうしてやれたんだけど」
「お前が謝ることじゃない」
「相変わらず精霊に好かれてるな、万丈目」
「お前もだろうが」
あんなに精霊たちに慕われて──いや、あれは夢だ。やけにリアルだっただけで。
「具合は?」
「……疲れているだけだ」
「明日は仕事?」
「ああ」
「お昼食べた?」
「いや」
「オレもまだだからなんか作ろうか。なんかあったかいもん……あ、うどんでいいか?」
「ああ──」
起き上がろうとしたが十代に止められた。
「ファラオも寝てるしできるまでそうしてやって。ファラオ、帰ったらすぐにお前のところに行ったんだぜ。会いたかったみたい」
十代は目を細めてファラオの頭を撫でた。それからキッチンへ向かう。ファラオは長旅に疲れたのかぐっすりと眠っていた。若干、先程の悪夢はバクではなくこいつのせいじゃないかと思った。
いや、あれは悪夢だったのか? この半月に見た夢の中で、唯一遊城十代が死なずに済んだ。いくらなんでも異世界に普通の人間が行くことは難しい。それにもし襲われても異世界ならユベルがすぐに実体化できるから、直接十代を守ることができるだろう。遊城十代の名を失わずに済めば──。
あいつは今ここにいない。
以前のように、旅の合間に遊びに来るような関係は続いたかもしれない。だが。
──さようなら、万丈目。
その言葉を聞いた瞬間感じたように、二度と会えなくなるのかもしれない。
それもまた悪夢か。やっと十代が死なない夢を見られたのに、それを「悪夢」と感じてしまうなんて我ながら勝手だ。
でも、きっともうあいつのいない人生は考えられないのだろう。もうそのくらい人生の中に織り込まれてしまった。いったいどうしてこうなったのやら──。
ファラオがもぞりと動いて、オレから降りると十代の方へ走っていった。
「なんだぁ? ファラオも腹減ったのか?」
キッチンからは醤油と出汁の香りが漂ってきていた。ファラオが腹をすかせたように、オレも空腹を感じ始めていた。
◇◆◇
昼食も終わり、オレが土産に買ってきたお菓子を食べながらお互いの近況を話した。万丈目は相変わらず忙しくしているらしく、ゆっくり過ごせるのは今日だけのようだった。
オレのいない間バクの精霊に取り憑かれていた万丈目は、一部面白い夢も見ていたようだった。
「エビフライデュエル大会に下克上デュエル大会……」
エビフライって精霊にウケるかわかんないけど。下克上デュエル大会はたまに覇王の座を狙って挑んでくるやつがいるから、ある意味もう開催されているのかもしれない。
「楽しそうだけどさ、お前ん中でオレってそんなに大会好きそうってこと?」
「ん? 言われてみれば変だな。お前はあまり大会に出ないのに」
万丈目は今気づいたみたいだった。夢の中で起きることって、変なことでもそのときは気づかないもんな。
「……最後に出た大会はジェネックスか」
「そうだな。二年生のときだっけ」
確か破滅の光のせいで途中からジェネックスどころじゃなくなってしまった。斎王とか元気にしてるかな。あまり万丈目から話は聞かない。
「卒業後は何か大会に出たりしなかったのか?」
「特にはないな。顔が残ってもよくないし」
「それもそうか」
「異世界で大会やるのはいいアイデアかもな」
下克上デュエル大会なら強いやつが集まりそうだ。でも覇王城の連中は嫌がるかな。エビフライは精霊にウケないかもしれないけど、何か賞品はほしい。
「大会って運営側になると大変そうだなあ」
「そうだな」
「翔は小規模とはいえ何回もやってるからすごいよな」
