【改行増版】GX最終回後短編集-風のゆくさき
里帰り
年末くらい帰ればとか、お正月にくらい顔を見せたらとか、そんな言葉を友人たちから異口同音に言われた。せっかくの機会だ、またいつ日本に来るかわからないのだから……。
デュエルアカデミアが冬休みに入り、まだ学生の剣山とレイと藤原、そして丸藤兄弟と一緒に遊びに行ったときのことだった。
言われていることは理解する。でも、『家』に帰るのは気が進まなかった。デュエルアカデミアに入学するまでは確かに住んでいた場所なのに、どうにも「親しみ」のようなものがない。幼い頃に欠けてしまった記憶の中に、家への親しみも入っていたのかもしれない。
それでも家に向かったのは手紙を回収するためだった。友人たちから口口に帰るよう促されたのは、まだ手紙を一度も読んでいないと知ったレイががっかりした顔をしたからだ。もちろんそれは十代も申し訳なく思い、謝ってすぐ取りに行くと約束をしたのだ。
久しぶりに入った自宅はいつも通りにしんとしていた。両親に鉢合わせたくないと平日の昼間を選んだのだから当たり前だ。
玄関から上がると途端に小中学生の頃の帰宅した瞬間を思い出す。毎日、玄関に入ると黙って階段を上がり自室へ向かい、鞄の片付けや制服の着替えをした。
今日も同じように自室へと向かう。三年ぶりに入った部屋は、定期的に掃除をしてくれているのかほこりもなくきれいだった。机の上に箱が置いてあり、そこに十代宛の手紙が入っていた。ダイレクトメールなども律儀に入っていたが、レイからの手紙だけを選り分けて鞄に入れようとする。
と、鞄からファラオが這い出てきた。
「どうした?」
十代が抱き上げようとするが、ファラオはするりとその手をよけて絨毯の敷かれた床の上にすとんと降りる。部屋の壁に向かいニャアと鳴いた。
壁には大判のジグソーパズルがかけられている。宇宙の絵柄のそれは、小学生の頃に買ってもらったように思う。壁かジグソーパズルかをしばらく見つめたあと、ファラオは部屋を出ていってしまう。
十代は手紙を鞄にしまいダイレクトメールを手に持ってその後を追った。ファラオは階段を降り、なぜかリビングに繋がるドアの前にいた。十代はドアを開けてやる。ファラオは迷わぬ足取りでキッチンに向かう。
「食べ物のにおいでもしたか?」
そうは言ったものの、キッチンは相変わらず生活感が少なかった。忙しくしている両親は料理などする暇もないのだろう。きれいにしているというよりはあまり使われていない。ファラオはシンクに飛び乗った。
「ああ──喉かわいたのか」
十代は鞄からファラオ用の皿を取り出して水道から水を注ぐ。シンクで飲ませるのもよくないかと思い、床に皿を置いた。ファラオは床に降りてぴちゃぴちゃと水を舐める。十代はそれを眺めながら、しゃがんだついでに床に腰をおろした。
不意に既視感を覚えた。家にいた頃、時折こうしてシンクの前に座り込んでいたことを思い出す。シンク下の収納の戸に背中を預けて、ぼんやりしていた。少し動けば椅子もソファもあるのに。
──なんでこんなとこに座ってたんだろう。
ほんの三年前のことなのに、あまり思い出せない。デュエルアカデミアで過ごした日日があまりに鮮やかで、それより前の記憶はぼやけてしまった。ただでさえ昔の記憶は欠けているというのに。
失った記憶は取り戻したものはあれど、まだまばらだ。少し前までは欠けていることさえ忘れていた。一部しか組めていないジグソーパズルでも、その一部しかないのだと思っていればそれは欠けていることにならない。
でも今はもっとピースがあったことを知ってしまった。その上ピースが全部でいくつあるかもわからないし、どこにあるのかもわからない。見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。欠けたものが何かさえはっきりとわからないのに、欠けているという事実だけがわかっている。
欠けたものをあまり積極的に探してはいない。一番大切なものはもうこの魂と共にある。
だけど。
ユベルが無言のまま十代の隣に座った。とたんに、幼い頃にもユベルがそうしてくれたことを思い出す。
そうだ。あの頃はまだここに踏み台があって、それを椅子代わりに座っていた。ひとりぼっちの夕食のあと、宅配惣菜のトレイや使った箸やコップを洗い、今日も両親は遅くまで戻らないのだろうと寂しい気持ちになってここに座り込んでいた。そんなときにユベルはいつも隣にいてくれたのだ。
どうして忘れてしまったんだろう。こんなに自分を想ってくれているのに。
「踏み台なくなったんだ」
十代が見ていたからだろう。ユベルはそう言った。
「昔は踏み台の上で背伸びしてた」
「そうだっけ」
「大きくなったんだねえ、図体は」
中身は変わらないとでも言いたげだ。こんなところに座り込んでしまう部分については変わっていないのか。家に帰りたくなかったのは、たぶんそういう寂しい気持ちを思い出したくなかったからだ。
逃げている。
自分の感情からも、両親からも。
でも、どんな顔をして会えばいいのだろう。
あなたたちが生み育ててきたものは人間の皮をかぶったばけものだったなんて。
ユベルが姿を消した。ファラオが耳をぴくぴくと動かして、廊下につながるドアを見る。
「十代、帰ってたの。おかえり」
母は、三年ぶりだというのにまるで昨日会ったみたいにそう言った。どんな顔をしたらいいのかと思った直後に会うなんてずいぶん運が悪い。
「……早いね」
「今日は半休取ったの。このところ残業続きで。お父さんももうすぐ帰ってくるよ。十代はなんでそんなとこ……それ、猫?」
母はファラオに目を留める。座り込んでいたことは、猫に水をやるためとごまかしができそうだ。
「ファラオ。水やってた」
「へえ。ずいぶん大きいね。何歳?」
「さあ?」
「拾ったの?」
「レッド寮の猫。飼い主が亡くなったから連れてきた」
