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平和な日常~冬~

さて横島と明日菜が買い物から帰ると木乃香とのどかや超達はすでに料理を作り始めていた。

店内では夕食を誘った少女達が集まって来ていて、おしゃべりに花を咲かせたり雑誌を読んだりとそれぞれに自由な時間を過ごしている。

穂乃香と鶴子は相変わらず多くの少女達に囲まれているが、これは現在の木乃香は注目度が高いことも影響しているのだろう。

そんなこの日のメニューはと言えば、超包子の中華と横島は肉料理を中心にした洋食をメインにしている。

季節的にブリや蟹などの魚貝類をメインにした和食も考えたのだが、京都の近衛家では和食はよく食べるらしくどちらかと言えば洋食の方がいいと木乃香が決めていた。

しかもジャンクフードに近い料理の方が穂乃香が喜ぶということで、メニューもハンバーグや鶏のから揚げに麻帆良祭でお馴染みになった味付きポテトも用意している。


「やっぱり超リンは知ってたんや」

「ハカセも知ってるし、大学部に出入りすると知ってる人は多いネ。 中等部でも報道部関係者は多分知ってるはず。 報道部は二十年前の立役者ヨ」

すっかりパーティー料理を作ることに慣れた木乃香達であったが、こちらの話題も先程穂乃香が話した麻帆良祭の商業化の話のようだ。

木乃香は超ならば知ってるだろうと思い尋ねたところ当然知っていたが、超いわく大学生くらいになるとみんな知ってる話らしい。

他には報道部関係者なども知ってる人が多いようで、恐らく2-Aでは朝倉辺りも知ってるだろうということである。

報道部に関しては大学部に麻帆良学園各校報道部を総括する報道総本部なる組織があるが、そこが二十年前の一件の立役者のようだった。

そもそも麻帆良学園の報道部は学園内での情報提供に限らず外部への情報提供までも行い、麻帆良学園広報部門と一緒に現在の麻帆良学園の広報活動の一翼を担っているがその始まりは二十年前の一件らしい。


「大学部では今でも当時の話を教える人は多いネ。 自分達の学園は自分達で守るというのが、基本理念らしいヨ」

この件は大学生なんかだと特別珍しい話ではなく、基本的に先輩から後輩に最初に教えられることの一つのようだ。

自分達の学園は自分達で守るというのが基本理念であり、それを誇りとして今も伝えていたようである。


「近衛穂乃香サンは二十年前の中心人物の一人ネ。 最初に自分達の学園は自分達で守るべきだと語り、当時の大学生を纏めあげた中心人物の一人が彼女だという話ヨ」

相変わらず細かい情報までいろいろと詳しい超は、料理をする手を動かしつつも穂乃香の過去の一端を語っていく。

元々麻帆良学園の生徒は個性的ではあったようだが、それでも生徒自ら組織的な行動するほどではなかったようだ。

学園が四面楚歌の状況で生徒にまで不安が走る中、何人かの大学生がこのままではダメだと個性的な大学生達を纏め上げて組織的な行動に出たきっかけを作った一人が穂乃香なのである。


「麻帆良学園において現在に至っても生徒の発言権が強いのは彼女達の努力の結果ネ。 麻帆良のジャンヌダルクなんてあだ名もあって、当時の学生達の象徴的な存在だと聞いたヨ」

超が語る昔の母の姿に木乃香は流石に驚きを隠せないようだったが、大学部では今でも伝説的な有名人らしく穂乃香が麻帆良に来たとの噂が今日の昼には大学生達に駆け回っていたようだ。

ただ木乃香にとっての母は家庭的な普通の母親というイメージしかなかったので、まさかそんな過去があるとは思いもしなかったらしい。



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