【連作】遊城十代が死んだ

真夜中の邂逅

 玄関の方から物音がして目が覚めた。深夜である。
 こんなあばら家に泥棒だろうか。折り悪く今は──正確にはまだしばらくは、この家には万丈目一人だ。
 ──毎度肝心なときには居やがらない。
 心の中で舌打ちする。今は不在の同居人、いや居候か? その能天気な顔を思い出すと腹が立った。
 苛立ちと同時に不安と緊張も腹の中を這い回っている。物音の正体はなんだろう。こそ泥か、武器を持った強盗か、あるいは聞き間違いや古い建物故の家鳴りか。
 明日も仕事で早いと言うのに。
 正体を確かめねばおちおち眠ることもできない。寝室に武器になりそうなものは特にない。万丈目は非常用の懐中電灯を持ち寝室のドアをそっと開けた。廊下は真っ暗だが、玄関のすりガラスから差し込む外灯の明かりが、うずくまる影の正体を照らす──。
「十代?」
 そう呼べば影はびくりとして振り返った。万丈目が懐中電灯で照らすと、まるで化け物でも見たかのように驚いた顔の十代がいた。
「そんなに驚くことないだろ。戻るなら先に連絡しろ」
 万丈目はため息をつく。
「万丈目──」
 かすれた声だった。十代は顔を歪めて、茶色の瞳に涙を溜める。
「ど──どうした? 怪我でも……」
 万丈目は十代の元へ駆け寄り、玄関のライトをつけた。明るくなると違和感に気づく。十代は特に荷物を持っていない。腕には赤いライン入りのデュエルディスク、服は久しぶりに見る、デュエルアカデミアの赤いジャケット──それは、十代があと五十年は着られないと言っていたものだ。
 茶色の目から涙がこぼれた。十代はすぐにそれを拭って作り笑いをする。目にはいつもの元気さはなく、悲しげな色を宿していた。
「……夜中にごめん。起こしちゃったな」
「十代、お前いつから来た?」
「今来たとこだよ」
「そうじゃなくて、未来から来ただろ」
 大きな瞳がさらに見開かれた。
「なんで……」
「ジャケット」
「は……?」
 十代は意味がわからない、とばかりに万丈目を見返した。
「今は着れなかったろ、それ。何年後から来たか知らんが」
 潤んだ瞳がぱちぱち瞬く。それを忘れるほどに未来から来ているのか? 十代の見た目は今と変わらない、十代の少年ティーンエイジャーのような姿だ。
「……とにかく上がれ。茶くらいは淹れてやる」
 いつも十代が履いているスリッパを出してやると、十代はそれを見てまた涙を流した。万丈目は先にリビングへ入った。
 万丈目は湯を沸かし茶を淹れる準備をする。その間に、十代は辺りを見回しながらリビングへとゆっくり入ってきた。万丈目はその泣きっ面にティッシュを箱ごと渡してやる。
「ありがと……」
 彼はソファの向かって右──いつも十代が座る位置へと収まる。しばらくは湯を沸かす音と十代が嗚咽し鼻をかむ音だけがしていた。
 マグカップに熱い茶を淹れて出してやる頃には十代の涙も収まったようだった。万丈目は目と顔を赤くしている十代の隣に座った。
「で──どうしてここに来た? 何か必要か?」
 万丈目の質問に十代は首を横に振った。
「デュエルのあと、時空を吹っ飛ばされて……ここに着いたのは偶然……だと思う」
「戻れるのか?」
「ん~……今閉じちゃったけど、しばらくしたら似たような時空の歪みができると思う」
 十代はマグカップに息を吹きかけて茶をすすった。
「このお茶何?」
「ルイボスだ」
「紅茶とは違うやつ?」
「ああ」
「ふぅん……」
 「今」の十代もたまに飲んでいるのだが──覚えていないのだろう。
「どのくらい未来から来たんだ?」
「……さあ、何百年だったか……万丈目、今何歳?」
「二十七だが」
「若いな~」
 十代はおかしそうに笑った。数百歳だろう彼の外見の方が万丈目より若い。
「まだ一緒に暮らし始めたばかりだっけ」
「二年は経つ」
「そうか、二年か」
 自分たちはあと何年一緒にいるのだろう──と思ったが口にはしなかった。
「確かこの頃……『遊城十代』の名前が使えなくて……それでこのジャケットも着れなかったっけ」
 確かめるように十代は言った。何百年という時間は、「遊城十代を名乗れなくなった」という記憶まで曖昧にしてしまうのだろうか。そんな重大なことを──と思うが、何百年も生きるとはそういうものなのかもしれない。長くても百年以内でこの世を去る万丈目には想像もつかない。
「……オレ、お前の顔見るまでここがどこかわかんなかった。住んでたのにな」
 十代はまた目に浮かんできた涙を拭う。
「でも、家ん中見たらいろいろ思い出してきて……幸せだったな」
 十代は感慨深げに息をつき、再び茶を飲んだ。
「あ、別に今も楽しくやってるぜ。今はさ、精霊研究室は精霊共同研究室になってる。人間が精霊を研究するんじゃなくて、精霊と共同で人と精霊が共に生きられる世界を研究してるんだ。すごいだろ?」
 十代は笑っているが、無理をしているように見える。話の内容もどこまで真実なのか万丈目にはわからない。
「今のオレには内緒にしてくれよ」
「ああ」
「しかしジャケットだけで未来から来たってよくわかったな」
「ジャケットだけでもないが」
 万丈目の顔を見てあんなに驚き泣き出すような反応をするなど、現在の十代ならあり得ない。それに。
 顔を見るだけで泣きたくなってしまうその感情には万丈目も覚えがある。遊城十代が死んだと思っていたあのときと、きっと似ている。
「あとは何でわかった?」
「まあ、出掛けたときの荷物もないし、外から来たならその髪と目の色なわけがないしな」
 十代は自分の髪に触れた。
「そっか、髪と目の色変えてたっけ」
「眼鏡もない」
「そうだったっけ……忘れちまうもんだな」
 十代は寂しそうに笑った。
「今……全日本に向けて頑張ってるとこ?」
「もう優勝した」
「そっか、おめでとう。じゃ、取材とかテレビ出演とかイベントゲストとか忙しい時期だ」
「まあ──な」
 案外覚えている、と万丈目は思う。もしかしたら、十代は「自分のこと」を覚えていないのだろうか。
「忙しいのにこんな時間に起こしちゃってごめんな。お茶ありがとう。おいしかった」
「もう行くのか」
「うん。長居したら帰りたくなくなっちゃうし、オレ絶対余計なこと言うし。未来のネタバレはよくないだろ?」
 十代は平気そうに笑ってみせる。十代は「コップ洗うな」と自分と万丈目の使ったマグカップを洗いにシンクに立つ。
「……本当、懐かしい。この頃は毎日ここで料理とかしてたんだよな」
 十代は濡れた手を拭いて、ソファの方に戻ってくる。十代はローテーブルに置いていたデュエルディスクを取り腕にはめた。
「ここでの生活好きだったのに、今はひとつのとこにじっとしてるの苦手で。オレ、家に暮らすことじゃなくて、お前と暮らすのが好きだったんだな」
 玄関で、十代は涙をこらえながら微笑んだ。
「遅いし泊まるか?」
「いいや。新婚さんに浮気させるみたいじゃん」
 新婚ではない。「未来のネタバレ」をしているが、十代は気づいていないようだ。いずれ結婚はするつもりだったが、もうすぐなのだろう。
「……でもハグだけさせて」
 そう言われ、万丈目は十代を抱きしめる。十代が腕につけたデュエルディスクが背中に当たった。十代を抱きしめる感触は、今の十代となんら変わらない。何百年経っても、彼は変わらないままだ。
「万丈目、本当にありがとう。……元気でな」
「お前も気をつけろよ」
「ああ。……さようなら、万丈目。お前に会えて本当によかった。本当に幸せだったよ」
 十代は万丈目の頬を撫でる。キャラメル色の瞳が、金色に変わる。
「オレが出ていったら、しっかり戸締まりして、よく休んでくれよ。……さようなら、万丈目」
 十代は茫然と立ち尽くす万丈目にそう声をかけて、玄関を出た。ドアを閉めるとすぐに鍵のかかる音がしたのを確認して、十代は歩き出した。
 翌朝──万丈目は、案外と爽やかに目が覚めた。夜中に不審な物音に目を覚ましたが、何もなく戸締まりもしっかりしてあったことを覚えている。それを確認したからか、その後はぐっすりと眠れたようだ。
 台所でコーヒーを淹れるために薬缶を使おうとして、水が入っていることに違和感を覚えたが──昨夜は薬缶を洗い忘れたのだったか? 少し首を傾げながら、万丈目は薬缶を洗い湯を沸かし始めた。

