遊城十代が死んだ

 遊城十代の葬儀が終わった。
 葬儀への参列経験が多いわけではないが、一般的なよくある葬儀だったのではないかと思う。暗い顔の参列者、僧の読経、棺の中の、遺体──。
 棺の中の「遊城十代」はこのとのろすっかり見慣れた遊城十代の寝顔とそっくりだった。精巧にできた人形であろうとわかっているはずが、粛粛と行われていく葬儀の最中「本当に遊城十代は死んだのではないか」と思ってしまった。自宅を出る前には生きた遊城十代に見送られたにも関わらず。
 初めて会った十代の両親は、事件に居合わせた万丈目に迷惑をかけたとしきりに謝った。十代がひどく申し訳なさそうに「迷惑」という言葉を使うのは彼らの影響なのだろうと思った。
 参列者は多かった。親しい友人たちはもちろん、デュエルアカデミア本校の教師陣にトメさん、ノース校の市ノ瀬校長。かつて十代とデュエルをしたことがあるというプロデュエリスト数名も顔を見せた。
 そしてインダストリアル・イリュージョン社会長ペガサス、デュエルキング武藤遊戯──十代が生きていることを知る二人から、万丈目は「ジェイデンを頼む」とそれぞれに言われた。二人の言葉でやはり遊城十代は生きているのだと改めて思った。
「おかえり」
 万丈目が帰宅すると、十代は珍しく玄関まで出迎えた。葬儀が気がかりだったのか心配そうな顔をしている。
「……幽霊じゃないよな」
「足ならあるぜ」
 十代は足を少し上げてみせた。茶色の毛足ある生地のスリッパは、ハネクリボーみたいだと十代が気に入って買ったものだった。
「……葬儀は滞りなく終わった。その後の火葬や何やらは知らないが」
「火葬?」
「遺体があった」
「マジ?」
「マジだ」
「へえー。会長が用意したのかなあ」
 葬儀代はすべてインダストリアル・イリュージョン社が出したそうだ。葬儀社にも手を回しているのだろう。十代の葬儀までには事件から一ヶ月ほどかかっていた。その間に精巧な人形を用意したものと思われる。
「ま、お疲れさん。お茶でも飲むか?」
「頼む」
 万丈目は自室へ行き、十代はリビングへと入る。万丈目が着替えてリビングに行くと十代は茶の入った湯飲みをローテーブルに置いてソファに座っていた。万丈目もその隣に座る。
 ソファ横に置きっぱなしだった十代の荷物は、先日インダストリアル・イリュージョン社から彼の両親へと送った。十代が回収したのはあの寄せ書き入りの缶だけで、パソコンは万丈目グループの貸し出し扱いだったからしかるべき部署へと返却した。「遊城十代」の遺品は、万丈目の目に見えるところからは消えてしまった。
「参列者は多かったぞ。いつもの連中に先生たち、トメさんもノース校の市ノ瀬校長も来ていた。エドも参列していたぞ。スケジュールを無理矢理空けたんだろうな」
 十代は黙って頷いた。
「天上院くんが泣いていた。吹雪さんも、レイも翔も剣山もな。クロノス教頭も、鮫島校長もトメさんも」
 万丈目は友人たちの様子を話して聞かせた。十代はただ頷きながらそれを聞いていた。悲しそうに、寂しそうにしながら。
「遊戯さんも来ていた」
「そう──わざわざ来てくれたのか」
「ジェイデンくんによろしくと」
 十代は頷いた。遊戯に対して、十代は特別に信頼を寄せているようだった。精霊関係で仕事上も付き合いがあったはずのヨハンやオブライエンにも自分が生きていることを秘密にしているのに、遊戯にだけは伝えている。
 初めましてと遊戯に挨拶をされたとき、万丈目は初めてプロの舞台に立ったときのように緊張した。
「……キミのことは十代くんからよく聞いていたよ。この前は準優勝おめでとう」
 何度も見たバトルシティの映像よりも大人びた顔で武藤遊戯は微笑んだ。ゲーム開発に携わる彼の瞳にはどこか少年らしい輝きが宿っている気がした。
「彼にキミみたいな友達がいてよかった。……ジェイデンくんにもよろしく。日本に慣れないことも多いだろうから力になってあげて」
 誰かに聞かれても差し障りのない言い方だった。その瞳には十代への心配がほんのりとにじみ出ていた。もちろんですと答えると遊戯は安堵したように目を細めた。
 十代と遊戯の間にどれほどの交流があったものか万丈目にはわからない。しかしわざわざ偽の──十代の生を知る者にとっては──葬儀へ参列し万丈目に一言いわなくてはならないほどに遊戯にとっては重要なのだろう。
「いったいデュエルキングとどういう仲なんだ?」
「前にも話したじゃん。遊戯さんとは一緒に世界を守ったんだって! オレと遊星と遊戯さんたちで、未来から来たパラドックスをやっつけてさ──」
 十代は目を輝かせて答えたが、そういえばずいぶん前にもそのわけのわからない話を聞いた気がする。
「遊戯さんは真の卒業デュエルもしてくれたし、それにハネクリボーだってもとは遊戯さんが渡してくれたんだ。なっ、ハネクリ──」
 ハネクリボーの名を呼びかけて、十代は笑顔を消した。
「……どうした?」
「いや、しばらくハネクリボーには会っちゃダメなんだった……」
「どうしてだ?」
 十代に憑いているはずの精霊たちを、事件のあとから万丈目は見ていない。先日デュエルしたときにカードは使っていたはずだが。