その飼い主は幽霊として一緒にいるけど、とは言えない。そうなの、と母はそれ以上追及しなかった。
「ねえ、ファラオちゃん触ってもいい?」
「あー……ファラオが嫌がんなきゃ……」
母は近づいてきてしゃがむと、ファラオにゆっくり手を近づけた。ファラオは手のにおいをかいだだけで特に逃げたりはしない。母はそっとファラオの顎を撫でた。
「人懐っこいね」
レッド寮にいた頃はそうでもなかった気がする。多少十代に似ているから警戒しないのだろうか。久しぶりに近くで見た母の顔にぼんやりとこんな顔だったろうかと思って、自分の記憶力のなさと薄情さに辟易する。
「しばらくここにいるの?」
「いや。手紙取りに来ただけだから」
「ああ、早乙女さん」
何通も手紙が来たからだろう。名前を覚えられてしまったようだ。
「早乙女さんは……その指輪のお相手?」
指輪? と一瞬わからなかったが、はめていたことを思い出す。
「や、これはナンパ避け」
レイに言われてつけたものではあるのだが。待ち合わせのときに声をかけられていた十代にレイが「指輪でもつけたら?」と言ったので百円ショップで買ったものだ。その効果なのか、今のところ声をかけられていない。
「まだお友達?」
「いや、レイは本当にただの友達。筆まめなんだよ。この前もたくさんクリスマスカード買い込んで、友達に送るって言ってた」
そうなの、と母は若干残念そうだった。
「アカデミアの住所から来てるから後輩だよね。何年生?」
「今二年生」
「じゃあ二個下」
「飛び級で来てるから確か十二、三だよ。ジェネックスで準優勝して……」
「ああ、万丈目サンダーが優勝したやつ。そういえば二位が女の子だったね」
話が通じて、意外に思う。確かデュエルに興味はなかったはずだ。
「……わかるんだ、万丈目サンダー」
「だって十代とデュエルしてたじゃない。あのときは変な着ぐるみ着てたけど」
オジャ万丈目か。そういえばテレビ中継されたのだった。まだ一年経っていないのに昔のことのような気がしてしまう。
「見てたんだ、あれ」
「そりゃ、見るよ」
当たり前だとばかりに母は言った。
「あのあと何度かうちに連絡が来たよ、息子さんをプロになるよう説得してくれって。本人が決めることだからって全部切ったけど。結局プロ契約はしなかったの?」
「ああ」
卒業前、学園を通じていくつかプロ契約の申し出が来たがすべて断っていた。
「なにか仕事してる?」
「……インダストリアル・イリュージョン社から請け負いみたいなのしてる」
精霊関係だと言ったら嫌な顔をするだろうか。母からそれ以上は聞かれなかった。
「……子供の頃からお金のことはしっかりしてるから大丈夫だと思うけど、困ったら早めに帰ってきなさいね。ごはん食べさせるくらいはできるから」
なるほど、母の心配はどんな仕事であるかよりも十代に収入があるかどうかだったらしい。食事のことを気にかけてくれるのは子供の頃から変わらない。
「ありがとう」
別に食べなくても死にはしないのだけど。母の気持ちを無碍にするつもりはない。
「今日夕飯食べてく? 忙しくないなら泊まったら。わたしもお父さんも、今日は半休で明日は休みなんだけど」
結局、両親には会わないつもりだったのに会うことになり、夕食を共にし泊まることになった。
断ろうと思う度に「生きてるうちしか会えないんだから」という藤原の言葉が頭をよぎった。
久しぶりに見た父の顔も、母と同じくこんな顔だったろうかと思ってしまった。
父の方が十代の仕事や居場所を気にしていて、ややためらいはあったがインダストリアル・イリュージョン社の依頼で世界中の精霊の調査をして回っていると伝えた。旅費は出るし調査内容によっては多めの報酬も出て経済的な問題はないと言っておいた。
誤解を期待した言い方だと思う。まるで常に調査をしているように聞こえるだろう。実際に依頼は受けたが、まだ一回だけである。今後も頼むと言われているが、年に数回ほどだろうと聞いている。
経済的な問題がないことは単純に事実だった。精霊調査の相場など十代にはわからないが結構な金額をもらってしまったし、異世界にいると人間の金銭など通用しないから出費そのものがない。異世界で精霊を助けた礼にもらった小石が人間界では希少な宝石だった、なんて収入もあった。旅先が異世界にまで及んでいることはもちろん口にしなかったが。
精霊に関わり続けていることをあまりよく思われていないとその顔から察することはできたが、明確に何かを言われることはなかった。三年以上ろくに連絡をしなかったことや卒業後にそのまま旅に出たことに小言のひとつも言われるかと気構えていたのも肩透かしだった。独り立ちした以上はもう十代に干渉をするつもりはないのかもしれない。
でも、一人で大丈夫なのかと聞かれたときにユベルがいるから一人ではないとは言えなかった。また記憶を消そうとするのだろうかと、そんなことを思ってしまった。
ユベルと融合してから、記憶の欠落は両親の意思だったと知った。異世界から帰還してすぐ後、翔に記憶が戻ってよかったと言われて、なんの話かと聞き返した。
「だってユベルの記憶を消されたって……アニキ知らなかったの?」
あのとき、十代より翔の方が困惑していたと思う。当の本人が知らないとは思わなかったのだろう。翔は校長から聞いたと言っており、両親は息子の行く末を案じて校長に事情を伝えていたものらしかった。翔の話を聞くに記憶の操作は十代を想ってのことだったらしい。だからといっていい気分はしない。
当時、夢を通じてユベルの苦しむ姿を見るのは確かにつらかった。何もできない自分が悔しかった。うろ覚えだがたくさん泣いていたと思う。幼い子供のそんな姿を見たらなんとかしたくなるのが親心だろうと──それは理解できる。
でも、記憶を失わなければどんな未来になっていたのだろう。ユベルは孤独に苛まれずに済んだだろうか? もっと早くに宿命を自覚していたら、あんな間違いを犯さずに済んだのか?