昔、翔の主催する大会に誘われたけど断ってしまった。一回くらい出てみたらよかったかな。今更だけど。
「オレが大会に出る夢って多かった?」
「いや、最後に見た夢だけだな。あとは……」
万丈目はためらってから、オレが刺された日を何回もやり直す夢を見たのだと言った。行き先を変えながら、最後に必ずオレが刺されて目が覚めたのだそうだ。
「でも……オレが刺されるのがなかったら結構楽しそうだな。映画とか美術館とかテーマパークとか……」
デートみたい、と言ったら万丈目はうつむいてため息をついた。照れてるなこれは。
「お前の仕事一段落ついたら一緒にどっか行こうな」
どこがいいかな。テーマパークって行ったことないな。北海道や大阪も行ったことないし。
「そういや二人で旅行したことないな……あ、新婚旅行ってやつやる?」
「新──」
万丈目は眉根を寄せた。正式な結婚手続きが済んだときに「今日から新婚さんだな」と言ったときも似たような反応をしていた。万丈目は昔は照れると怒ってごまかしていたけれど、最近は怒らないように我慢している。そうすると、こんな風にちょっと変な顔になるのだ。
「……そうか、そういえばなかったな。休みが取れたら……」
「新婚旅行だ!」
万丈目はやっぱり変な顔をしながら頷いた。いつになったらこういうときに素直に笑ってくれるのかなァ? 早くそうなってほしい気もするし、今みたいな反応が面白くて可愛いような気持ちもある。
「新婚旅行ってどこに行ったらいいんだ?」
「別に決まりはないだろ。行きたいところに行けば」
「行きたいところ……」
特には思いつかない。旅していたときにはいろんなところに行ったけど、思えば「行きたいところ」に行くというより「行く必要のあるところ」に行っていたかもしれない。
「参考として兄者たちはイタリアとハワイだったか……まあ現実的な問題としてオレが一週間も休めないかもしれない。海外に行くとしたら選択肢が少なくなるかもな」
「あ、オレも海外出るのはちょっと……この前みたいにまた交通事故とかあったとき、誤魔化すのが大変だから……って思うと、国内でも海馬コーポレーションの病院とかある範囲の方がいいことになるけど……」
そういえば、私用で遠出することを考えたことがなかった。万が一この前の交通事故みたいなことがあって誤魔化しきれなかったら、万丈目に早早に葬式をやらせることになってしまう……。
「せっかくだから近場でも特別な場所がいいけど……特別な場所ってなんだろ?」
「お前の場合普段からどこでも行けたから、どこに行こうが特別感がないんじゃないか?」
「そーかも……」
旅をしていた頃は行こうと思えばどこにでも行けた。海外とかきちんとしたルートで行かないと面倒なことになるからその手順分の制限はあるとはいえ、法律やらなんやらを無視してしまえば本当に「どこでも」行けるんじゃないか? でも「どこでも」に行きたいんじゃなくて「二人で」行きたいんだよなあ……。
──ん?
魂の中からバクが何か伝えてくる。万丈目の夢の中みたいなところはどうか、と。
「……夢の中で出かけた先ってオレと出かけたいところだったりした?」
「え? いや……ただ行き先のパターンが変化しただけだと思うが」
「でも行ったら楽しそうなとこばっかりだったよな。近場で旅行っていうと……テーマパークとか? テレビとかで併設のホテルも凝っててすごいって言ってるし、新婚旅行としてはいいかもな」
万丈目はまた眉根を寄せた。これは本当に嫌なのか照れてるのかどっちだ?