「……誰かに見つかるといけないからな。外じゃ会わないようにしてる……」
「外って、家の中でもか?」
「魂の外。魂の中でなら会えるんだけどさ」
 十代は少し寂しそうに言った。魂の中──そういえば、十代は精霊を魂に宿すという離れ業をやってのけるのだった。
「……ん? そういえばうちの雑魚どもも最近見ないな」
「もう一ヶ月経つのに今さらかよ。……あの日、先におジャマたちに頼んだんだよ、万丈目にオレのこと言わないでくれって。うっかり言ったりしないように引っ込んでたんじゃないか? 今はもう出てきていいと思うけど──おジャマたち?」
 十代が呼びかける。
「は~い」
「おひさ~」
「なあに十代のダンナ」
 おジャマ三兄弟がいつもと変わらない様子で現れた。
「ごめんな、万丈目と話したかったろ」
「いいのよぉ。だってほら、ねえ?」
 イエローはにいっと赤い唇をつり上げ、横目で万丈目を見た。
「なんだ気色の悪い」
「うふふ。万丈目のアニキもだいぶ調子が戻ったわね。アタシたち、嘘とか得意じゃないからアニキがつらいときに出てこれなかったけど……」
「お前たちに慰められるつもりはない」
「第一忘れられてたもんな~、オレたち」
「ちょっと悲しいよな」
 グリーンとブラックが言った。
「でもぉ、そのくらい十代のダンナで頭がいっぱいだったのよね」
「……は?」
「大丈夫、お邪魔なんてしないわぁ」
「いくらおジャマでも」
「二人の邪魔はしないよ~」
 三兄弟はけらけらと笑うと姿を消した。
「なっ──なんなんだ! おい!」
 万丈目が呼んでももうおジャマたちは姿を現さなかった。まったく、と万丈目はため息をつく。
「別に邪魔なんかじゃないのにな?」
 十代は首を傾げた。たぶん十代はおジャマたちが含めた意味をわかっていない。
「話を戻すぞ。ああ──精霊といえば、ヨハンが何か勘づいているかもしれん」
「ヨハンが?」
「オレの精霊が十代や覇王について何か言っていなかったか、と聞かれた」
 十代は黙り込んで考え始める。ヨハンやオブライエンに知らせなくていいのか、というのはずっと思っていた。
「……話した方がいいんじゃないのか」
「ヨハンは嘘がつけない。オレも得意じゃないけどさ、嘘つかせたくないよ」
「オレならつかせていいのか」
「万丈目は器用じゃん」
 嫌味を言ったつもりが想定外の答えが返ってくる。ないがしろにされているのではなく、信頼を寄せられている──。
「まあ──万丈目サンダーだからな」
 咄嗟の返答に迷ってそんな言葉が出た。
「でも……あんまり探し回られると困るな」
 十代は電話してくると言いソファから立った。
 その後、三十分ほど後に戻ってきた十代は、少し目を赤くしていた。十代はまたソファに座って冷めた緑茶を飲んだ。
「……大丈夫か」
「うん。会長に電話したら、ちょうどヨハンと会ってたから少しかわってもらって、証人保護プログラムで今は安全な場所にいるって伝えといた」
「……ここのことを言わなかったのか?」
 十代は頷いた。
「証人保護プログラムを受けたって話だけ。新しい名前も居場所も、知らない方がいい。本当は話すのもよくなかったかもしれないけどさ、声聞けてよかったな」
 泣かせちまったけど、と十代は小さく言った。なぜ十代がヨハンに居場所を伝えないのか万丈目にはわからない。万丈目の家ならばヨハンが来ても変ではないのだから、会ってやればいいのに──そんなことを思う。しかし万丈目に話す十代の瞳には頑なな色が見えて、軽軽しくそんなことは言えなかった。
「ああ、会長がさ、火葬とかも無事に全部終わったって。これで本当に──」
 遊城十代は死んだんだ、と十代は呟いた。
「……葬式が終わったからさ、たぶんこれで日常に戻れるよな」
 主語を言わなかったが、両親のことを案じているのだろうと万丈目は思う。
「……迷惑かけ通しだったなあ……」
 十代は悲しげに視線を落とした。
「……お前のご両親に、迷惑をかけたと謝られた」
 十代は表情を強張らせた。唇を引き結んで頷く。
「でもな、そのおかげでオレはプロになった。オレだけじゃなくみんなそうだ。そのことはご両親に伝えておいた」
 確かに、十代くんは、台風みたいにボクや学園のみんなを振り回すこともありましたよ。でも、ボクたちはその風に背中を押されることもたくさんありました。 ボクがプロになったのも彼の影響は大きいと思います。本当に、お世辞じゃなくて。迷惑かけられて怒ることだってありました。でも、それ以上のものを彼はボクに、みんなにくれたと思います。ただ迷惑なだけだったら、こんなにみんな集まりません。それに迷惑かけられたって、みんな十代くんが大好きだったんです──。
 彼の両親がどれほど万丈目の言葉を信じたかはわからない。お世辞と思い話半分に聞いたかもしれない。彼の母親は、あの子は本当にいい友達に恵まれたと目元をハンカチで拭っていた。目元には万丈目のようにクマがあるようだった。父親は疲れきった顔で目を少し赤くして礼を述べた。十代の常に泣くまいとするところは父親を見習っているものなのかもしれないと思った。