もしもの話なんて考えてもきりがない。思うところはあれど恨みには思わなかった。両親はやるべきだと思ったことをやったのだと思う。
それは間違いに向かって突き進んだときの十代も似たようなものだ──のちに最悪の事態を引き起こすなんて、そのときには思いもしない。
両親のしたことが間違いだったのかどうかはよくわからない。記憶を消しユベルとの接触を断たなければ、いずれは光の波動により十代も影響を受けて死んでいた可能性だってある。
ユベルが何もできない幼い十代への接触を続けた理由は本当に十代と会うことだったのか? 覇王の魂を持つ子供が大人になる前に消えることは光の波動にとって何より望ましいことだろう。ユベル自身にそのつもりはなくとも、無防備な幼い魂が光の波動に接触していたらどうなっていたのだろう? ユベルとの距離はあまりに遠く、光の波動が十代に影響を及ぼすことはなかったのかもしれない。
だとして幼い心が苦しむユベルを目の当たりにし続けて平気だったと断言はできない。宿命の眠る魂は幼くともそれに耐えたのだろうか。
少し道が違えばどうであったかなど、十代本人にも誰にもわからない。これまでの十代自身の選択も十代の周囲の選択も、どちらも最善であったとはとても言えないだろう。
それでも今は、こうしてユベルと共にいる。両親と一応は元気な姿で会うことができている。それこそを僥倖と思うべきなのかもしれない。光の波動やダークネスのような世界の危機を持ち出さずとも、人の命は儚いものだ。
両親は十代がデュエルアカデミアに行ってからはときどきテレビでデュエルを見るようになったそうだ。最近は同窓のエド・フェニックスや万丈目サンダーをよく見ているのだという。出前の寿司を食べながら録画していた万丈目の試合を見た。
十代は万丈目やエドの活躍を気にしてはいるものの、なかなか追うことはできない。今は両親の方がエドや万丈目の戦績に詳しいのかもしれない。
三年前は食卓でデュエルの話をすることなどなかったことを思えばそれは両親なりの歩み寄りなのかもしれなかった。そもそも共に食卓を囲む機会も少なかったけれど。
夜、三年ぶりに自室のベッドに寝た。あまり懐かしさは感じなくて、本当にここに寝起きしていたのだろうかとさえ思ってしまう。
「ずいぶん疲れたみたいだね」
ため息をついたからだろうか、ユベルがそう声をかけてきた。
「……緊張した」
実の親だというのに、何を話すべきなのかと常に迷う。それは向こうも同じようで、特に十代自身のことを聞く際には迷いがあるように見えた。それは気遣いなのかもしれないし、罪悪感なのかもしれない。昔の話をされても合点のいかない十代に両親はやや気まずそうにしていた。単なる物忘れなのか記憶操作の影響なのか両親にもわからないのだろう。
しかし多少のごまかしや隠し事はあれど、両親との会話は想像よりも穏やかだった。前のようにギスギスしてしまうのではないかと心配していた。
──前のように?
思ってから違和感に気づく。十代は両親と関わり自体が薄いのだ。いったいいつ「ギスギスした」ときがあった? 具体的には思い出せない。でも何かはあった気がする──。
またため息が出た。そうか。ここにいると欠けが目立つのだ。帰ることへの拒否感はそれも理由だったのかもしれない。
「もう寝たら」
ユベルが頭を撫でる。幼い頃にもされたことを覚えている。
「……おやすみ、ユベル」
「おやすみ十代」
ユベルは記憶にあるのと同じようにやさしく微笑んだ。それから十代の中に戻っていく。十代は部屋の明かりを消して目を閉じた。
夢を見た。ネオスたちの絵を描いていた、幼い頃だ。
お父さんとお母さんが言っていた。あんなカード捨ててしまった方がいいんじゃないかって。だから、ユベルも一緒に宇宙へ行けるようにお願いした。宇宙の正しい力があれば、きっとユベルも正しい心を取り戻してくれるはず。
友達も一緒だからきっと寂しくないよ。戻ってきたらみんなで一緒にデュエルをしよう。ユベルがいないとこの家でひとりぼっちになってしまうけど、今だけの我慢だ。
そう思っていたのに。
どうしてユベルは苦しそうなの?
全然眠れていないみたいなの、夜中にユベルユベルってうなされて──。
またあのカードなのか? どうして十代がこんな目に──。
ユベルは何も悪くないよ、助けてって言ってるだけなんだ。
でも、夢の中で何もできない。ただ苦しむユベルを見ていることしか。
眠れるように病院へ──。
もうあんな夢を見ないように──。
つらいのは、悲しいのは、眠れないことじゃない。
どうしてわかってくれないの。
目が覚める。まだ暗い。ため息をついてまた目を閉じた。
少しだけ思い出した。ユベルを宇宙へ送った後、あの頃がおそらく一番「ギスギスして」いた。眠れない十代に両親は戸惑い心配し、ユベルを責める言葉を口にすることもあった。十代はユベルが悪いわけじゃないとむくれたり泣いたりしていた。睡眠不足による苛立ちや不安もあったのだと思う。両親との仲はたぶんあのときが一番険悪で──。
その後は関わりが薄くなったのだ。
記憶の操作がどこまで記憶を奪ってしまったのか、十代にはよくわからない。家に愛着が持てないのも両親の顔を覚えていられないのもそのせいかもしれないし、単に十代自身の関心が薄いとか物覚えが悪いだけかもしれない。
