口に出せない願い
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約束の恋人_口に出せない願い
調理実習日の放課後、澪は部活に向かう友人たちを見送り、
手の中の包みを見つめてため息をつく。
午前中の休み時間でにわかに勃発した澪の手作りマフィン争奪戦は
午後の調理実習後になると、昨日失敗作が多かったという山田のクラスの男子生徒までをも巻き込んだ一大イベントになりかけた。
結果として、澪がそんな大ごとになってしまうのであれば
生徒にはあげず父に渡すと言ったのを聞き、
山田が「それなら仕方ないね!」とあっさり引き下がったことで終息した。
(澪と同じクラスの男子生徒は「山田が騒がなければもらえたかもしれないのに」と非常に不満そうではあったが。)
誰かにあげるつもりがあったわけではなかったが、
澪の父は甘い物を好まないので
このマフィンは自分が食べることになるのだろうと思うと少し空しく感じる。
ふんわりと我ながら満足いく出来になったマフィンを見つめて、
ふと午前中杏寿郎の手に渡ったマフィンも
ふんわりと美味しそうな仕上がりだったなということを思い出した。
渡していた女子生徒は去年と今年、
2年連続で杏寿郎と同じクラスの子で、
男女問わず友人が多い杏寿郎の、
恐らく今1番距離感の近い女友だちだと思われる人物だった。
女友だち、と言っても彼女の方がそれ以上の関係を望んでいることは、
周りの人間からすると周知の事実というくらい、あからさまなのだけれど。
ただ、告白した、というような直接的なことは今の今まで無いようなので
きっと杏寿郎は彼女の想いに気付いていないだろう。
(…確か、去年の修学旅行の班も彼女は煉獄くんと同じ班だったな。)
去年はまだ、澪と杏寿郎が付き合っているということもまた、中等部中の周知の事実であったが、
その頃から彼女の言動は、杏寿郎への好意を隠すものではなかった。
だがそれが嫌味でも押しつけがましくもなく、
また、付き合っている相手である澪に対して何を言ってくるわけでもなかったため、周りの人も特に否定的に見ていたわけではない。
元来、キメツ学園はそういった揉め事やいじめなどとは無縁で、
その理由は在籍している生徒の人柄に依るところもあるが、
6年間同じ面々で過ごすことになるため
互いが日々を気持ちよく過ごしたいという無意識の自制が働いているという要素も大きい。
なので、あれほど人気の杏寿郎と付き合っていた澪も、
少女漫画のような“人気者と付き合う洗礼”を受けることはなかったし、
「学園三大美女」である澪と付き合っていた杏寿郎もまた同様だっただろう。
だから彼女の言動も、周囲の人間は
「あぁあの子、煉獄(くん)のことが好きなのか」というだけの認識で見ていたのみである。
ただ、澪は違った。
それは澪が杏寿郎と付き合っていたから、という理由ではなく、
澪が彼女を自分に重ねて見ていたからだった。
澪には、彼女の言動が、
杏寿郎ともっと仲良くなりたいと頑張っていた
かつての自分自身に重なって見えたのだ。
それと同時に、期間限定の恋人という関係になっているその時の自分と、
ただ純粋に杏寿郎と仲良くなりたい、振り向いてもらいたい
と頑張っている彼女とを比べると、
自分の狡さや浅ましさを突き付けられているようで、
彼女を見る度に澪は苦しさを感じていた。
杏寿郎と過ごす時間や、日々が、嬉しくて、楽しくて、幸せであるほど
それを間違った形で手にしている自分を感じて苦しかった。
彼女だけでなく、自分は一体どれほど多くの人の純粋な気持ちを踏みにじってしまったのだろうか。
先日、千寿郎と会った時にも思った。
期間限定の恋人という澪が求めた関係で、
歪めてしまった気持ちはきっとたくさんある。
杏寿郎の友人であるあの子はもちろん、
千寿郎も、
そして何よりも杏寿郎も。
もし、澪と付き合ってなどいなければ、
杏寿郎はあの子の好意に応えることになっていたかもしれない。
あの告白の時の澪が今より幼く未熟だったから…ということは理由に出来ない。
だって、間違っているということに気付いた後も、
澪は結局自らそれを手放すことが出来なかった。
嬉しくて、楽しくて、幸せで…
苦しくても、その関係に縋り付いてしまった自覚がある。
だから…
あの卒業式の日。
期間限定の恋人として、お願いしていた3つの約束を
杏寿郎が「最近は全然意識せずに実行していた」と言って笑った時。
杏寿郎が、澪の名前を掲示板で見てくれていたと知った時。
高等部に上がっても、前と同じように呼びかけてくれた時。
前と同じように笑顔で話しかけてくれた時。
新人戦の試合に誘ってくれた時。
そして、あの1年半の間に見た
笑顔、
真剣な表情、
悔しい顔、
落ち込んだ顔…
たくさんの表情を澪に見せてくれた時。
嬉しかったこと、
悔しかったこと、
杏寿郎の強さ、
弱さ、
すべてを隠さずに澪に明かしてくれた時。
何度も、何度も、
勘違いをしそうになって、
何度も引き止めたくなって、
でも、それでもどうしても口に出せなかったし、
口に出してはいけないと思った。