「喪主挨拶で、お父上が十代は迷惑をかけたがそれだけじゃないと、参列者の方方の顔を見ればわかると、そう仰っていた。お母上も、いい友達に恵まれたと」
 十代は黙って頷く。膝の上で握った拳が震える。
「『遊城十代』は死んだ。今日は葬儀もあった。泣いたって誰も咎めない──咎めるべきでもない。それがお前自身でも」
 拳の上に滴が落ちた。黙って肩を震わせる十代の隣で、万丈目も黙り続けていた。

 葬式が終わったから日常に戻れる、と十代が言った通り、万丈目も日常に戻るために動き始めていた。所属先へは復帰の意向を伝えてある。すぐさま元通りとはいかなくとも、少しずつ日常へと戻っていくはずだ。
 だが、それは以前とは違う日常で、万丈目の家には相変わらず十代が住んでいる。ジェイデン・ケントとして生きる彼は日中は黒髪黒目に黒縁眼鏡をすることを常として、元の姿を見るのは眠るときだけになった。気に入りの赤のパジャマを着て、ときにはいつの間にか彼のものになってしまった元万丈目のスウェットを着て。
 同じベッドで眠ることに緊張したのは最初の数日だけで、今はそれもすっかり日常となっていた。万丈目は相変わらず夢見が悪く、深夜に悪夢で目を覚ますこともしばしばだった。十代が元気に生きていることを知っていても、目の前で彼が刺された光景が万丈目の記憶から消えることはない。いつだったかに飛び起きた万丈目を十代が抱きしめてなだめ、いつの間にか二人の間にファラオ一匹分の隙間も空かなくなってしまった。それもまた、新たな日常として万丈目の中に組み込まれつつあった。
 十代が以前にどのような日常を送っていたのか万丈目は知らない。今はインダストリアル・イリュージョン社から渡されたパソコンに向かい何かを打ち込み、時折日本支部へと足を運んでいる。守秘義務もあるだろうと何をしているか訊ねたことはない。仕事のない日にはリビングでデュエル雑誌を読んだりテレビでデュエルの中継を見たりしている──それは万丈目の家に一時逗留していたときの彼と同じだった。
 料理のメイン担当は十代で、土日は万丈目が担当することになった。ほとんど毎日三食手料理というのは、ずいぶんと贅沢な気さえした。それも新たな万丈目の日常で、十代の日常でもあった。
 ある日十代は夕食にミートソースを作った。十代の作ったミートソースは、トマトなど入れずケチャップを大量に入れるというものだった。肉が少なくたまねぎとにんじんが大量に入ったそれは、万丈目にはミートソースというより何か別の新しい料理のような気がした。
「こいつは、おふくろの味ってやつ」
 十代が言った。
「こいつとナポリタンにはトマトが入らなくてケチャップだけ」
 万丈目は葬儀で見た十代の母親を思い出す。化粧の下にクマが透けていたその目元は、十代に似ていた気がする。
「……最後に食べたのがいつかも覚えてねーから、本当は違う味かもな。こんな味だったとは、思うんだけど」
 十代は黒い瞳に少し寂しげな色をにじませた。なるほど、野菜のたっぷり入ったそれは、子供に栄養を摂らせようという親心なのかもしれなかった。
「……元の味は知らんが、うまいぞ」
「だろ? ちなみに、こいつを入れるともっとうまい」
 そう言うと十代は、小鉢の白い球体を万丈目の皿に入れた。モッツァレラチーズか。
「自分で料理するようになってから入れたらうまくてさ。結局おふくろの味じゃねーよな」
「進化したと思えばいいんじゃないか?」
「進化? そりゃいいな」
 十代は笑って、チーズを絡めたミートソースを口に運んだ。
 十代が親の話をすることは珍しかった。万丈目は彼の両親をよく知らない。校長から聞き及んだ話では忙しく留守がちであったということと、十代のためとはいえその記憶を消したということくらいだ。あまり印象がいいとはいえない。十代からも長らく親の話など聞くことはなかった。彼の中でも何か心の整理がついてきているのかもしれない。
「親父の味はあんころ餅かなァ。でもさ、うちのあんころ餅は逆だったんだよ、餅ん中にあんこなのに、あんころ餅って呼んでた。変だよな。もとはひいばあちゃんの味らしいんだけど、ひいばあちゃんは親父が小学生のときに亡くなってるらしくて、間違えて覚えてたんじゃねえかな」
 その日はなぜだか十代はそんな思い出話をいくつかした。父親が鍋を火にかけたまま忘れて焦げを取るのが大変だったとか、母親が気まぐれに買ってきたカードパックにウルトラレアがあったとか、かつての些細な日常の話だった。
「昔さ」
 ベッドに横になってから十代は言った。
「夕飯にミートソース作ったんだけど、二人とも今日は帰るって言ってたのに結局帰ってこなくて、ひとりで全部食べたんだよな。あ、一回でじゃなくて、朝にパンにのっけて食べて、昼にドリアにして、って。よくあることなのに妙に覚えてる」
 茶褐色の目が天井を見つめる。なんで思い出したんだろ、と呟く。
「明日、パンにのっけるのとドリアとどっちがいい? ドリアなら昼飯かなって思うんだけど」