申し訳ないと思う。悪い結果となったとはいえ、両親のしたことは十代を考えてのことだ。眠れない日が続けばいずれは身体を壊しただろう。光の波動のことなど知らない両親がユベルや精霊のことを悪く思うことだって仕方がない。
仕方がないけれど。
頭を撫でられる感覚がする──実際に触れられてはいない。ユベルに触れられる感覚は通常の触覚とは違うもので感じ取れる。十代は子供の頃からこの五感と違う不思議な感覚が好きだ。
目を開ければユベルがそばにいる。少し心配そうに十代を見つめていた。
ユベルは幼い頃にも悪夢を見て目を覚ました十代にこうしてくれた。十代が寂しいときや不安なときにいつも寄り添ってくれていた──たぶん両親よりも。
仕方のないことなのだ。両親は仕事が忙しく、それは十代を経済的に不自由なく育てるためでもあっただろう。デュエルアカデミアという学費の安いとはいえない学校へ行きたいという十代のために、中学生の頃は学習塾にも通わせてくれた──残念ながらあまり成績はよくならなかったが。
金を出すことがそのまま愛情ではないにしろ、十代の希望を叶えることに金を惜しむことはなかったし、精霊をよく思わなくてもデュエルを取り上げることはなかった。関わりが薄いというと印象が悪いが、余計な手出し口出しをしなかったということでもある。デュエルアカデミアに行くこと自体を反対された子供は数多くいるだろう。
恵まれているのだと──思う。
ユベルの指が十代の眉間をつつく。たぶんしわが寄っていたのだ。
「考えごと?」
「──親不孝だなと思って」
なんだい、とユベルがくすりと笑う。
「どこが?」
「顔もあんまり覚えてなかったし、本当はあんまり会いたくなかったし」
口にすると改めて薄情だと思う。
「実際あんまり会ってないんだ。当たり前だろ」
ユベルはあっさりとそう言った。
「そうか?」
「ボクが覚えてるだけでもキミたち親子の会う時間は少なかった。朝起きて少し顔を会わせたらもういない。夜はキミが寝てから帰ってくることもしばしば。休日も似たような日が少なくなかった。どうせずっとそれは変わらなかったろ」
「まあね」
「それでキミは三年帰ってないんだ。顔くらい忘れる」
ただでさえキミは覚えが悪いし、とユベルはつけ加える。
「で──それはキミの両親がキミに向き合ってこなかったということでもある。仕事が忙しいのは事実だろうが、キミの両親が選択してキミに会わなかったんだよ」
「仕方ないよ」
「うん、キミは昔からそう言う。まあ子供を育てるにはお金がかかるし、キミの大好きなデュエルモンスターズもデュエルアカデミアもお金がかかる。
キミの両親はそういうのを理由にキミと会わない選択をし続けてきたんだ。
顔を覚えられないのも会ってどうしたらいいのかわからないのも、そもそもキミの両親がこれまでろくにキミと会って話してこなかったからじゃないか。
向こうがさんざんその選択をしてきたのに、キミが会わない選択、話さない選択をして何が悪い」
両親がその選択をし続けた──。
「……そんな風に考えたことなかった」
仕事が忙しいのだから仕方がないと思うだけで。
「親の言葉を鵜呑みにしてた?」
「たぶん──興味がないだけ」
「向こうも似たようなものさ。キミの事情をすべて知りたいと思うほどの興味も覚悟もなく、当たり障りのない家族ごっこをしてる」
ユベルの手が十代の髪を撫でるように動く。目にはほんの少し意地悪な色がある気がした。でも髪を撫でる手はやさしい。
「ごっことは口が悪いなぁ」
「実際そうだろ。無難な家族のふりをしている。でもそれが悪いと言いたいわけじゃない。関係を続けるために踏み込むべきでないラインというものはあるだろう。親子だろうとね。キミはこの場を去ることもできたのに、その家族ごっこに付き合ってる。別に親不孝じゃないさ」
減らず口ではなく慰めだったらしい。でも。
「無難な──ふりか」
「先に始めたのは向こうだ」
原因はオレの方だ──。
「家族ごっこしたいならすればいいし、したくないなら今からでも出ていけば? キミは何をしたい? 両親とどうなりたいんだ? うじうじと親不孝だのなんだの考えてないで、そっちを考えなよ」
二色の目はまっすぐ十代を見ている。ユベルは呆れているのかもしれない。十代は腹を決めかねている。このまま肝心なことをなにも話さない「無難な家族ごっこ」をするのかそうでないのか。
でもそれをしたところで十年もつかどうかだ。時間がいずれ十代が「無難な家族」ではないことを明らかにする。
いや。最初から十代は「無難な家族」などではない。両親も幼い頃から察しはついているはずだ。
だから両親は無難な家族のふりを「先に始めた」──ユベルの方が十代よりもこの家族のかたちが見えている。十代は見ようともしていないのかもしれない。
自分を責めたり憐れんだりしていれば、考えたくないことから目を逸らせる──ユベルはそれを今全部並べ立ててしまったけれど。
両親が選択して十代と会わなかった。
十代の異質さから目を逸らして無難な家族のふりをした。
十代もそれに乗って異質ではないふりをしようとした。
そもそもそれは十代のためでもあっただろう。経済的な不自由をさせたくなかった、いい学校に入れたかった、普通の人生を送らせたかった、そんな愛情からくる行動だったかもしれない。
でも、それは理解からは遠い。
──理解されたいのか?