「テーマパークとか好きじゃないか?」
「好きじゃないも何も、行ったことがない」
「お前も? オレもないんだよな。子供の頃はクラスの子が行ったって聞くと羨ましかったけど、大人になったら忘れてた。オレは行ってみたいけど……」
万丈目はまだ渋い顔をしている。混みそうだしあんまり行きたくないのかな。有名人だし写真とか撮られても嫌だろうしなあ……。
「嫌なら──」
「嫌じゃない。……行ってみるか」
「無理はしなくていいけど……」
デュエルならタイムアウト負けしそうなくらい考えてたぞ。
「嫌なわけではなくて、若者向けの場所だなと……」
「まだ二十代じゃん」
最近ちょくちょく「もう三十前だから」とか言うんだよなぁ。三十って若いと思うけど。
「そう、十年後二十年後にやっぱり行こうと思うより今行った方がいいかと思ってな。やや恥ずかしいでもないが、一度も行ったことがないというのもエンターテイメントに関わる人間としてどうかというものだろう。この機会に行くのも悪くない」
難しく考えるやつだなあ。素直に行くって言えばいいのに。
「じゃ、行き先はテーマパークで決まりだな!」
そうして、テーマパークへ行くことが決まった。一度決まればその日を待つ間さえ楽しかった。テーマパークを扱った雑誌なんかを買って万丈目と何を見るとか何を食べたいとか話したり、ネットでテーマパークを案内する動画を見たり。
でも、ときどきふと子供の頃のことを思い出したりもした。今度の休みは遊園地に行こうと言われていたのに、両親の急な仕事でおじゃんになってしまったこと──それを思い出すとワクワクした気持ちは氷水をぶっかけたみたいに一気に縮んでしまう。もう子供じゃないんだから、そうなったってまた計画を立て直せばいいだけだ。子供の頃に「また今度」と言われた「今度」は来なかったけど、今は大人なんだから自分で日程も決められる。不安になるたびに「少し時期が延びるだけだ」と言い聞かせた。
その不安は夢にまで出てきて、遊園地に行けなくてごめんと謝る両親の悲しそうな顔が何度も出てきた。普段は両親のことなんて忘れているのに、こんな夢ばかりを見るのは申し訳ないような気もした。
こんなことを誰かに話すつもりはなかったけど、夜中に目が覚めたときに少し涙が出たのが万丈目にバレてしまった。あんまり泣き顔とか見られたくなくて、万丈目の胸に額をくっつけた。
「十代……」
心配そうにオレを呼ぶ。あんまり深刻にとらえられてもなぁと思って正直に夢のことを話した。万丈目はそうかと言ってオレの背を軽く叩いて慰めてくれた。
「……オレにも覚えがある」
万丈目にもやっぱり似たようなことはあったみたいだった。財閥の主なんてオレの両親よりもずっと忙しいだろうから、万丈目の方がオレよりつらい思いをしてきたのかもしれない。
「正直なところ、絶対に延期がないとは言い切れない。オレが原因になるかもしれないし、お前が原因になるかもしれない」
「うん」
「でも、延期になっても絶対行くぞ。何年先になってもだ」
「……うん」
曖昧な「また今度」とは違う約束。自分一人で「延期するだけだ」と思うより、万丈目にそう言ってもらえる方が安心した。
「ありがとう。絶対行こうな」
ようやく顔を上げた。万丈目は微笑んでくれていた。
「こんな夢見てんのも、なんか親に悪い気がするんだよな。これじゃいつまでも恨んでるみたいだ。そんなつもりないし、むしろオレの方が何もできなくて……」
結局両親とは疎遠のままだった。なんとなく会いづらくて、卒業後も会わないまま──。
「……ご両親に何かしたいのか?」
「今更だよな。会いに行きもしなかったのに。絵ハガキの一枚でも送ったりしといたらよかったのかなって」
もう全部遅いけど。
「……それなら今からでもできるかもしれないぞ」
「え?」
万丈目の提案はこうだった。万丈目の家から「遊城十代」の書いた絵ハガキが見つかったことにして、それをオレの両親に送る。それは数年前に万丈目がオレを含む友人数名とテーマパークへと行った際の写真の中に紛れ込んでいた。オレがテーマパークで購入し、万丈目の家でそのときの写真を見ながら両親宛に書いたあと誤って紛れ込ませてしまったようだった。万丈目は最近テーマパークへ行く予定があるため過去に友人たちと行った写真を見返していたらこの絵ハガキを発見した──少し不自然な気もするが、以前出そうか迷った絵ハガキをいつの間にかなくしたこともあったし、起こらないわけじゃないか。