 茶色の目が万丈目の方を向いた。瞳を宝石にたとえることがあるが、こいつのそれはそんなお上品なものではなく、キャラメルや栗のような食べ物の方が似合うような気がする。キャラメルはキャラメルでも柔らかいやつではなく、ハードキャンディのやつだ。
「明日は……昼飯はいらない。打ち合わせで、帰るのはたぶん、三時とか、遅ければ夕方だ」
 おお、と十代は目をまたたかせた。
「そっか、出かけるって言ってたな。じゃ、朝にパンと食うか」
 そう言ってから十代は寝返りを打つようにして万丈目に身を寄せた。十代のこんな行動はもう慣れたもので、万丈目はその背に片腕を回して少し背中を撫でてやる。十代の頭は万丈目の肩に寄せられてほんのりとシャンプーの香りがした。
「万丈目が仕事に行っちゃうのが寂しかったのかも」
 今日両親の話をしたことを指しているのか。仕事で忙しく家にいなかったという両親と万丈目を重ねているらしい。万丈目が本格的に復帰すれば帰らない日もあるだろう。
「お前の方がよっぽど帰ってこないだろうが」
 仕事あるいは使命のために世界中、異世界にまで旅をしていた十代とは、会うどころか連絡さえ長らく途絶えることがあった。家を空けるにしても数日であろう万丈目とは比べものにならない。
「あー本当だ。万丈目も寂しい?」
「抜かせ」
「あはは」
 昔から変わらないじゃれあいみたいなやり取り。万丈目も素直に寂しいと言ってやればいいのだろうか。思春期特有の照れやひねくれはもうなくなったと思うが、それでもまだ素直に感情を表現することは得意ではない。十代がヨハンは嘘をつけないけれど万丈目は器用だというのはこのような部分を指すのかもしれなかった。臆面なく十代を親友と呼ぶ彼ならこんなときに寂しいと素直に言うのだろう。
 十代は万丈目の背に腕を回した。これももう日常に組み込まれた些細な動作だ。
 この距離が友達の範囲を越えていることは自覚するが、かといっていわゆる恋人関係というものになるのは想像がつかない。そもそも十代に対して抱く感情が恋であるようには万丈目には思えなかった。学生時代に恋をした女性に向けたような感情が十代に対してあるわけではない。あるいは友情の延長線上であり「親友」とでも分類されるのか。ヨハンの顔と共に彼が十代と気さくに肩を組んだりする姿を思い出し、それに近いものなのかもしれないと思ったが、十代と自分に当てはめようと思うと親友よりも「ライバル」の方がふさわしいと思う。
 ──この距離感のライバルも変か。
 そもそも友情でも慕情でもなく、ただ傷ついた者同士で身を寄せ合っているだけなのだろうか。万丈目は目の前で凄惨な殺人を見て、十代は「遊城十代」として生きられなくなった。同じ出来事から違う傷を抱えた者が互いに寄りかかっているだけなのか──。
「ずっとこうしてられたらいいのに」
 小さな声で十代は言った。この先を思えば十代にはまた世界の脅威との戦いや、精霊売買の組織から狙われるといった穏やかではない日常が待っているのだろう。彼がひとつの場所に留まらないのは、性格や好みだけに起因することではなかったのかもしれない。
「でも、サンダーの活躍はやっぱ見たいな」
 十代は声を明るくした。たぶん今のは十代が珍しく吐いた弱音だった。万丈目は同意してやるべきだったのか、あるいは叱咤激励するべきだったのか。取りこぼしている。
「次は優勝する」
 万丈目は弱音に気づかなかったふりをした。
「ああ! 楽しみだな!」
 それでも十代は首を傾けて万丈目に笑顔を見せた。昔から変わらない、向日葵みたいな明るい笑顔だ。そこに偽りはなく、ふとこぼれた弱音に同意も叱咤激励も必要はなかったのかもしれない。何かしてやらなければと思うのは傲慢だったろうか。万丈目とて時には「もうプロなんて嫌だ」と思うことはあったし、ひとりでいるときに口からこぼれることもあった。でも本気でプロの道を降りたいと思ったわけではない。十代の言葉もこぼれただけで本気ではなかったのかもしれない。
「話してないで早く寝ないとな。明日はお仕事サンダーだ」
「なんだそれは」
 十代はくつくつと笑った。おやすみと言って返事は拒否する。
「……おやすみ」
 万丈目もそう返して目を閉じた。今日は悪夢を見るのだろうか。十代は生きてここにいるのに。この腕の中に。

 棺の中に横たわる十代の夢を見た。夢だという自覚があり、これは葬儀の影響だと冷静に思った。
 棺は暗闇の中にぽつねんと置かれていた。棺の中で、十代はあの赤い制服を着ていた。棺に詰められた花は向日葵だった。
 胸の上にはカードが一枚載せられていた。そのカードは裏面だったので、何か気になり手を伸ばした。
《遊城十代》
 そう書かれたカードには、葬儀場に飾られていた遺影の写真がはまっていた。
 次の瞬間には墓の前にいた。日本でよく見る墓ではなくて、外国によくありそうな生没年や姓名の刻まれた墓だった。もちろん十代の名前と生没年が刻まれていた。
 背後に人の気配がした。振り向くと黒髪黒目の十代が立っていた。手を差し出されたからその手を握った。途端にその髪と目は長い間見慣れた茶へと変わり、十代は向日葵のように笑うと万丈目に抱きついた。