知れば拒絶される可能性もある。曖昧なまま十代が異質な子供であることから目を逸らし続ければ「無難な家族ごっこ」はできる。十代が嘘をつき続ければ。
──嘘をつきたくないんだ。
それは十代のわがままなのかもしれない。人間関係に多少の嘘は必要だ。たぶん赤の他人なら多少の嘘に何も思わない。
愛している人に嘘はつきたくない──理由はそちらの方が正確かもしれない。関わりが薄くても、顔を覚えていられなくても、愛している。
嘘をつくことが相手のためになる場合もあるだろう。これは自分自身のためだ。愛している人に嘘をつきたくない。そして。
愛しているひとを隠したくもない。
十代はユベルに手を伸ばして、先程してもらったように髪を撫でる。
「……明日、両親と話すよ」
「いい結果にならないかもよ」
自分が「無難な家族ごっこ」から降りれば、家族でいられなくなるかもしれない。
「どんな結果でも受け入れる」
そう、とユベルは答えた。真剣な目で十代の瞳を見つめて、そっと頬を撫でた。
「おやすみ、十代」
「おやすみ、ユベル」
ユベルは微笑み、十代の中へ消えた。
ここで眠るのは最後になるかもしれない──そう思いながら、十代は目を閉じた。
2024/12/21
2025/01/29 改行増版
年末くらい帰ればとか、お正月にくらい顔を見せたらとか、そんな言葉を友人たちから異口同音に言われた。せっかくの機会だ、またいつ日本に来るかわからないのだから……。
デュエルアカデミアが冬休みに入り、まだ学生の剣山とレイと藤原、そして丸藤兄弟と一緒に遊びに行ったときのことだった。
言われていることは理解する。でも、『家』に帰るのは気が進まなかった。デュエルアカデミアに入学するまでは確かに住んでいた場所なのに、どうにも「親しみ」のようなものがない。幼い頃に欠けてしまった記憶の中に、家への親しみも入っていたのかもしれない。
それでも家に向かったのは手紙を回収するためだった。友人たちから口口に帰るよう促されたのは、まだ手紙を一度も読んでいないと知ったレイががっかりした顔をしたからだ。もちろんそれは十代も申し訳なく思い、謝ってすぐ取りに行くと約束をしたのだ。
久しぶりに入った自宅はいつも通りにしんとしていた。両親に鉢合わせたくないと平日の昼間を選んだのだから当たり前だ。
玄関から上がると途端に小中学生の頃の帰宅した瞬間を思い出す。毎日、玄関に入ると黙って階段を上がり自室へ向かい、鞄の片付けや制服の着替えをした。
今日も同じように自室へと向かう。三年ぶりに入った部屋は、定期的に掃除をしてくれているのかほこりもなくきれいだった。机の上に箱が置いてあり、そこに十代宛の手紙が入っていた。ダイレクトメールなども律儀に入っていたが、レイからの手紙だけを選り分けて鞄に入れようとする。
と、鞄からファラオが這い出てきた。
「どうした?」
十代が抱き上げようとするが、ファラオはするりとその手をよけて絨毯の敷かれた床の上にすとんと降りる。部屋の壁に向かいニャアと鳴いた。
壁には大判のジグソーパズルがかけられている。宇宙の絵柄のそれは、小学生の頃に買ってもらったように思う。壁かジグソーパズルかをしばらく見つめたあと、ファラオは部屋を出ていってしまう。
十代は手紙を鞄にしまいダイレクトメールを手に持ってその後を追った。ファラオは階段を降り、なぜかリビングに繋がるドアの前にいた。十代はドアを開けてやる。ファラオは迷わぬ足取りでキッチンに向かう。
「食べ物のにおいでもしたか?」
そうは言ったものの、キッチンは相変わらず生活感が少なかった。忙しくしている両親は料理などする暇もないのだろう。きれいにしているというよりはあまり使われていない。ファラオはシンクに飛び乗った。
「ああ──喉かわいたのか」
十代は鞄からファラオ用の皿を取り出して水道から水を注ぐ。シンクで飲ませるのもよくないかと思い、床に皿を置いた。ファラオは床に降りてぴちゃぴちゃと水を舐める。十代はそれを眺めながら、しゃがんだついでに床に腰をおろした。
不意に既視感を覚えた。家にいた頃、時折こうしてシンクの前に座り込んでいたことを思い出す。シンク下の収納の戸に背中を預けて、ぼんやりしていた。少し動けば椅子もソファもあるのに。
──なんでこんなとこに座ってたんだろう。
ほんの三年前のことなのに、あまり思い出せない。デュエルアカデミアで過ごした日日があまりに鮮やかで、それより前の記憶はぼやけてしまった。ただでさえ昔の記憶は欠けているというのに。
失った記憶は取り戻したものはあれど、まだまばらだ。少し前までは欠けていることさえ忘れていた。一部しか組めていないジグソーパズルでも、その一部しかないのだと思っていればそれは欠けていることにならない。
でも今はもっとピースがあったことを知ってしまった。その上ピースが全部でいくつあるかもわからないし、どこにあるのかもわからない。見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。欠けたものが何かさえはっきりとわからないのに、欠けているという事実だけがわかっている。
欠けたものをあまり積極的に探してはいない。一番大切なものはもうこの魂と共にある。
だけど。
ユベルが無言のまま十代の隣に座った。とたんに、幼い頃にもユベルがそうしてくれたことを思い出す。
そうだ。あの頃はまだここに踏み台があって、それを椅子代わりに座っていた。ひとりぼっちの夕食のあと、宅配惣菜のトレイや使った箸やコップを洗い、今日も両親は遅くまで戻らないのだろうと寂しい気持ちになってここに座り込んでいた。そんなときにユベルはいつも隣にいてくれたのだ。
どうして忘れてしまったんだろう。こんなに自分を想ってくれているのに。
「踏み台なくなったんだ」
十代が見ていたからだろう。ユベルはそう言った。
「昔は踏み台の上で背伸びしてた」
「そうだっけ」
「大きくなったんだねえ、図体は」
中身は変わらないとでも言いたげだ。こんなところに座り込んでしまう部分については変わっていないのか。家に帰りたくなかったのは、たぶんそういう寂しい気持ちを思い出したくなかったからだ。
逃げている。
自分の感情からも、両親からも。
でも、どんな顔をして会えばいいのだろう。
あなたたちが生み育ててきたものは人間の皮をかぶったばけものだったなんて。
ユベルが姿を消した。ファラオが耳をぴくぴくと動かして、廊下につながるドアを見る。
「十代、帰ってたの。おかえり」