「でも……今更迷惑じゃないかな」
「それは知らん」
きっぱりと万丈目は言った。
「お前の両親とは葬式で少し話しただけだ。息子からの手紙を喜ぶのか迷惑がるのかなんて知らん。だが、お前から見て息子から手紙が来たら迷惑がるような人間なのか?」
「そんなこと──」
ない、と思いたい。結局オレもよくわからない。あのひとたちのことをよく知らない。悲しそうな顔ばかり覚えている。
「決めるのはお前だ。出せるのは一度きりだし、機会として不自然でないのは今言った理由か──あとは引っ越しのときにでも見つかったと言うくらいか。バレないようにお前が死んだ日より前の絵ハガキを手に入れねばならないし、やるなら早めの方がいいとオレは思うがな」
出せるのは一度きり。やるなら早く──。
「……そうだな。出してみる、手紙」
「ああ。そうと決まれば早く寝ろ」
万丈目は笑って、またオレの背中を軽く叩いた。
それからは子供の頃の夢は見なくなった。無意識のわだかまりがなくなったのかもしれない。
絵ハガキを出すために、辻褄合わせを万丈目と一緒にいろいろ考えた。まずは「遊城十代」と万丈目が一緒にテーマパークへ行った日付。万丈目の試合などと重なってはいけないし、オレが海外にいた時期でもいけない。万丈目の試合の日はともかくオレの方はどうでもいいんじゃないかと思ったけど、「些細なことからアリバイは崩れるものだ」と名探偵サンダーは言った。確からしくするためにテーマパークで写真を偽造して同封しようとか、その写真を撮るには行った日付と矛盾しないものを撮らなくてはならないとか、それはまるでミステリードラマの犯人にでもなった気分だった。アリバイを崩す側の名探偵がアリバイを考えるのも変な話だけど。でも、二人で偽のアリバイ工作を考えるのはすごくワクワクした。オレの中からは、いつの間にか不安なんて消え失せていた。
旅行の予定は延期なんてされることはなく、当日は天気もよくて最高の日和だった。テーマパークでは「正体」がバレないように帽子や眼鏡を買った。大きめのジャケットの下にデュエルアカデミアの制服を着て、人目を盗んで帽子や眼鏡を外しジャケットを脱いで「遊城十代」の写真を撮った。端から見れば茶髪の男の写真を撮っているだけなんだから別になんてこともないのに、妙にスリルがあった。もちろん「ジェイデン・ケント」の写真も撮った。万丈目と多少は人に見せられる「二人の写真」を撮ろうと話していた。テーマパークの着ぐるみを真ん中に、テーマパークの帽子や眼鏡で顔を隠した写真なんて、あってもなくても似たようなもののような気がするけれど。でも万丈目は知っている人が見ればわかるように、オレはわからないように顔の角度やら気をつけて写真を撮った。それも「アリバイ作り」のひとつでやっぱりワクワクした。
テーマパークはアトラクションももちろん楽しかったけど、一番の思い出はやっぱりその「偽アリバイ作り」だった。オレたち以外に誰にも言えない、二人だけの思い出。テーマパークにいる間中ずっと帽子と眼鏡をしていてお互いの顔もぱっとわからないくらいだったけど、でも万丈目もずっと笑顔だった。またテーマパークに来たってこんなことは二度としないから、一生に一度の、最高の新婚旅行になったと思う。偽アリバイ作りする新婚旅行ってなんだよって感じだけど。結婚したときと同じでロマンチックなわけじゃないけど、ワクワクしてスリルがあって最高に楽しくて、きっとオレたちにしか過ごせない時間だった。
あんまり楽しくて、その日はテーマパークで遊ぶ夢を見た。オレはまだ子供で、父と母がいた。両親が笑っていることはわかるのに、なぜだか二人の顔は見えなかった。そういえば最後に両親の笑顔を見たのはいつだっけ。よく覚えていなかった。
気がついたら、子供だった姿はいつの間にか成長して、今度は友達がそばにいた。翔、隼人、剣山、明日香、吹雪さん、レイ、エド、ヨハンもジムもオブライエンも、藤原もカイザーもいた。みんな高校生の頃の姿でアカデミアの制服を着ていた。夢の中でこれが夢だとわかっていた。現実にはみんなに会えないし、卒業から十年経った今、みんながどんな姿かよくわからない。でも高校生の頃の姿ならはっきり思い出せた。みんなでおしゃべりしてアトラクションに乗って、すごく楽しかった。
