【改行増版】遊城十代が死んだ

 遊城十代の葬儀が終わった。

 葬儀への参列経験が多いわけではないが、一般的なよくある葬儀だったのではないかと思う。暗い顔の参列者、僧の読経、棺の中の、遺体──。

 棺の中の「遊城十代」はこのとのろすっかり見慣れた遊城十代の寝顔とそっくりだった。精巧にできた人形であろうとわかっているはずが、粛粛と行われていく葬儀の最中「本当に遊城十代は死んだのではないか」と思ってしまった。自宅を出る前には生きた遊城十代に見送られたにも関わらず。

 初めて会った十代の両親は、事件に居合わせた万丈目に迷惑をかけたとしきりに謝った。十代がひどく申し訳なさそうに「迷惑」という言葉を使うのは彼らの影響なのだろうと思った。

 参列者は多かった。親しい友人たちはもちろん、デュエルアカデミア本校の教師陣にトメさん、ノース校の市ノ瀬校長。かつて十代とデュエルをしたことがあるというプロデュエリスト数名も顔を見せた。

 そしてインダストリアル・イリュージョン社会長ペガサス、デュエルキング武藤遊戯──十代が生きていることを知る二人から、万丈目は「ジェイデンを頼む」とそれぞれに言われた。二人の言葉でやはり遊城十代は生きているのだと改めて思った。

「おかえり」

 万丈目が帰宅すると、十代は珍しく玄関まで出迎えた。葬儀が気がかりだったのか心配そうな顔をしている。

「……幽霊じゃないよな」
「足ならあるぜ」

 十代は足を少し上げてみせた。茶色の毛足ある生地のスリッパは、ハネクリボーみたいだと十代が気に入って買ったものだった。

「……葬儀は滞りなく終わった。その後の火葬や何やらは知らないが」

「火葬?」
「遺体があった」
「マジ?」
「マジだ」
「へえー。会長が用意したのかなあ」

 葬儀代はすべてインダストリアル・イリュージョン社が出したそうだ。葬儀社にも手を回しているのだろう。十代の葬儀までには事件から一ヶ月ほどかかっていた。その間に精巧な人形を用意したものと思われる。

「ま、お疲れさん。お茶でも飲むか?」
「頼む」

 万丈目は自室へ行き、十代はリビングへと入る。万丈目が着替えてリビングに行くと十代は茶の入った湯飲みをローテーブルに置いてソファに座っていた。万丈目もその隣に座る。

 ソファ横に置きっぱなしだった十代の荷物は、先日インダストリアル・イリュージョン社から彼の両親へと送った。十代が回収したのはあの寄せ書き入りの缶だけで、パソコンは万丈目グループの貸し出し扱いだったからしかるべき部署へと返却した。「遊城十代」の遺品は、万丈目の目に見えるところからは消えてしまった。

「参列者は多かったぞ。いつもの連中に先生たち、トメさんもノース校の市ノ瀬校長も来ていた。エドも参列していたぞ。スケジュールを無理矢理空けたんだろうな」

 十代は黙って頷いた。

「天上院くんが泣いていた。吹雪さんも、レイも翔も剣山もな。クロノス教頭も、鮫島校長もトメさんも」

 万丈目は友人たちの様子を話して聞かせた。十代はただ頷きながらそれを聞いていた。悲しそうに、寂しそうにしながら。

「遊戯さんも来ていた」
「そう──わざわざ来てくれたのか」
「ジェイデンくんによろしくと」

 十代は頷いた。遊戯に対して、十代は特別に信頼を寄せているようだった。精霊関係で仕事上も付き合いがあったはずのヨハンやオブライエンにも自分が生きていることを秘密にしているのに、遊戯にだけは伝えている。