 そこに温度も重さもなく、夢だからなと万丈目は思う。感触だけはあったが、眠る直前の記憶が引用されているにすぎないだろう。
 十代は万丈目の頬を撫で、顔を近づけた。
 突き飛ばす。重さのないそれは勢いよく吹っ飛んで尻餅をつく。
「誰だ。いや、『何』だ」
 十代だった顔はぐにゃりと歪んで、黒くどろどろとしたものへと変わった。
 肌が粟立つ。逃げ出したい気持ちと逃げてはならないという気持ちが同時に湧き上がった。気がつけば腕にはデュエルディスクがあり、万丈目はあの黒い制服をまとっていた──卒業してからは着なくなったものを、なぜ? デュエルディスクもよく見たらプロとして使っているものではなく、デュエルアカデミアから支給される、それもレッド寮仕様の赤いラインが入ったものだ。
 ちぐはぐだった。夢だから仕方ないのか。黒いヘドロのような化け物はうごめくばかりでデュエルなどできそうにない。どうしろというのだ──そう思ったが、万丈目の手には先ほどのカードがある。
 《遊城十代》、戦士族、レベル四、攻撃力と防御力はゼロ──効果モンスターのようだが効果が書かれているはずの欄は何の文字もなかった。
「攻防ゼロの雑魚モンスターか? まったく、おジャマどもでも防御力はあるぞ!」
 万丈目はデュエルディスクにカードを叩きつけた。
「雑魚たぁひでえな」
 赤い制服の十代が現れる。ふわふわと宙に浮いて、これも先ほどの偽物とそっくりだ。いや、万丈目の夢である以上はすべて偽物だ。目の前の十代も、あの恐ろしいヘドロも、墓も棺も棺の中の十代も向日葵も全部。
「また難しいこと考えてるのか?」
「これは夢だ」
「ふぅん。味がしないの?」
「何も食っとらん」
「じゃあ、なんで夢だと思うんだ?」
「何もかもおかしいからだ」
「おかしいかな」
「おかしい。第一お前もふわふわ浮いてるだろうが」
 そう言って十代をにらむと、十代は首を少し傾げた。
「いつも浮いてるよ」
「そんなわけあるか」
「あるよ。もう忘れたのか?」
 お前の近くにふわふわ浮いてたじゃないか。
 そう、一時期万丈目の頭の中には十代が住み着いていた──。
「……まだいやがったのか」
「なんだよ。ずっと一緒にいたくねぇの?」
 オレは一緒にいたいのに。
 万丈目の空想が生み出した十代は万丈目が好ましいと思う顔で笑ってみせる。
 ずっとこうしてられたらいいのに──先にそう言い出したのは十代だ。この十代は万丈目の脳が生み出したものでも、言葉や動作は現実をベースにしている。
「万丈目、精霊に愛されてるからさ、きっとオレみたいになれるぜ。年頃も今ならちょうどよさそうだ。オレくらいだと未成年に間違えられちまう」
 少年と青年のはざまで時を止めた十代は自分の顔を指差した。
「……そんなこと十代は望まない」
「なんで言い切れるの? 確認したわけでもないのに」
「確認しなくてもわかる。あいつは望まない」
「本当に? ひとりぼっちは寂しいぜ。お前もヨハンも遊戯さんもペガサス会長も、百年もしたらみんないなくなっちゃうじゃないか。本当にひとりぼっちになる前に、オレと一緒にいようって思わないの? オレは寂しくて寂しくて、万丈目に会いに来たのに」
「寄せ書きを取りに来たんだ」
「そうだよ。ひとりは寂しいから取りに来たんだ。紙切れひとつでも支えにはなるけど」
 お前がいたらもっと嬉しいよ。
 万丈目は舌打ちをした。こんなことが万丈目の心の底にある願望なのだろうか?
「……協力はしてやりたいさ。力になってやりたい。それは望んでいるとも。だが、そのために人の道を外れるようなことは」
「ああ! 覚悟がないんだ」
 十代は万丈目の声をさえぎった。万丈目の胸ぐらをつかんで目を覗き込む。
「お前にそうやって覚悟がないから、オレはひとりぼっちで、死んじゃって、人間じゃなくなったんだ」
 金色の見開かれた目が万丈目を責めていた。
「お前はいつも口ばっかりだ。協力するって言いながら何ができたんだよ。オレが闇に溺れるのを見てただけのくせに、ダークネスに飲まれて結局オレに助けられたくせに」
 罪悪感だけで。
「お前はオレのことなんかちっとも好きじゃないんだ」
「違──」
 突如、十代は何本もの向日葵になって地面へ落ちた。地面には遊城十代の名と生没年が記された墓がある。死んだばかりのはずだというのに、その墓は長年誰も手入れしていないかのように苔むしていた。周囲は雑草が生えて、先ほど落ちた向日葵は打ち捨てられたごみのように散らばっていた。墓の後ろから黒いヘドロが這い出してきた。
「お前が望んだことだろう」
 目が覚める。記憶の反復とは別種の悪夢だった。ベッドに十代はいなかった。もう朝になっている。リビングへ行くと十代が朝食の用意をしていた。
「おはよ……って、また夢見悪そうだな」
「お前の入った棺と墓が出てきた」
「ちょっと進歩したじゃん。ちゃんと墓に入った」
 十代にしてみれば、刺された瞬間よりは進んだということなのだろう。いや、そのような捉え方もできるか。なら万丈目を甘やかに誘い、拒絶されたら責め立てたのは?