そこに万丈目はいなかった。でも寂しいとは思わなかった。万丈目とテーマパークで過ごしたのは現実のあの時間だけでいい。
目を覚ますと知らない天井があるけど、隣には見慣れた万丈目がいる。万丈目もちょうど目が覚めたみたいだった。
「おはよ……夢の中でもテーマパークで遊んでた」
「おめでたいやつだな」
「万丈目はいい夢見れた?」
「まあな」
笑うだけで万丈目はどんな夢か話してくれなかった。よく眠れたみたいだし、いい夢だったんだろうなと思った。
「もうちょっと寝たい」
「あと一時間くらい寝るか……」
二度寝をしようと思ったら、魂の中にいるバクが外に出てきた。
「……ん、わかった」
バクから旅立つことを告げられた。バクとは本当は悪夢を食べていい夢をもたらすものだそうだ。万丈目に憑いたときには弱っていて中途半端になってしまったらしい。今日見た夢はバクが悪夢を食べてくれたからいい夢だったのかな。
「達者でな」
「気をつけろよ」
万丈目も声をかけて、バクを見送った。バクは無口なやつだったけど、いなくなると少しだけ寂しい。
また万丈目に抱きついた。あったかい。
「……魂に精霊がいるってどんな感じだ?」
「ちょっとあったかい……正確には温度じゃないけど……ファラオが胸に乗ってる感じが近いかも。重さはないけど」
「温度も重さもないのに?」
「そう言われるとちょっとヘンだけど……」
目を開ける。万丈目は目を閉じていた。オレもまた目を閉じる。
「……命があるって感じかも……」
精霊には温度も重さもないけど、その存在を人間の感覚にたとえるなら「あったかくて、少し重さがあるような感じ」だと思う。
「……そうだ、精霊からは居心地いいって言われるよ……」
万丈目からの返事はない。寝てしまったのだろう。オレもそのままうとうとする。万丈目の体温と、抱きしめられる腕の重さが心地いい。オレの魂の居心地のよさはオレ自身にはよくわからないけど、こんな感じなのかな。ずっと居たくなっちゃうけど、いつかあのバクみたいに旅立たなくては……。アラームが鳴るまでのまどろみの中でそんなことを考えた。
今日は美術館や博物館を回った。賑やかなテーマパークと正反対に静かだった。オレは難しいことはよくわからないけど、何百年も前の絵とか像とか、何千年も前の石器とかを見てると、オレがこの先長い間生きていってもこういうものは残っていくのかなと思った。万丈目と一緒に見たものは特に覚えておきたいけど、残念ながらあんまり記憶力に自信はなかった。ミュージアムショップで万丈目が気に入った絵の絵ハガキを一枚だけ買った。
「これ覚えておけば、ずっと未来でもまた見れるかなって。オレ忘れっぽいからさ」
そう言ったらちょっと変な顔をさせてしまったけど。オレはいつまで万丈目のことを覚えていられるんだろうって不安は、考えても仕方ないと思うけどいつも心の底にあった。
「本当はたくさんいろいろ覚えておきたいんだけど」
「別に忘れてもいいだろう」
万丈目はあっさりと言った。
「よくないよ」
「どうしてだ?」
「どうしてって……寂しいから? 悲しいのかな。今日の夢なんて親の顔も思い出せなかったし……」
起きて考えたら思い出せたけど、万丈目の顔もいつか忘れちゃうのかな、と思うと悲しかった。
「人間なんて忘れる生き物だ。気にするな」
「なんだよ、ドライだな」
「いつまでも湿っぽく泣かれる方が嫌だ」
そりゃ──そうだよな。オレだって、オレが死んだと思ってるひとたちにいつまでも泣いてほしいなんて思わない。オレのことなんか忘れて、楽しく生きててほしい。万丈目もそうなのかな。
「でも、お前といると楽しいし、やっぱり忘れたくないよ。オレの記憶力はアヤシイけどさ……」
「なら、楽しかったということを覚えておけばいいんじゃないか」
「どういう意味?」
「昨日頼んだランチの正確な名前覚えてるか?」
「え? えーと……なんとかチキンサンドだっけ……」
鶏の揚げたやつのサンドイッチだった。ちょっと独特のスパイス効いててうまかったな。
「メニュー名を覚えてなくても、チキンサンドがうまかったことは覚えてるだろ。そのくらい覚えておけばいい」