 初めましてと遊戯に挨拶をされたとき、万丈目は初めてプロの舞台に立ったときのように緊張した。

「……キミのことは十代くんからよく聞いていたよ。この前は準優勝おめでとう」

 何度も見たバトルシティの映像よりも大人びた顔で武藤遊戯は微笑んだ。ゲーム開発に携わる彼の瞳にはどこか少年らしい輝きが宿っている気がした。

「彼にキミみたいな友達がいてよかった。……ジェイデンくんにもよろしく。日本に慣れないことも多いだろうから力になってあげて」

 誰かに聞かれても差し障りのない言い方だった。その瞳には十代への心配がほんのりとにじみ出ていた。もちろんですと答えると遊戯は安堵したように目を細めた。

 十代と遊戯の間にどれほどの交流があったものか万丈目にはわからない。しかしわざわざ偽の──十代の生を知る者にとっては──葬儀へ参列し万丈目に一言いわなくてはならないほどに遊戯にとっては重要なのだろう。

「いったいデュエルキングとどういう仲なんだ?」

「前にも話したじゃん。遊戯さんとは一緒に世界を守ったんだって! オレと遊星と遊戯さんたちで、未来から来たパラドックスをやっつけてさ──」

 十代は目を輝かせて答えたが、そういえばずいぶん前にもそのわけのわからない話を聞いた気がする。

「遊戯さんは真の卒業デュエルもしてくれたし、それにハネクリボーだってもとは遊戯さんが渡してくれたんだ。なっ、ハネクリ──」

 ハネクリボーの名を呼びかけて、十代は笑顔を消した。

「……どうした?」
「いや、しばらくハネクリボーには会っちゃダメなんだった……」
「どうしてだ?」

 十代に憑いているはずの精霊たちを、事件のあとから万丈目は見ていない。先日デュエルしたときにカードは使っていたはずだが。

「……誰かに見つかるといけないからな。外じゃ会わないようにしてる……」
「外って、家の中でもか?」
「魂の外。魂の中でなら会えるんだけどさ」

 十代は少し寂しそうに言った。魂の中──そういえば、十代は精霊を魂に宿すという離れ業をやってのけるのだった。

「……ん? そういえばうちの雑魚どもも最近見ないな」

「もう一ヶ月経つのに今さらかよ。……あの日、先におジャマたちに頼んだんだよ、万丈目にオレのこと言わないでくれって。うっかり言ったりしないように引っ込んでたんじゃないか? 今はもう出てきていいと思うけど──おジャマたち?」