母は、三年ぶりだというのにまるで昨日会ったみたいにそう言った。どんな顔をしたらいいのかと思った直後に会うなんてずいぶん運が悪い。
「……早いね」
「今日は半休取ったの。このところ残業続きで。お父さんももうすぐ帰ってくるよ。十代はなんでそんなとこ……それ、猫?」
母はファラオに目を留める。座り込んでいたことは、猫に水をやるためとごまかしができそうだ。
「ファラオ。水やってた」
「へえ。ずいぶん大きいね。何歳?」
「さあ?」
「拾ったの?」
「レッド寮の猫。飼い主が亡くなったから連れてきた」
その飼い主は幽霊として一緒にいるけど、とは言えない。そうなの、と母はそれ以上追及しなかった。
「ねえ、ファラオちゃん触ってもいい?」
「あー……ファラオが嫌がんなきゃ……」
母は近づいてきてしゃがむと、ファラオにゆっくり手を近づけた。ファラオは手のにおいをかいだだけで特に逃げたりはしない。母はそっとファラオの顎を撫でた。
「人懐っこいね」
レッド寮にいた頃はそうでもなかった気がする。多少十代に似ているから警戒しないのだろうか。久しぶりに近くで見た母の顔にぼんやりとこんな顔だったろうかと思って、自分の記憶力のなさと薄情さに辟易する。
「しばらくここにいるの?」
「いや。手紙取りに来ただけだから」
「ああ、早乙女さん」
何通も手紙が来たからだろう。名前を覚えられてしまったようだ。
「早乙女さんは……その指輪のお相手?」
指輪? と一瞬わからなかったが、はめていたことを思い出す。
「や、これはナンパ避け」
レイに言われてつけたものではあるのだが。待ち合わせのときに声をかけられていた十代にレイが「指輪でもつけたら?」と言ったので百円ショップで買ったものだ。その効果なのか、今のところ声をかけられていない。
「まだお友達?」
「いや、レイは本当にただの友達。筆まめなんだよ。この前もたくさんクリスマスカード買い込んで、友達に送るって言ってた」
そうなの、と母は若干残念そうだった。
「アカデミアの住所から来てるから後輩だよね。何年生?」
「今二年生」
「じゃあ二個下」
「飛び級で来てるから確か十二、三だよ。ジェネックスで準優勝して……」
「ああ、万丈目サンダーが優勝したやつ。そういえば二位が女の子だったね」
話が通じて、意外に思う。確かデュエルに興味はなかったはずだ。
「……わかるんだ、万丈目サンダー」
「だって十代とデュエルしてたじゃない。あのときは変な着ぐるみ着てたけど」
オジャ万丈目か。そういえばテレビ中継されたのだった。まだ一年経っていないのに昔のことのような気がしてしまう。
「見てたんだ、あれ」
「そりゃ、見るよ」
当たり前だとばかりに母は言った。
「あのあと何度かうちに連絡が来たよ、息子さんをプロになるよう説得してくれって。本人が決めることだからって全部切ったけど。結局プロ契約はしなかったの?」
「ああ」
卒業前、学園を通じていくつかプロ契約の申し出が来たがすべて断っていた。
「なにか仕事してる?」
「……インダストリアル・イリュージョン社から請け負いみたいなのしてる」
精霊関係だと言ったら嫌な顔をするだろうか。母からそれ以上は聞かれなかった。
「……子供の頃からお金のことはしっかりしてるから大丈夫だと思うけど、困ったら早めに帰ってきなさいね。ごはん食べさせるくらいはできるから」
なるほど、母の心配はどんな仕事であるかよりも十代に収入があるかどうかだったらしい。食事のことを気にかけてくれるのは子供の頃から変わらない。
「ありがとう」
別に食べなくても死にはしないのだけど。母の気持ちを無碍にするつもりはない。
「今日夕飯食べてく? 忙しくないなら泊まったら。わたしもお父さんも、今日は半休で明日は休みなんだけど」
結局、両親には会わないつもりだったのに会うことになり、夕食を共にし泊まることになった。
断ろうと思う度に「生きてるうちしか会えないんだから」という藤原の言葉が頭をよぎった。
久しぶりに見た父の顔も、母と同じくこんな顔だったろうかと思ってしまった。
父の方が十代の仕事や居場所を気にしていて、ややためらいはあったがインダストリアル・イリュージョン社の依頼で世界中の精霊の調査をして回っていると伝えた。旅費は出るし調査内容によっては多めの報酬も出て経済的な問題はないと言っておいた。
誤解を期待した言い方だと思う。まるで常に調査をしているように聞こえるだろう。実際に依頼は受けたが、まだ一回だけである。今後も頼むと言われているが、年に数回ほどだろうと聞いている。
経済的な問題がないことは単純に事実だった。精霊調査の相場など十代にはわからないが結構な金額をもらってしまったし、異世界にいると人間の金銭など通用しないから出費そのものがない。異世界で精霊を助けた礼にもらった小石が人間界では希少な宝石だった、なんて収入もあった。旅先が異世界にまで及んでいることはもちろん口にしなかったが。
精霊に関わり続けていることをあまりよく思われていないとその顔から察することはできたが、明確に何かを言われることはなかった。三年以上ろくに連絡をしなかったことや卒業後にそのまま旅に出たことに小言のひとつも言われるかと気構えていたのも肩透かしだった。独り立ちした以上はもう十代に干渉をするつもりはないのかもしれない。
でも、一人で大丈夫なのかと聞かれたときにユベルがいるから一人ではないとは言えなかった。また記憶を消そうとするのだろうかと、そんなことを思ってしまった。
ユベルと融合してから、記憶の欠落は両親の意思だったと知った。異世界から帰還してすぐ後、翔に記憶が戻ってよかったと言われて、なんの話かと聞き返した。
「だってユベルの記憶を消されたって……アニキ知らなかったの?」
あのとき、十代より翔の方が困惑していたと思う。当の本人が知らないとは思わなかったのだろう。翔は校長から聞いたと言っており、両親は息子の行く末を案じて校長に事情を伝えていたものらしかった。翔の話を聞くに記憶の操作は十代を想ってのことだったらしい。だからといっていい気分はしない。
当時、夢を通じてユベルの苦しむ姿を見るのは確かにつらかった。何もできない自分が悔しかった。うろ覚えだがたくさん泣いていたと思う。幼い子供のそんな姿を見たらなんとかしたくなるのが親心だろうと──それは理解できる。
でも、記憶を失わなければどんな未来になっていたのだろう。ユベルは孤独に苛まれずに済んだだろうか? もっと早くに宿命を自覚していたら、あんな間違いを犯さずに済んだのか?