 そんなことを十代本人に言えるわけがない。万丈目の中に十代に対する好意と罪悪感があるのは確かだ。現実では何も言わない十代に「望まれたい」と「いっそのこと糾弾されたい」という二つの願望があるのかもしれなかった。
「まあ夢になんかたいした意味はねえよ。うまいもん食って忘れちまいな。今日はちょっと豪勢だぜ」
 十代がオーブンを開けると、パンとチーズとケチャップの焼けたにおいがした。
 昨夜のミートソースはパングラタンへとアレンジされた。ドリアもパンも食べたいから折衷案だと十代は笑っていた。朝から重くないかと思ったが、十代の胃袋にはそんなこと関係ないのかもしれない。万丈目は今は美味しく食べられるがあと数年経ったらきついかもしれないなと考えて、数年後も十代はそばにいるのだろうかと思う。
 ずっとこうしてられたらいいのに、と現実の十代は言った。
 ずっと一緒にいたくねぇの? と夢の中の十代は訊ねた。
 万丈目は、永遠は望んでいない。この命尽きるまでは、とは思うけれど。
「あんま好きじゃなかった?」
「いや、ただ、夢のことが」
「本当にずっと夢見悪いな……」
 十代は心配そうに言った。
「あ、確か悪夢は話すと現実にならないって言わなかったか?」
「お前はもう棺に入っただろうが」
 ああそうだった、と十代はコーヒーを飲んだ。
「じゃ、墓は?」
「墓は……西洋風の、名前と生没年の入ったやつだった」
「あの細長いやつじゃないんだ」
「ああ。それで──」
 苔むして、雑草が生えて、周りには打ち捨てられたごみのような花が散らばる。
「わ、なんか暗ェなぁ。そりゃげんなりする。でも、その墓ん中に誰もいねえだろ。偽物だから誰も来ないんだ」
 あれは十代の孤独な未来を表したものだ──と万丈目は思った。だが十代にしてみれば、自分は生き続けているのだから、そんな墓は放置され苔むして当然だということなのだろうか。
「他にはなんか出てきた?」
「……カードが出てきた。お前の」
「オレの? どんなだった?」
「攻撃力も防御力もゼロの雑魚だった」
「効果は?」
「何も書いてなかった」
「えー。夢だからって手抜きすんなよ」
「手抜きとはなんだ」
「手抜きじゃん。ちゃんと効果考えてくれよぉ」
「効果はオレを苛立たせる、だ」
 十代はげらげらと笑った。
 話してしまえば夢の中身などたいしたものではないような気がする。棺と墓と十代が出てきただけだ。たかが夢を重く捉えすぎなのだ。考えすぎるから悪夢を見るという悪循環を起こしているのかもしれない。
 仕事に復帰すると悪夢の頻度は減った。忙しかったからか、時間薬というやつか。それでも棺と墓の夢はたまに見て、それはいつからか遊城十代ではなく万丈目自身の棺と墓になった。
 万丈目の棺には白い百合が詰められていた。自分の死に顔は想像できないのか顔には布がかけられていた。墓はやはり西洋風のそれで、古ぼけて没年は読み取れなかった。それでも十代の墓と違って苔むしたりはせず、古いだけで墓はきれいに手入れされていた。捧げられた白い百合と西洋風の墓標に不似合いな線香が焚かれていた。その香りに思い出したのは十代の葬儀で、この墓は彼が手入れをしてくれているのだ、と思った。十代の姿はなかった。きっと世界中を、異世界を、時には宇宙にだって足を伸ばしているのだろう。
「最近はよく眠れてるみたいだな」
 休みの日の朝、十代にそう言われた。
「夢は見るが、悪夢というほどでもないな」
「どんな夢?」
「相変わらず棺と墓だが、もう見慣れた。最初は驚いたが」
 自分の墓になったことは言わなかった。
「ずっと棺と墓の夢ってのも縁起でもねえなあ……」
「静かでいいぞ」
「そんなもんか。明日からさ──」
 しばらく出かけると十代は言った。次元の歪みの兆候が観測されて、その様子を見に行くそうだ。
「なんもなさそうなら一週間くらいで戻る。なんか起きたり異世界に行かなきゃならなくなったら、時間がかかると思う」
「そうか。わかった」
 万丈目はちょっとスーパーに行ってくると聞いた程度の反応を返した。実際には短くて一週間、長ければ何ヶ月、何年といった時間になるだろう。動じてやるものかと、妙な意地を張っている。
「来週のタッグデュエル見たかったのになあ」
「録画しといてやる」
「吹雪さんとのタッグなんて絶対面白いのに~! なんでこのタイミングなんだよ」
 十代も、まるで「普通の仕事」が忙しいような口ぶりだ。いや、彼にとってはそれが「普通」なのかもしれない。
 その日の夕食はエビフライになった。レッド寮の食堂よろしく、月に一度のエビフライの日が設けられていた。万丈目は月に何回エビフライにしようと構わないと思うのだが、こういうのは月に一度がいいのだと十代が決めた。月の最終金曜日というルールだったが、いつ帰れるかわからないからと今夜のメニューにした。
 十代は毎月エビフライのレシピを変えていた。今夜のエビフライはやや独特のスパイスが入っていた。
「案外しょうゆが合うな」
「スパイスの味だけでも結構いける」