 十代が呼びかける。

「は~い」
「おひさ~」
「なあに十代のダンナ」

 おジャマ三兄弟がいつもと変わらない様子で現れた。

「ごめんな、万丈目と話したかったろ」
「いいのよぉ。だってほら、ねえ?」

 イエローはにいっと赤い唇をつり上げ、横目で万丈目を見た。

「なんだ気色の悪い」

「うふふ。万丈目のアニキもだいぶ調子が戻ったわね。アタシたち、嘘とか得意じゃないからアニキがつらいときに出てこれなかったけど……」

「お前たちに慰められるつもりはない」
「第一忘れられてたもんな~、オレたち」
「ちょっと悲しいよな」

 グリーンとブラックが言った。

「でもぉ、そのくらい十代のダンナで頭がいっぱいだったのよね」

「……は?」

「大丈夫、お邪魔なんてしないわぁ」
「いくらおジャマでも」
「二人の邪魔はしないよ~」

 三兄弟はけらけらと笑うと姿を消した。

「なっ──なんなんだ! おい!」

 万丈目が呼んでももうおジャマたちは姿を現さなかった。まったく、と万丈目はため息をつく。

「別に邪魔なんかじゃないのにな?」

 十代は首を傾げた。たぶん十代はおジャマたちが含めた意味をわかっていない。

「話を戻すぞ。ああ──精霊といえば、ヨハンが何か勘づいているかもしれん」

「ヨハンが?」

「オレの精霊が十代や覇王について何か言っていなかったか、と聞かれた」

 十代は黙り込んで考え始める。ヨハンやオブライエンに知らせなくていいのか、というのはずっと思っていた。

「……話した方がいいんじゃないのか」

「ヨハンは嘘がつけない。オレも得意じゃないけどさ、嘘つかせたくないよ」

「オレならつかせていいのか」
「万丈目は器用じゃん」

 嫌味を言ったつもりが想定外の答えが返ってくる。ないがしろにされているのではなく、信頼を寄せられている──。

「まあ──万丈目サンダーだからな」

 咄嗟の返答に迷ってそんな言葉が出た。

「でも……あんまり探し回られると困るな」

 十代は電話してくると言いソファから立った。

 その後、三十分ほど後に戻ってきた十代は、少し目を赤くしていた。十代はまたソファに座って冷めた緑茶を飲んだ。

「……大丈夫か」

「うん。会長に電話したら、ちょうどヨハンと会ってたから少しかわってもらって、証人保護プログラムで今は安全な場所にいるって伝えといた」

「……ここのことを言わなかったのか?」

 十代は頷いた。

「証人保護プログラムを受けたって話だけ。新しい名前も居場所も、知らない方がいい。本当は話すのもよくなかったかもしれないけどさ、声聞けてよかったな」

 泣かせちまったけど、と十代は小さく言った。なぜ十代がヨハンに居場所を伝えないのか万丈目にはわからない。万丈目の家ならばヨハンが来ても変ではないのだから、会ってやればいいのに──そんなことを思う。しかし万丈目に話す十代の瞳には頑なな色が見えて、軽軽しくそんなことは言えなかった。

「ああ、会長がさ、火葬とかも無事に全部終わったって。これで本当に──」

 遊城十代は死んだんだ、と十代は呟いた。

「……葬式が終わったからさ、たぶんこれで日常に戻れるよな」

 主語を言わなかったが、両親のことを案じているのだろうと万丈目は思う。

「……迷惑かけ通しだったなあ……」

 十代は悲しげに視線を落とした。

「……お前のご両親に、迷惑をかけたと謝られた」

 十代は表情を強張らせた。唇を引き結んで頷く。

「でもな、そのおかげでオレはプロになった。オレだけじゃなくみんなそうだ。そのことはご両親に伝えておいた」

 確かに、十代くんは、台風みたいにボクや学園のみんなを振り回すこともありましたよ。でも、ボクたちはその風に背中を押されることもたくさんありました。 ボクがプロになったのも彼の影響は大きいと思います。本当に、お世辞じゃなくて。迷惑かけられて怒ることだってありました。

 でも、それ以上のものを彼はボクに、みんなにくれたと思います。ただ迷惑なだけだったら、こんなにみんな集まりません。それに迷惑かけられたって、みんな十代くんが大好きだったんです──。

 彼の両親がどれほど万丈目の言葉を信じたかはわからない。お世辞と思い話半分に聞いたかもしれない。彼の母親は、あの子は本当にいい友達に恵まれたと目元をハンカチで拭っていた。目元には万丈目のようにクマがあるようだった。父親は疲れきった顔で目を少し赤くして礼を述べた。十代の常に泣くまいとするところは父親を見習っているものなのかもしれないと思った。

「喪主挨拶で、お父上が十代は迷惑をかけたがそれだけじゃないと、参列者の方方の顔を見ればわかると、そう仰っていた。お母上も、いい友達に恵まれたと」

 十代は黙って頷く。膝の上で握った拳が震える。

「『遊城十代』は死んだ。今日は葬儀もあった。泣いたって誰も咎めない──咎めるべきでもない。それがお前自身でも」

 拳の上に滴が落ちた。黙って肩を震わせる十代の隣で、万丈目も黙り続けていた。

 葬式が終わったから日常に戻れる、と十代が言った通り、万丈目も日常に戻るために動き始めていた。所属先へは復帰の意向を伝えてある。すぐさま元通りとはいかなくとも、少しずつ日常へと戻っていくはずだ。

 だが、それは以前とは違う日常で、万丈目の家には相変わらず十代が住んでいる。

 ジェイデン・ケントとして生きる彼は日中は黒髪黒目に黒縁眼鏡をすることを常として、元の姿を見るのは眠るときだけになった。気に入りの赤のパジャマを着て、ときにはいつの間にか彼のものになってしまった元万丈目のスウェットを着て。

 同じベッドで眠ることに緊張したのは最初の数日だけで、今はそれもすっかり日常となっていた。万丈目は相変わらず夢見が悪く、深夜に悪夢で目を覚ますこともしばしばだった。十代が元気に生きていることを知っていても、目の前で彼が刺された光景が万丈目の記憶から消えることはない。