もしもの話なんて考えてもきりがない。思うところはあれど恨みには思わなかった。両親はやるべきだと思ったことをやったのだと思う。
それは間違いに向かって突き進んだときの十代も似たようなものだ──のちに最悪の事態を引き起こすなんて、そのときには思いもしない。
両親のしたことが間違いだったのかどうかはよくわからない。記憶を消しユベルとの接触を断たなければ、いずれは光の波動により十代も影響を受けて死んでいた可能性だってある。
ユベルが何もできない幼い十代への接触を続けた理由は本当に十代と会うことだったのか? 覇王の魂を持つ子供が大人になる前に消えることは光の波動にとって何より望ましいことだろう。ユベル自身にそのつもりはなくとも、無防備な幼い魂が光の波動に接触していたらどうなっていたのだろう? ユベルとの距離はあまりに遠く、光の波動が十代に影響を及ぼすことはなかったのかもしれない。
だとして幼い心が苦しむユベルを目の当たりにし続けて平気だったと断言はできない。宿命の眠る魂は幼くともそれに耐えたのだろうか。
少し道が違えばどうであったかなど、十代本人にも誰にもわからない。これまでの十代自身の選択も十代の周囲の選択も、どちらも最善であったとはとても言えないだろう。
それでも今は、こうしてユベルと共にいる。両親と一応は元気な姿で会うことができている。それこそを僥倖と思うべきなのかもしれない。光の波動やダークネスのような世界の危機を持ち出さずとも、人の命は儚いものだ。
両親は十代がデュエルアカデミアに行ってからはときどきテレビでデュエルを見るようになったそうだ。最近は同窓のエド・フェニックスや万丈目サンダーをよく見ているのだという。出前の寿司を食べながら録画していた万丈目の試合を見た。
十代は万丈目やエドの活躍を気にしてはいるものの、なかなか追うことはできない。今は両親の方がエドや万丈目の戦績に詳しいのかもしれない。
三年前は食卓でデュエルの話をすることなどなかったことを思えばそれは両親なりの歩み寄りなのかもしれなかった。そもそも共に食卓を囲む機会も少なかったけれど。
夜、三年ぶりに自室のベッドに寝た。あまり懐かしさは感じなくて、本当にここに寝起きしていたのだろうかとさえ思ってしまう。
「ずいぶん疲れたみたいだね」
ため息をついたからだろうか、ユベルがそう声をかけてきた。
「……緊張した」
実の親だというのに、何を話すべきなのかと常に迷う。それは向こうも同じようで、特に十代自身のことを聞く際には迷いがあるように見えた。それは気遣いなのかもしれないし、罪悪感なのかもしれない。昔の話をされても合点のいかない十代に両親はやや気まずそうにしていた。単なる物忘れなのか記憶操作の影響なのか両親にもわからないのだろう。
しかし多少のごまかしや隠し事はあれど、両親との会話は想像よりも穏やかだった。前のようにギスギスしてしまうのではないかと心配していた。
──前のように?
思ってから違和感に気づく。十代は両親と関わり自体が薄いのだ。いったいいつ「ギスギスした」ときがあった? 具体的には思い出せない。でも何かはあった気がする──。
またため息が出た。そうか。ここにいると欠けが目立つのだ。帰ることへの拒否感はそれも理由だったのかもしれない。
「もう寝たら」
ユベルが頭を撫でる。幼い頃にもされたことを覚えている。
「……おやすみ、ユベル」
「おやすみ十代」
ユベルは記憶にあるのと同じようにやさしく微笑んだ。それから十代の中に戻っていく。十代は部屋の明かりを消して目を閉じた。
夢を見た。ネオスたちの絵を描いていた、幼い頃だ。
お父さんとお母さんが言っていた。あんなカード捨ててしまった方がいいんじゃないかって。だから、ユベルも一緒に宇宙へ行けるようにお願いした。宇宙の正しい力があれば、きっとユベルも正しい心を取り戻してくれるはず。
友達も一緒だからきっと寂しくないよ。戻ってきたらみんなで一緒にデュエルをしよう。ユベルがいないとこの家でひとりぼっちになってしまうけど、今だけの我慢だ。
そう思っていたのに。
どうしてユベルは苦しそうなの?
全然眠れていないみたいなの、夜中にユベルユベルってうなされて──。
またあのカードなのか? どうして十代がこんな目に──。
ユベルは何も悪くないよ、助けてって言ってるだけなんだ。
でも、夢の中で何もできない。ただ苦しむユベルを見ていることしか。
眠れるように病院へ──。
もうあんな夢を見ないように──。
つらいのは、悲しいのは、眠れないことじゃない。
どうしてわかってくれないの。
目が覚める。まだ暗い。ため息をついてまた目を閉じた。
少しだけ思い出した。ユベルを宇宙へ送った後、あの頃がおそらく一番「ギスギスして」いた。眠れない十代に両親は戸惑い心配し、ユベルを責める言葉を口にすることもあった。十代はユベルが悪いわけじゃないとむくれたり泣いたりしていた。睡眠不足による苛立ちや不安もあったのだと思う。両親との仲はたぶんあのときが一番険悪で──。
その後は関わりが薄くなったのだ。
記憶の操作がどこまで記憶を奪ってしまったのか、十代にはよくわからない。家に愛着が持てないのも両親の顔を覚えていられないのもそのせいかもしれないし、単に十代自身の関心が薄いとか物覚えが悪いだけかもしれない。
申し訳ないと思う。悪い結果となったとはいえ、両親のしたことは十代を考えてのことだ。眠れない日が続けばいずれは身体を壊しただろう。光の波動のことなど知らない両親がユベルや精霊のことを悪く思うことだって仕方がない。
仕方がないけれど。
頭を撫でられる感覚がする──実際に触れられてはいない。ユベルに触れられる感覚は通常の触覚とは違うもので感じ取れる。十代は子供の頃からこの五感と違う不思議な感覚が好きだ。
目を開ければユベルがそばにいる。少し心配そうに十代を見つめていた。
ユベルは幼い頃にも悪夢を見て目を覚ました十代にこうしてくれた。十代が寂しいときや不安なときにいつも寄り添ってくれていた──たぶん両親よりも。