 十代はエビフライに対して探究心があるらしく、黄色い表紙のノートにエビフライのレシピと所感を記録していた。そのノートはエビフライ専用に用意されており、他の料理のレシピ帳はまた別にあった。レシピ帳は万丈目も自由に使ってくれと言われていた。十代のレシピ帳はしっかりと分量表記のあるものと「適当」「たくさん」「赤くなるまで」といった雑なものとが混在していた。ミートソースとナポリタン、オムライスがその代表格であった。ケチャップ味で雑な分量のものは彼の母親の直伝なのかもしれなかった。
 夜、「万丈目と寝れなくなるのは寂しいな」などと言うものだから少しだけ勝ったような気分になった。なんの勝負もしていないのだが。しかし次には「でも異世界に行ったらハネクリボーたちに久しぶりに外で会えるなあ」と言った。十代は異世界に行くことも少し楽しみにしているのかもしれない。異世界に行けば戻るのは何ヶ月先になるのだ。そういえば異世界ではハネクリボーが十代に寄り添って寝ていたと思い出す。もしかして十代にとって自分とハネクリボーは似たような位置なのか──いくらなんでもそれはないと思いたい。どんなに十代が人間と精霊に別け隔てのない扱いをするのだとしても、ハネクリボーと同列扱いと思うと何か負けた気持ちになる。やはりなんの勝負もしていないのだが。
 旅立つ前、十代は合鍵を置いていった。
「なくしたら大変だし、引っ越すときって鍵全部返さないといけないよな?」
 引っ越しを視野に入れているなんて何年帰らないつもりなのだと思った。しかしそもそも引っ越しても引っ越し先をことづけておくと言ったのは万丈目だ。十代はその言葉を受けた行動をしたのだから、文句を言うのは筋違いだろう。
「行ってきます!」
 あの赤いショルダーバッグの色違いの黒いショルダーバッグにファラオを入れて、遊城十代は足取り軽く旅立った。昨日は来週のタッグデュエルが見れないと嘆いていたのに、眼鏡の向こうの目は輝いていた。根なし草にリモートワークの会社員みたいな生活はやはり合わなかったのだろう。
 昨日の夜は寂しいなんて言っていたのに。
 残ったのは一人には広い、猫もいない家。
 旅に同行しようとするファラオに、お前まで来たら万丈目が寂しいじゃないかなどと言っていたからそんなデブ猫置いていくなと連れていかせた。ファラオも家猫生活に飽きていたのか、何か思惑があるのかはよくわからない。ファラオは万丈目たちがデュエルアカデミアの一年生であった頃すでに成猫であったのに、現在も毛並みの衰えすら感じられない。錬金術師の愛猫が通常の猫であるとは思えなかった。
 結局のところ、遊城十代はひとりのようでひとりではないのだ。ファラオ、大徳寺、たくさんの精霊たち。百年後だって彼らは十代のそばにいるだろう。
 その日の夜、万丈目の夢には久しぶりに十代が出てきた。十代はあの赤い制服を着て、黙って万丈目の墓を見つめていた。よく手入れされた古ぼけた墓には白い百合と線香が捧げられていた。
 夢の中の十代は、万丈目がそばに寄っても気づくことはなく、触れようとしても万丈目の腕はすり抜けてしまった。オレの方が幽霊なのか、と万丈目は理解する。
 十代は思い詰めたような、悲しそうな、寂しそうな、後悔しているような──とにかく暗い顔をしていた。固いキャラメルみたいな目は乾いていて、涙を流すことはなさそうだった。
 万丈目は、墓だけを夢に見ていたときには、十代が懐かしそうに墓参りをする姿を想像していた。旅路の途中に時折立ち寄って、亡き友人を偲ぶのだろう、と。そのときにはきっとデュエルアカデミアのことやこの家で過ごした些細な日常を思い出すのだと、そこに悔いなどないのだと、漠然と思っていた。
 そうなるには万丈目が寿命などの「平穏な」死を迎えることが必要だ。「遊城十代」のように刺し殺されでもしたら、とても穏やかに墓参りなどできないだろう。
 だが、十代の表情に怒りはない気がした。友達が殺されたらどれほど十代が怒るのか、万丈目は知っている。それこそ世界を──十二次元すべての世界を滅ぼす勢いの怒りを抱くだろう。大人になった彼はそんなことはしないと信じたいが。
 この十代は万丈目の想像だ。万丈目は無意識に何かを想像し、墓の前に暗い顔の十代として現れた。表情から察するに、万丈目は十代が何か悔いを残すような死に方をしている──。
 事故や病ならば十代が悔いる余地がない。十代が原因で何かに巻き込まれたか。それならば悔いよりも悲嘆のような色が強くなりそうだ。
 それとも問題は死因はではなく、死に目に会えなかったなどの後悔だろうか。病院に駆けつけたが間に合わなかっただとか、旅に出ている間の不慮の事故だとか──。
 心臓がぞわりとした──万丈目は、ひとつの嫌な可能性を思いついた。
 十代がこのまま何十年も帰らず、二度と顔を見られないまま寿命を迎える。今日か明日かと考えながら、何十年と待ち続け、結局会えないままに死ぬ。それはとても寂しくて悲しくてつらいことだろう。
 だが。
 十代に帰れなかったことを悔やみ続けろと願うのは、我ながら性格が悪い。詫び代わりに永遠に墓の手入れをして、悲しそうに寂しそうに悔しそうに突っ立っていろと、そう思っているのだ。まあ、そのくらいの怒りは抱く。
 お前と違ってオレの時間は限られてるんだバカヤロー。楽しそうに出かけて行きやがって。ひとりぼっちで残されるオレのこと、本当に考えてるか!?