(ねぇ、杏寿郎くん…。私、杏寿郎くんの本当の恋人になりたいよ。)
調理実習日の放課後、澪は部活に向かう友人たちを見送り、
手の中の包みを見つめてため息をつく。
午前中の休み時間でにわかに勃発した澪の手作りマフィン争奪戦は
午後の調理実習後になると、昨日失敗作が多かったという山田のクラスの男子生徒までをも巻き込んだ一大イベントになりかけた。
結果として、澪がそんな大ごとになってしまうのであれば
生徒にはあげず父に渡すと言ったのを聞き、
山田が「それなら仕方ないね!」とあっさり引き下がったことで終息した。
(澪と同じクラスの男子生徒は「山田が騒がなければもらえたかもしれないのに」と非常に不満そうではあったが。)
誰かにあげるつもりがあったわけではなかったが、
澪の父は甘い物を好まないので
このマフィンは自分が食べることになるのだろうと思うと少し空しく感じる。
ふんわりと我ながら満足いく出来になったマフィンを見つめて、
ふと午前中杏寿郎の手に渡ったマフィンも
ふんわりと美味しそうな仕上がりだったなということを思い出した。
渡していた女子生徒は去年と今年、
2年連続で杏寿郎と同じクラスの子で、
男女問わず友人が多い杏寿郎の、
恐らく今1番距離感の近い女友だちだと思われる人物だった。
女友だち、と言っても彼女の方がそれ以上の関係を望んでいることは、
周りの人間からすると周知の事実というくらい、あからさまなのだけれど。
ただ、告白した、というような直接的なことは今の今まで無いようなので
きっと杏寿郎は彼女の想いに気付いていないだろう。
(…確か、去年の修学旅行の班も彼女は煉獄くんと同じ班だったな。)
去年はまだ、澪と杏寿郎が付き合っているということもまた、中等部中の周知の事実であったが、
その頃から彼女の言動は、杏寿郎への好意を隠すものではなかった。
だがそれが嫌味でも押しつけがましくもなく、
また、付き合っている相手である澪に対して何を言ってくるわけでもなかったため、周りの人も特に否定的に見ていたわけではない。
元来、キメツ学園はそういった揉め事やいじめなどとは無縁で、
その理由は在籍している生徒の人柄に依るところもあるが、
6年間同じ面々で過ごすことになるため
互いが日々を気持ちよく過ごしたいという無意識の自制が働いているという要素も大きい。
なので、あれほど人気の杏寿郎と付き合っていた澪も、
少女漫画のような“人気者と付き合う洗礼”を受けることはなかったし、
「学園三大美女」である澪と付き合っていた杏寿郎もまた同様だっただろう。
だから彼女の言動も、周囲の人間は
「あぁあの子、煉獄(くん)のことが好きなのか」というだけの認識で見ていたのみである。
ただ、澪は違った。
それは澪が杏寿郎と付き合っていたから、という理由ではなく、
澪が彼女を自分に重ねて見ていたからだった。
澪には、彼女の言動が、
杏寿郎ともっと仲良くなりたいと頑張っていた
かつての自分自身に重なって見えたのだ。
それと同時に、期間限定の恋人という関係になっているその時の自分と、
ただ純粋に杏寿郎と仲良くなりたい、振り向いてもらいたい
と頑張っている彼女とを比べると、
自分の狡さや浅ましさを突き付けられているようで、
彼女を見る度に澪は苦しさを感じていた。
杏寿郎と過ごす時間や、日々が、嬉しくて、楽しくて、幸せであるほど
それを間違った形で手にしている自分を感じて苦しかった。
彼女だけでなく、自分は一体どれほど多くの人の純粋な気持ちを踏みにじってしまったのだろうか。
先日、千寿郎と会った時にも思った。
期間限定の恋人という澪が求めた関係で、
歪めてしまった気持ちはきっとたくさんある。
杏寿郎の友人であるあの子はもちろん、
千寿郎も、
そして何よりも杏寿郎も。
もし、澪と付き合ってなどいなければ、
杏寿郎はあの子の好意に応えることになっていたかもしれない。
あの告白の時の澪が今より幼く未熟だったから…ということは理由に出来ない。
だって、間違っているということに気付いた後も、
澪は結局自らそれを手放すことが出来なかった。
嬉しくて、楽しくて、幸せで…
苦しくても、その関係に縋り付いてしまった自覚がある。
だから…
あの卒業式の日。
期間限定の恋人として、お願いしていた3つの約束を
杏寿郎が「最近は全然意識せずに実行していた」と言って笑った時。
杏寿郎が、澪の名前を掲示板で見てくれていたと知った時。
高等部に上がっても、前と同じように呼びかけてくれた時。
前と同じように笑顔で話しかけてくれた時。
新人戦の試合に誘ってくれた時。
そして、あの1年半の間に見た
笑顔、
真剣な表情、
悔しい顔、
落ち込んだ顔…
たくさんの表情を澪に見せてくれた時。
嬉しかったこと、
悔しかったこと、
杏寿郎の強さ、
弱さ、
すべてを隠さずに澪に明かしてくれた時。
何度も、何度も、
勘違いをしそうになって、
何度も引き止めたくなって、
でも、それでもどうしても口に出せなかったし、
口に出してはいけないと思った。
(ねぇ、杏寿郎くん…。私、杏寿郎くんの本当の恋人になりたいよ。)