「本当なら貴方にはもっと早くお礼を言いにくるべきだったのに、遅れてごめんなさいね。　おかげで孫はいい勉強になったと思うわ」

しばしの沈黙の後、千鶴子は穏やかな笑みを浮かべて横島に頭を下げる

具体的な事は言わないが、それが麻帆良祭での千鶴のストーカーの一件なのは明らかだ

店内には他にも数人の客がおり、千鶴子はあえて具体的な明言を避けていた


「いや～、俺はそんなに改まってお礼を言われるほどのことはしてないっすよ」

「結果だけを見ればそうでしょうね。　でも孫が得たことは多いわ」

改まって礼をいう千鶴子に横島は困ったように笑って答えるが、それでも千鶴子の対応は変わらない

実際あの件を直接見てない千鶴子にとって、横島が何を考えてあんな対応をしたのか本心までは知ることなど出来るはずがない

ただ結果だけをみると、千鶴があの件で学び得たモノは多かったのだ

千鶴子もその結果全てを横島が導いたとは思わないが、ある程度横島が意図した結果なのではと推測していた


「優しいことは素晴らしいことよ。　でも人は優しさだけでは生きてはいけない。　悲しいことだけどね」

呟くように語った千鶴子の言葉に、横島は返す言葉がないまま静かに受け止めるしか出来なかった

元々あのストーカーの件は争いや人を傷つけるのを嫌った、千鶴の甘さが招いた状況でもあるのだから

本当ならばあそこまで相手が付け上がる前に解りやすく拒否するべきだったのだが、それを出来なかったことが問題の悪化に繋がっている

優しさや誠意で気持ちが伝わる相手ならばいいが、残念ながら相手は千鶴の気持ちでさえ理解出来てなかった者達なのだ

まあ相手の大半は騒いで楽しんでただけの愉快犯だったが、だからこそ嫌なことを嫌だとはっきり言わなかった千鶴にも問題があった


「貴方はその若さで優しさの本当の意味を理解してるのでしょうね。　千鶴もそれを学んでくれるといいけど……」

「大丈夫っすよ。　まだ中学生なんですから、焦る必要なんてないと思いますよ」

僅かに心配そうな親心を見せる千鶴子に、横島はまるで空気をぶち壊すような軽さで大丈夫だと言い切る

それに横島は千鶴子の言葉を否定も肯定もしなかった

正直否定しても否定しきれる相手ではないし、仮に否定すればするほど相手に判断材料を与えることになる

まあ相手が敵対するような相手ならばともかく、千鶴の祖母でありどちらかと言えば味方になる可能性の高い相手を必要以上に警戒するのは好ましくない


「そうかもしれないわね。　いつの間にか愚痴のようになってごめんなさいね」

空気をぶち壊した横島に千鶴子は何故かクスクスと笑ってしまい、そしていつの間にか自分が初対面の相手に言うべきでないことを言ってる事実に気付き内心で驚いてしまう

実際横島は何もしてないのだが、まるで本音を言うのが当然のように自然と語ってしまったのだから千鶴子本人が一番驚いている


「楽しいひと時をありがとう。　また寄らせて頂くわね」

その後千鶴子はコーヒーを一杯飲んで帰るのだが、店を出た彼女は懐かしさと新たな出会いに思わず笑みを浮かべていた


「不思議な人がこの店を継いだわね」

雨の中を再び傘をさして歩く千鶴子は横島の印象を独り言のように呟くが、結論はよくわからない人である

人よりも優れた洞察力があるが故に、千鶴子は横島に何か不思議なモノを感じたのかもしれない