 お門違いな怒りである。別に一緒にいようなどという約束もしていない。十代は場合によって長くなると宣言している。帰れないならばそれは相応の事情があるのだろう──遊び呆けて帰らない可能性もないとは言い切れないが。
 そもそも、なぜ「待ち続ける」なんて選択をするんだ? 十代に会いたいなら探しに行けばいい。あいつは異世界で有名人だ。精霊を取っ捕まえて十代は、いや覇王はどこだと聞けばきっと見つかるだろう。
「そんな覚悟が持てるのか」
 空中から、突然ふわふわ浮いた十代が現れる。墓の前に突っ立っている十代とは別の存在だ。金色の目が上から逆さまに万丈目を見つめる。
「あのときみたいに、ちょっと悪い精霊にすぐ殺されちまう。お前はヨハンみたいに強い守護精霊がいるわけでもない。ただ精霊が見える『だけ』だ。頭ン中だけで勇ましいのは得意だよな」
 金色の瞳は意地悪く光り、もう外側以外の十代らしさを取り繕いもしない。これは万丈目の心の一部だ。
「好きだから一緒にいてくれとさえ言えないくせに」
「そんなことを言うつもりはない」
 万丈目はそいつから離れようとするが、ふわふわとついてくる。
「オレが大好きなことをごまかすなよ」
「この前は罪悪感だけで好きなわけじゃないと言ってたろ」
「あのときはそう思ってたじゃん。罪悪感から好きになった。十代のことばかり考えていたから、昔から好きだったと記憶を改竄した。昔から意識する存在だったけど、そんなに好きだったか? 負けて悔しかっただけ。初めてできた友達だから懐いただけ。まあ恋なんて全部勘違いみたいなもんだから、始まりがどこでも別にいいんじゃない」
 どうせ向こうは友達としか思ってないし。
「大好きだぜ万丈目、ハネクリボーもネオスもユベルもネオスペーシアンたちも、ヨハンも遊戯さんもペガサス会長も、翔も明日香も三沢も隼人も吹雪さんもカイザーもエドも剣山もレイもオブライエンもジムも、大徳寺先生もクロノス先生もトメさんも鮫島校長も」
「もういい」
 空想の十代はキャラメル色に戻った瞳で、万丈目の好きそうな顔で笑う
「でも、万丈目は一等特別だ。偶然だけどオレが生きてること知ってるし、ヨハンみたいに精霊売買で価値があるわけじゃないから安心して一緒にいられるし。都合がよくて大好きだ」
 こいつは要するに、嫌なことを言う係なのだ。本当は好きじゃないと言ったり、好きなのに告白もできないと言ったり。友達としか思ってないと言ったり、永遠に一緒にいたいのだと言ったり。その時時で万丈目が嫌だと思うことを言う。嫌味係だ。
「でもヨハンだったら、お前みたいにオレを好きじゃないフリしなくて、愛してるって言ってくれるかもな」
 今日はヨハンを引き合いに出すことに決めたらしい。無意識に沈んだ劣等感や嫉妬心を引っ張りあげてくる。
「ヨハンならオレが寂しくないように永遠に一緒にいてくれるかも。お前みたいに勝手にオレはそんなこと望まないって決めつけたりしないで、オレに墓の前で暗い顔させたりしないで」
 墓の前の十代は、身じろぎひとつせずに立ち尽くしている。彼から少し離れた今、表情は見えない。
「きっと一緒に旅もしてくれるよ。ヨハンは強いからきっと力になってくれる。宝玉獣たちもいてにぎやかになって、毎日楽しいだろうな」
 確かに嫉妬しているとも。臆面なく好意を表現できる素直な性格も、精霊に選ばれた稀有な才能も。
「お前の前で刺されたりしなかったらヨハンと一緒にいたかもな」
 そして勘違いではなく十代から自分の意志で生存を教えられたことも。
「でも大丈夫、オレはお前のそばにいるよ。オレのせいで悪夢にうなされてんだもん、責任取らなくちゃ。それにかわいそうなやつは抱きしめてあげないと。泣いてるやつはほっとけないんだ。お前がオネストみたいに精霊だったら魂に住まわせてやれるのに」
 二色に輝く目が細められた。人も精霊も区別せず愛するのは彼の美徳だろう。誰かひとりを愛するなんてことはしないのだ。それは万丈目であれヨハンであれ同じなのかもしれなかった。
「おいおい、添い寝だけとはいえ、誰とでも寝る軽薄なやつだと思ってんのか? ひで~やつだなあ」
 フルーツキャンディからハードキャラメルに戻った瞳は心外だとばかりに万丈目をにらみつける。
「でも、お前にはどっちかわかんないんだもんな。自分だけ特別でそうしてるのか、誰にでもやさしいからそうしてるのか。だってお前は」
 遊城十代を何も知らないんだから。
「それとも知りたくないのかな。聞かなかったら、どっちでも自分の都合のいいように思ってられるもんな」
 やっぱりお前は覚悟がない。
 結局のところ、万丈目が一番嫌悪しているのは意気地なしの自分なのかもしれなかった。
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