◇◆◇

「どうせ記憶を消すなら厄介になればよかったのに」
 魂の中から片割れが言った。真夜中の住宅街で外を歩く者はオレしかいない。うるさくないように魂の中で答えた。
「記憶消されるのはいい気分しない。だからなるべく短い時間の方がいいんだよ」
「向こうは消されたことも気づかないのに?」
「オレが嫌なんだ。それに浮気させるみたいじゃん」
「キミが相手でも浮気になるのかい」
「あいつが結婚してるのはこの時間のオレで今のオレじゃないだろ。オレだってそうだ」
 もう一度共に過ごせたらと思わないわけじゃない。でもオレが愛しているのは百年足らずを共に過ごしたあいつだ。
 今は服の下にある、首に下げた指輪を撫でる。オレの指輪を万丈目の墓に入れる代わりに、万丈目の指輪をもらった。それを頼んだとき、骨を持ち出されるよりマシだとシワだらけの顔が微笑んだ。今はもうその墓もないから、もらっておいてよかったと思う。果てのない旅に荷物は増やせないけど、指輪を首から下げるくらいはできる。
 もう家からはずいぶん離れた。立ち止まって振り向く。小さな家はさらに小さく見える。万丈目はたまに「あばら家」だなんて呼んだ、古くて、狭くて、夏は暑くて、冬に隙間風の入る家。確か十年も暮らさなかったと思う。どの家もそうだ。オレの姿が変わらないから、十年と同じ場所にいられない。
 それでもあいつはずっと一緒にいてくれた。
「本当に幸せだったよ」
 小さく声に出す。もう一度さよならを言って、オレはまた歩き出した。

2025/03/18
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