仕方のないことなのだ。両親は仕事が忙しく、それは十代を経済的に不自由なく育てるためでもあっただろう。デュエルアカデミアという学費の安いとはいえない学校へ行きたいという十代のために、中学生の頃は学習塾にも通わせてくれた──残念ながらあまり成績はよくならなかったが。
金を出すことがそのまま愛情ではないにしろ、十代の希望を叶えることに金を惜しむことはなかったし、精霊をよく思わなくてもデュエルを取り上げることはなかった。関わりが薄いというと印象が悪いが、余計な手出し口出しをしなかったということでもある。デュエルアカデミアに行くこと自体を反対された子供は数多くいるだろう。
恵まれているのだと──思う。
ユベルの指が十代の眉間をつつく。たぶんしわが寄っていたのだ。
「考えごと?」
「──親不孝だなと思って」
なんだい、とユベルがくすりと笑う。
「どこが?」
「顔もあんまり覚えてなかったし、本当はあんまり会いたくなかったし」
口にすると改めて薄情だと思う。
「実際あんまり会ってないんだ。当たり前だろ」
ユベルはあっさりとそう言った。
「そうか?」
「ボクが覚えてるだけでもキミたち親子の会う時間は少なかった。朝起きて少し顔を会わせたらもういない。夜はキミが寝てから帰ってくることもしばしば。休日も似たような日が少なくなかった。どうせずっとそれは変わらなかったろ」
「まあね」
「それでキミは三年帰ってないんだ。顔くらい忘れる」
ただでさえキミは覚えが悪いし、とユベルはつけ加える。
「で──それはキミの両親がキミに向き合ってこなかったということでもある。仕事が忙しいのは事実だろうが、キミの両親が選択してキミに会わなかったんだよ」
「仕方ないよ」
「うん、キミは昔からそう言う。まあ子供を育てるにはお金がかかるし、キミの大好きなデュエルモンスターズもデュエルアカデミアもお金がかかる。
キミの両親はそういうのを理由にキミと会わない選択をし続けてきたんだ。
顔を覚えられないのも会ってどうしたらいいのかわからないのも、そもそもキミの両親がこれまでろくにキミと会って話してこなかったからじゃないか。
向こうがさんざんその選択をしてきたのに、キミが会わない選択、話さない選択をして何が悪い」
両親がその選択をし続けた──。
「……そんな風に考えたことなかった」
仕事が忙しいのだから仕方がないと思うだけで。
「親の言葉を鵜呑みにしてた?」
「たぶん──興味がないだけ」
「向こうも似たようなものさ。キミの事情をすべて知りたいと思うほどの興味も覚悟もなく、当たり障りのない家族ごっこをしてる」
ユベルの手が十代の髪を撫でるように動く。目にはほんの少し意地悪な色がある気がした。でも髪を撫でる手はやさしい。
「ごっことは口が悪いなぁ」
「実際そうだろ。無難な家族のふりをしている。でもそれが悪いと言いたいわけじゃない。関係を続けるために踏み込むべきでないラインというものはあるだろう。親子だろうとね。キミはこの場を去ることもできたのに、その家族ごっこに付き合ってる。別に親不孝じゃないさ」
減らず口ではなく慰めだったらしい。でも。
「無難な──ふりか」
「先に始めたのは向こうだ」
原因はオレの方だ──。
「家族ごっこしたいならすればいいし、したくないなら今からでも出ていけば? キミは何をしたい? 両親とどうなりたいんだ? うじうじと親不孝だのなんだの考えてないで、そっちを考えなよ」
二色の目はまっすぐ十代を見ている。ユベルは呆れているのかもしれない。十代は腹を決めかねている。このまま肝心なことをなにも話さない「無難な家族ごっこ」をするのかそうでないのか。
でもそれをしたところで十年もつかどうかだ。時間がいずれ十代が「無難な家族」ではないことを明らかにする。
いや。最初から十代は「無難な家族」などではない。両親も幼い頃から察しはついているはずだ。
だから両親は無難な家族のふりを「先に始めた」──ユベルの方が十代よりもこの家族のかたちが見えている。十代は見ようともしていないのかもしれない。
自分を責めたり憐れんだりしていれば、考えたくないことから目を逸らせる──ユベルはそれを今全部並べ立ててしまったけれど。
両親が選択して十代と会わなかった。
十代の異質さから目を逸らして無難な家族のふりをした。
十代もそれに乗って異質ではないふりをしようとした。
そもそもそれは十代のためでもあっただろう。経済的な不自由をさせたくなかった、いい学校に入れたかった、普通の人生を送らせたかった、そんな愛情からくる行動だったかもしれない。
でも、それは理解からは遠い。
──理解されたいのか?
知れば拒絶される可能性もある。曖昧なまま十代が異質な子供であることから目を逸らし続ければ「無難な家族ごっこ」はできる。十代が嘘をつき続ければ。
──嘘をつきたくないんだ。
それは十代のわがままなのかもしれない。人間関係に多少の嘘は必要だ。たぶん赤の他人なら多少の嘘に何も思わない。
愛している人に嘘はつきたくない──理由はそちらの方が正確かもしれない。関わりが薄くても、顔を覚えていられなくても、愛している。
嘘をつくことが相手のためになる場合もあるだろう。これは自分自身のためだ。愛している人に嘘をつきたくない。そして。
愛しているひとを隠したくもない。
十代はユベルに手を伸ばして、先程してもらったように髪を撫でる。
「……明日、両親と話すよ」
「いい結果にならないかもよ」
自分が「無難な家族ごっこ」から降りれば、家族でいられなくなるかもしれない。
「どんな結果でも受け入れる」
そう、とユベルは答えた。真剣な目で十代の瞳を見つめて、そっと頬を撫でた。
「おやすみ、十代」
「おやすみ、ユベル」
ユベルは微笑み、十代の中へ消えた。
ここで眠るのは最後になるかもしれない──そう思いながら、十代は目を閉じた。
2024/12/21
2025/01/29 改行増版