 いつだったかに飛び起きた万丈目を十代が抱きしめてなだめ、いつの間にか二人の間にファラオ一匹分の隙間も空かなくなってしまった。それもまた、新たな日常として万丈目の中に組み込まれつつあった。

 十代が以前にどのような日常を送っていたのか万丈目は知らない。今はインダストリアル・イリュージョン社から渡されたパソコンに向かい何かを打ち込み、時折日本支部へと足を運んでいる。守秘義務もあるだろうと何をしているか訊ねたことはない。仕事のない日にはリビングでデュエル雑誌を読んだりテレビでデュエルの中継を見たりしている──それは万丈目の家に一時逗留していたときの彼と同じだった。

 料理のメイン担当は十代で、土日は万丈目が担当することになった。ほとんど毎日三食手料理というのは、ずいぶんと贅沢な気さえした。それも新たな万丈目の日常で、十代の日常でもあった。

 ある日十代は夕食にミートソースを作った。十代の作ったミートソースは、トマトなど入れずケチャップを大量に入れるというものだった。肉が少なくたまねぎとにんじんが大量に入ったそれは、万丈目にはミートソースというより何か別の新しい料理のような気がした。

「こいつは、おふくろの味ってやつ」

 十代が言った。

「こいつとナポリタンにはトマトが入らなくてケチャップだけ」

 万丈目は葬儀で見た十代の母親を思い出す。化粧の下にクマが透けていたその目元は、十代に似ていた気がする。

「……最後に食べたのがいつかも覚えてねーから、本当は違う味かもな。こんな味だったとは、思うんだけど」

 十代は黒い瞳に少し寂しげな色をにじませた。なるほど、野菜のたっぷり入ったそれは、子供に栄養を摂らせようという親心なのかもしれなかった。

「……元の味は知らんが、うまいぞ」

「だろ? ちなみに、こいつを入れるともっとうまい」

 そう言うと十代は、小鉢の白い球体を万丈目の皿に入れた。モッツァレラチーズか。

「自分で料理するようになってから入れたらうまくてさ。結局おふくろの味じゃねーよな」

「進化したと思えばいいんじゃないか?」
「進化? そりゃいいな」

 十代は笑って、チーズを絡めたミートソースを口に運んだ。

 十代が親の話をすることは珍しかった。万丈目は彼の両親をよく知らない。校長から聞き及んだ話では忙しく留守がちであったということと、十代のためとはいえその記憶を消したということくらいだ。あまり印象がいいとはいえない。十代からも長らく親の話など聞くことはなかった。彼の中でも何か心の整理がついてきているのかもしれない。

「親父の味はあんころ餅かなァ。でもさ、うちのあんころ餅は逆だったんだよ、餅ん中にあんこなのに、あんころ餅って呼んでた。変だよな。もとはひいばあちゃんの味らしいんだけど、ひいばあちゃんは親父が小学生のときに亡くなってるらしくて、間違えて覚えてたんじゃねえかな」

 その日はなぜだか十代はそんな思い出話をいくつかした。父親が鍋を火にかけたまま忘れて焦げを取るのが大変だったとか、母親が気まぐれに買ってきたカードパックにウルトラレアがあったとか、かつての些細な日常の話だった。

「昔さ」

 ベッドに横になってから十代は言った。

「夕飯にミートソース作ったんだけど、二人とも今日は帰るって言ってたのに結局帰ってこなくて、ひとりで全部食べたんだよな。あ、一回でじゃなくて、朝にパンにのっけて食べて、昼にドリアにして、って。よくあることなのに妙に覚えてる」

 茶褐色の目が天井を見つめる。なんで思い出したんだろ、と呟く。

「明日、パンにのっけるのとドリアとどっちがいい? ドリアなら昼飯かなって思うんだけど」

 茶色の目が万丈目の方を向いた。瞳を宝石にたとえることがあるが、こいつのそれはそんなお上品なものではなく、キャラメルや栗のような食べ物の方が似合うような気がする。キャラメルはキャラメルでも柔らかいやつではなく、ハードキャンディのやつだ。