「万丈目といて楽しかった、って?」
「それで十分だろう。なにもかもを覚えておくのは無理だからな。まあ、オマケでどの絵が好きだったとか覚えておくのも悪くないだろうが。あの絵は何百年か残るかもしれないしな」
楽しかったということを覚えておいて、あとはオマケ。そういうのもアリなのかもしれない。記憶力には自信ないけど、一緒に出かけて楽しかったとか、一緒にいられて幸せだったとか、そういうことなら覚えていられそうだ。
「やっぱり頭いいな、万丈目」
「当たり前だ」
万丈目は、オレの大好きな自信に満ちた顔で笑った。
新婚旅行は一泊二日の短い旅だったけど、賑やかでワクワクするテーマパークと静かな美術館や博物館で、それぞれ全然違う日を過ごせた。
家に帰ったら、すぐに絵ハガキにメッセージを書いた。偽アリバイの頃にテーマパークで売っていたものを万丈目がインターネットで買っておいてくれたのだ。ワクワクした気持ちが残ったまま書いたから、それらしくなるんじゃないかなあなんて思った。
万丈目もオレの両親宛に手紙を書いた。事前に話した通り「テーマパークへ行ったときの写真を探していたら紛れこんで十代の絵ハガキがあった、十代の写真も同封する」という内容のものだ。
「……オレの写真、変じゃないよな?」
オレはあまり自分の写真を撮らなくて、自分の顔を見るのは変な感じだった。結局オレたちが一緒にテーマパークに行けた日付は二十歳頃まで遡ることになったから、卒業後から歳を取っていないことは気づかれないだろう。
「アカデミアの頃から変わらん能天気な顔だ、安心しろ」
確かに、めちゃくちゃ楽しかったこともあって写真の「遊城十代」はどれも能天気な笑顔のものばかりだ。なんなら昔よく万丈目に言われたように「間抜け面」だろう。はしゃぎすぎていて恥ずかしい気がした。
「……写真、いるかなあ? あんときはスゲーいいアイデアな気がしたけど……」
「どうしても嫌ならやめるが、個人的には同封した方がいいと思う」
「なんで?」
「……葬儀のときの遺影、卒業アルバムのものだった。お前、卒業後から写真の一枚もろくに撮ってないだろ」
「うん……あんまり写真残ると後でよくないかなと思ったし……」
今もあまり顔の残る写真は撮りたくない。
「それはわかるが、ご両親は卒業後のお前の姿を知らないままだ。まあ見てくれは変わってないわけだが、卒業後も元気にしていた姿を見るのはご両親にとって嬉しいことじゃないかと、オレとしては思う」
そうなのだろうか。せっかく撮ったものだし、結局写真も同封して両親へと送った。一週間ほど後に万丈目宛にオレの両親から手紙が届いた。手紙を受け取ってから万丈目が仕事から帰ってくるまで、中には何が書かれているんだろうとドキドキした。それは期待ではなく不安で、絵ハガキや写真を送り返されたかもとか、余計なことをするなと怒っているかもとか、そんな風に考えてしまった。
万丈目が帰宅して、オレが変な顔をしているものだから少し心配をかけてしまった。大丈夫だとは思うが、と言いながら万丈目も少し不安そうに手紙を開封した。
「……お礼の手紙だ。お前が元気だった姿を見られてよかったと」
手紙の一枚目に目を通した万丈目は、微笑んでそう言った。だが、二枚目に目を通すと眉間にシワを寄せた。
「……やっぱりダメだった?」
「いや……全く悪い内容ではない」
万丈目はオレに手紙を渡した。封筒は両親の連名で書かれていたが、中身は母の手によるものだった。一枚目は絵ハガキと写真を送ってくれた礼が述べられていた。卒業後の写真は家に一枚もなかったと書かれていて、同封してよかったと思う。二枚目は。
卒業後の十代の様子を知らなかったので楽しそうでよかったということと──万丈目さんがいてくれてよかった、十代はあなたに出会えて本当に幸せだったと思う、と万丈目に感謝の言葉が述べられていた。なんだかその書きぶりは万丈目が単なる「友人」ではないことを察しているような……。
「……オレ、ニヤけすぎてたかな」
「……さあな。まあ……悪く思われたわけじゃないだろう」
もう一度手紙に目を通す。落ち着いた薄茶の封筒と便箋に、細くてきれいな字。久しぶりに見たけれど一目で母の字だとわかった。すぐに返事が来たし、絵ハガキと写真を本当に喜んでくれたのだと思う。今も幸せだよ、と返事を出すことはできないけれど。絵ハガキを出す前に比べたらずいぶん心が軽くなって、なんの連絡もしていなかったことはやっぱり心残りだったんだと改めて思う。
「お前のおかげだ万丈目。本当にありがとう。……余計なお世話かもしれないけどさ、お前のお父さんともいつか仲直りできるかな」
「お前が気にしなくていい」
気にするなと結婚が決まったときから言われているけど、気にはなる。
「でも、やっぱりオレの……」
「オレの結婚相手に文句をつけたくなるのはオレ一人では万丈目の益にならないと思われているからだ。オレがキングになれば向こうから謝ってくる。だから気にするな」
万丈目はきっぱりと言い切った。
「キングに……」
「なる」
「……そっか。かっこいいな、万丈目」
「当然だ。オレは」
「万丈目サンダー!」
高校生の頃から変わらないやりとりで笑い合う。ああ、本当に。
「母さんの書いた通り、お前に会えて幸せだと思うよ」
そう言ったら、またしても万丈目は眉間に深いシワを寄せてしまったけど。
「照れてる」
ふん、と万丈目は顔をそらしてしまった。ちょっとだけ耳が赤くなっていた。
こういう顔もどれだけの時間覚えていられるんだろう。楽しかったこと、幸せだったことだけを覚えておくといっても、オレはいつまで──。
でも、あんまり悲しい気持ちになるのはやめよう。いつまでも湿っぽく泣かれるのは嫌だって、オレもそう思うから。
◇◆◇
──お元気ですか? 友達とテーマパークに行きました。すごく楽しかった。また遠くに行くから帰ることはできないけど、オレは元気でやってるから心配しないで。十代。P.S.お忙しいと思いますが、お身体お大事に。
三年前に亡くなった息子の絵ハガキが、息子の友人から届いた。テーマパークの写真のポストカードは、十代が友人たちとテーマパークに行ったときに購入したもののようだ。十代の友人──万丈目氏の手紙によると二十歳頃のことらしい。ならば絵ハガキは八年ほど前に書かれたものか。「遠くに行くから帰ることはできない」という言葉が、海外を飛び回っていたからだとわかっているのに、今は別の意味のように思える。でもあまり悲しいと思わなかった。同封されていた写真の十代が幸せそうだったからだろうか。
写真の中で、十代はデュエルアカデミアの制服を着ていた。卒業後も着たままだったと話には聞いていたが、その赤い制服姿を実際に見ることはついぞなかった。生きた姿を最後に見たのはデュエルアカデミアへ出発する前の学ラン姿だった。十年近く息子の姿を見ないまま、次に見たのは死化粧を施された遺体だった。それはまるで作り物のように現実味がなかった。それに比べると、写真の中の十代は「本物」だと思えた。死のショックから時間が経ったからかもしれない。
写真はテーマパークのいくつかの建物を背景に、バストショットが三枚と全身を写したロングショットが一枚。どれも十代は幸せを全身で表すように笑い、よく撮れていた。万丈目氏が撮影上手なのか──何枚も撮ったうちの一番いいものを送ってくれたのか。なんとなく後者のような気がした。ほんの四枚の写真だが、そこには十代をよく撮ろうという愛情があるような気がした。
思い込みといえばそれまでだが、彼らは単なる友人を越えた関係だったのではないだろうか。手紙では「友人たちと」テーマパークへ行ったと書いてあったが、複数人で行ったなら十代一人の写真を何枚も撮るだろうか? 十代と万丈目氏が二人で行き万丈目氏が十代を撮ったという状況の方が自然なように思えた。
写真はありがたく頂戴し、お礼の手紙を書いた。十代とのことを聞きたくなったが、万丈目氏は現在別の男性と結婚している。余計な詮索はすまい。
卒業後の十代は連絡してくることもなく、届いたのは突然の訃報だった。それまでどのように過ごしていたのか全くわからなかった。いつか連絡してくるだろうなどと思わずに、自分から連絡すればよかった。嫌がられたかもしれないが、会いたいと言えばよかった。そんな後悔ばかりしていた。でも送られてきた写真で、こんなに幸せそうに笑う時間があったのだと知ることができた。その笑顔は後悔という暗雲へ光を射し込む太陽のようだった。
2025/05/19
2025/07/17 一部修正