「明日は……昼飯はいらない。打ち合わせで、帰るのはたぶん、三時とか、遅ければ夕方だ」

 おお、と十代は目をまたたかせた。

「そっか、出かけるって言ってたな。じゃ、朝にパンと食うか」

 そう言ってから十代は寝返りを打つようにして万丈目に身を寄せた。十代のこんな行動はもう慣れたもので、万丈目はその背に片腕を回して少し背中を撫でてやる。十代の頭は万丈目の肩に寄せられてほんのりとシャンプーの香りがした。

「万丈目が仕事に行っちゃうのが寂しかったのかも」

 今日両親の話をしたことを指しているのか。仕事で忙しく家にいなかったという両親と万丈目を重ねているらしい。万丈目が本格的に復帰すれば帰らない日もあるだろう。

「お前の方がよっぽど帰ってこないだろうが」

 仕事あるいは使命のために世界中、異世界にまで旅をしていた十代とは、会うどころか連絡さえ長らく途絶えることがあった。家を空けるにしても数日であろう万丈目とは比べものにならない。

「あー本当だ。万丈目も寂しい?」
「抜かせ」
「あはは」

 昔から変わらないじゃれあいみたいなやり取り。万丈目も素直に寂しいと言ってやればいいのだろうか。思春期特有の照れやひねくれはもうなくなったと思うが、それでもまだ素直に感情を表現することは得意ではない。十代がヨハンは嘘をつけないけれど万丈目は器用だというのはこのような部分を指すのかもしれなかった。臆面なく十代を親友と呼ぶ彼ならこんなときに寂しいと素直に言うのだろう。

 十代は万丈目の背に腕を回した。これももう日常に組み込まれた些細な動作だ。

 この距離が友達の範囲を越えていることは自覚するが、かといっていわゆる恋人関係というものになるのは想像がつかない。そもそも十代に対して抱く感情が恋であるようには万丈目には思えなかった。学生時代に恋をした女性に向けたような感情が十代に対してあるわけではない。あるいは友情の延長線上であり「親友」とでも分類されるのか。ヨハンの顔と共に彼が十代と気さくに肩を組んだりする姿を思い出し、それに近いものなのかもしれないと思ったが、十代と自分に当てはめようと思うと親友よりも「ライバル」の方がふさわしいと思う。

 ──この距離感のライバルも変か。

 そもそも友情でも慕情でもなく、ただ傷ついた者同士で身を寄せ合っているだけなのだろうか。万丈目は目の前で凄惨な殺人を見て、十代は「遊城十代」として生きられなくなった。同じ出来事から違う傷を抱えた者が互いに寄りかかっているだけなのか──。

「ずっとこうしてられたらいいのに」

 小さな声で十代は言った。この先を思えば十代にはまた世界の脅威との戦いや、精霊売買の組織から狙われるといった穏やかではない日常が待っているのだろう。彼がひとつの場所に留まらないのは、性格や好みだけに起因することではなかったのかもしれない。

「でも、サンダーの活躍はやっぱ見たいな」

 十代は声を明るくした。たぶん今のは十代が珍しく吐いた弱音だった。万丈目は同意してやるべきだったのか、あるいは叱咤激励するべきだったのか。取りこぼしている。

「次は優勝する」

 万丈目は弱音に気づかなかったふりをした。

「ああ! 楽しみだな!」

 それでも十代は首を傾けて万丈目に笑顔を見せた。昔から変わらない、向日葵みたいな明るい笑顔だ。そこに偽りはなく、ふとこぼれた弱音に同意も叱咤激励も必要はなかったのかもしれない。何かしてやらなければと思うのは傲慢だったろうか。万丈目とて時には「もうプロなんて嫌だ」と思うことはあったし、ひとりでいるときに口からこぼれることもあった。でも本気でプロの道を降りたいと思ったわけではない。十代の言葉もこぼれただけで本気ではなかったのかもしれない。

「話してないで早く寝ないとな。明日はお仕事サンダーだ」
「なんだそれは」

 十代はくつくつと笑った。おやすみと言って返事は拒否する。

「……おやすみ」

 万丈目もそう返して目を閉じた。今日は悪夢を見るのだろうか。十代は生きてここにいるのに。この腕の中に。
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